2017.05.04 (Thu)
『森友学園の籠池前理事長と沖縄フェイクニュース』
dot 2017年4月30日
私個人も、
「おまえは文句が多い」とか、
「とにかくハイと言えんのか!おまえは」とかと、特に親から、よく言われたものですが、
~「不平不満と批判ばかり繰り返す面倒臭い存在」~
と、ことさら思いたがるのはですね、
要するに、相手の申し立てが無理からぬことであろうが、自分にゃ直接関係ないという感覚が、密かに心中の大きく本音としてあるのであり、
したがって、その「面倒臭い」事は、おまえが自力で解決できない以上は、一人黙って耐えておれば よいがな、ということなのさ。
だからね、
沖縄は、いっそのこと本気で独立を考えたらいいと、
前々から、私が言ってきたのは、
実現できるか否かのステージに至るまでには、まず、沖縄は、同時に「本土」全体も、「共依存」よろしく、妥協や甘えやらでもって、互いに寄りかかることも一切できない状態になることを、目を逸らさず直視せざるを得なくなるのだからさ。
そうやって、互いに、みずからの足もとを、とくと見つめ直すべきだろうと思うわけ。
翁長知事は、
「ただ、いまの状態から少しでも、(迷惑施設である)米軍基地を減らしてほしい、それだけなんです」と発言しておられたというのを、大手新聞のインタビューだったかの過去記事で読んだことが ある。
彼の地に、個人的な縁も、旅行に訪れたことさえもない私だが、基本的には、沖縄の人々の味方でありたいと願っているし、彼らの本音についても、少なからぬ関心を持ち続けてきたつもりだ。
だが、近年、その沖縄の地元民のなかでも、意見が割れているらしいことや、特に、米軍基地から何らかのメリットを受けている立場の人たちとか、米兵たちに対する親愛感情を持っている日常面もあるといった記事を読んだりして、
ましてや、自民党・安倍政権寄りの首長が選ばれたなどと聞いた以上は、これじゃ、諸手を上げて、沖縄の民衆に100パーセント肩入れする気になれないよ、と、過去のブログ エントリーで、苦いことを述べたこともある。まずは、自分たちのなかで、意志統一を固めてからじゃないのか?と。
一例として、
かつての日本に併合されていた時代の朝鮮人のなかにさえも、「日帝」や日本の軍部に おもねるあまり、あろうことか、自国同胞、それも弱者に向かって暴虐を はたらいていた一派もあったという。「獅子身中の虫」とでも言えばいいんだろうか、どこの国の者でも、必ずや、そういう輩が生じてくるもののようだ。
どうなんでしょうか。
「オール沖縄」、ほんとうに実現できていますかね?
ことに沖縄の場合、これを名実共に実現できていないと、ましてや、ああいう政権ですからね、国家権力の横暴に勝つことは不可能だと思いますがね。
私自身、「本土の人間」ですから、
基地を地元に引き受けるのは、いやですよ(苦笑)
沖縄と言わず本土と言わず、基地自体が いやですもん。
2017.04.25 (Tue)
と感じたのは、これが一度や二度でない。
今回、もろに感じたのは、この記事で。
『審議前に売買契約の手順資料 財務省、森友側に渡す』
朝日新聞デジタル 4/22(土) 7:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170422-00000013-asahi-pol
(朝日新聞デジタルの元記事は↓こっち。)
『審議前に売買契約の手順資料 財務省、森友側に渡す』
南彰2017年4月22日07時30分
http://www.asahi.com/articles/ASK4P4KF1K4PUTFK00T.html
以前にもあったことと同様、
『ヤフージャパン』のポータルで、上掲記事掲載日時が該当するページの項目一覧を、何度確認してみても、見つけられなかった。
掲載して間もないうちに、この記事だけ、スコッと抜けてるみたい。
さて、『森友学園』問題については、例の籠池氏が取り溜めていた大量の資料をダンボールごと、追及側に渡してあるということらしいので、
これからも、何やかや出てくるんだろうとは思うけど、
この学園の問題が発覚した当初、私は、あの(元)理事長のオッサンが、そもそも公務員やってた時期が あるとは言えど、小学校建設のための用地における胡散臭い入手手段の かずかずには、なんと言っても専門筋等からの入れヂエが あったはずと指摘しておいたが、どうやらズバリだったようだ。
ニュース ポータルの各サイトで、あっという間に、当該記事を押し流し、以後、浮上する余地もなくしているらしいところを見ると、やっぱり、いろいろと、よっぽどマズイんだろうなと思わざるを得ない。
以前も、このことは、当ブログで言ったと思うけど、
特に自民党や、殊に安倍政権にとって、つごうが悪いかと思われる記事や報道となると、『ヤフージャパン』を筆頭に、他のポータルサイトでも、掲載時間を極端なまでにカットし、早々に引っ込めているようだ。
これとは逆に、
ある種の方面の内容の記事なんかだと、いつまーでも、しつこく、トップ画面にブラさげておいたりしてるがw
そういう やりかたにおいても、何らかの意図を感じさせるという面は あるよねww
サイト側も、姑息な商売を やるもんでwww
そして、今は、「北朝鮮の脅威」を煽るのにヤッキ。
りっぱな情報統制国家なんだよね、日本は、と言うか、日本も。
まあ、あれも これも、なにを今さら、なんだろうけど。
私は、基本的に、インターネットのメリット以上に、社会的弊害のほうを、より重視してきた立場だけど、
たしかに、むかしのように、各大手新聞社の記事やテレビ放送等を信用して、素直に受け取っていた頃には、知らず知らずのうちに、体よく情報コントロールされているうちの一国民かもという自覚に乏しかった、このことに気づいたのは、やはり、インターネットに、日常的に親しむようになってからのことだ。
もっとも、これとても、インターネットならではの、ある意味、悪しき面からこそ気づかされたことの一つでは あるが。
既存の大手メディア以外の、良心的で冷静な、現場に通暁している発信者からの情報をも読み比べることが可能になった、この点は、間違いなく、インターネットのメリット面。
まだまだ「愚衆」と呼ばれるに ふさわしいのが一般大衆の質と姿のままだと、あとは、見分ける力のある人々が、どれだけ台頭できるか、できないかというところが分かれ目かな。
こないだの朝日新聞コラムの執筆者さんに、ついでに言っておこうかね。
こんなこと、もう何度も言ってきたことだけど、
「民主主義とポピュリズム」、これらは、不可分の問題でしょ。
ポピュリズムそのものが、というよりは、その内容にもよるね。
そんなことくらい、日本では「エリート」とされている大手メディアの一員として、とうに知ってるはずよね?
私なんかですら、誰に言われるでもなく分かってることだよ。
メディアと政治と国民。
まさに、「鶏と卵」の関係。
2017.04.16 (Sun)
花冷え、花曇りの先日、朝から やけに、和服姿の女性たちが通って行くなあと思ったら、入学式だったんだ。
うちの近辺の幼稚園でも、和服で威儀を正した、若い おかあさんたちが出入りしていて、それで気づいた。
いやあ、昨今、お正月でも、和服姿を見かけることが激減しているなか、若い娘さんらしい振り袖姿の華やかさとは異なるが、シックな訪問着(?)姿も、風情が あって、よろしいねえ。
そういえば、うちにも、私が まだ20代か30歳になったばかりの頃、
いらん、必要ない、学校時分に誂えた京友禅の着物で じゅうぶんだと言ってるのに、無理やりみたいに、母親が誂えさせた紋付の色無地(?たぶん)が あったのを思い出した。
母親の教室の生徒さんが呉服店経営だったこともあってか、あまりにも強硬に勧めてくるので、広げられた生地見本のなかから、せめて、自分の気に入った色でと、しかし、このさきの年齢をも考え、もはや、いかにも娘っぽい色柄は避けたつもりだった。
やがて、仕上がった着物が届けられ、それを手にした母は、
「今度の着物は紋付やから、これで、大概の あらたまった席にも だいじょうぶやし、将来、あんたの子どもの入学式にも着ていけるでえ♪」
と、満足しきりのようすだったが、
私は、「何を、気の早い」と、ほとんど呆れっぱなしで、
そのうちに、予想外の病気を した結果、子どもは できない身となり、
「なーにが、子どもの入学式や?!」
と、自他ともに笑い話のネタと化す顛末になってしまった。
たしかに、たとえば結婚式ならば、もとは母のものであった、金糸銀糸の刺繍で表現された鳳凰の柄の帯なんか合わせると、ちょうどいいのだろうか。
私は、和装全般に関する知識が薄いのだが、
無地と言うか、実際は、こまかい地模様で、綸子と呼ばれる生地なのだろうが、遠目には、まったくの無地に見えるから、色だけはと、グリーン系の爽やかながら華やかさもある色を選んだのだったが、なにせ、艶々している生地だけに、今 見ると、ずいぶん、若々しい色を選んだものだと思う。
爽やかな緑と言えば、まさに、その始まりの季節で、名残りとばかりに、またぞろ、桜の木々の下へ立ってみれば、もはや、歯が、もとい、葉桜になりつつあった数日前。
おりしも強く吹く風に身を まかせて散りかけた花びらの代わりのように、見るからに やわやわとした薄緑が、顔を出し始めている。
思わず、美味そうな葉っぱやなあと呟いた。
桜餅や桜湯というものが あるのだから、サラダにして食べてしまうわけには いかないだろうか、それにしても美味そうなのだ。
あでやかな花々に勝るとも劣らぬ輝きを見せるのが、この時期の緑だ。
春の荘厳の光は、生まれたての葉っぱを祝福しているのだ。
しかし、ワタシらの世代には、自分が子どもの頃と比べて、明らかに気候の変動が あるのを実感している人が少なくないだろうと思うが、
この列島は、ただでさえ短い春の季節も縮めて、そのうち、過酷な夏と冬だけにするつもりだろうか、と恨めしく思えてくる昨今。
いにしえ人が詠んだという「春過ぎて夏」云々どころか、
春やり過ごし、いきなり夏が来にけらし、という感じである。
さて、昨日の夕方、いきなり雨になってしまい、干しなおしておいた洗濯物を取り込むとするか。(記16日午後3時30分)
あすは また、雨風が荒れるという予報だ。
2017.04.16 (Sun)
あくまで、昭恵さんの辞書にはね。
彼女って、いろんなところの記事を読んでみると、頻りに、
「日本の将来のためだ」
と主張してるらしいね。
実際は、夫婦そろって、「日本のため」どころか、思い込みだけで、真逆なことばかり やってるんだけども、
例の、昭恵さんのための官僚を5人ほども従えているという、まさに公金の私用であるという事実も何のその、彼女自身は、あくまで「日本のためだ」と思い込んでいるのだから、公私混同とか私用とかいう自覚は全く ないと見える。
ああ、カン違い。
まさに、
ダメだ、こりゃ、
である。
周囲で、忠告してあげる人が誰一人いないのかねえ。
昭恵さんみたいな、現実には「普通の主婦」以下でしかない、という世間知らずが、何も分からず、履き違えているのは、まあ、ありがちなことなのだろうけれど、
彼女に付き従っていた「谷さん」他、公務員法などを熟知していなければならないはずの官僚たちのほうも、大問題だと思うよ。
それにしても、北朝鮮に限らずだが、他国の脅威を煽れるときの、アベシの嬉しさ抑えきれぬ眼の底光りwww
『北情勢緊迫も…戦争を煽る安倍首相と大政翼賛報道の恐怖』
日刊ゲンダイDIGITAL2017年04月16日 09時26分
https://news.nifty.com/article/domestic/government/12136-386378/
北朝鮮は、何発撃とうが、いつもスカ。
技術が未熟なのか、やっぱり、わざとかなぁ。
だって、本気でブッ放してたとしたら、こうも中途半端や失敗続きじゃあ、担当責任者の命が危ないはずでしょうに。
『安倍首相、トランプ大統領が北朝鮮ミサイル脅威煽るも、韓国は平穏』dot
そりゃ、北朝鮮政権は、あらゆる意味と面において間違っとるよな。
しかし、「挑発」と言うならば、
むしろ、それは、アメリカを中心とした こちら側にも言えることだろう。
以前は、中国に対し興奮気味の言動が目立っていて、オバマ前大統領たちに諌められてたって話だったけど。
アベシ・トランプの組み合わせで、いっぺんに、世界じゅうキナ臭くなったな。
2017.04.11 (Tue)
人出の多い場所での花見は、たぶん最初で最後だった、母との花見のおりを思い出させる。
あのときは、有名な造幣局での観桜で、
「本来なら、一般の人が入れる場所じゃないけど、好意で見せてくれてるんやね」と言うと、母は、「そうそう」と応じた。
「桜の場合、遠目には、薄いピンクよりも、いっそ、思いきって濃いめのほうが綺麗に見えるやろ」とか言いつつ、向こうから歩いて来る家族連れの親に抱かれている幼い子どもが、退屈そうにウトウトしているのを見て苦笑しながら、
こんな自分自身も小学生頃までは、たとえばチューリップなんかのほうが よっぽど好きで、絵に描く時は必ずのように加えたし、
それに比べて、桜の良さなんか分かってなかったなあと思い起こしていた。
爛漫の桜花の下を そぞろ歩いていて、私は、どうやら、もともとは、山桜の系統で純白の花が好みなのだけれど、
よく目にする類の桜とは異なり、そこでは、『鬱金桜』または『御衣黄』とか名付けられていただろうか、少し緑がかったようなのやクリーム色の花びらの桜が、特に私の気に入った。
さて今年は、珍しく、同じ場所での花見が2回になった。
最初の日は、よく晴れて、うっすら汗ばむほどの温かさだったが、まだ七、八分咲き手前くらいだった。
2回目の昨日は、ちょうど満開だったものの、雨こそ降らないでいてくれたけれど、どんより曇って、肌寒い風が、かなり強く吹き、いささか震えながらの花見になった。
この両日に、このような花見客を見かけることは なかったが、
私は若い頃から、桜の下のドンチャン騒ぎが、好きになれない。
そもそも、お酒を飲みたおしては、見苦しく騒ぐ輩の気からして知れないのだが、
そんな人間どもに われ関せずという風情で、静かに並んで立ちつくし、静かに咲き、静かに散っていく花の下で、よりによって、なんとも無粋なことよ、と、反感すら もよおしてしまうのだ。
まあ、はかないものの前で、殊更に浮かれ騒ぐ人間の心情に対しても、理解できぬではないのだけれど。
過去のブログ エントリーでも述べたように、
私には、桜ならではの、むかしから浮かぶ想像の光景が ある。
それは、
人の足が踏み入ることのない深山の、そのまた奥で、ひとり咲き誇っている一本の桜の大木だ。
もとより、煩い人間どものために咲くわけでない。
人間には知りようもなく、そこに住む草木や獣たちだけが、再び経巡ってきたことを察する。
人知れず、誰に愛でられもしないことを、桜は、無関心に、ただ ひっそりと爛漫に咲いている。
そうして、やがて、音もなく静かに、はらはら はらはらと、とめどなく散らしていく。