2022.07.31 (Sun)
まあー、死んだとたんに出るわ出るわ、、、(呆)
そして、死後も なお、国民分断の おおもとで あり、象徴たりえている。
…てな状況・情勢。
故 安倍晋三氏の個人的な人がらというものが どうだろうと、
少なくとも、自分一個の周囲、それが、自分個人にとっての味方であるとか、安心できるとか心地良い関係性であるとか、利害を共にしているから、そのように できそうだからと、
それらの人々に対してだけは、いたって穏かに接し、腰が低かろうが どうだろうが、
市井の庶民である私自身は、安倍晋三氏との直接の交流は なかったわけだし、評価基準は、あくまでも、いちおう政治家、仮にも首相としての彼の政策による影響を被る一国民としての視点だけだ。そこで判断するのみ。そんなの当然でしょうが。
それに、まあ、私自身も、安倍晋三氏に言わせれば、「こんな人たち」の範疇に入れられそうな者では あるけどw
亡くなった安倍さんの性格について、夫人の昭恵さんも言ってたそうだが、
自分が悪いことがハッキリしていることでも、ぜったいに、あやまらない性格だってね。
それに、いわゆる「根に持つ」「恨みを忘れない」タイプだという人物評は、あちこちの記事で何度も、目にしてきた。
「敵・味方」の別を、苛烈なまでに通すタイプ、
それは、本来、小心な性格だからだろう。だから、ふだんは おとなしいし、
当たり障りは ないと思えるかぎりで、いくらでも愛想よくするし、「腰が低い」。そりゃ、減るもんでないし、土下座するよりはラクだわな(嗤)
その点は、「得票乞食」たる政治屋としても必須の基本的態度なのだろうから。
殊にアベシの場合、第一次政権の大失敗が、よほど恨めしく、トラウマになったんだろう。
それでも、個人的に持ちつ持たれつの間柄どうしなら、「とても良い人だった」で通す人たちが いるのも仕方ないのかもしれないが、
その政治・施策の面だけでなく、マス メディアから直接的影響を受ける国民一般の精神面に至るまでも、ひらきなおった風潮と諦めと腐敗を招き続け、すっかり堕落させてしまったような人物が、それでも「良い人だった」はずが なかろうよと、私は断じます。
ま、およそ、「トップの器」じゃなかった、この一言に尽きるわ。
最近、ふと、思い当たったのは、
政界の、なかんづく『自民党(=ジミンだっぴ党)』に顕著なる、2世3世議員の幼児性とカン違い甚だしきトンチキぶり、
ならびに、
日本経済界においては、いまだ特徴的に、ほとんどを占め続けている中小・零細規模の会社で、経営者のみならず、その一族郎党のエゴが罷り通り続けているという、私自身も知っている現実だ。
どんどん地盤沈下していってる この国の政・財界ともに抱える共通性。