2023.01.13 (Fri)
きょうも、山田五郎さんの『オトナの教養講座』を拝見しようとして、これは「公認 切り抜き」ということらしいのだが、よく知らないけど、つまり、完全版では ないようなので、私は、ふだん、こちらのほうは ほとんど見ないのだけれども、例のルソーが挙がってきていたので(笑)飽きも せずにwまたぞろ覗いていた。そして、またワハハと笑っていたww
その次も同じく「公認 切り抜き」として、かのミレーの『晩鐘』を取りあげていたので、あ、これはと視聴したのだが、スタッフの人などが、なんとなく「恐い絵」という印象を持たれていたというので、そう言えば、この絵について、何年前にか、うちの過去エントリーで「解説」wしたことが あったっけと思い出し、探してみたら、やっぱり あった。
というわけで、
私自身は、恐いとかいうより、なんかフシギなという第一印象を、子どもの頃は持っていた。
それもそうで、
当時は、まだ、幼稚園に入っていたか どうかくらいの幼い年齢だから、クリスチャン家庭では ないのだし、「晩鐘」などと難しいコトバも『キリスト教』の何たるかも一切、知りやしない。
ただ、絵から鐘の音が聞こえてくるわけじゃないので、登場人物たちが、神さまなどを表現した崇拝対象が近辺に見受けられない、広い畑のような所に立ったまま俯いて、何やら お祈りしているようであるのは察せられても、いったい何に向かって祈っているのだろうか?と、怪訝に思っただけ。
ちなみに、
過去エントリーのなかで、「うちの母親が、私にデタラメを教えた」というのは、
「土の神さまに祈っているんや」
という答えだったw
それでも、やはり、ある種のフシギさとともに、もちろん、このコトバ自体も全く知らなかったけれど、おとなになって振り返ると、言うなれば、まさに「敬虔」なるものを、幼心に、なんとなく感じ取っていたのだと思う。
けれど、
「恐い」とか、またはダリが言っていたという「トラウマ」級の極端な感想も、夕暮れ時の全体の暗さと相俟って、ある意味で共感できるわけで、
それは、私が挙げた過去エントリー内で指摘しておいたように、この絵には、性や生殖のシンボルが満ちており、生まれ落ちて、営々労苦と引き換えの僅かな作物を得て、そして死ぬという、人間の一生を一枚の画布のなかに見事に端的に凝縮した作品であり、
見様によっては、なるほど、死んだ あかんぼうを今しがた埋葬した若い農民の夫婦が、自分たちの嬰児の亡きがらを埋めたばかりの地面に向かって、頭を垂れて祈っているように見えなくもないわけだ?(苦笑)
ついでだけど、
先述の『晩鐘』についてのエントリーを探していたら、なぜだか、いっしょに挙がってきた過去エントリー、これもアプしておきます。
安倍氏亡きあと、初めて、こうして読み返してみたら、なんとも言えないものが ありますわ。。。
2023.01.10 (Tue)
『今年の抱負(?)その他の雑感』の続き。
最後に、やっぱり政治の問題を。
ところで、
一般的に男性ってさあ、何かにつけて、女性を支配したがる傾向なのは古今東西あきらかだけど、その反面、気のつよい女性の言いなりになって満足してるケースも世のなか多いじゃん?w
まあ、なんせ母親という存在が異性だからこそ、いっそう複雑な心理になるんだろうけど、
むかしから私の見るところ、男性は、いわゆる悪女タイプが好きよねえw
要はラクだからよね。
自分のアタマで考えて判断する必要なく、放棄してハイハイと、支配欲の旺盛な誰かに寄っかかっていられるなら。
さて、ちょっと言っときますが、
世に言う「新興宗教」とかは、大概が胡散臭いを通り越して犯罪レベルの問題を起こしてきたことは多々知られているけれど、
もちろん、古い宗教だって、問題は多い。単に、長~い年数が経ってる おかげで、ウヤムヤになっていたり、てい良く隠されてきただけのことだろう。
去年、安倍氏射殺事件とともに、「宗教」を名乗るカルト団体との癒着が明るみに出た おりの当ブログ過去エントリーで、私は、いかがわしい宗教などに易々と引っ掛かってしまう人の背景事情のことについても少々触れておいたのだが、なかでも、ハッキリ指摘できることの一つが、
自分の子が何らかの障碍者であることを、どうしようもなく忌むタイプの人、特に、産んだ母親に、その傾向が顕著であると見受けること。
うちの母親は辛うじて、特定の宗教などに のめり込むことは なかったのだが、それも、娘である私の障碍が、誰の目にも あきらかに分かるほど重度では なかったことを利用しており、しかも、原因が、そもそもは自分に あったことも隠しとおしたかったからでも あったろうゆえ、あくまで私自身の「自己責任」「努力」しだいなのだと決めつけて、受験だろうが就活だろうが何だろうが、本当のことは言うな!とにかく誤魔化せ!と、頑強に主張し続けた。
その言いなりになっていた子である私もアホだったが、
父親に対する反感も影響していたので、ほぼ完全に信用していた母親の言うとおりにすれば するほど、やっぱり、現実との乖離に苦しむことが積み重なっていった。
そのことを少しだけ吐露した相手の、近所の幼なじみのとこの おばさんだけだった、
「奥さん、□※ちゃん(←私)が可哀そうよ?」
と、
あのプライドの権化みたいな うちの母親に向かって、ズバリと忠告してくれたのは。
他の周囲の者たちは全員、私の苦しみに無頓着で、
異常なほど気の つよい母親の言うことを正しい、としていた。
でね、
「ヤフゴミん」の連中にも言っとくよ。
「生活保護スレスレの苦しい生活なのに、自分たちは救われない!」と、さも、くやし気に言い募るオマエさんらに、私は一言、聞きたいのよ。
「おたく、持病とか障碍は負っているの?」
とね。
そうじゃないなら、病気も障碍もなく、ふつうのカラダと体力に恵まれているのなら、
「生活保護スレスレ」である不満や怒りについては、おそらくオマエさんらが支持しているのであろう『自民党=ダッピ統一壺売国党』や「ゆ党」の主張どおりのコトバで返せるのよ。すなわち、
「自分の努力不足でしょ」「おのれの無能さを恨みなさい」
とね(嗤)
故 安倍氏ならびに『自民党=ダッピ統一壺売国党』と『世界平和統一』なんちゃら(旧名)『統一教会』など、いかがわしい宗教団体との癒着も、暴力団(在日韓国・朝鮮人多数よね?w)と同様に、むかしから指摘されては いた。
かつて、このことでも大失敗している歴史を持つ日本に おいて、「政教分離」というものは、もちろん、こんにちの憲法のうちに含まれており、いずれにせよ、国家権力に対する「縛り」なのであるが、
最近、私は、国家権力の側のみでなく、そこに向かって はたらきかける宗教団体に対しても縛りが必要なのでは なかろうかと考えるようになった。
なぜなら、
ある「宗教」団体にとっては都合のいい主張を「教義」として掲げ、その組織力をもって(しかも、それを撥ね返すだけの力を、有権者みずからが放棄している体たらくの日本だ)、政治の中枢や国家の権力に喰い込ませた結果、そこの信者でもない、まったくの部外者である国民の多数が、納得なんぞ できないし、あきらかに間違ってるし、理不尽だとすら思うほど酷いにも かかわらず、その団体の主張する「教義」、それが、
われわれ一般の国民が知らないうちに社会の現実と化してしまっていて、小さからぬ不審や疑念を感じつつも、しぶしぶ、あるいは否応もなく従わせられる状況になっていた、
こんな事態が ありうるのだということが、安倍氏射殺事件を切っ掛けに、白日のもとに曝け出されたからである。
だから、去年の当ブログ過去エントリーで、もはや「自己責任の範疇を超えてしまっているぞ」と、指摘したわけ。
ほんとうに、民主主義という制度は、有権者の知的レベルを厳しく問う。
リッパな先進国の一員であり、超高学歴社会にも なって久しいはずの日本で、相変わらず、有権者としての意識も知性も磨かれぬまま、どんどん堕ちていってる、この国の社会。
近頃の私は、ますます、何を言うのもダルくなってきている。
有権者がアホだと、政治も、それ以上に新聞社などのメディアも、一斉にバカになるんだよ。
せめて、若い層にシッカリしてもらって、、、と、つい望んでしまうところだが、どっこい、こちらでも、「老害」に負けてないアホも多いみたいだなと思えてしまうし(嘆息)
まあ、若いということは、経験や体験の引き出しが少ないゆえ、思考が浅いのも仕方ないのが現実か。
ますます、自分に子や孫が なくてヨカッタと思えてくる。
もっとも、いたとしても、やっぱり、国外に出て生活していけるだけの力を身につけろと言い聞かせるだろうなあ、たぶん。
なんと言っても、遠からず、また大災害が やってくること必定の国土だしね。
最後に、『成人式』だか何だかワカランくなった式典のことを。
もう、必要ないがなと思うんやけど。税金つかってケッタイな行事は。
18歳だか二十歳なんだか、どっちやねんと言いたくなるほど、ややこしくなってしまったし、相変わらず、バカ造が、自分のためのオンステージとカン違いするだけで、これという意義に乏しい感じしか残らん。
女の子たちの和服姿の画像もチラッと見たけど、かつてのブームだった「大正ロマン」とか称していた、なんだか ばばっちい色柄から、最近は、また、古典柄っぽいのに近い方向へ戻ってきたのかなと思いつつ、色めのほうは相変わらずのケバケバしい下品さ。
こんなんが良いと思うんかねえ、近頃の女性の大多数は。
うちは、私が子どもの頃から、京都の呉服屋さんの出入りが あったので、いわゆる「はんなり」したものに魅かれるからでもあるだろうけど。
しかも、
あれじゃ、衣紋ぬき過ぎに近いやろ。水商売の年増じゃあるまいし。
せっかく若い娘の清純さも台無しやん。
母親なり着付けの美容師さんなり、周囲が教えてあげへんのかいな、いまどきは。
自分の娘だったら、
「そんな、品もコケラもないようなカッコ、やめときぃや!」
と、ガミガミ言ってしまいそうだわ。。。(苦笑)
2023.01.10 (Tue)
どうにか こうにか明けまして、
はや、『鏡開き』の日とやらが近づきました。
なんか今年は、お天気じたいは、(こちら大阪は)まずまずの穏かな感じでは あったけれど、周辺の街の ようすなどを見てみても、ますます、「お正月らしさ」が薄まったなあ~ってのが全体の実感。
「景気」とかは勿論のこと、まだまだ「コロナ」の問題もね、やっぱり影響してないはずが ないわねと。
いわゆる欧米圏に おいては、もちろんのこと『グレゴリオ暦/太陽暦』に則ってきており、大事な『クリスマス』こそは華やか、かつ厳かに過ごすものと聞いているけれど、ひるがえって新年に関しては、わりとアッサリめ、だとも聞く。なので、日本の伝統とは およそ逆のようでは あるが、それでも、私が子どもの頃までは、やはり煌びやかなムードが伴ってくるクリスマスは、言わば「お正月の前祝い」みたいな感覚なので あり、新年を迎えた厳粛さの重みのほうが、ずっと上まわっていたものなのだが、大多数の日本人は、キリスト教徒でないのに、近年は、いよいよ、欧米圏の流儀に近くなってきたのかなという感じが している。
まあね、ここ近年、私は毎年のように言ってるかもしれないんだけど、わが国でも「本当の お正月」は、『旧暦』『太陰暦(陰暦)/太陰太陽暦』ならば、今年は今月22日に当たるそうですからね。
ま、『お鏡餅』やら『注連飾り』やら何やらは、ごく限られた期間内にしか入手できないのだから、いちおう用意しておきたい向きならば、泣いても笑っても売っているあいだに買い整えるしか しょうがないんで。
それこそ『歳神』さまなる おかたが、音もなく やってくる頃には、とっくに「お鏡」も何も、どこへやらだ。
「はて?われが鎮座する場は いずこにや??」
と、戸惑っておられるやも(笑)
ともあれ、
年頭に当たって、まずは、兎のように軽やかに跳びはねられる腰になりたい、という、わらわの切なる願い
(笑)
痛くて動けないんじゃ、ほんとに何も できませんもの。
世間の動静に関心を向けるのも、ブログ更新するのも、ますますメンドクサくなっちゃう。
さてさて、今年の初・大笑いは、やっぱり、これがダントツでした。
『山田五郎 オトナの教養講座』。(笑)
このたびは『徳川家光』の巻。
【卯年・新春開運祈願】
「守株待兎」などという故事由来の難しいコトバは、また、それを踏まえたという『待ちぼうけ』なる歌のことも知らないでいた私だけれど、くだんの兎の絵の画像は、以前、どこかで見かけた記憶が あり、見た瞬間、「目が点(・_・)」になったことを自分で覚えており、しかも、
それが、徳川三代将軍・家光の手になる作であると知って、なおさらに驚いたことも憶えているのだが、
『ぴよぴよ鳳凰』(←ナイス ネーミング!!)に至っては、あのルソーについての解説時と同じく、「涙とともに大笑い」せずには いられなかった(苦笑)
うちの母親の形見の一つで、鳳凰柄の、格式高い帯が あるんだけど、こっちのほうが、家光氏のものより、よっぽど、それらしくて重厚で格調高い出来だけど(笑)
でも、いろんなグッズになってるよね、家光氏の『ぴよぴよ鳳凰』大人気だw
生まれた時代が現代なら、大したアーティストじゃん!ww
いやあ、あのルソーよりもブッとんだセンスのアーティスト、それも将軍さまが、わが国の歴史上に存在したんだぁ。。。感動いたしましたw
ルソーも、みょうなハショリかたと、反面の、異様な細かさを指摘されてるけど、
家光氏の場合も、もともとは、目玉も細かく描写しようと試みたものの(これは けっこう難しいだろうと思うわ)、なかなか上手く いかないから、短気を起こして、真っ黒まん丸に塗りつぶしただけなのかも?
細かく描き過ぎる傾向のために、若い頃、小説の筆を折ったということを、過去エントリーで ちょっとだけ触れたけど、絵のほうでも同様なことが あり、「見えたまんま」が昂じて、ひとたび細かく描きだすと、やめられない止まらない、歯止めが利かず、とことんまで細かくなっていき、
あるときは、学校の美術の授業で、手の部分だけ描くデッサンの課題で、一本のシワを描き込んだとたん、そこから たちまち、見えるかぎりの細かいシワを1本1本描き足していった果てに、
「なんやコレ?おばあさんの手ェかい?」
と、クラスじゅうから嗤われたこともある。
それにしても、当代随一と謳われた『狩野探幽』が直々に指導しておりながらコレかぁ?という些かの疑問は私も湧いたけど、
キョーレツな個性は、天下の名匠、名師匠と言えど、コントロールしきれるものでは ないのだなあ、、、ともww
たしかに、余白の取りかたも、「思いきった」と言うよりは、バランスが、なんか異様なのよね(苦笑)
ただ、この余白には、本来、文章つまり「画賛」というものを書き込めるようにとの目的が あったとか、そういう指摘も あるようだ。でも、結局、誰も、何も書き込まなかったw
それと、
やっぱり、全体からすると、対象自体を小さめに描いてるわよね。
意外と自覚あったんじゃないの?(苦笑)
恐れ多くも指導する相手が相手だから、さすがの狩野探幽も、「勘気に触れる」とかを恐れて言いにくかったのでは?という推察も あろうが、
これは、私の母親が、ある芸事(邦楽関係)の教室を運営していたことから、ちょくちょく聞いていた話なんだけれど、
どう指導してみても、どうにもならない生徒というのは、たまに いるもので、そういう場合、教える側のほうが疲弊してしまい、
「ああ、まあー、それくらいでエエやろ」
と、お茶を濁してしまいがちなものらしい。
うちの母親なんかは、いわゆる「絶対音感」を誇っていたが、それでも、どうにも音程がオカシイ人を教えていると、適当なところで割り切って、「まあまあ、それくらいで」と おさめないことには、だんだん引きずられて、自分までがオカシくなってくるからとボヤイていた。
で、
山田五郎氏も、家光描く動物たちの眼が、まさしく「虚無の眼」「ブラックホールの」云々とか、最終的に、家光氏の多少異常なパーソナリティに対する疑念をも述べるに至り、、、
(あっ、あの『春日の局』か!「上さま!お胤あそばせ!!」とて、キビシく詰め寄っていたwそのせいで、家光氏は、ガチの男色に走ったとかっちゅう?ちょっと違うか。)
私は思わず、
「『皆さまの御多幸と御健勝を祈って』『新春に相応しい めでたい絵を』って、全然ちがうんやないの?それ」
と、ツッコミ入れたくなりつつ、いささか唖然としてしまいました(爆)
【続く】
2022.12.31 (Sat)
目下、私がハマっている最中の汀 夏子さん
彼女の過去のステージ記録動画で、お得意の「男っぽい」とか凛々しくとかとは違って、時々、可愛くコミカルに踊っているシーンを見ていると、ジュリエッタ・マシーナが演じた『道』のヒロイン、ジェルソミーナを思い出した。
近頃、こちらにもハマっているということで、すでに何度か取りあげている『山田五郎 オトナの教養講座』ですが、
このシリーズを見ていて何度か痛感したのは、やはり、特に戦争とか、それを引き起こす原因になるような権力者や思想の登場とかが あると、それらの都合しだいで、たちまちにして、芸術は弾圧か利用、どちらかの対象とされ、隠さなければ ならない、さもなくば滅される対象へと陥ってしまう、それが実際のところなんだということと、
もう一つは、
私自身も多かれ少なかれ好んできた作品を遺した画家たちのなかに、その作品の美しさ、すばらしさからは想像も できないような、男としてはサイテーじゃないの!?!![]()
と言いたくなるような御仁がチラホラいること。
知りたくなかったわ。。。
けっこうショックよ。
ルソーくらいなら、まあ笑えるんだけどねえw
で、ちょっとショックを受けたうちの一人がカンディンスキーなんだけど、私は、初めて見た子ども時分から、わりと好きだった、とは言え、限られた作品しか知らないできたのだが、少なくとも、ピカソ大っキライだった親父のように、「わけのワカラン絵を描くなー!!
」と、まじで立腹するような、いわゆる抽象画ぎらいでは ない。
ただし、具象であれ抽象であれ、どうやら、色遣いにも、かなり左右される面が あるようで、何を描いたのやらサッパリわからないとしても、色調のハーモニーのようなものが心地良ければ、それでオッケーみたいな感じ。
なので、もちろん、全体に陰気臭いような、ばっちい色遣いの作品だと、やっぱり、好きには なれないことが多い。
んで、
『オトナの教養講座』のなかで、山田氏が指摘しておられたのが、カンディンスキーは、「プチ スピリチュアル」だったとかいうこと。
それ聞いて、
「ええっ?そういうのってスピリチュアルなの?じゃあ、わたしも そうだってことか??」
と、
わりとスピリチュアルぎらいを自認してると言うか、正確には、オカルトとかスピリチュアル大好きな人の軽薄さがキライなくらいなんだけどw
われながら驚いたのは、
過去エントリー『「天才」と呼ばれたいチミに。』で述べたように、私も、音色と色彩が結び付く傾向は、子どもの頃から自覚が あって、
と言っても、他の人たちも普通に そうだと、なんとなく思っていたし。
だってさ、「黄色い声」なんていう定番の表現が昔から あるじゃんか。
ガーシュウインの『ラプソディ イン ブルー』を初めて聴いたときは、「ブルース」の「ブルー」という意味なんだそうだが、まさに青いイナヅマが、頭のなかを走ったし。
『エクソシスト』っていう、有名なオカルト映画が あるでしょ。
あのテーマ曲の『チューブラーベルズ』を聴いたときは、銀色の金属の小さなパーツが たくさん、それぞれに光をキラキラ反射させながらクルクル回転していて、それが だんだん集まって、シンクロしながら大きな回転体になっていくイメージが、頭のなかに浮かんだ。
それだけじゃなく、数字と色のイメージが結び付く傾向も あった。
子ども時分、絵というか、マンガも大好きだから、読むのは勿論、自分でもマンガ家気分で描いたりしたけど(見つかると、またマンガなんぞを!と、親に激怒されて、殴られたりした)、その一つが、登場人物全員の顔が数字という、、、
いま振り返ると、かなりシュールだなあと、われながら思うんだけどw
自分では、それぞれの数字そのもので、登場人物各自の容貌の特徴から内面性などに至る、キャラクター全体を表現してるつもりだったのよ。
たしか、小学生で、まだ低学年の頃だったと思うけど、
幼なじみに、その力作を読ませたら、読み始めた幼なじみが、ほどなくして、コトバも発さず、顔を上げ、ただ たまげていた、と言うよりも呆れていたのを憶えているww
でも、たしかに、現在の自分よりも、子どもの頃のほうが、もっと強く感じられていたようには思う。
それにしても、
そんなに珍しいとか才能だとかって、たいそうなもんかしらねえ?
この狭い頭蓋骨の空間のなかで繋がってるんだから、どこかの部分で刺激を受けたら、いっしょに連動しちゃう部分が あっても、それほどにはフシギと思えないんだけどなあ。
旧ブログで、また、過去エントリーの どこかでも紹介した話だけど、戦時中、飢餓状態に晒されていた日本の兵士が、炊きたての白い御飯を、脳裡に思い浮かべた瞬間、なぜかアソコが勃起しちゃったって現象。
大きな自然災害のあとで、植物の実が、例年よりも多く ついた現象とか、そういう話も聞いたことが あるけど、どこか共通したものが察せられる。
それと、
全く異なる人種や民族、遠い国どうしの言語なのに、たとえば、「甘い」とか「辛い」という感覚を表わしているように思える単語の発音に おいて、かなり共通した感覚が あるようだという実験のようすを、テレビの番組で見たことも憶えているのだが、
世界各国で、女性に かかわる単語には「М」系の発音を含む単語が多い傾向という共通性も見受けられるように思う。
MacDonald-Wright“Scherzo Form”(1973)
あと、同じく『オトナの教養講座』から。
なぜか、日本のニュース記事では、それほど詳細を解説しているものは目にしなかったため、私も、そこまで知らなかったのだが、
『ジャスト ストップ オイル』とかいう、有名な美術作品を襲撃する活動で話題になっている連中のことだ。
この集団を支援しているというのが、世界的にも知られているほどの大富豪(石油会社など)の子女たちだという話だったんだけど、
ここで私が連想したのは、
『共産主義』思想や、とりわけ『キューバ』革命を主導した者たちが、本来なら、それを忌避し、滅しようと動くべき側の はずの一員で あり、原住民を搾取して、財を築いた裕福層の子息たちであったということの、一見チグハグな感じの歴史だ。
やはり、生活に余裕あるからこそ、高等教育、教養、技量を身に つけられるゆえの、思想や知性を培えるゆえの、新たな、先端的活動の実行力なのだろうけれども、
くだんの、美術作品襲撃活動と、それを裏から支援しているという富豪の子女ともなれば、これも さぞかし名門のとか有名どころの最高学府を出ているのだろうと思しきわりには、えらく浅いというか、
はっきり言ってバカっぽいような。
なぜなんだろう?
なぜ、こんなことしか考えつかない、できないのか。
飢えを知ることもなく、潤沢な生活を謳歌していられる連中よ。
オマエさんたちの襲撃活動で得意げに手にしている、缶スープその他にしたって、そうとうのエネルギーを費やして製造されているはずだろう。
まあ、私としては一言で済む。すなわち、
ヘリクツは いいから、とにかく、食べ物を粗末にするな!
それだけだ。
この冬は、例年にない厳しい寒さなのに、暖房費の高騰も心配のタネで、うちも、先日のエントリーで触れたように、12月に入っても、なかなか、暖房を入れる気になれずだった。
直近の長期予報によると、大阪では全体的に晴天と平年並みの気温の日が多いそうで、時々は猛烈な寒波が来るものの、比較的短期間で済みそうだということなので、本当に そうならば助かるなあと、少しホッとした。でも、豪雪地帯の住民は、例年にも増してキツイ状況、ましてや、生活苦で、暖房も ままならない世帯などは、のりきれるのだろうかと、他人ながら、気にかかっている。
それや これやも あるからだろうか、
近年は、ますます実感しているように、日本では従来、最も大きな節目であったはずの「お正月」らしい厳粛さ、独特の清新さというものが、私の子ども時分と比べて、ずいぶん希薄になったもんだなあと思う。
そのくせ、
『キリスト教』の信者でもないのに、『クリスマス』は勿論のこと、近年では『ハロウィーン』てなものを歓んで、やっさもっさと、大集団で押し合い へし合いの大騒ぎらしい。
これだけ、娯楽の類に事欠かない現代でも、若造というものは、要も ないのに、集団で押し合い へし合いになるのが、よくよく大好きなんだなあと、大昔の『歌垣』なる風習を思い浮かべつつ、あらためて呆れるw
私は若い頃から、人ごみが大キライだったけど。
私自身、若い頃は、「桃割れ」髪を結ってもらうために、共に美容室へ赴き、和服の着付けを やってくれた母を亡くし、後年、父も亡くなってからは、季節の行事に拘って、うるさく言う者が いないもんだから、いよいよ本当にマイペース、気分しだいとなった。
父親が元気だった頃は、亡母の代わりに、大みそかは、「年越し蕎麦」まで拵えに、気の重さを叱咤して、実家へ通った自分が、はるか遠く、まぼろしのような気が してくる。
あああ、ほんとうに、めんどくさかったw![]()
この反動は、予想以上に大きく長く、尾を引いているww
暖房費が恐くて、寒さに震えて過ごしていると、腰の痛みにも影響するしで、年末なのに、とうとう、基本の家事すらロクすっぽ できないままに終わってしまったが、きのう一昨日あたりは、やっとかめ、玄関の掃除だけ、軽く済ませておいた。
ま、そんな こんなで、個人的には、例年以上に、なんとも さえない年の瀬となっちまいましたが、
皆さまに おかれましては、よい お年を お迎えくださいませ。
〽ほ~た~るの ひ~か~り、わ~か~れゆぅ~う~く~♪
年が明けて、チョーめんどくさがりな私の気が向く そのときまで、しばしのサラバでございます(笑)
ではでは![]()
2022.12.23 (Fri)
『ちょと言っとかないと、かな』の続き。
先のエントリーでは、ま、多少の極論めいたことも口走ったが、
さしづめ、「同性婚なんてキモチ悪い」云々と言い放ったオッサンなんぞは、どんなに高価なものを山と積まれて頼まれたとしても、ふるふる厭なタイプ、こういう男や人と、何を話そうがツマランし、ひどくタイクツするだろうなとしか予想できない。
私が出会ってきた男たち、そこに、うちの父なんかも含めると、
女性である汀さんのほうが、よっぽど「男らしく」って凛々しくて、真面目で誠実で、根性あるなあと思えるわけよ。
実際に接したことすらないけれど、少なくとも、そのようには見えちゃう。
これまでに、私としては珍しくも心底からマジで好きになった男性ですら(残念ながら既婚者だった)、もし、結婚なり、一緒になろうとかいう話になったら、けっこう長期間に わたってグズグズためらってしまったりするかもと思ってきたのが正直なところだけれど、それじゃダメなんでしょうね、実際、周囲からも、そう言われたよ、自分のなかでは、あまり納得は してなかったけど(苦笑)
言ってしまえば、
「男の人と生活するのって、なんかウザそう」
というのが拭えなかったんだけどw
私の場合、父親で苦労したことが第一原因になってると思う。
これも、自分の姉と同じく、離婚の修羅場を経験している叔母なんかには、
「それでも、結婚すると、なぜか、気持ちがグッと落ち着くもんなのよ」
って、
だから、あんたも、いいかげん、結婚する方向へ本気出しなさいよ、と いう お説教も されたけど。
それが、20歳代の後半頃。
まあ、この国では、30歳代に差しかかると、コロッと風向きが変わるからね。
私は、「仕事一筋」で行けるなら、それも結構じゃないかとも思ってたし。
ところが。
汀さんとなら、いまからでも、ほいほい結婚したいくらいなのよ
(笑)
いや、フザケてないよ、本気だわよ本気。![]()
そうして、グッーと落ち着いた心境になりたいもんですわw
もう迷うことは ないんだものww
ああー、これじゃあ、男たちの出る幕が ないwww
それは そうと、
『宝塚歌劇団』の音楽学校に入学する前の頃の汀さん(15歳ごろ?のジュンコさん)と御母堂、お二人ならんでいる お写真を、テレビ番組の なかでだったか、拝見したのだけど、
まあー、そっくりなのねえ、汀さんの おかあさん。
それを見て思ったの、
「ということはや、おかあさんが『宝塚』に入団して、男役スターに ならはったとしても、全然ありうるわけか!」(笑)
何年前かに見かけた記事で、たしか、『宝塚歌劇団』の「男役」OGさん数人だったと記憶するが、その人たちが、ダンス(ソーシァル ダンス?みたいなん)の お相手を つとめてくれるという特別イベントで、それの参加希望を受け付けているというふうな内容だった。
私もさぁ、鳳 蘭さんとか瀬戸内美也さんとか、もちろん、汀 夏子さんに、ダンスの お相手を していただけるとなったらば、嬉しハズカシながら、めいっぱいのオシャレして参加したいもんだと思っちゃうだろうけどw
なんせホラ、杖の検討が必要かなぁ;というほどの腰痛でしょ、
これじゃ、踊るどころじゃないよ、とほほ。
最近は、バレエ ストレッチでさえ、ほとんどのメソッドを中止してるのに。
汀さんだって、若い頃の苦労のせいか、膝とかが痛いと おっしゃってたからね、汀さんよりも大柄な者を支える余力なんて残ってないでしょうし、だいたい、彼女たちは、私よりも、ずっと年上ですからね、その年上の方々から、
「腰は どないです?だいじょうぶかい?」
なんて、いたわられながらヨロヨロ踊るなんて、ありえねーでしょw
しくしく![]()
もともと、痛みが出やすい右側を庇っていると、そのうちに左側へ来る。なので、今度は左側を庇っていると、また右側に戻る、その繰り返しの あげく、両側いっぺんに来たー;
てな事態になったら、いよいよ万事休すだわ~
と、すごく焦ったけど、
まあまあ、おかげさまで、だいぶ、よくなりました。
ただ、ぶりかえしやすい持病なのだから、今後も油断しちゃいけないのよね。しくしく![]()
…
というわけで(?)
日本政府!
犯罪行為なんかじゃないんだからさ、とっとと同性結婚を認めなさいよ!!と、言いたい。
根本のところで、あたかも『イスラム原理主義』みたいな国だわよ、この国は相変わらず。
「自由」とか「選択の自由」だとかいうのは、とことん突き詰めていけば、はたして、そんなものが本当に あり得るのやら、いろいろ怪しくなってくるような難しいものを孕んでいる。
それでも。
人生のパートナー、結婚、子を儲けることなどについて、そして、親らが勝手に付ける名前ですらも、個々人に選択する自由が本来あるはずでなければ ならない。
国家の権力筋が どう決めつけようと、人の心を永遠と縛りつけておれると思ったら大間違い。
それこそが、自然界の摂理に反しているのよ。
選択の自由なんぞ不要だ無用だ、奪っておけば いいのだ、与えるべからず、知らしむべからずなどと思う者たち、そのように思っているのは誰で、何故なのか。
そんなの当然で、アタリマエのことだと思えている者は何故なのか。
感じて、考える人間は抵抗する。
できなくなったら、それは、すでに死んでいること。