2022.01.08 (Sat)
名優シドニー・ポワティエが亡くなったらしい。94歳だったそうな。
『野の百合』は、中学か高校生の頃に、テレビの洋画放送番組で、親と共に、茶の間で観た記憶が ある。
ストーリーも感動的だったが、とても力強い存在感のある俳優さんという印象だった。
『いつも心に太陽を“To Sir With Love”』のほうは、中学校の行事の一つだった映画鑑賞会で、講堂にて上映された。この映画は、遠い異国であるイギリスが舞台だし、登場する学生たちは高校生で、時代も世代も、われわれより上なんだけれど、それでも、級友たちの多くが、大いに共感を覚えたようだったが、ここでも、新任教師役のポワチエの存在感は格別で、ただただカッコよくて。
それにしても、あの当時からイギリスでは、すでに、黒人やアジア系の人たちを多く受け入れていたんだな。
私は、登場する生徒役の一人でもあった「ルル」による、時代のスタイルと情感あふれるオシャレな主題歌に、たちまち夢中になり、
当時は、ラジオのFM放送で、たまたま流れてきたのを辛うじてカセットテープに録音し、「やったぜー!!」と喜び勇んで、親しくしていた友人に、何を言っているのか、英語の歌詞を聞き取ってもらったりして、そのまんま覚えてカバーしたりしたものだが、
ところが、だいぶトシくってから、『ユーチューブ』の動画を手軽に観ることが できるようになったときは、あらためて、なつかしの主題歌を聴くことも できるようになり、ほんとうに嬉しかった。
ただし、学校時分に、友人に聴き取ってもらった発音が、かなりの部分でメチャクチャだったことも分かった(苦笑)
以前にも触れたように、洋画鑑賞を特に好んでいた うちの母親の持論が、
「子どもと動物が出てくる映画と、主題曲が名曲の映画は、まず、ハズレが ない」
というものだったのだが、これは当たってると思う(笑)
『野の百合』の主題歌も、これもカセットテープに録音していたのだが、
いかにも「ブラック スピリッツ」溢れるような、素朴で力強い歌唱である。一度聴いたら、忘れられない。
ただ、これは、ポワチエが歌っているのでは なく、別の人による吹き替えらしいと聞いている。
ポワチエの出演作で、まだ観ていない有名なものも あるので、近いうちに観てみたい。
“Lilies of the Field~Amen”
うちのブログで、何度か紹介してきた『いつも心に太陽を』。その主題歌を再び。
そして、すばらしい俳優だったシドニー・ポワチエへ。
Rest in Peace.
“To Sir With Love Tribute (Lyrics)”
Lulu“To Sir With Love”
2022.01.08 (Sat)
ちょっと前置きから。
いやはや、『立憲民主党』の頼りなさが、またぞろ露呈した!というので、大手メディアも、なぜか悦ばし気にバッシング記事を出しているのが興味深いがw
どこぞのメディアの運営番組に大金を出して協力していたというのは、
(『自民だっぴ党』が中心となって蔓延させてきたと思しき)
近頃の「フェイク ニュース」横行を防ぐためだった、とかいう「釈明」なのだそうだがww
うんうん、わからんでもないw
これが『自民だっぴ党』なら、いつものように、ぶ厚い札束で引っぱたきつつ、番組の内容にも全面的に口出しするのは、火を見るより明らかだもんね(嗤)
たぶん、今回の告発を発表した人たちは、『自民だっぴ党』のシンパで あるはずもなく、むしろ、『立憲民主党』などの野党支持側であろうはずだから、これは、まだ、「自浄能力」が はたらいているのだと見做せるだろうか。
その点、
『自民だっぴ党』なら、その支持者も共に、汚いの大好きで腐敗し果てているから、「自浄能力」なんて、カケラも ない(嗤)
ま、
最も大きな権力の座を占めている者が、汚く腐れ果てておるからこそ、
それに対抗しようという姿勢をアピールする者は、かえって、
たとえ真っ当な動機から発したものであったとしても、どんな小さなことであっても、一切の隙を見せられないのよwわかる?ww
それが できないと、「やっぱり頼りない」と言われちゃうの。
依然として深い利害関係が ある者らは当然のことで、それを絶たせようとする者を憎く、邪魔だと思ってるし、
そうでは ない者で あっても、
汚く、腐り果てていることが とっくに分かりきってる者に対して、特に利害関係もないかぎりは、誰も期待なんか しや しないけど、
少しでもマシかなと思ってる者の裏の顔が見えたり、思わぬヘマを やらかした!となったら、汚く腐ってる者に対してよりも、もっともっと叩きまくるわよねww
驚きもない「またかよ」じゃなく、意外な裏切られ感が あるからでしょうかね。
世のなか、えてして、そんなもんだ。
はい、次のニュース。
とあるビルのなかの女性用トイレに、女装した男が入り込んでいて、それまでにも繰り返していたことから、ついに しょっぴかれたという。
当人は、あれこれ言い訳しているようだが、同じ場所に「多目的トイレ」も あるのを無視して、あえて女性用に入っていたということだから、本心は知れてると思う。
だいたい、女装して、浴場や女性専用のスペースに入り込むなんて事件は、何度も起きてる。
これは、「ヤフゴミ捨て場」のなかでも、ほぼ二手に分かれていて、一方は、やはり、「多目的トイレ」が あるにも かかわらず、ということで、私と同じような見解を述べる投稿者、
あるいは、
仮に、本人自身の、自分は女性だという認識から、男性用トイレを使用するのは厭であると同時に、女性用トイレを使用してもよいだろうという感覚が あったとしても、それでも、他人に対する基本的な気遣いが なさ過ぎとか、エゴが過ぎるといった見解。これも、もっともだと思う。
私は、いわゆる「性自認」とか「トランス ジェンダー」などの問題も、科学的観点で考えてさえ、母胎のなかにいたときの微妙な作用で、わりとカンタンに起きることだと聞いているし、それほどには特異なる現象でもないらしいとも知っているが、出生後の環境や心理的な作用など様々な要因も絡んでいるのだろうと思うけれど、いずれにせよ、ここで問われるべきなのは、やはり、「自分が自分が」では通らないということ。
現実的に考えたら、それほど特異な現象でないにせよ、やはり、どちらかの性を明らかに備えて出生し、その性に応じた感覚を備えている場合が、世のなか圧倒的多数なのであるから、
少なくとも、パッと見てでさえ、女性では ないと容易に察せられる者が、無理に異性装を してという、それは要するに、「異様な風体」に等しく、
そんな姿で、
本来なら、入っては ならない場所に出没しているとなったら、どう思われるか程度の考慮や配慮は、おとなとして当然だろう。
と、このような指摘も少なくなかったが、
同じトイレ内に いるのが、たとえ、同性愛の女性であってさえも、女性を自認する女装の男性に対する脅威感や不安とは、比べものにならないのだ。
本人ばかりは女性のつもりで、ばっちり女装していても、基本的に男性の腕力には太刀打ちし難いうえ、頻々と起きる性犯罪の ほぼ全てが、男性によって起こされているという現実も ある以上は、もしも男女逆に、男性用トイレに女性が入り込んできたとしても、その場合とは根本的な脅威感が異なるってことだ。
この事件の場合は、「多目的トイレ」が あるのに、それを使わず、
しかも、
「いけないことだと」当人も認識しておりながら、「女性だと認められているような気が して」などと、理由にもならないヘリクツを述べていることで、猛烈なエゴイスティックの、まさに少数派だということは分かる。
それは、「性自認」などとは何ら関係ない、ただのヘンタイ、性犯罪者だということ。
おおかた、女性用のトイレ空間のなかにいる自分、ということにコーフンしてるんだろうて。
そう言えば、女性用の浴場に入り込んでいた男も、同じようなことを供述してたらしいよね。
一般的な女性が、ふつうに男性を好きと思うよりも、もっともっと、もっともっとw世間の男性の多くは、女性が好きで好きでwたまらなく好きで、
どんなに大好きでも、犯罪に及ぶまでには至らない。
たいがいは、ガマンして、理性で抑え込んでいるだろう。
だから、
ヘンタイも性犯罪者も、世のなかの少数派であり、「マイノリティ」のうちに入るわけだww
私も障碍持ちだから分かるが、自分と同様の障碍を持っている人が、何らかの問題行為や、まして犯罪を起こしたとなると、全く無関係の他人でも、聞けば、なんとなく、肩身の狭くなる感覚が起きるものだ。
これと似たような感覚を、「性自認」や「ジェンダー」の問題を抱えている当事者たちも感じるだろうと思う。
なので、
一般的な感覚の女性には勿論のこと、当事者たちにも、陰に陽に多大な迷惑を かけているはず。
まあ、およそ犯罪者や、最低限の社会的ルールを守ろうともしない者に往々共通しているのが、独り善がり甚だしいエゴイストというものだ。
さておき、
「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんの ありさまは、当該事件の男が、単なる性的犯罪者の類であろうということは棚上げして、さっそく、話のズラしを図り、ここでも、おのれの政治的スタンスから、「ヒダリがー」だの「活動家が」だのと、いつものイヤラシさ満開の決めつけ定番セリフを並べ立てていることだ。
ほんとうに、どうしようもなく、低知性・品性の卑しい連中よ。
それと、
これまでにも見かけていたけど、
男性用トイレに、掃除担当とか、または、のっぴきならない理由で、あえて女性が入ってきたりするのを糾弾するコメント投稿者ら。
単に掃除担当の男性が出入りしているのは、あまり、気にしなかった私ですら、男性用トイレに入っていくくらいなら、まずはガマンするか、待てなければ、別のトイレを急いで探すけれど、それは、男性用トイレを使うこと自体に不潔感とか嫌悪感を もよおしてしまうからなので、あくまで私個人の理由に過ぎないがw
先述したように、
女性用トイレに、たとえ掃除のためであろうとも、男性が入ってくることの不快感は、多くの女性にとって、ほぼ脅威に近いものが混じる、
したがって、男性にとっての不快感とは比べようが ないほど深刻なものが あるということ、これを認識しておいてもらわないとね。
なので、ヤフゴミんのような軽々さで論じられるものでは ないのよ。
ほんとに、『ヤフーコメント』欄の迷惑はなはだしいことよ!
いくら「改善」しましたぁ、と運営が得意げに唱えても、これじゃダメだし、たぶん、ほぼ永久に無理だろう。
それくらい、世のなか、おゲレツが消えて なくなることは ないのだから、さっさと、コメント欄を閉鎖せい!!
ところで、
たしか北欧の、どこかの国では、「徴兵制」を敷いているそうで、去年か一昨年だったか忘れたけど、これまでのような男女別を一切廃止して、もう、居室からバスルームから何から全ての設備を男女共用にした、というニュースを読んだ記憶が ある。
あれから、どうなったかなという興味を持っているのだけど、うまく いってるんだろうか?
いわゆる欧米圏の女性って、男性以上に、一般的日本人には、ちょっと想像しにくいほどの、気の強さみたいな傾向が あるようだと思える印象なんだけど、
その、どこかの国の、徴兵された若い女性たちも、全く、気になんか ならない!気にしてない!ふうな強気の姿勢で、むしろ男性たちのほうが、気を遣うんじゃないかなとも思えたけど。
なまじ、男女別にするから、ヘンに意識してしまうということも あるのかもだが。
ま、およそカラッとした気風のない日本では無理な話だろうな。
隠すこと自体にも性的にコーフンするような傾向だし、なんせ、避難所のなかでさえも、鵜の目鷹の目、隙あらば性犯罪を起こそうと目論む、陰湿な男性が多いからね。
さて、ひとつ、興味深い逸話を。
私が学校時分に、母親から聞いた話。
うちの母親は、大阪ど真ん中の下町育ちで、当時は、ご近所に、歌舞伎の役者さんなども住んでいたそうだ。
なかには、端役の役者どうし(つまり、男性どうし)のカップルも いて、
うちの母親は、何かのキッカケで、そんなカップルの世帯に、何度か遊びに行っていたことが あるらしい。
ただし、そこの おじさんが、家に居ないときに限られていて、
「おばさん」は、夕刻が近づいてくる午後3時くらいになると、きまって、
「さ、もう、うちに お帰り。おじさんも帰ってくるからね」
と言い、
晩御飯の したくに取り掛かったり、あるいは、おふろ屋へ向かったりしたという。
うちの母親は、実母(私の実祖母)を、幼い弟妹を遺されたまま、小学校の2年生の年齢で、思いがけず亡くしているので、その役者カップルの片方、つまり「女形」を やっていて、私生活でも、女性の役割を任じていた人が、不憫に思ってなのか、ちょっとした家事などの やりかたや料理のコツを教えてくれたりも したそうだ。
料理も裁縫も、そのへんの主婦よりも上手に できる、身仕舞も、清潔感ある、きちんとした人だったらしい。
で、その おふろ屋だが、これが、毎回、「一番風呂」だったそうな。
もちろん、「おばさん」は、「男湯」のほうに入る。
だからこそ、「一番風呂」なのだ。
おふろ屋のノレンが掛けられると同時に入り、他の男性客が入ってくる前に、さっさと済ませて出てくる。
その女形役者の「おばさん」は、まさに女性としての自負が つよく、常にシャキッとした佇まいだったと言う。
2022.01.05 (Wed)
『【続・続】久方ぶりの科学系記事』の続き。
私は、当初から言ってたんだけど。
あいにく、個々の家庭に、不織布マスクが ないのなら、タオルとか大判ハンカチとかバンダナなどで、当座は しのぐしかないんじゃないかと。
アベシの顔面が、ふつうの人より大きいにせよw鼻が出るか、口が出るか、みたいなサイズの、
それも、「コロナ ウィルス」予防効果は皆無に等しいというガーゼ素材の小さなサイズのマスクと比べて、どっちがマシですかね。
私も、「カビが虫が髪の毛が」の騒ぎが起きてから、念の為に、よく見てみたら、あ?やっぱり?
という感じだったので、カビは、必ずしも、目に見えるとは限らないそうだし、肌と鼻・口に密着するのだから、いずれにせよ、事前に洗ってからでないと、むざむざ捨てるのも、とは思っていたけれど、洗うと、ますます縮むからなあ~と思案したまま、結局、使わずじまい。
『TBS』も、どういう本音が あるのやら、『伊勢神宮』(すなわち『皇室』)のモロに宣伝みたいな番組内容を やってたようで、ほんとにバカみたいだと思うけど、
いくら「ウヨ」御用達の『自民だっぴ党』と言えども、首相の「仕事始め」が『伊勢神宮』参拝から、というのは怪しからんと思うぞ。
『靖国』問題と言い、なさけない。。。
だから、
どんだけの大失敗しようが、そこから いつまで経とうが相変わらずで、
まるで未開人の国のまんまだな!っつうのよ。
私らが小学生時代の教員などは、いわゆる「アカ」が殆ど、というのが「ウヨ」「ネトウヨ」の定番セリフの一つだが、
だけどもね、
修学旅行の定番メニューは揺るぎなく『伊勢神宮』だったんだからねw
いま振り返ると、洗脳も同然だわよww
日本のメディア全体に、相変わらずの『皇室』マンセーが多くて、ほんとうに、鼻につく。
こんなの従来からだが、
一般国民を、『皇室』について無関心にしてしまったら困る!という本音を剥き出しに、連日のニュースを並べ立てている。
政治の世界では、陰に陽に「『皇室』利用」が明白だし
(夏の『五輪』開催決行か中止かで、『立憲民主党』の議員が大バカ晒したのも、記憶に新しい)、
商売人とメディアの各界は、昔から大きな飯のタネなもんだから、『皇室』チヤホヤ、
その反面で、まだ未成年の跡取り息子を槍玉に あげたりすることさえも辞さず。
しかし、やっぱり、小室氏への「お膳立て」の数々は、『秋篠宮』家自身の意向に他ならなかったのかと、今になって分かる。
それは、『秋篠宮』家の子どもたち全員に対して行われてきた特別待遇と全く同様のパターンであることがハッキリしてきたからだ。
学歴や経歴の「お膳立て」、
数十億円もの御殿の建設、
たった数千万円のティアラなんぞ、小さな小さなことだろうに(?)w
「愛子さまの乱」だー!!「オイタワシイことだ!!」と大騒ぎ。
ばかばかしい。。。
「籠の鳥つらい」の佳子さんもね、はやいとこ、『皇籍離脱』して、一般人になっておくことだった。
お姉さんのように、何かしら問題が あると反対される相手と、敢えての結婚したいとなったときのことを考えて、できるだけ はやくから、そうしておくべきだった。
『皇室』の人員が、いよいよ乏しくなってきた!つっても、そういうことになった原因は、そもそも『天皇』『皇室』自身、そうなるような方向へ、荒唐無稽な「神話」の数々を拵えて
(ここでも、朝鮮人の好むパターンと同じw)、
歴代が主張してきたからだ。
時の実権を失って久しく遠ざかっていた間にも、それを新しく手に入れた相手方と結託し、「舶来の権威」商売を続け、
シモジモを洗脳しつつ仕向けてきたのが第一の原因。
ビンボー武士の倅たちによって
(そう言えば、このときも、『アメリカ』が絡んでいたw)、
思いがけずも華々しく返り咲きさせてもらったあとは、
いよいよ「現人神」を、つよく つよくアピール。
完膚なきまでの敗戦を経たあとも、無謬の「神聖」ぶりを気取り続けた。
思えば、
ささっと「被害者側」に回った、見かけに よらず、変わり身の早い『昭和天皇』と、勝者たる巨人『アメリカ』の密約。
アメリカは、日本の何倍もアタマが はたらき、はるかに上(うわ)手だったのだと、今にして、つくづく実感する。
まさに自業自得としか言いようが ないがな。
それが、いまや、うまいこと「旧『皇族』」を復権させて、あわよくば、戦前のレベルにまで拡大し、人数と規模を戻そうとしているようにも見える。
それは、
すなわち、『皇室』用の税金と特権を増大させることに他ならない。
一般国民・民衆はヒイヒイ言ってるのに、ほんと、バカバカしい国だ。
ひるがえって、
「女系『天皇』」を制度として認めてしまったら、いよいよ、単なる「血筋」「家柄」差別にしかならんでしょ!という指摘に、豪も応えようともしない野党たち。
『日本共産党』までが、「女性差別だから」云々と主張し始めた。
まあ、現『憲法』を、『ジミンだっぴ党』に弄らせたら、どんなことになるやら恐ろしいものが あるから、とりあえずにせよ、現憲法を、そのまま維持するために、さしあたっては『天皇制』も維持という大前提で言っているんだろうとは察してるけど。
もしもだが、愛子さんを、初の「女性『天皇』また「女系『天皇』」にさせて、彼女も、やはりメンタルの弱さを隠しきれなくなったときに、ギャーギャー主張しているアホな民衆と、これにオモネってクルクル「猫の目」の政治屋どもは、どう責任を とるつもりなのか。
かと言って、
私自身も、少なくとも『秋篠宮』ご自身は、もう無理になったなと思う。
あの御夫妻が『天皇・皇后』として、さも重々しく「新年のオコトバ」を垂れられても、どれだけの国民が、耳を傾け、ありがたく思うのだろうか。
私なんかは、とうの むかしから、「おことば」なんぞに無関心だけど。
『皇室』関係の行事は、すなわち、政教分離違反。
しかも、莫大な税金を費やす。やれば やるほど、国庫が傾く。
そういったことの考慮も せずに、
とにかく、『皇族』と名乗る、特定の家を維持することしか考えない。
「男系」でないと、「なんたら『天皇』」にまで遡って辿り着かないとか「万世一系」こそが世界に冠たる伝統だとか、
それが守りとおすべき伝統の重みであると、『天皇』『皇室』みずからが主張し続けてきたんだから、とことん守り通させれば よい。
守り通して、どうしても滅びるものは、その時が来たら滅びる。
自然の流れに抗い、無理くりに続ける『皇室』なんて、それ自体が、『皇室』の伝統と相反しているはずじゃないか。
あの特別扱いされてきた「家」、とうの昔に廃止されるべきだった制度が途絶えたところで、シモジモ国民・民衆の誰が本当に困るんや???
誰か答えてみいや。
いいかげん、不自然はなはだしき時代錯誤は やめることだ。
「共和制」で よろし!
『自・公』政権与党は勿論のことだが、
『立憲民主党』や『日本共産党』といった野党の側もだ。
『皇室』の人員確保!とか「女性『天皇』」「女系『天皇』」を認めよ!とか盛んに主張する、その情熱と同じくらい、いや、それ以上に。
ヒイヒイ言ってる一般国民の生活のために、もっと奮闘してもらえませんかね?
ちゃんと見てるか?気にしてるか?
自殺と、通り魔的・巻き添えテロ的犯罪事件が頻々と起きてる、この社会状況を。
…もう、いやんなっちゃうよ。
新年を迎えての今回エントリーは、久々に、『宇宙』の話題を取り上げたけれど、
その宇宙へ、飽くなき探索の手足を延ばせるところまでも来た人類は、たしかに大したもんだと思うのだけれど、
いずれ、宇宙空間も、人類のせいで、ゴミだらけにしてしまいそうだ。
そうなる前に、一切合切、滅びるんだろうけど。
「驕れるも猛きも、久しからず。ついには滅びぬ」
「ひとえに、風の前の塵に同じ」
で、
また同じ繰り返しで発生して、すったらもんだらして、また滅びる。。。
いらんわ。w
と、
今にも折れそうな、か細い一本の葦である私は、夜空を見上げて考えるわけです(苦笑)
2022.01.05 (Wed)
『【続】久方ぶりの科学系記事~「すべての有機物は滑る」――水の誕生』の続き。
こんな世界に、子をホイホイ産み落とした連中に、文句を言う資格なんか ありゃしないだろとは思うけど。
子を産むってことは、この世界を全く肯定しておりますです、って宣言に他ならないはずで。
え、違うってか?おや親おや(苦笑)
これまでにも言及してきたように、
中学生頃には、心ひそかに思っていたとおり、
子を産むことは なかった、
だからこそ、言いたいこと言えるwそんな私にとって、
この世の摂理と宇宙は、ともに残酷なシステムで、醜くて、グロテスクなシロモノだ。
よくまあ、こんな余計なもん発生して、、、とすら思える。
いつぞやも言ったことだけど、
「おまえなんか産むんじゃなかった!!おまえのせいで苦労する!」と、
私が幼稚園児にも届かないほど幼い年齢の頃から日々に罵り続けていた母親は、また、
「満天の星空なんか見たら、思わずウッと息苦しくなる」と、
私が10代か20代の頃、何かの話の おりに、ふと言っていたのを憶えているのだが、
それくらい、ブキミで気持ち悪いという意味だったようで、
さすがに、当時の私自身には、まだ、そういう感覚は希薄だったので、少々の意外さが あったゆえか、母親の このコトバを、ずっと憶えていた。
私が子どもだった頃の夜空には、もっと たくさんの星が並んでいるのが見えたもんだけど、
いまどきは、おりおりに見上げ、しばし眺め続けても、なんだか ずいぶんと、星の数が減ってしまったように思える。
私が現在のところ入居している建物の最上階は、共用廊下から下の階へ降りていく階段の踊り場のスペースが、ちょっとオモシロいことに、なんだか「物見やぐら」っぽいような雰囲気だなあと、引っ越してきた当初から感じていたのだが、
その、そこだけ四角く区切られたような小さな空間に立ち、この建物自体とは反対側を向いて、外のほうを眺めると、直接、視界を遮ってくるような高層ビルなどもないので、かなり遠くまで見渡せる。そのまま、屋根のない真上へと視線を移し、ぐっと近く感じる大空を見上げていると、本当に、「物見やぐら」か何かに登って見上げているかのような錯覚を起こしそうになるくらい、広く見渡せるし、夜空も、また、朝焼けと日の出の空も美しく眺められる。
かなり古い、マンションというより、ぼろアパート(?)に近いwここに来る前までは、まっさらの新築か、そうでなくても、もっと広くてキレイな、設備も良いマンションしか入居したことが なかったので、「落ちぶれたなあ~って感じ。。。」と、われながら、いささかナサケナイような気分に陥ったものだが、でも、ま、先述したような、ちょっぴり おトク気分になれるような良い部分も あるわけで。まずは静かだし、クリスマス シーズンには、教会のイルミネーションに輝くマリア像やツリーを眺められるし(笑)
そういうことで、
私個人の近年は、思いがけない経緯から、空を眺めることが増えたわけなんだけれど、
さっき言ったように、けっこう良い条件で眺められるわりには、子どもの頃と比べて、星の数が、ずいぶん減ったように見えるのは、なぜなのかなあ?と疑問に思ったりしている。
まあ、ここいらも、田舎じゃないのだし、いわゆる「光害」の影響とか、トシくった自分の視力の衰えかな?とか、いろいろ推察してみるものの、
雨上がりの澄んだ空気の日には、はるかに眺められる山並みの稜線もクッキリして見えるのに、
はたして、その夜の月も磨きあげたようにピカピカして見えるのに、
星は、やっぱり、たくさんは見えないままだ。
そうか、だいぶ、遠ざかってるからなのか(?)w
こういう夜空がアタリマエで育ってきたのであれば、いまの子どもや若者が、少し可哀そうに思えるほどだ。
たしか、『四分儀座』の流星群が見られるよという話題が最近あった。
そのことは すっかり忘れていたのだけれど、たまたま、ちょうど、条件の良い時間帯に、少々、戸外に出る用事が あったので、ついでに、「物見やぐら」に立って、いつも以上に長く、夜明けが訪れる前の夜空を見上げていたのだが、その後のニュース記事によれば、方角も適切だったことを知り、それなのに、流星どころか、いつも見えている星々ですら、かなり ぼやけていたことを疑問に思った。
どうやら、ごく うっすらと雲が かかっていたようだから、そのせいかな。
「ヤフゴミ捨て場」では、20年以上も前の「『獅子座』流星群」の見事さを思い出して、当時の興奮を述べているコメントが並んでいたが、そういうことに関心が つよいほうの私が、とんと憶えていないので、あれぇ?と思ったら、それも なるほどで、ちょうど あの年は、まず、母親が亡くなり、そのあと、ちょうど半年ほど経ってから、母親の妹である叔母が亡くなりで、実家と、遠い叔母の家の法事と後始末が重なって、ただでさえ、病後を過ぎたばかりの私は疲労困憊していたから、夜空を見上げる余裕も なかったんだと気づいた。
もっとも、先述したように、「満天の星空がキモチ悪い」と言っていた うちの母親みたいのも いるのだから、そんな夜は、母親は、けっして、空を見ないよう、ひたすら俯くようにして歩いていたのだろうか。
そして、
私自身、いつしか、母親の、その感覚が、多少、理解できるようになってきたのである。
と言うのも、
いつ頃に自覚したのだったか、自分でも定かでないのだが、いわゆる「天体写真」の類を見るのが不快になってきて、近頃は、かなりの恐怖感すら覚えるようになってしまっている。
この異様な感覚は、宇宙や天体に限らずで、地上の光景でも そう。
たとえば『グーグル』の『ストリート ビュー』とかいうやつなんかで、山とか海そのものを、はるか上空から見た状態の画像なんかを、ついウッカリ、どアップにして見ちゃったときにも感じてしまうようになった。
なんだろな、、、どこか「人工的」な不自然さが加わっているせいなのか?
はっきり言っちゃうんだけど、
えげつなく醜い、、、見るに堪えない、、、ってくらい、不快に感じる。
若い頃に、こういう感覚って、あったかなあ?と、自分でも不可解なんだけども。
ただし、天体写真などは、人工的にカラー処理していることが多いと聞いているのだが、だとしたら、まったく、センスのない、悪趣味な感覚の者による処理だなと思う。
もちろん、山でも海でも夜空でも、通常の写真でとか、ふつうに、目の前で見る状態である分には、不快なんて思わないどころか、いたって爽快なんだけど。
これも『ストリート ビュー』で調べものしていたとき。
住宅地などの平凡な市街地を、『ストビュー』で見ていたら、
何かの ひょうしに、映し出されていた画面の片隅が黒く欠け始めて、
だんだん、その欠けの部分が広がってきて、ついには、侵食してきた真っ黒な穴が、平凡な家並の風景を呑み込んでしまったように見える、そんな現象が起きたことも ある。
白昼の住宅街に突如として出現した『ブラック ホール』さながらだった。
あまりのシュールさに、全身ゾワ~っ。![]()
『ストビュー』見てたら、またぞろ、このヘンな現象が起きやせんかと、ちょいビクビクしてしまうw
遠く遠く離れていれば、神々しくも美しく、静謐で、優しげにすら見えなくもないが、
ぐっと近づけば、世にも怖ろしい形相の、その忌まわしい胎内から産み落とされた、冷淡な悪い母親の、絶え間なく執拗に まとわりついてくる、その邪悪な呪詛のように。
恐いもの見たさ よろしく、自分から近づいていき、
呆けたように凝視し続ける。
そこから、目を逸らすことは、けっして、できない。
いつかは戻っていく場所だから。
…
ところで、
去年も そうだったが、今年も12月下旬になるまで、暖房を全く使わずにガマンしていたのだが、
あまりの寒さで、頭は痛くなってくるわ、気分が悪くなってくるわ、ノドも、おなかも痛いわ、なにも考えられないわで、さすがにスイッチ オンですわ。
やらなきゃならないことも多いしで、ブログの更新を後回しにしていた間にも、人間社会には、大きな事件が一つならず起きている。
まず、政界では、事もあろうに、公的統計データの不正が、またぞろ発覚した。
『第二次安倍政権』以来、この国は、ますます おかしくなっている。
私も、一報を目にしたときから、そんなところじゃないのか、と思っていたように、
どうやら、例の『アベノミクス』が関係しているらしいということだが、
ほんとうに、またか!としか思えなくなっている。この麻痺状態が恐いのだ。
たとえば『生活保護(生活保障)』制度の基準計算でも、『安倍政権』復活直後からデタラメやってるということは指摘されているのだが、
裁判に おいても、出廷した担当官僚側が、デタラメやってますと認めているにも関わらず、
しまいには「国民感情」を理由にコジツケて、このデタラメを通してやった判決を出す裁判官。
いやはや、国家の司法までが、まさに終わってるわけよ。
「国民感情」だとさw
まさに、隣国を嗤えないやね、ほんと。
向こうも、こっちも、しょせんルーツが同じだから似てるだけなのかもしれんけどさ(嗤)
すぐに「忖度ソンタク」と言うけれど、さすがに忖度でやれることかいな?
長期スパンで検討しなければならない政策や施策に直接的影響のある国家のやること、役所のやることがですよ?
だめだ、こりゃ。
やっぱり、テッペンのほうから指令が出てるからこそじゃないのかと思うんだけども、
その指示をば、おかしい、間違ってる、これではマズイとすら思わずに、右から左へ受け入れて従う、自治体のトップを始め、役所の連中。。。
まともな脳みそ あんのかよ?高レベルの学校出た、高学歴のはずが(汗)
「世紀の愚策」とまで言われてしまってる始末だが、例の「アベノマスク」ね、まさに象徴的なのよね、何やってもダメあべ政権の。
弱い者いじめ大好きで唯一の得意、
その他にも陰に陽に悪いことばっかり やってた安倍政権。
しかし、あのマスクはさ、
たしか、本来は不良品だろうが何だろうが、それでも いいからと、割高な値段で、税金つぎ込んで、あっちこっちから、大急ぎで かき集めたんじゃなかったっけ?
そうであれば、不良品は業者に弁償を、という要求も できないわけよ。
【続く】
2022.01.05 (Wed)
『久方ぶりの科学系記事』の続き。
どうやら、私は、『絶対真空』ってやつをイメージしてたんだな。
つまり、それは「概念」に過ぎぬのだそうな。
そりゃ、現実には あり得ないことだというのは、もちろんで、
『宇宙空間』だって そうに違いないのは明らかなことだけれど、
私が ずっと問うているのは、
あくまでも「宇宙発生前」のことだからねえ。
いまだ かつて、「絶対真空」なんてものが あり得たことは ないとすると、それこそが不可思議。
常に、何かしら あったことになるわけだから。
じゃあ、その「何か」は、どこから来たのか?ってことになるわよね。
そこが知りたいのよね~。
でも、不可能みたいね。シュ~ン。。。![]()
「トリガー」。。。
「時空の歪み」が起き。。。?
「揺らぎ」が起きて。。。??
「相転移」。。。???
だいたいさ、
「天が動いてるんじゃなくて、こちとらのほうが動いてるんだよ!」
という現実を、なかなか受け入れられなかったという大昔の人の感覚と多少似て、
「無から有」が生じるなんてことは、そんなことが あって たまるか!!
ってくらい、どうにも納得いかないというか、キショクわりい感じするんだよね、この世界の摂理のなかで生きて、慣れているつもりの身としては。
逆に、最初の最初から、何かが、そこに あった、というのも、ヘンな感じよね。
やっぱり、何かが あったから、そこから何かが起き、では、その、あった何かは、そもそも、どこから来たもので、と、
こう、順序を追いたいものなのよw大概の人間にとっては。
でも、
何かが どこから来た、ということをトコトン追っていったとしても、
結局、キリが ないわけよね。
ほんとうの「最初」が分からないから。
宇宙も含めた「この世界」の どこででも、いったん発生したならば、そこから あとは概ね、われわれが親しんでいる、かつ、一応にせよ納得している基本法則と、あまり大差は ないのかもしれないが、
また、一見、それなりの大差が あるように見えたとしても、
あくまで「この世界」の範囲でのことは、他の天体であっても、根気づよく倦まず弛まず追究し、とことん突き詰めていけば、「ふうん、なるほど」と納得できる結論に辿り着けることも不可能では ないだろう、とは思える。
しかしながら。
なにしろ、とうちゃんと かあちゃんがナニしたから、この自分が生まれたというような「法則」を、『宇宙』発生の根本に当て嵌めようが ない。
われわれが生きて活動している「この世界」の摂理とか法則に おいては、「これを こうした、すると、こうなったから、こうなった」と、原因や理由を追究したり追跡することは、いちおう、かなりの程度まで可能なのだけれど、それにしたって、
じゃあ、なぜ、そういうふうに できているのか?という根本のところにいくと、答えは、ない。
「グラスの底に顔が あったって、いいじゃないか」(??)
尻が頭でもイイじゃないか???
さて、
以下の部分も、だーいぶ前に、たまたま見かけた、ある記事を読んで、それから書き始めたものの、途中でホッタラカシになっていた。
唐突ですが、
私、『宇宙背景放射(3ケルビン黒体輻射」とかいうものは、早い話が「煤」みたいなもんやないけ?と思ってましたw
ビッグ ボム!!![]()
梵っ!!!![]()
![]()
ボーーーㇺンンンンンンン!!!!![]()
![]()
![]()
と、大爆発したんであるからには、火の粉やら煤が発生するのは、この世の必然でっしゃろ?ww
ほんで、どんどん飛び広がりつつ、同時に、だんだんに冷めていくわね。
あとには、いろんなカタマリ(クラスター)も できてる。
寄ってカタマリになった分だけ、隙間も あいてる。
最近、『火星』に大量の水が、という『アメリカ』の大手メディア発の記事を読んで、「ヤフゴミん」の多くがキャッキャと単純に喜んでいるのを眺めながら、
何年前にか、かの『CERN(セルン:欧州原子核研究機構)』が発表したという、なんか胡散臭かった記事を目にして、大喜びでコーフンしていた『産経』系ブロガーらを、せせら嗤ったことも思い出す。
“Water on Ares“
「火星の水かぁ、、、もう そこまで分かってきてるのか。。。だけど、どんな味なんだろ、ってか、そもそも飲めるのか?」と思った私。
『土星』の『タイタン』。。。
「土星の炊いたん」。
火星で汲んだ お水から、じっくりと煮詰めていきます。
菜箸で、よぉく転がしながらですね、うすくち醤油を、、、
「お晩菜」か!w
ところでね、
私、前々から、「宇宙空間のなかに、有機物が漂っている」ことの理由と言うか原因と言うか、そのことを特に摩訶不思議と思い、なんとなく考えていたんだけど、と言うのも、
地球に代表されるような惑星の水が最初、いったい、どこから来たのかと問うと、
隕石やらが衝突してきて、
そのなかに含まれていた有機物が、水分を齎したのだという説を読んで、
その後の話題で、
新潟の、とある農園さんが、『ツイッター』上にて、
ネギの青い部分を踏んだら、めっちゃ滑る!
(じつにバナナの100倍以上)
という注意喚起を発信されたというので、
たしかに、私も、スーパーマーケットや八百屋さんなどで、何かの野菜の切れ端が落ちていたら、踏まないよう、気を つけては いた、
もっとも、単に危ないからという以上にも、
食べるはずだった物を踏むことへの抵抗感が あるからなんだけど。
ネギといった野菜類の、そのヌルヌルつまり粘液は、私たちの健康にも寄与する有意義な成分なんだろう
(ただし、個人的に、虚弱な私の場合、生タマネギなどを始め、ネギ系は、おなかを壊すことが ままある。いわゆる「精の強い」ものは、体質に合わない場合も あるので)。
このツイッターでの、ネギの話題に関連し、北里大学の名誉教授という かたが、結論として、
「生命に由来する有機物は、踏めば、すべて滑る」ということを述べられたと知り、
なんとなく、「宇宙空間のなかに漂っている有機物――水の源」のことを思ったわけ。
私は、むかしから、「電気」というものを、殊のほか不可思議と思ってきたのだけれど、
われわれの肉体の重要な構成要素でもある『炭素』ってのも、これまた不思議だよねー。
炭素が できたのは、『宇宙』発生の爆発後、ほんの(?)数億年くらいで誕生した恒星のなかで起きる「核融合反応」から やがて「超新星爆発」に至る様々なプロセスの現象の結果で あり、それ以前には、存在してなかったということだけど、
でも、私は、『ビッグ バン』直後あたりから、その萌芽は、すでにあって、ばら撒かれたような、気ガスるんだよねえ、いや、単なるカンだけどw
でね、
そもそも「無機物」「無生物」。ただ物質の状態から「有機物」「生物」へ、どこで大転換(相転移?)したのだろうかね。まだ分かんないんだろうね。
人間には特に発達している「自我」ってものも、だんだんに年齢を重ねるにつれハッキリと、つよく、複雑になってくる傾向が一般的だろう。
自分は何者なのか?
そして、どう ありたいのか?あるべきなのか?
ということが殊のほか気になってくるのが、ほとんどの人間の成長過程の特徴でも あるから。
ごく幼い頃までは、「無我」であるとされたりもするのだけれど、
やはり、個別の肉体を備えているからこそ、それを通して、それぞれにとっての「外界」を眺めているうちに、いろいろ察知していき、要は自分の心身を守ろうとして培われていくものらしい。
同時に、愛着、執着心も つよくなっていく。
そう、肉体あればこそ、なのだ。
そのために、まずは「快・不快」豊かな「喜怒哀楽」といった様々な反応を齎す肉体は、最終的には、物体そして物質そのものに戻る。
言わば、同じ一本の線状のものの上にピョコピョコと並んでいる大小の突起物のようなものなのだろう、われわれは。
ピョコの一つ一つ、それぞれは、
孤独を嘆いてみたり、隣りのピョコを鬱陶しがったりもするのだけれど、
しょせん、溶けて流れりゃ、みな同じ。w
物質って、不思議だ。
【続く】