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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2015.05.11 (Mon)

このかたも時々読ませていただいて、参考にしているコラムの書き手の お一人。

何が不足しているので、貧困な子どもに普通の大人が「おせっかい」できないのか?
みわよしこ 201559

http://bylines.news.yahoo.co.jp/miwayoshiko/20150509-00045555/

「生活保護は全然恥ずかしいことじゃないと思いますよ」と話すだけでも、力になるかもしれません。~

 

いやぁ、でもさ、、、
この筆者みわさんのところに毎度のごとくドドドっと押し寄せてくるヘイト コメントの凄まじさ見てたらねえw

まさに当事者たちにとっては、「力になる」どころの騒ぎじゃないでしょうね(苦笑)

ヘタすると、
かえって、それらのコメント読んじゃった当事者たちのうちの誰かしらを、自殺へと誘導し、追い込みかねないかもよぉ;恐ろしや~emoji

 

それに、

「朝日新聞」あたりの(朝日新聞に限らないだろうけど)社説を書けるような御仁ともなれば、かなりのエリート意識の持ち主なんじゃない?w
そら、無理ムリww
しょせん、本当には、巷の現実の底のあたりなんて、経験も体験も したことないだろうし、何ごとも通りすがりの通行人程度でしかなく、ほとんど見えてないと思う。まあ、一般的にも そうだろう。

 

それから。

格差はあってもいいんです」というよりも、恐らく、なくせませんでしょうね。このことも、私は何年も前から何度も言ってる。

 

例の「カルト連」のオッサンの一人

(ブラげろんぬ」の分身腰巾着の一人で、なんつったかな?
たしか、「
非どっち」とかタケナカ某とか言ったっけ?)

が付きまとって来たときにも、何かの話の流れのなかで言って聞かせてやったこともあるんだが、哀しいかな、あまり理解できないでいるようすだった()

 

で、まあ、

摂理的にも、「格差」ゼロは不可能でしょう。

ただ、

それが行き過ぎると、
と言うことは、すなわち、不自然な域に入ってしまってること、
つまり、人為的であることに他ならないわけだが、

つくりあげられた格差の上辺にいる者たち自身までにも、「自分の首が締まるときが来るよ」と言ってきた。

 

ここで筆者みわさんも おっしゃってるように、「多様性」「健全性」が問われる問題だろう。

 

 

そういえば、

私の親の古い友人で、うちの実家の事情も、私のことも よく知っていて、とても可愛がってくれていた人が、もう すっかり、年を取っているのだけれど、

夫に2度、死に別れ、育てた養女とも疎遠、
やっぱり、九州の片田舎出身で、高い学歴もないからなのか、
若い頃から苦労して働いて働いてだったのに、高齢となったいま、もはや返せない借金を抱えているうえ、あまりに乏しい年金で、むかし、癌を患ったこともあって、医療費が酷く苦しいと言って嘆いてる。

 

そんな生活でも、ご近所の人が、週に何度も食事に呼んでくれるから、それだけでも、すごく助かってるよと言ってたのに、その人は数ヵ月前に引っ越していかれたそうで、私も、それ聞いて、心細く、残念に思った。

ただでさえ落ちた食欲を、ますます なくしているようで、

この前に訪ねて行ったとき、持参した手土産の食べ物を入れておこうと、冷蔵庫を開けたら、ほとんどカラッポだった。

 

もっと会いに行ってあげたいのだが、けっこう遠距離、こちらも、お世辞にも余裕があるわけでないゆえ、次に行けるまで、もう少し待っててね、と言いつつ、できるだけ電話してあげることくらいしか できないのが哀しい。

この次に行ったら、もしものときの段取りは どうするつもりなのか、連絡先とか、確認しておかないとと考えている。

 

 

~生活保護基準は、過去「健康で文化的な最低限度の生活」を実現していた時期が一度もありません。~

 

だから、

「健康で文化的な最低限度の生活」とやらいうのを、

餓死しない程度の生活」に書き替えて変更するしかないんじゃないの?w

 

そのうちには、病人、障碍者、高齢者適用「安楽死」制度も設けられるのだろうww

なんせ、これが「普通の日本国民」全体からの、政治に対する、社会的要望なのだそうだからww
「普通の日本国民」とは、自民党ネトサポ、ネトウヨ、「日本会議」あたりのメンバーも含まれてるのかな?www

 

あーあナサケナイ「先進国」があったもんだ()

 

ところが どっこい、まだまだ上(下?)が。

そう、日本の宗主国にして筆頭「先進国」にして、
しかも低福祉wなのらしいケッタイな「大国」wアメリカの場合ですが、

もともと「プロテスタンティズムの倫理」だとか資本主義の源流はキリスト教というのだから、根底に、そういう精神の存続があるわけであれば、「共助」「互助」のほうを重く見るのは、むしろ当然なことかとも思える。

 

 

 

さて、うちの実家の兄はですねえ、一応、国立だが駅弁大学の教育学部卒で、教職に就いたのだけども。

理由は、当時の家計が苦しかったから。

 

私の母親は、父とのあいだに、結局、私しか産まれなかったから、父の先妻の産んだ息子である兄は、わが家唯一の男の子、すなわち、跡取り息子だということで、

兄とは、年齢が大きく離れていて、まだ幼かった末娘の私の目から見ていても、かなり熱心に教育ママを やっていたなあと思う。

授業参観や保護者懇談会のときは、幼児だった私の手を引いて、遠い自宅から、いつも一番乗りしてくるというので、のちに私も通った学校の先生たちのあいだで有名だったそうな。

(ちなみに、
そうしたおり、兄のクラスの教室にトコトコ入って行った私を取り囲み、

「きゃー可愛いー、この子、○○クンとこの妹だってぇ?」

と、女子どもが大騒ぎしてたもんだと、兄が思い出話を したこともあった())

 

なにしろ、

たまたま二人で外出した あるとき、帰宅途中の道で、何の話からだったか、兄がボソッと、

「おばちゃん(私の母親のこと)に、完全にレールを敷かれたって感じ」

と言ったことがあった。

 

そう、

ガッコのセンセイ、教職は、弁護士の次に、母自身が なりたかった職業の夢だったのだ。

 

 

【続く】

 

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Updated   
2015.05.09 (Sat)

私は近ごろ読んだ記事で、沖縄の人たちの、米軍基地に関する葛藤というものが、ただ憤りのみではないことを知る機会があった。

 

それは要するに、

米軍基地があったからこそ、たとえば、米兵を父とする男性との出会いがあったので、とか、基地に仕事を得て、生活の糧を得ているので、とかいったことの吐露であった。

 

まあ、たしかに、米軍基地にて仕事を得ているとか、その他、とにかく、米軍基地がある おかげで、何らかのメリットを得ている人たちのことは、それは それとして、現実的な代替策を考えることだろう。

だから、そのことは、ここでは置いといて、

地元沖縄出身のシンガーである女性が言ってたということも知ったのだが、

たしか、「コッコ」さんとかいう女性シンガーだったかな。

 

「米軍基地があったからこそ、いまのパートナーと めぐり会ったのだ」とか言ってた。

そういう葛藤の辛さ云々を述べておられたわけだが、

私は、ぴしゃり言ってしまおう。

それを言っちゃあ、おしまいでしょうよと。

 

おそらく、米兵か、それに近い立場のアメリカ人が、彼女のパートナーである男性の父親なのだろうと思しいが、そんなことは、たまたまに過ぎないでしょう?と。

 

まあ、何事にも、そこに必然性的なものを持たせて考えてしまう性分の人とか、けっこう多いみたいだし、私自身も、けっして理解できないこともないのだが。

 

しかし、そういう情緒的な意味での一種の論理を持ち出してくるのなら、すでに起きてしまっていたことは全て何事も、宿命や運命だとして、従容と受け入れるしかないではないか。

もちろん、徹底した受容精神や姿勢とか人生態度というものも、一つの境地としてあり得るとは思う。

 

 

これは、私個人の出自の話からだが、

私は、両親の、いわゆる「ダブル不倫」によって、この世に生まれ落ちた。

つまり、親たちの身勝手、若気の至りと言うか
(私の出生届を出すこともサボってたらしい助平親父のほうは、母よりも大幅に年上で、すでに30代半ばにもなっていたのだが)

軽率な「不倫」行為が なければ、わたしゃあ、この世に存在してなかったわけだ。

 

だからと言って、当の私自身が、「不倫」行為の お蔭で生まれてこれたからと、大いに「不倫」を世に奨励したいか?というと、それと これとは別(苦笑)

 

しかもだね、
その「不倫」を はたらいた当事者バカップルである、うちの親たち自身、世の「不倫」カップルたちに対して、身につまされ、共感等していたか?というと、これが、まるで逆だったの()
じかに見たもんなら、ケシカランとて、目ぇサンカクにして怒ってたもん(爆)爆)

 

 

ま、かくのごとく、
人間なんて、トコトンご都合主義で自己ちゅーで自分棚上げなものですわw

そう、さしづめ「平和憲法を、敗戦した日本に押し付けた」くせに??その押し付けてきた()側のアメリカが、いまに始まったことでもなく、

いつも自分とこの戦争の都合しだいで、日本に対して、

「おい、その平和憲法は、もういいから、そろそろ、こっちを手伝えよ」

と要求してきたようなもんww

 

 

うちの実家の話に戻すと、

実際、そもそもの家系と、親たちのそれぞれ複雑な経緯を背負っていたうえ、家族間の心情も、一筋縄では済まないほど拗れていた家族関係のなかに否応なく巻き込まれた私自身、簡単には言い尽くせない苦労を、内外で経験してきたわけでもあるから、

逆立ちしたって、

「不倫、良いよぉ♪みんなも励みましょうよぉ」

なんて、口が裂けても言いたくはないさ(苦笑)

 

ただ、ま、人間関係は、リクツで割り切れない情動も絡むのが常だし、

ヒトが拵えておいた「法」とか「倫理」体系、「道徳」だけで成り立てるわけには いかない。
もし、そうできるなら、とうに世のなか、もっとスッキリさっぱりしてて、
およそ「ゲイジュツ」「ブンガク」なんぞ、ネタにも事欠くだろw

 

はたから見ても、何ら問題なさそうな、ややこしい関係なんか微塵もないはずの家庭でも、悲惨な事例はナンボでも起きるし。

キッカケには多かれ少なかれ、なりやすいかもしれないが、「不倫」だとか家族関係が複雑だとかいうことだけが、家庭問題の全てでも、直結するわけでもない、それが世の現実ですね。

 

 

どんな状況・情況も、そこに必然性を感じてしまうのは、人間ならではの知性と心ゆえだろう。

 

もしも、米軍基地がなかった世界なら、
くだんの女性のパートナーが生まれることはない世界、
したがって、全然別の人と出会っていたであろう世界。

それは それで、全然別の人は、また「掛け替えのない」存在となったのではないだろうか?

 

 

なにごとも、これ必然、これしかない宿命、運命なのだと、

あれソレが なかったら、それコレもなかったからと、

そのようなパターンで考えずにいられないのならば、

米軍基地だろうと何だろうと、この世の すべてをキッパリ必然とし、従容と受け入れりゃいい。

 

そういう境地になれなければ、そりゃあ、「矛盾に引き裂かれる」思いだろう。

そうして、

その引き裂かれる思いも一切合切、すべて引き受けきって、もがくように生きるしかないでしょう。

 

 

ほんの一歩違ってたら、それだけで、まったく別の状況・情況が、出会いが あったはず。。。

だから、

それも、それこそが、「一期一会」でないかと。


 

まあ、かく言いながらも、わたしゃ、ややこしいのはマッピラゴメンナサイなほうの人ですがね()

もう、オナカイッパイなもんでw

 

 

Updated   
2015.05.07 (Thu)

【続・続】「水面下」でアンフェアな「汚い手」を用いる相手

の続き。


当の古賀さん御自身は、幾多の、こういう批判内容があることは、すでに承知しておられるだろうとは思われるが、さて、実際どのように反論なさるか、あるいは、なさってきたのか、お聞きしたいと思うところだ。

 

水島 宏明さんが指摘する、これを私なりに喩えて言えば、
あたかも、
自民党の目的、そのための「仕事」をスムーズに進めやすいように、箒でセッセと掃いてから退場したかの如き民主党のように、

朝日放送のみならずメディア全体へ、現政権からの圧迫が、いよいよアカラサマに及ぼせるタテマエ、口実を、ほかならぬ古賀さんが、古賀さんの「テロ」的言動が与えてしまった、それに尽きるのだろうか?

 

私は、朝日放送だけの問題ではなく、メディア各社が、その矜持を保って毅然としておれないこと自体に問題の根本があると思っている。

だいたい、「政権側の招待で、うまい飯の ご相伴にあずかって悦んでいる」体たらくだとは、どういう精神なのかと、はなはだ疑わしい。

 

以前のエントリーで、

私は、古賀さんが、ご自分のブログ等、発信場所を持っておられるなら、そこで、洗い浚い、ぶちまけるという方法を とったほうが無難だったのかも、と述べておいたが、それは、あくまでも、ネットに親しんでいる人向けならばということであり、

この時代になっても相変わらず、まだまだ多くの国民にとっては、テレビ番組のほうが最も大きな威力があるのであれば、はたして、どうなのだろうか。

 

そして、
水面下で起きている、そういった諸々のことを、何ごともなく滞りなく滑らかに番組が進行していたら、
もちろん私にも、ほとんどの国民にも、いま、すぐそこに、何が起きつつあるのかを察知することは非常に難しい。

 

 

くだんの水島さんは、具体的に、どのように闘えば、現政権と、その支持者と巨大組織の暴走を止められると考えておられるのだろうか。

 

 

Updated   
2015.05.07 (Thu)

【続】「水面下」でアンフェアな「汚い手」を用いる者を相手にするとき

 

くだんの水島 宏明さんという筆者も述べておられるように、

各方面からの見解を等しく並列させるとか、あるいは、「マスゴミ」と呼ばわる者が毎度主張する「事実のみを淡々と述べておけ」というのが、どれほどナンセンスにして弊害の大きいものか、

仮に、それを実施してみたら、単に「代表取材」権を与えられた一社なり一者のみで済ませることになろうが、それで、はたして誰が良い思いをするのか、その良い思いできる者以外にとっての不利益・弊害、世のなかが どのようになっていくか、
少しでもマトモに考えてみたら分かりそうなものだ。

 

このへんの「真実」を、なぜ、知らない、理解できないでいる人が多いのだろうか。

水島さん御自身、どう お考えになりますかね?

 

 

さてさて、朝日新聞社。

私自身も、さきごろの「誤報」・「従軍慰安婦」問題なかんづく「吉田証言」というものについて、これは、とうの昔に、誰あろう吉田本人が、あれはデマだったと認めたことが知れた段階で、すみやかに対処しておかなかったことが、やがて、あの大バッシングを招いた、言わば朝日新聞社の「自業自得」だった面もあると思っているし、すでに長年、その問題を平気で放置してあったという朝日新聞社の姿勢は、どうにも理解しようがないと、怪訝に思っていた。
と同時に、

朝日新聞を目のカタキとばかり、現政権の歩きたい道にヘコヘコ付き添って、たかだかと提灯持ちを任じている新聞社だということは、少なからぬ人たちによって、とっくに喝破されている産経新聞社
これも営利企業ならでは商売戦略のうちだろう。

その他の新聞等各社も似たか寄ったか五十歩百歩の間違いを おかしてきているではないかと、このことは池上 彰さんというかたも指摘されている。

つまり、

「汝、罪を犯したことなき者だけが、石を投げよ」

というわけだ。

 

「国益に反して何が悪い?」池上彰が朝日叩きとネトウヨの無知を大批判!2014.11.16

http://lite-ra.com/2014/11/post-633.html

 

私自身は、「従軍慰安婦」問題全体のなかで、「吉田証言」自体の問題は、大して重い比重を持っていたものとは見ていない。デマは論外だが、中心問題自体の本質を考えるとき、せいぜい、側面からの補強程度にしかなっていないものを、むしろ、これを利用することによって、全体の問題そのものをウヤムヤに、あわよくば、最終的には、もとから、問題が存在しなかったことにしようとしている、ある種の群れの意志を感じる。彼らは、自身を称して、「愛国心」ゆえと主張するのだろうが、私は、それは真実「愛国心」では ないと思うし、そういう行きかたに価値を感じない。

 

それこそ、水島氏が指摘する古賀氏の「テロ」的発言による騒ぎを利用して、現政府が、ここぞと圧力を かける契機にせんものという意志と同様の性質を感じるわけだ。

 

 

いずれにせよ、古賀氏の、あの発言があろうとなかろうと、近ごろの安倍政権の働きかけゆえにか、メディアが全体、おとなしくなってきているという指摘は あったわけなのだ。

古賀氏の あれら発言がなければ ないで、それは それで、
もちろんのこと現政権にとっては何ら変わらずに、思うさま、メディア各社への働きかけを続けていたはずだ。

 

そして、その一方で、

一般的な国民大衆は、日々、テレビなどの、目にし、耳に届き易いものから影響を受けることは、
特に自民党あたりが、選挙において、二世政治家と言わず芸人・タレントの類と言わず、とにかく、まずは知名度のある者を押し立て担ぎ上げようとする癖があることにも現れている。

 

世間の平凡な国民一般は、インターネットを駆使して、様々な情報を多方面から汲み取ろうと、そうできる人々は、まだまだ限られているようだ。

まして、自分の考え方というものが、基本や土台の部分において、基礎教育を終えてのちも、なお、誰かしら有名・著名な人、どこかのエライ人の啓蒙なり干渉なりを意に含んだ発言に左右されずして確立できている人は、大のオトナと言えども希少なのが、世の実態ではないだろうか。

 

 

これは、私個人の印象だけれど、

古賀さんは、朝日放送の、あの番組出演前の打合せ段階においても、局側から特段のダメ押し等もなかったのに、とか言っておられたようなのだが、

古賀さんは、出演時、よく、「フリップ」というものを掲げられるらしい。

そういえば、そのフリップ ボードだが、のちに、動画等で、私が見たものは、なかなか立派に作られてあった。

ご自分で作っておいてから、スタジオに持ち込まれたのか、それとも、
番組スタッフのほうで用意してもらったのかな?とチラッと思っていた。

 

 

古賀氏がブチまけた政府からの様々に圧迫という告発的発言と、一方の官房長官の菅さんが言ったこととを つき合わせてみるに、

「粛々」とは、すなわち「ゴリ押し」を意味するものでしかない現実に対して、あくまで「粛々としか言ってませんよ?」みたいなバリケードを張る側には、決して くみしたくない私には、

朝日放送番組でと言い、そこで古賀氏による言動がと言い、

一般の国民は、ああいう騒ぎが起きなかったならば、水面下で起きてきていることを知りようもなく、それも紛れもない現実なのですよと言いたいわけ。

 

ちなみに、

テレビを見ない私は、“IS”いわゆる「イスラム国」で囚われていて、そのまま犠牲になってしまった人たちのことも、その事件が大騒ぎになるまで全然、知らないでいて、

その絡みで、例の“I am not ABE”という、政権批判のフリップを掲げたことが話題になった古賀さんの存在を、ネット記事で知ったわけで、

よくも、あのようにサンザン放置しておいたあげく、人質になってしまっている国民を、国際舞台における政治的に利用したものだと、

やれ、安倍叩きに「便乗した」などと言うが、便乗したのは、国民が人質のまま、なすすべもなく亡くなったあとも、なお、彼らを政治的に利用した安倍氏のほうこそではないのか、という、つよい疑念と深い憤りを感じていた私には、古賀氏の意見のほうが、よっぽど説得力を持って腑に落ちるものだった。
国民の命を、自己目的のために利用する為政者なんど、万死に値するはずだ。

 

【続く】

 

Updated   
2015.05.07 (Thu)

「水面下」でアンフェアな「汚い手」を用いる者を相手にするとき

の続き。

 

さて、水島 宏明氏は、私が、ささやかながらも応援していく気持ちでいる古賀 茂明氏について、やはり、朝日放送「ニュース ステーション」での あの言動は「テロ」だったという表現を下されていることを知ったわけだが。

 

私個人は、何度も言ってきたように、新聞もテレビ番組も、ほとんど目にすることがなくなって、はや数年ほどにもなる。大きな理由としては、

しょっちゅう見かける「ネットの真実」なるケッタイな主張を叫んでやまない「ネトウヨ」さんたちのように、「マスゴミ」云々という考えでは全くなくて、

それこそ、第一に仕事上からも、新聞だけは欠かさず、各方面の記事をジックリ読まざるを得なかったほどの生活だったのだが、さすがに、個人で何紙も購入する経済的余裕も時間の余裕もないので、自宅で読めるのは、大手の一紙のみ。時には、読みきれなかった勤務先の購読紙を、終業後に もらって帰ったり、別の新聞を購読している実家に行ったとき、もらって帰ったおりくらいにしか、他紙を読み比べる機会は滅多になかった。

 

もともと、テレビ番組では、深刻で重大なテーマを含む対象であっても、あまり掘り下げていこうと努めると、まずは時間的制約を始めとした大枠からハミ出してしまっては、収拾が つけられなくなる見苦しい事態を避けるため、基本的には、あらかじめの編集方針にもとづき、サラッと流していかざるを得ない媒体だろうと思うし、
なので、一つテーマをシリーズとして設定し、時間枠を確保したうえで、思い切って追究していく姿勢が窺える番組以外は、いかに大真面目なニュース番組を日々熱心に視聴していたところで、あまり大して参考にもならず、

やがて、個人的生活上の経緯もあり、頑張って舐めるように新聞紙上に目を通す必要性は なくなり、ふと気づけば、

なくても困らずに済む状態になっていった その代わりみたいに、インターネットを利用することによって、むしろ、以前よりも格段に幅広く、国際、国内の地方とを問わず、各紙・誌の情報を拾い出せるようになったことは確かで、
今後も、このような状態を継続していくであろう動機として一番大きくなっているのが現状である。

このあたり、従来の紙媒体中心各社が、生き残り策に頭を悩ましているだろうことが容易に察せられるところだ。

 

ただし、

そこにおいては、自分自身の備えているアンテナやバイアス傾向、取捨選択の判断力が如実に左右することになる。

その自覚と客観性がないと、やはり、しまいに国家的危機にさえも繋がるのだという恐怖を、昨今、つよく感じる事態となってしまった。

 

 

いまの私は、正直に言うと、

最近の原発大事故と、その事後を めぐって、いよいよ暴露された政治家その他のエリートたちの人格・識見以前に、

そもそも、それらを生み出す土台になる国民大衆、日本人一般の知性と教養、見識について、あまり信用していない。

 

民主党政権のとき、官房長官だった仙谷氏が、「暴力装置」という単語、専門分野において普通に用いられる、シンプルな形容に過ぎない それを言ったとたん、またも大バッシングが起きた。

 

昔、

『天皇機関説』とやらで、「天皇陛下を機関車や機関銃」に喩えたとかをケシカランとして、当時の右翼連中が中心になってカン違いの大騒ぎに発展、国会で執拗に追及したという話、

結局、あれから、いくらも変わっとらんのじゃないか、ここの国民のオツムは、と思えるのだ、私には。

こんにち、国民全体が高等教育を受けて当たり前になり、あらゆる知識の取り入れが、ますます容易な世のなかになったはずだというのに。

 

 

私自身も何度も述べてきたように、

各情報・報道機関というものが、もとを ただせば、一個の営利企業体であることに違いなく、

したがって、各社のカラーや主張ぶりに差異を備えていることは当然なのであり、

ましてや、テレビ番組というものは個々に時間枠の厳然とした業界、そこへ、とにかく「偏ってはダメだ、バランスを」と要求するのであれば、

むしろ、各社そのカラーや主張ぶりの差異が様々に並列存立していることによって、俯瞰した全体としてのバランスは果たせるのだということ、
これが理解できていないのが、

「マスゴミ」と呼ばわりつつ、「ネットの真実」教を広めようと必死になっている一群れの者らに対して、呆れてやまない理由だ。

 

しかも、現政府は、こうした連中の存在をも利用というか、水面下で結託しているのではなかろうかと感じるほどだ。

なぜ、そう感じるかと言うと、

まさに、誰が得をするのか?」と考えたとき、真っ先に思い当たるのが、政治権力側だからだ。

 

 

多くの「ネット民」なる者たちは、さも賢し気に言うではないか。

「ネットは自己責任の世界」、「玉石混交」、「リテラシーを持たねば」と。

つまり、パターナリズムは通用しない時代となったのだから、
もはや、これ以降、各自が自主的選択眼を持って取捨選択せねばならないはずの世に、

テレビ局や新聞社という、いまでは、情報発信世界の部分的一画を占めるに過ぎなくなった、あくまで営利企業体を つかまえて、何を心配し糾弾しているのだろうか。

その反面で、

彼らは、ネットを駆使し、他者の洗脳に励む側に、自分たちこそが取って代わろうとしているではないか。

 

 【続く】