2024.09.29 (Sun)
またまた始まった。。。
ほんとに末期的だわな。
この、仮にも「大統領候補」と名乗る、下品を体現した老人も、
これを許している『アメリカ』人たちもだ。
『ハリス氏は「精神障害者」 不法移民問題めぐりトランプ氏』
AFP=時事9/29(日) 17:22配信 最終更新:9/29(日) 17:24
さて、
好きな美術や音楽のことを語るのは、まぁ楽しくても、
政治やら経済やらについて指摘したり憤ったりは、正直、めんどくさいんだけども、
私が、旧ブログを やってた頃よりも、もっと前から言い続けてきたこと、それを、もう一度、言っておく。
最近では、さすがに、ネット上での罵詈雑言や誹謗中傷、
とりわけ、デマの類は、いいかげん、規制に とりかかるべきじゃないのかという声も、各界から上がってきているようだ。遅すぎるけどな。
特に、アメリカの考えは、それとは正反対の方向で、とことんまでも言わせておけば いい、みたいな感じを受けるけれど、
まあ、これは、アメリカだけじゃなく、『フランス』などでも、その傾向は つよいみたいで、それゆえに、例の『シャルリーエブド』とかいう雑誌社が切っ掛けになったドえらい騒動も起きたよね。
日本では、いつの間にやら立ち消えのテイだけどw
近頃まで、
「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も、どっちも殺せー!!」
とか、
「死ね、殺せ、死ね、殺せ、死ね、死ね、死ねー!!」
と、
若い母親までが、あかんぼ乗せた乳母車を押しつつ、大声はりあげて、練り歩いてたわなあ(嗤)
どこ行ったんやろなあ、あの連中(嗤(嗤)
ところで、
経済方面に関しては、
「ぶ厚いはずの中間層を痩せさせると、上も下もコケるぞ」
と、重々警告してきたのも、ずいぶん前からだが、
こんな初歩も基本中の基本が、なぜ、専門家や識者たちに分からないのか、
分からんはずが なかろうに、と、私は、ひとり、怪訝に思い続けてきたわけよ。
ちなみに、
わたしゃ、かのザッカ-バーグとかいう人も、彼が設立した『フェイス ブック』というものも、この日本国内でも喧伝され、普及し始めた当初から、めちゃ胡散臭えわ
と思って、いまだに大キライなんだけどw
よくまあ、あんな危ない商売を、シャアシャアと やれるもんだなと。
日本国内では、これまた胡散臭い、御用ライターみたいな連中が、
「これからの時代、就活するにも、フェイスブックを やってないと、面接にすら通らない」
てなことを、まことしやかに言いふらしてるオッサンらが いましたよ。
カネ欲しさで、どんな嘘ッパでも、堂々と宣伝するんだわね。
「ビジうよ」と同類ですわ。
で、まあ、「言論の自由」についてはね。
これも何度か言及してきて、もうメンドクサいから、短く言って済ませるわ。
要するに、
あっては ならない、国家権力の介入を許さないために、
言っていいこと、悪いことの区別は、最低限わきまえときなさいよ、ってことだ。
なぜなら、
なんでもアリだー♪とばかりに、チョーシこいて、
誹謗中傷や、ましてやデマこきまくっているうちには、
最も許しちゃなんねえ、権力の介入を防ぐことが できなくなるからさ。
わかったか?
つまりは、自分で自分の首を絞めているに等しい、ってことだからさ。
それでなくとも、およそ権力というもののサガは、くまなく管理したがる、縛りつけたがるものなんだから。
アメリカさんよ、
どれが真っ当な選択か、民衆は、最後の最後には、ちゃんと見分けるはずなんだ、と、まじで考えているのなら、
ここいらで、直視することだわね。
すなわち、自分とこの国民の知性レベルというやつを。
殊のほか移民の夥しい、移民で出来あがったような歴史を持つ おたくとこは、良くも悪くもだが、
わざとの「小粒揃え」な日本(細大漏らさぬ管理好きだからw)と違って、
特に、教育や知性のレベルにムラが激しいでしょ?
以前から何度か指摘したけど、
民主主義が健全に機能するためには、何が必要なのか。
そして、古今東西、
「アホとカシコでは、あほが圧倒的」
それが現実で あり続けている。
この現実を克服するのは、永久に不可能かもしれないほどの困難だ。
アメリカを「親分」と戴く日本に至っては、いまだに、エセをホンモノだと信じさせている始末。
要するに、わかってないんだ、
自分たちが、どんだけ管見であるかということに気づいても いない愚かさを。
まあ、でも、
アメリカ人ほどのハチャメチャもろ出しするほどの「勇気」も「元気」さも乏しいのが、辛うじての救いになってる、かもしれんけどな(嗤)
各国の独裁者らを見ていたら、それでも、形式的な「民主主義」だけは、なんとかカッコつけて誤魔化すことに必死だわね。
どんなに見え透いていても。
それは何故なのか?ってことよ。
たとえば、
『昭和天皇』の、
「国民が求めたからだ」
という発言が あった。
こないだも言ったけど、
「立憲主義」とて、民衆のためじゃなく、君主などの特権層を守るためだ。
結局、最後のツケを払うのは、民衆に ほかならない。
ミギだヒダリだ、「保守」だ「革新」だ、
どのような主義・主張、宗教・宗派を唱えようとも、むなしいだけ。
そのことに、そろそろ、気が つかなくっちゃいけない。
2024.09.29 (Sun)
『【続】秋の美術鑑賞の巻』』の続き。
『マダムX(ゴートロー夫人)』については、
エロ過ぎケシカラン!というフランス人を、私ら日本人から見れば、これは意外なという印象も あるくらいに、おたくらが言うのか!?てなもんだけどw
ただ、『イタリア』人に負けず劣らず、性的な方面に、えらくサバけたイメージある『フランス』人とて、たぶん、19世紀始めくらいまで?ほんとうに厳格な面は、あるていど大きく残っていたのじゃなかろうか。
と言うのは、
以前も述べたように、私も、美術鑑賞は大好きなので、とりわけ、絵画の分野は、かなり昔のものも、もちろん、直接の実物鑑賞は難しいから、ほとんどは記録的に撮影された画像などが最多なのだが、
先述のとおり、だいたい19世紀の、少なくとも初期あたりまでは、まだ、地方の一般人の場合は、結婚前の うら若い女性でさえも、首筋まで ぴっちり覆うような上着に、スカートは勿論のこと、足先まで覆う長さだし、しかも、色柄も地味。その多くは、黒っぽい、無地の衣装を着ていて、髪の毛も、きっちりアップに まとめあげ、そのうえ、被り物で、これも また、髪を覆うようにしていることも多いのだから、まるで修道女だ。
なんなら、『イスラム』教徒の女性の服装と、大差は ないと見受ける。
山田氏は、当番組の終盤に おいて、フランス人の、「アメリカ人であるサージェントたちに対する差別意識」が あったのでは ないかということを指摘しておられたけれど、
フランス人って特に、プライドが高いと同時に、外国人を蔑視する傾向がキツイとも聞いてるし(日本人は、ノイローゼに陥って帰国する率が高いのだそうな)、それだけに、
歴史の浅いアメリカ人ごときが、わが芸術の国、おフランスで生意気にも、、、
というネタミ混じりだったかもしれない。
そこには、おそらく、同じ『キリスト教』圏でも、宗派の大きな違いも絡んでいたかもしれないし、
その昔は、太古の神々や神話の世界を借りての裸体画は許されても、現実に存在している人の姿を用いた表現はダメぜったい、という感覚は、ある面で、『カトリック』と『イスラム』教との共通性も あるのでなかろうかとも感じる。そもそも、ルーツが同じなんだもんね。
『イコン』の、不自然なほど単純化された描き方も、敢えてのことだそうだし。
イスラム教では、しまいに、極端な偶像ヘイトゆえか、文字や数字のみを用いて象徴するらしいけど。
まあ、私もね、動機は無関係だが、小学生の頃、趣味で描いてたマンガ作品の登場人物を全員、数字で描いたりしたことが ありましたw
それを見てもらった幼なじみに、心底から呆れられたという話も、過去エントリーで触れたけど、算数は大の苦手だったのにww
数字に、キャラクターまでも込めて表現してたつもりだったのよね。
念押ししておくけど、動機は、イスラム教と全く関係なしよ、もちろん。
また、
くだんの『マダムX(ゴートロー夫人)』は、
非常に「目立っていた。この作品、出来が良すぎたんだよ」
ということも、山田氏は おっしゃっていたけれど、
目立つ、ってのは、これも、うちの過去エントリーで論考したことが あるとおり、
まず、攻撃のターゲットになりやすいことの基礎条件にもなるのよね。
単なる「ネタミひがみ」の類は、それは、何らかの意味で、往々、突出した存在に向けられるわけだけれど、それ以上にも、仲間や周囲を巻き込んで、外敵の攻撃を受けやすくなる恐れが伴い、そのとき、真っ先に、ターゲットとして旗印になってしまいやすいのが、目立つ存在、その目立つ存在のせいで巻き込まれるじゃないか、という、要するに、これも野生だった頃の名残りの心理のうちなのだろう。
ま、とにかく、サージェントには、「おお!キマッてるなあ」と唸りたくなるような典型シーンを切り取って描くのが、やけに上手い、という印象が ある。そして、やはり、映画のように近代的だ。
話題を転じて、
同じく『オトナの』で、ずっと前、日本で長らく生活していたことでも知られるフランス人の画家、ビゴー氏の巻も見せてもらっていたのだけど、
彼が描いた作品の一つに、西洋(風)の裸体画の大作(但し、黒田清輝の作)を展示している前で、恥ずかしさの あまりか、顔を、和服の袂で覆っている日本女性の後ろ姿を中心に描写したものが あるけど、その女性の着物の裾が思いきり絡げられていて、ほとんど お尻の近くまで露出してる、って姿ね。教科書にも載ってたね。
まあ、ビゴーたちに言わせれば、
おいおい、ムジュンしてるやん、
ってことなんだろうけど、
当時の日本人から言ってしまえば、「それは それ」ということなんだろう。
たとえば、
江戸時代あたりに、強風が吹いている街なかの通りをスタスタ歩いている若い女性が、着物の裾を風に捲りあげられた ひょうしに、ふとももの付け根あたりまでバーッと露出しても、平気の平左だったと。
なんせ、パンツ履いてない時代だよ?(苦笑)
パンツの問題についても、いつだったか、過去エントリーで論じたことが ありました。
たしか、どこかの街のデパート ビルで大火災が起きたとき、下半身が露出してしまうことを恐れて、何人もの女性たちが逃げきれずに、むざむざ亡くなってしまった悲惨な火災事故を切っ掛けに、(下着の)パンツというものが、本邦に入ってきたという経緯は、これも、学校で聞いた話の一つでは あったが、
やっと、パンツなるものが出回り始めた当初、非常に羞恥を覚えた女性たちが多かったと。
要するに、「おまた」部分に直接的に触れるカタチで覆うことが、えげつなく恥ずかしいという感覚だったそうな。まあ、ある意味、わからんでもないw
なんせ、それまでは、「おこし」ですからな。「おこし」を、腰に巻き付けるだけですから。
あと、混浴風呂とかね。
お風呂なんだから、マッパあたりまえじゃん!という感覚しかなかったのかな?
やっぱ、「それは それ」ということだったのだろうかと。
医師に診察してもらうのに、裸になることを恥ずかしがるという感覚は、現代でも、そりゃ、女性の場合、男性医師に対する抵抗感が全く ないとは言わないが、恥ずかしいなんて言ってる場合じゃないから、やっぱり、「それは それ」ってことでしょ。
だからこそ、医者がヘンタイ、スケベイなのは困る。ほんとうに、困る。
あ、そう言えば、
『スコットランド』あたりの男性の民族衣装って、巻きスカートみたいなやつじゃん?『キルト』とかいう。あの下は、伝統として、パンツ履かないらしいね。そのことで、何かの事件が起きたという話も、むかし、聞いたことが あるw詳細は忘れたけど。
またぞろ、そう言えば、なのだが、
『イタリア』在住の日本女性も言ってたけど、さすがに『カトリック』の気風が残っているのか、現代イタリアでも、教会内に入るときは、肩や脚を露出した服装は、なるべく、ひかえたほうが よいとか。
ただし、昔から、王侯貴族や上流階級となると、パーティ、とりわけ夜会の類が多く催されるわけで、そういう場では、肩やデコルテを思いきり盛大に露出してるよね。
なんか、大昔のヨーロッパでは、女性の腕が、肩から伸びているということを見せるのはタブーだったとかいう奇妙な話も聞いたことあるけど、
ヘンなの~なんでやねん??と思ったwいまでも、理解できてない。
あと、
まあ、さすがに、脚は剥き出さないかわり、ウエストを、これでもか!というくらいに締め上げ、かつ、ヒップ部分を盛大に強調したスタイルとかも あるよね。
露出こそ しないけれど、想像させるような強調は、思いっきり、やるのねw
ところで、
かの『エリーザベト皇后』の肖像画を多く描いたことで知られるヴィンターハルターの巻も覗かせてもらったんだけど、
エリーザベトは、殊のほか、ウエストを締めつけていたせいも あって、あの、暴漢に襲われた事件時の出血が酷かったらしいけど、
結局、高齢になるまで、だいたいは終始この締めあげ状態のままなんでしょ?よくまあ、ガマンできるもんだなと思う。
似たような話で、
フランス発祥なのかな?あの、シュミーズみたいなドレス。『エンパイア』様式っつうのとか。あんなのを、極寒の真冬になっても着つづけて、せいぜい、ストールを巻くくらいで、寒さに耐えて耐えて、肺炎で亡くなる女性が続出ってね。
瞳を つぶらに見せるため、瞳孔を開かせる作用のある毒草を使ってたとか。こわ~
ちなみに、
常にウエストをキツく締めあげていたというわりには、信じられないほど活発なエリーザベトは、もともと、旅行などを好んでいたというだけでは なく、堅苦しい宮廷生活が厭だったという以上に、居づらかったせいも あったのでは ないだろうか。
たった一人の跡取り息子の不祥事と死、
夫である『皇帝』フランツ・ヨーゼフの晩年、大の お気に入りだった女性の存在とか。
この女性は、容姿を大いに誇っていたエリーザベトとは、何もかも対照的で、庶民的で、苦悩の多いフランツ・ヨーゼフにとっては、精神面での安らぎが満たされる存在だったとか。
日本女性で、東欧の大貴族(クーデンホーフ・カレルギー家)に嫁がれた青山ミツ(光子)さんも、あちらで、ドレスを着用するとき、ウエストの細さに、現地の人たちに驚かれたって話が あるけれど、小柄だったことも あるだろうが、やっぱり、帯のせいかね?
私なんか、お正月に和服を着ても、着慣れないせいだろうけど、ものの数時間で、たちまち、脱ぎたくなるもん。
特に、帯。日本の、極太サッシュよねw
とりわけ、若い女性用の帯はね。なるたけ、胸高に締め、背中に、やけに大きなリボン結びするじゃんw崩れちゃいけないから、背中を もたれさせることも できかねるし。
脱いだとたん、はあ~ぁ
って、溜息が出るわ。
これで、1年後まで、ふるふる、着とうは ないわ、ってなとこ。
もっとも、大昔は、和服と言えど、庶民は、わりとルーズな着用の仕方だったみたいだけどね。
そりゃそうよねえ。でないと、家事どころじゃないよ。
歴史上の和服の変遷を眺めていて、見た感じ、いちばん合理的じゃないかなと思うのは、『元禄』時代のものだわね。袂も筒袖っぽくて短いし、帯も細帯だし。なんとなく、男性的な雰囲気を醸し出しているふうにも見えるのがオモシロい。
それから、
ヴィンターハルターの作品の一つである、『ステファニー王女』の肖像のこと。
【訂正!】
これは、ハンス・マカルトの作品のことでした。うっかり間違えちゃった 国や時代に共通性が あるせいか、ヴィンターハルターと同じくエリーザベトの肖像を描いたゲオルグ・ラーブなどとも、雰囲気が似てるんだよね。
私は、エリーザベトの華麗きわまる肖像画に負けないくらい、『ハプスブルク』宮廷へ御輿入れ間もない頃らしいステファニー王女の、いかにも初々しい装いの、清楚な肖像画も大好きで、じつは、旧ブログのときから今のブログでも、ある意味、シンボルとして用いさせてもらってます。
まあ、こちらの肖像画も、エリーザベトと同様、非常に上手に、さりげなく「盛って」ますけどな(笑)
でも、エリーザベトの肖像とは全く異なる雰囲気で描かれたステファニーの真っ白な衣装やアクセサリーづかいなども、ほんとうに、あか抜けして、上品だ。
ファッションで、その人物の年齢や立場を如実に表現していると思う。
さすがはハプスブルクのセンス、ってなところかな?
実際の彼女は、初めて出産して ほんの数年後、例の「『ルドルフ皇太子』心中事件」によって、宮中での生活は、あまり幸せなものでは なく(姑のエリーザベトにも疎まれたとか?)、しかも、実家の『ベルギー王室』からも、冷淡な扱いだったそうだから、
あの はにかんだような清純な ほほ笑みを浮かべた肖像画を見るたびに、ちょっと複雑な気分にも なってしまうのだけれど。
2024.09.27 (Fri)
『秋の美術鑑賞の巻』の続き。
ただ、もう一つエピソードを加えておくと、
その中国観光旅行の、ず~っと前のことだ。
まさに、国交回復が なされ、盛んに交流を繰り広げ始めた中国側からは、あるとき、華やかな歌劇のような舞台を演じる芸能団体が、記念の初来日。この舞台の中継番組が、たしか『NHK』で放映されたと憶えている。
『白毛女』とかいう演目だったっけ?この番組を、うちも、家族そろって、テレビで視聴したというわけです。
さすがに、全体的なストーリーや細部のことは忘れてしまったが、ある一場面だけは、鮮明に憶えている。
それは、くだんの物語の、苦難を越えて戦うヒロインが、舞台の中央・高所に設けられたセット上で、端正、優美ながらも、男勝りの勇ましいポーズを見事にキメたと同時に、バッと掲げられた垂れ幕の文字。
そこには、黒々と太く、
「打倒!!日本帝国軍(あるいは、帝国主義)」
というような文字が記されていた。
正確な記憶では ないけれど、多分、こういう意味合いの。
さあ、うちの親父のことだ。
過去エントリーでも述べたように、
アメリカ映画などで、日本兵が敗走するシーンが出てくると、必ず、ヒステリーを起こすのだから、当然、このときも、
「なにをぉぅ!?
」
と、
凄まじい怒声を張りあげ、からだじゅうを わななかせるように憤り始めた。
そこから あとは、まるで、プツッと途切れたように、一切、私は記憶していない。
…
んで まあ、
そんな親父が、何事も なかったごとく、後年には、いそいそと、「憧れの」中国へ赴いて、
目的の観光地にて、腹ごしらえのために入った食堂で、まさに本場の!ラーメン
を すすっていたら、
周囲のテーブルについていた中国人たちが、もの珍しそうに、親父らが食べているのを、じい~~~
っと見詰めてきたそうな。
四方八方から、穴の あくほど見詰められたもんだから、食べてる最中のラーメンが、のどに詰まりそうだったとか。
国交回復・正常化の後、新たな歳月が過ぎていき、当時の私は、すでに20歳代になっていたと憶えているけど、その頃の中国人って、まだまだ、そんな感じだったのよ。
先日も言ったように、老若男女が全員、質素で地味な「人民服」姿でね。
外国人の観光客が珍しくて珍しくて、かつての日本も そうだったように、自分たちが外国に観光に行くなんてことは、それ以上に珍しかったわけ。
ついでに。
『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』総裁に立候補中のセクシーポリ袋くんが、彼個人の家族関係のことを持ち出したのは、懸案の「選択的夫婦別姓」制度についての賛否を表明するに あたり、一つの事例として示したということのようだが、
私は相変わらず、それへの興味も関心もないままだけれど、
もう少し、もっと肝要のところを述べておく。
離婚して、もとの姓に戻るとか戻さないとかの選択は、現行でも認められているわけで、たとえば、別れた片親のみが、もともとの姓に戻り、子ども側は、もう一方の親の姓を引き続き名乗るからとて、それでも「家族」には違いないんだ云々という話は、やっぱり、ズレてるのよ。
まあ、逆から言えば、
ずばり、名乗る姓は同じでも、「家族の絆」なんぞ、まーったく感じてないケースも あるわけでね。まさに私自身が、それに ごく近い立場なんだけども。
私は、若い頃から いまに至っても、できることなら、実家の姓を捨てたいものと、ずっと思ってるし、
もし、結婚することにでもなれば、むろん、配偶者側の姓にホイホイ切り替えるわ!とも思ってきた。
けど、それらも、関係ないっちゃ関係ないの。
なぜなら、
私は、自分自身の名前を、自分自身で選ぶことは、基本的権利であることを認めるべきという考えなので。
したがって、親らが、子に、何の ことわりもなく、エゴむき出しで、専権のごとくに、子の名前を押し付けて以降は、当の本人が、どんなに厭だと思っていても、特別の事情ある者と、国家権力から認めてもらえないかぎり、まず、一生涯、その名前を使用し続けなければならないというのは、人権侵害だと思っているわけ。
なので、
親らが押し付けた名前は、あくまでも、当面のものとして扱い、本人である子自身が成年に達した おりに、または、何らかの節目などを迎えたときに、子みずからで、自分の名前を選択しなおすことを、制度として認めるべきだと思っているのである。
何やら「コストがー」などと、小賢しく喚き散らす者には、
「オマエさんごときが生まれて、こんにちまで生きているコストのほうが、よっぽどの」
と、嘲笑してやりたいw
で、
やっと、タイトルどおりの本題に入りますわ(苦笑)
秋です。
芸術の秋、芋栗食べつつ美術鑑賞の秋で~す。
先日、ちょっと久しぶりに、『オトナの教養講座』を楽しませていただきました。
今回は、
以前にも述べたように、私も大好きな画家の一人、サージェントの最高傑作と言って過言でない作品、『マダムX(ゴートロー夫人)』と、
ずっと遡って、こちらは17世紀『イタリア』のベルニーニ作『聖テレジアの法悦』で~す。
いつぞや、話題に取りあげた おり、無教養な私ながら、サージェントにも、かの偉大なるベラスケスへのリスペクトと影響が感じられる、というふうなことを述べたかと思うけど、やっぱり、ベラスケスのことも出てきた。
いつも思うけど、ベラスケスって、しぶくて、いいオトコよねえ。
目の前に居たもんなら、
「うっふ~んディエゴぉ
」
とか囁きながら、
彼の髭コチョコチョくすぐりたくなる(笑)
気分は、ゴヤの愛人、アルバ女公爵w
いやいや、また横道に入りそうだw
さて、
まずは、『聖テレジアの法悦』。
山田五郎氏がズバッと指摘された、
「イッちゃってる」とこ!な顔、というのは、
そもそも、作品名も「エクスタシー」だ(笑)
ある程度の年齢や経験を重ねてきた人なら、ほとんどの人が、そのような印象を受けるのだろうけれど(?)w
男性たちの願望に対しては、ひとつクギを刺しておくとすると、
以前も同じようなことを指摘しておいたけど、
男性と女性とでは、やはり、同じ感覚とは限りませんよ、ってこと。
私なんかの受けとめかたは、
あまりに苦痛だと、実際には、かえって、ふつうに苦悶の、とは違う感じの表情、まさに『聖テレジアの法悦』のような表情に見えるかもしれないのだし、
ズバリ、死に瀕している、ほぼ死んでいるときって、こんな感じの表情になることも多いんじゃないかなと。
口は半開き、瞼を閉じることも忘れたような眼は虚ろに、視線は定まらず。
『仏教』は、と言うか、お釈迦さまに言わせれば、要は、
「とりま、気にせんで よろし。。。」
「気にせんほうが よろし」
「とにかく、気にするな」
てな感じだけど、
それとは逆に、どうも『キリスト教』って、
「神さまの思し召しなんだから」
とて、
とにもかくにも全肯定!それ以外は認めない、以上!!
てな感じで、だから、
ものすごい苦痛も、すごい悦楽だと思わねば ならぬ!
だって、神さまの思し召しなんだから!!文句あっか!?
って感じを受ける。
マゾかよ。。。
まあ、「エロスとタナトス」ってコトバが あったわね。ようワカランけどww
さてさて、
こちら、マダムのほう。
ご婦人の肩がモロ出しケシカラン!!
と言うのなら、
聖テレジアの「イッちゃってる」表情のほうが、よっぽど、いかがなものか?
とも言えそうなもんだと思うのだけどw
しかも、よりによって、名高い「聖女」で ございますよ?
これこそ冒涜的ちゃうんかい!!とww
もしかしたら(?)謹厳実直なる神父さんや修道女たちならでは、
「イッちゃってる」顔、、、
などとは微塵も連想しないからこそ、こうして、教会のなかの高みに堂々と安置しているのかもしれないww
『聖テレジア』の顔を見て、ムラムラを もよおす神父さんなんか いたら、たいへんですからなあwww
【続く】
2024.09.27 (Fri)
まずは、長くなりそうな前置きから(苦笑)
まあー、暑いですわな。![]()
![]()
いつまで暑いんじゃあ?![]()
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と、たまげていたものの、さすがに、ほんの ちょっとは、季節が動いてきたような、気は する。
動かんかったら、それこそ、えらいことですけどな。
とは言え、
近年の気象の特徴でも ある、「あ~る日とつぜん♪」とばかりに、
夏の次は冬!冬の次は夏!!文句あっか?
おまえら小賢しい人類ごときが、大自然さまの御意向に盾突くなどとは、言語道断の所業やねんで!!
とて、
いきなりの真冬に突入しても、フシギとばかり言えなさそうになってきた近年。。。
勘弁してくだせえぇ~大自然さま~(号泣)![]()
…
そんなことを思いつつ、
街なかで行き交う人々を眺めていたら、男性の日傘以上に、チラホラと見かけることが増えてきたのが、長袖を着込んだ、老若の女性たちだ。
なかには、けっこう厚手のニットみたいな上着を着ている女性も いるので、
「マッパになろうとも、くっそ暑いわあ!!脳みそバーーーン!!!
」
と、気が狂いそうになるほど、暑さと湿気に激弱い私は、思わず、わが目を疑ってしまう。
まあ、第一には、日焼けを防ぐために、紫外線を遮断したいからなので あろうが、
でも、日傘を差しもせず、けっこう厚手の長袖を着込んでいるスタイルだったりするんだよ。
よっぽどの冷え性なのかしらん?と思いながらも、
これからの地球上は、こういう、暑さや湿度が平気な者が生き残っていくのかもなあとか思う昨今。
ところで、
つい先日、電車に乗ったら、
こんな大阪の片隅まで、何しに来たんやねん?と思わせるような、
どんよりした表情の白人の男性が、一人ぽつねんと座っていて、
この暑さでゲンナリしてはるんやなあとも思ったのだが、
その次に、
帰宅するために乗り込んだ急行列車内は、案の定の、『中国』人らしき観光団体が、それぞれの旅行バッグや大荷物を足もとに置き、椅子に詰め詰めでズラッと座っており、座れない者は、やはり、荷物を足もとに置いて、数人ずつ固まっている。
時間帯は、そのときは、正午過ぎだったが、近頃のエントリーでも指摘したように、これがラッシュの時間帯だったら、疲労している通勤客らの不快感いや増しだろうよと思うところ。
そんなことを考えつつ、なんとなく、すぐ近くの乗客たちを眺め渡していたら、わたしゃ、意外と「眼ぢから」が あるようでwけっこう険しい眼つきだったのか?wwすぐ そばに立っていた男女が、ふと振り向き、声を かけてきた。
もちろん、私は聴障者なので、日本語なのか どうかすらも分からずで、正確に聞き取れたのでは ないけれど、
斜め前に座っていた男性が、今しも立ち上がろうとしているのを指している身振りから、ここに座ってください!と促しているらしいのは察しが ついた。
いくら冷房が効いているとは言え、このクソ暑いなか、大きな旅行鞄を足もとに並べているのを掻き分けるようにして、中国人たちが犇めいている座席の隙間に無理やり腰を掛けたって しょうがない。
かえって暑いわぃ
それに、すぐ次のターミナル駅で降車するので、その旨を簡単に告げて、遠慮しといた。くだんの中国人たちは、苦笑していたが。。。
降り立った駅のなかを歩きながら、つらつらと思った。
ごく最近、『蘇州』に続いて、今度は、『深圳』という所の日本人学校前で、10歳の男児が突然、暴漢に襲われ、残念至極にも、亡くなってしまったという事件の直後なので、来日している中国人たちも、それなりに気を遣っているつもりなのかもなあとか、
それにしても、私自身が、もし、中国人だったならだが、
国家が、どのように「反日」教育とやらを施していようが施しておるまいが、そんなことは どうでもいい。
歴史上の、自分の先祖たちが味わった苦難の数々を思えば、
とりわけ、『中華』文明のオコボレを もらうしかなかったくせして、最後に飛び乗ってきた「列強」の猿真似した日本へなんぞ、断じて、行くものか、ましてや、物見遊山なんぞで、とか思った。
私はね、若い頃から、たとえば、『グアム』島あたりの、かつての『日本軍』が残していった大砲の残骸などが、いまだに置き去りにされているという浜辺で、キャッキャと遊ぶ日本の若者に、同世代ながら、内心、「無神経というか、ノーテンキな連中やのお」などと、冷たく見ているくらいだったので、
先日のエントリーでも触れたように、原爆投下の日を、いまどきは、当の『広島』の若い人たちが忘れかけ、『沖縄』でも、子どもらが、先祖代々、大切にし、語り継いできた事物を、ないがしろにしつつある風潮だということなども、ある意味、さも ありなんかと思ってきた。
このように、いずこの人々も、いつしか忘れ果てていくのである。
特定の地域だけではない、日本人全体が、とにかく、忘れっぽい。
なんでも かんでも、流され、忘れていく。
個々の命の興亡なんて、浜の砂の一粒よりも、はかない。
でも、一粒の砂が集まって、浜辺は できる。
日本人または日本国籍の児童らが襲われた事件の いずれも、
当の中国人の女性が、身を挺して犠牲になり、
今回の場合も、付き添っていた おかあさんは中国人だそうで、
「襲われたとき、中国語で叫んでいたということは、母親は中国人なのかな?」
と、予想していたとおりだった。
そもそも、国交回復・正常化を望んだのは、日本側の政治屋とアキンドら。
目下の『アメリカ』で、移民による弊害が確かに起きているのなら、どのように起きているのか、
その事実内容を、真っ当に主張して論戦すれば いいものを、
トランプ陣営が唐突にも、「(合法)移民」が犬を食ったの猫を食ったのと、あまりにもバカげたデマを掲げて誹謗中傷するから、『ハイチ』移民による交通事故で亡くなった児童の両親が、
「うちの息子の死を、分断と憎悪の喧伝に利用するな!!」
とて、怒っておられたわな。
それと同じことなんだよ。
「反日!」だの「国交断絶!!」だの「軍備増強!!!」だの、
ここぞとイイほうへ回って、例の「さもしい」姐さんらが叫んでいるのは。
どういうわけか、
ひとたび、「国」というカタチの集団が絡んでくると、いくらでもケッタイな情況・状況になるわけだけど、
どっこい、どんなに憎み合い、いがみ合っているようでも、その国と国の あいだに、子どもは生まれる。
このたび、犠牲になってしまった子も、そうだった。
男も女も、互いの国を罵倒しながら、子づくりは、大いに、する。
「仮想敵国?敵対国」?そんなのカンケーねえ~!ってなもんなのだ。
まさに、
「オレは、『朝鮮』人はキライだが~」
なんか、気が合って、仲良くできてる、「在日」の誰それさんのことは大好きだぁ!てのと同じよww
きょうも元気だ、中華や韓国料理が激ウマ!!(大笑)
毎日、中華や朝鮮料理を拵えてくれるヨメさんが、ぽちい~!!(泣きながら笑う日本の哀れな男ども)www
そう言えばね、
むかし、うちの親父が、実妹と一緒に、中国へ観光旅行に行ったことが あるんだけど、
親父も、何かと極端なタイプで。
「『朝鮮』人は、ほんとうに、大昔から しょうもない民族だが、『中国』人は別格、なんだかんだ言っても、大文明を産み出した」
だから、オレは、若い頃から、『万里の長城』とか、いっぺん行ってみたかったんだ、
と、大ハリキリで出かけて行くときに、私も母親も危ぶんで、
「万里の長城からオシッコせんように!」
と、かなりマジで、クギを刺しておいたものだったがw
それと、
私が、乏しい お給料のなかからフンパツして買った、ほんとうは、天体望遠鏡が欲しかったけど、予算の つごうとか、収納場所とかを考慮したうえで、お月さんくらいなら、足もとがフラつくくらいの どアップで鮮明に見えるというので、思い切って購入した、大事な双眼鏡、それを貸せ!というので、
兄と よく似た粗忽者ゆえ、高価なものほど、破損させるか、置き忘れてくるか、たいがい、その どちらかであるのが明白な親父だから、即座に拒絶したら、ガキみたく、ヘソを曲げていたww
おまけに、
事前に、おみやげカタログを見ながら、これ買ってきて、と頼んでおいた品々は、ことごとくが、想像してたんと違う、、、なシロモノで、
象嵌っぽい貝細工のチャチな小箱にせよ、まったく香りが しない白檀の扇子にせよ、やすっぽい『汕頭』レースのハンカチにせよ、
いっちばん安価なの買ってきたな?このケチはぁ
案の定だ!
と、察しが ついたほど、ほんとうに、安物ばかりを選んで買ってきた。
安っぽ過ぎて、お遣い物にもなりゃしなかった。
うちの親父って、私も、ここは少し似たんだろうけど、もともと、絵を描くのは好きで、特定の作風の画家に関しては、大いに好むのだが、
それ以外は、
およそ、審美眼というのか、ものの値打ちというものがサッパリ分からないタイプなんだよね。そのことを、自慢さえしていた。
だから、母親が、たまたま、食卓の上に放置してあった、ダイヤモンドのイヤリングを、持ち主に確認も せず、さっさとゴミに出す。
まあ、男性、特に、「質実剛健」をモットーとしていたらしい昔の男性に多いのかもしれないけどさ?
しかしながら、うちの親父は、武家の血筋だ近衛の将校だとか言ってても、質実剛健なんてものじゃなかったでしょ。
なんせ、女のような肌だと、戦友に褒められて悦びに浸り、
いいトシにもなってから、ヨメが使っている女性用の基礎化粧品ご愛用の軟弱ぶりでしたからねえw
そんなだから、敗戦、、、
おっと、これくらいにしとこうww
【続く】
2024.09.27 (Fri)
「犠牲者とは、自分が受けた不当な被害を証明することが出来ない人のことである」
という警句は、
先日のエントリー『「子どもが可愛いと思えない」ことについて』でも少々言っておいたように、
ぶっちゃけ、私自身も、いろんな面や意味で、いわゆる「サバイバー」の一人だから、こうした事件の内容を読むのは、非常に、気が重くて、
読んだあと鬱々とした気分に陥ってしまうので、治療を中断したままの鬱病を刺激しないためにも、近頃は、なるべく読まないようになった。
『「亡くなって初めて体が語った」小1女児の全身にはあざが広がっていた 届かなかった訴え「パンチされた」。虐待予兆、2度の保護も救えなかった命』
47NEWS9/23(月) 10:02配信 最終更新:9/23(月) 13:25
さて、
「ヤフゴミ捨て場」の、以前は「オーサー」とか称していたっけ、
「見解」とか「解説」とかを述べる識者ね。
このかたたちも、しょせんは直接の当事者経験までは ないから知らないのか、わかってないのか、失念しているのか、はたまた、見逃しているのか等は不明だが、
まず、子どもの心理を考察するときに、
べつだん、虐待レベルのことでは なくても、親などの養育者ら、おとなから叱責されたり怒られたりすると、それが、どんなに理不尽なものであろうとも、基本的には、自分が悪いからなのでないかと、
ましてや、自分の親から、そのような理由付けをハッキリされると、たいがいの子どもは、ほぼ自動的なまでに素直に受け入れる本能のようなものが あるし、
そういうことが続くと、やがては習い性の如くになり、ついには自虐的なところまで達してしまうことも あるということ。
もっとも、いまどきの子どもは、世間の風潮を如実に受ける機会が激増したからだろうか、おとなの世界でも、むやみとプライドばかりが高いというのか、ナルシストかよ?と思うような、うぬぼれ激しい、自分棚上げの身勝手きわまる手合いも多く見かけるようになった世相と呼応しているかのように、自己肯定感とか自己愛性が肥大しとるのじゃないか?と思えるような子どもが増えてきているような感も ある。
それでも、さすがに小学生の低学年くらいまでは、まだまだ、昔ながらの素朴な子どもらしさや素直さは失われていないと思うのだが。
私自身は、子を持ったことが ないので、あくまでも、周辺の子どもたちと接したかぎりでの印象しかないけれど。
うちの親と私の場合は、親子の関係性が逆転していた、ということを、過去エントリーで触れたことも あったが、
それは、一般的に通常のパターンであるところの、親が子をと言うより、むしろ、子である私のほうが、親を心配し続けていた、ということ。
だから、私が不在の あいだに、母親が、親父から殺されるような目に遭うのでは ないかと恐れ、心配の あまりに、修学旅行を躊躇ったことも あった。
ところで、
もう一つ、重大なことが ある。
これも、おそらく、大多数の、特に男性にとっては、自覚が あろうとも、ましてや、なかろうとも、性的な面の凄まじさ、かつ、脆さは、見逃しては ならないことである。
と言うのも、
きょうだい姉妹のなかで、最も幼かった私自身、家族全員からの暴力と暴言を、様々な かたちで受けてきたと同時に、性的な面での虐待も経験しているが、
それでも、
世間を見わたせば、たとえ男性と言えども人それぞれ、紳士的で理性的で、ほんとうに良心的、良識的な人たちも少なくないことは、もちろん知っている。
それでも。
私が、まだ学校時分だった頃、直接的に知ったことが ある。
しかし、あえて、ここで詳しいことは述べたくない。
まあ、深刻なまでの事態が起きたというわけでも なかったのだけれど、非常に微妙な面を含んでいて、それを見逃さなかった私自身が、そのことを思い出すと、どうしても不快だし、基本的には信用していた男性の名誉にも かかわるので。
要は、
子ども心に、全幅の信頼を置くに値すると判断していた男性ですらも、ちょっとした切っ掛けで、理性も良識も吹っ飛んでしまいかねないのだ、それが、男性というものなのだ、ということ。
まさに、男性一般の、最大の弱点なのだろうと見受けた瞬間だった。
そのくらい、脆い。
つくづく思う。
男性って、脳も偏ってるしwその おかげか、女性一般よりも目覚ましい働きや能力を発揮することも多いかわりに、ほんとうに脆いんだな、と。
その脆さを、女性側の罪に転嫁したがる男性の、また多いことよ。
どうりで、
「オレたち男をイジメないでくれ~」
と、めそめそイジイジ言い募る男が多いわけだ(嗤)
そうかと思えば、
「男は皆オオカミよ♪」
と、みずから言うのも、本音なのだろうw
ええ、そう。
たしかに、男性の余計な真似を したがるバカで「さもしい」女も いる。男性に対するコンプレックスや、女性としての性的劣等感に苛まれているようなタイプの女は、これは例外的だとしても、
本来的に、妊娠、出産のリスクゆえか、それに合わせたような身体の つくりになっている大多数の女性は、「撒き散らす」ことに特化されている男性ほどには、性的にギラギラがつがつする必要が乏しいのは確かですけどねw
だからと言って、
僻んで僻んで、女性全体を ねたみ、見下したようなセリフを吐くのは、やめときなさーいww
一般人のコメント欄を見ていても、知名度ある男性の言動の端々でも同様に、殊のほか共通しているのは、特に性的な面に おける、女性への揶揄的言動。
男性たちは、もう少し自覚して、謙虚に わきまえたほうが いいよ。
私ら女性の多くは、ちゃんと嗅ぎ取っているのだからねw
あなたたちが、ほんとうに、女性が大好きで大好きで、寝ても覚めても、女性や女体に対する執着、脅迫観念、妄想で苦しんでいること、
転じて、お門違いの憎悪にまでなっていることも知ってるよ(苦笑)
なので、
かく言う私自身も、若い頃は、知らず知らず、周囲の男性たちを挑発していたようなものだったのだなあと、いまになって思い当たりは するのだけれど(苦笑)
世のなかの女性たちに向かっても、
「まあ、ほどほどにしときなさいねw」
「男性が、世のなかの権力という権力筋を圧倒的に占めている社会では、かの『チャドル』や『ブルカ』は、あっという間に究極の姿よ」
と、忠告しておきたいと思うことも、ときには あるww