2020.07.31 (Fri)
『【最終・3】最新の事件簿~「枯らすは黒い』の続き。
「積極的安楽死」の制度を備えている国も あるのだから、そこで、どういった問題が起きているのかといったことを調査してみたらと思う。
『キリスト教』が主たる宗教となっている国であれば、よく決定したなあと思ったりもするが、日本人には徹底され難い「主体性」や「個人主義」のことも影響しているのだろうか。
また、どうやら、やはり、国家財政負担への計算も しているとは聞く。
案外、隠れた問題となるのは、
「積極的」なら尚更のこと、その処置を実行する医療者側の心理的負担では ないだろうか。
だいたいさ、
「バイト殺人」医者自身、そのヨメはんの話によれば、自殺願望を大いに持ってたそうだが、
だったら、あかの他人を歯牙にかける前に、自分自身が、思想を同じくする相棒の医者に頼んで、「積極的安楽死」させてもらえば良かったろうにw
まあ、病室内だったら、下手人の説明どおりの「完全犯罪」を やりおおせたのかもしれないが、だから、「当院へ」と誘ったのだろうが、
普通に民家の室内で実行してしまったら、そりゃ、常に人目が ある患者のケースなんだから、すぐバレるに決まっとるわ。
あほな短絡医だの(嗤)
こんなんが、長らく『厚労省』の技官(嗤)嗤)
日本の「エリート」も、どこまで堕ちていってるんだか(嗤)嗤)嗤)
『朝日新聞』(2020/07/31 10:34)の、奥歯にモノはさまったコウモリ記事によれば、
なんと、このタイミングで!
マスクや消毒液の「転売規制」解除を持ち出したという、さすがの「冷酷ですから」加藤ダイジンだが、
私が、この人の上司とかだったら、
「あほか!!おまえはぁ!!
」
の一言で即はっ倒すけどねww
あれかな?
「アベノマスク」再配布への国民的猛烈ブーイングで断念、という事態になったことへの腹癒せか?
マスク再配布についての理由と、今度は真っ向から矛盾しとるやないかw(呆)
「ほら、な!やっぱり、マスクが不足してきたじゃろが!!」と言える状況へ導く計算とか??(嗤)
「高額転売が横行して製品の購入が困難な状況になれば、ちゅうちょなく転売規制の再実施を検討」
チッ、あのね、そのときになったら、もう遅いやろ、ちゅうねん。
すでに現実、そうだったよな?
うちは、余裕に乏しいから、まとめ買いも、なかなか難しい。
少しずつ買い足して、来る秋冬に備えようと思ってたのに。。。
そのときになったら、、、
今度こそ「ちゅうちょなく」アベノマスク配布にとりかかる腹やろ!ミエミエだっつうのよ!!(嗤)
まったく、陰湿でイヤラシイ政府だなあ。
はよ退陣しろや
ほんとに、「悪魔に魂売った」としか言いようがないわ。。。
日本国民よ、この政府、はやいとこ倒しとかないと、いまに、地獄の底の底を見るで。
かつては政治の世界に身を置いて、あつかましくも公私混同を やっていたヘボ作家あがりの老害が、自分も不治の病の身となり、「棺桶に片足」状態になって、みずからも「社会資源」を貪っておるくせに、相変わらずのウヌボクサレ(←うぬぼれ&ふて腐れ)た性分で、年甲斐もなく、妄言・暴言ざんまいだそうな。
こんなのにインタビューしに行くメディアも大バカだろ。
どうりで倅のほうも、下品な育ち剥き出し、「金目」レベルの世襲政治屋だ(嗤)
再び言うが、ま、
「権利」にせよ「選択」にせよ、人間が拵えた概念なのだ。自然界の摂理は、んなもん知ったこっちゃない。
だから、敢えて「勝ち取った」という表現を用いるのだろう。
しかし、
しょせんは「追い詰められて」のことであれば、「選択」どころか「乗り越えられなかった」、要は「負けた」ということに過ぎない。
私個人は、べつに「負けた」ことを責める気にも なれないけど。
「死ぬ権利」や「自殺する権利」というものが あるのだとしたら、
それを、自分で実行できない病気になってしまったら、その人からは、「自殺する権利」は問答無用で奪われることになるのか。
くだんの患者さんは、もちろん、少しでも 、自分の からだが動きさえすれば、自身で決行したのだろう。
それが できないから、言わば「犯罪行為」にまで進んだ。
これは、社会として、断固阻止しないわけにいかない。
先述したように、
「積極的」なら尚更のこと、患者の死へ向けての処置を実行する医療者側の心理的負担も考慮しなくていいはずは ない。
自殺できない状態になったからといって、本人の代わりにホイホイ殺す立場に、わざわざ、なりたい者も、ほとんど 居やしないはずだろう。
いたとしたら、どうしようもない「ヘンタイ」か、極端な思想にカブレた異常な思考回路の異常性格だろうよ、まさに、あの「バイト殺人」医者のように。
【続く】
2020.07.31 (Fri)
『【最終・2】最新の事件簿~「枯らすは黒い』の続き。
どういうものだか、
人並み以上に活発な、活動的だった人ほど、この病気になるのかな?と思うくらいだ。
長年、医師として お勤めだった人が、『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』患者となったという、
ある意味で、非常に得難い経歴と体験を持つ人も いらっしゃるそうで、その お一人である女性が述べておられた内容についてなのだが、それは、
発病し、このような状態になっても、自分の持っている価値は、以前より低くなるわけでは ないのだということに気づいた、
といった趣旨の御指摘。
これについては、彼女のキャリアが、とても立派であり、プライベート面も、同じく充実していたであろう、それに見合うだけの自負やプライドも、もとより自覚的に持っていらっしゃっただろうということ。
それと、
しかも、
今回の「嘱託殺人」事件で亡くなった女性にせよ、先述した、医師だった患者のかたにせよ、雨宮さんというかたの御指摘と同じく、総じて、非常に恵まれた状況の人たちであるということ。
この事件によって亡くなられた女性も、発病するまでは、たいへん活動的かつ華やかなキャリア ウーマンの人生だったそうで、ならば、病状が進んでも、何らかの かたちで、キャリアを活かす道は可能だったのでは ないかと思うのだが。
こう言っては なんだが、
生活上の全ての作業を、周囲の人たちに かたづけてもらうわけなので、その分、純然たる思考活動に専念できて、そこにエネルギーを注ぎ込める、というふうには受けとめられないだろうか。
そのなかで、新たな生き甲斐や楽しみを見つけられなかったか。
この病気の特徴として、いわゆる五官や意識、思考能力は、発病以前と殆ど変わらないというのだから、むろん、それ自体によって、苦痛を自覚させられもするだろうが、
もともと高度な知性とキャリアを持っている人ならば、かえって、その分、可能性は高いと思える。
けれども、
先日も言ったように、
一般的には女性のほうが、男性の患者よりも、ストレス度は、もっと高いのでは ないかなとも思う。
それと、やはり、本人自身の家庭というものを築いていなかったことも、どこかで影響していたのだろうか。
とりまく人たち全員が、他人。
家族や身内が相手なら、ほんとうの愚痴や本音を漏らすことで、少しは、気持ちが おさまっただろうか。
もっとも、私の場合は、親や家族こそがストレスのもとだったけど(苦笑)
それでも、愚痴や文句をタラタラ言うには、いかに、わりきった介護専門スタッフとは言えども他人に対するほうが、もっと気を遣うもんだろうし。
なので、ここまでの報道記事を いろいろ読んでみて、
なぜ、いたって平凡な経歴とか女性の患者さんに、話を聞いてみないのかなと、もの足りなくも思った。
各社の記者さん、どうなんですかね?そのへんは。
敢えて避けてるのかな?
こないだのエントリーにおいては、先述した雨宮さんというかたの御意見について、
「このような困難な状態にある人が、それでも、明るく前向きな姿を示すことが」云々、
けれど、誰しもは、、、と述べておいたが、
それと似た感想を、ここで再び持った しだいである。
と言うのも、
私などは、人が苦手という意識が少なからず あるし、
何よりも重大なのは、
親から徹底的に「自己肯定感」というものを叩き潰されるような扱いで育ったうえ、身体障碍も背負わされている。
障碍の面では、親だけでなく、もちろん、他人からも嘲笑され、はっきり「迷惑」呼ばわりされたことすら何度か ある。たとえば、最も多く、分かり易い例では、呼んでいるのに、返事を しないといったことで、この原因を つくった当の親からでさえ、おまえ、わざとだろ!と責められたものだが、
学校時分には、聞こえているのに、わざと無視したと疑われたせいで、暴言を吐かれ、仲間ハズレにされたことも あった。
大概は聞き間違えとか、特に、社会に出て、仕事に就いてからは、電話の呼び出し音が聞こえないせいで、普通に対応できないなどのことでだが、
そもそも、親の主張に従い、障碍のことを押し隠して就労したのだから、バレて咎められても仕方ないことでは あった。
しかしながら、最初から、そのことを知らせておいても、基本的コミュニケーションに関わる障碍なので、健聴者らに混じっていれば必然として、疎外感は、どうしても ある。
かと言って、
これも親の意向で、障碍とは違うのだという方針で通して来ていたから、聴障者として必要な訓練や道具にも全く慣れていない。
あるていど年齢を重ねてしまっているほどに、いまさら、同じ種類の障碍者のなかに入っても、やっぱり疎外感が つきまとう。
あまりにも、自分の生きてきた過去と、他の人たちの それは、違い過ぎて、「健常者」であろうが なかろうが、どうしても、どこか浮いてしまうことが多いのだ。
それと、
後年に至って、福祉関係の人でさえも、支配がましく見下す態度を とることが ままあるのを知ったので、
これは、プライドが高い人は勿論だろうし、そうでなくても、自分の からだが思うようにコントロールできず、くやしい思いを しても、どうすることも できないという、この なさけなさは、私自身も、障碍によって、深く、身に沁みている。
これでは、
自分の からだが自分の思うように機能しないという重い障碍が、全身にまで及んだとなると、とてもじゃないが、前向きに明るく乗り越えていける自信は、私には全く ない。
まあ、これらは、「精神的苦痛」であるとして、現行ではルール外のことと見做され、あっさり弾かれることらしい。
精神面は勿論のこと、薬剤の効果ですら、個々で異なる。
私なんか、他の人は概ね効く痛み止め薬が、自分には全くと言っていいほど効かない、ということが実際に あった。なので、七転八倒の苦しみを味わったことも ある。
私は、深刻な苦痛を緩和するための薬剤投与が、残る生存期間を大幅に短縮することになっても、それは認められるべきだと思っている。それも、あくまで本人の意向しだいと思うけれど。
しかし、
いわゆる「消極的安楽死」というものは、そもそも「安楽死」になるはずが ないのでは?という疑問も持っている。
「胃瘻」という処置以降は、それを止めることで、栄養摂取の方法が絶たれる。これが、苦痛なしに、穏かな死へと導いてくれるのだろうか?分からない。
私は、若い頃に、極端な食事制限を試みたことが あるのだけれど、
普通は、水分だけでも、数日から一週間ていど、もつと聞く。
だが、私の場合、ものの2、3日もしないうちに、ベッドに横たわっていても苦しくなり、まざまざと死の危険を感じた。
その前に、からだが動かなくなってしまう兆しを感じた。
なんとも言いようのない、独特の苦しさだった。
このままでは動けなくなって死ぬと感じて、必死に起きあがり、台所へ這って行き、まずは水分と、少々の食物を口に放り込んでから、気絶したように眠り続け、やっと回復した。
かりに、治療を中止することとイコールなのであれば、どうしても、以前に起きた、「透析中止」による酷い苦痛のなかで亡くなった人の事例を連想するのである。
なので、
治療の中止による大変な苦痛が伴うのであれば、これは もう、「積極的安楽死」とセットにならざるを得ないはずなのでは なかろうかと思うのである。
【続く】
2020.07.29 (Wed)
私ね、韓国でも中国でも、あちらのニュースや報道記事等には、あまり関心が なくて、日本国内の「ネトウヨ」らが生きがいみたく熱心に視聴や閲覧しまくってるのが、どうにも不可解なんだけどねw
そりゃ、実は、あちらが祖国でして、ということなら、大いに関心を持つのは理解できるけどww
その韓国発のニュースによると、
このたび、わが国の、い・ま・だ・に、い・ち・お・う・首相であるアベシの、『慰安婦少女』像に向かって、深々と土下座している姿を想定した像が、新たに作製され、公共的な場所に設置されたのだそうなw
これなら、むしろ、鳩山元首相が、現実に、あちらで行なったときの姿を思い出させるんだけどもねえww
それにしても、
この「土下座する人」が、ずばり「安倍」だということを指し示しているわけでは ないそうなのだが、じゃあ、なぜ、「安倍の土下座姿」だということになっているのかは、追求するほどの関心もない私は知らない。
ところが、くだんの像の制作を依頼し、据え付けた韓国人の高齢男性は、どこまでも「個人的な考え」のことであるとして、「政治的な意図などは ない」などと、苦しいヘリクツを並べているようだw
まあ、たしかに、国家間外交問題にまでなるというのは大げさ過ぎるようでもあるし、
日本側の安倍政府が過敏になって抗議したというのも、また滑稽では ある。
せいぜい、あちらの政府が注意・指導しておくべき、というくらいのことかね?┐(^_^)┌
コメント投稿者のなかには、
「あれ、イイよネ!日本国内にも、安倍の土下座像だけ据えてほしい」
的なことを言ってた者が いたけどw
私も、そう思うわ(苦笑)
道端にだな、この「土下座像」が設置されてたらだな、そばを通るたびにだな、思いっきり蹴飛ばしたいだねww
「この!この!嘘つき!!権力と税金の私物化野郎め!!」とだな。
しかし まあー、
あんまりな「反日」ぶりも、日本側の「反韓」「嫌中」連中と同じく下品で、みっともないね。
くだんの韓国人に敢えて忠告するなら、
あなたがたの内なる欲求――
どうにも解消しきれぬままの、深い深い劣等感と鬱屈の内面が まる出しになっちゃってるよwと。
従来の「少女像」のみなら、まだ ずいぶん静謐な抑制的なものだったと思うが、
ここへ加えた「アベノ土下座」像はねえ。。。ww
かえって、『慰安婦 少女』像のみならず、自分とこ国民一般、自国民族をも、みずから貶めてるようにすら見えるよ。
だって、
いくらなんでも、あからさま過ぎィ(爆)
美意識ゼロwww
だもの。
むしろ、韓国の国民自身が怒るべきじゃないのかな?
こんな みっともないもの つくりやがってと。
おまけに、
『北朝鮮』の「撃つぞー!!」と同様、
援護射撃よろしく、落ち目の安倍政権を張り切らせ、シンパを大悦びさせる材料を提供してやってるじゃーないかいな(嗤)ここだけは、私も不愉快ですわ
ま、先述のとおりで、
あくまでも私個人は、思わずブッとフきだしただけで、あほらし過ぎて、べつに腹も立たんけど(苦笑)
2020.07.29 (Wed)
『【最終・1】最新の事件簿~「枯らすは黒い」』の続き。
母親の人生の最後も、プライドの高さが招いたものだったのかなと、いまでも思う。
それは、私の眼の前で起きたことだった。
まだ60歳代だった最晩年、
一度ならず倒れては入・退院を繰り返した果てに、とうとう、再起できる余地も望めなくなり、病院のベッドで寝たきり状態になってしまった母親は、いつしか、嚥下困難となって、食事の進行にも、非常に手間が かかる状態となっていたため、だいたいは、早めに仕事を切りあげることが できた日に、母親の夕食に間に合うよう、大急ぎで駆けつけた仕事帰りの私が、夕食の介助を行っていたのだが、
ある日の夕食時は、いつも以上に、手間が かかったため、食器の かたづけも遅くなり、そこへ入ってきた、まだ若い看護婦が、私に代わって、ほとんど残ったままの食事の介助を始めたのだが、やはり、遅々として捗らない。
忙しいからだろう、イライラし始めた看護婦は、母の肘を ねじりあげるようにしながら、大声で叱咤し始めた。
その晩、母親の ようすが おかしくなり、夜中に大声で叫び声を あげたあと、容体が急変したことを、早朝の職場に かかってきた電話で、私は知らされた。
うちの母親は、最近のエントリーでも述べたように、もの凄ーくプライドが高い性格だったからね。
でもね、
元気でいられた頃は、「おトイレに、自分で行けなくなったら、もう生きていたくない」と言い切っていたはずだったのが、実際に、おむつを使用せざるを得なくなり、そのうえ、若い男性の看護師さんに、それを取り替えてもらわなければならない状態になってからも、そこは案外と受容できていたんだよね。
いまの私だったらば、
あの夕食時、躊躇せずに、看護婦の無礼で、無神経で、いささか乱暴な言動と行為に対し、「もう けっこうですから、やめてください!」と言えただろう。
けれど、そうしていたなら、その後、どうなったのかなということを、結局は考えてしまう。
ある介護経験者は、むしろ、世話してもらって当然、というくらいなまでに堂々としてもらっていたほうが、介護する側としても、かえって、気がラクなんだけど、と吐露しておられたけどな。
私は、頷けるような気が する。
くだんの事件の患者さんは、ご自身のネット投稿のなかで、「顔の向きが、いつまでも同じ状態のまま、しまいに耳が痛くなったので、反対側の向きに変えてもらい、それでもテレビを見ていられるようにと、鏡を置いてもらったら、見たくない自分の姿が」と書き遺しておられたということを、(こういう事件などが起こると、それっとばかりに、当事者の遺したブログやらツイッターやらを覗きに行く、そんな「ヤフゴミ」wの)誰かがコメントで言っていた。
それが事実なら、
寝返りというか「体位交換」って、あまり、してもらえなかったのかなあ?と、私は怪訝に思った。
うちの母親なんて、大した おデブだったから、頻繁に寝返りさせてやんないと、いったん床擦れが起きたら、もともと皮膚が弱いうえ、あれだけの体重が かかる分、たちまち悪化するに違いないと、私も父親も、せめて自分たちが病室にいるあいだはと、神経質なくらい頻繁に、からだの向きを変え、上になった面をマッサージしてやっていた。
おかげで、亡くなるまで、母親の床擦れは、奇跡的なほど見当たらなかった。
かわりに、私の持病の一つである椎間板ヘルニアのほうが悪化したw
パソコンで「SNS」に投稿するときの画面を見ないように、とか、
知人が訪ねて来たら、外に出て待つようにとか、明確に指示されていたというところを みても、くだんの患者さんは、介護スタッフとのあいだに、むしろ厳しく一線を引き、できるかぎりのプライバシー確保を図るため、ご自分で考えて、努力されていたことが窺える。
あと、私が知りたいと思うのは、
難病ともなれば、大概は、同じ病気の人たちの組織や集まりが用意されていることが多いようなのだが、彼女は、その方面の交流は、どうだったのだろうか。
それこそ、舩後議員なら、私が以前に拝見したインタビュー記事において、やはり、介護スタッフの人によっては、非常に侮辱的な言動を向けられ、苦々しい思いを経験したことも あったと語っておられたので、
また、同じ難病であり、病状の点でも、くだんの亡くなられた患者さんよりも先を進んでおられるわけなので、もし、彼女と交流する機会が あったなら、どのように対応されただろうかと思う。
残念ながら、彼女は、「バイトで殺人」を やらかす手合いとの「交流」の方を選び、どんどん進めてしまった。
結果、みずから、犯罪に加担した側面をも生じさせてしまった。
ひとまずは、こうした事件を、これ以上には発生させないための手立てを考えないといけないだろうが、
さて、「あほウヨ」「ネトウヨ」らは黙っててくれるかな?
まともな、本質に踏み込んだ議論を粛々と進めるためには、オマエさんらが最も有害な存在なんだから。改憲についても同様なんだよ。ったく、日本から出て行けば良いのにw
案の定、必死に巻き返さんと、「あほウヨ」「ネトウヨ」どもが擁護の勢いを高めてるけど、
その下手人の「殺人バイト」医者らが、これまでに、いったい何人を歯牙にかけてきたのやら、調べあげないとな。
それによっては、間違いなく、死刑だな。
でも、難しいんだろうな。
その理由は、下手人みずからが説明してあるもんな。
最後に言っておこう。
とある人、たしか、雨宮さんと名乗るかただったかな、その人のインタビュー記事のなかで、
このような難病や重度障碍など、困難な状態に ある人が、それでも明るく前向きに存在していること、それが、どれだけ、人々を勇気づけ、世のなかの改善に寄与することか、といった趣旨のことを述べておられた。私個人としても大いに同意したい。
しかしながら、誰しもが、そのような姿を示すことは できないのだろう。
ましてや、
したくもない、という人に、強制は できないでは ないかな。
患者側と医療・介護者側。
どうしても、その人なりの個性が あり、密室で起こること、各自の相性というものも ある。
言うに言われぬ、様々なことが積み重なっていくだろう。
ま、とにかく、
「尊厳死」として、現実に、治療をストップさせる要件というものは、専門医や一部の識者だけが知っていたらいいというものでは ないね。
現行の要件を満たせるところまで来たら、もう そうとうに苦しいはずだと思うし。
そこへ、もう一段、プラスできること、改善する余地は残っていないのかな。
一般の人々も、きちんと知っておくべきだし、同時に、「ミギ」からだろうが「ヒダリ」からだろうが、ポピュリズム的であったり、硬直したような主張に惑わされないだけの知性を持たなければならない。
でも、難しいんだろうなあ。。。
大衆・民衆というものは、だいたいはアホだし、無知だし、思い込み激しいまま、勉強し直す時間の余裕も乏しいままに、あくせくと生活しておるからな。
かと言って、
国家権力の椅子の上、ふんぞり返ってる政治屋さんたちは、余裕しゃくしゃくで、毎日がゴチソウざんまいだけど、おつむのほうには、あんまり栄養が行ってないようで、とりわけ、知性の点では、民衆・大衆と、差は ないみたいだもんね┐(-_-)┌
金庫あけたら、からっとカラッポ。
データ探したら、全部、シュレッダー済み。
ザッツ『自民党』安倍政権。
でもでも、自民党じゃないとね?安倍しか いないんだもんね??(嗤)
〽いつかぁ~要らんと言った~マスクが~またぁ来るぅ~
いいかげんにしろ
2020.07.29 (Wed)
『【続・続】最新の事件簿~「枯らすは黒い」』の続き。
「ヤフゴミん」ってさ、
自分では、死んだことも、それが確かに「安楽」だったかどうかも確認したことないくせに、さも知ったようなことを言い切るよなあ(嗤)
しかも、
どうして、ニュースなり、報道記事の内容を、ある程度にもせよ、ちゃんと理解しようともせず、話を勝手に作り変えては即、コメント投稿に及ぶんだろうか。
毎回、私なんかは、ふしぎで しゃあないよ。
おまけに、短い文章でも、初歩や基本レベルから なってない者が多いと きてる。
なにを そんなに大急ぎで投稿したいんだか、句読点を入れるヒマすらも惜しいんだか、文字変換もメチャクチャ。
そんなに忙しいのなら、コメント投稿するの、やめときゃいいのに(嗤)
やたらと「愛国!」だの「日本の!」を主張するくせに、基本的な日本語も、身についてやしないがな。
この風潮に合わせた如く、記者などプロの書き手までが、平気で誤字・脱字。
こないだも、大真面目に「青色吐息」としている記者が おったわw
かつて、旧ブログのときに、『産経』の記者が間違ってたのと同じ(爆)
『桃色吐息』♪とカン違いしてるんちゃう?と、せせら嗤ってやったもんだけどww
さて、
「殺人バイト医者」をば、カネで雇い、やつらの犯罪に加担する かたちになってしまった、今回の痛ましい事件の「被害者」さんだが、「ヤフゴミん」の多くは、ここでも、くだんの患者さんが、「医療・介護チーム」の人たちに対して、本音を言えなかったんだという話に変えちゃってるけど、
ご本人は、「死にたい」というコトバを何度も発していたと、ヘルパーさんの お一人もハッキリ話しておられたよね。
私はね、以前から ずーっと、「死にたい」という人に対しては、やみくもに、「死んではダメ」とさえ言えば いいもんでは全然、ないが、
同じく、
「うんうん、死んでいいんだよ」も、決して言うべきじゃない、と言ってきた。
なぜなら、ほとんどの場合、「死にたい」は「生きたい」ということに ほかならないんだ。
少なくとも、他者に向かって、わざわざ、そのコトバを発しているくらいなのだから、
「そりゃあ生きたいけれども、ただし、このままの状態では、死にたくなるんだ」
と訴えている。
なので、私だったら、何について、死にたくなると思うのか、その理由をハッキリ言ってもらうように、あるいは、なかなか うまくは言えない人も いるだろうが、できるだけ引き出すか、察してあげられるようにしつつ、
では、どうしたら、現状を改善できるのか、共に考え、提案も してみる。
私なりに、こんにちまで培ってきたものも少しは あるから、相手の視野が狭く、考え違いを起こしているようだと判断したら、そのことも指摘してみるよ。
それでも、どうしても、当人も私にも、これという解決案が浮かばないままなら、いろんな所や人にも尋ねてみる。
少なくとも、その場の「ダメ」も「いいよ」も、とりあえず、言わない。
もちろん、ただの「スルー」も良くない。
今回の「請負い殺人」事件のケースでは、言わば「殺し屋を雇って、自分自身を殺させた」患者さんの病態というのが、そうとうに特殊であり、酷なケースでは あるから、無理もないことだったようには思えるので、彼女を責める気は微塵もないけれど、しかし、
もう一度言うが、
彼女は、「死にたい」と何度かは訴えていたという。
なので、それに対して、特に主治医を含めた周囲の人たちは、どのように応対していたのかなということは、かなり、気になる。
私自身も障碍者のハシクレで、福祉方面の人たちを多少なり知っている。なかには、その人たちに「悪意」というものが なかったにせよ、かなり不快な思いを感じたことも、正直言って、一度ならず あった。
あるときなどは、あなた一人の話だけを聞いているわけには いかないんだ、とピシャリ言われてしまったことも あったが、
そもそも、それ以外は、もっぱら先方のほうから、根掘り葉掘りといった感じで、私の生活状態の こまかいところまでも聞き出されるし、干渉されるのに。
このように、
私みたいな、言わば「中級クラス」程度の障碍者でも、ひとたび福祉サービス制度などを利用するとなったら、たちまちにして、かなりのところまで、プライバシーの侵害を受ける。
あるときは、「グループ ホーム」入所を勧められたことも あるが、即座に拒否した。
親からも依存と干渉され過ぎていた人生なのに、これ以上、他人にまでエラそうに干渉されて たまるか!という気持ちで。
くだんの患者さんの場合、じつに24時間365日を、介護の人たちに囲まれているわけだから、もともと、自分以外の人と共に長時間を過ごすのは、親や家族や彼氏でも、苦痛を覚えるタチの私なら、気が狂いそうになるだろう。
私自身、子どもの頃から、自殺を考えていて、実行に移したことも一度ならず、ある。
いまに至るまで、そのことは常に、頭の片隅から消えることなく来た。
ただ、
「ヤフゴミん」のなかに、
「とある橋の上から飛び込もうとしていた人を、6人ほどの通行人が止めようとしたら」云々という、個人的に目撃した実例を述べていたようだが、
そもそも、本気で死ぬ決意を したものなら、人が何人も通るような場所は選ばないんじゃないかと。
なので、
ビルの屋上で、大勢の人がハラハラしながら見上げているなか、誰かが通報した警察官などが駆けつけ、いっしょうけんめいに、長時間を費やして、翻意を促すという、典型的な場面のなかで、なお長々とウロウロしてみせる、「自殺希望」者の気が知れない、私には。
で、くだんの「橋の上」の話では、通行人に、寄ってたかって引き止められ、諌められて、あげく、大声でブチ切れてたんですってさ、その「橋の上から」飛び降りようとしていたらしい者がw
少なくとも私なら、できるかぎり、人に見つからない場所の選定もしないと、確実に決行できないじゃんかと考えるし、そんな自分の最後は、誰にも知らせたくは ないとも思っている。
私の母親も、生前、いろいろと危ない持病を抱えながらも、生来の活動的な性格で、自分で主宰する教室運営と共に、その関連での行政協力やボランティアにも積極的に関わっていた。
けれども、
これは、娘の立場で、表からも裏からも、つぶさに見てきた私だから言えることだが、あれらの活動など、母親本人が大いに自負し、周囲の人間たちが褒めそやすほどの価値など、ないに等しい。
本当に、人を、他者を助けるということは、そんな生易しいものでは ないだろう。
ミエと名誉欲の旺盛だった うちの母親の場合、いわゆる「世話焼き」な面も あったし、まあ、もちろん、本人は大いに善意だけのつもりだったろうが、
ハッキリ言って、自己顕示欲を満たす動機のほうが大きかったと思う。
このように、ボランティアとか福祉とかいう方面で熱心に活動している人たちのなかには、そういう軽薄な動機を秘めているみたいな人も混じっている。しかも、当の本人だけは、あまり、そのことを自覚していないというか、これもハッキリ言えば、意外なくらいのコンプレックスを心底に秘めている場合も ある、ということ。
こういった人の場合、自覚ある・なしは、こちらにも判然とし難いものの、必ずと言っていいほど、どうかした ひょうしに、アタリマエのように、支配的な言動を剥き出しに出してきたり、もちろん、「してやってる」的な態度も垣間見せる。
うちの母親の場合も、「あれだけ してやったのに」的な、また「こっちから要求なんかしてないのに」という愚痴と正当化が、とても多い人だったので、私も、聞かされているうちには、自分の親のことであるだけに、しまいにイライラしてきて、そんなに腹が立つくらいなら、サッサと やめとけば いい、と怒りながら諌めたものだ。
うちの母親は、とにかく、もともとが、何につけても恩着せがましい言動を振りかざす性向だったから、娘の私に対してとなると、最も支配がましさを発揮し、どこまでも犠牲者ぶって、恩着せがましいことを言い募っていた。
こういう面でも、そんな母親に全く似ず、私自身は、誰に頼まれようが、自分が気乗りしなければ断るまでだし、敢えて引き受けるときには、自分が してあげたいから、するまでだ、というのが基本の性分。
どだい、気乗りしないことは、長くは続かないものだ。
なおさら、「恩に着せよう」などという気にも全く ならない。
あのとき、ああしてあげたんだから、今度は、そっちが、といった、あたかも取り引き・駆け引きみたいなものにも、関心が ない。
なので、興味も関心も持てないときの私は、まさに、「取り付く島が ない」状態となる(苦笑)
【続く】