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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2015.01.31 (Sat)
渦中の後藤氏夫人が、ついに、声明を出されたというので、自称「イスラム国」からの牽制や抑圧が陰に陽にあることを踏まえながら読んでみたのだが。

 

後藤さん妻、解放求める音声メッセージ公開
東洋経済オンライン 130()145分配信

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150130-00059373-toyo-int

 私の夫は善良で、正直な人間です。苦しむ人びとの困窮した様子を報じるためにシリアへ向かいました。健二は、湯川遥菜さんの居場所を探し出そうとしていたと推測できます。

 

まあ、じかに英語で話されていることを翻訳し直したせいもあるのか、各所の記事ごとに多少のニュアンスの違いがあるものの、
当該記事の場合、この訳し方では、かえって疑問が募ってしまうでは ないか。

「推測できます」って何よ?

 

大概いつものことなら当然、いつしか慣れてしまっているせいで、「ああ、また行くのか。。。」と思うのは、それが、先刻承知の夫の仕事であるのだから、そんなものなのかもしれないけれど、

なにしろ、このときは、生後間もなくの子と、出産を済ませたばかりの妻を置いてという状況なのだから、いつも以上に念入りに、何を主目的とし、どのくらいの滞在になるのか等、よくよく尋ねて確認しておくものでは ないのだろうか?

実際、実母さんも、先頃の会見での冒頭、生後3週間ほどの赤ちゃんを置いて、危ない所に飛び出して行ってしまったことを聞いたとき、まず、息子さんに憤りを感じたとか、おっしゃっていたようなのだが。

 

それに、当の後藤さん。

およそ「1週間」もあれば済ませて帰国できるものと思っていたらしいが、本当に、そんな短期間で済ませられると考えておられたのだろうか?

湯川氏の居場所と状況を把握、しかも救出までしようとしていたのなら、ますます、1週間で済むわけないだろうと思えるのだが。

 

それと、

なぜ、それまで依頼していた現地のガイドさんに断られたからといって、あっさり、馴染みのないガイドに頼もうと思ったのだろうか。

先のガイドが依頼を断った理由というのが、危険な状況が、より深まったから、ということなので、現地に慣れている後藤さんには、それだけで、ますます甘くない、ほぼ完全に危険となってしまった、ということを感じられたはずではないのか?

 

 

このたび、わが国が思わぬ世話を かけることになってしまったヨルダンが、リシャウィとかいう死刑囚を引き渡す前に、先方に捕らわれたままになっているパイロットの安否を先に確かめようとするのは、

私も、今回の事態が報じられ始めて すぐのエントリーで、自称「イスラム国」の連中に告げ返す、として、身代金を払うにしても、人質になった彼らの安全確保を、どう証明してくれるのだろうかという疑問を述べたとおり、これの確認は、しごく当然アタリマエのことじゃないかと思うがね。

 

だが、くだんのパイロット青年の安否について、椅子椅子ウンでもスンでもないというのは、どういうことなのか。

 

とにかく、いついつまでの時間内に実行せねばソッコー殺害する、と言い張る以上は、ヨルダン側にも、相応の対処しようもあったのではなかろうか。

とりあえず指定の場所に、相手が要求している女囚の身柄を運んで行く代わり、せめて、その場で、パイロットの存命を確認させよ、といったふうに。


先日、見かけた記事では、「後藤は、もはや、われわれの捕虜ではない」とか言ってたということだが、どういう意味なのか。
あの連中のことだから、殺害したのなら、そうしたと、はっきり言いそうなものだが。

 

まあ、水面下で、どこまでのことになってるのか、一般国民には分からないよなあ。

 

 

安倍ちんが、わざわざ、こうした時期に、ああいう地域へ出かけて行ったのも、なんかヘンな感じがしたものだと述べておいたが、

かてて加えて
いかにもワキの甘い演説をば、いかにもマズイ演出のもとで行えたのは何故??

という疑問と共に、この事件、いろいろ不審があり過ぎるねえ。

いつかは真相が分かるのだろうか。。。


一つだけ確実に言えそうなことは、
少なくとも後藤さんの生殺与奪に関して、「自己責任なのだから」という当初の大声が、国民間で、だんだん下火になっていったのは、政府にとって、多かれ少なかれ、つごうの悪い予想外だった、かもw

 

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Updated   
2015.01.29 (Thu)

“IS”いわゆる「イスラム国」人質事件。
前回投稿をもって最後のメッセージとなるとか言ってたようだったけれど、思いがけず、また新たに、後藤健二氏とみられる音声での投稿があったらしい。

前回の、椅子椅子(ISのことよw)による投稿でも、あの音声が、後藤氏本人の声であることに間違いないとするなら、2回目投稿画像の後藤氏の姿が、さすがに、いよいよ憔悴が募っていると思われたものの、音声のほうには意外と まだ力強さが残されている感じもするので、これは、せめてもの、唯一の救いという気がするところ。

 

さあ、椅子椅子の宣言で判断するかぎりでは、この事態の決着を見極める時は、さして遠くないはずだ。
そこからあとは私も、ここで、いままでの不審と疑問と不満とを、思いっきり ぶつけるかもしれない。政府、外務省、特に、安倍ちんw
覚悟せえよww
emoji

 

           
           
Gerome(1824-1904)The Day Of The Last Judgment
 
 
 
   

色とりどりの宝石でできた、秘密の果樹園に、足ふみ入れる主人公の胸のときめきを共感し、
凶悪な盗賊どもに狙われて、自宅の玄関扉に印しを付けられた場面で、主人公と共に、思わずゾッとし、
盗賊の襲撃を かわすため、町の家々すべての玄関扉に同じような印しを付けて、難を逃れた場面では感心したこと。。。
最近、頻りに思い出す。
子どもの頃、ワクワクしながら読んだ記憶がある、かの『アラジンと魔法のランプ』の煌びやかな絵本を。
あの頃、アラビアは、子ども心にも、ゴージャスと神秘に満ちた、憧れの国の一つだったのに。


 
 
 
https://www.flickr.com/photos/palma3/2243221123/

私は、ボロディン作曲のオリジナルを直接聴いたことがないままでいた若い頃、たまたま初めて聴いたのが、エレキ ギターでのアレンジ バージョンだったのだが、これが、すごく印象に残ってて。
たぶん、ベンチャーズだったのかな?

原曲のほうは、さすがに壮大で大時代的で、全部を聴き通すのは、ちと疲れるが、バレエの伴奏としてなら、なんとなく聴けてしまうけど。


 『パラダイス ア ゴーゴー

  

本場ロシアの歌姫だそうです。なかなか良い感じ。


 
de Dieudonne(1845-?)An Oriental Girl In The Palace Garden(1882)

 

 

Updated   
2015.01.25 (Sun)

――Liberte――ポール・エリュアール

ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹々の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く おまえの名を

読まれた 全ての頁の上に
書かれていない 全ての頁の上に
石 血 紙あるいは灰に
ぼくは書く おまえの名を

金色に塗られた絵本の上に
騎士たちの甲冑の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く おまえの名を

密林の 砂漠の 上に
巣の上に えにしだの上に
ぼくの幼年の日の こだまの上に
ぼくは書く おまえの名を

夜々の奇蹟の上に
日々の白いパンの上に
婚約の季節の上に
ぼくは書く おまえの名を

青空のような ぼくの襤褸(ぼろ)の上に
くすんだ日の映る 池の上に
月のかがやく 湖の上に
ぼくは書く おまえの名を

野の上に 地平線に
小鳥たちの翼の上に
影たちの粉挽き場の上に
ぼくは書く おまえの名を

夜明けの一息ごとの息吹の上に
海の上に そこに浮ぶ船の上に
そびえる山の上に
ぼくは書く おまえの名を

雲たちの泡立てクリームの上に
嵐の汗たちの上に
垂れこめる気抜け雨の上に
ぼくは書く おまえの名を

きらめく形象の上に
色彩のクローシュの上に
物理の真理の上に
ぼくは書く おまえの名を

めざめた森の小径の上に
展開する道路の上に
あふれる広場の上に
ぼくは書く おまえの名を

点く ともし灯の上に
消える ともし灯の上に
集められた ぼくの家たちの上に
ぼくは書く おまえの名を

二つに切られた くだもののような
ぼくの部屋の ひらき鏡の上に
虚ろな貝殻である ぼくのベッドの上に
ぼくは書く おまえの名を

大食いで やさしいぼくの犬の上に
その ぴんと立てた耳の上に
ぶきっちょな脚の上に
ぼくは書く おまえの名を

扉のトランプランの上に
家具たちの上に
祝福された焔むらの上に
ぼくは書く おまえの名を

とけあった肉体の上に
友たちの額の上に
差し伸べられる手のそれぞれに
ぼくは書く おまえの名を

驚いた女たちの顔が映る窓硝子の上に
沈黙の向こうに
待ち受ける彼女たちの唇の上に
ぼくは書く おまえの名を

破壊された ぼくの隠れ家たちの上に
崩れおちた ぼくの燈台たちの上に
ぼくの無聊の壁たちの上に
ぼくは書く おまえの名を

欲望もない不在の上に
裸の孤独の上に
死の足どりの上に
ぼくは書く おまえの名を

戻ってきた健康の上に
消え去った危険の上に
記憶のない希望の上に
ぼくは書く おまえの名を


そして ただひとつの語の力をかりて
ぼくは もう一度人生を始める
ぼくは生れた おまえを知るために
おまえに名づけるために

自由(リベルテ)と。

 

 

Updated   
2015.01.25 (Sun)

 

まさに「クソ」なみw

さて、今回の一連の凶悪事件のように、大変な災いは勿論のこと、もっと日常レベルの不幸事でさえ、直接の当事者でない者たちからは、他人事だとばかりに突き放されるだけでなく、笑い・嗤いのネタにまでされたら、それは もう、当事者は、もの凄い人間不信と孤立と孤独感に、一気に陥るだろう。

そのショックは、やがて沈潜して、自覚の有無に関係なく、根深い怨み・恨みの沼となり、いつか どこかで、テロ行為を はたらく動機ともなり得るだろう。

 

つまり、「クソコラ」の精神も、「シャルリー」の精神も、根底で共通しているのは、他者への共感性の欠如が甚だしいということに相違はない。



ところで、私が「
カルト連」と呼んでいる連中について、この事件が勃発して以降、これまた、問題点の共通性が大ありだ!ということにピンと来ていたわけだが、最近になって、また一つ気づいた。

すなわち、

あの連中が、やたらと「フランス」に関係している立場の者たちだったということへの怪訝さ。

 

まさに、今回、がぜん注目のまととなった「シャルリーエブド」のような、「表現の自由」「風刺」に名を借りた、じつに質の悪い厭味や中傷、これをば「芸術」だ「文学」だ「哲学」だと標榜して恥じなかった、あの「カルト連」にも通底だったってわけ。

 

数年前、「首都大学」というところの学生たちが起こした、ゲージュツ活動と称しての不祥事があったけど、うちのブログの開始時点でも、旧ブログから引き継いで載せ直してある、あの騒ぎと、ほぼ同質なのよね。

 

なるほどね、

おフランス留学経験ありというケッタイな主婦だの、フランス語を習っております、といった胡散臭い者らが、複アカ駆使しまくって、「OKウェイヴ/おしえてgoo」で、やけにワラワラ湧いて出てきてた不審現象、やっと思い当たったわw

こりゃあ、京都はO大の仏文助教「惡の華」H氏が絡んでいるとかいう「ブラ下論ぬ」の話は、たいへん珍しいことに事実、本当なのかもしれない。

 

そうそう、
ブラげろ自身、あの潰れたカルト サイト「フィロトピア」最古参メンバーの一人だった「M夫」の個人ブログへ、初めてコメントしていた時の何年も前のハンドルが また、フランス語だったもんなあww

 

点から線へと。

 

Updated   
2015.01.25 (Sun)

イスラム国「人質動画」コラ画像に海外反応 仏メディア「日本人もまたシャルリーだ」と評価
J-CASTニュース 123()191分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150123-00000006-jct-soci

 

おまえら、そうやって、あまく考えてヘラヘラ笑ってるうちに、ひどい目に遭うぞ、みたいに、先方の「イスラム国」が凄んでた、ってな話があったらしいけど、

そのとおりになっちゃったみたいだな。。。

 

ま、何でもかんでも笑いのめしておけばいいというもんではないな。

 

 

イスラム系の人々というのは、特にアラブのほうの人々は、やはり、根がクソ真面目な気質らしいという印象を、あらためて持った。

 

たまたま先日、
「ユーチューブ」の動画で、愛嬌たっぷりな中国人女子留学生の司会のもと、日本国内にて勉学中の仲間たち数人を集め、納豆やらレトルト カレーといった、日本の庶民的食品を食べ比べてみる趣旨の、ほほえましい集まりのようすを紹介しているのを視聴したが、

台湾出身の青年にしても、東南アジアの何国だったかが出身の女性にしても、冗談を言い、ふざけ合って大笑いしている屈託のない姿は、日本の青少年たちと何らの違いはない。

しかし、一人まじっていた、パキスタンだったかイスラム系の青年だけは、他のアジア出身の若者たちとは真面目さの度合いが異なっているのが、あきらかに感じられた。もちろん、彼も好青年だったし、良いとか悪いの話なのではないよ。

 

 

われわれ日本人から見れば、まさに「狂信者」としか言いようのない先方「イスラム過激派」から見れば、日本人てのは、想像以上にイカレてて、よっぽど、とち狂ってるわい()と思えることだろう。

 

 

ただ、ふと思ったのだが、

まさしく「武士」「さむらい」の時代であれば、これと同じような事態の渦中に置かれたとき、たとえ、血を分けた親であっても、お国の、お家のためとならば、どうぞ、わが子の命を犠牲にしてやってくだされとか、敢えて、言うのだろうなあ。そういう内容の伝統芸能の演目もあるもんね。
さきの戦時中なんかも そうだったか。

でも、いまどき、そんなのが美談になる時代じゃないし。

 

 

それと、フランスにおける「自由」の徹底した主張ぶりについて、
とくに、現地に住んでいる個人のブログ等を参考に、いろいろな描写や報告を通して思ったには、

要するに、「何は ともあれ、自分は どう思うのか発言せよ。それが一番大事」

というので、その際、傍の誰が傷つこうが感情を害しようが、そんなことを気にしていては いけない、カンペキ無頓着でGO!ということなのらしい。

ここまでになるとねえ、

じゃあ、あれか、よっぽど、自分の意見を表明するのが、本来は苦手な民族・国民性だったのかあ?おたくらは、と怪訝に思えてくる。
われわれ日本人の習性じゃあるまいに(苦笑)

 

 

もう一度、紹介しておく。

黒人女性大臣への差別発言が示すフランスの人権感覚
プラド・夏樹2013年12月13日

http://webronza.asahi.com/global/articles/2913121300004.html

 人権の国、フランスで人種差別が広まりつつある。そのことをはっきりと認識したのは、10月25日、アンジェ市を訪れた、黒人であるクリスチャーヌ・トビラ(Christiane Taubira)法務大臣が、11歳の女の子に
「このバナナは誰のでしょう?雌猿のです!」と野次られた事件を通してだ。

 

それと、フランス在住という女性の個人ブログ。

やはり、現地で生活しておられるだけに、「シャルリーエブド事件」について、つよい実感を伴った鋭い批判を展開しておられる。はっきり言って、この前のエントリーで とりあげた、フランス文学者たる鹿島センセイの お説よりも、よほど腑に落ちる。

私自身は、フランスに行った経験の一つもないけれど、おおかた、こんなことではあるまいか?と思っていたこと、ほぼ、そのとおりだった。

 

しつこくシャルリー
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-702.html

しつこくシャルリー
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-703.html

 

あちらの小学生への教育内容。これよ、知りたかったの。

血塗られた歴史
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-700.html

 

 

フランスでも、「行き過ぎた風刺」は論点に 表現の自由は、無制限の自由ではない』2015//24

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%81%a7%e3%82%82%ef%bd%a4%ef%bd%a2%e8%a1%8c%e3%81%8d%e9%81%8e%e3%81%8e%e3%81%9f%e9%a2%a8%e5%88%ba%ef%bd%a3%e3%81%af%e8%ab%96%e7%82%b9%e3%81%ab-%e8%a1%a8%e7%8f%be%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%af%ef%bd%a4%e7%84%a1%e5%88%b6%e9%99%90%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/ar-AA8wtFH?ocid=FUJITSUDHP

 

あくまでプライベートのこととして、個々の宗教に関し、「公の場には出さないこと」という方針の観点から考えれば、

一般に流布させる出版物も、また「公」のものであるのだし、ならば、
いっそのこと出版物においても、宗教にかかわる話題やテーマを一切、扱わないこととし、とり扱い禁止、ということにしたらいいじゃないかしら?

もちろん、それを、すべてに押し通すとなると、純粋な学問や研究の方面で大きく支障があるのだろうけどね。

 

人数が増えるにつれて、発言権が増す、そうして、われらの祝日や食物(この点、日本人はマメと言うかサービス精神と言うか商売熱心と言うか、「ハラル認証」とかいうものに対し、こっちから協力する気マンマンなくらいじゃないの?w)なども、公式に認めろー、という要求が出てくる、

じゃあ、それらも一緒に、公的に認めてしまっていいんじゃないの?細かい すり合わせは、なんとか調整して、、、と思うんだけど。

ただ、各々で異なる祝祭日となると、何かと「皆一斉に」という方針が根強い習い性にもなってる日本人は、抵抗あるかもなあ。それとも、新たに祝祭日が増えるだけ、ということでオッケーにしちゃうかな??

 

 

私がチラ見したイスラム世界(シャルリー・エブド事件によせて)
2015115 1123

http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150115-00042264/

 

 

「テロだ」「テロ」と叫ぶけれど、

中東地域における猛烈な空爆によって、やはり、一般の住民たちまでが殺されるハメになってしまった。

彼らの身の実感にしてみれば、西側諸国が「テロ」と呼ぶところのものと、なにほどの違いがあろうか。


(続く)