忍者ブログ
とりあえず、ひかりのくに
     
<< | 2026年03月 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 | >>
[85]  [86]  [87]  [88]  [89]  [90]  [91]  [92]  [93]  [94]  [95
Updated   
2022.02.04 (Fri)

「繋いでいる」ものはの続き。

 

こういう記事が あった。

「死」とは何か 脳死状態で約20年生存した人の脳はどうなっていた?〈週刊朝日〉1/28() 19:00配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/f198cd9fcddb59a4f8ac42cd2397e65172380d16

 

うん、「脳が溶けて」「液状化」とか「石灰化」と言っても、全体一挙に進行と限ったわけじゃないのだろうし、

こまかいところまで全ての動きを脳だけが一手に取り仕切っているわけでもないのだろうし、

連結しつつ、分担も あって、ある程度まとまった、自動的に進める機能も、局所ごとに持っているのだろう。

爪や髪だけは勝手に順調に伸び続けている、とかいうね。

 

人工的な装置によって、機械的維持は継続できても、結局、肝心のところは、不可逆性が覆せないのであれば、問われるのは、決断だ。

 

維持し続けるにせよ、止めるにせよ、それぞれに別様の、
得られるメリットも、可能性を断ち切るデメリットも ある。

 

 

私宅の、初代のパソコンだったかな、それが突然、故障したときに、修理業者に来てもらって、何が原因か調べてもらったことが あるんだけど、
そのときに初めて聞いて知ったのが、「論理障害」「物理障害」ということの違い。

 

パソコンの仕組みも、カメラなどの仕組みも、おもしろいことに、人間の脳や眼球の仕組みと基本が共通してるみたいよね。

 

 

むかし、私が学生時分だったか、

「透析」患者と家族が、腎臓移植を望んでいるといった話を、新聞やテレビで報じているのを多く見聞するようになった、そのたびに、

「他人の内臓を もらってまでも生きたいなんて、あつかましいこっちゃ。それなら、自分の家族や身内から もらったらエエねん。それも無理なら、諦めるべき」

などと主張して憚らなかった、うちの母親は、内臓移植そのものも、遺体の解剖にも嫌悪感を隠さず、断固反対!の意見だった。

 

当時は、「脳死」の問題がクローズ アップされてきていて、

私自身も、かなり曖昧で怪しいものが少なからず残ってるようにも思え、その頃の、気まぐれ日記ノートには、

「そのうちに、脳も死なんのに、すげ替える」(ように なりかねない)

てな、俳句モドキを書き残している。

 

 

これは、父方の親戚筋の嫁ぎ先だったかと記憶しているが、

その親戚の女性たち家族一行が、冬季休暇の おり、スキー旅行に赴いた地で、さっそうと滑降していた最中のダンナさんが、いったい どうしたことか、立木の太い枝か何かに気づかなかったのか、よけられず、頭部からマトモに激突してしまい、ほぼ即死か脳死に近い状態で、緊急搬送されたという事態が起きた。

私とは全く面識が なかった親戚なので、自分の身内に起きた悲劇という感覚は、正直、希薄だったのだが、それ以上に容赦もないのは、うちの母親だった。

なんでも、急死した夫側の両親が、担当医と病院に対し、息子を蘇生させる努力をと執拗に要求して諦めなかったそうで、

その理由というのが、たしか、

「うちの息子は、とても優秀な頭脳を持っているんです!なんとか蘇生させれば、奇跡は起きます!!」

「なんとしても蘇生させないと、もったいない!」

とかナントカと頑強に主張し続けたそうな。

 

なんだか、最近、90歳代の母親の死亡後、すでに1日以上も経っているのに、蘇生させよと要求し、あげく、訪問介護を担当してくれていた医師らスタッフを死傷させたという立て籠もり事件の、寝たきり老母をダシに、自己愛を満たしていたオッサンを連想させるが、

そんなムチャな要求を言い張って やまなかったものだから、医師や看護師らの顰蹙を買っていたことを、自分も「また聞き」で私に聞かせた母親が、さんざんに嘲りつつ話していたものだ。

「息子が優秀なアタマも何も ないやろが。とっくに死んでおます!ちゅうねん。アホみたいや!」

と。

 

 

まあ、特に親子の関係では、互いに、どんな姿になっても、とにかく生きていてほしいという愛着や執着が起きやすいものなのだろうが、それは、肉体そのものに及んでいてもフシギは ない。

親にとって、自分の子は、自分の肉を通じて生まれ出たもの。

子にとって、自分の存在が生まれ出た みなもと、それが、親の肉体。

 

とりわけ母親の からだに対する愛着・執着は、子にとって、独特の重要感が あるのは、多くの人に共通している感覚であろうし、

日本語には、母親というものを、あたかも「聖堂」の如く喩えた呼びかたも あるし、俗に「お袋」という呼びかたも あるくらいだ。

 

そう言えば、うろ覚えだけど、フロイトだっけ?
『夢判断』に おいて、「トンネル」は、母親の産道の象徴とかいうの。

 

そうだ、

「多元宇宙」と「トンネル仮説」理論だw

 

ま、さて置き、

後年、うちの母親自身の『C型肝炎』が判明し、同じ血液型の娘である私は、移植で改善できうるものなら、自分の肝臓を提供してでも、と考えていたのだが、

生来の虚弱で、長年の『本態性高血圧』で、他にも持病が多かった母親自身には、移植手術に耐えうるだけの余力が、60歳代にして、もはや、残っていなかった。

また、私自身も、長年の持病の結果、開腹手術に至っていたし、やはり、母親に似たのか、虚弱な体質なので、自分自身の からだにメスを入れ、内臓を欠けさせたとなっていたら、いまごろは、もっと難儀な状態に陥っていたことだろう。

 

意外なことに、
むしろ、家族間に おける内蔵移植は、あかの他人との それよりも格段に、複雑な問題が起きやすいのだそうで、家族関係の隠れていた心理的問題をも浮かびあがらせることが あるという。

介護の問題とも通じるものが ありそうだ。

 

 

ところで、

題名も筆者名も忘れてしまったんだけど、むかし、新聞に連載されてた小説のことを思い出した。

それは、先天的障碍児、ずばり、奇形、それも、脳が ない新生児を題材にしていて、

実の両親たちのショックと狂乱、激しい拒絶を始め、病院のスタッフたちの困惑や葛藤といった、周囲の人々のネガティブな反応や心情が渦巻くなか、その新生児を担当した看護婦が、ただ一人、だんだんと、情愛を覚えて傾けていき、やがて、ある日あるとき、
くだんの あかんぼうを、「おくるみ」に包んで、両腕に抱きしめ、病院から連れ出して逃亡を図るという、そんなふうな場面が あった。

この あかんぼうが「安楽死」させられそうになったことを切っ掛けに、とか、たぶん、そういうストーリーだったように憶えているのだが、

とりわけ鮮烈な印象が残ったのは、

脳の ない あかんぼうは男児で、
ふしぎなことに、性器だけが、申し分なく備わっていて健康だった。

その性器が、まめまめしくケアに つとめる看護婦の手のひらに向けて、おむつを はずしたとたん勢い良く、気持ち良さげに、清らかな おしっこを放出する、そんなふうの場面だ。

 

 

 

全身麻酔と局所麻酔の両方を体験した私は、それぞれの違いを考察し、うちのブログでも(旧ブログも含めて)エントリーに まとめてある。

脳内ビジュアルの話

 

全身麻酔について一連の流れを実体験した人のコメントには、さすがに、「ヤフゴミ捨て場」と言えども、ほぼ共通した独特の現象が あった事と、真面目な所感が窺えた。

 

古人も言った。「きのう きょうとは思わざりしを」

 

先日、当ブログでは、これらのエントリーをアップしている。

【続・続】久方ぶりの科学系記事

最終】久方ぶりの科学系記事

 

なおも、ちらちら考えていて、
もしかしたら、水分というか粘液状のものに決め手が あったのかも?
などと思った。バラバラのものを繋げていなければ ならないはずだから。

 

生命活動すなわち新陳代謝すなわち、それは、化学反応。

外部から、栄養などを取り込み、供給し、いらないものはポイする。

こういった一連の化学反応のサイクルこそが、すなわち生命活動なのだという。

 

「有機的結合」性。。。

 

ひとたび連結・結合したものをば、バラバラに崩したくない。

調節し、立て直し、維持し続けたい。

壊したくない、死にたくない、という本能的な思い。

 

自殺願望だって、本音では生きたいことの裏返しだ。

なくなってしまえば、もう二度と、失われることは ないから。

 

 

唐突だが、

いわゆる「膠着語」としての日本語。

「てにをは」などの助詞とかね。

これが、「膠」として結着・連結の機能を正しく果たせていないと、一見は「日本語文」の体らしく見えても、よく見るとブツブツ途切れてバラバラの支離滅裂、ただの意味不明な「日本語文モドキ」でしか なくなる。

 

生命体も同じようなもんで、繋いでいる連結が切れてバラケたら、様々な基本物質の単位、分子のレベルに戻るのだろう。

 

 

目には見えない、手に掴めない、数値化も できない、たとえば「視線」の強さ、「感情」や「念」といったものですら、物質かもしれないね。

 

 

PR
Updated   
2022.02.02 (Wed)

うんざりウンザリうんざり!の続き。

 

やれやれ、
だれに頼まれたからとて、そんなにも過酷な苦労してるわけ?

「自分自身が、ナニしたくてナニした結果の腹ぼて、あるいは妊活とやらを強行したのか、いずれにせよ、だれから頼まれもせんのに産んだだけのことで、こうも自己愛まる出しになるとは()

「あーたが産み落とした、生まれさせられた子どもは、まず確実に逃げられぬ何らかの苦しみを負う日が、いつか必ず訪れる。どのみち死ぬ日が やってくる。この国では特に大災害に遭いやすいし、理不尽にも、ひょっとしたら、殺されるかもしれない。わかってて産んだのよね?いや、全くのところ、考えもしなかったんでしょうねw」

と、

しょせん、「ヤフゴミ捨て場」に入り浸り、視野の狭い自己愛コメント投稿に耽ってる、こんなのが母親だなんて、ろくなもんじゃあるまいという印象を拭えない私は、つい、冷笑してしまうんだけどさw

 

同じ女性どうしの あいだにも、イミフな敵を つくり、

同じ妊婦どうしや母親どうしの あいださえにも、ヘンな格付けランキングを拵えたがる。

 

なんか、近頃、このテの、自己愛性マザー、ナルシストかあちゃんが急激に増加してるんだろうか。

 

脳に異常が あった うちの母親は、まさに、そういうタイプだったがな。

いまの母親世代よりも、ずっと上の世代で、60歳代で亡くなり、いま存命ならば、80歳代なんだけど。

 

あるいは、これって、もしかしたら、一種の、いわゆる「フェミ」的スタンスからの投稿なのかな?とも思えたが、およそ宗教にも「フェミ」なんちゃらにも疎い私には、こうしたケッタイな風潮の原因となっている詳しいところは分からない。

 

ただ、いったい、自己愛的な歪みから起こしているような犯罪は、男の側にも、よりいっそう頻々と見受けられる傾向の現代だ。

 

 

付け加えておくと、

私の義姉(親父の長女)も、『帝王切開』で出産した。

あの頃は、いまみたいに、「少子化」が深刻になるという切迫感などなく、まだまだ、出生数が多かった時代だからか、『帝王切開』は、妊婦の要望じゃなく、病院や医者側のスケジュールの つごうで決められてしまうらしかった。

 

いまどきの妊婦さんは、持病とか、よんどころない事情が あるわけでもないのに、あえて『帝王切開』希望が多いんだろうか?そのへん、私は知らないけど。

 

 

義姉も、出産後、何度か、うちに電話してきて、母親が、何やら なだめているようすなのを、当時は、小学生か中1だった私は、何なんだろう?と怪訝に思いつつ、ただ、横で聞いていたのだが、

受話器を置いてから、母親が、いささかウンザリした口調で言っていたには、義姉は、切った おなかが痛いことをコボシているということだった。

 

ちなみに、

私自身も、開腹手術のあと、なにしろ、予想外に、痛み止めが殆ど効かなかったため、全身麻酔から覚めたとたん、七転八倒の苦しみを経験している。

痛み止めが効かないということは、おなかを切られた痛みが、そのままということなのだから、そりゃ、断末魔の如しだ。

 

このときも、わざわざ起こさずに、ほうっといてくれて よかったのに、とも思ったしw

以来、全身麻酔による「安楽死」の可能性に興味を持つようになった。

 

で、

重度の仮死状態で生まれさせられた私としては、はなはだ疑問に思えるのだが、

いちおうにせよ「自然分娩」と言っていいものやら どうやら、私の母親は、

『帝王切開』の傷が痛むと、電話で泣きついてくる義姉に対し、やっぱり、どこか軽蔑しているふうな感じだった。

 

私ら母子の場合、
出産予定日を1ヵ月も過ぎようとしているのに、

「出て来たがらないものを、無理に出すことも なかろう」

と、

すでに3人の子持ちだったバカな親父は言っていたそうだw

 

うんうん、いまの私には、察しが ついてるよ。

親父はサ、ダブル不倫相手だった私の母親を、そもそも、本気で、ヨメにするつもりもなかったのに、異常に気の強い女に押し切られたうえ、デキちゃった私を、本音では、産んでほしくなかったんだよねw
どうりで、出生届も出してなかったしww

 

で、

親父の言うことを本気にしていたとも思えないのだが、母親も母親だ。

初めての出産どころか、こっちも、すでに一度や二度は、出産も死産も経験済みでありながら、友人らと酒場へ飲みに出かけ、そこでナンパしてきた男が警察官で、などと、私に向かって、ヘンな自慢を語っていたが、このように、のほほんと構えていて、

ついに、当時は出始めだったという『陣痛促進剤』を使用しなければ ならない事態になった。

 

胎児だった私は、命の綱の「胎盤」が、ほぼ完全に剥がれていた状態のなか、栄養どころか、酸素が絶たれた状態。もちろん、憶えてないけどw

生後6ヵ月からの記憶がハッキリあるくらいだから、ふつうの状態で生まれていたなら、いわゆる「胎内記憶」も鮮明だっただろう。


それにしても、
このバカップル、私が、重度障碍を抱えて生まれたら、どうするつもりだったのやら。


 

いまでも、

「無理に蘇生してもらわいでも、せっかく、キゲン良く死ぬとこだったんだから、ほっといてくれたほうがw」

と思うのだがww

当の母親は、あくまでも、自分が大出血して、死にそうになったことを延々と自慢するだけ。
おまけに、
「会陰切開」とかを しないで済んだのは、医者も感心したほど、アソコの皮膚が柔軟だった おかげとかいう、ヘンな自慢もwww

 

 

『鬼子母神』の逆バージョン。

 

死ぬまで隠し通し、黙りとおして、
文字どおり「墓場まで」持って行きおおせた、魔女のような母親だけど、

私も、近年、長いあいだ疑問に思っていたことを、いろいろ調べてみて、やっと分かったんだが。

 

乳児期に、中等度の聴覚障碍を負うことになった原因が、母親のアンタであるだけでなく、

許し難いのは、
障碍が判明していても、親として取るべき対処を完全放棄し、

私に対して、ひたすら、

障碍のことは隠せ!
いや、そんなものは障碍なんかじゃない、
聞こえないのは、努力が足りない!性格が悪いから聞こえないんだ!と、

そればかりを言い張ってたでしょ、アンタはw

 

しまいには、

「そーいう星のもとに生まれたオマエが悪い!!」

と きたもんだ。

 

私の逸失利益は、莫大なもんだと思うぞ。

 

振り返ると、

うちの親らは、何かにつけて、私を罵るだけでなく、特に人前で罵倒したり、ひどく恥ずかしい思いを させるのが、殊のほかに楽しかったんだなと思い当たるのよ。

 

 

やれ、「来世は」とか「今度生まれてくるときは」と、無責任で陳腐な定番セリフを言わずにおれない心情も、「切なる思いゆえの願望」であるのだろうとして、理解できないでは ないけれど、

やはり、問題が全くないわけじゃないとも思う。

 

どうしても、「リセット」の感覚、
命についての安っぽい感性が つきまとうからだ。

 

言ってる本人たちは、真逆のつもりで、多分に無自覚なんだろうけど。

 

【続く】

 

 

Updated   
2022.02.02 (Wed)

最近、そうとうウンザリしていること。

まずは、相変わらずの政界のモメ事から いきましょうか。

これについては、いつにも増した、くだらない騒ぎなので、少しだけ触れるに とどめておくが、

いやはや、定番の「ヒットラー」を「ナチス」を、ってやつね。

『立憲民主党』の菅 元首相が、稚新あ、違った()w、『維新』だか橋下氏だかについて述べたという発言。

 

ことわっとくけど、私自身、『維新』にも橋下氏に対しても、早くから不審や批判を述べ続けてきたし、橋下さんと言えば、府知事のときだか市長のときだったか憶えてないけど、いつぞや、日本国内の駐留米軍兵士らに向けて、「風俗」ご利用のススメみたいな「提言」()を発して、内外ともに大顰蹙を買ったという騒ぎが あったわな。すっかり忘れてる人のほうが多いんだろうけど。

 

要するに、『アメリカ人』の「本音と建て前」というのは、基本的な宗教上の理由も大きいゆえにか、われわれ日本人以上に乖離している実態が あるようだし、少なくとも、「それを言っちゃあ おしめえよ」的な、まさに、「ご法度」発言だったのだが、

当の橋下氏ばかりは、そんなことにはトンと疎く、いたって妥当、適切な提言のつもりでブッ放しちゃったんだよね。

あのとき、完全に あらわになった、橋下さんの無知、無教養、軽薄ぶりは相変わらず継続していると見えて、

「国際的ご法度」などと、大きく出てのけたというので、わたしゃ、

「あー、そりゃ、菅さんも軽率だろうにせよ、橋下さんのハッタリと不勉強ぶりは相変わらずな!」

と、あらためて思った。

 

橋下氏の演説が上手いとか説得力が あるとかいうことが『ヒットラー』さながらとは本当なのか、私には全く分からない。ただ、不勉強を誤魔化すためにか、ヘリクツとハッタリ、単純な思い込みが目立つようだ、とは感じていた。

 

「ユダヤ人がっかり」ってのもさぁw

だったら、例の麻生さんの「ナチス(の手口)に学べ(学んだら どうだ)」云々発言は?()

これこそ、ユダヤ人にとって、致命的に聞き捨てならない発言のはずだろうにと思うがな。

でも、『自民ダッピ党』や麻生支持者らの擁護の洪水は、凄まじい勢いだったわな())

 

 

菅 元首相も、自党の政権を手離す結果となって以降、いまだに挽回できず、世間一般での評価が甚だ良くないままである、ゆえに、政権交代が遠ざかったまま足踏みしか できないどころか後退すら続いている局面は確かであると、ご本人自身、知っているはずだろうに、

しかも、いま現在、『立憲民主党』は、看板の顔を泉 健太氏に変えてみても(しかも、泉氏の風貌って、なんとなく『維新』っぽいよねw)、いよいよ坂を下ってく感じの現状なのだから、外野か どっかから指摘されたらしい「脅威に思うゆえ」の心理から出た発言だろうが何だろうが、
いかに、それが真実、本当のことであろうとも、ここは敢えて、悪口的な発信では なく、まさに、「建設的な」提言を、政治家としての矜持を以て発信することで、暗夜に足を踏み入れたかのような自党のための灯とすべきだった。

 

でも、正直なところ、ろくなアイディアも ないんでしょうね。

そこは、「敵方」だって同じなんだがね。

あーあ、与野党とも、なさけないね。

 

ほんとうに相変わらずで、

「ゆ党」と言うのか、『自民だっぴ党』の分身・子分たる稚新もとい『維新』のほうは大ハリキリ、自・公政権は ほくそ笑む、という構図。

このパターンを何度も再現してきた旧『民主党』系も、政権に就いていた当時から「ありゃ第二自民党だ」と、自身が言われてきたし、
野田 元首相に至っては、『自民党』への献身ぶりの、あまりな素晴らしさ見事さゆえに、『自民党』支持者のなかにすら、褒めそやす連中が少なくないようすだから、じつはスパイなんだろ?とまで思わせられたくらいだwいや、かなりマジで。

そこへ今度は、これも『立憲民主党』の特別顧問に おさまっているらしい菅 元首相による『ツイッター』か何かによる発信。

敵に塩とか燃料を差し入れしてるようなもんだ。

 

これといって、アイディアも ないから、政治家らしい指針や提言よりも、言い古されて退屈な悪口みたいなことしか言えない。
そして、
ワル極まって、大して何も言われないほどの高み()にまで登った『自民ダッピ』と、その腰巾着衆に、それこそ、ヘタの「揚げ足を取られる」だけ。だったら、黙ってるほうがマシ。

 

政治家としてのアイディアを高々と掲げ、同時に、そこに ついて来れやしない相手を、「おい、どうした?オマエんとこは、そこまでか?」と挑発し、徹底的に嘲ってみせるくらいなら、もう ちょっとは愉快なんだけどなw

 

ま、こうなった以上、菅さんも、とことん、反論、反撃したら いいさ。できるのならね。

ここでハンパな応酬しか できないでは、自分とこの党の歴代メンバーが繰り返してきたのと同じ、仲間の足を引っ張って終わることにしか ならないよ。

 

 

これぞ、終わった騒ぎだけど、

しょうもない不倫騒ぎなんぞで、まさに、自党の仲間らの足を引っ張って終わった、気鋭の(?)女性議員も いたよね。あれはガッカリなんてもんじゃなかった。いろいろ発覚して、せっかくの期待は粉々。

こういうことになる大もとの原因は、「不倫ケシカラン」の以前で、まず、本人の「エリート意識」と、子どもっぽいウヌボレが招いていることだ。

こんなにもタカ括ってイイ気になっていた者が、われわれ一般国民・庶民のための賢明な政治戦略を持って貫けるのだろうか、
また、世界の「海千山千」相手に、「手の内を見せず」渡り合えるのか、はなはだ怪しいぞと思わせられた。

 

 

でもさ。

たしかに、私も思ったよ。

「自民ダッピや稚新どもが、なにをエラソーに、鬼の首を取ったみたいに」

「自分に甘々、他人に厳しい姿勢と言うなら、テメエらの自分棚上げぶりのほうが、もっと強固で、年季が入ってて悪質だろうがよ」

「ほんもののワルには毎度のパターンだから、誰も驚かないだけw」

で、

「そこまでワルじゃない分、かわりにマ・ヌ・ケだから、ワキが甘くって、敵に叩かせる材料を、みずから提供しちゃってるだけw」と。

 

 

さて、「最近、ウンザリしている」ことの本題に入ろう。

まさしく、それは、実の親に虐待されて、殺された あかちゃんや子どもの記事には必ずと言っていいほど付くコメントのパターン。

「来世は」「次に生まれてくるときは」幸せに云々ってやつだ。

 

で、これも必ずのように、

「うちの子も同じくらいの年齢なので」胸が痛いだの、うちの子だったら、と続いてくる。

 

これから産みますとか近年に産みましたという世代なら、もしか、「ネット ゲーム」どっぷりのハシリ世代なんだろうか?

と思ってしまうくらい、命に対する感覚が軽薄なのかなあと疑わしく思えるのだが、

なぜなら、それは、まさに、

リセットできる

という感覚が まる出しになってるからだ。

 

まあ、そういうわけじゃなくて、せめてもの願望としてのセリフなのであろうか、「切なる思い」ゆえの表現なのかなと、軽薄にして陳腐なコトバの羅列でも、寛容に受けとめることも できようけれど、

こないだも、相変わらずのパターンで、あかんぼを殺してしまった母親の事件を報じる記事に付いた「ヤフゴミ捨て場」のコメントの ほぼ全てに!

「今度生まれてきたときは」

云々の定番セリフが、見事なほどズラ~リ並んでいたので、

さすがに、
「何かの宗教の仲間どうしが、一斉に投稿したのか?」
と、呆れてしまったよ。

 

あまりにも怪訝に思えたので、この典型的パターンのコメントを並べ立てる投稿者らの思考傾向を調べてみようかと思い、過去の投稿履歴を少々覗いてみたんだけど、

そこでは、「虹の橋」云々というセリフを述べているコメントも、目についた。

 

なるほど、近頃、ペット関係の記事には、「私も、うちの子(犬とか猫など)を亡くしたばかりで、悲しくって」と自己紹介する投稿者が、ペットの死を指して、「虹の橋を渡りました」てなセリフを、これまた判で押したみたいに一斉に並べる現象にも気づいていたのだが、これ、誰が言い始めたんだろうね、「虹の橋」ってのは。どうやら漠然としているらしいが。

まあ、いかにも定番という感じの、単純な慰めのためのオハナシに過ぎないようでは あるし、これ自体は、どうってことも ないと思うけれども。

 

しかし、

われわれ人間の子殺しの報道記事に必ずのように付く、「来世は」「今度生まれてきたら」という、このテのコメントには、大概、もう一つの共通したパターンも あって、それは、

「擁護するつもりは ないけれど」と前置きしつつも、
やっぱり、幼い子を殺した母親の肩を持ち、殺された子どもよりも、だんぜん、母親のほうに大いに同情する内容になっていることだ。

同時に、

夫であるか否かに かかわらず、子の父親への非難が伴っていることも多い。

かつ、

出産と育児が、どれほど大変であるかを力説し、

母親である自分たちを自己憐憫し、被害意識さらけ出しに及び、

最後は結局、

母親であることを、いかにヒロイックな、尊い犠牲的精神の発露ゆえかと自画自賛、

母親どうし絶賛し合って締めくくる()

 

おまけに、『帝王切開』で、おなか切った人は、子どものために切ったんだから、病気で切った人よりも偉いだとさ()

 

なんなの?w

そのケッタイなマウンティングは()

それにさ、

あれかい、

「おまえのために、おかあさんは、おなか切ったんだ」

と、自分の子どもに言えるわけ?

 

ま、うちの母親も、概ね、こんな感じだったが。

 

キモチわるいわぁ。。。

悲劇のヒロイン ママ、

責任転嫁のナルシストかあちゃんw

 

【続く】

 

 

Updated   
2022.01.26 (Wed)

「身を守る」技術とはの続き。

 

20歳前後の若い男の子が本気で かかったら、それよりもトシくってる男なんか、ぜったいに勝てや しないよ、という話を聞いたことも あるので、今回の事件で、連れの友人たちが何人か、その場に いながら、あまり、被害者を庇ってあげられなかったようなのを、少し怪訝にも思ったのだが、

私のような経験や体験に乏しければ、咄嗟には、どうしたものやら分からなかったとしても、まだまだ若いのだから、無理も ない。

 

過去エントリーでも話題にしたことが あるけれど、

むかしの実家の隣家は、当時、『大阪府警』の巡査部長さんが御主人で、この おじさんは、かの「シベリア抑留」をも乗り越えたド根性と、武道で鍛えた、もっぱら良い面のみの「九州男児」だった。

この人に かかると、
宿直の日でなく在宅している日で あれば、酒乱オヤジが暴れ狂っている最中と聞けば、ただちに駆けつけて来られ、ほんとうに、指一本で、

「イタタタタ!痛い痛い」

と、
凶悪な親父をして、みっともなく叫ばせ、
アッと言う間に制圧してしまうので、

『天皇』を護衛し、サーベル提げて、馬上で決めポーズしていたエリート職業軍人なんど、何ほどの者だったやら、「シベリア帰り」の猛者にとっては、「赤子の手を捻る」に等しいのだなあと、つくづく、感嘆したものだ。

 

 

あんな惨めな叫び声を あげて制圧される、なさけない姿を、何度も何度も見てきていながら、よくも まあ、死ぬまで ひっついておれたもんだと、あらためて呆れるのよ、うちの母親に。

私が母親だったら、いっぺんで幻滅して、さっさと見捨てるわよ、あんなカッコの悪い亭主()

 

女や子どもに、凄まじい暴力ふるいつつ、
そんなことは一切、棚上げ、忘却の彼方。

あべこべに、自分こそが可哀そうで、利用されたんだ、と、被害意識に浸っていた親父。

まあ、母親も同類だったよ。私から見れば。

 

 

でね、

とにかく、目の前の相手をボコボコにすることに夢中になってるんだから、こういうやつを止めるには、まともに前からじゃなくて、背後から抱きつくんです。

 

私も、いちおう女だし、腕力や瞬発力だけで戦うのは無理だから、いっそのこと、うしろから、男の首に両腕を回して締めつけ、脚もギューッと巻きつけて、頭からビターッと全身で密着するわw

そうして、

連れの友人の男の子が2、3人も いたというんでしょ、
みんなで、背後から、抱きつくんだ!

 

まあ、そりゃ、実際に、いきなり遭遇したら、とにかく恐いと思って、反射的に怯んでしまう気持ちも よく分かるけどね。女性は尚更。

 

 

お隣の おじさんが不在で、代わりに呼ばれた おばさんが、
「娘が殺される、止めてやって」と懇願する うちの母親に、

「だって、奥さん、わたしだって恐いわよぉ;」

と、

家のなかで、ムチャクチャ殴られ蹴られ、髪を掴まれて引きずり回されてる最中の私のようすを見るなり、親父の狂気の雄叫びを聞きながらも、庭に立ち竦んだままだったという。

 

私の場合は、母親が殺されてしまうかもという危惧から、自分がフリーズしては いられなかった。恐がってるわけに いかなかった。

 

 

事件の被害者となってしまった、喘息持ちだという高校生の男の子には、数人の友人を伴っていたことで、もしかして、多少の安易な強気も伴っていたのでは あるまいか。

 

直接的な行動に及ぶよりかは、持病のためにも、まずは、車両を移動して、そののち、乗務員に連絡するなどの手段を とるほうが望ましかっただろう。

 

 

見るからにフテクサレて、
これ見よがしのマナー違反やルール違反を ひけらかす如き態度は、
要するに、周辺に、ケンカ売ってるようなもんで、

あくまでも、勝ち目が ありそうな相手なら、ひとたび、何か言って寄こそうもんなら、電光石火で、「やんのかぁ?あぁん?」と、即座に掴みかかるつもりだったんじゃないのかな、加害者の男は。

 

自分が悪いのに、それを、一言でも注意されたら、ガバッと脊髄反射で激昂する者はね、
普段からピリピリピリピリしている、本当は、すごい小心者なんです。

だから、ひらきなおって、あべこべに、自分の暴行は、「正当防衛だった」とか言い訳してるんでしょ。

正体は極めて小心、常にビクビクびくつきながら生きてるからですよ。

 

なので、相手しだいなのだろうし、

相手を見分けて、態度をコロコロ変える手合いなんて、世のなか、めずらしくも ない。

 

言いかたとか、歩み寄りの技術、などと説いているコメントも あるようだったが、

ま、そういうことも言えるかもね。

しかし、保証は できないわよねw

 

もしかしたら、
自分よりも、ずっと強そうで、勝てそうにない相手だと分かっていてさえも、もはやヤケクソで向かっていく、
かつての『大日本帝国』みたいなw無責任クレイジーだって、世のなか、皆無とは言えないのだ。

 

 

理不尽きわまる暴力を浴びせられることは、コトバで表現し難いほどの複雑な心の痛みを、終生に わたって引きずることを齎しかねない。

そのくらい、罪深いことだ。

 

だからこそ、

被害者は勿論のこと、加害者を発生させないことが、最も望ましい。

 

 

Updated   
2022.01.26 (Wed)

君子 危うきに近寄らず

と、昔の人は言いました。

 

臭しと知りて嗅ぐは馬鹿者

これも、じつに警句ですねえw

 

しかし、

義を見て せざるは勇無きなり

とも言います。

 

最近、電車のなかで、喫煙している男に注意した男子高校生が、頬骨を骨折するほどの酷い暴行で返されたという事件が、『栃木』のほうで起きたそうだ。

ま、そこまで聞いただけで、その暴行を はたらいた男が、どんなレベルの者だか、即、想像が つくというものだが、

案の定と言うべきか、私は、最初、「飲食店員」と聞いて、ラーメン屋とか、そういう店の従業員なのかなくらいに漠然と思っていたのだが、
「飲食店」と言っても、いわゆる風俗業界のほうで、「ホスト」だという。

詳しい情況が、あとから出てきていたようだが、私は、そのあたりのニュースまでは、ほとんど、目を通してない。

ただ、くだんの男が、そもそも「優先座席の上に寝っ転がって」という箇所をチラッと読み、

「ははん、要するに、始めから、『文句を言う やつが来たら、ボコボコに してやるわ』くらいの猛々しい気分で待ち構えてる態度だったんだな」と感じた。

まあ、注意してきた相手しだいで、もしも、見るからに屈強な男性だったら、とたんにヘコヘコして逃げたんだろうな、とも思うけど()

 

で、

いちばん、議論を呼び、世間の受けとめ方や主張が二分されてるような状態になっている原因は、やはり、周囲の おとなたちの態度だという。

ほぼ「傍観者」だらけで、直接、暴行を止めようとしないのは勿論、近頃の風潮で目立つパターンの一つだが、スマホで撮影してとか、そのような状況だったらしいのだが、

思い出したのは、
いまは高齢になられているが、相変わらずダンディな、若い頃はバリバリ「二枚目」を張っておられた俳優さん。とある駅頭のエスカレーターに乗っていて転落し、さいわい、大事には至らなかったようだが、それでも、かなり出血していたそうで、そのとき、周囲は早速、スマホを取り出して撮影する通りすがりが何人も いたというので、その えげつない不躾さを、俳優氏は、いたく嘆いておられ、芸能界系の記事は、ほとんどスルーする私も、かねて敬意を持っていた俳優さんゆえ、それを読んで、とても気の毒に思った。

さて置き、

いちばん、いかがなものかと思える顰蹙的行動は、われ関せずで、自分だけサッサと逃げ、せめても通報の一つだに せず、知ら~んぷりして、その場から去って行くタイプの、トシだけ「おとな」だろうと思う。

 

今回のような事件の場合は、動画を撮影するというのも、むしろ、ある種の抵抗的行為と見ることも可能で、間違いなく、有無を言わさぬ証拠ともなり得るのは確かなことだろうから、その点で、恐怖に竦み、通報するにも立ち上がれず、フリーズしたまま全く何も できないで終わるよりは、ずっとマシだとも思える。

私の若い頃までは、まだ、たまたま、目撃した範囲のことを、コトバを尽くして、論理的に説明できるか どうかということに かかっていたのだから、このような事件の場合に、一般のシロウトでも、鮮明な動画撮影を行えるのは、まさに「文明の利器」的活用と言える。

 

さて、より詳しい情況を、これもチラッと目にしたところでは、喫煙を注意した男子高校生、すなわち被害者の言動に対して、批判する向きも あるそうなのだが、まあ、「ネット空間」では毎度の特徴的動きとして定番になってしまっている弊害とも言えようが、

ただ、これも、あとから知ったには、この高校生は、『喘息』が持病ということで、「ヤフゴミ捨て場」でも、それを知った とたんに理解できた気分になったのか、たちまち、「正しい」行為だったとか「尊敬します」とまで言い始めている しまつだが、相変わらず、悪しき単純さと軽薄そのもの。

 

 

今回の事件に関しては、私も、くだんの高校生の行動は、非常に危険なものだったと思う。

むろん、高校生側を責めるつもりは毛頭ないのだが、実際、心身ともに大きな傷を負うこととなり、先方が悪いのは当然として、それでも、持って行きようによっては、凶悪犯人にすることなく、穏便に済ませられた可能性も あったろうし、

なんと言っても、くだんの高校生の親御さんは、さぞかし、肝を冷やされたことだろうから、単純に、ストレートな咎め方を するばかりが正しいのでは ないということを、この高校生の今後と、若い人たちのための視野を培い、戒めとする必要も あるように思う。

 

 

ところで、『ヤフージャパン』のポータルでは、電鉄会社へのインタビュー記事も掲載されており、そこでは、車内に『SOSボタン』という緊急連絡用の設備も あること、暴行事件のみならず、急病人や、乗降ドアに何か挟まったりしたときなどにも、遠慮せずに押してほしいという説明が されていたが、

たしかに、押したら緊急停車してしまうとなると、ためらう人も多いだろうことは理解できるので、いきなり、そこまでのことは なく、まずは、乗員との遣り取りのうえで、問題が起きている車両に来てもらえるというのは、少しは気も軽くなるだろう。

だが、これとて、万全なシステムとは言えない。

 

まず、このことを指摘しているコメントも少し見られた。というのは、突発的な暴行などの事件が起きたとき、少なからぬ人たちが、恐怖心のために、通報ボタンを押すどころか、その場から立ちあがることすら できないかもしれないということ。

 

それと、
私自身、真っ先に懸念を覚えたのは、乗務員との遣り取りが、たぶん、不可能だということ。聴覚障碍者だから。

 

 

私は、子ども時分から、酒乱の父親に、酷い暴力を振るわれてきたし、自分よりも、母親を庇って、その身代わりになっていた面も大きいゆえ、ある意味、暴力的な場面に慣れていると言えば そうかもしれないので、通報することも できずに、その場で、ひたすら固まってしまうということには ならないだろう。

ましてや、何らの通報、そのための くふうすら しようとも せず、ただ立ち去るということも決して しない。

 

 

成育歴に鍛えられての おかげなのか どうかは知らず、
私は、荒れて凶悪な行為に走っている者を なだめ、落ち着かせることが、わりと上手いほうだ。

そして、もちろん、理不尽な暴力を振るっている者を、無為に見逃すことは ない。

母親は、逆に、怒っている相手を、もっと刺激して、激昂させてしまう性格だった。そのせいで、よけいに苦労するのは、両親の あいだで必死に 収めようとする私。

 

直接に立ち向かうことが、かえって不利になり、一歩まちがえると致命的な結果を被る事態が、ままある現実も知っているから、他の手段は ないのかを瞬時に検討しようとする癖も ある。

それでも、醜悪な狂気が剥き出しの暴力の場面や、殺伐とした雰囲気に遭遇するのは、幾つ何十になろうとも、深い深い拒絶感が つきまとう。恐らく、トラウマとかPTSD級になっていると思う。

 

そんな私のなかに、
自分でも予想を超える冷酷さと、やはり、それを許さない抵抗力が共存し、慈悲心や優しさのほうが圧倒しているや否や、その判断が つかないという危ぶみも、正直に言って、ある。

なので、

やっぱり、子を持たないで良かったという思いも ある。

 

 

うちの親を筆頭に、身内の者ら各々も、私が、彼らと全く似ず、酒を飲みたい、飲んで憂さ晴らしや発散したいなどとはサラサラ思わない体質や気質・性格であることを感謝すべきだと、つくづく思う。私自身も、このことだけは、幸いだったと思う。

 

とりわけ、あの父親に似て、酒好きだったなら、一日も早く実家から追い出し、父親と離しておかないと、必ず、親子間の刃傷沙汰を起こすだろうと危惧されていた兄などよりも、私のほうが、よっぽど凄惨な事件を起こしていたかもしれないと、われながら思うから。

 

【続く】