2022.03.25 (Fri)
『「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし」』の続き。
さて、ここで、いまだにプーチン大統領の側を擁護する人たちに聞いてみたいのはね、
いわく、「ウクライナ在住のロシア人たちが迫害され虐殺されていた」というのに、「守る」と言いつつ、プーチン大統領は、それほどの多数でもない人々を、まずは自国ロシア内に避難させようとは しなかったのか?ってこと。
それどころか、
そもそも、ずいぶん前から、ウクライナのなかへ、「親ロ」派のロシア人たちを送り込み続けていたらしいというよね。
ましてや、
「親ロ・独立」派に、陰で武器を与え、暴動を起こして、要求を貫き通すよう唆し、
独立を要求する過激派と、その反対派と、互いに襲撃を繰り返してきたのだったら(←まあ、アメリカの手口と同じか)、
なにも「親ロ・独立」派だけが一方的に迫害や虐殺されてきたとは言えないわけだろう。
ウクライナ政府が、「ロシア語を制限していた」とかいうわりに、私も今度の『ローマ教皇』の話題で知ったけれど、『ロシア正教会』が、ウクライナ国内で存続できていたということも、ちょっと意外だった。
いずれにせよ、
とにもかくにも、プーチン大統領を、対話の席に就かせたいと、本気で考えるのなら、プーチン氏が、停戦に応じても いいかなと思えるだけの「おみやげ」も必要なのだろう。
だが、
ロシア側に「侵略された土地は一旦くれてやって~」てなことを言ってるヤフゴミんも いるし、まったく、呆れたことだ。
そんな考えが通用しない相手だからこそ、日本の『北方領土』問題が あるんじゃないかいw
「一旦」は ないもの、との覚悟で臨むことだね。
それに、
命が、いちばん大切だから、ここはプーチン大統領のメンツも立てて、ロシアに降伏してしまったほうが、などと主張している人たちも いるようなので、
じゃあサ、と切り返したいのは、
そのリクツを、逆に、ロシア側に言ったら どうなのよ?ってことだ。
なるほど、プーチン氏にはプーチン氏の理想と理念と構想、不安と危惧と負けん気やらプライドやら、いろいろと あるみたいだけど、
だから何?
とも言えるじゃないかね。
つまり、
「ロシアに組み込まれたってエエじゃないか」
と言える人に聞きたいのは、
「『西側』に組み込まれたってエエじゃないか」
と切り返せるんじゃないの?ってこと。
そして、
あなた自身が、ウクライナ人の立場なら、抵抗感なく済みますか?ってこと。
それこそ、「ウヨ」どもが想像たくましゅうして言い募り、煽りたてるように、『中国』が侵攻して来たとしたら、
命いちばん大事だからと、あっさり降伏して、そのまま終わっても平気ですか?ってこと。
たしかに、
どのような思想や理念や主義主張、それらの いずれも、
一般民の命と生活を破壊しても よいほどの価値など なかろう。
しかしながら、
なにしろ、あちらは「民主主義」では ないし、あからさまに情報統制や人権侵害を、あからさまに、やる国でしょ。
「いったん」降伏したあとで、って、
あれかい、ぼちぼちと、『民主主義』「革命」でも起こせる気なの?w
いまの この程度の日本国内に あってさえも、ほぼ全く何も できないでいる、選挙に行くのも躊躇う、気弱な気弱な「茹で蛙」たちがね?ww
やっぱり、『共産主義』でもイイんだ、情報統制されようが、人権を抑圧されようが、それでイイ、それがイイと思ってない??ww
ひとたび失ったら、最初から やりなおし、築き直すのは至難のワザだろう。
まあ、だからこそ、そんな事態を招かないように、ゼレンスキー大統領のような「失敗」は許されません、ってことだが。
「マッチョ」(に憧憬する)タイプに見受ける、意外なほどの劣等感、その背中合わせに貼り付いている支配欲。
日本の「歴代最長」シュショウだったアベシなんぞは、比べるべくも ない みみっちさでは あるけれど、
戒めを与えるべき存在なのは同様だろう。
国土も国民も、あなた個人やオトモダチの私物では ないよ、と。
付け足しだが、
アベシなんかと会談するとかいう『中華民国(台湾)』首長の、蔡 英文氏ね。
わたしゃ、その台湾が、今年も、「光復」記念日を祝うのか注目しておりますよ、ええw
そして、中国の、あの陰気臭いトップ以上に、この蔡氏に聞いてみたいわ。
『尖閣』についての御見解をねww
ところで、
ゼレンスキー大統領の、日本への国会演説を拝聴してみました。
だいぶ「お手柔らか」と言うのか、ことばの慎重な選択と配慮の更なる くふうが感じられました。
他の各国に対しては、なかなかアケスケに「共通の敵」イメージを煽るかのような論調が見られたので、私も内心、日本国内の「ウヨク」連中と与党『自民ダッピ党』が、ここぞと調子に乗っている折から、少し危惧している面も あったのだが、
先ごろのドイツ国会に対しては、かなりの厳しさを向けていたようなのに、やはり、日本は、『アメリカ』との特殊な関係に置かれていることや、「平和憲法」を戴く事情などを慮ってだろうか、
ドイツには、対等な大人どうしとしての率直な苦言を呈しているふうで あったのに、
日本には、どこか、子どもに優しく言って聞かせている感じすら受けました(苦笑)
そのドイツの前首相メルケル氏が、以前、
「プーチン氏は、別世界に住んでいる」ようだとか、おっしゃってたそうで、
メルケル氏も、こんなトンデモな大騒ぎに直面させられる前に引退しておいて やれやれだったと、個人的には胸を撫で下ろしておられるかもね。
【続く】
2022.03.25 (Fri)
「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんのコメントときたら、
知能は勿論、国籍までも疑いたくなるほどの低レベルな文章力、当然、論理力も拙劣で、作話の癖と、自己粉飾、辟易するほどの幼稚な感情むき出しぶりは従来から指摘していることだが、
もう一つ、噴飯ものなのは、
知ったかとか半可通とかと並んで、その解説ぶりが、どうして、こんなに的外れなのかと思えるほど、大きなズレが目立つこと。
たとえば、
『ローマ教皇』に、ゼレンスキー大統領が、調停を要請したというニュース記事に付いたコメント。
kae*****
旧ソ連圏の中でも、ウクライナは国内の正教会もコンスタンティノープル系とロシア系で別々にあって対立しています(というより、ウクライナこそが世界的な両派対立の主因です)。さらには、同じく東方典礼でありながら、ローマ(カトリック)に近い一派もあり、キリスト教だけでも三竦みの対立構図にあります。そして、当のゼレンスキー大統領はどうかといえば、よく知られているようにユダヤ人であり、ユダヤ教徒です。
一方、正教会内の対立構図にあって、ローマはどちらかといえば歴史あるコンスタンティノープル寄りですから、ロシア正教会からは嫌われています。
つまりローマ教皇というのは、国際社会における宗教的権威ではあっても、ウクライナ・ロシア双方にとって、大統領や国民の精神的支柱ではありません。言ってみれば、東アジアでダライ・ラマにお願いするようなもの。そこを頼らなければいけない程切迫している、と読み取るべきでしょう。
後半に入るまでの説明は ともかく、
「東アジアでダライ・ラマに お願いするようなもの」
なぜ、そこで、『ダライ・ラマ』の名を出すんだ?w
ゼレンスキー大統領は、もちろん、自分たち直接の当事者間に、というよりも、言わば「第三者」への影響が、より広がっていくよう計算してのことだろう。
宗教界にも「分断」の争いを持ち込もうとしてるのか?
私も、もし、ゼレンスキー大統領の立場だったなら、そもそもから、彼と同じような行動は とらなかっただろうと思うので、よく理解しようにも、いまいち分からんのだけど。
その点では、むしろ、プーチン大統領のほうが、多少は分かりやすいと思えるくらいだw
無人島である『尖閣』と、あるいは『竹島』、あるいは『北方領土』と同列に『ウクライナ』の問題を語って、恐怖を煽らんとしている連中も、根本的からズレてる。
それに、
私は何度も言ってるが、竹島にせよ北方領土にせよ、実のところ、日本敗戦後の処理段階で『アメリカ』が大きく絡んでるよ、っての。
言うことを聞かせる対象であるように仕込んできた日本を、いまでも、心底からは信用してないアメリカは、ある意味では、ほんとうの「敵」であり続けているのだが、
そんな日本の『天皇』とは、いまでは、まさに『米帝』こそが、その地位に就いている。
この両国の関係性は、世界で最もpeculiarで奇妙なものだろう。
ここへ来て、
遅かれ早かれ辛うじての停戦が叶ったとしても、そのあとは、ゼレンスキー大統領自身も、彼の国内での立場が非常に厳しいものになるやもしれない懸念も あってか、
プーチン大統領とサシの交渉に おいては、先方が条件として突きつけてきているという幾つかの箇条書きについて、「住民投票を」モゴモゴと言い出したそうなので、
ははぁ、やっぱり、自分で決めてしまう度胸までは ないのかな?
と思っちゃったけど、
その点、プーチン大統領は、最後は全て一人で決めちゃうんだろうね。
しかしながら、
われわれ日本人にとっても、ただ、ここで ますます、プーチン氏に「味を占められ」たら困る。
そうなったら、彼がピンピンしてるかぎり、何度でも、火種は火を噴くだろうから。
なので、私は、非武装国家になれ!というプーチン大統領の要求だけは、呑んではマズイだろうなと思ってるわけ。
わが日本だって、聞くところでは世界5位とかいうほどの自衛的武力は備えてある。
もしも、非武装化を敢えて受け入れるので あれば、
そのときは、プーチン大統領との「安全保障」の約束を真に受け、単純に信じることは、さすがに ないにせよ、
これこそを、プーチン氏が恐れているであろうところの、『アメリカ』並びに『NATO』が、『ウクライナ』の後ろに控えて見張っている、次は決して容赦しないという姿勢を強烈に見せつけておかねば ならないだろう。
だが、これでは、プーチン氏にとって、もともとから最も見たくない光景だったはずじゃないのだろうか。
良くも悪くも以前のアメリカなら躊躇なく、プーチン氏の前に立ち塞がり、いまごろは、とうにサッサと畳んでしまってたかも(?)なのだが、
一部を除いて、ほとんどのロシア一般国民が、プロパガンダか大本営発表だかでカン違いしてるのか、いまだに寝ぼけているのか、自分とこの「暴君ツァーリ」を どうにか しようともしない感じを見受ける、これは ひとえに、いまのところ、ロシア国民である自分たち自身が空爆される身には なっていないから、というのが大きいのだろう。
繰り返すが、
自分と家族の頭上にアメあられと降ってくる爆弾に突如、逃げ惑い、死を覚悟し、あるいは立ち向かわねば ならない仕儀へと導かれたことで、いずれにせよ停戦となった あとのゼレンスキー大統領自身にも、国民たちの新たな怒りが向かっていったとしてフシギじゃないのだ。
今回のエントリータイトルは、故 寺山修司氏の作のなかでも特に広く知られている一首で、
「身捨つるほどの祖国は」と続いていくのだけれど、
私、この一首を締めくくる、「ありや」という箇所まで来ると、ほぼ反射的に、「なしや」と続けたくなる癖が あるのよね。それも、永遠と。
ありや?なしや?ありや?なしや?…
ちょっとね、「われ思う ゆえに われ あり」を思い出すの。
と言うのは、
以前、もう何年前の話なんだったか、おぼろになってしまってるけど、(例の)QAサイトで、
かのデカルト大先生のたまいし“Cogito,ergo sum”、これのことを質問してみたところ、
そのときは、ほんっとに珍しいことに、
(「ヤフゴミ捨て場」同様↑デタラメ・作話・嘘ばっかの三拍子そろった、あたまオカシイ連中の巣窟だったからね 嗤)、
フランス語やラテン語の素養あるらしき かたが、懇切丁寧なる回答してくださって、
「『我思うゆえに我在り』と我思う」、
このように続けるべきじゃなかろうか?的な質問に対して、
そうなると、ラテン語の特性で云々とかって答えだったかなあ、
「…ゆえに我あり」と我思う、と つなげてしまうと、
「ゆえに我あり」と我思うと我思うと我思うと…てな感じで、
永遠と続けていかねば ならなくなるのです、とか、そんなようなことを指摘しておられたと憶えている。
なので、ここは やはり、
「(ゆえに)我あり」にてスパッと打ち切らなければ ならず、そのために、デカルトがラテン語を用いたのは必然だったとかナントカ。
だいたい そんな話。
閑話休題。
【続く】
2022.03.21 (Mon)
その脅しは、主に、われわれ「西側」諸国に対してと言うよりも、
むしろ、プーチン氏に対するもののように、私には感じられたけど。
だって、
『NATO』も『アメリカ』も、遠慮なく大手を振って、おうおう、やるかぁ?と出張って来たら、いちばん困るのは誰かというと、、、プーチン氏じゃないの?
実際、そんなことになったら、すごく困るのは、むろんのこと私らも、だけれど、ある意味、決着自体は早くなるかもしれないし。
もっとも、世にも恐ろしい結着になるかも、だがね
ただ、ああいう「死なば諸とも」を辞さないタイプに見える人だからこそ、それこそ、『クリミア』の大騒動のときにも明言してたとおり、核兵器の問題が あるからね。だから、『ウクライナ』が前面に立ってる うしろで、『アメリカ』を筆頭とする「西側」と睨み合いの情況ってとこなのだろう。
この侵攻に関しては、日本国内に おいても、いまや「ミギ」「ヒダリ」入り乱れて、ケッタイな様相を呈していると言ってきたけど、そこには、「トランプ&あべ」派も混じってるからよね(嗤)
それにしても、何やってもダメあべが論外なのは、火を見るより明らかとして、
プーチン信奉者であることを隠しもしないトランプ氏に、プーチンの暴走を止めてもらえると期待するような向きも、ごく一部には あるというのは本当なの?と呆れ果ててしまう。
いったい、どうやって、あのトランプさんが、プーチン大統領に、言うことを聞かせられるってんだか。
真逆でしょ。
結果的には向こうの言うこと聞かされちゃうであろうのは、アベシと同じことだわな。
まあ、いずれも、三流マスコミが煽ってるだけなんだろうとは思うけど。
さて、ここまで来たら、プーチン氏の掲げている大義名分の胡散臭さが、よりいっそう深まったのは勿論として、最終的に、やはりウクライナ全土の掌握を諦めないとすれば、彼が頑強に要求しているところという「中立」のことなんかよりも、「非武装」の要求を受け入れることは甚だ危険だろう。
恐らく、非武装となった あかつきには、今度こそウクライナ全土を手に入れることが容易になったと踏んで、躊躇しないかもしれないから。
そのときに、ゼレンスキー大統領の悲願であったらしい『NATO』加入が果たされていたなら ともかくだろうが、それは それで、また、いらぬ刺激になるかもしれないわけで。
まあ、それにしたって、ウクライナ国内の紛争を抱えたままでは無理のようだしね。
となると、やはり、「親ロ」派地域の独立要求を認める方向で検討しなければ ならないのかもしれない。最低限でも、それらを果たして、国内の紛争を解決しておいてからでないと、『NATO』加入は不可能のようだから。(それで焦って、あの地域の弾圧に走ったのかね?)
ツァーリ・プー朕は、断じて許すわけに いかない。これは確定だ。
まさにロシアのプリマドンナが指摘したとおりで、
現代の国家の見識として、
彼は、まごうことなき大罪を犯した。それはアカラサマだ。
このまま勝たせるわけには いかないのだ。
今後のことを考えたら、どうしても そうならざるを得ない。
それゆえ、
とにかく、ゼレンスキー大統領側には、いまは頑張ってもらうしかない。
そのために、すでに、水面下では、私ら一般人の知るべくもないレベルで、あらゆる支援策は とられているのだろうと思う。これまでのところ、ゼレンスキー大統領が無事でいることを みても。
けれど、
私は、ウクライナ侵攻が勃発した当初から、一国の元首たるゼレンスキー大統領の軽率を訝ってきたけれど、
この戦争が、曲がりなりにも終わったときから、ゼレンスキー大統領にとって、別様の新たな試練が始まるかもしれない。
すでに、ウクライナ国民の犠牲は深刻、膨大なものとなっている。
2022.03.19 (Sat)
『「ヤフゴミ捨て場」は、虚偽と誘導の魔窟。』の続き。
それからね、
くだんの「ヤフゴミん」いわく、「権力を牽制できる仕組み」のためには「言論の自由がないと」「止めようがなくなる」云々、という見解も、正確では ない。
そもそも、あほな民衆・大衆には、「言論の自由」と言えるほどの内容は乏しいからね。
ただの罵詈雑言や作話やデマは、「言論」じゃないし。
「言論の自由」が効力を発揮し得るのは、
一定のレベル以上に知性ある民衆の場合だ。
それを支えるには、まず、自由な情報収集と、それを選択していく能力が必要。
私が、プーチン大統領に対して、悪しき統治者か否かを最も見分けられる材料になっていると指摘したとおり、彼は、いつからなのか知らないが、国民大衆への情報統制と大本営発表を繰り返している。
これも再び言っておくが、
自分を選んでくれた有権者・国民が信用できないのなら、それは何故なのか?と問うている。
知性の低い有権者・国民だからか?
情報の適切な取捨選択能力が乏しいのか?
そもそも、プーチン大統領にとって好都合な情報しか与えてないみたいだしね?
これらは、『自民だっぴ党』なかんづく安倍政権についても問うべきことだった。
現代日本だって、他人事じゃないわけ。
ついでに書いとこ。。。
きのう、とあるブログを、たまたま覗いてみたら、多少の年数が経ってるのか、安倍政権への批判も明示してあったり、反戦のスタンスが確固とされているようなので、なるほど なるほどと思いつつ、非常に なが~~い記述の引用部分などは途中を少々ハショリつつ、最後のほうまで、やっとかめで来たら、
突如として、女性の素晴らしさとか母性を大いに讃える くだりが述べられていて、それは結構なんだけれど、
付け加えて、
「俯瞰的な」「司令塔」としての父性とか何とか述べられてあったので、いっぺんにドッチラケ。
こういうことを当然のように述べるって、けっこう高齢者なのかな?
いや、意外と40~50歳代の男性なのかな?と思ったけど、まあ、他の立派な御見解が台無しだよ。
よっぽど、コメントできるなら、、、ともチラッと思ったが、やっぱり、やめといた。かかわりたくない。。。
聞いてみたいのはね、
「なぜ、『父性は俯瞰的な司令塔』云々たるものと思っておられるんですか?」
ってことと、
言ってあげたいのは、
「この世界、反戦の観点からも、もはや、男性は不要以上に害悪かも しれないんですよ?」
「実際、科学的に、性の基本である女性は、男性なしでも、子孫を産めて、育てられますし」と。
古今東西、ドンパチやら殺人しまくって、いまも、女性たちと子どもの命を湯水の如くに犠牲にしてるくせに。
こういう、反戦とか「反安倍」は、まあ、「ウヨク」じゃなく「サヨク」の範疇に入るとしたらだけど、こないだ、私が指摘したように、まさに、
「サヨ マッチョ」
だわな。
「ミギ」だろうが「ヒダリ」だろうが、男ってのは、単純な幼児的ウヌボレと支配欲と、屈折した劣等感のムジュンに無自覚なんだろうかね。
2022.03.19 (Sat)
この↓『BBC』ニュースに付いたコメントなんだけども。
『自発的だと信じてもらえなかった 生放送で反戦抗議のロシア人編集者、BBCに話す(BBC News) - Yahoo!ニュース』
「~権力構造、体制の中に権力を牽制できる仕組みがないと、止めようがなくなるんですよね。そのためには、言論の自由というのが必要で、まさに戦中の日本のようだと思いました。戦中の日本には最後には天皇という最後の戦争を止める装置があり、終戦になりましたが~」
(部分的抜粋と強調は、当ブログ主による)
きょうね、ムダかな?とは思いつつ、『ヤフーコメント』運営に通報しといた。何故だか、皆さん、わかる?
「こういう虚偽は、閲覧者のためにならない、削除すべき」
「天皇は、(自己)保身のために、戦争を止めてやったように見せかけた、それが事実」
このように述べて通報したわけ。
私はね、数年前くらいまでは、『天皇』とか『皇室』についても、表面的なことしか知らなかったし、それは、たいして関心が なかったせいだけど、その分、とくには反感とかも なく、むしろ、どっちかと言うと、前の『天皇』ご夫妻には、先代の後始末的な苦労も おありなんだろうなあと漠然とした同情に近い感覚も あり、
あくまで個人的には、真面目な良い人たちなんだろうと素直に思っていたということは、過去エントリーでも言ってある。
『昭和天皇』についても、なんか少し変わった感じの お人柄かな?wという、これも漠然とした印象だけど、世代が全く違うせいも あるのだろうから、こちらにも、とくには反感を持っていたということは なかった。
けれど、
近年は、いろいろな話題につれて、年甲斐もない自分の知識・認識の不足を自覚することが増え、とりわけ、さきの大戦に おける『天皇』『皇室』の関係性を調べることが何度か あったために、いまでは、そうとう、考えがハッキリしてきて、自分が、いかに無知で、イメージだけで思い込んでいたのかということに気づいてきた。
当然、『昭和天皇』についての印象も受けとめかたにも、格段の変化を齎すことにならざるを得なかった。
なので、
こないだのエントリーでも指摘した、『昭和天皇』の、『特攻隊』について「よく やった」とか、被爆者については「気の毒だとは思うが」といった発言に、国民の生死についての根本的な「他人事」感を感じるし、
『靖国神社』に対する お考えや態度の変遷にも、
開戦についても、さんざんな敗戦となってのちは、一般の国民・大衆の背中に隠れ、混じるようにしながらの、
「自分だって、いや、自分こそは、いちばんの被害者」
という心底の感情と思惑、それに応じた演技性を感じるようになった。
そう言えば、
日本の新聞記者には珍しく思い切った質問だったのだろうけれど、私もウッスラと憶えている、『アメリカ』ご訪問後だったかの記者会見にて、ずばり「戦争責任」について質問されたとき、「ことばのアヤ」だの「文学的な」だのといった、どうにも要領を得ない御返事で誤魔化されていたことも あったようだ。
でね、
先に例示した「ヤフゴミん」コメントの内容について。
全体的に妥当な論調であるかに思えちゃった閲覧者が多いからこそ、「そう思う」を押下している数が圧倒的なんだろうけど、
こういう尤もらしいコメントは、むしろ、単純な「ネトウヨ」まる出しの罵詈雑言コメントよりも、よっぽど要注意です。
言わば、『読売新聞』や、なんなら『朝日新聞』もだけど、
ある意味、『産経』シンブンとか『フジ』なんちゃらよりもタチが悪いのと同様(嗤)
まずね、
日本に「『天皇』という、最後は戦争を止める装置」なんてものは、戦中にも戦後にも、ありませんよ。
もし、そんな効力のある装置として存在していたなら、なぜ、勝ち目のない開戦時には止めることが できなかったのかね?
先日のエントリーでも言ったと思うが、
「現人神」と言われて澄ましかえっていた。
「止められない神さま」って何よ?
ってことだ。
去年の『東京オリンピック』前に、いまの『天皇』さんが、「『新型コロナ』の蔓延を心配されていることと拝察」てな、『宮内庁』の発表が あったよね。あれと同様のことなんだ。
それを、『立憲民主党』あたりの議員たちが、「もう、天皇陛下にしか、止めてもらえないー!!」てなこと言ってハシャいでたから、私は、このブログで、しっかりせえよ!と、一喝したわけ。
【続く】