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Updated   
2018.05.16 (Wed)

怪しからん『時事通信』。。。emoji

 

だいたいね、

『暗いやつを選ぶか、あまり頭の良くないやつを選ぶか。だったら、おなかの悪いのが一番いい』

こういうセリフを吐くところに、このオジイチャンならではの無神経、かつズレずれっぷりが出てるの。

まあ、しょせん、ジミンの「なかのひと」だし、

難しくもないはずの日本語すら読めない、「フリガナ必須同盟」メンバーだからねw
「日本人」だ「大学卒だ」が嗤わせてくれるわ。

 

 

ちなみに、「おなかが悪い」(腹が悪い)というのは、

「考えときます」という定番セリフ同様、大阪あるいは関西で特有の言いまわしなのかもしれないが、

性分や性格が悪い、という意味にも使われることが あるのよw

 

 

いいですか。

暗い

アタマ良くない

おなか悪い

これら三拍子が揃ってるのは、

誰あろう、

おかまっちょアベシそのものじゃないですかっ()

 

だ~か~ら、こんなの、歴代でも最悪だろ!っつうの!!

 

ったく、せめて、どれか一つだけにしとけよぉemoji

と言いたいうえにも、あれやこれやの重大問題だらけ。

こんなのが最高権力者になったとたんに、倫理も公正もフッとんで、
ガッタガタのメッチャクチャ。

 

祖父さんや親から もらっただけのコネとカネを取りあげたら、何が残るのよ?

アベシもアッソーも、総理や閣僚どころか、ヒラ議員にだって なれやしないだろうに。ケッemojiemoji

 

 

emojiあほ♪あほ♪あほのア●シ

  あっほ~のアッそ~お~~♪


辞めろ!二人ともemojiemoji

 

 

【追記】
ちなみに、これは、専門家の見解でもあることだけど、

アベシを含めて、そうなんだろうなと、私も察しているのは、

彼らには、発達障害の傾向が あるということ。


一般的に、普通に読めるはずのレベルの文字すら読めないという特徴も、何らかの面で関係しているゆえかもしれない。


私が常々『カルト連』と呼んでいる連中も、このことは自分ら自身で告っていたが、何かの発達障害持ちだということから、

なるほど、
だから、そっち方面の、特に、「おたく」を自任するような「ファン」が、麻生さんには、ことに多いらしいわけか、と思った。
共感するんでしょうかね、同類だから。
また、

このことを誤解している麻生さん「ファン」の場合も、そしてアベシの場合も、

「自分のアタマで考えた」うえでの「本音」かというと、
そうではなくて、逆。


むしろ、

世間でチラホラ見かけるような、ましてや、それが、自分たちの支持層である「ネトウヨ」的な方面からの主張であれば、シンパの誰かから聞かされるのか、すぐさまに、それを取り込んで(←一般的に、「優等生」の特徴でもあるんだが、アッソウさんもアベシも、そこは全く当てはまらないw)

と言うか、

カンタンに影響され、毒されて、ベ~ラベラたれ流してしまうんです。このへんは、知的障害の特徴に近いものが あると思う。あの『ザイトク会』系の『チーム』なんちゃらというところも、知的障害者をタラシ込んで、マイク握らせ、演説させてたようだね。


だから、「思想」とかじゃないよ。いたって軽薄なもの。
要するに、

その動機的心理は向こうウケ狙いだけだから。


例の「ナチスに見習って」云々という問題発言のときも そうだった。


麻生さんについては、支持層にすらも、


あれは芸人だからなw」


と言われてしまうゆえんだろうね。


もっとも、昔かたぎの芸人さんには、そのへんの評論家や識者よりも、よっぽど、日々に情報を更新し勉強している、知識豊富な人たちが いたもんだけど。
現代では、不勉強・不見識を さらけ出してる自覚もないのか、小賢しさ満面の「ネット芸人」が跋扈していて、どーしようもない下劣さだ。

ま、間違いなく、コネとカネだけで、いまでは、大老害の一人でしかない。
あれで、いちおう、吉田の血を ひくとは信じ難いほど、似なかったのかね。
吉田自身、なりあがり者だけど、オツムは、さすがに、レベルが大幅に違ったと思うわ。

やっぱり、はやく辞めなよ麻生さん、としか言うことは ない。


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Updated   
2018.05.15 (Tue)

天に見離されつつある日本の続き。

 

もとのルール、『構造改革特区』というやつでは、
『加計学園』は、10年このかたもの、毎度毎度、却下されてたというんでしょ。それは何故なのよ?相応の理由が あるはずよね。

で、

それならというんで、今度は「首相キモ入り」の『国家戦略特区』とかいうのを拵えて、ちゃっちゃと、そっちへ入れてやった。あくまで表面的には問題ないように見せかけて

当然、「法的には、何も違反してない」、

そう、胸を張って ひらきなおれるし、シッポ掴まれにくいよねw

 

獣医師会とかいう組織団体も、「せめて一校に絞ってくだされ~emoji」との哀願も、安倍政権にとっては、はなはだ、つごうが良かったでしょうよw

野党並みにマヌケな団体なのかねえ?ww

 

 

その首相キモ入り「特区」やら、あの「内閣人事局」やらの正当性や運営ぶりを問いただすべきなんだ、

首相ならびに、その利害を共にする連中の私物化ツールにしちまってるんじゃないかということをね。

 

先日「参考人招致」の席において、またぞろ「サガワ」タイプの官僚ぶりを見せつけてくれた柳瀬とかいう人も、最初に報じられてたことと逆のこと言ってたよね。

加計学園側の出席者の発言が、記録文書に出てこないのは、後ろの席で、おとなしくダンマリしてて、
愛媛県や今治市の役所の人たちが、もっぱら前面で発言してたから云々と。

今回の柳瀬発言と、どっちのほうが本当なのか、追及したの?

 

 

■見えてきた、政権の「防衛ライン」(寸評)

(星野典久記者) 柳瀬唯夫・元首相秘書官に対する10日の参考人質疑で、安倍政権が死守しようとする、答弁の「防衛ライン」が見えてきました。

 

 柳瀬氏は「えこひいき」と批判を浴びかねない加計学園関係者との面会を認める一方、首相への報告は「一切ない」と明確に否定しました。また、愛媛県の文書にあった「加計学園から、先日安倍総理と同学園理事長が会食した際に、下村文科大臣が加計学園は課題への回答もなくけしからんといっているとの発言があったとのことであり、その対応策について(柳瀬氏に)意見を求めたところ、今後策定する国家戦略特区の提案書と併せて課題への取り組み状況を整理して、文科省に説明するのがよいとの助言があった」との記述について、柳瀬氏は「記憶がない」と述べました。

 

 これは、安倍晋三首相が獣医学部新設計画を知ったのが、加計学園が特区の事業者として正式に決定した「2017年1月20日」だと首相自ら説明していることに関係がありそうです。

 

 首相への報告を認めたり、愛媛文書の内容が事実だったりすると、加計学園の提案を17年1月20日に初めて知ったとする首相の国会答弁が虚偽となる可能性が強まります。さらに首相が加計学園の提案を17年1月20日以前に知っていたとなると、13年から16年にかけて十数回、加計氏と会食やゴルフをともにしたことが、関係業者とのつきあいについて定めた大臣規範に抵触するも恐れも出てくるのです。

 

 今日の予算委員会は、このような「防衛ライン」を意識して観戦すると面白いかもしれません。

(引用文中の文字強調等は、当ブログ主による)

 

ちょっと。なにが「面白い」のさw朝日の記者さん。

不謹慎な言いかたというか、他人事な捉えかたというか。

そんなこったから、日本の大手メディアは総体に、迫力もなく、政権寄りの姿勢が疑われ続けるんですよ。

一般の読者にも分かりやすく、経過と論点を まとめてくれたのは大いに結構だけど、

このあとの論調も含めて、全体に、甘い。

概ねの野党の姿勢と、よく似てるw

 

たとえばだね、

「河村委員長は首相と本多氏、どちらに分があるか悩んでしまったのでは ないでしょうか」っていうとことか。

イイ子ぶってんじゃないわよemoji

 

関係のないことを、相手の時間を犠牲にして、ずらずら喋り続けてるアベシが悪いに決まってんじゃん。ハッキリ言えば いいんだ。

 

 

各野党も、これまでの活動ぶり、特に、北朝鮮による拉致問題などは、その歴史的なレベルでの見識の甘さが、目につくのは否めないし、

せっかく、政権を得た旧『民主党』も、リキを入れてるようすは なかったと思う。まあ、のっけから終いまで、大事故等が あり過ぎたとは言え。。。

 

何よりも、日本人は、「正義」よりカネカネカネの国民性になってしまってるのが現実なの。

まあ、もともとから、そういう国民性だったのかもしれないけどさw

こういう有権者に対しては、最終的な効果を発揮する政策とは、要するに経済策。

最大の弱点を、はやく克服して、アピールなさいよ。

 

 

…さて、

どうしても、ときの権力の私物化に、てい良く用いられてしまう恐れの方が高いものは、廃止することも検討しなければ ならないよ。

 

そして、
この『加計学園』獣医学部問題が、その後どういう影響を齎しているかについて、今治市の今後の状況を報道し続けるべき。結局、国家、国民にとっての影響は、どうだったのか。

それには、困ったことに、長年にもわたって継続する必要が あるのだが、
あの大震災や原発大事故のことすらも、着々と風化していってるくらいの国民性だから、まあー、至難のこと。

 

だから、危うい法やルール作りには、最初から重々厳しく検討しなくちゃならないんだけどね。

致命的に遅いんですわ、野党ら糾弾側の動きもね。

限界は あるんでしょうけど、どうにも、マヌケぶりが、鼻につくw

 

もちろん、ましてや、一般の国民は、あずかり知らぬこと。

ただ、おめでたくも、政治家や大メディアの主張を鵜呑みにするだけの人が殆ど。

いま渦中の今治市民なんか、あからさまな、国民レベルの代表格だ。

 

 

単なる金銭目的なら、話は早いけど、

ある意味、もっとタチが悪いのは、

アベシの場合、麻生さん同様に、大金持ちだからね。

 

カネを手にしたら、次に手にしたがるのは、「名誉」欲と、古今東西、相場が決まってる。

 

こんなの担いでる自民党ならびに支持者は、利害関係が あるからに他ならないというのは、火を見るよりあきらかなことだが、

末端あたりの支持者といったら、それこそ、籠池のオッサンみたいな、「ビジネス ウヨク」のなかに混ぜてもらって、一儲け二儲け目論んでるか、

国民の税金を注ぎ込んで吊り上げてる株価で儲けてる、儲けたいと願う連中くらいなもんだ。

こやつらは、雨が降ろうが槍が降ろうが必ず投票する層。

欲ほど、人を突き動かすものは ない。

 

 

北朝鮮問題にしても、

近く行なわれる「米・朝 首脳会談」後、日本側にとって、どのように進展やメリットが、と期待してしまう気持ちは、私とて同じだが、

同時に、

もしや、あの「アイ ラヴ ディール」マン、トランプさんのことだ、彼らには、もとより、「拉致被害問題」よりも、はるかに重大とする議案を最優先にしたいはずだから、そのために支障が あるとなったら、あっさり切り捨てられるだろう。

アベシ側は、自分の政権維持のために、そこを何とか!と必死で頼み込んでるだろうけどねw

各国は、「レームダック安倍」に限りなく近づいてることを知っている。

 

「中距離弾道ミサイル」問題にしても、そう。

アメリカは、もっともっと、日本側に、武器を買わせることに利用する腹かもしれないのだしw

 

 

ま、首相からして、国会でデマヤジ飛ばして恥じないんだもの、
そりゃ、麻生さんら閣僚たちだって見習うでしょう。

こんな みっともない政権、さすがの自民党でも、前代未聞級。

 

しかし、一般からの

(か どうかアヤシイ、やっぱり、自民党関係者もしくは、そのシンパ団体関係者の投稿が殆どのようだと、私は睨んでいるが)

「ヤフゴミ」コメント欄でも圧倒的なのは、

「安倍でなくても、自民党で!」

という意見だが、

チッチッ、

その自民党だからこそ『日本会議』その他のウヨ系組織の傀儡政権が出てくるわけ。

したがって、

自民党自体がもうダメなの。

末期的に腐ってるっしょ。

その腐敗ぶりは、『日本会議』系ウヨ組織に担ぎあげられてるアベシによって、加速されてるわけだけどね。

 

滅びの道しか ないemoji」byあべ(道連れにするぞう)

 

 

Updated   
2018.05.15 (Tue)

てな感じ。。。

まさに、『日本会議』とか『ザイトク』なんかの「ネットウヨ」系反日勢力の企みどおり?かなw

 

なんなの?

もう 数年前から、

「おかしいなあ。。。こんだけの疑惑、不祥事、閣僚問題続きで、しかも、これといった結果も出せないどころか、
後世に禍根を残す恐れが高いことばかり仕出かしてるのに(要するに、私的な利害関係者、ひいては、全体に、「ネトウヨ」に阿ったていの政治を やってるってこと)、歴代政権にも見られなかったほどの、この きみょうな ひらきなおりぶり、もう二度と、退陣も下野もあり得ないのだと言わんばかりの自信ぶりは、何によって支えられてるの?」

と思っていたけれど、

たぶんに、何らかの不正を はたらいているという、確信に近いものが、あるのよ、私には。

いつか、そのことが、白日のもとに晒されるといい。

 

内閣支持率が持ち直した~!とか、ドヤ顔セリフを吐いている安倍政権支持者だか(つまるところ、それと=の)ネトウヨどもだが、
こやつらの「ダブル スタンダード」発言には、毎度ながらホトホト呆れる。

 

おおかた、日本の大手メディアは、基本的に政権寄りなのだから、実際には、確実に、もっと下回っているのでないのかなとは思うけど、

いつもいつも、

「多数決が民主主義」「数の多いほうが勝ち!」などと、

わざと嘯いてるのか単なる無知の思い込みだか知らないけど、

それが本当なら、それだけでも、さっさと退陣すべきだろ。

なぜなら、
安倍政権に対する支持率は、とっくに、不支持率を大幅に下回ってるのが明らかにされてるのだから。

少なくとも、国民の半数以上が、安倍政権をハッキリ不支持。

 

 

安倍さん、麻生さんと共に、はやく辞めなはれ。

そうすれば、国会で延々追及され続ける苦痛からも逃れられるんだし。

『日本会議』らも、お役御免になった あーたの次の人を探し始めてくれるわよ()

 

 

八田さんとかいう人の、震え声と、ポケットに手を突っ込んでる ようすにも、私は、ははん、と感じたけれど、

この人の発言を、「朝日新聞は報道してない」とさ。

またまた出ましたよ、

「朝日は報道してない」デマ

 

…首相のくせに。

最近は、かりにも、わが国の最高権力を行使する地位にある者が、ここまで唖然呆然とさせる、稚拙にして下劣な言動をば、矢継ぎ早の如くな体たらくに、国民として、目の前が暗くなる日々。。。

 

すぐにバレる嘘を つくのは、それだけ、せっぱ詰まってるわけでもあろうけれど、

なんと言っても、「自己愛性人格障害」者に見られる大きな特徴だということは、以前のエントリーでも述べてある。

なぜなら、「自己保身の権化」だからです。

 

弱いから、生身を庇う「鎧」を纏うわけだが、

その「鎧」とは、取りも直さず、周囲を固めてくれる連中です。

 

まあ、政治屋ってのは、それが普通のサガなんだろうけど、

その「鎧」が、「頼まなくても」「忖度で」?やらかす小細工によって、国民の支持や信用を確保できていると思ってたら、とんでもない間違いだよ。

まあ、当人らの心底では分かってるんだろうけどね。

 

 

【国会詳報】解明進まぬ加計問題 野党は追加の招致要求2018/05/14 16:18

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%e3%80%90%e5%9b%bd%e4%bc%9a%e8%a9%b3%e5%a0%b1%e3%80%91%e8%a7%a3%e6%98%8e%e9%80%b2%e3%81%be%e3%81%ac%e5%8a%a0%e8%a8%88%e5%95%8f%e9%a1%8c-%e9%87%8e%e5%85%9a%e3%81%af%e8%bf%bd%e5%8a%a0%e3%81%ae%e6%8b%9b%e8%87%b4%e8%a6%81%e6%b1%82/ar-AAxdLFE?ocid=FUJITSUDHP#page=2

 

「■なぜ加計学園だけが内閣府や官邸の門をたたけたのか(寸評)

(星野典久記者) 加計学園による獣医学部新設をめぐる問題について、国民民主党の玉木雄一郎共同代表は「岩盤に穴を開けることではなく、開いた穴に総理のお友達しか通れないのではないかが問題になっている」と指摘しました。

 

 これに対し、安倍首相は「構造改革特区の時は今治市と加計学園しかいなかったのは事実だ。十数年、岩盤に穴を開けようとずっとやってきた。京産大(京都産業大)というのは最近だ」と指摘しました。

 

 しかし、京産大も十年以上前から獣医学部新設の準備をしていました。2006年には鳥インフルエンザ研究の第一人者である大槻公一氏を招いて「鳥インフルエンザ研究センター」を設立。近畿地方で発生した事案に対応した実績もありました。

 

 大槻氏は朝日新聞の取材に対し、「私たちは『内閣府に行け』というアドバイスを以前に受けたことはなかったから、もっぱら文部科学省に相談に行っていました」と説明しました。京産大は学部新設の許認可権を持つ文科省の門をたたき続け、内閣府や首相官邸の門をたたく発想を持っていなかったようです。

 

 では、なぜ加計学園は内閣府や首相官邸の門をたたけたのでしょうか。

 立憲民主党の川内博史氏が「柳瀬(唯夫・元首相秘書官)さんを誰かが加計学園につながないと柳瀬さんが国家戦略特区担当だと知りようがない」と指摘すると、安倍首相はこう答えました。「私も妻も(柳瀬氏を)紹介するということはないんだろうと思うし、今井(尚哉)秘書官も紹介はしていない

(引用文中の文字強調等は、当ブログ主による)

 

「ないんだろうと思うし」って、なに??

安倍さんよ、あーたが責任者でしょ。何を言ってんの?

毎度毎度、ひらきなおりの極致だね。

私利私欲で権力の椅子にシガミついてて、
戦後最悪に みっともない。。。

 

アベシが、ふつう多くに見られるパターンの単に金銭欲とは違うところに、アベシなりの期するところが あるのは、ほとんどの人が察しているだろうし、

だからこそ、
かずかずの「疑惑」も、なかなか、決め手になるシッポが掴みにくい。

そりゃ掴みにくいでしょうよ。

 

「手続きに問題は ない」

あったりまえじゃん。

そう見せかけるために、わざわざ新しく つくったルールなんだから。

 

【続く】

 

 

Updated   
2018.05.15 (Tue)

という映画を、以前に『ヤフー』提供の動画で途中までは観ていて、所用か何かで、つごうが悪くなり、途中で、観るのを中止しなければならなくなった、そのままになっていたのを、やっと、先日、鑑賞し終えた。

 

監督が誰か確認しないまま観終わってから、山田洋次監督作品だったと知り、ああー、なるほど、と思った。

鑑賞後、いちおう、一般からの感想コメント欄にもザッと目を通していたら、なかに、「あんな立派な家を、小さな おうちだとぉ?」云々、たいへん怒っている投稿が あってw、まあ共感しつつも、思わず苦笑したけれど、この映画の原作者は、ご両親ともにフランス文学者なのだそうで、そのへんのシモジモ貧乏人とは無縁の、優雅な お育ちなんでしょうかね?やっぱり()それは ともかく、

せっかくなので、映画自体への、私自身の感想を少し。かなり辛口になりそう。

 

まあ、良くなかったという感想は持ってないし、むしろ、ホロリと来た場面も あったけれど、

この映画に限ったことでは ないが、どうしても、スケールの小ささみたいな感が滲むのは否めないのが、日本映画全体に付き纏いがちな哀しさかな。。。という印象は、ここでも また、拭えなかった。

 

さて、残念な点が幾つか目についた。

まず、若手の、のみならず、ベテランも含めて、
とにかく演技の下手さかげんに辟易。

なんなんだろ、、、

子どもの学芸会じゃあるまいし、わざとらしさが鼻につく、こういう「大根」ぶりって。。。

 

欧米あたりの若い俳優なんて、十代でも堂々たる演技の、ほんとに自然で上手い人が多いのに。

どこから来るの?この差は。

 

概ねの日本人は、容姿や雰囲気の地味さが どうしようもないから、
いっそ、主人公の女中役のように、地味に地味に やるくらいのほうが、かえって、もともとの地に見合ってて自然体に見えるくらいなんだわな。

 

ヒロインの妹の子(大甥?)を演じた若手俳優、そのガールフレンドを演じた女の子、のみならず、
(準?あるいは、もう一人の)ヒロインたる「奥さま」役を演じた、松たか子さん、この人までも含めて、ヘッタだなあ~と感じた。

 

感想コメントのなかには、松たか子の声が()綺麗だとか、べた褒めの人も いたし、
どうやら、世間では総じて、松たか子の演技は高評価のようなのだけれど、

すまぬが、私は、観ているあいだじゅう、
「この女優さんて、演じているところは初めて見たけど、顔だちや雰囲気から想像していたとおりの演技力、それ以上に、なに?この声は。セリフまわしからして、えらく上っ調子で、なんとかならんのか」
としか思えなかった。

 

いやいや、
彼女の、他での仕事ぶりは一切、見たことないので、あの映画に おいては、ああいう独特の上っ調子な演出を敢えて したのかも しれない。。。

なにしろ、女性の参政権すらなかった昭和初期の、裕福な「奥さま」つう、どこかファンタジー調のレトロ感を出さなきゃいけないんだものね。下町の八百屋や魚屋の「おかみさん」でもなく、飲んだくれ亭主を抱えた貧乏長屋のカアチャンでもなく。

 

ただ、歌舞伎の家の出身だけあって、和服の着こなし、身のこなしだけは、さすがに、板についているわねって感じだった。

ごめんね~、アケスケ正直過ぎて。

もちろん、松たか子さん その人、また、一人の女優さんとしては、好きも嫌いも何も思わないのだけれどね。

先述したとおり、テレビも見なくなって久しい私は、彼女の演技は、他のものを、まだ見たことが ないし、あくまでも、この作品内に おける、個人的感想です。

 

ただし、(こっちが準?)ヒロインの女中さんを演じた女の子だけは、時代のみならず、生育環境も甚だ遠いはずながら、お手本が見つけられたのか どうか、よくぞ、この若さで ここまで、、、と褒めてあげたい気持ちは ある(どうりで、国外の有名な映画祭で受賞したそうな)

こうしてみると、
やっぱり、日本人は基本的に、地味な役柄のほうが、演じていて似合うのかな。

 

また、「奥さまの親友」役の中嶋朋子さんは、たぶん、子役時代から そうだったのだろうが、私は、そのことも よく知らないんだけど、とても上手い女優さんだなと思った。

 

吉岡秀隆くんも、あの時代の、いかにもな芸術志向的青年の雰囲気を、まぁそれなりに(?笑)良い味で出してたと思う。

 

ベテラン俳優さんでさえも、なんかイマイチだなと思う人も いるいっぽうで、

「タキ」の見合い場面で登場した笹野高史氏ら、年配の俳優さんたちとか、

ま、さすがに、と思えたのは、終盤で登場した米倉斉加年さん。
ほんと久しぶりに見たけど、この出演後、ほどなくして亡くなられたらしいね。

 

現実でも高齢となられた倍賞千恵子さんの老女ぶりも、やっぱり、どこかキレイめなのは、しかたないとしても
(ごく若い頃の彼女が演じている、昔の映画も、テレビでチラッと見たことあるのを憶えているが、ほんとに、小柄で可愛くて綺麗だった)

残念な思いを齎したのは、
晩年の「タキ」を演じる倍賞さんの、いやに綺麗な爪先。まあ、やっぱり女優さんだもんねえ、とは思ったけど(苦笑)

あれだけ「リアル」を心がけた演技も、いかにもな「昭和レトロ」感満載の室内も、あの綺麗すぎる手と爪で、いっぺんにブチこわし。

 

「小さい おうち」を取り巻く人間模様、出来事、その時代背景、すべてが、どこか夢のなかの お話っぽい設定で演出してあるものなら、
ひるがえって、倍賞さんたちが演じる、その後の「現実」は、一線を画すようにリアルを前面に打ち出して、隙を見せては ならなかったと思うのだけれど、大甥を演じた若手俳優さん、そのカノジョ役の人も、リアル感を ぶち壊す手伝いしただけ、って印象。

 

あとね、

人物設定が、誤解し易い、たとえば、「おばあちゃん」と呼ばれていても、本当は「大伯母さん」なのだというところを誤解しているままの人が少なくなかったし、

字幕が ないことも原因で、ふだん、日本映画は、つい敬遠しがちな私も、終盤で登場した米倉斉加年氏の役を、「板倉」と間違えそうになってた。

 

 

結局、たいした話じゃない、といった感想も、投稿コメントのなかに散見されたが、

『ウィキペディア』によれば、

「肝心の恋愛事件が この程度では軽すぎ」という批判の声は、なるほどの()、あの、故 渡辺淳一氏だったそうだ。

たしかに、話そのものは類型的でもあるし、なんてことないと言えるのかもしれない。

 

もっとも、
私は、渡辺氏の著作というと、そもそもの御職業だった医師としての立場で、種々の疾病について平明な短文で解説された本しか読んだことが なく、それでも、かずかずの恋愛小説で鳴らした作家さんであることを知っているだけだが、

たった一作品ながら、こちらは実際に読んだことのある宮部みゆき氏。

ある新聞にて連載当時に、圧倒的な人物描写(ある意味で、やはり類型的な描きかたでは あるのだが、それが また、めっぽう上手いときているもんだから)且つ筆力に感心し、毎回ワクワクはらはらしつつ読んだものだ。

この宮部氏は、『小さいおうち』について、「この設定なら  もっと いろいろなことが できるのに」と述べられたそうで、

先述の渡辺氏も宮部氏も、各自の作風に照らして、やっぱり、ご本人の作品と同じような特徴が滲み出るもんだなあと、この お二方それぞれ、いかにも言いそうな批評であることに、思わず笑いが こみあげた。

 

 

…そうねぇ、

原作の内容とは異なっているらしいが、あくまで、この映画について言うなら、

「タキ」の恋心は、同性である「奥さま」に対して、少なくとも、はじめのうちは、母性感覚の混じり合った、恋慕に近い憧憬、これ、私は(「小津安二郎」のみならず)制服の処女』という、昔のドイツ映画をも連想したけれど、

異性である「板倉」に対して、「奥さま」との肉欲の伴う生々しい恋愛感情と相俟って、それを間接的に目撃していたタキ自身、「奥さま」に対する純粋だった憧憬が、徐々に屈折を帯び始め、
やがて、召集令状が届いた板倉に、そっと、別れのハグを されたとき、みずからにも生々しい恋情の目覚めが促されたのかもしれない。

 

このことは、私自身、個人的に分かるところは あるのだけれど、異性と同性どちらに対しても恋慕の思いや肉欲の伴う恋情が向かうことは同様にある、しかしながら、
男性と女性とでは、やはり、どこか、恋情の向かっていきかたが、説明し難いほど微妙に異なる面も ある。

このへんのことは、実質、「妻」として長年連れ添った同性パートナーが ありながら、一時期、ある男性に対して、思いがけぬ、つよい恋愛感情を覚まされたときの、まさに吉屋信子さんの心情も、そのようであったろうと思う。

 

女性どうしの「恋愛」の場合、むしろ「母子」に近い関係になることが多いと聞いたことは あるが、一般に、男性に対する女性の感情や態度も、多かれ少なかれ「母親」的になっていくのは、世間でも、特に夫婦間で ありがちなパターンだ。

 

 

以前にも、当ブログは、どこかのエントリーで、

ある人が、思わずフきだしたという、

『マツザカヤ夏の お中元セール』なる平和そのものな日常のノンビリ感あふれる広告が、戦時中の新聞に載っていたのだという意外な事実を紹介されていたことを短く述べておいたが、

くだんの映画の、また、原作者の骨子とするところというのは、
「恋愛(不倫)事件」そのものを描くとかでは なく、

現代の われわれと殆ど変わらない日常の基本的生活感覚、心情、それぞれの選択や人生、
そういった ことごとくが、あれよあれよと流れていった最後には、有無を言わせず無理やり遮断されてしまう、強大な非情さ恐ろしさ、そして、

のちの時代の、まさに「戦争を知らない」われわれの受けた教育、
そこから影響されて展開する想像と、
あの時代を実際に生きていた人たちの思い、ならびに現実、それらとの乖離、というところにあったのだろうと察する。

 

 

けれども、

ここで再び取りあげる下記の話も、たしか、旧ブログにて紹介したことが あったと記憶しているものだが、
私が20歳代か30歳代頃に、新聞に連載されていた記事である。

その方面では知られているらしい女性の、亡くなった実母さんが、若い頃から几帳面に書き残していた日記には、戦時中の日常生活についての思いや苦労も記されてあり、それを読んでみれば、

ちょうど、くだんの映画の「平井家」のような、少なくとも「中の上クラス」層に含まれる御家庭だったのだろうと思われるが、

戦況深まり、悪化につれ、
隣り近所など、いたって和やかに つきあってきた人間関係が、
日に日に、疑心暗鬼や利己的なものへと変化していき、
ギスギスと、じつに いやらしい雰囲気になってしまったと嘆く くだりも出てくるということだった。

このような現実も、あの戦時中、厳然として あったということは、やはり、忘れるわけに いくまい。

 

 

現実を生きた個人の、商売無関係の日記に綴られていた思いと、娯楽・興行でもある映画との違いと言うべきか、

かの『禁じられた遊び』との圧倒的な出来ばえの差と言うか。

 

 

Updated   
2018.05.15 (Tue)

重く厚い扉を滑らかに開く大鍵

今し差し出された幼い手に余る三方の

その上に丁重に載せられた鍵

春の日の「大 大阪」の面影

 

 

はや先月のことになったが、
『淀屋橋』方面にて所用を済ませたあとも、まだノンビリした昼下がりの時間帯、よく晴れて、じつに久しぶりの『中之島』とて、こちらでは、道端の桜も終わりかけの春の一日、大阪市役所隣接の『中之島 中央公会堂』などを、ぶらぶらと見てまわった。

 

ほんとうは、相変わらずの不眠ぎみと体調不良で、だいぶ疲れていたのだけれど、
親の介護と仕事を両立させるの日々のあと、疲れが嵩じると、かえって、どこかのネジが外れて飛んで行ってしまったかのような、奇妙な状態に陥る体質に、急激に なってしまった私は、ほとんど ひらきなおりの気分になり、

じつは、大阪生まれの大阪育ちとは言え、まだ、ここの内部に入ったこともなかったので、

まずは、ヨーロッパの都市の街角に佇んでいる錯覚を起こしそうな、重厚な壁、窓、扉を、ひとしきり眺め、立派な街灯の台石などに、そっと触れたりしつつ、地下に併設されているレストランに通じる出入口への煉瓦の階段を降りて行った。

 

公会堂内部に入ると、古い教会にあるような、簡素な木製なのに、腰が しっくりと納まる椅子、つやのある木のタイルを敷き詰めた、歩きやすい床。。。全体に、『アール ヌーヴォー』の趣きが満ちる内部の部屋部屋を横目に通り過ぎて、ここを建立した、志しある「大阪商人哲学」を体現したような人物を偲ぶ一室へと、いざなわれるように差しかかった。

 

かつて、ここの宴の場にて使用されたという華やかな銀器類、大ぶりで垢抜けしたカトラリーの類を見、

春の一日を楽しむ花見へと、家人たちを送り出したあとに、自身は、
「その秋を待たで」
…と詠んで自死したという、その年齢の若さに、あらためて驚き、

故人の遺児である令嬢が、4歳の幼い手で、三方に載せた、公会堂の鍵を、付き添いの婦人に介助されつつ、当時の市長へ差し出す写真を眺め、しばしの感慨に耽ってから、その展示室を出た。

 

ひんやりと小暗い公会堂を出てみれば、なお まだ春の陽ざしが照りつけて、なまぬるい街かどの喧騒に混じれば、異なる時代への短い旅から、今しがた戻ったかのようだ。

 

 

いいかげん、このへんで帰路につこうと、川沿いの道を、もと来た地下鉄駅に向かった。そろそろ痛みが激しくなってきた足を なだめながら歩いていて、ちと驚いたのは、

老若男女の人々が、なぜか、一列になって、川のほうに向いて立っており、一様に、スマホのカメラを差し掲げている。

何を、ことさら熱心に撮っているのやら、私には分からなかったが、中国あたりからの旅行客も含んだ一団だろうか。

 

川にカメラを向けている人たち以外に、そこ ここで佇んでいる人たちも、やはり、それぞれの手にしているスマホを見詰めながら、頻りにチマチマと指を動かして操作中。

 

やっと降り立った駅のホームでも、ものの見事に、ベンチに座っている人たち全員、スマホの画面に目を落としている。

いや、なかに一人だけ、愛用品らしき赤いカバーを被せた小ぶりな本を開いて読書している中年女性が混じっていて、その姿が、いまどき妙に珍しくも奥ゆかしいものに感じられた。

 

電車に乗り込んでも、やっぱりスマホ、スマホ、どの人もスマホ。手にしていないのは、ほぼ私だけじゃなかろうか。

こうも一様に、握りしめたスマホを見詰める老若男女の群れを見ていると、なかなかにブキミ悪さすら もよおしてくる。

 

 

近頃、私の自宅周辺の通りでも、車の往来が頻繁な狭い道を、自転車に乗っている人が、けっこうなスピードを出しながら、完全に、目は、片手に握ったスマホの画面だけを凝視して走っている、
それが、子どもじゃなくて中高年のオッサンだったりするのだから、甚だ危険を感じると同時にホトホト呆れたものだが、あそこまでいくと、完全にビョーキとしか思われぬ。

 

 

昔日の小さきのひら差し出せしかろやかに放てる扉

 

人々は眼(まなこ)貼り付け握りしめ閉じこもるスマホの窓の内