2023.07.20 (Thu)
「愚者は経験に」「賢者は歴史に」学ぶ、
とかいう有名な格言は、かつての『プロイセン/ドイツ』のビスマルク、という、たいそう偉い人が言ったのだそうな。
だが しかし、
じつは「勝者」が つくったものが「歴史」なのである、畢竟、歴史とは「勝者の歴史」に他ならないと喝破した警句も ある。
その時その時の「勝者=権力者」が上書きしていった。
だったら、「賢人」は、何を歴史に学ぶのだろうか。
歴史の隙間に埋もれたまま浮上しない事も多々あろう。
名を残す勝者にとって、不つごうなもの。
勝者に追いやられ、排斥され、踏み潰され、名も消えていった者たち。
過去から目下に至るまで、この国では、黒々した「のり弁」が累々積み(罪)あげられていってる(嗤)
あるいは、
海苔の貼り付けも間に合わない!と くれば、迷うことなく焼却場へ。
こっちのほうが、だんぜん多いようだ(嗤(嗤)
そして、うそぶく。
「やーい、ショーコ出せよショーコを!」w
ま、われと わが身が痛い目を して、明白な失敗を仕出かしておりながら、それでも直視を避け続け、視線を逸らし続けておれば、そりゃ、
「経験に学ぶ」ことすらも できない、「愚者」以下のままだ。
自分一個のみの欲得算段に囚われていたら、眼が曇って、すぐ前に あることすら見えなくなるのは当然だし、
我欲強烈に過ぎれば、わが子ですら踏み敷いて渡っていこうとするのだから、あとあと、深く恨まれたり、侮蔑を買うことになるのは避けられない。
よりによって、自分を産み落とした親を恨んだり侮蔑するのも、なんとも言えぬ、つらいこと。
尊敬や敬愛なんて無理に決まってる、許すのも困難だ、さりとて、許しきれないのも、なんだか忸怩たる思いに つきまとわれ、
結局、いちばん苦しむのは、弱い立場の子ども。
まあ、各自の経験や体験を、当人が、どのように受け止めて、消化していけるかというキャパも左右するけれど、
狭い、広い、低い、高い、
要は、「精神的視野」が大事なんだろう、人間には。
自分の低い視点のままで、身を置いている、その狭い場所から一歩も出ず、ひとりよがりな解釈ばかりしていたら、それは、「愚者」のままで い続けることになってしまうだろうし、それが往々にしてセットになっているのは、他者に対し、自分は こうだったんだ、だから!と、感情的に押しつける癖。
これも、私が、旧ブログの頃から言ってたと思うのだが、
最初は狭い所から、世界を眺めていて、低い自分の視点から、徐々に眼を上げ、見詰め渡していけば、
「経験」「体験」というものは、個々人にとっての「歴史」となっていく。
その集大成が、やがて、人類の歴史になっていく。
ほとんど誰しも、自分の身に思い知ることが ないと、気づけないものだ。
まずまず「人並み」「平凡」な「一般的」な条件のなかで生きてこれた人たちと比べるならば、私自身は、あらゆる面で、そうとうに特異な条件や環境下で生きてきたということに、あまり異論は ないだろうと思う。
ただし、うちの親らは除くw
彼らのような性質の者は、後ろめたさにプライドが貼り付いた背中合わせで、自分が仕出かしたことを、ぜったいに認めないからww
認めることは、死と敗北に等しいと、頑なに思ってるから。
「人並み」や「一般的」とは外れた所から、自分の眼で眺めたり観察しているうちに、どうしても、つよく疑問に思うタネにだけは事欠かない。
それは、まさに、人並みや一般的と外れてるからこそだ。
そうして、
そこから脱出したい、どうにかして、この理不尽から解放されたいという切実さも増してくるので、あれこれ考え詰めも するのだが、それだけでは、とてものことに、複雑怪奇の埒が明かないから、当たって砕けろも、少しは試す、大ケガも する。
そこまでは早々やらないにしても、
毎日の日常レベルで、全身、擦り傷や小さな切り傷だらけだ。
ますます考え込まざるを得なくも なるわけだけど、
もともとの性分から言って、ボーっとしてるのだし、
そんなにまで考えたいわけじゃなくっても、
なんとなく周囲を見ているだけでも、なんせ、特異な観察対象だけは、目の前に常に豊富で、事欠かないので、
特に親らは、年がら年じゅう、飽きもせずに、同じような争い事と失敗を繰り返し、子どもに深刻な迷惑を押しつけているわりに、妙な要領ぶりと押し出しだけは結構に見えるらしく、世間さまから、おおむね、わりと高い評価を いただいてきたりしていたもんで、
結局、ほぼ誰にも、私が抱えている疑問を聞いてもらったり、少しは腑に落ちるような解答を もらえた ためしが ない。
なので、
どうにも怪訝に思えたり、理解は難しいが切実なことについては、誰に言われることなく、自分で考える。
観察し、推察、洞察を はたらかせようとする。
なぜなら、
終始、何ごとにつけ、自分のほうが間違ってるとか、自分だけが悪いとか責め立てられ続けると、ほんとうに、身の置き所が なくて、気が狂いそうになりかねないから。
幼い頃は、抗う すべもなく、ただ、ひたすら泣き続けるか、途方に暮れるしか なかった。
精神衛生に甚だ悪い。
インターネットもパソコンも普及していない頃、私が若い頃には、図書館なり書店なりへ赴いて、ヒントや解答が載っていそうな本を見当つけて探すわけよ。
あぁ、これだな!
と、ヒントを与えてくれたり、やっと腑に落ちる、納得いく解答に遭遇できることも、時たまには あった。
それらの解説は、たいがい、専門筋の学者、研究者たちが、長年かけて、仮説を立て、調査のための実験や臨床などを重ねてのちに辿り着いた、さしあたっての結論だ。
私は、何の専門もない、そのへんのドしろうとでは あるけれど、専門家たちが、労力を費やし続けて、やっと上梓した書物のなかで解説している内容は、
私自身が、自分の周囲を観察して、分析して、推察や洞察を はたらかせる努力を してきた、その結果、
「こういうことじゃないかな」と推測していた内容と合致することが幾度か あった。
まあ、専門家でも、この程度かと、失望するような稚拙な論を公開して恥じないシロモノを見かけることも幾度かは混じっていたけれど(苦笑)
つまり、
およそ「人並み」や「一般的」からは遠い、私を取り巻く、特異な環境を観察し、分析し続けたことが、そのまま、研究者や学者たちの調査とか臨床実験といった手続きに代わるものだったのだとも言えよう。
私の生来からしたら、
もし、人並みや一般的、ましてや、それ以上にも恵まれた環境で生きてきたものなら、
ものごとを深く考えようなんてことは なく、表面だけサラッと流し、自覚に欠けた偏見とウヌボレに気づこうとすることもない、鼻持ちならぬ驕慢な俗物、真の愚者だったかもしれないなと、自分で思う。
ところで、
個人的には、あまり、関心を持たなかった文学賞の類なのだが、今回の『芥川賞【第169回】』に おいては、市川沙央さんという、難病と重度障碍を抱えておられる女性が受賞されたという。
まずは、たいへん良かったと思う。
自分でも「ウヌボレてる」と、少しは自覚していたらしい!?wあの石原慎太郎氏が、生前のように、ここの選考委員を務めておられたならば、どのような顰蹙ものの問題発言を口走ったことやらw
『石原慎太郎氏の差別発言はなぜ繰り返されるのか 「業病」ツイートの根底に優生思想』
ALS嘱託殺人:石原慎太郎氏の差別発言はなぜ繰り返されるのか 「業病」ツイートの根底に優生思想 | 毎日新聞 (mainichi.jp)
2020/7/30 07:30(最終更新 2/2 11:28)
次のエントリーでは、
市川氏の受賞会見時、最もインパクトある問題を提起された発言、
「紙の本への憎しみ」
を めぐる考察を。
【続く】
2023.07.17 (Mon)
どシロウトながら、
この長い年月を、ただ ひたすら溜め込んだままにしていたくらいなら、少しずつでも蓋あけて、少しずつでも蒸散させて、少しでも嵩を減らしておくほうがマシだったんじゃないの?とすら思える、放射性物質汚染水または「浄化処理済み水」海洋放出について。
これが また、長の年月かけなくちゃならんらしいね。
あの大事故の あとの「謎の湧水」なども問題になり、
あんたが頼りや!の『ALPS』も、すぐにパンパンになって故障し易いと、すでに聞いていたことも ありで、頻繁に取り替えするのは可能なんだろうかとか、心配のタネは尽きない。
前回のエントリーでも指摘しておいたけど、
さらに一言。
あの大事故の直後から、われわれ一般の国民が、いろいろとイッキに目まぐるしく気づかされたことのなかに、最大の意外性とショックを感じたこと。
それは、
この方面の専門家や学者らの、それぞれに、言うことが大なり小なりバラついていて、結局のところ、
専門家や学者でさえ、ほんとうには分かってないことだらけなんだ、
ってこと。
なんせ、「見切り発車」してしまった分野の代表格だけに。
ということ。
まさに、『COVID-19』問題との共通性が ある。
だから、
いわゆるネット民、特にネトウヨ、特に『ダッピ』の手先や各界の回し者すべて含めて、
「おまいら、いったい何が分かって、こうも頑強に断言しとんのや?」
としか思えませんな、私は。
それにしても、
「科学的には問題なし」と理解しているらしい、「『自民党』の日本」には大甘な『福島』県人たちw
その声が あるという事実を事実として報じる新聞社や各メディア以上に、地元民みずから積極的に風評が風評がと言い募っていることで、かえって宣伝しているような側面が あるじゃないのかしら?ww
それに、
「風評」みたいなもんは、幸か不幸か、殊のほかに忘れっぽい日本の「三日アタマ」な民衆だからwいっときさえ越えたら、以後は順調に忘れていきますやろww
気にする人は、どうやっても延々気にするだろうし、
気にしない人は、ソッコーで気にしないもんですw
さしあたっては、公の補助を受けつつ、気にしない人たちを相手にしていればエエww
新聞その他の大メディアが「文系だから」「理系でないと」とかは無意味な話。そうじゃないかな?
近頃は、有象無象なネット民の大声のほうに おもねりがちで、余計なイイ子ぶりっこが激しくなってきた『朝日新聞』さん。しっかりしなよw
なお、私は、「セシウムさん」などと、裏でフザケていたテレビ局の軽薄さも、けっして忘れてないよ。
それと、
旧ブログを やっていたときに驚いたことの一つ、
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』の牙城としても定評ある福島県の地元民のなかには、『産経新聞』社と結託していると思しきブロガーも いたもんだ(嗤)
何かにつけて『産経』から、取材電話が かかってくるんだと、なんだか自慢口調で言ってたよ(嗤(嗤)
すべてにわたって浅薄で、いやらしく俗悪な性質むき出しの、そのブロガーの存在を知って、私は、福島県人に対しても、イッキに冷めた視線に なりましたわ。
あとは、、、そうそう、
あくまで個人的には、あまり関心を持てないままの、これも以前のエントリーで指摘しておいた『ジャニーズ』問題ね。
一言で言えば、おおもとは、故ジャニー喜多川氏の生前の性犯罪行為が引き起こしていることなんだけれど、
「日本の芸能界は」云々以前に、
諸外国でも同様の内情になってるらしいことは、すでに知られているわな。
芸能界どころか、あろうことか、宗教界もだ。
そう言えば、喜多川氏の おとうさんは、なんと、お坊さんだったってね。
かの重信房子ってのも、父親が「右翼」だったって話を思い出したわ。
さて、
子どもや未成年が、何らかの被害を、真っ先に打ち明けていける先は、親や家族じゃないの?
これも、養育者の仕事、「しつけ」のうちで。
子どもが、厭なことを されたと訴えたときに、まずは身近にいる周囲の おとなたちが、どのように対処したかが大きく影響するでしょ。
「特異的、特筆すべき才能」を有し云々と言っても、だったら、どんなに悪いことやってても見逃していいのかという問題は当然、起きてくる。
だいいち、悪いことしたやつの、何らかの「特異的、特筆すべき才能」ってのが、必ず備わっているとは限らないのだしw
単に、悪いことを やってのけて、逃げきる才能、それだけが あったに過ぎないということも、世のなか多々あるww
要するに、しぶとく、狡猾なだけだったというわけだが、
一般の犯罪方面でも、そういうことを仕出かした者は、才能が云々よりも、早い話、少なくともオツムから下の体力は、間違いなく旺盛なわけでねw
加えて、なまじに知能なんかが高いほうであるなら、いわゆる「知能犯」にもなるし、
古来から言う「英雄、色を好み」じゃないけれど、
要は、特に性犯罪を中心に、男性が実行する主役となっている世界だ。
もちろん、そこは、一般的に男性には、女性と比べて、脳の、ある意味の「偏り」が伴っている。
だからこそ、古今東西、戦争を引き起こしやすいし、
そうなれば、あらゆる「非人間」的残虐な犯罪も夥しく伴う。
で、ついでに言っとこう。
このことは、旧ブログの頃にも指摘しておいたのだが、
例の『北朝鮮』の「拉致犯罪」ね。
たまたま、最近、とある『ユーチューバ―』の動画を見てみたんだけど、大阪の『西成』区が地元であるとか言ってただろうか、その、やたらと元気なオニイチャンは、外国も国内も、あらゆる地域、特に、何らかの問題や話題で知られている場所へ赴いて、そのことについての感想や論評も行なっているそうで、何年か前には『北朝鮮』へ入国した おりのレポートも公開していた。
ところで、
私は、若い頃に、たまたま、デパートにて『韓国』や『朝鮮』の文化とか食べ物をテーマとする催し事を やっていたのを見かけ、『朝鮮式冷麺』というやつ、わりと身近で食べてきた普通の『韓国冷麺』と、どない違うのかしらんと単純に思ったことが動機で、特設レストランに入り、注文して食べてみたことが ある。
韓国式のと違っていたのは、用いている材料が異なるためなのだろうか、黒っぽい麺だったが、基本的な味は同様で、とても美味しかった。
なんと言っても、つるつる度が特異なのよね、あれって。
「韓国式冷麺」として馴染みのある白い麺よりも、つるつるしてるの。
うっかりしてたら、ほとんど噛まないまま、つるーっと抵抗なく呑み込んでしまいかねないほどのツルツル度。
日本にも、いろんな麺が あるけれど、そこは比べものにならない。
で、
そのことを思い出して、
要は、「冷麺」のことで興味を惹かれ、ヨダレを くりながら視聴してみただけなんだけどさw
その動画は、北朝鮮関係の短期的シリーズみたいに編集されていて、なかには、「拉致問題」などを含めた、日本側にとっての重大懸念事項を、現地で質問してみました、といったことも実行したらしい巻も含まれていた。
んで、
拉致問題についての、現地の人たちの返事は、やはり、「よく知らない」とか「もう終わったことなのに、なぜ、いまだに日本側は、この問題を引っ張り続けるのか?」という内容が殆どだったらしいのだが、
この動画主催者のコメント欄も、けっこう胡散臭くてねw
サッと読んでみただけでも、『北朝鮮』関係者とか「在日」の人が常連で投稿しているのかな?と思わせるような内容のコメントが多めで、
くだんの、たいへん元気な主催者オニイチャンを、個人崇拝的なまでにベタ褒めに褒めそやすコメントも多くて、鼻についてゲンナリしてしまい、今後は、もう視聴することは ないだろうなと、個人的には判断したけども、
一言、あらためて言っとこうと思ったのは。
日本の「現人神」時代を真似しているのであろう『金王朝』先代も、当時の首相だった小泉さんに対して、「部下が やりました」ってな、日本の政治屋ソックリな言いワケしたらしいね(嗤)、
たしかにね、世代が変わると、先代まで やってたことの内実を、詳しくは知らない、よく分からないということも、百歩譲って、あり得るのかもとは思うけれど。
「日本だって、戦時中に、われら朝鮮民族を拉致した」と言うけれどね、
まず、戦時は、なんでもアリ、どんな悪業も やらかすでしょ。
だから、男性が中心となって やりたがる戦争というもの、やってはダメなことよね。
しかしながら、
例の拉致問題は、戦時に起きたことじゃない。
どっちが、ヘタな真似して、いつまで「引っ張り続け」たんだかね。
韓国も、かの『ライダイハン』問題とか、日本の真似したんかえ?と嘲笑されても しょうがないことを仕出かしてるというし、
私は、たとえ自分側とか自国だからって、一方的に盲目的許容は しない思考と判断なので、
日本も日本、
まさに政治屋や悪徳バ官僚の特徴むき出しに狡猾、かつ、小心で下劣な計算をチマチマ執拗に働かすのが得意な国民性だとは常々思ってるけども、
北朝鮮に渡しますから預からせろと、大ミエきって、結局、自分とこの懐にマイマイしてたっつう韓国(嗤)
あれや これや思い起こすと、自分の国に対する自己投影度が高ければ高いほどに、自分自身を恥じることに繋がっていってしまうから、目を逸らして逃げたくなるんだねw
はてさて、
何度か指摘してきたように、
ほぼ、ルーツを同じゅうするだけにwお隣の『韓国』『北朝鮮』ひっくるめた『朝鮮民族』というものの、およそ権力や強者に ひれ伏す、不甲斐なさの歴史、その反面のウヌボレ、空虚な増長などの共通性は、日本国民にも大きい。
もっとも、
日常で食べる物さえ事欠いてヒイヒイ言ってるうちには、異議申し立てや「民衆蜂起」なんぞ起こす気概も なくしていくわな。
たった数十年ほどで、ますます酷くなった、「でごんしょう、でごんしょう」日本の民衆の「茹で蛙」ぶりよ。
私は、近頃には非常に珍しく、これを実行すると聞いたら、
「やったれ!!」
と、心中ひそかにガッツポーズで応援しているのだがw
デモもストライキも なくなって久しい、この国の体たらく。
総じて、日本という国は、あらゆる方面で、「反応が鈍い」「腰が重い」「行動力に乏しい」。
それにしても、
いまや、『ヤフーコメント』欄に勝るとも劣らぬ、『msnコメント』欄の ありさまよ(大嗤)
こういう商売によって、人類の下劣度は、いよいよ複雑に深まっていく。
2023.07.12 (Wed)
『ネット怪現象ふたたび みたび』の続き。
それは、先述したとおり、
けっこうな数が寄せられているコメント欄もサッと見てみたんだけど、案の定と言うか、その『アメリカの専門家』が胡散臭いとか、買収されたんだろ中国にとかいう誹謗中傷のメジロ押しで、
コメント欄を下の方まで繰っていくと、ようやっと、圧倒的な数の「ウヨ」「ネトウヨ」常連らの先着コメントに反論する内容のコメントがポツポツ並んでいるのが出てきた。
それで、
このように、ネトウヨや原発推進派らの猛反発、悪意とヒガミで憶測している中傷コメントに対し、きちんとした科学的、論理的な反論コメントも可能なんだったら、せめて、もうちょっと早く投稿しておけば いいのに
とも、私は思ったわけよ。
まあ、一日じゅう愚劣で下品なコメント投稿を「仕事」(←『ダッピ』かよ嗤)と称するウヨやネトウヨのヒマさかげんとは、差が あり過ぎるんだってことの証左なのかねえ?w
なんせ、
毎度のネトウヨどもの激烈な非難、下劣な中傷、デマ投稿などの異様なスピードと夥しさに対し、
反論側の反応と投稿は、真逆に遅過ぎ、かつ、ごく少数しか見当たらないのが通常運転、
そのあたり、勢いも切れ味も鈍くてモタモタしとる、たとえば『立憲民主党』などの野党に感じるのと、ある面で似たイライラを もよおさせるものが ありますw
それでも、なんかヘンだな~と。
だってさ、
ネトウヨや原発推進派らの(ヒガミ感情と悪意だけで憶測している)コメント、ってのは、そのときの確認では、2日ほども前に投稿されてるのが多かったんだよ。
それに対して、
私が目を通した日の、それこそ数十分前くらいに、反論的内容のコメントがポツポツと並んで投稿されているのが出てきたと、
そういうわけよ。
どうなっとるん?![]()
と、フシギに思って、
そのニュース記事自体がアップされた時間のほうも確認してみると、
やはり当日の、いまから2時間ほど前のアップ、という表示が出てた。
( ゚д゚) ・・・
ほんの2時間前にアップされたニュース記事にですよ、
なぜ、2日前に投稿されたコメントがズラーッと付いてんだ??
ケッタイななあ、、、
いわゆる「バグ」の一種なんだろうか?
と、しばし、首を捻っていて、
ああ、これは、もしかしたら、他のニュース ポータル、たぶん、『ヤフー』あたりで、実際2日前に掲載されていた記事を、きょうになって、『MSN』が、自分とこでもアップしたのだとするならばだが、すでに同じく2日前に投稿されていたコメントごと引っ張ってきたのが、きょうの2時間前ということか??
しかし、
なぜに、よそのポータルから、2日前のコメントまでも一緒に引っ張ってくるわけ???
そうして、
それらの投稿コメントを見た、
より論理的なコメントを投稿できうる人たちが、僅かながら登場し始め、ネトウヨや原発推進派らのヒガミ感情だけで憶測している罵倒コメントへボチボチ反論し始めた、ということなら、つじつまは辛うじて合う。
でも、
そういうコメントは、ググッと下のほうに潜ってる状態のまま、浮上してこないw
そういう構図なの??
関係ないっか?w
ちなみに、
『msn』コメント欄でも、あまりに酷い内容のコメントを見つけたら通報するように心がけてるけど、ここのコメント欄の仕様も、悪名とどろく『ヤフーコメント』欄に負けてない拙劣さだからね。
2、3度ほど、コメント欄の仕様そのものの改善を促してみたんだけど、完全に無視されてるわw
こういうコメント欄ってね、むしろ、シンプルな つくりのほうがマシなように思う。
肝心なのは、通報や改善提案に対して、迅速に誠実に対応するかどうか。
それが できないんだったら、コメント欄なんぞ設けるのは よせ!
ってことだ。
ま、およそネット関係の業者は、「カネの亡者」の典型的にタチが悪いのが多い。
『ヤフージャパン』も『MSN』も、願わくば、はよ潰れろー!!
と、私は思ってますたいww
それにしても、
たった2時間前にアップしたはずの新着ニュース記事にズラーっと付いてるコメントが、すでに2日前の投稿ってシュールぶりww┐(=_=;)┌
わけワカランwww
ついでながら、最後に、
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』のパターンと同様なんだけれど、
『大阪維新』『維新の会』の深刻な諸問題にもかかわらず、マスコミが、なぜか、それほどには問題視せず、あまり取りあげないのが、ワケわからんと おっしゃりたいらしい、古賀茂明氏へも、僭越ながら解答させていただきましょう。
ほんとうは分かっておられるのだろうとは思いますが、
実質、テレビ業界出身と言ってしまって過言でない、橋下ふわ~っと徹さんあたり、テレビ受けが特に顕著だったけど、
ほれ、近頃の国内でポコポコ発生している「政党」モドキとか、芸能人気取りの「議員」とか、ドキュン系「ユーチューバ―」とか「ネット民」とか、その他モロモロね。
総じて、軽薄短小。
要は、とにかく話題づくりとか、なんでもイイから目立つパフォーマンスは、ほとんどのマスコミ、とりわけ、下世話なとかスキャンダラスな色味の濃い話題は、大衆紙や女性週刊誌の飯のタネつうか、欠くことできない主食ですからねw
ここに、『天皇』家や『皇族』も同列に入ってますよ。
そういう傾向は、いよいよ末期的に、真面目(?)なはずの新聞業界にまで及び始めていて、なかんづく、『産経』系は、ずいぶん前から、恥も外聞もなくハッキリしとるじゃありませんか(嗤)
ま、それでも、各新聞社の垣根を超えて仲良くしてる裏の実態が あるようですね(嗤)
ただ、過去エントリーでも言ったように、
ライバル社の新聞勧誘員どうしだけは、大真面目に、深く憎み合ってるんだなあと感じたことは あるわけですがねw
私に言わせれば、
むしろ、『朝日』や『毎日』のほうが、奥歯に何か挟まってるみたいな、なまじ優等生の良い子ちゃんぶってるだけに、かえって、
タチ悪いのう![]()
とも思うことが少なくないけどww
日本では最大紙であるらしい『読売』は、さすがの妖怪めいた老「主筆」を戴いたまま、ますます奇怪になってきとるしwww
実は、国民大衆を最も教育し得るのが、大手紙を筆頭とするメディア・マスコミ一般なのですからね、ほとんどの国民大衆がアーパーなのも、アーパーでなくっても無知・無関心に陥りやすいのは、世の常です。
政界⇔商売人(財界・マスコミ界・宗教界)
![]()
![]()
![]()
(一方的)しつけ、(「アンタのためを思って」の)誘導、(強制的)教育
そりゃ、『民主主義』が危ういのは一理も二理もあるわけですわな。
国民がアホやから~![]()
2023.07.12 (Wed)
ネット上の「怪現象」と言うか、
この分野に専門知識を持ってないシロウトには原因が分からないゆえの、不可解な現象なんだろうとは思うけれど、
私自身もインターネットを利用し始めて このかた、「なに?このヘンな現象は」と驚いたり、不審に思ったりしたことは幾度か あり、ブログでも指摘してきたりしているのだが、
つい最近、こんなことが あって、久しぶりに、「なにコレ?」状態を味わった。
と言うのは、
目下、問題になっていることの一つ、例の『福島第一原発』大事故由来の、放射性物質を各種多量に含んでいるままの汚染水、さしあたって可能な処理を施してから、海洋へ放出するについて、特に近隣各国からの問題視や反発が相次いでいるということらしいのだが、
実は私、あの原発大事故の当時に、『トリチウム』の問題が、なかなか厄介なので、いずれは、海洋放出による最終処理は避けられないのでないかという旨を、旧ブログにて指摘しておいたことが ある。
いまとなっては、自分でも、あのときのエントリー内容を、明確に、こまかくは記憶しているわけでないし、もちろんドしろうとなので、単に、そうするしか、方法が ないんじゃないかなあという程度の考えだったと思う。
で、
今回の海洋放出という処理方法を非難する動きが、特に『韓国』や『中国』を中心に激しいということで、それへ対する、日本国内の、主として「ウヨ」「ネットウヨ」や原発堅持・推進派と思しき常連を中心とした反発も、いっそう激しいようなのだ。
かく言う私も、かねて、原発施設からの、『トリチウム』を含む海洋放出は、日本以外の各国だって実施してきた事実は事実なので、それを棚上げして、日本に対してだけ、許せん!と文句つけてんの?とか思っていた。
しかしながら、
『IAEA』なる国際組織については、すでに、福島における、あの原発大事故の すぐあとくらいから、けっこうイイカゲンな組織なのかなぁ
という意外さと残念さが伴う感想は、私も持っていたので、このたびの事についても、日本の当局・関係機関に有利な許容的見解を示し(てくれ)たというニュースをチラッと目にし、
科学的見地から、本当に許容できうる、妥当な範囲内であるか どうかというよりも、「ま、しゃあないわ」ってなところなんだろうなあ実際は、
くらいに受け止めてもいた。
振り返れば、『COVID-19(新型コロナ ウイルス)』蔓延の さなかに、『WHO(世界保健機関)』テドロス事務局長の言動が、『中国』寄りじゃないか!というので、どうせカネ絡みなんだろうよと決めつけて、これも また、日本国内の、主として「ウヨ」「ネットウヨ」らが激しく口汚く罵った あげく、『WHO』そのものが腐敗しているんだ、イイカゲンな組織なんだ!というふうに喚きたおしていたものだがw
しかし、
日本が、特筆ものの巨額な拠出・分担金を提供していることについては無言のまま、その『IAEA』の科学的権威性と中立性を、しごく素直に信用できると思うのであるらしい(嗤)
いつに変わらぬ、軽薄短小の、ご都合主義者ども(嗤(嗤)
で、
「『南太平洋』を中心とした島嶼国や自治政府が外交・経済で連携を図る地域機構」であるという、そう言えば、その名称、かすかに聞いたことが あるなあと思う、結成当時は『南太平洋諸国会議』と称していたらしい、こんにちでは『太平洋諸島フォーラム(PIF)』というところが委嘱した専門家の一人である「アメリカの『エネルギー環境研究所』所長」なる人が、
「放射性物質の投棄に際しては、社会や人々への利益がリスクを上回るという『正当化』が必要。正当化は安全の基本原則の柱であるにもかかわらず、『IAEA』はこれを検討する責任を放棄した」
と、指摘したのだそうな。
ニュース ポータルの一つである『MSN』にて、その新着記事の見出しが、ふと、私の目に留まり、本文を確認するついで、すでに、けっこうな数が寄せられていたコメント欄をもサーッと見てみたんだけど、
これまた案の定と言うか、その「アメリカの専門家」は胡散臭いぞとか、中国に買収されたんだろうよとかいう誹謗中傷のメジロ押しw
まあね、
「社会や人々への利益がリスクを上回るという『正当化』」
云々つったってさ、
こんにちでは、日本のみならず、およそ原発施設を保有している各国も含めて、この場合、どっちのほうが「利益」で、どっちのほうが「リスク」と言えるのかという比較判断は、複雑・微妙で難しいのじゃないか?とも思える。
私自身、詳しくまでは知らないので、
『福島第一原発』からの「処理水(あるいは「汚染水」)」を海洋放出する問題の どこらへんが大きく引っ掛かっているのか、
あの凄まじい量の保管用フレコンバッグの山やらタンクやらの光景を、おりおり、映像などで見るにつけても、いずれ、このまま置いておくわけにも いかんでしょうに、「風評が!風評が!!」と、感情的に反対だけするんじゃなくて、他の処理方法の可能性は あると言うのならば、それを言ってもらわんとなぁ、などと、
どちらかと言えば、地元の住民や漁業関係者たちに対しても、いささかクールな視線で見ていたのが正直なところ。
たしか、福島県人は、地方の典型的県民性なのか、あの原発大事故以降ですらも、相変わらずの、『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』支持者が根強く圧倒的なままだと、どこかの新聞記事で読んだ記憶が あるし。
そのコメント欄を、下の方まで繰(く)っていくと、ようやっと、圧倒的な数の「ウヨ」「ネトウヨ」常連らの先着コメントに反論する内容のコメントがポツポツ並んでいるのが出てきた。
なので、そこも読んでみたら、
要するに、
他国だって同様に海洋に流してきた事実は事実でも、あのような深刻な大事故を起こした福島第一原発からの、それも、「メルトダウン」にまで至ってしまった原発からの汚染水は、『ALPS(多核種除去装置)』を通したあとでさえ、特に、除去不可能な『トリチウム』を筆頭に、放射性物質残留安全基準値を超えているままなんじゃないのかといった危惧ゆえ、無事故の原発施設からの冷却水と同じ扱いにするのは問題だ、ということが理由らしい。
ま、あの大事故のあと、福島第一原発からの汚染は海流に乗って順調に、広範囲の外洋に止めどなく広げられてしまったし、
「日本のは構造が違うから」(←嘘っぱち)
「安全だから安全!」(←真っ赤な嘘)
と、デタラメこいて一蹴した(第一次)安倍政権の見通しの甘さと怠慢が、メルトダウン級の大事故をも招いてしまったことは、各国に対して、申し開きできようもない。
そりゃ、揺るぎなく日本が悪いんだ。
したがって、
あのような深刻度の高い、未曾有の大事故を起こしてしまったのだから、
「モラル」上からも、これ以上は、外部へ放り出さずに、おのれの国内で処理せんかい!!あつかましいぞ日本!
と。
そこで、
海洋放出よりも安全なのは、地中深くに埋める方法であること、
だが、恐らく、日本国内の、どこの地域でも、猛反発・猛反対が起きるだろうから、実際の困難は明白。
まあ、そういった理由からだそうな。
ああ、そういうことなの?なるほどね、
と、いちおうのリクツは、私にも理解できましたと思う。
それでも なお、
ほんとうの本当のところ、どうなのかは、、、わからん!(苦笑)
が。
このエントリーでの本題は、別のところにあります。
【続く】
2023.07.08 (Sat)
正直、自業自得で殺されたに等しい、権力者の「一周忌」どころでないわ。
禍々しい暗雲を、この国の上に たなびかせ、結果、ああいう忌まわしい虐殺事件が引き起こされた。
ずっと前から、例の『津久井やまゆり園』の事件後、新しく建物が完成というニュースの添付写真が、心の底に引っ掛かっていたもんで、最近も、少々、調べてみた。
と言っても、主に、慰霊・追悼の場として設けられている箇所についてなんだが。
遺族や家族会、施設職員も含めた意見を取り入れて、あのようなデザインになったらしいんだけど。。。
なぜ、ああいうデザインにしたのか、
写真を見た瞬間、うわっ!と感じた私には、いまも理解できないでいる。まあ、しょせん、外部の者なんだし、現地へ赴いて見たことが ないから、なんだろうか。
さて、
前回のエントリーで、「仕事が できない」人の大きな特徴として、「優先順位」にかかわる能力のことに触れておいたわけだが、これについても、旧ブログや、数年前の過去エントリーで指摘してあるよ。
でね、
その「優先順位」というものの置きかたに、その人の性格が如実に出るわけなんだけど、
私が、自分の身近で見てきた、かつ、迷惑を被ってきた人たちに、根底で共通していたことが ある。
それは、
「みえっぱり」で「体面を繕う」結局「自己保身」のカタマリ
ってこと。
ということは、取りも直さず、劣等感や怯え、小心の背中合わせってことでもある。
だから、
自分より弱い立場の者の足を引っ張り、踏みつけてでも利用することに躊躇がない。
彼ら彼女らの心底には、自分こそが最も被害を被り易いという不安や恐れと同時に、これを逃れきっていかねば ならぬ、という強迫性、
または、本当の被害者なのだという怨嗟を、すでに抱えているから。
もちろん、そこに、実際的妥当性が あるのか否かとは無関係だ。
基本的に、自己愛が激しいからなのね。
先日のエントリーで、あらためて言っておいたことに加えると、
私が、多くは宗教や「スピリチュアル」などに傾倒している人に共通した偽善的で無自覚な自慢コメントのなかに頻繁に出てくる「来世」云々という主張がキライなのも、その単語とセットになってるのが「前世」ってコトバだから。
自己愛や自己チュウが激し過ぎて悪いことしてきた、勝手なやつほど、免罪符がわりに利用するしね。
うちの親父なんかも、仕事が できる、頭キレる、といった定評を、周囲から得ていたわけだけど、
母親が倒れたときの行動などから、決定的に、
娘の私だけが、ただ一人、「はなはだ疑わしいぞ」と思い続けて、いまでは、ある意味、最もバカだったんだとハッキリ結論してますw
そのヨメさんである、私の母親と共にね。
よく吊り合ったバカップルww
さしづめ、「ガッコの勉強できるバ官僚」に近いタイプだったな。
でもね、
まったく逆の視点から見れば、
と言うのは、
自己中心こそ最高に賢い生きかた、とする価値観と言うか、
自己チュウ、自己保身せずにいられない性分・性格の人から見れば、ということなんだが、
その視点でしか見ない、見えない人には、たしかに「できる」「頭の切れる」人だと思うに違いないよ。
自己チュウや自己保身ぶりだけは、めっぽう、要領がイイからですw
さてさて、
倫理観や哲学精神の欠如については、大先輩である『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』に負けてない、名前負けなんてもんじゃない、維沈wあ、いや『(逆)維新』の、引退なんて名ばかりな欺瞞コンビ、橋下・松井コンビが、今度は、おのれのヨメさんらまで駆り出して、悪だくみを開始したらしいね(嗤)
さすが、あのケケ中氏がバックについてるだけのことは あるわぃ(嗤(嗤)
昔から、権力筋に対して反発・反骨精神を誇った、かつての大阪人は いずこに消えたやら。。。なさけないかぎりだ。
ところで、
馬とかアヒルなどが関係する「伝統行事」が、あちこちで問題視されているらしい。
当ブログも、このエントリーをアップしてあるのだが、
相変わらずバカの巣窟「ヤフゴミ捨て場」では、案の定で、「伝統!」「伝統だいじ!!」と叫ぶ投稿者だらけのなか、
極めつけのアホが言う。
「不快に感じる人が少しでもいるならやめるべき理論が通るなら、伝統は守るべきって人が少しでもいるなら続けるべき理論もありなんじゃないの?」「何でもかんでも時代だからと伝統を変えたり、盲目的に少数派に迎合する必要あるかな?」
…
以前も指摘した、たとえば『LGBTQ』などについて、ウヨらが言い張っていた「認めないことを認めろ!」っつうのと同じような類の、こういう、矛盾を矛盾と、豪も自覚できない低知性。
論理性皆無のくせに、自分では論理的意見を言ってるつもりの甚だしいウヌボレ屋。
では、読者の皆さん江。
「伝統」というキメゼリフの重みって、いかほどのものなんだろうか。
この指摘に対しては、どう考えますかね?
たとえば、実際、そういう主張を された『宮』さんも おられたそうだけど(寛仁氏だったかな?)、
『側室』制度の復活を!
まさに伝統なんじゃあ~りませんかw
なぜ、やめちまったんでしょうねえーww
もっとも、ごく一部には、復活させろと大真面目に主張している人たちも いるみたいよねw
でさ、
たとえば、どこかの国や地域や民族には、外国人などを襲って殺して、食っちゃったり、生首なんかを並べ立てる伝統が ある(あった)わけよね。
『仏教』では、殺傷を つよく戒め、蚊も殺しては いけないとかいう教えなのだそうだが(詳しくは知らないけど)、私だって、そこまで徹底した事は できないわ。自分にとって、あまりにも不快度が甚だしいことまでも耐えなければ いけないのなら、精神的に疲弊して、ノイローゼみたくなるだろうし、とうてい、ふつうに生活していけない、それならば、いっそ、自分が死んでしまうほうがマシだとすら思うだろう。
なので、とにかく、まずは、こちとらの つつましい生活圏に入って来さえしなければ、それでイイんだけどもね。。。
宗教上からの「男尊女卑」的制度を、いまだに堅持しようと、人権無視や暴力的手段も辞さずして、世界的に顰蹙を買い、「先進国」を中心とした各国から、距離を置かれ、このままでは、いろいろ不都合が出てきて、国際的に やっていけないので、なんとか表面だけでも取り繕おうと、自分の足もとの煩い仲間からの猛反発を かわすのに四苦八苦している国のトップとかさ。
いやいや、
ガンバって、自分たちにとっては大切な大切な「伝統」を固く守り抜いたらエエのとちゃう?(嗤)
顰蹙を買おうが孤立しようが何だろうが、「伝統」と心中したらエエですがな(嗤(嗤)
さて、これは、「ヤフゴミ捨て場」には非常に珍しく、知性やバランス感覚や良識を備えたと思しき、ごくごく僅かな常連の一人がボヤキを呟いているのを見かけたので、私が解答してさしあげましょう。
「夫婦別姓」などの選択制度について、頑強に反対する人たちがマジで理解できないと言うのです、その人は。
たぶん、もちろん『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』や『日本会議』系等が代表格だろうけど、そういう、噴飯ものの時代錯誤を、なぜに、顰蹙を買うのも かまわず、わざわざ、頑強に言い張ってやまない連中が存在するのか。
恐らく、「伝統が」というのは、表向きだす。
要するに、
その一部の人々にとっては、あくまでも管理対象でしかないんですわ、タテマエ上は「有権者国民に選ばれた」はずの政権と、そのトリマキの意向にとって不都合な庶民国民(および、お飾り役を素直に果たそうとしない『皇族』をも含めて)というものは。
だから、選択の自由を奪いたがるんです。
シモジモ庶民国民ごときに、それどころか、自分たちの意に沿わないならば、『皇族』でさえも含めて、
選択の自由を与えては ならないということ、
つまりは、
管理するべき対象だと考えてるからなんですよ、(なりあがり)特権階級や(新)「上級国民」を自負する彼らは。
これを撥ね返すには、われわれ「庶民」を中心に、国民全体の知性が必要なんだが。
私は、いわゆる「ミギ」や「ヒダリ」の拘りなんぞ、とうに時代錯誤、くだらないと思ってるのだが、
最近は、しょせんベターの域を出ない『民主主義』が、イコールで「愚衆政治」に陥ってしまう危うさも心配していて、だからこそ、これの解決には、最も困難であるけれども、「主権者」たる国民全体の知性を向上させていくことが不可欠で、それしかないということも言ってきてるんだけど、
しかし、およそ教育というものも、国家権力しだいだからねえ。
最近、フランスでは、移民問題にかかわる暴動が、またぞろ勃発しているというので、この過去エントリーも挙げておこう。