2018.07.20 (Fri)
という懸念が、やっと今頃にもなって出ているようだが、
そんなことは、最初から分かりきってたはずでね。
『オウム』死刑の前夜祭から
「死の祭典――『東京オリムピック』――」へと。
すばらしきイベント国家・アベ政権・ジミン党と、
三拍子そろってございますね。
私が、旧ブログで、「アベシら、またもや、よけいなことを呼び込んで」と、決定直後の、狂喜乱舞する人々の ようすを眺めながら、
日本人って、まじで、バカになってるんじゃなかろうか、
と一人苦々しく思う気持ちを、旧ブログに綴ったことだった。
もともと、オリンピック誘致に反対してる声は少なくなかったはずなのに、そこへ もってきて、あの東北での大災害でしょ。
いろんな面で、オリンピックやってる場合か、しかも、クソ暑いの分かってるのに、もっと負担が増えるじゃないか、ここは、被災地に全面注力するべきじゃないのか、と呆れましたがね、私は。
周辺の海へ、放射性物質を垂れ流しておいて、「あんだあ こんとろーる」と のたまったアベシ。
バッターン死の行進ならぬ「死のオリンピック」てな事態になったら、大恥の上塗りニッポンだわ。
まあ、「カサンドラ」の意見には、誰も、耳貸さんわよねw
『東日本大震災』に対してと同様のパターンで、
苦しんでる最中の国民は、あとまわし あとまわし。
最優先は、なんたってカネ、利権、カネ、利権、カネ、利権。
これが、ジミンの生きる道。
この道しか ない!!あべ。
大阪では、いま現在、知事やっとる松井はんが、自分とこの会社に甘い水ひっぱってきたいという内心の目論見あって、アベシと あれこれの裏取引(←例の『森友学園』問題も含まれてる)っつう話は、すでに だいぶ前、眼にした記憶も ある。
だいたい、パチンコ業界との癒着が昔から最も濃厚な政党は、ジミンに決まっとるがな。
特に、アベシは、爺さんの代からのズブズブ、って話、有名でしょ。
こういうところを見ても思うのは、
実は、在日朝鮮人(韓国人含む)が、過去から最も支援してきて、癒着してきている政党は、ジミン党じゃないのか。
でも、けっこうフクザツでもあるんだろうと思う。
私が子どもの頃は、パチンコ屋さんって、いまより もっと多くて、駅前ともなるとズラ~ッと何軒も建ってた。
ふと気づいたら、いつの間にか、だいぶ減ったんだなあ。
そう、ちょうど、こっちも、「在日」が多々である暴力団との関係性に似てるんだよね。
もともとズブズブながらも、なんだかんだ、締めつけられて、減らされていってる面も ある。
「腐れ縁」ってのは、まさに、こういう感じなんだろうな、
いまだ利用し合ってるだけに、「発言力」は大きいというか大きかったんだろうけど、
それだけに、ジミンのほうも、連中に、それ以上の力を持たせないよう、生かさぬよう殺さぬよう、したたかに調整していってる、って感じww
その点では、
カケヒキ下手な野党のほうの「在日」一般に対する姿勢というのは、ジミン党のトコトン私利から計算づくとは多少なり異なっていて、利権よりも理念・イデオロギーから、のほうが先立っているようには思える。
今度も今度とて、
「カジノ」反対する野党は、「パチンコ」つまり朝鮮のためにだからウンタラカンタラ~!!と、
販売店も加わった『産経シンブン』関係者やら『ヤスブシン』あいや『安晋会』やら『日本会議』やらやらのシンパら入り乱れて相変わらず「ヤフゴミ溜め」に大集合、
して、必死の防戦と扇動のためには、どっちみち、野党を攻撃、この方法しかないワンパターン。
ま、
手下ども、一斉投稿(攻撃)せよ!
という指令が出てるんだろね(嗤)
ほんに、あの「カルト連」のやりくちだ。
ああ、もちろん、私は、もとから、「カジノ」は基本的に反対です。
それは、橋下さんが、大阪府知事やら やってたときから、旧ブログにて述べていた。
まず印象的に、いかにも「カネカネカネ」ほーしぃツクヅク、
ってな感じが して しゃあないから、やめといてほしいとw
だいいち、近頃では「アミューズメント」を自称するパチンコ業界も、今度の「カジノ」に参入していく構想が あるんだということも、はやくから指摘されてたよ。
でも、いまは、ハッキリ言って、最終的には失敗に終わる危惧のほうが高いと感じるから、私も反対するんだけどね。
「カジノ」だけじゃないんだ、大会議場がとか、一大リゾートとして、とか、そういうことも含めて、やっぱり、反対。
国土性というのか、風土から来るものなのか、
日本人ってのは、それこそ、「ラスベガス」みたいな華々しいものを運営し、維持していくだけのスケール感を持ち合わせない国民性だと思うのでね。
しかも、けっこう飽きっぽいと きてる。
飽きないように、チマチマと、ホソボソと、
それが、良くも悪くも、地味な日本人全体のサガ。
スケール小さいんだから、似合わんことは、避けて、
もっと、日本ならではの やりかたを、くふう、強化するほうが いい。
ましてや、
ここへ来て、しょせんは小金持ち程度しか いない一般国民のフトコロを あてにしてるってんでしょ。
なんなら、カネも貸しまっせぇ、と。
以前ほどには、国力も ないし、
分は わきまえないと。
最初のうちは、マスコミに煽てさせて、上手くいってそうに見えさせても、結局、毎度のパターンみたいに、ポシャると思う。
あとに残るのは、、、言わずと知れてる。
ますます、一般国民・庶民のクビだけ締まるわよ。
ぶちあげた連中が、責任とるわけないのは、ハナから分かってるのだし。
『【東京五輪】“殺人オリンピックになる”と英タイムズ紙が警告 観客も熱射病で死亡か』
2018年07月19日 15時15分 日刊ゲンダイDIGITAL
https://news.nifty.com/article/sports/athletic/12136-059076/
「~高温多湿に慣れた日本人が次々とメダルを獲得。そんな東京五輪になるかもしれない」
は?何を言ってるの、ゲンダイさん。
日本人選手は そうかもしれないとしても、観客その他は どうなの?
何十年と、この日本で生きてきて、夏の暑さにだけは、いまだに慣れるということが ないですよ。
私の周囲の誰に言っても、そのとおりだ、と頷くよ。
そりゃ、地方・地域によって、多少の差は あるでしょうけど。
ここは大阪の片隅なんだが、
一昨夜、やけに赤い月を眺めながら、短時間、近所に出ていて、
遅い時間帯なのに、少し歩いただけで、汗だらだら。
たしかに、道の両側に建ち並ぶ家々からの熱気も、それは多分に室外機から噴き出してることも感じるが、
なるほど、独特の重ったるい湿気が多いんだと、あらためて実感した。
私は もともと暑がりで、大量に汗かきやすい体質なんだけど、
汗は かけども、蒸散しない。
こんだけ汗かいてても、体内の熱が出ていく感じが ない。
したがって、肌がベタベタするほどに、ますます、熱が こもっていく。
歩いてる途中、最近になって建て始めたらしい、小規模マンションを見かけて、
「夜遅くで、この暑さなのに、昼日なかに、戸外で肉体労働する人たちは、まじで危険やろうに」
と、敷地内に置いたままのミニ クレーン等を見遣りながら思った。
『京都で最高気温39.8℃ 観測史上1位タイ この先も酷暑つづく』
7/19(木) 18:16配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180719-00010005-wmap-soci
これからの われわれは、40℃程度の気温は通常レベル、としての夏を過ごさなければ ならないのだろうか。。。
どこのドバイやねん
火責め水責め、ここは地獄かよ、日本列島![]()
【続く】
2018.07.18 (Wed)
『“Leave Me Alone”』の続き。
人間性欠落性党、ジミン。
さて、このところの一連の『オウム真理教』教祖・幹部らの処刑を報じる記事を読みつつ、あらためて感じるのは、
直接担当の係官たちと同じく、この国の「国民」という名のもとに、私たち老若男女の皆が、「死刑」ボタンを押しているのだという、なんとも、後味の悪さ。
否応もなく参加させられている、政権主催の「処刑ゲーム」。
このように、犯罪者という者は、直接の被害者に対してのみならず、二重三重に、罪を及ぼしてくる。
自分自身が、また身内の者が、このような重罪を犯さずにいられたことに、「彼我の差」を驕る気持になれようか。
免れてあることを、ただただ有難く思うほか ないでは ないか。
…と、こんなことは、
いま、国家権力を振るう立場の人たち、安倍シュショーしかり、上川ダイジンしかり、
住んでいる世界も生活レベルも異なるからなのだろうか?
感覚や思考回路において、まさに『オウム真理教』の連中と同様、私などとは根本からして異なっているようだ。
むしろ、ダイジンがたのほうが、よっぽど、『オウム真理教』の連中と近い感覚や考えかたなんじゃなかろうかと思える。。。
2018.07.18 (Wed)
『【続】「この対比」。』続き。
自転車の荷台と、トラックの荷台とは違う。
私自身は、親でも職場でも、要求され、「必要とされる」ことの しんどさのほうが、たいがいの場合は上回っていたから、
「おまえには利用価値が ある」
と判定され、
そのかぎりにおいてのみ、存在が許されるという境遇にも、やりきれなく苦々しいものが あると思っていたし、
むしろ、ほうっておいてほしい、と、内心で願うことも多かったけれど、
リーヴ ミー アローン…
「孤独」には、なんとか耐えられたとしても
(だいたい、ほんとうの孤独なんてものは、ないんだとも言えようし、誰しも孤独で もともとじゃないか、とも言えよう)、
だが、
「孤立」となってくると、実際問題として、普通の生活そのものが成り立たなくなる危険度が高い。
そして、孤立しているからこそ、孤独が身に沁みてくる、ってワケだ。
「おまえは要らない」
と、世間の人々全体から宣告されてしまうのが、「死刑」という「刑罰」だ。
それが、
よりによって、自分の存在を肯定してもらいたかったあまりの犯罪に対して下された、
「おまえは要らないから」刑罰。
正直なところ、私自身、「死刑」についての考えかたには、いろんな側面から考えても、こうと決めかねる思いが いまだに残るし、
いかに「普遍思想」だからと言えども、
他者の「人権」を甚だしく踏み躙っておいて、些かも省みない者の「人権」とは、
それじゃ まるで、「おまえのものは俺のものだが、俺のものは俺のもの」的な、身勝手きわまる者に合わせた ご都合に陥ってしまうのでは ないかという危惧を払拭しきれないでいる。
このあたりは、諸外国の実例を参考に、いっそう、研究を深めていく必要が ある。
他人の命を、それが、何の罪もないはずの無垢な乳児であろうとも、
ましてや、自分にとっての不つごうが あると見做した相手なら、やすやすと歯牙に かける。
ところが、
自分自身の命は、やっぱり惜しいのだ。
いたって「普通の人」であったはずが、国家の命令によって、ひとたび、戦場に送り込まれたなら、国家に奨励されて、殺人が仕事になる。
自分が やられるから、それだけでは なかった。
かつての日本国民も味わったこと。
何も分からない、知らないまま、抵抗のすべもなく、命を奪われ、無垢なままに、世を去った赤子も いる。
欲しいものが与えられなかったとて、「自己愛」の泥水に溺れ汚れて、
ついには、世のなかの人々からも、
「消えろ」
と命じられるようなことを仕出かす者も いる。
つくづく、哀れなり。
以前、ネット上の犯罪で、
「パソコン遠隔操作」事件として、マスコミも盛大に取り上げ続けた果て、ようやっと、犯人が確定、逮捕されたことが あった。この男と、その母親との日常生活を描写した記事等を読んでいて思ったには、
ここの母親も、わが子の犯罪に関し、息子が陥れた被害者たちのことは、あまり、意識のなかに ないような感じで、ひたすら、親の立場としての自分の辛さだけを言い募っているような印象を持った。
「成人」になったら、親は無関係?
「成人年齢」なるゴールポストなんてものは、動かせることが明らかになっているし、これに明らかな根拠と言えるほどのこともないのだろう。
とは言え、
身内の「連帯責任」を問うなどは、こんにちでは時代錯誤、不合理と言うべきこと、
けれども、
「成人」までの期間、生育環境という「個の歴史」が齎す積み重ねの影響は甚大であることに相違なく、そこに生じて降り積もった問題が行き場を見つけられないと、経過しだいによっては、「成人」後になってから激しく噴出する事態も ある。
そのとき、「心神喪失」とでも認められないかぎりは、あくまで法的には、犯罪を起こした者の「自己責任」でしか なく、
刑罰を受けるのは、本人自身のほかに ない。
親や養育者側の責任を問うて、バッシングするな!という問題に留まるものでないのである。
今後の社会と個人に寄与するべく、
本人と背後の徹底的分析を試み、可能なかぎり予防を図らねば ならない。
こちらは、先日、あるコラムの筆者さんが紹介していた話で、
何年か前に、『黒子のバスケ』とかいうマンガ作者を恐喝していて逮捕された犯人が、後日、緻密な自己分析や、刑務所内で聞いたことなどを縷々述べていたなかに、
たしか、受刑中の障碍者たちが、「障碍を抱えてること自体、刑罰のようなもの」といった内容のことを言っていたという。
言わば、「罪なくして受ける罰」か。
それは、私自身にも、頷ける思いは あるけれど、
ただ、障碍それ自体が齎す不幸だと思ったことは ない。
いわゆる中途障碍者の場合は ともかく、
生まれつきとか、私のように、乳幼児期からだと、
その状態がアタリマエになっているので、
よく言われることだが、たしかに「不便」では あるものの、「不幸」というのとは また違う。
「不幸」であるとしたら、それはズバリ、周囲の人間関係によって齎されることなのだ。
「障碍ではなく、おまえの性格の問題」
と、いまだに頑強に言われ続けていたとしたら、
子どもの頃のように、黙って うなだれさせるだけで済むと思っていたら大間違いだということを、ガツンと思い知らせてやらねばと、激しい怒りと共に考えたかもしれない。
私にとっては、まぎれもなく、社会生活上の死活問題だからね。
現実には、
四苦八苦の末、社会に出てからは、親との距離を保つことを優先しようとしたのだけれど、
親のほうが、私を掴んだまま、放そうとしなかった。もちろん、当人たちは相変わらず無自覚のままだったが、
うちの親子関係が、世間一般並みでなく、非常に複雑だったゆえ、
障碍つまり弱点を抱えているからこそ利用できる、便利な存在である娘に依存するほかなかったのだろう。
中学生になる頃には、私は、自分の子を持つまい、持つべきでないだろう、と内心で薄々思い定めていたけれど、
それは、自分が産み落とされたことを、どうにも納得できなかったからなのだが、
「おかあさんは、あんたを産まないから、安心しなさい」
と、まだ見ぬどころか、影も形も ありは しない(幻想のなかの)わが子に呼びかけていた。
「生まれぬが幸せ」。。。
思うに、
産むも産み落とされるも、結局は「賭け」であるとしか言いようが ない。
「出たとこ勝負」、これが、殆どの人の場合だ。こういう層も必要だもの、ぶ厚く、ぶ厚く。
「賭け」のリスクに無頓着なくらいでなくっては、
犬や猫では なく、悩み多き人間ほど、子を持つことに躊躇いを感じてしまうのは、むしろ、自然な思いだろう。
そうでない場合、
先日も少し指摘したように、
「子を持つことが人並み。一人前」といった、従来からの ありふれた価値観に、些かの疑いを持たないでいる人が、無自覚なコンプレックス解消手段として利用しているふしが見受けられる場合も ある。
【続く】
2018.07.18 (Wed)
『「この対比」。』続き。
さて、この事件。
『面会室に両親、数秒でドア閉める…新幹線殺傷』7/15(日) 10:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180715-00050030-yom-soci
身近で勃発したとは言え、たまたま遭遇したに過ぎないのだから、飽くまで他人の事として、まずは自分の身の安全を優先することも じゅうぶん でき得ただろうし、そのほうが、被害者の御遺族にとって、だんぜん望ましいところであったはずだが、敢えて、真正面から立ち向かっていかれた犠牲者のかた。
可能なかぎり、御自身の安全も重視していただきたかった、とは思う。
ただ、こんな世のなかでも、こういう「正義感旺盛」な人が存在してくれていたのだという感慨には、やはり、一抹の「救い」が与えられたかのような感覚を抑えきれなくも ある。しかしながら、
ある面では、犯人と、その親の「救いのなさ」を、もっと深めてしまった、と言えなくもないのかもしれない。
「殺させては ならない」という意味では。
私は、この事件において、
それこそ他人事のような無関心さ滲む答えかたを していたというので、ネット上でも評判が良くないらしい犯人の実父が、メディアの取材に応じている場面そのものは見ていないのだが、
考えてみれば、
犯人に正面から立ち向かい、結果として犠牲になられた被害者のかたは、皮肉なことに、この犯人の親の無関心さとは、じつに対照的な姿勢だったわけだ。
ここで、一つ明らかに指摘しておきたいのは、
いわく「八つ当たり犯罪」の加害者とて、その根っこには、本能的に自分が可愛いゆえの発露が ある。
だが、
ほんとうに、自分が可愛ければ、辛うじてでも、理性は捨て切らない。
日常レベルでの「八つ当たり」行為なんてものは、老若男女個々の家庭で、職場で、また、殊にインターネット上でも、掃いて捨てるほど多い。
こうした行為を行う者は、総じて、子どもっぽい精神性を押し込めつつも、表面だけは拭って生きてきたんだろうと思う。そして、
世のなか、少なからぬ者が、ほんの一歩の差で、やってしまうのだろうし、
その一歩の差が、とてつもなく大きいとも言えよう。
「八つ当たり」行為者にとっては、世のなかの全てが、全ての人が、真実「無関係」では ない、と感じられるのだろうし、
実際のところ、それは、あながち、間違っているとも言えない。
だが、「無関心」を恨んで、他者を巻き込む者も また、
自分も内包している「無関心」については無自覚であると指摘せざるを得ない。
言わば「八つ当たり犯罪」と言えば、あの『秋葉原・無差別』のケースも そうだったし、
事件を起こすまでに、どのような理不尽・不条理に晒され続け、本来は自然な「自己愛」をズタズタにされたことかという言い分の土台が あろうとも、
人間社会の法によって刑罰を受けるほどの「八つ当たり」は避けておき、その代わり、
チマチマと陰湿なレベルの上手な「八つ当たり」に留めておく、それが、大多数の人間の「理性」だ。
それが、自分を守っておく最終の「砦」だからだ。
もともと「自己愛」のために犯した罪、そのせいで処刑される事態まで至ったのだから、どうにも破綻している。
個人的な話に移るが、
私の人生最初期の3年間は、くっきりと「天国と地獄」さながらだった。
1歳半くらいまで、親らの記憶だけがスポッと抜け落ちているみたいに、ほぼ全くない。
親の記憶が ない分だけ、生後の1年半ほどは、私の人生のなかで唯一と言って過言でないくらいに、穏やかな気持ちで過ごせた、平和そのものな時代だった。たったの1年半。
特異な生まれつきの私は、生後6ヵ月にして、すたすた歩き始めていた。
その前後の記憶も、かすかながら残っている。
もともと記憶力は悪くなかった私に、辛うじて残っている親との場面は、
当時の住まいだったアパートの階段、これは、もともとは、屋敷町の個人宅だった木造建築を、各室に区切ってアパートとした所だったので、いまでは珍しいだろうが、屋内に設けられている共用廊下、階段も、磨き込まれた木製で、外から戻ったら、共用玄関にて、靴からスリッパに履き替えて歩くルールだった。
そこで転び、痛くて、思わず大声で泣こうとしたのだが、
そうすると、私ら親子の自室から母親が飛び出してきて、こっぴどく怒られるかもと、幼児なりの考えを めぐらし、
たまたま、誰も いなかったのをキョロキョロと見定め、いまさら泣き出すのは やめておくことにして、そのまま外へ遊びに出て行ったこととか、
夜遅く、母親に、なぜか、いきなり、箒で追い回されて逃げ惑った場面とか。
それでも、父親が いない生活は、平和そのものだった。
いっぽう、ご近所の人々の記憶は鮮明だ。
あらゆる人々から、とても可愛がってもらっていたのを憶えている。
その状態からイッキに、
おさな心にも、
「地獄が始まった」
という感じで、幕が開いたのは、
それまで分かれて暮らしていた父親と、その先妻の子ら(義姉や義兄)との同居。
おとなになって、振り返るたびに思い当たる。
私の辛うじて理性を失わずに支えてこれたのは、
ご近所の人々の優しさ、温かさを、人生の最初に記憶していた おかげだった、ということを。
だから、いつの日か、
いまは もう、あの人々の誰ひとり残っていないけれど、
生まれて最初の1年半を過ごした街に、帰ろうと思っている。死ぬ前に。
もし、自分の親らの記憶しか残っていなかったなら、私も、そうとう危うい人間だったかもと思う。
親を「誅」したところで、その結果、自分だけが、しかも、ますます大損するハメになるのを受け入れることは、さすがに できなかった。
あまりにも、バカバカしかった。
それを鑑みれば、
「八つ当たり」という下劣きわまる犯罪行為でもって、可愛いはずの われとわが身をも破壊し尽くしてしまうであろうことを辞さず、ついに爆発させてしまう、この殺伐に至る絶望。
でも、ほんとうの絶望では ない、まだ。
そこに なお残るのは、
満たしきれなかった「甘え」だ。
自分に関心を向けさせる目的で、わざと困らせる。
これは、一般に、幼い子どもなどが、親や養育者に対して、関心を向けさせようとして、よく やることでも あろう。
うちの親らの話では、私は、そういう傾向に乏しく、私自身の自己分析では、おそらく、「仮死状態」という酷い難産のために、疲れ果てて生まれたせいか、ほとんど、おとなしく眠りこけている子どもだったそうで、あまり、手は かからなかったようだ。
これは これで、問題が ないというわけでも ないのだろう。
ほんとうに苦しく辛いとき、それを どうすることも できそうにないと感じるとき、
では、自分の命を抹殺してしまおう、と決めてしまう人も いるけれど、
やはり、実行するとなると、ためらうのが殆どの人だろう。
たとえ、自分自身を抹殺することを躊躇わない人でも、
そこで、どういう方法を とるか、
一人きりで、ひそかに、誰にも知られぬよう、極力、他へ迷惑が及ばないような方法を望み、そのように実行する人も いるだろうが、
時に、「八つ当たり」「道連れ」犯罪を起こして、「死なば諸共」という方向へ突き進む者も いるわけだ。
どちらのほうが、自然な本能の持ち主なのかと問わば、
可愛い自分一人が消えるなんて、どうにもガマンならねえ、とて、
「八つ当たり・道連れ・もろとも」犯罪を犯す者のほうが、むしろ本来的なのであって、
ましてや、
理不尽な境遇のなかにありながら、恨みを晴らす行為は せず、一人ひっそりと消えることを、みずからに命じる人のほうが、考えようによっては、よっぽど冷たい性質である、と言えるかもしれないのだ。
「迷惑を かけては いけない」と固く信じる人の心理の裏に、「迷惑かけられるのは厭」という本音が潜んでいるかもしれないように。
道端のノラ猫ですら、自分を排斥しそうな人間に警戒して身構えるときと、普段から可愛がってくれる人間が相手のときとでは、じっと見つめてくる眼の表情からして全然、異なる。
この世に生まれてきた以上、犬や猫だって、自分が生きて存在することを、誰か、たった ひとりにでも、肯定してもらいたいものなのである。
ましてや、人間。その自分を産み落とした親だ。
「ないモノねだり」それが、親からの温もり、愛情のことだったら。
「おまえは、要らない」
と、背を向けられたら。。。
【続く】
2018.07.18 (Wed)
『古賀茂明「西日本豪雨でも酒宴 火事場泥棒の安倍政権が民主主義を破壊」〈dot.』7/16(月) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180714-00000015-sasahi-pol&p=1
~
それは、文科省前局長が東京医科大学に便宜供与した「私立大学研究ブランディング事業」の助成対象に、加計学園系列の千葉科学大学と岡山理科大学が選定され、しかも、募集要項に書いてある2千万~3千万円という金額よりもはるかに多い金額の補助金をもらっていたということだ。選定されたのはこの事業が始まった2016年度で東京医大は落選した年だ。198校中40校、約5倍という難関をパスしたのだ。実は、この事実は、17年12月に東京新聞が報じていたのだが、その時は、事業選定に疑いをかける根拠がなかったので、他紙は追随せず、ほとんど知られずに葬り去られてしまった。
しかし、今回は違う。東京医大の選定にあたって不正が行われていたということは、他の大学でも不正があり得るということを示すからだ。1法人から2大学、金額も平均をかなり上回るという事実と、安倍総理が補助事業選定の時期に加計孝太郎氏と頻繁に会食やゴルフをしていたということを重ねれば、~
(文字強調は、当ブログ主による)
あっ!なあるほど!!
私も、なんか隠してるっぽい、臭い臭いとは思ってたんだけど。
大手紙を始め各メディアは、もう いいかげんに、アベシ逮捕相当の疑惑を徹底的に追及開始するべきでしょ。
日本のメディア界が、他国に比べて、基本的に政権寄りだという「良い子ちゃん」習性(?)は有名だという話、何度か紹介してきたけど、
どーして、こんなに、特に安倍政権に対して、腰が引け続けてるわけ?
マスコミ側も、何か弱みを握られてるのかと思っちゃうわよ。
大手紙ならびに各メディアは、ヒラメやカレイじゃあるまいに、右顧左眄しつつ、政治屋・官僚屋のカン違いした「エリート」意識とソンタクの真似してる場合じゃない。
ちっとは、ジャーナリズムの矜持と気骨というものを思い出さんか。え?そんなもん、「羽織ゴロ」なんどと呼ばれた時代から ありませんよ、ってか?
だったら、
アッシらが「公器」よ「木鐸」よというは嘘でごぜえます、これからは、安倍ジミンを見習っていること隠さずに、ひらきなおって堂々と、
「ジャーナキンド」
を名乗らせていただきやす、
と白状なさい、アキンド新聞社のサラリーマン記者ども。
あ、そうか、ごみ売り、おっと、『読売』なんて、まんまな社名だわなあ、売ってますヨ~ん♪っとw
毎日新聞までも、こないだは、『日本財団』てな、これまた うっさんくさいとこの寄付金集め宣伝記事を出してるしまつだ。
また、
特に『立憲』、『国民』の両『民主党』系を始め、野党側各党は、やれ「ブーメラン」だの、くだらないデマ飛ばされてアタフタ、へどもどしなくて済むよう、それぞれ、常からワキを固めて、団結しなはれ。
もう、いいかげん、ジミンごときに正面から手玉に取られるような頼りない姿さらしてくれるな!
むろん、あんなコスい習い性にまでなってもらってはフルフル厭だが、
もっと作戦練って かからんかい!!
なにか?あのアベシよりもオツム悪いんか??
いくらなんでも、いくらなんでも、そこまで落ちてないだろ?!
ジミンが何十年かけて各方面でズップシ癒着してきた連中からの放屁、あ いや、豊富な悪ヂエ・入れヂエ・ソンタク作戦に負けてる、つうことに、ほぼ尽きるのやろ。そこには、大手メディアも含まれてる。
しかし、当ブログが指摘し続けてきた「野党を鍛え育てる」にも、あまりに長く、ジミンばかりを のさばらせたせいで、すでに、時機を逸しているかもしれない、この国は。
はて、この5年以上に わたる「アベ政治」によって、どこが、どれほど良くなった??
言っとくが、
われわれ一般国民・庶民にとって、「株価が~」「雇用状況が~」なんてマヤカシは通りませんぞ。
庶民の私から見れば、むしろ、悪くなっていってるのは、近所のスーパ-マーケットへ行っても実感できるよ。
でね。私みたいな一般人でも、先日の、気象庁が、これから懸念される豪雨に対する警戒について公式発表を行なったのは、非常に異例、というニュース記事を読んで、
うわぁ
どうなることやら、、、とハラハラしてたよ。
少なくとも、決して、軽く考えては おらんかった。
「東京に居てたら」云々は関係ない。
日本の政府ってのは、「東京国」の政府なのか?
SNSにアップしたから、写真を出したからマズい、って、関係ないのよ、そんなもん。
もし、私が、政府要人だったとしたら、宴会でハシャぐ気には到底なれんかったと思う。
「親睦会」か「勉強会」か知らんが、酒盛りしているあいだも、気が気じゃなかったと思う。
なんとか、被害が拡大しないレベルで済んでくれないと、えらいこっちゃと、蒼ざめる気分だったと思う。
こういうのって、自分が今どこにいるから、気にならない、とかじゃないだろ。
かりにも、為政者や、国家のトップたるもの、「国の民を心配する気持ち」が先に立つはずじゃないか。
ところが、安倍政府。
要するに、あの宴会も、アベシ三選の根回し的な目論見からの、これぞ「異例の」首相参加だったんだとさ。
おまけに、
「お外遊び」に行きた~い!というアベシのワガママで、対策本部を設けるのが遅れてしまったんだという真相話も聞こえてきている。
結局、相変わらずの後手後手。
そればかりか、
安倍さん、あーたはね、日本政界と言えども、めったと お目にかかれぬほどの狭小な視野でもって、「トモダチのためは自分のため」という本心を、「国のため」とスリカエ誤魔化し(←わからいでか!
)、
それも、いまやアカラサマに ひらきなおっていて、
そうやって、国家と国民の生活を傾かせてから、やっとかめ去る。
そういう不吉な役回りの人です。
片山さつき氏なんかは、たまに報じられる言動や態度を見ると、だいぶ以前から察するに、このひとは、おそらく、
精神状態フツーと違うんちゃうの?![]()
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という、
そうです、まさに「病んでる」感じが すごくしたけど(診察してもらったほうが いいと思うよ、マジで。)、
これがアベシとなると、「病んでる」以前で、まさに生まれつきの、、、だなと思う。
その生まれつきの、が、いよいよ嵩じて、
右手で弱者叩きしながら左手でオトモダチへ、国の巨額税金横流し。
それが「力ある政治なんだよ」「政治権力、使わにゃソンソン♪」と思ってる臭いが、もゎあ~~~と漂ってくる。
まあ、この臭気は、クサい空気を、よりクサい臭いで打ち消す効果、、、ジミン特製「消臭」剤のつもりらしいがな。
ジミン党是のようなコトバである「悪名は無名に勝る」んだと、ウヌボレていては いけません。
アベシと その利害関係者らが、どれほどヤッキになって取り繕おうとも、後世にハッキリと残るだろう。
一般国民・庶民のために肝心のことは一切なさぬどころか、冷酷に切り捨てていったが、
仲間内で回す私利私欲のための悪行は躊躇うことなくゴリゴリ押しまくった、戦後最悪シュショウであった、という悪名を。
ああ、無名よりは、悪名でも何でもいいから残したい、そうですか。
とにかく、アベシを最後に、ジミンそのものが消えてちょ。
賞味期限も消費期限も、とうの昔に過ぎていて、
あっちやこっちとヒッツキ過ぎて、
どれが誰の腕やら脚やら、モゾモゾと絡み合い、ズルズルもつれあったまま、手の施しようもなく、古甕の底の闇のなかで腐っとる。
そのキモチ悪さときたら、覗いて見るのも おぞましいほどだ。
国家の政策、経済策、いずれにせよ、
一部の利害のためにじゃダメになるんだ。何度言ったら分かるのか。
たとえば、人口の減少そのものよりも、要は、出生率の著しい低さによるバランスの崩れ、これは、早くから予想できていたはずだし、
季候や気象の変化についても、
私が20代の頃から言われていたんだよ、なんせ、
とある週刊誌の新聞広告で、ゴシップ記事の見出しが、
『この人たちの異常気象』
だったの、よく憶えてるもんw
あれからン十年。
もともと、こんな災害の多い国土に、頑丈で良質な公営住宅よりも、
リスクが高い個人の持ち家奨励し、
日本列島の どこで、これまで以上の大災害が起きるやら分かったもんじゃない今後、繰り返すたび、しだいしだいに、足もとが弱ってくるだろう。
あんたらジミンの治世ウン十年のあいだに、日本列島の津々浦々までガッタガタ。
いったい、どういう「グランド デザイン」だったんだよ?
それにしても、似てるじゃんか、アベシとアサハラのやりくち。
豪雨による被災地と、まさに対比を成していた政治屋どもの浮かれ酒宴シーン。
こうしたアカラサマな場面を突きつけられると、「彼我の差」ということへの呆然たる思いに つかまえられてしまう。
けれど、
この世というものにおいて、ほんとうに「無関係」ということなんて ありうるのだろうか、と、ふと思うことも ある。
私自身の人生も、個人の力量範囲を超えた(ジミン)政治の影響によって振り回された面は、確かに あるのだ。
【続く】