2015.12.13 (Sun)
【旧ブログの記録より】
「パルモア病院」って言えば 2013/10/31 22:31
私にも全くの無縁ではない。
『「プロジェクトX」にも登場 神戸・パルモア病院が民事再生申請』
産経新聞 10月31日(木)13時39分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000545-san-bus_all
『<パルモア病院>民事再生法適用を申請 神戸』
毎日新聞 10月31日(木)13時28分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000042-mai-bus_all
とあるコメント投稿者さんも感慨を述べておいでだけど、
うちの母も同様、些か自慢げに言ってたのは、
私の出産のとき、母が お世話になったのが、くだんのパルモア病院にて診察していた産科医で、その医師が、個人で営んでいた医院だったそうな。
たまたま、当時の自宅から近かったというのが、第一の理由に過ぎないのだろうけど、その医院は、当の医師の お住まいでもあった普通の民家を、ごく少数のみ入院可能にしてあったものだそうで、正真正銘の「アットホーム」な体制だったと聞いた。
ただ、、、
私、予定日を大幅に過ぎて、ものすごい難産で産まれ、母子とも、かなり危険な状態だったらしい。
以前も、どこかのエントリーで述べたと思うけど、こういう話を するとき、うちの母親は、きまって、
「あんたは、なにも危険じゃなかったの。おかあさんだけ、命が危なかったの!」
と言い張ってみせるという、わけのワカラン、変な癖があったものだw
それは ともかく、
私の出生時の大難産は、どうやら「陣痛促進剤」の副作用が直接の原因だったようだ。
もっと言えば、
うちの母親は、出産のたびに、体質が変わってった、と主張していたが、それが本当か どうか、私には分からないけれど、
実際、母の若い頃の写真を見ても(娘が言うのもナンだが、まじ、「絶世の美女」と言っても、それほど過言でないよ、なかみは この際、置いとくが 笑)、
たしかに、姉を産んだあとも、20歳代前半くらいまでは、グラマーながら、まずまずスマートだったのが、私の妊娠時は、見かけ以上に、かなり肥満と高血圧に傾いていたようで、すでに「妊娠中毒症」の危険は指摘されていたらしい。
が、
私としては、自分が成人してから思うことに、
母親自身のイイカゲンな生活も影響したのではないかなと推測している。
なんせ、妊娠中に平気で、友だちと繰り出し、バーに飲み行ったりしてたってんだから。
で、
やっとのめで産まれてきた私は、父母双方共に一族の誰にも似ない、大の付く酒嫌いときたもんで(爆)
飲み行った、そのバーで、警察官(!)とかにシツコくナンパされちった、なんて自慢なんぞしてる始末だから、そりゃダメだわ、あの母親w
出産当時、新生児であった私側の危険を言えば、まあ、しろうとの推測ではあるけれど、
まず、上述のとおり、予定日を大幅に過ぎていたため(ただし、「過熟児」までは いかないはずだが)、胎盤が殆ど機能していない状態(要するに胎盤剥離状態)に変化してしまい、
基本的栄養等とともに、甚だしい酸素欠乏状態に陥っていたはずなので、脳性麻痺等の危険性に晒されていたであろうこと。
重篤な仮死状態で産まれた(成人しても なお虚弱気味、ほぼ年じゅう、頭が重い)というのは、そのへんが原因なのだろうと思う。
ところが、うちの愚かもんの母親、
そうやって産んだあとにもなってから、やれポリオだ小児麻痺だを恐れるあまり、少しの発熱で、病院へ連れ込んでは、小児にはキツい副作用のありうる注射を お願いしてたという。
すべては、子を思う親心、「おまえのため」。。。
【この項、続く。】
2015.12.11 (Fri)
きょう、外出したら、雨は上がっていたものの、風が めっちゃ強くて。
早朝に かけ、さんざん吹き荒れたのだなという痕跡が感じられ。
風も、あまりに強いと、凶暴さをヒシヒシ感じるわね。
特に、ビル風の恐ろしさときたら。
それも、きょうのは、まるで春先の嵐だ。
一時は、陽ざしも強くなり、
それにつれて照り映える光景は、とうてい、師走の それではなかった。
足もとの地面には、黄色いタンポポがポポポッと咲いてたよ。
あっ、もしかして、このまま、冬を飛び越して、春になられますか?そうですかそうですか、結構ですよ~(^^♪
というわけには いかないだろうからね、
こういう、季節外れの陽気や、春まだ浅き三寒四温だと、
騙されたみたいに、たちまちポッと顔を出す草花や小さな蝶々たちが可哀そうだなぁと思う。
あすには、たちまち、冬らしく凍える日に戻ってしまうかもしれないのに。
2015.12.11 (Fri)
うちの母と同世代の、このかたも、「昭和」を体現したような人だった。
最近、
そういえば、あの野坂さんは、どうしているのだろうか、とチラッと思っていたら、とうとう、だった。
こういう、どこか憎めない名物男であり、
極限の世界を見てきて、誰に おもねることなく、言うべきことを断固として言える人が亡くなるのは、寂しい。
『<野坂昭如さん>「戦前がひたひた迫っていることは確かだ」』
毎日新聞 12月10日(木)21時44分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151210-00000112-mai-soci
『野坂昭如さん死去 酒好きで無頼派…85歳、心不全』
日刊スポーツ 12月11日(金)10時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151211-00000067-nksports-soci&pos=5
テレビや人前に出るときは、お酒を ひっかけてからでないとダメだったのだそうな。そしてサングラス。
奥さまも、御夫君を評して、「危険」な男だというふうなことを おっしゃったそうだけど、
世間的にも、破天荒で無頼なイメージが つよい その裏に、シャイで独特な繊細さと真面目さも持ち合わせておられたように思う。
――「浮かれた気分でいると、世相が悪くなる」――
浮かれた時代を危惧し、内心で苦々しく思っておられたのだろう。
最近、この世代の人たちが頻りに言う、
戦前の足音が聞こえる、とか、あの頃の空気と酷似しているんだ、という警告。
とても気にかかるのだ。
ついに、暴走する首相が登場し、これを、誰も止められず、
それどころか、
これが、いわゆる「大政翼賛会」というやつかというべき事態になっても、
「日本が戦争するわけないんだ、そんなこと、ブサヨクが脅かして言ってるだけだろ!」
と言い張る。
それこそが本当の「平和ボケ」というものなのか。
あるいは、
『日本会議』等の、かつての「エリート」階級の残滓連中が、過去の栄光よ もう一度、とばかり、時代錯誤にして何やら不穏なことをば企んでいるという、
ある種、これも いわゆる「逆コース」的なものなのかと不審を呼び覚ます風向き。
軽薄、軽薄、軽薄!
身震いするほどの軽薄!!
あの安倍氏らの思考とコトバの、耐えられない軽薄さ。
許せる軽薄とは違うのだ。
そして、心細い。。。
近頃は、「明治は遠く」というのも過ぎて、
大正が、そして昭和が、どんどん遠ざかっていく。
野坂さんのような人には、もう少し、お元気でいていただき、
今一度、最後警告の大砲をドッカンと打ち鳴らしていただきたかった。
かの『火垂るの墓』、原作を忠実に再現した漫画作品で知って、平和が当たり前の時代に育った小学生の心にも、深いショックを もたらした。
以来、何十年になっても、そのなかの場面 場面が よみがえってくる私は、アニメ作品で表現された『火垂るの墓』を、いまだ、正視し、観とおすことが できないでいる。
それでも、
親の世代から直接、体験したことを聞けるのが せいぜいの私たち、
アタマでは重々分かっているようで、なにしろ、直に体験しては いないのだから、自分のなかで敏感に嗅ぎ分け、明確に比較することが できにくい。
その私たちの世代より、もっと若い世代へと移り変わり、
遠からず、もっともっと若い世代へと移り変わっていく。
時は どんどん過ぎていく。
だから、私は、じわじわ恐くなってきているのだ。
わが子が いないことを感謝したくもなるほどに。
“The Misfits”
2015.12.11 (Fri)
これを言うと、自民信者や安倍シンパは、なぜか、ヤッキになって、反論とも言えぬ、ただ罵倒せずにいられないか、
それとも、事の重大さが皆目ピンと来ないのか、たいがい、その どちらかっぽい反応しか返って来ないようなので、めんどくさいけれど、一応、記しておく。
こんなこと、少し考えてみれば分かることだと思っていたので、わざわざ述べるまでもないだろうと、端折っていたのだが。
まず第一に、
いつも同じ党に、長きにわたって政権を握らせておくというと、どうしても、各方面での癒着が起きがちになる。そして、それにつれて、あらゆる隠蔽も。
特に、省庁、官僚。
そして、「記者クラブ」系マスコミ。
アメリカとの関係、あらゆるムダ遣い、
すべてが影響を受けるようになってフシギは ない。
これが、ますます、他の党が政権に就いても、失敗に終わり易い第一の要因だろう。
自民党を下野させたという、画期的な大転換点となるはずだった民主党の失敗も、つまるところ、このあたりにも一大原因があるのだろうが、
このことは、民主党のみならず、結局は、自民党以外の、どの党が政権に就いてみても、つきまとってくる問題のはずなのだ。
特に、もと自民党所属だったとかいうことが一切?なかったような野党だと尚更だろうね。共産党とか?w
逆の角度で見ると、
当の自民党出身者とか官僚でしたとかいう議員が大勢いるにも かかわらず、てな、どこかの政党なんて、もっとナサケナイのでは?とも言えそうなのだがww
ストレートな「敵」やライバルとしての対象だけが、足を引っ張ってくるのでは ない。
長年のあいだ親しみ、勝手知ったる相手のほうが やり易いし、ツーカーとなれば、自然に情も湧こうというもの。
ましてや、自民党お得意の鼻薬を嗅がせたり宥めたり すかしたり、手練手管で まるめ込もうとする相手には、癒着した連中も、巻かれておくのが、世渡りにはラクというもの。
こうした現象を、イギリスあたりの他国では、特に、官僚連中などには、常に警戒して かかっているのだそうだが、
せんだって、
難民のなかの幼児が、逃亡中に、あえなく水死したという痛ましい出来事があったおり、イギリスの記者が、自国首相に対し、その方針と、今後の姿勢とを ただして、容赦なく詰め寄る姿に、私は驚いた。
いかにも優等生的要領の良さだけで、大学を出ました、
一応「ジャーナリズム」というオモテ看板を掛けた世界に就職してみました、
というだけの、弛緩したサラリーマンによるメディアが大多数の日本では、かような場面を、ほとんど見ることがないからだ。
羨ましくも思った。
さて、
いま、「軽減税率」実施を めぐる政権内の駆け引きで、
今回は、安倍官邸の大幅譲歩をモノにし、早くも次期選挙での「貸し借り」算段を取り沙汰されている公明党について、
特に、その支持者の説得に関して、彼らが、いかに苦労してきたかということを解説していた『毎日』系メディアの記事を見かけたのだが、
一読して、私は、
これは やはり、第一に支持者側が、そうとうの愚か揃いなのだな、と、あらためて思った。
私自身、とっくの むかしに、
公明党の、たかがパフォーマンス、と、バッサリ切り捨ててきては いるが、
党の支持者たちも、自民との結託については、批判的な声が日に日に高まっているやに聞いていたのに、
このレベルが、かのレベルということだ。
「創価学会」なる組織存在と、そこの信者に対しては、周囲から、はっきり言って、かんばしくない評判を多く耳にしてきた。
(昔の)共産党に負けては いないぞw
私個人としては、べつだんのトラブルも恨みもなく、
過去の職場の同僚に、その母親が入信すると同時に引っぱり込まれ、結婚相手も、信者どうしだという女性が いたことを思い出すのみなのだけれど、
やはり、選挙の時期に、突然、自宅に訪ねて来て、公明党が推す候補者に投票してくれと依頼されたものだ。
両親が離婚したあとの実母のヒステリックさに悩まされていたという告白と相俟って、
常に陽気に陽気に振舞い、
職場の全員が、ただ単に明るく可愛いパッパラパー的性格の女の子と見做していた彼女の姿に、どこか不安定さと痛々しさと不自然さを感じていたのは私だけだったようだが。
そもそも、「軽減税率」をば必ず実行するという約束を守れ、と、自分たちの支持政党に迫る前に、
「軽減税率」の何たるか、どういった問題を孕んでいるのか、それらを、ちゃんと理解したうえで、そう迫っているのだろうか。
どうも、そうではないようだ。
ごく表面だけ見て、なんとなく良さげだと思う施策を、必ず実行せよ、と迫っているのが、かの党の支持者らの姿なのであれば、やはり、愚かだな、と思ったしだい。
まあ、宗教に のめり込めるくらいなのだから、そんなところか。
信者というものは、思考停止で おれなければ、
自分の頭で考えずにいられないようでは つとまるまいし。
なにも『創価学会』に限ったことではない。
少なくとも、この日本には昔から蔓延しているパターンだ。
私は、殊更「勉強家」というものを軽蔑する気分を理解するのだが、
凡庸な思考力しか持ち合わせぬ者は、何事につけ逐一調査し、よく勉強してから、主張するしかなかろうものを。
とにかく、自民党信者、安倍シンパともども、公明党は、日本の将来にとって、忌まわしい禍根を残すに加担する政党となった。
大いに迷惑だ
自民党と共に殲滅さするしかあるまい。
2015.12.09 (Wed)
『「健常者」は「正規品」か』
の続き。
私から謝らなくてはならない相手は、子どものころ飼っていた犬たちや、野良も含めた猫たち等、主に動物に対してヘマやら無神経なことを仕出かしてきた事例が多いのは自覚している。
いかにも傲慢なようではあるが、
「万物の霊長」人間さまに対しては、私が謝るべきことよりも、こちとらのほうが、あんたらに謝ってもらわにゃならんこと、たくさん あっただろ!と言いたくなる事例が断然、多い。
でも、人間相手にも、いまのとこ、他人さまのなかで御二方ほど おられます。
一人は、ずいぶん以前に、旧ブログで書いた話なんだけど、
なんせサイト側の つごうで消滅しちまってるので、再び書くけれど、もう、ここでは掻い摘んでおく。
私が20代の頃にアルバイトしていた職場で、作業中、来訪した若い男性に、何ごとかを尋ねられたのが、ひどく訛りのある方言めいた独特な話しかたで、こちとら聴覚障碍のため、さっぱり聞き取れず、
とりま、他の同僚に ふっておいて、しばらく時間を置いた頃合いに、
あの人、いったい何て言ってはったの?と確認すると、どうやら中国の人らしいということが分かり、
「ああ、だからかぁ、中国の人って、なんかピンシャン♪ピンシャン♪した喋り方しはるから、よけい、聞き取れへんかったぁw」
とヘラヘラ言ってしまってから、
ふと振り向いたら、そこに、くだんの中国の青年が。。。
最初、私に話しかけてきたときは、せいいっぱいのカタコトでも臆することなく元気良く、にこにこと明るい笑顔満開だったのに、
打って変わったような、くら~い表情になってた。。。(しゅ~ん)
話すほうは、まだ少し拙くても、聞くのは、かなり身についておられたようなので、私が迂闊に言ってる内容が、ちゃんと理解できてたのだろう。
たぶん、あっ、バカにされた、と思わせてしまったんだろう。
ご本人は、すでに、そこから、他の場所へ移動されたものと思い込んでいた私は、いつもの調子で、同僚相手に軽薄な発言を してしまったわけだが、でも、ほんとうに、悪気だけは全く なかったのだ。
あの無邪気な笑顔と、その後の暗い表情の落差を思い出すたび、申し訳なさで、胸が いっぱいになる。
どうか、日本と日本人を嫌いにならないでねと。
もう一人は、これも、職場での話で、先述した出来事から十年後くらい後。
当時の職場は、派遣に近い形態の働き方だったので、本社にいるよりも、取引先等に出向いて仕事することが殆どで、その日も、数人の同僚とチームを組む かたちで出張していた。
そのなかに、新入りの青年が混じっていて、彼が入社してきたとき、上司が、
「○○君は、ちいさい頃からのアトピーの後遺症で、こういう痕が残ってるんです」
と、紹介の おりに言い添えていたとおり、彼の顔の大部分には、赤黒い感じの痣が、首筋から伸びてきたように覆っていた。
たしかに、いきなり見た当初には、ついギョッとするのを防ぐことは できないのだが、
話せば普通の青年であり、礼儀正しく穏やかな人柄だということは すぐ分かるので、同僚の誰もが、ごく自然に相対していた。もちろん、私もだ。
で、その日も、昼の休憩時間が来た。
あらかじめ用意してきたものを、そのまま屋内の作業場で食べる人たちも いるが、外に出て食事するつもりでいた私は、その青年と二人だけになっていることに気づいたとき、内心、困惑した。
というのは、
当時、私は、実家の親の病気と入院のこととか、
自分自身、その後の手術を要した病気の前触れで、体調が最悪だったことなどが数年来に わたって続いており、
人知れず、慢性的な睡眠不足と疲労が重なっていて、ほんの少しでも、せめて目を閉じて休みたく、
同僚たちとワイワイ賑やかに食事よりも、とにかく、ただただ、一人になりたかった。だからこそ、敢えて外に食事に出る方法を選択していた。
本当は、お弁当を作って持って行くほうが安上がりなので、それまでは、そうしていたのだが、すると、同じようにしている同僚たちと一緒に、お昼休みの殆どを過ごすことになる。
どうしようかと考えつつ、とりとめもなく話しながら、慣れない街を しばらく行くと、それなりの食事処が目に入り、くだんの同僚に、「あそこ、どう?」と勧めておいて、彼が頷き、そっちへ歩きかけたとき、
じゃ、私は、ちょっと用があるので、ここでネ、と そのまま進んで行こうとした。
その瞬間、同僚の表情が、ひどく曇ってしまった。
たぶん、顔に、目立つ痣がある自分と二人で、人の多い場所に入るのが厭なのか?
と思わせてしまったのだろう。
落ち着いた体調であったら、事前に、同僚の気分に与える影響を慮ったうえで、もう少しは慎重な言動を とれたはずだが、
必死でゴマカシながら仕事を続けていたものの、もう心身共に疲れ果てていた。なにしろ、私のほうに、余裕が なかった。
同僚の顔色がサーッと変わったのには気づいたが、それに かまわず、一人になれる場所を求めて彷徨う私は、あとも振り返らず、サッサと歩き去った。
その時点から あとの記憶は、すっぽりキレイに抜け落ちたまま。
侮蔑だの疎んじたり厭う気持ちだのは毛頭なかったこと、
むしろ、彼らに好感を持っていたのに、焦りの気持ちから、無思慮な言動を とってしまったこと。
あれから、長い時が過ぎ、
その間も、いろいろと、あり過ぎるくらい、いろいろ あった。
もし、いま再び会うことが できるなら、まずは、彼らに謝りたいと思う。
いや、
いま、ここで、勝手に謝ってしまおう。
ごめんね、軽率な私を許してね。
『<赤いあざ>大分の男性、難病公表に共感の輪』
毎日新聞 11月27日(金)9時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151127-00000008-mai-soci
障碍の種類は異なるけれど、この かたがたの訴えておられることは、私にも概ね察しは つくし、理解できるし、わが身に つまされることも多い。
私も、これで一枚看板たる顔面に、思いがけず、皮膚の異常が出たとき、誰かの外国土産で もらってあった『タイガーバーム』を、母に勧められるまま、塗って寝て、
翌朝、起きて鏡を見たら、自分でも卒倒しそうなほどドえらいことになっていたので
(まじ、ホラー級だったのよ!w家族が驚いて心臓マヒを起こさないように、あらかじめ予告してから、恐る恐る見せたくらいだw)、
イスラム教の女性ではないが、行き遭う人々を驚かさないよう、でも、
なんだか怪しげに顔を覆って駆け込んだ病院への道中、
それとなく、こちらを窺う人々、
やっとの思いで到着した待合ロビーでは、走り回るガキ、いや、子どもらが、
覆った顔を押さえながら俯き、うずくまるように腰掛けている私を目ざとく見つけ、興味津々で近寄ってきて、ろこつに覗き込みに来るわ;
そのとき、
生まれて このかた初めて味わう種類の、なんとも喩えようのない惨めな気分を味わった。
さて、呼ばれて病室に入り、
もう、この頃になるとね、すでに、相対する相手の反応を見るのが、自分で怖ろしくもあり、どこか淫靡な快感ですらありw
京大 医学部卒だったかの青年医師の真ん前で、顔の覆いを取り去るとき、
「よろしゅうござんすか?ようござんすか?禁断の覆いを取りますよ取りますよ?腰抜かさないでくださいネ、うふふぅ、、、では、まいる。。。
ほりゃあ!!どだ!?恐れ入ったか」
てな、あやしい気分に陥っておりましてな。
ほとんど、横溝正史ワールドだよ。
で、
ほりゃあぁ~!と
勇んで、覆い布をサッと取り払った私の顔面を見た瞬間、
医師は、顔色一つも変えず、
「あ、こりゃあカブレやね、うんうん」
と頷きつつ、ほとんど目視だけで、すみやかに、治療薬の処方をスラスラ記した。
付き添っていた母が、
「あのセンセ、まだ若いけど、『黙って座ればピタリと当たる』つうの、まんま やったなあ」
と、いたく感心。
その後、処方された薬を用い、たちまちにして、人相が、もとに戻ったのを見て、
これも、生まれて初めて もよおした感慨と言っていいほどのものだったが、
まあ、この顔に戻れて感謝だわぃ、とりま思った(苦笑)
一時は、このさき、どうなるのかと、わが人相の激変に、目の前が暗くなったからね。
ふしぎなことに、酷かった腫れと浸出液が治まるにつれ、
もともと、ささやかに自慢だった肌が、あたかも、あかんぼう時代に返ったかと思うくらいの絶好調となり、しばらく続いたというオマケ付き。
私的回顧談の脱線が長くなったが、
学校時分に、比較的軽度ながら、吃音の傾向を持っていることが明らかだったクラスメートも いた。
旧ブログにても、この、学業・スポーツとも優秀、クラス委員を受け持ち、誰に対しても穏やかな態度の、優しい性質の男子を思い出し、クラスを共にした頃のことを、いくらか綴った記憶が ある。
どちらの記事についても、私なりに、いろいろ思うこともあるのだが、字数が長くなるので、一番言いたいことを手短に記しておく。
お互い、どうしたって、通常人よりも難儀の絶えない人生ながら、
理解と受容を与えてくれた御伴侶、そして、お子さんたちが いらっしゃる以上は、
どのような お考えの もと、情況変化のなかを歩まれるにせよ、気を強く持って、苦境を乗り越えていかれなければならないだろう。ご健闘を祈ります。
『<吃音の悩み>男性「差別の人生」障害者手帳求め法廷に立つ』
毎日新聞 12月6日(日)8時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151206-00000006-mai-soci
Cibo Matto“Stone”