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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2015.06.29 (Mon)

これだから、オッサンらのイイカゲンさは

の続き。

 

 

なによりも、田中耕太郎という者。

この者が、媚米のあげくに言い放ったというのが、「他衛は自衛、自衛は他衛」とかいう禅問答みたいな発言。

言わば、それこそ「売国奴」の名にふさわしいに違いない者の言うことを、

長谷川さん、なぜ、あなたがたは、信用できると思うのか。

 

私には、

「原発神話」を前面に押し立て、予備電源不備についての真っ当な質問を一蹴し、まったく不要であるとして簡単至極に あしらった安倍さんの、「国民の命と資産を守るための」見通し能力に甚だ欠けていること、

ゆえに、その言うことにも、金輪際、信用できるはずがないのにと疑問に思うのと大差はない。

 

 

このテの おっさんらの考えること言うことは、ほんとにワカラン。

ほとんど支離滅裂にしか見えない。

まあ、ごつごう主義なのだろうなということだけは察しが つくけどさ。

 

 

「集団的自衛権」が「違憲」だと言うのなら、いっそ、自衛隊も違憲、安保も違憲だとして廃止するべきだ、って、これってさ、

政治において最も愚かなドグマ的、原理主義的考えかたではないの?w

 

普段、「サヨクの原理主義」を忌み嫌うウヨさんやネトウヨたちが、したり口調でもって、

矛盾も清濁も併せ呑むのが政治の道とかナントカ言ってるけどねーw

 

 

まっ、とにかく、

70年も経つのに、いつまでも現憲法を変えないのは」

と、しょうもないことを理由にして言い募る前に、

本当に「普通の国」にしたいのなら尚更のこと、

(敗戦後)70年も経つのに、相も変わらぬ日米地位協定から是正しようぜという声が殆ど聞こえない異常さにこそ気づくべき。

まずは、そこからだよ。

そこから始めて、憲法の不備も整えていこうというのなら、まだ分かる。

 

だけど、

あたりまえに必要なことだからと言い張るわりに、
自民党は、その長い長い政権時代の どこで、何を してきたのか?

 

ただ、長年にわたった日本の「平和外交」は結局のところ無意味、無力だったのかと落胆させられる。

 

 

「アメリカの役に立つことで、ポチから脱せる、そして発言力が増すのだ」なーんて、おおかた安倍さんらの受け売りおバカな「ヤフコメ」投稿者を見かけたが、

その見通しは、あ・ま・い、よ。

 

もっとも、アメリカ側の利害に寄っている手先とか工作員とかなら、当然それくらいのことは臆面もなく主張するだろうけど。

 

 

私は何度も言ってきたし、歴史を振り返っても明らかに、

アメさんは、日本なんかの何倍もの軍事力を擁するだけあって、
したたかさも、日本の何倍
だ。

 

いまのままで、ただ「役に立つ」というのは、あちらの都合良く扱き使われ振り回されるだけで終わる。

しかも、あらゆるリスクだけが、先方と同等になる。

 

 

天皇の進退一つとっても、

安倍朕とこの戦犯祖父さんらの進退にしても、

結局は、何もかも、けじめが足りなかったうえ、

それ自体、アメさんの思惑絡みに気づかなかったほど、

日本人が、いまでも子どもっぽく、底の浅い おばかちゃんのままだからだろうな。

 

 

【続】安倍朕、株で大儲け、このうえ、武器でも大儲け

 

 

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Updated   
2015.06.29 (Mon)

結局、「国家」という、人工的入れ物のためには、どう転んでも戦争に もっていきたいわけか?w

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/43908

20150626日(金) 長谷川 幸洋

いうまでもなく日本国内の米軍基地は有事の際、米軍に武器弾薬や兵力の補給を担う後方支援の要である。日本が米軍にそんな基地の使用を許せば、日本が米軍の後方支援をした形になるのは言うまでもない。

 

まあ、そこからして、一般国民の殆どは騙されてましたということでしょうなあw

てっきり、米軍駐留と基地というのは、日本の防衛のために(単純素朴な意味で!)必要なのだと信じてたもの。少なくとも、私はねww

だから、ある程度は、しかたないのだと。

 

やっぱり、すでに自衛隊が設立された時点で、いずれは、こう持ってくることを、計算されていたのだろう。

アメリカの腹で、あるいは、アメリカと、日本の一部権力者とのあいだで。

 

ま、ジレンマの極致。

 

そもそもの出発点から、少なからぬ無理があるので、というのは、
やはり、理念が突出、先行している きらいがあるからだろうが、
日本の現憲法は、これを守ろうと意志する以上、大変に微妙なアクロバット的バランスを四苦八苦しながら保たねばならないことが宿命づけられている。

それだけに、区分け、判断には、殊の外の緻密さが要求される。

 

 

韓国を攻撃した北朝鮮は支援する米軍の沖縄基地をミサイルで直接、狙い撃ちすることもできる。そのとき日本が「ここは後方支援の基地ですから、武力行使はしていません。どうか撃たないで」などと言っていられるか。言えるわけがない。


いや、それなら、「個別的」対処の範疇でしょ?
もっとも、せっかくの「
抑止」を ものともせずに、万一、撃たれてしまったならの話だけど。

 

 

たとえ日本自身が攻撃されていなくても、たとえば韓国が他国に攻撃されれば、救援に出動する米軍に領土を提供することによって韓国を支援する。これは日本の集団的自衛権行使になる。

 

だって、韓国ともなると、目と鼻の先だもの。

中東あたりとは、わけが違うわよ。

 

 

「後方支援も武力行使」という立場がある

 

これらもね、

たしかに、そう考えることも できよう。

すなわち、「武力」という全体のなかに組み込まれる作業としては。

 

だが、あくまで、直接的なものではない

だから、「後方支援」に限るという方策は、辛うじて、直接の武力行使を避けようとしてはいる。

 

しかし、
国外に出て行う「後方支援」となると、国内における それとは、現場的な事情が変わってくる。

まず、四方から敵に囲まれ攻撃される恐れが高くなるのだから、必然的に応戦を避け得られないリスク、すなわち、直接の武力行使を余儀なくされることが、第一の懸念の一つとして持っているのが、反対派の見解だろう。

 

 

以前のエントリーで、私は、おおよそ、こう考えるところを述べた。

要するに、

自衛権「個別」も「集団」も、それを分ける分けない云々以前の出発点として、日本が敗戦国であることに他ならないと。

 

だって、そうじゃないか。

良い悪いは抜きに、日本は敗戦したから、それまでの軍事力の かたちを一切放棄することを余儀なくされた。勝者アメリカによって。

 

しかし、そのままでは、当然、ぐあいの悪いこともある。

なにしろ、コテンパンにやられた直後で弱りきってるから、

そして、何十年を経てさえも、

なるほど、油断も隙もなく、虎視眈々と窺う者に取り巻かれてるわけだ。

世のなか、きれいごとや単純な話だけでは済まないと。

 

そこらへんは、いろいろと議論の余地はあったにしても、完全の丸腰のままでは、、、、

日本としては、同盟国という以上の立場で牛耳ってくる権限を持った者から、じゃあ、奪われた分を、ある程度のバックアップを受けて、あいた穴を埋めてもらわぬわけにはいかなかっただろうし、ここは、個別自衛権の補強。

また、アメリカ側とっても、それは、多方面の影響に鑑みて、自国自身の利害に関わることゆえの判断だったはずで、これは集団的自衛権の立場を用いた。

こういう見解もあるわけで。

 

 

当時に、とりあえず許されて出発した かたちのままでは、どうしたって、「普通の国」としてのレベルで軍事力を保持できない。

そのことは、核兵器装備が許されないことにも端的に現れている。ここが実現できないかぎり、日本の軍事力に万全を期せないままでいることとなるのは現実の話だろう。

 

だからと言って、もちろん、私は、核兵器装備なんぞ大反対だ。

初の被爆国国民としても、そんな屈辱は耐え難いし、
人類全体の未来志向にも反すると考える。

 

ことに日本のような大規模災害の危険性が尽きない国土のうえ、

先般の原発大事故人災の ありさまを見るにつけても、

核兵器装備を目指すなんてことは、それこそ、現実的ではない。

 

むしろ、やはり、世界の底上げ貢献の一環として、被爆国の体験を下地にした核兵器廃絶運動を、より いっそう力を入れて推進するのが筋というもの。

われわれ被曝国民の矜持にも かかわってくることだ。

 

【続く】

Updated   
2015.06.27 (Sat)

【旧ブログより】

Tanagraeanの庭幻想                      2013/05/10 15:15

近所の大きな団地の広い敷地のなかを通り抜ける途中、各棟のあいだ あいだに、木々と、そして芝生のスペースがあって、今ごろの季節には、シロツメクサの花やら、名前を知らない、ピンク色の小さな可愛らしい花が、良い感じで、そこ ここに群がり咲いていて、ちょっぴりロマンチックな雰囲気になります。

なんとなく、Tanagraeanの庭♪と、私だけ秘かに呼んでます

 

 
 Boughton(1833-1905)A Tanagraean Pastoral(1902)


カテゴリ:その他 > 日記

 

  ”Kiss of Life”

  

そして、いまは、

その団地に居付いている猫たち、なかでも、今春頃に生まれた子猫たちがスクスク育ってきていて、敷地内の あちこちに たむろしている。

すぐ真横を、私が自転車でスイと通り過ぎるのを避けようともせず、通路の真ん中で、おまた盛大に おっひろげて堂々と毛づくろいしていて、

「こらこらー、あぶないよ?」

ブレーキかけて見おろして覗き込むと、

「ん~?なあーに?」

とキョトンとした表情で、
おまたの そうじしてた小さな舌を、ぺろんと垂らしたまま、こちらを見上げる。

その光景を、かたわらで、の~んびり寝そべって、くつろぎながら眺めている仲間の猫。

 

本格的に梅雨入りする前の この頃、数日前は、まだ爽やかな風が吹き抜けてたけど、

じきに、ムシムシして暑い暑い日本の夏がやってくる、
それまでの、ホンの ひとときだね。

 

って、

この文、しばらく寝かしておいたうちに、どんどんムシムシ暑くなってもうた。

 

日本は、とても暑いか、寒いか、だいたい、その どっちか。

慌ただしい季節に翻弄され毎年毎年、ハンパない寒暖が繰り返されるにも かかわらず、
何十年と生きてきて、いっこうに慣れるということが ない。

年齢と共に、暑さ寒さに消耗する度合いを実感する。

 

寿命の短い猫たちにとっても、
快適な風を全身に浴び、ほんにゃら とろんと寝そべっていられる季節は僅かだ。

 

この子たちは、ここの住民に、いくらか養われているのか、ノラにしては、それほど痩せておらず、人懐こいのが多いのだが、

以前のエントリーで書いた「クロちゃん」のように、

秋が訪れる頃から冬が来る前にかけて、ほぼ一斉に、姿が見えなくなることがあるのを、私は薄々気づいている。

 

猫たちが いなくなった。。。?

 

 

先日、そのクロちゃんに よく似た、全身つやつや真っ黒な子を見た。

やはり、この春の生まれだろうか、まだ成猫には全然届かない体格だし、その子はレモンイエローの眼の色だから、エメラルド色の眼をしていたクロちゃんでないことは、すぐ判別できた。
                            

 

若い頃、「竹久夢二」の描く女人に似ている、と言われたことがある私
(このことを聞いた母は、「そりゃ お世辞やろ!お世辞!!」と、腹を揺すって大笑いwフン)

一応なぞらえて()クロちゃんと、私。

              黒船屋

 

Updated   
2015.06.27 (Sat)

数日前、買い物に行く途中、中型犬を連れた人の横を通ったのだが、

通りすがりの家の敷地内から、小型犬がワンワン吠えてて、

その犬よりも、もっと大きい犬が、それに かまってる余裕もないといった ようすで、一度も見向きもせず、終始うつむきかげんにヨタヨタ歩いてて、

どうしたんだろ?と、後ろから、よく見てみると、

びっこ引いてる左側の後足の裏が、真っ赤になってた。
なんか、ケガしてるらしい。。。

それを、
連れてるオッサンが、犬の首輪を無理にグイグイ引っ張り上げるようにしながら、リードを持って歩いてたんだけど、

帰宅してから、思い出して、だんだん腹が立ってきて。

 

足は痛いは、首を絞めつけられて苦しいは、

もうちょっと、犬の身にもなってやれやぁ。。。

こんなんに飼われても、たぶん、あまり幸せじゃないだろうな。

                   

 

かく言う私自身、子供の頃に飼っていた犬たちを、あまり大事にせず、
いまにして振り返れば、そうとう無神経な扱いを していたことに思い当たる。

彼らが、もしも生き返って、ここに現れてくれたなら、
どんなにか罪ほろぼしして、可愛がりなおしてやれたならと思うたびに、覚えず、涙が浮かんでしまう。emoji

 

それでも、彼らは、こんな私を許してくれていたのだ。

それを実感する。

 

あの子たちに会いたい。

もし、再び、私の前にいる彼らを、目を閉じたまま、腕を伸ばして、そっと触れれば、それぞれが、どの子なのか、すぐ分かる。

彼らと毎日を共に過ごし、触れ合い続けた私の手、何十年を経ていても ありありと、いまも憶えている。


  


Updated   
2015.06.27 (Sat)

ランクみたいなものが あるのかなー?と、ふと思った。

こないだ、近場のスーパーマーケットで買い物してきたあとのこと。

そろそろ不足してきた下着類やTシャツ、タオル等を買い足して、後日、それらを、あらためてチェックしながら、あることに気づいた。

というのは、

私は、いよいよ近年は、衣料品の類も殆どを、スーパーマーケットの、もっぱら、お買い得セール品を狙うようになっているのだが、値札と品質表示等のタグを見ていて、

タオル:パキスタン製造、

Tシャツ:バングラディシュ製造、

日焼け防止と汗拭きを兼ねた、レース縁取りのプリント柄綿ストール
:インド製造、

女性用下着や部屋着:中国製造、

となっていたこと。

私は、子供の頃から、インドあたりの、肌触りの良い布帛類や、細かい細工を施した工芸品なども好んでいたけれど、

やっぱり、全体に細かい手間と同時に、バラつき許容度が狭く、一定の基準値を満たしていることを要する つくりになっている製品ほど、圧倒的に中国製が多いという感じ。

中国製品の衣料系デザインなどは、いまでは、お行儀が良いと言うのか、ただ無難な日本の製品と何ら違わないところまでになったように思うが、

それ以外のアジア圏内の国の製品には、まだ、どことなく、民族的個性表現の大胆さと言うか、
日本人から見たエキゾチックな味わいが、各お国柄と共に滲み出ているような感じが残っていて、ちょっとオモシロい。
こういうの、失ってほしくないなあ。