2018.07.26 (Thu)
『【続】「本質」の見分けが できない「ヤフゴミん」。』の続き。
ちなみに、
あの佐世保の「同級生を襲い、遺体を損壊」という、女子高生の事件。
あの女生徒についても、当ブログ過去エントリーで、私なりの分析を述べてあるけれど、そこでも触れたと思うが、本人が得意とするという、絵の描きかた。
植松も また、絵を描くのが好きで得意だそうな。
この両人、ともに、上手いと言えば、それは確かに上手いのだろうが、
異様な緻密感とともに偏執性ただよう、
なんとも言えず、キモチの悪い作風だ。
正直言って、絵の好きな私でも、見たとたん、吐き気を もよおした。
べつだん、ことさら不気味な題材を描いているのでもなく、自画像であるとか、泳ぐ魚とか、いたって平凡な題材であるにも かかわらず、なんとも異様さが滲み出ている。
こういった点からも分析してみれば、大事件を起こすに至った何らかの共通性は あるだろうと思う。
ところで、植松の顔と言えば、
例の『オウム真理教』幹部の一人だった新実智光の顔と似てるなあ。。。笑顔が特に。
口もとなんか、さしづめ「般若」っぽいというか、
「サイコパス」っぽい顔、ってとこなんだろうか。
ある種の脳のタイプに特有の顔だちや表情かもね。
研究・分類してみたら、興味深い知見が得られるかも。
大昔から存在する「人相占い」とかいうのも、基礎にあるのは、やはりデータの蓄積なんだろうけど、
ただし、外見というものも、一筋縄では いかないのだ。
たとえば、うちの母親なんか、
「きょうなぁ、帰りの電車に乗ってるとき、たまたま隣に座っていた女の人に、奥さん、すばらしいい人相してはりますね、って褒められたわ」
と言ってたことも あったが、
あるときなんかは、
「これで肌さえ浅黒かったら、うちらと似てるわぁ」
と、サークル活動か何かの招きで出会った、インドから来日の女性たちに口々に言われたそうで、
私のクラスメートなんかは、
「あんたとこの おかあさんて、教科書に載ってたイギリスのヴィクトリア女王に似てる!」
と言ってたくらいだ。
娘の私から見ても、あたかも古代ギリシャ人というか、白人に近い目鼻立ちで、ごく若い頃なら「芍薬」だ「牡丹」だ「百合の花」だと褒めそやされたことだろうが、
中年以降は、はなはだ肥っていたので、歩く姿も威風堂々、といった趣だった(笑)
しかし、なぜか、足の形や指は、まぎれもなく、ぶかっこうな「アジア型」w
私の足指は、それこそ、いわゆる「ギリシャ型」とか言うのだろうか、
ところが、
これは、「弥生」系と言うか日本人らしく「ひらたい顔」の父親由来なのだから、わからないものだ。
でもでも、
うちの母親、「脳に異常」が あったんだもんね。「脳波の」ナンタラとか。
ちなみに、母親の姉妹の一人で、若くして自殺した、私の叔母にあたる人は、癲癇の持病が あったそうだ。
私も、わりと近年になって察しているのだが、母親にも、そのケが あったものと思われるフシが窺えた。
もう一人の妹は、中年になってから、激烈な精神病になったしね。まあ、比較的に、おさまるのが早かったのは、不幸中の幸いだったが。
うちの父親のほうも ほうで、先日のエントリーで述べたように、私に言わせりゃ、親父も そうとうオカシイのだがw
その先妻との長女が、やっぱり、精神病。この原因は、向こうの実母の家系にあるとは聞いていたが。
で、
うちの母親も、戦時中だったこともあってか、子ども時分は痩せっぽちだったそうだが、トシとともに肥っていた原因も、べつに、食べ過ぎと言うより、体質と持病の影響。
ところが、ここにも、脳の異常が絡んでいたわけよ。
あれほどの 立派な ご面相で、「異常な脳」の持ち主なんて、誰が見抜けるか、ってのw
また、私の観察だが、
特に新興宗教とかの熱心な信者のなかには、一見して、なかなか上品で、なんだか つるんとしたような印象の、美男・美女クラスと言っていい顔だちの人も見かけたりする。
これってのは、
どうも、「良い子ちゃん」「優等生」特有の、あどけない、可愛らしい子どものような素直さとかが絡んでいるような気も するのだ。
もっとも、一歩ちがうと、「アホづら」に近いものかもしれないがw
おととい読んだ『西日本新聞』ウェブ記事に載っていた、被害者ご遺族の一人である高橋夫人の感想にも、新実の眼つきが恐ろしかった、と記されていた。
『オウム23年の出来事 一気に突き上がった」地下鉄サリン事件の遺族、死刑執行の日の思い』7/23(月) 11:27配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180723-00010004-nishinpc-soci&pos=1
『<早川、新実2元死刑囚>謝罪の手記 死刑制度には疑問も』
7/23(月) 18:05配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180723-00000045-mai-soci
「~真理のため、救済のためと思って戦い、テロを実行して得られたものは苦しみと悲しみでした」(早川紀代秀)
「真理のため、救済のためと思って戦い」
私に言わせりゃあ、
ヘッ、恵まれた分際で生きてきて、どんだけウヌボレておれたんだ。
甘ったれんな、子どもっぽい俗物がよ!!![]()
の一言だけどね。
2018.07.26 (Thu)
『「本質」の見分けが できない「ヤフゴミん」。』の続き。
障碍者で、しかも重度だから、これは排除一択とするのなら、
まさに、障碍とは、
「罪なくして受ける刑罰」
の対象者に他ならなくなってしまう。
(再掲)『“Leave Me Alone”』
いわゆる「健常者」と見做される人に対して、
「罪なくして罰」
を与えるなどという理不尽が許されるはずもないのだが、
これが重度障碍者に対してなら、許されるというのか。
ましてや、自己の意志表示すら不可能な人に対して。
それと、
こうした主張にも、その愚かさに、へどが出るほどの思いなのだが、
「ホッとした親も いるはずだから」などとヌカす輩。
どこの世界に、わが子がメッタ刺しされて、ホッとできる親が いるというのか。
こういうことを平気で言うバカが、たとえば、「親の無償の愛」だの「家族の絆」だの、
さしづめ災害被災者などに対して、「日本人どうしの絆」でガンバロウ!なんてな、歯の浮くようなことを言っているひにゃ、笑止千万も通り越し、鼻白むばかり。
ああ、この軽薄ときたら、まさに罪悪に等しい。
また、親が、各家庭において、障碍児の世話を するべき、という主張も、浅はかなんてものじゃない。
こういうことは、高齢の親の介護問題と共通性が あって、私自身も直面した経験が あるが、
さすがに、下劣な「ヤフコメ」内でもチラホラと、諌めの指摘する投稿者も言うように、個々の家庭で24時間介護などは、およそ現実的ではないし、単に「共倒れ」を招くのみだ。
だから、こういう分野においても、業種として従事する人が、妥当な報酬を得る大前提で、分担する。このほうが、だんぜん効率的であるし、
客観的な視野と広い蓄積を得て、研究と改善に寄与する。
問題は、日本だから往々ありがちなことなのか、私には分かりかねるが、
いわゆる「3K」と呼ばれるような、負担の重い業務に就いている人たちへの待遇が、じゅうぶんではないことと、人員補充のこと、かつ、医師等と違って、専門的知見と資質を備えていない者が、安易に就業できるというか雇用するしかないような現状、つまりは、行政面の不備と遅れである。
報酬や待遇に原因、というのは、少なくとも植松の場合には、あたらないだろう。
彼と同じ職場で共に勤務していた職員たちも いるのだから。
私は、植松が主張したヘリクツについての記事は、正直、あの顔を見るだけで、胸くそ悪くなるのを抑えきれないので、この頃は、あえて読まないようにしている。
おおよそにせよ、その主張も、事の経緯も分かっているのだし、私なりの分析も、ほぼ済んでいるので。その分析によって、
植松も加藤も、「本質は」同じなのだ、
と断言する。
ところで、
私は、個人的に、ある公的施設において、
おそらく「自閉症」等、いわゆる発達障碍児、および、知的障碍児たちの親子サークル活動を垣間見る機会が あったので、そのなかの参加児童の幾人かとは、じかに接触することも あった。
そのときの出来事を、何年も前に、ネット上で書き込んだことも あるし、いまでも、時に思い起こすことが ある。
それは、特に印象的な男児が いたからなのだが、
年齢は、たぶん、小学2、3年生くらいだったろう。その男児に関して言うならば、ことばを発することは できないながら、微笑んだり泣いたりして豊かに表現する あかんぼう、あるいは(これは語弊のある言いかたかもしれないが)、人間に慣れている犬や猫と、人とのあいだのコミュニケーションに近いものすら感じさせるほどなので、
だから、むろんのこと、年齢相応に、まともにコトバを発することも できない、知的な面での問題を抱えているには違いなかったのだろうが、
断言する。
あの男児は、単なる知的な遅れとか停滞というコトバで かたづけられるものでは なかった。
むしろ、尋常ならず鋭敏で、些かの濁りなき その眼を通して、通常児には見えないものを見通す子であった。
感情は じつに豊か、その表現は、ダイレクトに、人の心に訴えかけてくる力が あった。
はっきり言って、この子は、ある意味では、並はずれて聡明な子である、とさえ思えた。
ひとくちに「発達障碍」だ何だと言えども、やはり、他の事と同様、その子、その人によって、表出してくるものや度合は様々なのだということを、あらためて実感させられたものだ。
もちろん、
何を考えているやら、当人の関心を ひいたらしい対象にのみ、ひたすら没頭し、周囲の呼び掛けには全く反応しないという極端な状態で、ひどく手こずらされた子どもも いたけれど。
こういう お子さんだと、親ですら、持て余すだろうなと思ったりしたが、
やはり、これは これで、この子 本人なりの、ことばには できないけれども、理由に近いものは、内に あるのだろうと思われた。
さて、
教職を落っこちた過去を持つらしい、入れ墨、整形やりまくり(?)植松の吐露するところ、
「『心失者』が、糞便を撒き散らし」云々ということだそうだが、
だから、意思疎通が できない、と決めつける前に、
なぜ、そういう行為を するのか、ということを少々考えてみよう。
幼い子どもは、体温調節しかり、排泄機能しかり、まだ未熟であるうえ
(いつぞやのエントリーで挙げた、例の『森友学園』籠池夫妻の教育方針とやらに、私が怒りを覚えた理由の一つだ。こんなものに賛同していた安倍夫婦、『日本会議』w)、
排泄に関するルールも、順を追い、時間を かけて、理解させていくわけだが、そもそも、このように普通の場合ならば、日毎、理解能力が成長し、向上が望めることの前提が、ある地点までで、知的能力が止まったままの重度障碍者ならば、そのように いくはずもない。
なお、
子どもは、自分に対する関心を得たいがために、親や養育者を困らせることをワザとすることが ある、ということを、新幹線にて殺傷事件を起こした者についての先日のエントリーで触れておいたけれど、
私は、専門的な知識を持ち合わせないので、自分なりに推察して述べるのみだが、
たとえ、からだは、いちおう普通であっても、知的な滞りが重いということは、必然的に、表現方法全般も幼く、拙くなるだろうし、
もしかしたら、その重度障碍者なりに、そういう表現でもって訴えたいことが あったのかもしれないでは ないか。
【続く】
2018.07.26 (Thu)
こないだ、「親の責任とは」というテーマの過去エントリーなど幾つかを再アップしたとこだが、
昨夜、世界初の「体外受精児」いわゆる「試験管ベビー」第一号の女性のインタビュー記事に付いた「ヤフゴミん」らのコメントを眺めていて、
親になった連中ってのは、
このことは、私は、何年も前、ネット上で攻撃されたこともあって、知ってはいたけれど、
よっぽど、「エゴ」だろ、と指摘されると、カッカする者が多いのねw
まあ、図星だからよねww
あのね、
なかには、ひらきなおり まる出しのていで、「エゴ」と言いたきゃどうぞ、てなフテクサレ反応してる者も少なくないが、
そう、「エゴ」でアタリマエよ。
何にも代えがたく自分は可愛い、自分の命は大切、それの延長にあるのが、「自分の!自分の!子どもが欲しい」ってことだもの。
自己愛が、本能由来であるのと同じです。
で、本能について、良い悪いを言っても しゃあない。
ただ、「自己愛性人格障害」者みたく、度を越してると、犯罪行為にまで進んでしまう恐れは ある。
「人間社会の維持に貢献しているんだから」
と主張する者に問うけれど、
「人間社会を維持しなければ ならない理由は?」
…客観論理的に答えられるわけないね。
これじゃ、思考停止だあね。
せいぜい、自分が人間の一人だからと、それくらいしか言いようが ないんだもの。
ただ、
人間たる者、人の子の親たる者、犬や猫とは違うと言いたいのなら、もう少し客観的に知的に考えられないと、ちとナサケナイ気もする。
野生動物の親と言うか、その殆どの場合は、雌が、オスなんかアテにしないで、ひとりでカラダ張って、子どもを守りつつ育てるよね。
いちばんダラシないのは、人間の雌!www
オス側が、往々、わりとチャランポランなのは、この点では、動物と人間に共通性が高いかもしれない。ごく一部の種を除いては。
野生の世界じゃ、そもそもから、オスを全く必要としない無性や単為生殖しとる種も少なくないようだからね。
以前にも指摘したとおり、子どもを産み落とすことに、あたりまえの感覚しかない者は、それだけ、思考停止でも生きてこれてた、ということ。
または、
コンプレックスの解消になると思い込んで、子を利用している自覚のない俗物根性ゆえ。
まあ、子ども つくった以上、責任を持って、必死になって育てあげるしかないし、
同時に、
おのれの子や孫の現役時代をも見越して、社会全体の問題改善・向上について、見識を磨きなさいヨw
特に、思考停止の特徴的種族である「ネトウヨ」系が、あつかましくも、親になってる場合ねw
あんたらの子どもも、親の影響で、「特ア」「特ア」などと叫ぶ「ネトウヨ ジュニア」に育ったあげく、
ネットでデマ飛ばしたり、「八つ当たり犯罪」者にならないように気を つけなよ、はた迷惑だからね。
ああ、でも、大衆というのは、見識が高いはずもないかwwまして、「ヤフゴミん」だものwww
それと、
まだ生まれていないどころか、そもそも存在していないものと、
すでに生まれたあとの人間の存在とを、同列に語るのも おかしいのよ。
これに関連してくることを、以下にも述べることになる。
さて、
『相模原』の植松と、『秋葉原』の加藤とは、「本質が違うから」云々、
また、加藤のほうが、一般の人を無差別に襲ったから、もっと怒りを覚える、などと投稿している「ヤフゴミん」に、いよいよもって私は、呆れも通り越し、絶望感すら感じた。
なにが、「植松の場合は信念によって」だ。
バカとしか言いようが ない。
まさに「八つ当たり」殺人事件。
挫折と劣等意識を、ヘリクツによって正当化する植松も、そして加藤も、
それこそ、「本質的に」同様のことを仕出かした、という認識にならなきゃおかしいし、
やっぱり、「重度重複障碍者は、生かしておく必要ないんだから」、という排除の考えが真っ先に来てる。
私は、過去エントリーで、何度か述べてきた。
重度も含めた障碍者を生かすことは、けっして、「非生産的」なことなのでは なく、
むしろ、その存在自体を もって、医療・福祉分野全般への貢献が あるのだと。
だが、これまでに、メディアに登場する「識者」や関係者、当事者ですら、やはり、倫理意識や情緒的なことに立脚しての意見のみで、明確に解説している人を見かけたこともない。
私のような考えかたを している人は皆無なのだろうか。
もちろん、ほぼ寝たきり状態の人や、回復の見込みが ない人を大量に生存させ続けるということについては、現実的に、いろんな面で問題が発生する恐れが ないとは言えないことは、私も思っている、しかし、
即、排除、という社会システムであったとしたら、やはり、わが身に、わが子に、そのような状況が発生したときの想像を、全く しないという人は、何かが欠けているか、幼児的な楽観性だけで とらえているように、私は思う。
「胎児」というものは、「人」の範疇に入れないということになってるらしいから、産前の検査によって、そのまま産むか、中絶するか選択する権利は、確保されて いい。親側の事情も様々だから。
ただ、承知のうえで敢えて産んだ場合のみならず、
よもや まさか、で産まれた障碍児も少なからず ありうるケース。
なので、排除する社会システムにするのならば、胎児段階で完全に排除せざるを得なくなるが、しかし、
産前検査が完璧というわけにも いくまい。
その場合、
ただでさえマイノリティに属するうえにも、排除すべきという方針となった社会システムによって、療育や介護の知見と技術も、蓄積と発展が妨げられて、ますます困難になっている状況のなかに、障碍者本人ともども親だろうが職員という他人だろうが等しく放り出されることになる。
もしも、人生なかばで、そんな事態になった場合、どうなるのか、考えたことは ないのだろうか。
「胎児」と違って、生まれてきた以上は、あくまで「人」として見做されるのであり、そのように扱われる。そうでなければ ならないはずだが、
生まれてきても、「人」として扱うに価しないとするのなら、「人では ないのだから」と無理やり理由付けし、抹殺することを、植松のヘリクツのように、正当化しなければ ならなくなる。
【続く】
2018.07.26 (Thu)
ってのが あるのでは なかろうかと、
一昨日も、汗だらだらで外出中、つらつら考えていた。
私の場合、まず、頭が熱を持ちやすいせいか、そのすぐ下にある顔の汗も多量になりがち(おかげなのか、ほっそり小顔でーす?w)、なのに、
時間が たつとともに、あたかも「熱中症」のように赤くなってくる。
そして、消耗する。
からだのなかの水分が、外に出ていくこと自体に、消耗を感じる。
ミネラルと関係してるのかな?
若い頃から、自律神経じゃないかと指摘されてたけど。。。
不眠症でも あるし、栄養不足だし。
そして、
かいた汗の量以上の水分を、からだのなかタップンタップン状態になるまで欲し、
同時に、
すみやかに、徹底的に、からだを冷やしにかからないと、居ても立っても いられないくらい、苦しい。
若い頃に、自分で名付けた。
「高山植物体質」?w
冬場の おふろでも、そう。
ひとしきり温まったあと、たちまち今度は、
冷やせ冷やせ、水で埋めろー!状態になったりして、
結局、お湯だ!水だ!と交互に浸かったあげく、
湯上り後は、サッパリしたと言うよりも、グッタリしがち。
なんかバカバカしいようなだがww
汗かきにくい人は、体内に熱が こもるから苦しいんだそうだが、
最近のエントリーで言ったように、
日本の夏みたく、汗が蒸散しにくいほど湿気が多いとなると、結局、汗によって体温を下げる効果というのは効きにくい、ということじゃないのかな。
私は、そうとうの汗かきなのだが、という以上に、そもそも非常に暑がりなのだが、
母親の話では、あかんぼの頃から、真冬でも、あえて薄着で育てた、ということだった。
そのせいだったのか どうなのか、
冬場を中心に、頻繁に高熱を発した乳幼児期、
いったん発熱すると、命にかかわるほどまで上昇してしまう体質は、中学生になる頃まで続いていたと記憶する。
ほんとうは、女性なら、寒がりくらいで ちょうど いいんだと思う。
婦人科にも影響するような気が するよ。やたら冷たいものを好んで飲食するとか、寒くても平気というのは。
もっとも、いまでは、すっかり寒がりにもなったw
真冬には、指がシビレるほど冷える。
体温調節がウマくないんだな、たぶん。
私の母親や身内、知人にも、生まれつきの平熱が低め、汗も かきにくいほうだと言っていた人は、何人か いるのだが、
こういうタイプは、そのかわり、太りやすいみたいだ。やはり、代謝機能が かかわっているのだろう。
それでも、さすがに真夏ともなれば、台所の煮焚きだけで、汗だらだらになるのは、生まれつき、平熱が低めだと言ってた うちの母親とて同様で、
よく、食事づくりを終えた段階で、それこそ、ソッコー、水風呂を浴びてた。
の~んびりマイペースできるように思える主婦業にも、けっこう重労働な場面も あるものですよ。
よく、仕事や外出前に、ひと風呂浴びる、とかいうのを習慣にしてると聞くことが あるが、
私、これゼッタイと言っていいほど、だめ。
シャワー程度でも、だめ。
その後、短時間のうちに猛烈に眠くなってしまうから、仕事どころじゃなくなる。
なぜかな?と考えるに、
とにかく、短時間であろうとも、イッキに体温が上がるようなことを すると、消耗してしまうようなのだ。
おとといは、よし、水風呂に浸かってやるぞー!とハリキッて思ったのだが、
ほとんど「お湯」じゃんかよ、ソウメン茹でたあとも、冷水じゃなく、お湯で締めてるようなもんだ、
となっていた ここ最近では珍しく、わりと「水」らしい温度だったので、ちと ヒョウシ抜け。。。
今月9日から現時点あたりまでの、だったっけ?大阪での平均気温は、30℃よりも少し高いくらいだったと、ニュース記事で読んで、
ええっ?!そんなもんなの?
意外と低いのか??いや、何か間違ってるやろ!!
と思ってしまった。
しかし、きょうも きょうとて、クソ暑くなると。。。
こないだのエアコンの あんちゃんみたいな作業する人、戸外で労働する人、そして、このたびの被災者の人々、どんだけ しんどいことか。
私だったら、まちがいなく、倒れるよ。
被災地のライフ ラインの状態は、どこまで進捗しているんだろうか、報道も、まめに取りあげてほしいが、な~んだか、あまり出てこないみたいな?なんでだ??
近所のノラ猫、痩せて痩せて、厳しい表情で、毛はバサバサ、
食べ物どころか、飲む水にも ありつきかねてるんじゃなかろうか。人間が つくりあげたアスファルト世界で。
それでも、通りすがると、ちょいと挨拶っぽい しぐさを見せてくれるんだよね。![]()
この世は惨いとこだなあと、つくづく思うときも あるわけ。
もう何年前だったか、たしか、一般公募の作品を紹介している どこかの記事から拾ってあった画像で、載せさせてもらっても いいかしら?。。。これ、『神様おねがい』というタイトルでね、思わずフきだしちゃったよ![]()
神さま、おねがい、もう少しだけ、涼しく。。。
と思ってたら、つぎ、台風だとさ。![]()
2018.07.20 (Fri)
『「東京オリンピックで死者」』の続き。
つい最近も、児童が、学校の行事後、「熱中症」で亡くなったということだが、そもそも、その前から、児童みずから、「疲れた」と訴えていたらしい。
また、
プールサイドで2時間も見学させられ、帰宅後、体調が おかしくなった、とかいう親さんの訴えとか。
どちらのケースも、私自身の学校時分、似たことは あった。
私は、体格に似合わず、虚弱なほうだから、小学校の低学年頃までは、遠足などで、長時間にわたって歩いたりしていると、すごく しんどくなってしまうことが よくあったのだが、それを訴えると、教師も、真剣には取り合ってくれないし、母親なんかに知れると、「だらしない!」と怒られる。
中学生のときは、「水泳大会」の行事中、プールサイドで、「体育座り」で整列させられたまま長時間、直射日光を浴び続けたせいで、
「日本人離れしている」とまで言われていた色白の皮膚は、帰宅する頃には、見た者がビックリして、笑いだすくらい、あり得ないほどの真っ赤になっていた。もはや、ヤケド状態。
おふろに入ることも できないほどヒリヒリと激しく痛み、そこから何日間も、ひどい思いを した。
それでも、私の学校時分は、近年ほどの酷暑の連続では なかったから、これで済んだのだと思うが、
このように、日本の学校というのは、私に言わせれば、ぜんたい、日本人の愚かさを凝縮したような世界だ。ここから、日本人特有のと言いたくなるほどに愚かな社会構造に繋がっていく。
子どもが、しかも、幼い子どもが、口にした訴えを、おとなが軽視しては いけないと思う。
何度か言ったように、私が子どもの頃、夏の夕刻には、決まったごとく、夕立がバラバラッザーッ
と降ってきて、ひとしきり雷雨にもなったり、
言わば「スコール」に近いものなんだろうなと、当時から思っていたけれど、
それが短時間で上がったあとは、その おかげで、夜間に入った気温が、少し低くなり、網戸を通した夜風が入れば、それなりに眠れていた。
夏休みの早朝などは、いくぶんか涼やかな空気感ただよい、
スタンプを押してもらいに、幼なじみと誘い合って、朝の体操集会に参加することも、ネボスケの私でさえ、苦には ならなかった。
その「スコール」が起きなくなったまま、気温だけ高くなっていき、
「砂漠の国」なんかは、日なたは危険でも、日陰に入りさえすれば、吹き抜ける風はカラッとしていて、夜間は寒いくらいだと聞くけれど。
だ・か・ら、
「ヴァカンス」制度を、わが国ほど、導入するべきだったろ!と言うの。
去年だったか、「学校に、エアコン設置したら、子どもの夏休みを短くすべし、教師の負担を減らすことにもなるから」てな記事を読んで、
ケッ、ばかどもめ!と思ったもんだ。
共働きの親も、学校に行っててもらうほうが助かるから、だって。
おとなも子どもも、ヴァカンス!
これでキマリじゃわ
夏こそ大いに書き入れ時と、仕事する人も いていい。
それは、選択しだいで。
ふだん「ヒキコモリ」状態になってる人でも、ガランとした街に出て、人間が少ない職場で、ワリの良い「夏季限定労働者」になるのもアリだろう。
でもさ、
数年前に読んだ記事では、経済逼迫してきたスペインでも、「シエスタ」という習慣が薄れてきてる、ということだったが、
スペイン暑しと言えども、
アフリカから来ました、という人が、また、ベトナムから来ました、という人も、
「うっとこの国より暑いわ~」
とタマゲる日本に比べりゃ、どうってことないんじゃない?
それでなくても、
このクソ暑いのに、現代日本の裃とばかり、西洋人のマネしてスーツやネクタイ、ストッキングにパンプス。
アロハやムウムウ、アッパッパでエエやろ!!
と、旧ブログでも書いてたら、
常連ブロガーのジイサンが、何やら、やけに怒っとった。
「ここは日本だー!!
」ってさ。
だ・か・ら、
あんたは『産経』ブロガーの典型ジジイだわっちゅうの!
自分の若い頃には、いまほどは暑くなかったし、景気も良かったし、その世代では、まだ ちょっとばかり珍しかったであろう大卒のサラリーマンとして楽しく仕事に精出して、
いまじゃ引退し、悠々自適の年金暮らし。
涼しい自宅でノンビリできる ご身分よねえ。
だいたい、私は、
祝日なんかの設けかたもチマチマ分散して、それでも「年間休日は多いほうなんだー!」と主張する権力者や、へえへえ、さようにござりますです、と、おとなしく従うばかりの労働者という、いかにも日本的な日本人がキライだと、若い頃から思ってた。
その昔、兼好法師も、
「夏を むねとすべし」
(「暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」彼が生きてた時代でさえ、そうだったんだなあ。まったくもって、そのとおり。うちは、わろき住居。)
それ以外にも、こう、と言った要は なくても、多目的なスペースを、家のなかに一室は設けておくほうが良いよ、と喝破しておられた。
こういう合理的余裕精神は どこへやら。
ところで、「純和食」なるものの盛り付けを見てごらん。
朝鮮民族の『クジョルパン』とかいう宮廷料理の名残だというものに少し似て、チマチマ一口ずつ盛り付ける。
ちまちました家のなかでチマチマと寝起きしチマチマと飲み食い、たまの休日は、芋の子を洗うが如き市民プール等へ、チマチマと泳ぎに行く。
せいぜい「ゴミ拾い」や「災害時の一糸乱れぬ整列」なんかを美談にしてもらうことで注目してもらい、外国人に褒めてもらうが関の山。
近頃チラホラ見かけるのが、
カーディガン、それも、春先や秋口に着るような、防寒用のカーディガン羽織って、
おまけに、マスクまで着用し、炎天下を、日傘とて差すでもなく、てくてく平気で歩いている女性。
最近では、マスクは、冬季以外にも、「日焼けを防ぐため」とか「大気汚染から守るため」という専用製品が出ているらしいものの、
あるいは、
エアコンの冷気がキツイのをガマンしていたのかもしれないものの、
それにしたって、
実際問題として、暑くねえのかよ?!とビックリだ![]()
ある意味では、こういうのも、気候条件の変化に合わせた「進化」、ということなんだろうか??
人類の新しい進化が、灼熱の日本において、若い女性たちから始まったのだ、ってか?
最新のエアコンほど、電気代が抑えられるらしいのは知ってるけれど、
さりとて、電気代は恐い![]()
昨夜だって、動かしっぱなしのエアコンを切ってから出ようかな、と迷ったが、短時間の外出だから、やっぱり、つけたままで出てよかったと、帰宅する前から思ったわ。
これじゃ、いつ切ったら いいんだ?。。。![]()
長時間にわたる外出の場合は、切っておき、
短時間の外出時には、つけっぱなしが、むしろ、節約になるという、それは、パソコンなんかも、立ち上げ時に、最も負荷が かかるのと同様なのかなと思うけど、
仕事等で長時間外出したあとの、
玄関あけたらモワッと熱気、
このほうが、もっと苦痛なんだけど。。。
うちの新しいエアコン、さっそくの連日フル稼働で、ほんとに、切ろうかという隙もない暑さ。
エアコン内のカビを防ぐには、「送風」に切り替え、ある程度の時間まで運転してから切るといいらしいのだが、
そうすると、せっかく冷やした室内が、だんだんと、また暑くなってくるわよね。
それでも、タイマーを利用して、「送風」にしてから切って、ガマンして眠るようにしてるんだけど、ものの1時間したら、汗だらだらで、目が覚めて、ぼーっとしたまま起きちゃう。
わが国こそは、「シエスタ」も「ヴァカンス」も、必要。
もし、私が政治家だったなら、こういう「グランド デザイン」にもとづいたヴィジョンを掲げてたね。
まあ、もう遅いわな。
John Frederick Lewis,RA(1805-1876)The Siesta(1876)
Bridgman(1847-1928)The Siesta