2021.03.08 (Mon)
『【続・続】「ママ友」殺人事件を考察(&不倫について。)』の続き。
たしかに、多少、意地の悪い面も、あった。
非常に、気が強い性格だっただけに、どちらかと言えば、うちの母親は、「いじめっ子」タイプに近かったと、娘の私でも思う。
これまた、当の母親自身は自覚していなかったのだろうけれど。
しかし、もちろん、良い面も あったわけよ。
たいがいは、ほとんどの人が、比率の違いは あれど、両面を持っているだろう。
だからこそ、事態が縺れ、膠着していきがちになる原因なのだ。
要は、どちらのほうが大きいのかってことです。
極端な言いかたを すれば、
どうでもいいような、こまかいところに長所を持っていたとしても、
それ以上の欠点や悪いところが大き過ぎたら、そんなもん、ガマンならんでしょw
たとえば、カネの計算には敏くて正確な、良く回るアタマでも、
誰かの人生を狡猾に利用し、妨害して潰して悦ぶような者を受け入れられますか?ってことよ。
うちの母親は、幼い私に向かって、いつも、
「おまえまでが言うことを聞かなかったら、おかあさんは、隠してある毒を飲んで死ぬからね」
「おまえなんか放って、この家から出ていくよ」
と脅してきた。
親父と諍いするたびに、私を横目に、
「この子には、あんたしか おらんのやからね」
と、おのれの亭主に向かって凄んでいた。
幼かった私には、その意味が理解しにくかったのだけれど、
要するに、いざとなったら、私をサッサと捨てて、親父に押し付けることだって辞さないぞ、という恫喝よねw
暴力親父と、意地の悪い腹違いの姉や兄らと、この家に置いてきぼりにされてしまったら、、、
と思っただけで、怖ろしくて泣けたもんです、あの頃の私は。
どうやったら、他の人たちと同じように、正しく発音できるのだろうかと、鏡に向かって一人、練習していた、子どもの頃の私。
小学生時分、授業か何かのときに、担任教師から、「尊敬する人」を挙げなさいということで、そのときの自分が、誰を挙げたかは忘れてしまったが、そのことを、帰宅してから、母親に話したことが あった。
すると、母親は、
「おまえは、どうして、『尊敬する人は、おかあさんです』と言わなかったのか!」
と、
恐い顔して言ってきたので、ただ困惑し、自分が悪かったような気持ちになって黙ってしまったことを、いまでも憶えている。
うちの親らは、子の障碍についての責任や、それに伴う悪影響が あり得る子の将来を真剣に考えようとは一切しなかったが、まず、その点が、私にとっては致命的だったし、
また、年がら年じゅう争いごとの多い家で、凄まじい暴力や暴言、怒号が飛び交う状態だったし、
何よりも、母親が、父親に殺されるのでは ないかという恐怖に苛まれながらという状態が、幼児期から、成人して、家を出る頃まで、いや、もっと言うと、家を出たあとも続いていたということは、いまだに、思い出すと、フラッシュバックを起こしそうになるくらい、忌まわしい記憶だ。
それでもね、
基本的な食事や睡眠を妨害されるということまでは なかったよ。
むしろ、夏場になると、食欲を なくしがちだった子ども時代は、食べないと不審がって、しつこいくらい勧めてきたし、
夜更かししてると、早く寝ろ!と煩かった。
だが、
親父のほうは、
こまかい(細か過ぎる)ルールを設定したがるという性質が、隙あらば、のさばろうとしていた。
これは、あの『結愛ちゃん事件』や『心愛ちゃん事件』なども含めた、虐待する父親と同じ傾向だ。
一歩でも違っていたら、たちまち噴出して歯止めが かからなかったかも しれない。特に、親父のほうは。
実際には、
うちは、新聞沙汰になるところまでは辛うじて、いかなかった。
要は、程度問題なのだ。
程度如何に過ぎない。
犯罪を起こさずに済んだということは、まことに、自他共にとって、幸いなことだ。
しかし、
うちの母親も父親も、世間を騒がせた虐待親らと共通した基本的性質を、まぎれもなく持っていたのである。
日本では、最近も指摘されている「夫婦別姓選択問題」でも現れているように、とにかく、政治権力と役所は、統一と管理が大好きだ。
まあ、こんにちでは、腐れた『自民党』と、そのシンパ勢力(『日本会議』等)が中心になっているわけだが。
校則などのルールも、不必要で無意味なまでに細かい傾向が あるよね。
これらは、日本の公共や国民性全体に、「虐待親」的性質を持っているということかもしれない。
そして、子どもや若者は、伸びにくい。
がんばって伸びようとする姿にも、どこか悲愴で痛々しさが滲み出る。
やたら口が上手い。
みょうに押しが強い。
何かと恩着せがましい。
むなしいプライド、しょうもないミエ。
これも、少なからぬ人が経験しているようだが、
「(誰それ)が、あんたのことを、こう(悪口)言ってたよ」
と、コッソリ告げてくる者は、たしかに、性格が よろしくないという指摘は、ほぼ間違いなく当たっていると、私も思う。
私の家族内や幼なじみといった周囲にも、このとおりの者が一人ならず居たから。
そして、
そういう人は、「誰それ」ではなく、ご注進しに来た当の、まさに本人自身が、とんでもない悪口を、陰で言いふらしていたりするのである。
なおかつ、
たいがいは、裏で引っ掻き回し・根回し工作にも励んでいたりする。
「『あんたのために』というコトバは、いついかなるときも美しくない」
(by大島弓子氏)
思えば、
「あんたのため」というコトバも、うちの母親の口癖の一つだった。
そして、
「『悪いようには せんから』と言う人は、必ず、悪いようにするものだ」
(bySchneewittchen)
2021.03.08 (Mon)
『【続】「ママ友」殺人事件を考察(&不倫について。)』の続き。
ところでさ、
今回の被害児の母親の髪。なんか、いやにキレイにしてるよね。
撮影画像を見たかぎりでは、わりと最近、美容室でカットしてもらいましたって感じに整ってる。
まさか、自分の美容室代は確保してあったわけか?
まさかまさか、
そんな余裕あったら、子どもに少しでもコッソリ食べさせるよね??
まあ、とにかく、今回の事件も、ひときわ不審な点が多い、多過ぎる。
加害側のみならず、被害児の母親にもだ。
特異的な心理の流れも含め、徹底的に調査しないとだ。
さて、
いわゆる「おデブ」にも二種類あってさ。
単に食生活の だらしなさだけが原因では なくて、生まれつきの体質や、持病、服薬の影響から来ている場合も ある。
うちの母親は、ほんとうは、特に妊娠すると危険な症状が出やすい体質なので、妊娠・出産を、医者に止められていたとか聞いたような記憶が ある。
生まれつきの肥満体では なく、結婚するまでは、いたってスマートだったのだが、自分で言ってたように、姉や私を妊娠・出産するたびに肥っていった。
単に食べ過ぎるから肥っただけ、とは言い切れない。
たしかに、「脳の食欲中枢が破壊されてるから」とも、自分で言っていたしw
大阪の女らしく、肥りやすい「粉もん」などが大好物だったが、大喰らいかどうかと言うと、私のほうが、よっぽど大喰らいかもしれないw
それでも、特に首筋などは、大いに肥ってしまってからも、全体の体格に比べると、若い頃のままに近く、スッキリ細めで、しかも撫で肩のせいか、一般にイメージされるような肥満体型とは、なんとなく異なっており、友人・知人や会った人たちからは、「肥ってるのに、スタイルが良い」「かっこよく肥ってる」、珍しいと感心されていた。
けれど、その反面では、「怖い」という第一印象を持たれやすい、
というボヤキも、私は、よく聞かされた。
やっぱり、カンロクが あるのよね。
人相も、じつに御立派だったし、内面も、気が強いというか、気性が激しい性格だったし。
でもね、むしろ、他人さんには愛想良く丁重で、べつだん争い事もないのに、殊更えらそうなことは言わないし、腰が低いほうだったよ。
困っているとか相談されたら、可能なかぎり親切に対応してあげてたし。
たださ、やっぱりと言うか、「教祖」タイプだとも指摘されてたなw
娘である私自身は、一見の全体的には、父親に似たのか、もともと、たくさん食べても、あまり肥らないタイプで、若い頃は、すらりとしているほうだったが、首の細さや撫で肩であるところなどは、明らかに母親由来の面も混合している。
父親と先妻のあいだに生まれた長女(腹違いの姉)も、これも、年齢とともにブクブクになっていったクチだが、
母親の話では、
この姉が学生時代、登校前の朝食の食パンに塗る、スティック型バター(いまでは、あまり見かけないかもしれないけど、普通の大きさのバター半分くらいが1本のサイズだったと思う)が、この姉に かかると、まるまる1本を、朝食のたびに一人で全部、消費していたくらいだから、そりゃあ、あれじゃ肥るわな、と言っていた。
注意しても、頑として聞かなかったらしい。
そして、結婚・出産後、ダンナと出会った職場である商社勤めを辞めたくなかったのに、会社からの圧力で退職せざるを得なくなった、
と聞いた記憶も あるのだが、
やがて、ご近所にも迷惑を かけるほどの異常行動を起こし始め、ついに精神科で、『自己愛性人格障害』という診断を下された、
ということを、私は子ども時分に聞いている。
いよいよ肥満の度合を極めていった、この義姉だが、
親父の話では、あれは、服用している精神科の薬のせいもあるんだよ、とのことだった。
まあ、体質的に肥りやすかったのも確かだろう。
もともと、度を越して僻みっぽく、常に「被害意識」に とり付かれたような気質・性格だ。
で、内面の異常、異様さが、単に体型のみならず、雰囲気全体にも滲み出ているほどになってしまっても、なぜか、おカネの計算だけは、異常に敏い。
と言うか、
ぜったいに、損してなるものか!という執念さえ感じさせるほど、
ゼニカネ、損得勘定に細かい。
しかも、悪いことも平気で やる。
亡兄(義姉の弟)が、私の母親の尽力によって、教職公務員として就職して得るようになった高報酬から、
「こっちで貯金しておいてあげる!わたしに預けなさい!」
という名目で、ほとんど強引に、延々と、弟(腹違いの兄)から取りあげておいて、
結局は、いっこうに返してくれない、と、義兄(義姉の弟)は、私の母親に泣きついていたことも ある。
腹違い姉が、異様に、おカネに こまかく、しかも、汚いくらいケチなのは、間違いなく、私らの親父に似たのだろうw
でも、同じ父親なのに、私とは似ても似つかぬタイプだ。体型も、性格も。
ただ、
肥満体型ってのは、だいたいの場合、どっしり堂々としているように見えるし、内面的にも、おおらかで、包容力があるように思わせられるのよね、なんとなく。
ちょうど、美女や美男が、内面も美しいのだろうという、ほぼ自動的錯覚を持たれやすいのと同じくで。
そりゃ、スマート体型の人なら全員が善人なわけじゃないし(笑)
でも、
そう言えば、むかし、『さびしい女は肥る』とかいう題名の本が出て、ちょっとしたブームを呼んでいたようだが、
自分に甘い、言わば「刹那主義」的に甘やかすから、食生活の自己管理からして、だらしないのだという面は、ただ、内面に病んでいる面が多かれ少なかれ あるゆえに、その食生活の ありようとも重なってくるのだろうか。
満たされぬ「飢餓感」のようなものを常に抱えているために、食への執着と同様、
「埋めることが できそう」
と確信した対象を見つけると俄然、脇目も振らずに突進していく印象を、私は、母親を始めとした周囲の肥満体型の人たちには持っている。
平均レベルの人なら、あまり自信が持てない場合は、およそ他者に対して、口いっぱいに、えらそうなことを言ったり、何かと指図したりすることは控えておくものだろうけれど、
支配し尽そうとするタイプは、そのような面を、事情や経緯を知らない者が傍から見ると、いかにも情熱的で、一心不乱に目的へ邁進する頑張り屋というか、とにかく、根性ある人のようにも見えてしまう。
が、
それは、「下心」が貼り付いている目的であり、強烈な支配欲なのだ。
「尽くす女」タイプの、心底の支配欲と共通しているようにも思う。
要するに、「負けが込む」と、少しでも取り返さないうちは、と、抜け出せなくなっていく。
そもそも、支配欲が強いということの根っこに、強烈な傲慢さと背中合わせの「満たされなさ」「飢餓感」「不安感」「自信のなさ」といった、表面からは窺い知れない面が潜んでいる。
世間では、どっちかと言うと、たとえば「ガラが悪いように見えるが、意外と良い人だった」というイメージで、「見かけによらず」と言うようだけれど、
これは、逆に、
「立派な、あるいは善良な人物に見えていたのに、意外な悪人だった」という意味でも使えるよね。
ただ、
「見ためが」「やっぱり見ためが」
と言えども、やはり、表面的な雰囲気や外見とイコールの内面性であるとは限らないのも、往々にして現実の一面では ある。
このことは、忘れては いけない。
結局、「よる」ことも あれば、「よらない」ことも あるわけだ。
それでも、まあ、私の経験や実感としては、
眼つきを見たら、どうにも「邪ま」な印象を持ってしまう人は いるものだし、
ふだんは、そんなふうに感じていなくても、どうかした瞬間、こちらの心のなかで「あっ」と声を あげてしまうような、底意地の悪い眼つきをギラッと垣間見せる人も いた。
底意地、意地悪いという面で、人相的なことで言うならば、
たとえば、口を、いわゆる「への字」に曲げて話す癖とか、笑っていても、どうしても口角が下がっている人というのは、あまり、性格が良くない、という。
このことを、うちの母親も、何度か指摘していたのを憶えているのだが、
しかし、母親自身、しばしば「への字」に曲げて、しゃべることも多かったのだが、本人には自覚が なかったらしいw
【続く】
2021.03.08 (Mon)
『「ママ友」殺人事件を考察(&不倫について。)』の続き。
本題に戻ろう。
真逆、互いに正反対のタイプでありながら、この事件で二人の女の共通点は、まさに、非常識きわまるバカ母ってこと。
自分の子を餓死させてしまったあとも まだ、加害者の言いなりになっていたという母親にも、言ったら わるいかもしれないけど、ほとほと呆れてしまう。
そりゃね、
どこぞの『心理学』専門家という人が言ってるそうだが(記事の内容までは閲覧してない)、根っから「善人」であるならば、自分自身が、何の悪事に染まったことも行なったこともない、もともと、そんな欲求が薄い、そういう性質・性格なのだから、悪いことを積極的に画策し、実行にまで及ぶ人間のことを理解しにくいのはアタリマエ。
次は、どんな手を繰り出してくるかという凶悪ぶりの予想すら つかないだろう。
なぜなら、自分自身のなかに、こうした要素が乏しいからだ。
だから、「赤子の手を ひねる」が如く、簡単に騙され、振り回されてしまう。
しかし、こういうのを「賢い」とは言えないと思うよ。
ほんとうに「賢い」親なら、子を窮地に、死に追いやることが見えているのに、ただ ひたすら、その方向へドンドン進んで行ってしまうだろうか?
旧ブログや過去エントリーでも述べたように、
身近な犬や猫などの母親を見てたら分かるけど、概ね、オスよりもメスのほうが利口であり、警戒心も高い傾向だ。やはり、子を守るためだろう。
人間に付き従おうとするときでも、ある意味では、われわれ人間以上に、対象を敏く見抜き、選び分けているのが窺える。
特に、子育て最中の雌は、短いながら、ある程度なりの「スパン」という視点を持ちつつ、子育てしているのが分かる。
シンプルな例を挙げれば、
何かの撮影動画で見たんだけど、研究施設で飼育されていたチンパンジーの母親などは、幼い子猿が、高所に登ると、そのたびに、いちいち掴まえては、安全な床に下ろすということを繰り返していたが、子猿は、片時も、おとなしくしていないので、また登る。
しまいに、母猿はヒステリックに叫んでいた。
まだ幼い子猿には、自力のみで落ちないようにする能力が未熟なので、たちまち落下する危険が高いことを予測し、危ぶんでいるからだろう。
ことに人間の世界では、性質・性格のタイプも成育歴も様々で、なかには、それこそ常識や良識では到底、考えられないほどの悪意を持って、他者を陥れることを躊躇しない者も存在している、それが現実。
ましてや、子どもを無事に生育させるためには、あらゆる危険性を予測し、守らなければ ならないのが、親の仕事。
どんなことが あろうと、まずは食べさせる、という行為は、犬や猫でも やっている「親業」の初歩も初歩だ。
そうじゃないですかね?世の親御さんたち。
どんな動物だって、基本的に やっていることであり、
しかも、オスを頼ったり、アテにせず、自分だけで育てる雌が多い。
なにが悲しくって、あかの他人に、自分の所帯のなかへ土足でズカズカ踏みこまれるのを許せるんだか。
そこからして、もともとフニャフニャでグチャグチャな気質の、
しかも、そうとうに狭い範囲で生きてきた世間知らずな女なのかな、とも思う。
それに、
「完璧・完全な悪人は いない」という主張も ある以上は、
「完璧・完全な善人」だって いやしないだろう。
今回の事件で、被害児の側の母親も、けっして「完璧・完全な善人」などでは なかったはずだ。
少なくとも、まずは最も信頼を置けるはずの夫、それも、自分を裏切った事実も なかった夫に、易々と疑いを向けていたのだから。
浮気でも何でも、こんなことを やられているんじゃないか、自分は知らないうちに裏切られているんじゃないか?という疑心を持つ者は、そもそも自分自身が、そのようなことを やりかねない恐れを、無自覚なまま秘めているからだ、という見解もある。
これは、『結愛ちゃん事件』や『心愛ちゃん事件』また、『東住吉事件』の母親らに対しても そうだが、今回の事件の母親も含め、私個人は、彼女たちに同情は できない。
生来の性質・性格からして、まさに「母親失格」なのでないかとハッキリ言わせてもらう。
どう見ても、子より自分のほうが可愛い人たちに思えるし、ただ、それは それで、何もフシギなことでは ないのだろう。
『東住吉事件』の母親などは、じつに痛ましい最後となった娘と、母親である自分の思いや考えは、子の死後となってさえも一致しているものと固く信じていることを大っぴらにしているようだが、それは結局、娘を自分の一部とか分身と見做している以上に、
自分の「所有物」というに近いゆえの妄想だ。
亡くなってしまったことで、娘は、ますます、母親の つごうの良い存在、架空に等しい存在にさせられている。
そのことについて、この母親自身が、終始、独り善がり、無自覚、無関心なのだろう。
幼い娘が、自分の男に、何を やられていたか全く気づきもしなかった、ということと同じく。
それにしても、今回、発覚した事件の、子を死なせてしまった母親。
単なる友人のほうを信用していたってんでしょ?自分の夫よりも。
そして、自分の子どもの命よりも、他人の言うことを最後の最後まで優先した。
まだ離婚していない頃、結婚していたときに、うかうかと関わってしまった「ママ友」、この女に、子どものことで、いろんなトラブル話を でっちあげられ、それを解決するためにと、また騙され、たちまち取り込まれてしまったという経緯だそうだけど、
なぜ、まずは夫に相談しなかったんだろうか。そこが、まず不可解。
それに、
「子どもが砂を投げ」云々といったトラブル捏造話にしても、実際の状況は どうだったのか、子ども本人に問いただすなり、現場の幼稚園や学校の先生に確認しなかったのか?
『児相』は、またぞろ、理由にもならないヘリクツを理由にして言い訳していたようだが、
この母親は、親族も真剣に心配していて、『児相』への相談を何度も繰り返したという。
つまり、
実際は、「孤立」状態にまで陥っていたわけでも全然、なかったということだ。
手は差し伸べられていた。
それを撥ねつけて、
偽りの「ママ友」の手に、わざわざ縋りついた。
親身の声を無視し まともな関係者たちとの かかわりよりも、あかの他人が悪意を持って吐き続ける荒唐無稽な嘘話のほうに全面的に靡いていたのだから、自業自得としか思えない。
もっと あるよ。
たとえば、
実際は、まったく無関係だったそうなのに、「ヤクザを使って解決できる」とされ、勝手に「ボス」と呼ばわれている(あの「カルト連」おババみたい嗤)「ママ友」の一人に、私だったら、それこそ「常識」として、
「このたびは、うちの子どものことで、、、」
お世話になり、ご迷惑かけましてと、間髪入れずに謝罪と礼に駆けつけると思う、菓子折りでも持って。
すれば、先方も、
「え?何の話ですか??」
ってことで、いっぺんに真相がバレるじゃないか。
それも できなかったんだろうか??このマヌケな母親は。
はっきり言っちゃって悪いけども。
すでに、上の二人の子どもは小学生なので、
少なくとも、そこまでの子育て経験してきてるわけだ。
それぞれの年齢において、どれだけの食事を与え、栄養を配慮しないと いけないか。
自分の子が、水しか与えられずに、どんどん痩せ細って、平気でいられるのか?親が。
私は、子を持ったことが ないけど、ほんとうに、信じ難い。
水だけで10日間って、健康で体力ある成人でも無理でしょう。
虚弱な私なんか、1週間でも全く無理。確実に死ぬ。
母親自身も、なにしろ食事が ままならず、栄養不足で、もはや心身とも回らなくなってしまっていたのかもしれないが、
『結愛ちゃん事件』や『心愛ちゃん事件』についても言えるのは、
もう、これ以上、このままでは危険だということは、さすがに気づいていたはずなのだから、ここまでの極限に陥る前に、必死で気を取り直し、母親として動かないと いけなかったんだけどね。
どれだけ早く気づけるかがカギだ。
少なくとも、飲まず食わず、眠らせない虐待でトコトン痛めつけられていた幼い子どもよりは、母親のほうは、もう少し飲んで食べていて、身動きできたはずなんだ。
考えられない。こんなボンクラが、ポコポコと3人も産んで。
【続く】
2021.03.08 (Mon)
『北朝鮮』の金 正恩かい。自分だけブクブク肥え太ってるザマは。
あろうことか、よそさまの子どもの上前ハネてだよ?
と、唖然呆然。
たぶん「お水」系の商売にでも従事していた頃に知り合ったんだろうなと思っていたが、
いやはや、世のなか、心身ともに、、、と言われてしまうような、こんな女と結婚する男も いるのかと思っちゃった。
これはね、「洗脳」したという加害側の女のみならずで、
わが子を絶命させてしまった、
そのあとになっても、まだ言いなりになってたという、
突き抜けて愚かな女に対しても同様に思う。
「洗脳」と言う以上に、恫喝のほうが正確だろうと思うのだが、
その、「暴力団」やら「反社」にも負けない悪事を はたらいた女の、
モノズキや悪趣味どころじゃないような夫のほうも交えて、家族ぐるみの つきあいだったらしいけど。
もちろん、捜査当局の事情聴取は あるんだろうが、
夫は全く何も知らなかったのかな?
加害者の子も、哀れよね。。。
おとなになって、自分の親が、なにを やらかしたのかって、たとえ聞かれても、言いたくないわなあ。
ここで、
元卓球選手だった福原 愛さんと、その御家族を めぐる騒ぎについて、少し。
私はね、これまで幾度か言及したように、いわゆる「ダブル不倫」男女の あいだに生まれた、生まれながらに「罪の子」だw
で、うちの母親のほうは、まだハイティーンだった若い頃に、母親の実父(私の祖父)と、母親の継母(私の義祖母)の意向で、好きでもないどころか面識すらなかった男と、無理やりに因果を含めて、結婚させられたという経緯が あった。
もちろん、うちの母親自身、それなりに、家出を図ったりして、精いっぱいの抵抗を試みたそうなんだけれど。
結局は、父親(私の祖父)に泣かれ、おそろしくキツイ継母の存在もあり、それ以上は逆らえなかったんだと、これは、ファザコンだった母親の言い訳だが。
あれだけ、「意志も押しも強い」「頑張り屋」な性格のはずなのに、なぜ、そこでヘンな妥協の仕方を するんだろう?
と、私には理解しきれなかった、いまでもね。
まあ、私は、母親と真逆で、ファザコンのファの気も持ってないからなんだろうけどw
対して、
親父のほうだが、最初のヨメはんは、女のほうからのナンパで、お互い、その気になって、ほどなく、深い関係になったとたん、相手の父親というのが乗り込んで来て、
「おらおら~!娘を孕ませた責任を取れ!」
「もとのカラダにして返せ!!」
と、ヤーさん顔負けに凄まれたので、根は小心な親父、しぶしぶ結婚したという経緯だったらしい。
もっとも、こういった経緯の殆どは、私の母親から聞いた話だけどね。
それで、
むかし、彼らが、まだ若かった頃、同じアパートだか近所どうしだかで、顔見知りになっていったとき、親父の先妻は、家事も子育てもロクにできやしない、近所でも顰蹙を買うような、行儀の悪い「ハスッパ」女だったんで、見かねた うちの母親が、のちに、義理の娘、息子となった、私の腹違い姉・兄のことを気にかけてやっていて、おやつを与えたりもしていたという。
そのうちに、親父のほうが、並はずれた美貌の母親に夢中になり、先夫との所帯であった住居の窓の下へ夜な夜な通って来ては、
そこに一晩じゅう貼り付くようになったという。
どうせ、べろんべろんに酔っぱらってたんだろう。
このあたりの話を、
私は、母親の死後になってから、彼女には、真っ赤な嘘を吐く傾向が あったことに気づいたせいで、
「はたして、これも また、おおげさな、ほとんど作り話じゃないのか?」
と疑い、親の古い友人で、私が生まれる前から、うちの事情を よく知っている おばさんに確認してみたことが ある。
すると、その話自体は事実だよという答えだったんだけれども。
さて、親父の、そういう執拗で恥知らずな振る舞いは、当時の御近所の人たちのあいだに知れ渡り、母親の先夫も、「不貞」を疑い始めた。
そもそも、私の母親に好かれて結婚したわけじゃないしね。
母親にしてみたら、やっぱり、いろいろと違和感が拭えなくて、どうしても、相手のことを好きになれなかったらしい。
しかも、先方の姑らも、かなりキツイ人たちだったという。やっぱり、ヨメは服従するもの、というスタンスだったと。
そこへ差して、
親父の先妻も、自分の亭主が、私の母親に夢中になっていることを嫉妬してか、「うちの主人は、あんたなんか相手にしないわよ」とかナントカと言い放ち、私の母親の怒りに火を点けたという、
これも、母親自身の自己正当化に過ぎないのだろうと、いまの私は判断できる。
もっとも、母親のほうも、実父や継母に対する反発や恨みやら、いろいろ複雑な生育事情を抱えて、見かけからは想像もできなくらいの屈折したコンプレックスを、おそらくは、ほとんど無自覚に隠し持っていたから、
以降、私の父親との抜き差しならぬ男女関係へ突進していったことは、ある意味で、彼女自身も、不倫上等!くらいに ひらきなおって、待ち構えていたと言っても過言でないと察している。
そのくせ、他者の不倫には厳しかった(大嗤)
でね、はっきり言わせてもらうけど、
親の不倫が もとで生まれた自分という事実は、なかなか不愉快です。
そもそも、自分の親が、不倫した、ということ以上に、
他者それも、(特に母親のほうの)子どもという存在を無視してでも、自分の欲求や欲望のほうを優先した人間なのだということがね。
それに、
糾弾されても しかたないかと思えるのは、
世間一般においても、そう見做されているように、「エゴイスト」が多いのかなという実感は、たしかに あるし、
やはり自己中心的な行為であることには違いない。
ところが、
人間って奇妙なもんで、「不倫ケシカラン」と徹底指弾する反面で、エゴイストぶりやジコチューぶりを、あたかも自慢材料と できるかのような風潮すらも併せ持つ。
昨今の俗世間を見ていたら、よく分かるよね。
かく言う私も、わりとユルい者だからw
「不倫」なんていう分類は、「神」や「仏」と同じく、しょせん、人間が勝手に拵えた概念や想定に過ぎないじゃないか、という考えも持っては いるんだけど、
親の不倫の おかげで、
親父と先妻の子どもから向けられた侮辱やイヤミを、こっちが一人で被った数々の事実は、不快感なくアッサリ消し去れるほど軽くは ない。
福原 愛さんの場合も、半ばヤケクソみたいに、発散へ向けて突進していった側面が あるのかもだが、
お子さんが、長じて、母親の軽率な行動のことを知ったら、どう感じるか、そのへんは、お構いなしだったのかな?
まあ、それくらいの鬱屈やストレスも あったんだろうか。
ここで、特に「ウヨ」系の連中に対して言っておきたいのは、
「台湾は親日!」と常々言い張っているが、
私は、旧のブログの頃にも、このことを指摘したけど、
例の『尖閣』領有問題について、中国以上に強硬に、自国領と主張してきた『台湾』の人々も また、際立って友好的な言動の奥底には、同時に、中国や韓国などと共通性のある歴史上の経緯、および、日本に対する反感や屈折した感情をも秘めた複雑さが横たわっており、これを無視するのは、日本側の無自覚な傲慢、無神経そのものだ。
福原 愛さんの、台湾のほうの お身内にも、日本から やって来たヨメに対する、多かれ少なかれ屈折している感情が発露した面も あるのかも しれない。
家族や身内、気心の知れた仲間どうしの結束が強く、その反面で、外部の者に対する警戒心や排除傾向が高いと言うのは、中国人も同じだと言うし、
もっと指摘するなら、ヨーロッパやアメリカの人たちも同様らしい。
日本も、昔は、間違いなく、その傾向だったろう。
特に、田舎や村と称される地域には、そんな気風が いまだに残っているのは知られたことで、要するに、古今東西、大差は ないのだろう。
現代の日本社会のほうが、多少、異質になっているだけで。
ま、いわゆる「小姑」と反目し合うてなことは、日本でも ありふれた話では ある。
【続く】
2021.03.02 (Tue)
良心は?矜持は?哲学は?
「政治家」となると、とにかく、遠大な規模の目標・目的というものが あるはずなので、ある種の支配欲や野望めいたものは、その良心の ありようや思想、哲学の有無と関係なく、多かれ少なかれ有しているものなのかもしれないが、
それこそ「自己保身」第一に「自己愛」を貫き、どこまでも、これを放出することが「正義」、自分一個にとっての、という、あたかも食欲や性欲などの低次元な欲求に突き動かされてしまうことを、「信念」とカン違いしているのか、または、ひらきなおっているような「政治屋」となると、可愛いのは、あくまでも自分、あとは、せいぜい、自分にとって つごう良く役立つ仲間のみである。
もちろん、そこに、本来の主役であり、仕えるべき主人である国民や市民の存在は、ない。
あっても、いかに騙しておくか、黙らせておくか、という、「こんな人たち」なる「敵」認識でしかない。
そんな下劣な「政治屋」に権力を与えない、握らせないための、言わば「セキュリティ」を担う役目を持つのが、最も一般国民や市民に近いはずの報道マスコミや各メディアであるはずで、そこに問題が潜んでいると、たちまちにして政治家ならぬ「政治屋」が、国家最高権力を手に入れたが最後、握り込んで離さない事態になる。
そうなると、
あとは、政治権力の中枢で仕事を する官僚という存在の「セキュリティ」力だ。
この「セキュリティ」力が歪められると、こんにちの わが国のような、
また、『トランプ時代』のアメリカような体たらくに陥る。
さて、
『辞任した山田真貴子広報官 菅首相会見で本誌記者に「週刊朝日はちょっと……」と難色示した過去』2021/03/01 20:53
『週刊朝日』だったら何なの?山田さんよ(嗤)
恐いもの知らずでいられる一庶民国民である私が、もし、そこに居たものなら、すかさずツッコムけどなw
『アエラ』なんかも、時々、なにコレ?と言いたくなるような軽薄短小なコウモリ記事を出すけど、ま、商売かw
でも、
与党や政権側にとって、多少は苦みのある内容の記事も、いちおうは、出してることもあるよねww
そういった、つごうの良くない記事を読んで、どう感じたり、考えたりしているんだろうかと、ほとんどフシギに思うのよ、山田さんのようなタイプの人を見てると。
それにしても、
ガッコの勉強だけ得意、要領だけで上手く やれてきた、結果、ウヌボレの沼にドップリだ。
彼らに、哲学などは皆無だから、根本の判断力は、どこまでも、浅薄な「要領」のみとなる。
要領だけで生きている。ほかはカラッポ。
それも、うぬぼれの権化になっているから、「政治屋」に負けないくらいの自己愛のカタマリになってしまっている。
悪いことを やれば やるほど、良いめを見れる。
そうなんだぁと思えば、ただでさえ要領の良い者が、真似を しないはずもない。
しかも、「道徳」を説いてやまない者こそは、実際には悪事まみれでありながら、ニコニコと良い思いを している現実じゃないかとなれば、
悪人どもが説く「道徳」なんどは、一皮めくれば非道徳・不道徳、つごうのいいマヤカシに過ぎないのであり、笑止千万と唾棄すべきなのだという、まっとうな判断も消し飛ぶのであろう。
現に、あれほどの良い立場に回れているのだからと、こういうところで、なまじに「素直」な優等生気質が はたらいて、われもわれもと、率先して真似し始める。
まさに、猿真似というべきか、なかみのない木偶が踊っていると言うべきか。
例の前「首相」という肩書の「御用聞き」が繰り広げた『桜を見る会』問題でも、その催しの当日に、どこの新聞社かメディアの記者だったか、ある官僚と話しているときに、
その官僚は、催し会場の夥しい人出を眺めつつ、ぽつりと、「これで良いはずは ないんだけれど。。。」という旨のことを洩らしたのだという。
もちろん、ただの一官僚であり、職場においては無力に等しい存在であり、葛藤を抑え込んで、より上のほうから降ってくる意向で動くしかない立場なのだろう。
けれども、辛うじて、一個の人間としての良心や、公僕としての疑問を、完全に失っては いなかったわけだ。
こういう人は、政界でも役人界でも、いまだ皆無というわけでは ない、ということが辛うじて示された。
ところで、
『記者クラブ』の問題は、私が若い頃、もう数十年も前から指摘されていたことで、当時は、そのことを、どこの放送局だったかは憶えていないが、テレビのドキュメンタリー番組で正面から取りあげていたのである。当時は、まだ、ね。
フリーランスのジャーナリストが、会場に入ろうとガンバっていて、たしか『朝日新聞』だったかな、違うかもだが、とにかく、大手の新聞社の記者で、えらそうな髭を盛大に生やした男が、木で鼻を括ったごとき あしらいかたでもって、フリージャーナリストを頑強に突っ撥ね、追い払う場面を見ていた私は、
「このやろう、、、」
と、猛烈な反感を覚えたことだけは、いまでも鮮やかに憶えている。
あれから、事態は、ますます悪くなった。
ここでも、「既得権益」というものが、報道界の記者たちの あいだにすら横たわっている。
彼らも、良心、矜持、哲学というものを備えておらず、あるいは、とっくに投げ捨ててきて、わが身の利益と思えることだけに従っており、言わば「サラリーマン記者」ふぜいが跋扈しているわけだ。
首相会見の場で、このたび大問題が発覚し、スガさんと共に醜態を晒した山田ウヌボレ真貴子氏のような「広報官」なる者が、一般国民のほうでは なく、私利私欲のために就いた権力者の代わりを任じて、その意向のとおりに動くロボットの如くに指名する、といったクダラナイ習慣は、これを機に、さっさと廃止するが よい。
どう転んでも、アンフェアでしかなく、公正な報道と情報公開を、主権者国民に もたらす妨げにしかなっていない。
政・官・財は手を携えて腐敗し、それに呼応してか、
国民一般も ますます浅慮・軽薄になっているように感じる。
ほんとうに、目に見えて醜悪な、いやな国になってしまった。
なんと言うか、ほんとうには機能できていない国になっている感じが するのだ。