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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2016.09.17 (Sat)

いつだったか、旧のブログでだったかな、

内容は殆ど忘れてしまったくらいの過去に、わりと似たような事件が報じられたときにも、ポーの『アッシャア家の崩壊』というのを思い出し、それに譬えたことが あったような。
でも、これは、たしか、狂った妹が、恐れおののく兄を、っていう話だったね。

 

今 市子さんのマンガ作品に、『僕は旅をする』という題名の、やっぱり姉と弟のストーリーが あって、シチュエーションが似た部分は あるけれど、本質的には全然、真逆で、現実界での事件の殺伐、酷薄さとは違って、じつに せつない話だ。
でも、この せつなさは、むしろ、現実的な、身につまされる感覚でもって理解できるものだと思うので、それだけ、現実に起きた事件との あまりな落差に、ことばも出なくなる。

 

大島弓子さんの『夏の夜の獏』と同じく、
うちの実家事情に、ちょっとばかり似たところが あるだけに、読んでて、なんだか他人事でなく迫ってくるものが あり、今さんの作品のなかでも特に好きで、地味ながら忘れがたい印象。オススメの一つです。

                                 

 

さて、

なぜだか、とっても愛想が良い人特有の不自然さ、みたいなものを感じることが ある。

 

あるいは、個人的に、むかしの職場の同僚で、いつもケラケラ笑っていて(なぜか私には、その笑い声が、悲鳴のように聞こえていた)
周囲の全員から、明るく、ちょっと軽薄、でも、憎めない子、というキャラの若い女性が いたことを思い出すのだが、過去のエントリーで、この、元同僚女性のことをも思い出して述べた くだりが あったかと思う。

その同僚も、私と二人で、指定された仕事先に赴いて作業していた時期に、いつしか、互いのプライベートなことをも喋るようになっていたおり、彼女の生い立ちにも、幼い頃の両親の離婚以降、二人暮らしとなった母親からの暴力的言動という悩みを抱えていたことを知って、その外見の雰囲気との大きなギャップに驚いたことが ある。

 

離婚等の事情で片親となった母親の、子どもに対する態度の痛々しいほどの必死さといった傾向について、他の同僚男性からも、打ち明けられたことが ある。

 

かく言う私自身、見かけは、トンと苦労知らずな、どこぞの おっとり お嬢さま育ちに見えるらしいので、実際には、家庭内地獄と言うべき環境で生育したことを知った相手からは、やはり、大いに驚かれたという経験に事欠かないのだが。

 

 

そもそも、家庭内の問題なくして離婚するはずがないし、

さりとて、

辛うじて離婚しないからといって、問題が ないわけでないのはアタリマエだ。

何らかの、離婚できない裏事情、という問題も ある。ただ、一触即発の綱渡りなのだ。

 

 

ごく最近では、この事件でも、先述の同僚だった女性と似たようなものを感じた。

というのは、

ニュースで映し出された、容疑者の学校時分と思しき頃の写真、比較的最近のものと思しき写真を見て、まずは、

「こんなニコニコと愛想の良い顔して、よりによって、家族である血を分けた弟をか?」

という呆れ驚きと同時に、

やはり、その愛想の良さを全面に漲らせたような表情に対する、いくらかの違和感。

成人後のものと思しき写真では、かなりハッキリと、ある種の内面傾向を感じる。

それは、これまでに話題にしてきた同僚の一人で、精神的に隠れた問題を抱えていたことに、後日になって気づかされた、(例の、仕事できない)女性の顔の表情と共通したものが あるからだ。

 

この事件の姉というのは、接客態度は高評価だったそうで、仕事自体は、私の かつての同僚と違って、能力は高いほうだったのだろうが、
でも、二十代なのに、アルバイトなのだね。

さておき、どこが似ているのかというと、要するに、どこか演技的なのだ。

 

「些細なことで弟ともめ事になり殺害した」
日本テレビ系(NNN 914()111分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160914-00000020-nnn-soci

 

愛想が良過ぎるくらい良いタイプというのも、一面では、ある種、自分を守るための手段にしているのでは ないかなと思えることが あるものだ。

 

不穏な、また、危害を加えられそうだと感じるような、荒れた相手に対して、なだめるようにニコニコと接してみるというシチュエーションは、世間一般でも、わりと よくある対処的態度の一つでは あろうが、

その事件の容疑者である若い女の、満面にこやかな仮面の下に、どのような顔が押し込められているのだろうか。

調べて分析してみれば、押し込められていた歪みか何かしら出てくるのではと思える。

 

兄弟姉妹で暮らしているなかで、年齢と共に、そりが合わなくなってケンカになりやすいというパターンは、けっして、めずらしくは ないだろうが、

当該事件においても、まず、家族である弟を殺害したらしいことと、しかも、その遺体を激しく損壊してしまっているという異様さが際立つものの、

遺体の損壊については、全く理解不能というわけでもなく、やはり、事を隠蔽するにあたっては、さしあたって、こうするほか ないと判断したのだろう。それ自体は、まあ、せっぱ詰まったゆえのリクツでは あるのだろうが、やはり、もっと重大なのは、そこにまで至った動機のほうだ。

 

昨今、他人どうしが暮らす集合住宅でも、特に騒音の問題等は、殺人事件を引き起こすほどの一大原因になっている。

私自身も、過去の引っ越し先の何ヵ所かで、隣人の無自覚に響かせる乱暴な物音に悩まされ続けて、心臓の調子までが おかしくなった経験は あるし、

恐らく私自身も、知らず知らず、うるさい思いを させていたことも あっただろう。
聴覚障碍ゆえに、自分で気づけない場合もあるし、
逆に、聴覚障碍である私でさえ、思わずビックリするほど、大きな物音を立て続ける隣人も いた。

 

だいたい、近年の集合住宅の類は、
ハハァ、いま、ラーメンか何かズルズルすすってるなと、この聴障の私にも察せるほど、隣家とのあいだの壁が極薄とか、そのわりに、けっこうな高額の家賃は取られるが、

そもそも建物の造り自体にも大きな問題が あるのでは ないかと思うのだが、

看護婦でも会社員でも、職業には関係なく、特に若い人、また意外なことに、女性のほうが無神経な物音を立てることも多く、夜中に、友人たちを連れ込んで騒いでいたりもするし、

なかには、女性側が借りている部屋で半同棲している男性側の立てる生活音が大きくて、たまりかねて注意したら、あべこべに、その大柄な男性から食ってかかられたことも あった。

 

本当は、大家なり住宅の管理者に申し入れて、間接的に注意してもらうほうが得策なのだろうが、やんわりと冷静に注意したくらいで やむことは、結局、なかった。なので、何度も管理者に申し入れることを躊躇い、

やはり、最後には、被害側と加害側の双方が入り乱れ、当事者どうしの争いになりやすい。

 

 

それにしても、一部の「ヤフコメ」投稿者らが主張するような「普通は」と言うのなら、

思い余ったすえ、とうとう、殺害してしまったにせよ、それこそ「普通は」、自分が殺人を犯したということ自体に驚愕して、とにもかくにも、警察へ赴き、事情を話そうとするはずである。

あえて冷静な計算と言うならば、情状酌量というものも見込めるわけで。

 

ところが、

この事件の下手人である姉というのは、とにもかくにも、自分の犯したことを隠蔽するほうへ隠蔽するほうへと、アタマを めぐらしたらしい。そこが、まさに、「普通の」「常人」の感覚ではない、ということなのだ。

つまり、

自己保身、自分を守ろうとする衝動の激越さが、人を殺し、かつまた、
それを隠蔽し通そうとすることにのみ、乏しい思考を働かせている。

 

 

なぜかは知らないが、警戒心の強さゆえに殊更ニコニコとしていて、
それが、要は自分を守るための、自覚薄きながらの対処方法だったのであれば、問題は、

べつに、そのような危険性もないはずなのに、自己防御のための、必要以上に愛想良い態度を崩さないタイプの、人知れぬストレスというものが あると思う。

 

当該事件では、被害者である弟のほうにも、若い男性らしく無頓着な生活態度が、同居している、これも まだ若い姉を激怒させた原因は大きに あったのだろうが、

弟の友人たちも、実際のところ、連日のように やって来ては、夜遅くまで、いろんな音を垂れ流していたのなら、真面目にアルバイトしていた姉側の迷惑を、ちっとも考えていなかったことになる。

 

不機嫌な態度を、勤務先では一切、出そうとしなかったという姉のストレスは、なおのこと、高まっていっただろう。ノイローゼに近い状態だったということも あり得る。

 

弟の友人たちも、そこの家の姉に、自分たちが、けっして歓迎されていないこと、内心で疎まれていたことは、あるていど感じていたからこそ、急に、連絡が途絶えた友人である弟側の不在を怪しみ、追及を やめなかったのでは ないのか。

要するに、姉弟の仲が悪かったという以前に、弟の友人たちの非常識さのほうが、大きく作用したのかもしれない。

 

 

日常生活のなかで、仕事や近所の人々等、人間関係のトラブルを極力 避けつつ、何事も真面目に やってきた当の本人の内心は、事情を知らない他人からは窺い知れないことだけれど、

つよい被害意識が、おりおりに降り積もっていき、凝固してしまっていたのでは なかろうか。

 

この凄まじい自己防御、自己保身は、もはや通しきれぬとなったら、誰であれ、目の前の相手を徹底排除することを躊躇しない。

そして、当然のごとく、次には、自分が犯したことの隠蔽策を講じることを最優先する。

 

 

虚弱体質の私なんかは、元来めんどくさがりなので、これは かかわりたくないと思うに至った相手になんど、ただでさえ乏しい貴重なエネルギーを費やし続けるのがアホらしくてアホらしくて、遅かれ早かれ、どこかの時点でスッパリ切り捨てることになるのだが、そうなったら、身内であれ他人であれ、もう二度と、振り向くことは ない。それでスッキリできる。

 

争うことでエネルギーが充満してきて、むしろ、張り合いが出て、イキイキしてくるのだ、と言い放った女が いた。

私に対して、ネット ストーキングを はたらいては、言いがかりをフッかけてきたうちの一人だが、この女、自己申告通りに自己愛性人格障害者だった。

 

 

ありがちな姉の立場として、従来、弟は、自分が支配し従えるべき存在だったのかもしれない。

押し掛けてくる弟の友人たちとの問題が なければ、弟自身の生活態度が多少だらしなくても、姉らしい面倒見でコントロールできているうちは、多少は受容しながら、共に暮らしていけたのかもしれない。

 

男性と女性では、根本的な生活感覚の違いも多かれ少なかれ あろうし、

しかも、双方とも まだ若く、同時に、独立しているべき成人年齢には達しており、これから自分なりの生活スタイルやルール、世界観を、模索しつつ取り入れ、コツコツつくりあげていこうとする意欲の高まる時期でも ある。

 

当該事件の姉と弟の生活ぶりは、冷蔵庫や洗濯機等の家電製品をも各々で持っていたということで、それぞれのテリトリー意識が徹底していて非常に旺盛だった傾向を窺わせる。

それは、

つまり、そもそも当初から、あくまで、互いとの共同生活を基本として据えていたからこそ、つごうの悪いところは線引きしつつ、うまく構築していくことに真剣であったことの現れの一つだったろうが、

互いのテリトリー意識が激しく嵩じるにつれ、一歩も引かぬ熾烈な争いに発展しやすいことは、ま、国家間の領土争いでも起きることだね。

 

 

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Updated   
2016.09.16 (Fri)

「酒強いほど依存症リスク」9割知らない 内閣府調査
(朝日新聞デジタル)2016/9/9() 8:05掲載

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6213839

 

先行エントリーで予告したとおり、記事に目を通し、エントリーを書き始めてから、1週間近く、放置してあったのだが、

この記事に付いた「フェイスブック」投稿者のなかに、

アルコール依存症は酒をたしなむ者たちすべてのことです。ちなみにアルコール中毒は酒の飲みすぎで死ぬ直前の者

云々していて、
全体に、述べていることが おかしいと言うか、はっきり言ってデタラメにも かかわらず、「イイネ!」が早くも幾つか押されているのだから、つくづく呆れてしまうのが、ネットの常態というものだけれど、

さておき、

その投稿者こそが間違いで、「アルコール依存症」も「アルコール中毒」も、もともとは同じ内容を指していた。
英語で言う
"Alcoholic"を訳して、「アルコール中毒」略して「アル中」、

近ごろでは、医学的に正式な名称として、「アルコール依存症」と呼びましょう、ということになっただけなのであるそうだ。

 

ともあれ、そういうことよりも、

私が、以前から、どうなんだろう?と疑問を持っていたのは、

「酒に強い」とは正確にはいかなることを指すのだろうか?ということだ。

 

「意志が強い」から、敢えて飲み続けることが できるんだよ、と、逆から穿ったようなことを言ってのける者も見かけることは少なくないが、

本当に「意志が強くて」、自分自身の飲食等についてのコントロールが できないとは、いったい、どういうことなのか。
どうにも奇妙としか思えない。

「依存症」なのに、「意志が強い」などということが あり得るのか。じつに おかしな見解だ。
ただ、しいて言うならば、
心身に毒でしかないものを、気が済むまで徹底的に受け入れられるだけの体力とか、肉体面においては、ある種の強靭さが備わっていると言えそうではあるだろうか。

だが、どんなに隠されても、とことん探し出して飲み続けようとするのは、それは「意志が強い」のではなく、本人自身、不本意で あっても、
飲み始めて、そこそこのあたりでセーブすることも、
自分を望ましい状態に保つため律することも できず、
ひたすら引きずられるが如くのまま、なすすべもなくなっているというのが実態だろう。

 

 

いわゆる、「お酒を飲んでも乱れない人」という表現も あるが、
それは つまり、ある程度、大量に飲酒しても、
普段の その人の落ち着いている態度や行動と、ほぼ全く変わらないでいられるということが、「お酒に強い」ということなのか、
それとも、

実家の父親が そうだったように、
日常の晩酌程度でも、
うかうかしていると、つい調子に乗って、まずまず平常でいられる許容範囲をホンの少し超えてしまったが最後、危ぶんで止める周囲の声も拒絶し始め、

ましてや、最初から、はめを外して賑やかに飲もうやという席であったりすると当然のこと、ここぞとばかり、がぶがぶ飲んで飲み倒してしまう、
これは、「酒に強い」「意志が強い」ゆえと、はたして言えるのだろうか。

 

結局は、「阿鼻叫喚の地獄図絵」というやつに、家族を引きずり込んでしまうのが定番だった。

 

兄などは生前、

「よくもまあ、若い頃から、あんだけ飲み倒してきて、あのトシになっても、肝臓一つ壊すでなく、ピンピンしとるんだからな、あの親父は」

と、吐き捨てるように言っていた。

そう言う兄だって、自分の親の どっちに似たのか知らないが、酒好きには違いなかった。
が、結婚してから、自分の家族に対して、暴力を振るったということまでは、ついぞ聞いたことがない。

 

 

私自身、自分の両親の どちらに似ても、
と言うか、じつに皮肉なことには、体質的に、父親に似た面として、特に胃腸が弱い傾向のせいか、もともと、お酒が合わないようだという自覚は ある。
アルコール自体が、自分の体質に合わないらしいというのは、化粧品類に含まれたアルコール成分に反応してカブレることが あるくらいなので、ごく若い頃から、それと知れていたのだが、
体調に用心しながらであれば、まあ、ある程度は飲めないでもない。
色白ゆえ、飲めば たちまちにして、頬が まっピンクと化すので、お酒の席では、よく、周囲に囃されたり、からかわれたものだが、

それより何より、私は、大概の酒の味を、好きになれないのだ。
したがって、お酒一般に対する興味が薄い。

味そのものが好きであれば、体質に合わなくても、少しは口に運びたい気持ちを持つのだろうが、
ビールでも日本酒でもワインでも、まあまあ、これなら美味しいと言っていいかなと感じられたのは、限られたブランドなど、僅かな一部のみだ。それでも、飲み続けたいと思うほどでは ない。

なので、
私には、どう頑張ってみても、がぶがぶ飲んで、人格が変わったかという状態になるまで行き着きようが ない。

かなり飲んだとしても、私は、「酒に乱れる」ということが ない。

まして、父のように、陰湿な暴力に走るなどということは ありえない。

 

しいて、起きる変化を言えば、
いつもより、幾分は陽気になるかなという程度。


お酒を飲んだときに、その人間の本性が出る、とは、これも昔から言われているようだ。
ならば、それが、私の「本性」ということなのだろう。

 
 

酒は静かに飲むべかりけり、と言った、昔の人が いる。
私は、このコトバを、学生時分に知って以来、気に入って、おりに触れては思い起こしていた。
思い起こすと同時に、
静かに飲めない酒好きほど、下品で見苦しい者は なく、およそ美意識というものに欠けている彼らは、自他ともに認める酒好きでは あっても、
ほんとうのところ、自覚なく、酒を冒涜しているのであると思考し、
ましてや、父のように「酒乱」と呼ばれる手合いともなると、心底から侮蔑の念が湧く対象だった。


おいしく飲めて、どこまでも乱れることを憚らず、どハデに憂さ晴らしできる傍迷惑な人たちが、ちょっぴり羨ましく思うことも、自分に飲酒が認められる年齢となって以降、ときには あったが、
私とて、あの親らや身内連中の血のなかに流れている依存症の異様を受け継いでいないとは言い切れまいし、
ある意味では、彼ら以上に、徹底して のめり込む危うさも潜んでいることは自覚している。
もしも、私が、父のような酒乱癖だったら。
あの父が齎し続けた阿鼻叫喚以上の悲劇と、次世代にまで及ぶ恥を、彼らは覚悟しなければ ならなかっただろう。

寄ってたかって、一人ひとりが、私を つかまえては、
「おまえの父親ソックリ(でダメ)
「おまえの母親ソックリ(でダメ)
(腹違いの)兄ソックリ(でダメ)
(腹違いの)姉ソックリ(でダメ)

おのおの勝手に不満を溜め込んでいる対象の家族を、お互いどうしで名指しして、家族の誰かと私がソックリだという理由を拵えては、その対象である相手に直接では なく、なぜか、幼い私に向かって、不満の つぶてを投げつけてきたものだ。
あのツギハギ家族の全員に、いまは宣言する。

あんたたちの誰にも全く似てなくて、ほんとうに、よかった!!

父方・母方いずれにも、酒の絡んだ醜聞も少なくない、酒好きな一族のなかで、なぜか私だけが奇跡的に、こうした面は全く受け継がなかった、このことに感謝する気持ちのほうが、だんぜん大きいのである。
これは、私の親は勿論のこと、すべての身内連中こそ、幸いに思うべきことだ。
まったくもって、感謝感謝である。


 

Updated   
2016.09.15 (Thu)

公務員と言っても、いろいろな分野があり、個人の資質の違いも あるのは、いちおう知ってるけど、

ここでは、市役所あたりで普通に内勤している類の公務員のことを。

 

私が若い頃の同僚のなかに、かつて、地元の市役所でアルバイトしてたという人が言っていた。

市役所の正規職員たちは、からだを使って、かなり動きまわったりとか、重たい物を動かすとか、あるていどの体力が必要な作業は、自分たちは動かず、あくまでも椅子に座ったままという基本姿勢でもって、バイトを顎で使いたおしていたと。
聞いた そのときには、へーぇ、そんなものなのか、としか思わなかったんだけども、

昨今、いろいろな機会に報じられる市役所関係の公務員の話を読めば、どうやら、いまでも、そんな流儀で やってるようだが。

まあ、民間の企業でも、しんどい体力仕事や地味な雑用一般は、非正規や新人の受け持つ仕事とされることは同様では あるが。

 

最近、ちょっとしたことで、やっぱり、民間の企業あたりとは大いに違ってるところだなあ、と感じたことが2点ほど あった。

 

一つは、
前任者から引き継ぎしておくということが、全く できていないらしいこと。

 

だから、そのつど、同じことを何度も繰り返して説明しなおさなくては ならなくなる。

民間の企業だと、ある業務の担当者が移動等するときは、前任から後任への引継ぎを、できるだけキッチリ済ませておくものなのだが、
役所という職場は、そうではないようだ。

そう言えば、お役所名物「たらい回し」というのも あったな。

 

もう一つは、こまかいことなんだけど、やっぱり、経費削減ということを、自分たちの足もとから やっていないらしいこと。

 

たとえば、用紙の使いかた。

僅か一行、二行程度の短文を記した用紙を、複数の相手に向けて送付するときは、民間なら大企業であっても、一枚の用紙に同じ文面を、適度な間隔を空けつつ、入れられるかぎり同時にコピー印刷しておき、その後、必要な区切りごとに切り離し、それぞれ封書に納めて送付するくらいのマメな節約はアタリマエにやってることなのだが、

役所という所は、ほんの一、二行だけ記して、あとのスペースは真~っ白なままの大きな用紙を、何とも思わずに送りつけてくるようだ。

 

時間のムダと物のムダ。

 

学校の勉強だけシコシコ真面目に頑張って「努力できた成果」なのかは知らないが、大学出たてくらいの年齢の、いかにも苦労知らずな若造でも、態度だけは、とことん上から目線。

もしかしたら、これも一種の発達障碍の範疇かしらん?というくらいに、ヘンな自信でマンマン

それが、公務員というやつなのかということを実感した しだい。

 

若いうちに、一度は、ちょっと謙虚になってみて、自分自身の知性・思想・見識・教養の質や視野の広さの程度について疑ってみれば?
あなたがた自分で信じてるらしいほどには、それらが公務員として相応に立派とは思えないよ、
と言いたくなるほど酷い公務員も少なからず、いるようだ。

 

うちの兄なんかも、あれでは、会社員は到底ムリだから、とにかく安定して堅い職業に就けておかないと、あとあと、実家の われわれに どんな災厄を齎す存在になるやもしれん、というので、

私の母親が教育ママゴンさながら、早くから、兄の お尻を叩きに叩いて叩きまくった甲斐あって、知能指数の点では、私よりも ずーっと下回っていたにも かかわらず、どうにかこうにか、国立大から教職としての公務員ルートに乗せたわけだが、

やっぱり、私の目から見てさえ、ひどく歪んで狭い視野と偏った思考傾向だったし、必然的に、非常に変わった信念で凝り固まっていた。
家庭環境が悪かったことも有形無形に影響したのだろうが、それでも、人間性の面では、経理マンだった隠れアル中の陰湿親父よりも、少しはマシだったけど。少なくとも、自分のヨメや子どもに暴力を振るったりして鬱憤晴らしは しなかったようだ。

それと、

やはり、かつての私の同僚で、仕事できないわりに、無意味にエラソーな言動で閉口させられた女性の古い友だちという人が、長年にわたってチャレンジし続けた教職試験に毎回毎回、落ち続けたすえ、やっとこさ、採用まで漕ぎ着けた、根性あるでしょ!初志貫徹、偉いでしょ!という話を、くだんの、仕事できないエラソーな同僚に聞かされたのだが、

(ちなみに彼女本人は、自動車教習所へ通って免許取得するのに、教官たちにも呆れられたというほど、一般的な取得平均所要期間の何倍も かかったすえ、自分でもドンくさくて危険なのが分かってるからと、最初からペーパードライバー。おそらく、ただの一度も、実際に運転することは ない)

ふんふんと聞いていた私は内心で冷たくw、

そこまで落ち続けてきたということは、しょせん、適性が乏しいのだろうに、そんなヘボ教師に担当された子どもが可哀そうじゃん、

やっぱ、友人にせよ恋人にせよ夫婦にせよ、長く親しく付き合う相手は、内面性や思考力も同レベル、いわゆる類友ってことか、
今後の自分は、付き合う相手に気を付けよう、と思ったものだww

そういう、苦節何年何十年の努力のすえに、世間で特段の困難とも思われない採用試験に四苦八苦して通った!という涙ぐましいまでの人も、世のなかには いるのだから、
まだしも、うちの兄の低めな知能指数のオツムでさえ、いくらかはマシな出来だったということなのだろうか。それ以上に、親の本気度が、モノを言ったということのほうが大きかったように思えるのだが。

 

 

そりゃあ、公務員から いきなり民間企業の社員なんかになったとしたら、たいがいは勤まらんでしょうなあ、と、つくづく思うことが、近頃は増えてきた。

 

過去に聞き流してた、公務員について批判を言っていた あらゆる人たちの話や気持ちが、私にも、だいぶ分かってきた気は するのだが、

公務員さまは、公僕なんかでないぞ、特別の階級に おわしますぞ」的な風潮も影響しているのだろうかとすら感じる昨今である。

 

 

【新聞社配信記事に目を通して、思うところをと、エントリーを書き始めてから、1週間近く、そのまま放置してあったのだが、次のエントリーにて、ここでチラッと触れた「アル中」「アルコール依存症」に関する話題を取りあげます】

 

 

Updated   
2016.09.15 (Thu)

オマエさんらのほうが、よっぽど甲斐性も魅力も ないし、人間性が これでは、拾えそうなところが一つも ない。()

 

乙武洋匡氏が離婚を発表「夫婦で話し合った結果」
日刊スポーツ 914()2039分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160914-00000154-nksports-ent

 

私は、乙武洋匡氏に関して、ほとんど何も知らないままで いた。
彼の著書を読んだこともない。

ご本人以上に、特に親御さんたち養育者の聡明さと教育方針が、彼を、あのように積極的な性格に育て上げたのだろうかと、そこに感心している気持ちのほうが大きかったのだが、

そりゃあ、近頃のスキャンダルについて、乙武氏を積極的に擁護しようという気にまでは なれなかった。

よりによって自民党から立候補するらしいと報じられたのを見たときは、なんで また、、、
と腑に落ちない気が した私自身、障碍者の端くれであり、障碍者や弱者的立場に対して、最も冷酷な政党は自民党だと思っていたし。

それに、私も一応は女性なので、男性特有の性的な生理現象については、明確に説明されないと、よく理解できなかった。

でも、きちんと説明されれば、ああ、そうなんだなあと理解できるところは ある。

どうりで、性犯罪の多さは、男性に顕著なわけで。

 

「フェイスブック」でも「ヤフコメ」でも、ごく稀に、そのへんの現実を的確に指摘しておられる投稿者も いるのだが、そういう投稿に対しての賛同を表するボタンは殆ど、あるいは全く押されず、

現実や背景事情を無視して、それらを豪も思慮しようとすることなく、ただただ、乙武氏を、醜悪このうえない汚言でもって罵倒しまくる投稿者ばかりが溢れているが、こういう状態は いつものことで、
再び三たび言うが、

フェイスブックもヤフコメもまことに、罪深い商人

 

しかも、どちらかと言うと、男性からの罵倒投稿が多いようなのが、さても皮肉である。

 

 

考えても みよう。

乙武氏は、たまたま、四肢が欠損しているだけで、他は全く普通に見える男性だ。障碍の箇所を省いた肖像写真を見ると、そのことが よく分かる。

むしろ、あれだけの重度障碍を背負っていながら、そのへんの「健常者」よりも、よっぽど積極的な生きざまを通してこられたのだから、並みの男よりも、格段に精力旺盛だとしてフシギは ない。

しかも、けっこう精悍な風貌のハンサムであり、頭の回転が速いタイプと見受けるだけに、女性から見て、本来的には、かなり魅力的でも あるだろう。

だから、五体満足な「健常者」だったなら、やっぱり、女性にモテていたであろうことに違いないのは、想像に難くない(苦笑)

 

 

このたび、別れることになったという夫人も、実のところは、だいたい承知だった?ふしも感じられるし、乙武氏の背負っている特殊事情を鑑みると、「健常者」ですら、「亭主元気で留守が良い」が本音だ。

むしろ、
お子さんたちも まだ幼く、あれこれの消耗が多大だったであろう夫人に対する負担を軽減したいという気持ちも あったので ないかという推察も起きてくる。

乙武氏の お相手となった女性たちが、あくまで納得のうえのことだったのであれば、よく知りもせぬ他人が非難するには あたらないと思うが、

それにしても、
どこから洩れても、ある程度だいじょうぶで おれるように、もう少し、他の方策は なかったのか、という気もするのだけれど。

いかに、関係者全員が、それなりに、ほぼ納得ずくの状態で いたのだとしても。

 

有名人や乙武氏くらいになると、それ相応の「信者」めいたシンパの一団も付くだろうが、それ以上に、悪意を持った者に虎視眈々と狙われもするだろう。

 

 

生活の全面にわたってサポートされないと、ほぼ何もできない状態では、どれだけイライラするだろうか。一度は想像してみてもらいたい。

何事も、自分で できないよりは、できるほうが、

常にサポートしてもらう側よりは、サポートしてあげられる側にいるほうが、気がラクに決まってる。

以前にも言ったことだけれど、

障碍者を罵る前に、まずは、おのれが「健常者」の範疇で生きていられることに感謝しておれば よい。

 

常に「感謝を強要される」側にいると、負けん気で気性の激しい者ならば、ついには猛反発したくなるだろう。

ましてや、乙武氏のように、本来が有能で、あれだけの障碍を抱えた身でも、人並み以上のバイタリティを発揮している人だ。

 

これが、金持ちで「健常」の男性なら、浮気していてもアタリマエ、
していないなら、そのほうがフシギ、という感覚が あるでは ないのか。

 

一応「健常者」でありながら、乙武氏ほどの知性も魅力も なく、彼ほどにも稼げず、当然のこと、モテも しない、なんともサエない男どもよ、
そこまで僻みなさんな、みっともないw

 

 

同じく男性ならでは、むしろ、乙武氏の性的な面での事情については、多かれ少なかれ、身につまされるところを感じ取れるはずであろうに、
罵詈雑言の炸裂が、これでもかと続いているさまを見ると、

これは、もしかして、障碍者しかも重度であるにも かかわらず、何人もの若い女性たちに、お相手してもらえたことへのネタミなのだろうか?

とすら思えてくる。

 

なにしろ、鬱屈した男ほど、始末の悪い者は ない。

ことに、性的に鬱屈している男の陰湿さは。

 

ああした汚言の極みでもって、ここぞと、障碍者を罵倒する男どもには、乙武氏のスキャンダルなんかよりも、よっぽど、心底からヘドが出るぞ、と言っておく。

 

自分が、どんだけ醜いのか、自覚が ないのだろうな、乙武氏の お相手を するよりも、もっともっと、願い下げな男ども。

「下種」「下衆」とは、まさに、オマエさんらのことだ。

本当の「恥というものを知っている」のなら、あのような悪意まんまんで、下品で、卑しさで固まったようなネット投稿は、匿名でも、裏で おカネを もらっても、できるものでは ない。
自分が正義のつもりの「絶対悪」だということに気づいていれば。

 

 

Updated   
2016.08.26 (Fri)

「ヤフコメ」のなかに、「障碍者が生きることの価値を、納得できるような理論なんて あるのか?教えてくれ」みたいなことを投稿して、他の投稿者から、「自分で考えよ」とか諌められてるのを見かけたと思うが、下記の記事でだったか どうか、見失ったけれど。

 

【相模原事件】植松容疑者は「モンスター」か? 再発を防ぐために精神科医は問いかける
BuzzFeed Japan 824()50分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160824-00010000-bfj-soci

 

例の、自民党議員である野田聖子氏に、そのあたりを問うてみたらいいのでは ないかしら。

彼女ならでは、身に染みて実感してきた思いや、そこから構築してきた考えを、しっかりと持っているはずでは ないかなと思うのだが。

 

【続・続】誰も言わない「障碍者の価値、その生存の価値」

 

~自民党の野田聖子氏の お子さんが、生まれながらに大変な状態であるということは、数年前の旧のブログ時に、ネット配信記事によって知ったのだが、

この、他人事で いられない野田聖子さんも、このたびの、重度重複障碍者襲撃事件を取りあげて、ブログで慨嘆なされたそうで、

下手人については、

社会の どこかで誰かの話に食いついたのだ

http://lite-ra.com/2016/08/post-2463.html

と指摘しているそうだが、

どこかの誰かの話、その「誰か」とは誰なのか、

何処を中心にして拡大されていったのか、
といったことについては、自民党内部の人であるゆえにか、決して、それ以上の分析と踏み込みは見せないようだ。

そして、

これからも、現政権を担っている与党の人間として望まれる行動を見せることは不可能なのだろうか。

 

 

しかし、

許されないことだ、と憤りを見せる専門家を始めとした識者や、一部「ネットウヨ」以外の一般のコメントが殆どであるとは言え、

なぜ、許されないことなのか、(重度)障碍者の生きる価値とは?ということに、明確な論を述べる人となると、たしかに、少ないのかなという気は する。

皆、どこか、歯切れが悪く、そのぶん、理論ではなく情緒的なほうへ傾いておくしか ないようにも見える。

 

上掲の記事に登場の、精神科医の御意見にしても、現場の従事者には当然のこととして判断される手続きと、知識に乏しい一般の人々の思い込みとのズレが あるのは窺えたが、

しかし、いかに重篤な「抑うつ」なり「躁」状態だったという診断が下されるにしても、そういう症状に陥っていたからといって、あの容疑者のような思考内容と行動を とると決まっているわけでは あるまい。

 

この医師も、ここでは触れておられないようだが、

措置入院から退院するときに、まずは親が同居すると言って引き取ったはずの話は、いったい、どうなっていたのか、あまり、つっこまれないままなのも怪訝に感じる。

 

むかし、うちの身内の場合は、診断内容は異なっていたけれど、退院時、主治医からの話で、患者本人の信頼する相手と日常を過ごすことの重要性を聞かされたものだ。

 

うちの身内は、症状が重くなると、とたんに、自己内部の疑心暗鬼が作り出す、荒唐無稽なストーリーを、現実の ちょっとした現象を引き合いにして、だから本当に事実なのだと強硬に主張し始め、そのたびに、
姉で ある うちの母(この人も、脳の異常持ちだったことが、のちに判明したことは、過去エントリーで述べてきた)が、
こっちまで のけぞるような大音声で どやしつけるので、

私が、ちとキツ過ぎやせんか?と抗議すると、

「そんな甘いことで、迂闊に同調していると、なんぼでも本人の思い込みを酷くするだけ!おかしなこと言い出したら、そのたびに、徹底的に叱りつけ、おまえの考えが おかしいと分からせて、叩き込まないと!!」

というふうに突っ撥ねていた。

どやされた本人は、顔いっぱいに むくれて、大いに不満を あらわにするか、めそめそ泣きっ面になるのだが、

最初の頃、若かった私が、なんとも なさけなく、哀れに思い、
よほど辛いことでも あったの?
と尋ねたとたん、機嫌が良くなり、かなり扱いやすい態度に豹変したこともあったので、
はたして、母が主張していた強硬な方法論と、どちらがベターだったのか、いまでも、よく分からない。

とにかく、服薬が第一になった。

 

心なしか、今回の事件では、比較的、容疑者の親が、あまり激しい罵倒や追及を浴びないでいることは、ネットでは非常に めずらしいことと思えるのだが、私の知らない場では、そんなこともないのだろうか。

 

小学生たちを襲撃した、「死刑願望」自己申告の犯人とは、犯行内容の類似性は高いように見えるが、あの事件と比べて、

むしろ、今回の容疑者への、軽薄な共感や、被害者たちと御家族へ向けた「セカンド レイプ」的コメントのほうが、わりと多い感じすら するのだが、

このことと、ひょっとして、容疑者の親についての先述のような現象との関係性が潜んでいるということは ないのだろうか。

あるいは、例の、佐世保の高校生事件で、父親が自殺してしまったことの反省からだろうか。

 

 

…そう言えば、作家の故 北杜夫氏も、ご自分で、かなり重篤な「躁鬱病」であると診断し、宣言されていたのでは なかったかしら。

でも、ご聡明な紳士で いらっしゃった。

 

やはり、「双極性障害」だろうが酷い「躁」だろうが、あのような思考回路に陥ることの、社会的背景も含めた分析は必要だと思う。

要は、ああいう思考に陥らせない、ドップリのめり込まさないことが、未然の防止策だろう。そこで、ネットの存在が、どう作用したか。

 

それにしても、この容疑者、本当に「孤立」していたのか?

いろんな事後記事を見たかぎりでは、それなりに活発な交友関係を持つ「リア充」タイプに思えたけども。

事件直前にも、知人女性と、食事を楽しんだらしいし。

しょせん、上っ面だけチョーシのいい つきあいということか。

 

容疑者の友人たちも、その考えは間違ってる!と、かなり どやしつけたり忠告したらしいのに、なぜ、納得させることが できなかったか。

徹底的に論破しきれなかった、ということなのか?

 

 

私の経験だけれど、正直に言って、身体障碍者を真っ向から侮辱したり、自分のほうが優位だと ひけらかして得意になっている手合いというものは、もちろん、「健常者」ならではの傲慢さや思考停止も見受けるけれど、そこが最もアカラサマに噴出していたのは、知能面や精神的疾患の問題を抱えている者に顕著だった。

ただし、この方面の障碍者にも、個々に様々な違いは ある。これまでにも何度も指摘してきたとおりだ。

障碍者が、障碍者を嘲笑する。

「底辺」「負け組」が、おのれの同類と見做した相手を侮蔑するの図、である。

 

それと、

すでに多くの人の指摘も あるように、ああした考えは、昨今、特にインターネットでは、めずらしくもない。

私も、「ん?emoji」と思って、似たことを言い募るコメント投稿者らを確認してみれば、ほぼ例外なく、いわゆるネットウヨの典型的な類だった。

 

 

恐ろしい被害を受けながらも、辛うじて一命を とりとめ、まだ病床にある人たちは、
いわゆる健常者であっても、今後の人生に重大なPTSDやトラウマを抱えてしまうところ、

静かに就寝中だったのを、思いがけぬ襲撃の恐怖で、いまも、やすらかに眠りにつくことすら できないでいるのでは ないだろうか。。。