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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2018.01.27 (Sat)

へどが出るほどの「俗物」の続き。

 

さてと。

「人を殺して、なぜ悪いか」

という、「哲学上の」?愚問が あるらしい。

 

「命」というものを、全き平等の まなざしで見ることが できるとしたら、
それは、言わば「神の視線」とでも言うしかないのだろう。

 

だが、

ささやかな、脆弱な一個の命として、この世に生まれ出た誰しもが、
自分の命は大切で、惜しいものであろう。たとえ自殺しようとする者でも、例外では ない。

 

人間以外の生物でも、このことは、ほぼ共通しているだろう。

すなわち、まさに「普遍」である。

 

それだからこそ、突出して知的に発達してきた人類は、「法」というものを萌芽させ、以後、営々と構築してきた。

 

「食うか食われるかの野生」のままで良いのなら、法なんぞ無要だ。

産み落とされた あかんぼうが、無事に育つこともない。

 

そして、

「あすは わが身」

それ以上に、

もともとが、われわれ皆、保護を必要とする あかんぼうから出発した。

 

 

ところで、

最近の当ブログで述べておいたとおり、

まさに、「肉体」という物質あるからこそ、「心」の動きも生じるのである。

最も人間の生活に近しい動物たちの ようすを観察していても、このことは、容易に察せられることだ。

 

人間以外の動物とでも、ある程度なりに「意思の疎通」は可能であることは、多くの人が知っているが、

もちろん、人間社会から遠い野性になるほど、困難度は高いのだろう。

 

で?

意思の疎通とやらが できる動物なら、どうなんだ?

それが難しい野生動物でも、こんにち、人類は、絶滅を防ぐべく、保護を始めているけどね。

 

 

さて、この「生命」というものを めぐってこそ、
大切であるとか、自分にとって大事と感じる者を含めて、これをば最優先で保護・温存したい、あるいは、逆に、自分の生活を脅かすほどの負担を齎すほどになってくると、できるかぎり、これを遠ざけ、排除したい、といった「選別」が起きてくる。心にも、実際の行動にも。

 

それは、本能的なことであるから、しかたのないこと。人間の解消しきれぬ限界である。

それを責める資格ある者が、どこに いるというのか。

 

もし、責められるべき対象の存在が あるとしたら、それこそ、この「摂理を造った者」を措いて他には なかろう。

 

 

産み落とした当の親ですら、わが子を遠ざけ、排除、抹殺、そうした情況になりかねないのは、第一には、疲弊が降り積もっていくからだろう。

私も、知的障碍者と思しき、十代後半くらいの、大柄な男子を伴った母親らしき人の、疲れ果てて暗い顔つきを、街なかで目撃したことも、一度ならず ある。

 

ならばこそ、この面における社会的なシステムの構築と改善に努めるのが、人間社会ならでは、人類ならではの理念と目標的責務なのである。要は、結局のところ、自分たち一人ひとりのためだ。

そこには気づかずして、

イッキに、他人を「モノ扱い」して良し、虐殺して良しと、
「行動する」ナンチャラよろしく、犯行に及ぶとは、何さまなのか。
なんたる愚物か。

 

 

福祉だボランティアだと精出す人のなかにも、つまるところは、劣等感に裏打ちされた不安ゆえの自己承認欲求に突き動かされて、という自覚が ない場合も ままある。

 

くだらぬヘリクツを振りかざす前に、

一職員としてすら全うできかね、あげく、
稚拙にして単純な排除のヘリクツにしか思い至らないような非力な愚か者は、自分の器を自覚して、その分にあった仕事と生活を選べば いいだけのことだった。

 

けっして、恵まれぬ身の上でもなかったどころか、むしろ、恵まれていたはずの ご身分だったじゃないか。苦労知らずの分際で。

 

 

ところで、こないだは、このところの大寒波の話題に絡み、

おのれは、どれほど有意義な仕事を やってるからというので、

「ぐうたらしている生活保護受給者に比べ、ホームレスは偉い」

てな放言して恥じない、

日常、「タクシーを乗り回している」のが唯一自慢、らしき投稿者を、
またぞろ「ヤフゴ民」のなかに見かけたので、

「ホームレスの人たちも、生活保護の手続きが必要でありこそすれ、
何らかの持病や障碍を持っている人が大半の生活保護受給者を非難する投稿は、ヤフー運営も、社会的責任を もう少し自覚し、注意してもらいたい」

との旨で通報しておいたんだけどね。

 

まったくもって、ワープア問題をますます根深いものに陥れる自民党・安倍政権のシンパそのものだ。

何のリッパな仕事が つとまってるってんだよ、こんな軽薄短小きわまるオツムで。

これこそ「偽善」そのものなコメントだろうが。馬鹿者が。

 

 

それにしても、

当時の「衆院議長」というのは誰だったっけ、手を拱いていたのだろうか。いまだに、このことにも不審が消えないでいる。

 

 

ま、障碍というものは、どの場合でも、重度よりは、中度・軽度のほうが、むしろ、最も苦労する。親とかじゃなく、本人の苦労が。

どうしても自力だけ、サポート無しで世渡りを余儀なくされがちという意味で。

一般的な人より、何かと不利なのは確かだし。

少しでも おかしいことが あったら、気を張って用心しておかないと、
うかうかしてたら、簡単に つけ込まれるからね、実の親にすらも、だ。

 

 

重度障碍であれば、そりゃあ、しんどいのは、本人は もとより、
家族も必然的に背負わざるを得ないことが大きいわけだが、

私の周囲では、特に精神面での中途半端な病者が一人ならず いたんだけど、
こういう場合、一見は、まともと言う以上に、
むしろ、頭の回転がヘンに速かったり、
口が達者と言うか、よく聞いていたら、ものすごく浅はかで、筋の通らんヘリクツを捲し立ててるだけだと気づくんだけども、

とにかく、根拠が あるのかないのか、異様なほどの勢いで押しまくるから(これ自体が異常者の特徴ですよ)

たいていの場合、周囲は、そんな者を見過ごしてやってしまったり、

それどころか、利発なとか賢い人とか思わされてしまうみたいなのね。
なまじっか、ガッコの勉強は得意だったりするし。

私自身、このテのタイプだった母親だけは、なかなか、疑う気になれなかったんだけど、

死んでしまってから、
実は、脳みそに異常が あったことが発覚していたと聞かされて、
あっ!やっぱり そうだったのか!!と得心いったもんだ。

 

 

植松も、そのへんを、よく調べるといい。

これの描いたイラストも、上手いという以上に、真似の上手さ、

それ以上に、なんとも言い難い、吐き気を催させるような いやなものを感じさせるし(佐世保の同級生殺人事件の女子高生の描いたものと似た感じを受ける)

なまじっか、ガッコの勉強なんかは頑張ったらしいが(←尚更、挫折感)、それも含め、

やけに礼儀正しい ふるまいというのも、それらが、畢竟、こやつにとって「味方を得る」方法の一端であり、
しかも、形式的な範疇のことだからだろう。

ハンパな思考力の脳みそが得意とし、依存しがちなことだ。

 

 

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Updated   
2018.01.27 (Sat)

さしづめ、この植松などは筆頭モノだ。

こうした犯罪が起きると、正直言って、私でも、死刑制度の廃止に、少なからぬ躊躇いを覚えてしまう。

 

植松被告、差別むき出し今も 相模原殺傷1年半1/26() 6:30配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180126-00023477-kana-l14

 

むろん、この者自身、

ふだんから私が言うところの「極端」性というものを、内部的、すなわち、ある意味で知的な面での障害とさえ呼んで しかるべきでないのかという疑いは濃厚である。

 

一言で言って、植松の如きは、思い込みの激しい俗物の極みなのである。

 

その俗物根性の裏側にあるのは、俗物ならではの価値観に毒された劣等意識だ。

 

その「モノサシ」たるや、自分で つくりあげたものでもない。

 

単に、俗世間の地下を流れ続けている伏流のような濁り汚水のなかから、これが恰好と拾いあげ、もって、日々、これに磨きを かけ続けて、
ついには、自分自身と、その人生のみならず、他者の生活、社会の安寧を汚染しただけに終わっている。

この愚かさ、醜悪さときたら!

 

ほんとに、こんな者が、かつては、よりによって、教職を目指していたとは、恐ろしいなんてもんじゃないよ。ど厚かましい。

 

いずれにせよ、自分自身が、こんな犯罪を やらかす者でなかったことを幸いに思うしか ない。

 

 

だいいち、この愚物の名付けた「心失者」とは、誰を指して言うのか。

「意思の疎通」が できないとは。

いずれも、当人自身にこそ指摘さるべき、まさに「自己投影」から発しているものだろうに。

 

 

あの凶悪事件のなかで、辛うじて一命を とりとめた被害者の一人が、彼の御両親と共に、何度か、テレビ画面に出ておられるのを見たとき、

少なくとも私の眼には、その被害者の表情、全体の ようすから、無言でありながら、どれほどの恐怖と辛さを味わったかが、ひしひしと伝わってきたし、

しばらく日数が経って、再びテレビ画面に登場されたときには、いわゆる「日にち薬」というやつなのか、事件から間もないときに比べると格段に、穏やかな表情を取り戻されつつあるのが見てとれた。

ふだん、身近な者たちから、「おまえはニブい!!察しが悪い!」と怒られることが少なくなかった私ですら、だ。

 

ましてや、かつては施設職員として日常を接していたという植松は、入所者たちの何を、どこを見て勤めていたのか。

 

 

ちなみに、

こういう投稿も あった。

 

 

…それは違うと思うぞ。

そんなもん、逆恨み以外の何ものでもないわ。

 

このコメントの内容が事実なのかどうか、テレビも見てないし、私は知らない。

だが、

担当してる入所者が浴室で溺れかけてたって?

植松は、当時、職員だったんでしょ?

むしろ、植松のほうから謝らなきゃならなかったかもしれんじゃないか。

親さん側から責められたってフシギは ないよ。なぜ、目を離してたのか?と。

親や家族から、とくには何も言われなかったのは、むしろ、職員に遠慮して、何も言えなかったんとちゃうか?よくある話。

 

 

ここで、何度目になるのか、あらためて言っておくけど。

重度だろうが何だろうが、病者や障碍者は、「世のなかに何ら貢献せず」とか、それどころか「お荷物になってるだけ」という見解は、はなはだ料簡違いだよ。

むしろ、まず、医学・医療の発展に寄与している、

その寄与は、いずれ、いまは無関係と思えてる一人ひとりの将来的に、メリットになり得るものであることを理解できてない人が多過ぎ。

 

それなのに、植松の考えかたは理解できる、だなんて、、、

なさけないったら ありゃしない。ほんものの低知性だ。自覚しろよ。

ムリか。低知性なんだもの。

 

しょせん、政治のレベルが、国民・民衆のレベルに見合う如く、
自分と似た者のレベルしか、理解できないんだものな。

 

 

「昔は、産婆さんがコッソリ締めて」とかいう話も、それだけ、生存条件が厳しかったからだ。

生活全般も厳しく、
なかんづく医学なんてものは、現代ほどには、とうてい、発展してや しなかったでしょ。

 

 

では、次のエントリーにて、

植松の言い募る「偽善」という批判について、答えてやろう。

 

 

Updated   
2018.01.19 (Fri)

いや、四角、いや、五角か?

 

安倍首相を裏切るか 岸田氏と接近する麻生財務相の思惑
20180118 1500日刊ゲンダイDIGITAL

https://news.nifty.com/article/domestic/government/12136-436603/

 

やめてよ、ゲンダイも~。

なに?このイカガワシサは。

キショクわりいったら ありゃしねえ。

ただでさえ見苦しいアベシとアッソウのツーショット画像も、いやがうえに見苦しいから、載せなさんなっての。

 

なんだぁ?

バーコードのスガと、ヒョットコ爺さんが睨み合っててー?

その真ん中に挟んでるのが、こりゃまた見るからにオモロい容貌の河野太郎だってぇ?

 

「狙っているのは、オレの好みどおりに育てた」云々?

『何を勝手に他人の●●●に手を突っ込んでんだよ』という気持ちで?

業を煮やしたヒョットコ爺さん、四角関係に持ち込もうとて、今度は、毒にもクスリにもならなさそうな岸田とコッソリ密会だ?

 

「あたしというものが ありながら、、、!」

おかまのアベちん、小指くわえて焦る焦るぅ~?

 

何なのよぉ?
このオッサンと爺さんたちの縺れ爛れたドロドロ関係の饗宴は。。。

 

うううー、、、emoji

ひたすら、キショクわりい!!emoji

全員、とっとと引退しろー!!!emoji

 


あ、そうだ、
こないだは、まったく興味ないから、見出しをチラッと見かけただけにしたけど、2階の爺さんも、またぞろ「数が多いほうが譲るのはオカシイ」とかなんとか ぬかしよったそうな。

オカシイのは、あーたのオツムだ。
この非常識な爺さんも、これで、どこの大学出てるの?
中学から やりなおすべきじゃないの?

大卒じゃない私でも知ってるよ。
民主主義においては、むしろ、数の多いほうが譲るべきシステムなんだってこと。
そこには、数の多さの勝利よりも、
民意を すり合わせていく根気良い作業の重視が あるということをだ。
数が少なくても、それも、国民の代表だからだ。


着々と、日本を潰していく気だな?!emoji

汚職と癒着と売国の腐れジミン党!!emoji

党まるごと消滅しろーーー!!!emojiemoji

 


※今さっき、念のために調べておこうかと思って、

二階 おかしい

でキーワード入力し、そのまま、うっかり辞書検索したら、

タヌキ

の説明が出た。()))emojiemojiemoji


 

Updated   
2018.01.19 (Fri)

#MeToo』に関する考察。の続き。

 

さて置き、本題に戻すと、

たしかに、どんな動きでも、それが大きな うねりを見せ始めるとたんに、すかさず「尻馬に乗る」、

便乗する俗物連中は必ずと言っていいほど現れるのが世の常。

これは、世間で呼ばれているところの「ネトウヨ」とか「ビジネス右翼」の類にも同様のことが言える。

 

これらの連中の姿で、真っ先に目につくのは、

十把一絡げのレッテル貼り的言動を堂々と繰り広げる、

という共通性。

先般、ドヌーヴが、後から、一部についてだけは謝罪の意を示したのも、この点についてだったろう。

 

そこで、

バルドーたちの今回の発言は、その真意としては、あつかましい「便乗」的動きへの批判なのだろうということは理解できなくもないけれど、

そもそもから、容貌を大いに含めた、非常に有利な立場を盛大に享受してきた者特有の思い上がりや、それゆえの思考浅薄さを感じざるを得ないところは ある。

 

こういった人たちに往々見受ける、表面的対処、要領の良さ、余裕あるがゆえの、もの分かりの良さは あっても、

知性が深化するようには苦労しておらず、

つまるところ、「鍛えられていない」のである。

「艱難、汝を玉にす」
というコトバも ある。
若い頃の苦労は買ってでも、というコトバは、あまり好きでなかったけれど。

私だって、障碍を背負ってなかったら、ものごとを突き詰めてまで考えることは しないで生きていたと思う。

生まれつきで、知力が妨げられている障碍だと、いくらガンバっても限界あるのは仕方ないけれど、
苦労が少なくても、その分、思考・思想が軽く薄くなるのは道理なのだろう。

苦労なく、思想が深い人は、勉強や実験なしに、的確な答えを知っている人と同じく、天才と呼ぶに ふさわしい。

勉強しても、くだらない実験を繰り返しても、辿り着けない者は どうしようもない愚物だ。

見分けるには、ものごとの根本次元を考慮しようとしている姿勢か否かだ。

むしろ、幼い子どもが、根本的なリクツを言い放って、こちらがハッと させられることもある。

ただし、

根本次元、と言ったって、

それが、
「男性の性的な根本傾向を考えたら、しかたないのだから~」
で済ませていては、何にもならない。

 

 

もっとも、私自身、近年になって、女性のほうでも、男性性というものを もっと よく理解して、できるだけ、むやみな「シゲキ」は しないようにしてあげる思いやりと慎重さも必要だなあ、と考えを改めるようになってきた(苦笑)

 

男性はね、「視覚刺激」というものに、めっぽう弱いらしいし、

女性が、男性に対して そうである以上に、女性の若さや容貌に敏感でしょ?

たしかに「男は みんなオオカミ」なんでしょう。

でも、「女は みんなオオカミ」とは聞いたことが ないw

 

弱いからこそ、「オオカミ」になってしまうんですわw

もっと言えば、

その「弱さ」は、もとの女性性から分化されて、目的に叶うように、効率的に特化されているものである。

 

カワイソ―よね、男性はwご苦労さんですねww

 

 

さて、

かのモンローも言っていたことで、彼女も、「仕事を得るために、業界の男たちと、いつも一緒にいた」という発言に窺えるように、「ハリウッドのシステム」というものは、昔から有名だ。

 

私が些か意外な思いで呆れたのは、

いわく「遅れた国」に対する啓蒙で示してきたように、さも「平等性と自由を標榜してきたアメリカ」のはず、

が、内実は、ほぼ全く逆なのかよ、ということだ。

実際、アメリカ国内の人種差別の根強さについても、私の高校時分に、クラスメートで、いわゆる帰国子女が いたのだが、彼女からも聞いたことは ある。

 

 

そして、それ以上に、

この煩悩深き生きもの、ヒト属の男というものの やること、やりたがることときたら、、、

まさに、洋の東西、古今を問わずのパターンなのだな、

という、今更ながらの溜め息。

 

 

男女の自立、独立性という点に関してなら、人間以外の動物たちのほうが、よっぽど上まわってるのじゃないかw

自然界では、そもそも、オスを頼らないメスのほうが多いんじゃない?

逆は あっても。

 

うちの雌犬もね、子煩悩で、お産も子育ても、誰に教わるでもなく上手に こなしたが、

いったい、どこで線引きしてたのか、飼い主から見てもナゾだったけど、嫌いなオスは、徹底的に拒絶してたw

オスのほうは、せつないアタックを繰り返してたのに、
そうなると、ますます牙剥いて怒るww

それでも、オスにモテモテでね~()

そろそろ、子どもが産めないくらいに老いて、おばあちゃん犬になっても、モテてた。

 

俗に「飼い主に似る」とかって言うようだが、やっぱり、子どものときに拾ってやった私に似たのかなー??ww

 

 

ま、愚衆の吹き溜まりなんぞに、貴重な時間と労力を費やしてまで投稿する気には なれない私だが、

もっとも、「ヤフゴ民」のなかにも、まともな知性から述べる内容を投稿する者も、ごく僅かには居て、

この「ハリウッド システム」の問題を指摘するコメントは あるには あるのだが、やはりと言うか、賛同者よりも、圧倒的にブーイングのポチの数のほうが多いwやれやれ。。。

 

 

いちおう言っとくけど、

バルドーもドヌーヴも、私の好きな女優たちには違いないよ。

ただ、、、

幸か不幸か、若くして亡くなったモンローが生きていたなら、この問題について、どんな意見を言っただろうか、バルドー並みか、意外に批判的だったろうか、ちょっと予想は難しいけれども、

はっきり言えるのは、

一人の女性としても、また女優としても、
バルドーよりは苦労多くして(整形も?)、そして、演技者としての向上心、プロ意識、天分も、バルドーは、モンローに届かないということだ。

まあ、バルドー自身、その点だけは自覚しているようでは あるけれど。

 

だいたいが「性的な放埓さ」のようなものは、意外にも自信の乏しさ、
それゆえの不安の深さを感じさせるものだ。

バルドーが自分から、かずかずの男たちを捨ててきた、というのも、
実は、自信が なく、不安定だったからじゃないかな。

 

で、悪い男、危険な男に魅かれちゃう女も いるが、こんなの単純。

世の多くの男どもも、悪女が大好きw

しかも、女よりも複雑な好みつうか、

なんせ、「素直な悪女」、貞淑で従順で奔放な悪女が好き。

その望みを叶えるのは、なかなか難しい。。。ww

 

 

ちなみに、

フランスの おまわりさんは、観光客の女性が、ちょっと、道を尋ねただけで、たちまちナンパしてくるから要注意、という話は、むかしから聞いてたよw

 

性的に、特に女性の奔放なイメージが全面に出てる印象のフランスでは あるが、

ちょっと昔のフランスの絵画とか見ると、ほんの19世紀あたりまで、うら若き女性でも、尼僧の如き黒い衣装でもって全身固めているような服装だったのに、

いつごろから、男女関係についてだけは特別扱いを殊更に大っぴらにするような風潮へと変化したのか知らないが、

近頃の事件のイスラム問題で明らかになったように、宗教問題と同様、もともとはクソ真面目に縛りがキツかったことの反動なのかね。

 

キリスト教あたりの坊さんに特に目立つようだが、
一般に、坊さんとか聖職者と呼ばれる人ほど、とんでもなくイカガワシイ(実は、日本では、意外と罪悪感に乏しい、男性同性愛等)性犯罪などが発覚していることにも窺えるように、なにごとも、むやみに縛りがキツいと、あとの反動も大きいものだ。

 

 

ドヌーヴの言った「口説く権利」と言う発言には、つい苦笑したけれど、

いやがってる相手に対して、それを振りかざすのは、逆に、相手の権利の侵害になりかねないということは わきまえておかないとね。
幼い子どもじゃないんだから。

 

もっとも、世のなかの女性には、「ほだされる」という性質の人も多いようだけど。

うちの犬じゃないが、厭だとトコトンな私には、ぜったい、ない性質だww

ごめんね、男たちw
母性愛に欠けた女でww

 

 

だいいちには、

弱い立場の相手に対して、自分の欲求がゆえに、相手の欲しい「エサ」を見せつけて、権力を振りかざすのも、容易に犯罪に結び付くということね。

 

何によらず、「つけこむ」のは、卑劣者が やる所業。

 

その権力に屈さなかったからといって、本来の実力ある者が潰され、消されるということが起きたら、それこそは、甚大な社会的損失というものだ。

 

 

Updated   
2018.01.19 (Fri)

女性として生まれて、一般人と芸能人とを問わず、公の場あるいはプライベートの場において、およそ性的なものを含んだ方面の不快感を齎されたり、被害を全く受けたことのない人は、むしろ少ないだろうと思う。

逆から言えば、

その分、男性一般の性的欲求の激しさが指摘できるわけで。

 

 

#MeToo」運動は「売名目的」、仏女優バルドーさん セクハラ告発を非難1/18() 9:40配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180118-00000010-jij_afp-int

 

ははっ。

とーっくに老齢、

容姿のほうも、完全に、昔の面影いまいずこ?に なっちゃったバルドーの発言。

一方での真実も指摘しては いるけれど、

自分が若かった頃の自慢も含まれてる感じねw

 

 

この問題に対する最近の大きな国際的動き(もっとも、いまのところ日本だけはブキミなくらい静か、という指摘もあるようだが、そのとおりだなあと思う。ま、毎度のこと。)について、異議を唱える国際的「大女優」たちが連続して出てきたもよう。

 

もっとも、彼女たちは、出発点からして、非常に有利な立場を享受していただろうと思えるし、

つまるところは、バルドー自身の告白どおり、性的な意味合いを込めた、要は、外見上についての褒めコトバを、本人自身が不快どころか大いに快く感じられたか否かにもよるのだろう。

 

だいたいが、外見に拘るとか、外面的要素に全面依存するのは、畢竟、なかみに自信が乏しいからであるというのは、的を突いている指摘だろう。

 

そして、
こういった方面に恵まれている人ほど、思考の程度は浅薄なままになりがちである。

なぜなら、やはり、どこかウヌボレきってしまうほど、苦労しなくて済んでいることが多い人生だからかと思われる。

とにかく第一印象が有利なのは、だんぜんトクだからね。

 

芸能人のみならず、一般人でも整形が突出して盛んだという噂?の隣国の南北を共に見ていても、なるほどと頷けるじゃありませんかね?w
民族の歴史的に、忸怩たるものを抱え続けてきたせいか。

まあ、そんな隣国へ、整形しに赴く日本人だっているのだし、
両民族ならびに三ヵ国の国民は、一見は正反対のイメージかもしれないが、その性質と価値観は、深く似たか寄ったかであるわww

 

 

たしかにね、
女性でも男性でも、異性からチヤホヤされることに、つい快さを感じてしまうのは本能的なものに根ざすのであるから、しかたないとは言えよう。

 

昨今の日本でも、性的な方面に関して、タブー性というものは どんどん薄れてきていて、

昔は、女性の職業選択肢が ごくごく狭かった事情も あったし、まず家庭の経済のため、それこそ、そういう世界に、親の手で売られたとか、みずから思い切って犠牲にならざるを得なかったといった事例は多かったのだろうが、

いまどきは、インターネットの発達が後押ししているせいもあって、小学生ですら、ただの小遣い稼ぎのために、オッサンらに向けて、みずからの性を売りにする事件も出現している世相だ。

 

もっとも、
子どもが仕出かすことにはおとなたちの価値観が滲み出る

 

「おとなたちの価値観」とは、性的な面における、

要するに、若さ、魅力的容貌を伴う、ことに女体は商品になる
ということだ。

女の子たちは、

幼い頃からオマセな女の子は特に敏感に、そのことを知っている。

 

 

あくまで一般的にだが、

男性の場合だと、女性以上に、性に関わる肉体欲求が激しいうえ、

反して女性は、男性ほどでないことが多いのも、男性側の劣等感やコンプレックスを齎す根本なのだろう。

 

だって、
自分はハアハア、ガツガツしてるというのに、相手はクールに澄ましてると思うと、そりゃ、おもしろくないわよねw

少なからぬ男性特有の、ヘンな被害意識は、このへんから発していると思しい。

 

この世に生まれたのも、女体の力によってであり、

養育者という名の権力者を務めるのも、多く重みを発するのは、女性で あることから、

要するに、いわゆる「非モテ」男性たちの、女性全体に対する心理的な屈折度は、いやがうえにも高まるわけw
崇拝と侮蔑、怖れと軽侮が並び立つのが、女性に対する男どもの本音。
その相反する どちら側が勝るかは、そのときの情況しだい。

 

ことに、「母の愛」的受容性に餓える男性ほど、

あるいは、
それを当然のこととして享受してきたことに無自覚な男性に対しても言えるのかもしれないが、

彼らは、自分が、無条件に、女性に受け入れてもらえないことに、いたく悲哀と憤怒を抱えており、もはや被害妄想の域まで拗らせているようだ。

そして、

このテの男性たちは、どういうものか、知性と品性に欠けることが一大特徴でもある「ネトウヨ」に多いのも事実と見受ける。

 

その点では、より冷静な女性たちは、「条件」というもの、すなわち、みずからの「商品性」のことを、多少なり自覚している人が多い。

もっとも、トシくっちゃっての「婚活」とやらにおいては、かつて、商品価値が あったはずの自分、という未練を引きずったままの人も多いらしいがw

 

 

往々にして、男女を問わずで、むやみと、異性に対する攻撃心が激しいのは、だいたいが、異性に対する劣等感やコンプレックスの深さを垣間見させて、みっともない感じすら撒き散らしているものだが、そういう人は、自覚にも乏しいというか、ひらきなおってさえいるのだろう。

 

 

最近の日本国内では、もとTBSのオエライだったか何だかのオッサンが、その立場を利用して誘い出した若い女性に、何かアヤシイ薬物でも盛ったのか、正体を失うほど悪酔いさせたあげく、レイプに及んだというので、せっかく、逮捕状が出ていたにも かかわらず、

どうやら、この男が、「アベぽち」というのか「アベノトモズ」の一員だった お陰か、政権筋のチカラでもって握り潰させたらしいという事件が、この被害者の根気強い抗議によって、公に出たということが あったばかりだ。

そして、男の側は、とうてい「反論」にもならない体たらくな言い訳を繰り出しては、猛烈に、被害女性を攻撃、という始末。

 

くだんの被害者女性については、あくまで私個人としてはだが、よく知らない男性と二人きりで、酒席をハシゴしたという点において、ちょっと理解できないという感覚は あるのだけれど、

やはり、そこには、仕事を斡旋してもらえたら、という下心というか、欲は あったのだろう。

 

だが、男性側も、そこに つけこむのは論外というもの。

 

 

私個人的には、ほとんどの男性が、圧倒的に、女性以上の暴力衝動性と腕力の点で上回っているゆえに、若い頃、男性の殆どに対して、警戒心と嫌悪感を抑えることが困難だった。

しかも私の場合、どういうわけか、幼児期から、性的誘惑が多く、

成人後も、見るからに男っぽい容姿の、支配欲旺盛そうな(=暑苦しいw)男性には、特に勢い強くアカラサマに言い寄られることが多かったから、よけいに嫌悪を募らせていた。

なので、男性に対する嫌悪感を少なからず抱えてきたけれども、
その第一原因は、幼少時からの父親の凶悪な暴力行為にある。

 

にも かかわらず、

小学高学年になっても、当時すでに、成人女性と間違えられる体格で、そして、わりにオマセでもあった私が、男湯に入って、父親と共に入浴することには、まったくの躊躇いも持たなかったという、自分でも不可解なほど無防備な面は あるのだが(苦笑)

 

私にとっては羨ましいことに、本来的に自然な家庭環境のなかで、父親に対して、素朴な親愛と信頼感覚を持って生育できた女性は、その延長で、世の男性一般に対しても、疑心や警戒心は薄く、あっけらかんと受け入れられる人が多いように見受ける。

 

世のなかを見ていると、
父親にかかわる深刻な問題を抱えてきた女性には、当然、私のように、多かれ少なかれ、嫌悪と警戒心を持ってしまう分かりやすいケースと、

逆に、

男性には殊更、不自然なほど媚びてしまうケースとに分かれるようなのだが、

どちらの場合でも、無意識のうちに、自己防御しつつ、世渡りしていこうとするゆえなのかもしれない。

 

【続く】