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Updated   
2018.08.30 (Thu)

「女子高校生コンクリート詰め殺人事件」の容疑者が再犯 少年法見直しの議論は海外にも8/27() 18:31配信

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180827-00010007-newsweek-int

 

この記事にも、またぞろ口を突っ込みに来てる『無人島』なんちゃらいうハンネの、こやつの正体を知ってる私にしてみれば、そのパクりの みなもとが、そもそも、どこにあったかということと共に

(『汚気・愚』「カルト連」はパクるしか能が ないw)

鼻白むなんてもんじゃーないのだがw

まあ、こんな愚物のことは どーでもいい。

まともに相手にする価値もない。

 

 

さて、この事件に限らないことだが、

「ネトウヨ」と呼ばわれるほどの低知性連中が、いともカンタンに言ってのける

「死刑!死刑!!」「厳罰化!!」

と喚く程度は まだしも、

「殺処分!!」

という、

何の見るべきところも皆無な言いようの何処に、こうした凶悪犯罪から、われわれの社会と個々の生活を守るべく提案が あるというのだろうか。

 

 

言っておくが、私個人としても、こうした凶悪事件の犯人を、ただ許す気には なれないのだし、ものすごい違和感のほうが先に立って、同情する気にも なれないし、

甘いキレイごとや思想ごときで解決できるはずもない、という考えだ。

 

それと、

「感情ではダメ」という、

いかにも「ネトウヨ」的な軽薄コメントに対する批判側にも、ちとクギ刺しておく。

そもそも、法と言えども、その根底にあるのは、「感情」です。

われわれの社会と個々の生活の維持・安寧を求めるのは、共有的感情から発していることに違いない。

およそ、「論理」というものの みなもとは、感情に発す。

 

 

それでも、

やみくもに「死刑」だ「殺処分」だと喚きまくる連中が、判で押した如く添える、

「人権思想のせいで」

あるかのような言いぐさには到底、くみするわけにいかない。

 

なぜなら、われわれの社会と個々の生活を守るため(それこそ、「人権」ゆえ)の示唆や予防的教訓を、なんとしても、そこから得なければ ならぬと考えるからだ。

 

そうすることで、犠牲者に対する、本質的かつ最大の「償い」と しなければ ならないし、

そのことは、ある意味で最も哀れな存在である加害者にとってさえも、「救い」となることだ。

 

 

ところで、

「脳に異常」者らが、あちこち存在した うちの身内であるがw

そのなかの代表格たるw親なんかが指摘していたには、

「生まれつきの性悪」という者は いるんだぞ!

ということ。

 

このことに関して、過去エントリーで、私の母親から聞いた話を紹介したことが あったかと思う。

かつて実際に起きたという、ある子どもが起こした、ささやかにして凶悪な出来事だ。

 

「生まれつきの性悪」

あるいは、

「生まれつき偏って凶暴な性質」。。。

言わば、これも、脳の先天的異常という範疇に入るものなのだろう。

しかし、それも また、「自己愛」「自己保存」といった「本能」的由来を持つに違いない。

 

 

「発達障碍」とか「アスペルガー」などについても言われるように、全て「割合」というものが あるのであって、度合が極端か否か、社会生活上、うまく隠せているか否か、という程度の違いでしかないのかもしれない。

 

いずれにせよ、

程度が甚だしければ、必ずや、周囲の誰かにシワ寄せが いくだろうし、

そのシワ寄せされた者が弱い立場だったら、人知れず、無念の涙を呑むハメに追いやられる。

 

シワ寄せされた者が少数で おさまらず、弱いだけの立場でも なかったら、それは、遠からず、社会全体の問題として取りあげられるに至る。

 

 

異常なほどの自己中心性というものは、とことんまでの自己優先性向が あるわけだから、

自分の欲求のままに やった行為が、人間社会においては「犯罪」や「罪悪」に該当するからとて、これに当てられた刑罰等が、自己反省へと導くものであるかどうかは、はなはだ危うい。

それどころか、

常軌を逸したほどの「自己愛」にとっては、「刑罰」という名の理不尽な「虐待」や「苛め」であるとしか感じられないかもしれない。

 

となると、

「刑罰」が、ますます凶悪化させる、のか。

 

 

かつて、『女子高生殺害・コンクリート詰め遺体遺棄』事件を起こし、このたび また、凶悪事件を起こすに至ったという加害者の一人も、あの最初の事件以降ずっと、すさんだ精神のまま生きてきたのだろうか。

本人の無反省か。

周囲や社会の問題なのか。

 

昔から、「少年院」やなんかに入ったら、出所する頃には、なぜか、もっと悪くなって出てくる、と聞いているけれど。

 

とは言っても、

犯罪や罪悪を、何ら咎めなく放っておいて通るわけが ない。

もともと極度に自己中心な者が、野放しにされて、自発的に反省や抑制するはずもない。

 

こうした異常なまでの自己中心的性分を持つ者に対して、「刑罰」を与えるとは、はたして可能なことなのだろうか。

 

しょせん可能でないからこその「殺処分」なのだよ!という向きにも、よく考えてもらいたいのが、

真っ先に考慮しなければならないことは、

われわれの社会と個々の生活を予防的に守っていかなければ ならないのだということ。

 

そのためには、どうするべきか、ということ。

「殺処分」しても しても、イタチごっこのようなもの、あとからあとから起きてくることを防がなければならないでは ないか。

 

 

これ!と名案のようなものは、私にも ないけど。

ただ、「死刑」だの「殺処分」だのの前に、是非とも やっておくべきことが あると思う。それは、科学的「分析」だ。

 

 

これの真偽は諸説あるようだが、例の『スタンフォード監獄実験』や『ミルグラム実験』を連想させられるところが あり、恐らく、くだんの事件についても、複数人での虐待行為が あったところを みるに、「集団心理」といったものが絡んでいるだろうし、こうなると、個人の異常性だけに とどまらない面も出てくるわけだ。

 

誰しもが、一歩間違うと、加担しかねない、特に、男性性が影響している側面は大きいと思われる。

「ヤフコメ」のなかには、性的なものとの関連性を指摘している投稿も、一つだけ あったが、それは勿論のことで、

加害者が女性の場合で あっても、いわゆる「男性脳」的とでも言うのだろうか、そういう傾向の脳だと、佐世保での『同級生殺害・遺体損壊』事件のようなことを引き起こすのでは ないだろうか。あの事件当時も、私は、どうも、性的な動機が根底に窺えるように思うと指摘しておいた。

 

そして、異様に「子どもっぽいものだ。

 

知的障碍を持つ子どもが、肉体的には一人前の年頃に さしかかり、性的衝動をコントロールできなくて、親や周囲が扱いに困惑するということと、どこか共通した感じもする。

 

 

なにしろ男性というのは総じて子どもっぽい、

というのが、昔からの定評。

おぞましいの一言だが、たとえば、女性器に、いろいろと「異物を挿入」し、被害者の反応を試すなどは、いかにも子どもっぽい「実験」に見えなくもない。

 

そして、人や生きている存在を、あたかも単なる物のように扱う、こうした傾向、

動くものに、思わず、目を奪われて興味を持ったり、視覚から受ける刺激に敏感というのは、どちらかと言えば、男性に多い特徴だろう。

 

(続く)

 

 

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Updated   
2018.08.19 (Sun)

「しかも僕らは いったい どうなることであろう」

~レマルク『西部戦線異状なし』より~

……

 

【続・続】世界じゅうの「パウル」たちの続き。

 

最近、瀧本さんと おっしゃる、『トラック島』から、これも命からがらに帰国された体験者の談話も拝読した。

結局、『(万朶)特攻隊』の生き残りの一人だった、故 佐々木氏と同じことを憤っておられた。

 

ただ、体当たり、

ただ餓死、ただ野たれ死に、

いったい何のために、兵士になったのか?と。

 

そして、瀧本氏は、

えらい人は責任とりません!!」

と叫ばれる。

真実の叫び。

まさに、真理。

あの時代も、現代も、変わってや しないんだ。

 

ちなみに、

うちの親父が、なぜ、志願して入隊したか、その動機は?ってえと。

出世したかったから。

 

進学が困難な貧乏家庭の倅でも、勉強させてもらえて収入も期待でき、手っ取り早く確実に出世できるのは、軍人だった、そういう時代。

 

親父個人にとって、
あかんぼうの頃に離された実母も、養母である伯母が亡くなってしまったあとの養家先の義父に対しても、何らの情愛は なく、
しかも、まだ若いから独身。

 

ただ、やっぱり、「臣民」と呼ばれる時代の、ましてや、近衛に所属してるんだから、天皇に対してだけは忠誠を向けるべき対象だったろうけど。

 

「お国のため」とか「家族を守るため」とか、そんなのカンケーねえ!

こういう本音、けっこう多かったかもよ?

 

以前の過去エントリーでも触れたことが あるように、

親父が あかんぼの頃、実母である妹から奪うようにして、その姉(親父の伯母であり、養母)は、千葉の片隅へと連れ去り、子が できない自分の跡継ぎにしてしまったんだけど、これが また、貧乏家だった。

わざわざ、何時間も列車に揺られて、田舎から奪いに来なくても、千葉の地元では、他の妹の子どもらがワンサと群れてるんだから、そのなかから引き取れば よかったのにと指摘すると、親父は、
「あら?!今の今まで、疑問に思ったことなかったわぁ俺」
と、自分で訝っていた。

 

現代で言うところの、運輸官僚から身を起こし、一代で、海運会社を経営してた実父(私から見て実祖父)が、中年期に病没するまでは、「御殿」と呼ばれたほどの父の生家は羽振りが良かった。

で、兄たちは戦死だから、この生家に留まっておれば、親父が、家督を継いだかもしれないのだが、末っ子の弟もいるので、もし、伯母の家の跡取りでなかったら、親父とて、激戦地の前線へ出されてたかもしれない。本人は、そっち希望だったのにと言ってたけどw
まあ、結果的に、「命拾い」したんだわね。

 

 

戦争にまつわる、そして、それに対して抵抗した、いろいろな国の人々についての本や談話記録等を読みながら、学生時代の私は、このように思っていた。

権力者たちの思惑に従い、その利己的な、
(そうでは ないと、たとえ、権力者側が思い込んでいたとしても)

彼らの目的に合致する「コマ」の一つとして、唯々諾々と死んでいくくらいなら、それへの苛烈な抵抗の果てに、死をも辞さないことのほうをこそ、私は選ぶ、と。

 

こんな気まぐれチャランポランな私でも、いま振り返ると、いかにも若々しい正義感に満ちた思想を持っていた時代が あったんだなあ。

 

学生時代に読んだレマルクの『西部戦線異状なし(報告すべき件なし)』も、その頃に読んでいた。

カミュの『ペスト』その他の幾冊か、同じく、ドストエフスキーの幾冊か、

サン=テグジュペリ『星の王子さま』も。

 

「ペスト」

 

言われてみて、ああ そうだったなと思ったのが、「平成最後の『終戦日』」。

ともあれ、今年の その日は、いつもに増して、「語ること」と「伝えること」に、光が当てられたと思う。

言うまでもなく、どの立場においての体験者たちは皆、日に日に、話せなくなっていく。

これまでは、心理的などの理由から、敢えて、口を噤んでのことだったとして、今後は、その口自体が、動かせなくなっていくことを、念頭に置いておかなければ ならない。

 

残された世代と今後を生きていく世代は、「先人と同じ轍を踏むまい」とするならば、「生きて語ってくれる人」が皆無になったあと、彼らが残していった証言や思いのたけを、いかに伝え渡していけるのか、このことを、一人ひとりが自発的に考え、探り、くふうしていかなくては ならない。

 

私らは、何だかんだ言っても、自分の親の口から直接に聞けた世代だけれども、私らの後の世代は、「また聞き」みたいになってしまう、そういう危惧が、私のようなノンキ者にも、一抹の不安を感じさせてきた。

 

昨今の世間の雰囲気なのか、インターネットにおいてのみ顕著なものに過ぎないのか、そのへん、まだハッキリと見分けられないのだが、
若い頃から漠然と感じていた「戦争を知らない自分たち」という不安が、的中してしまうのか?という恐れが、むくむくと起きあがってきそうな気配は、増加してきているのでは なかろうか、という思いを払拭できるほどの自信は、それほどには ない。

 

 

私が学生時代もしくは20歳代のうちと思うが、新聞の投書欄だったか、一般の人だったか誰の投書か、
いまでは、内容の詳細も忘れてしまって、

戦争を体験した世代の一員である その人が、兵士として戦場を知っていたのか、一般家庭の子どもとしてだったのか、
それも憶えていない、あるいは知らないのだが、

ただ、こんなふうに怒っておられたことを憶えている。

 

些か奇妙な印象のように残っているのは、

その人は、
『戦争を知らない子どもたち』という歌を聴くと、ひどく腹が立つ
のであるらしかったこと。

 

戦争の実体験が全くない世代の一人である私から見れば、分かるような分からないようなリクツで訴えておられると感じた「怒り」では あったけれど、

多分に、そこには一種の羨望や嫉妬のような感情が混じっているようにも思われた。

 

「若過ぎるからと許されないなら」「髪の毛が長いと許されないなら」

「青空が好きで花びらが好きで」「いつでも笑顔の すてきな人なら」

「誰でも一緒に歩いて行こうよ」

「きれいな夕日の輝く小道を」

「ここは お国を何百里」「離れて遠き満州の」

「赤い夕陽に照らされて」

と歌うことも禁じられたという世代から すれば、

なるほど、たしかに甘ったるく感じられただろう、

生まれたときから「平和の歌を口ずさみながら」歩き始められる、当時の「現代の若者」たちに対して。

 

「戦争を知らない子どもたちさ」と、みずからを歌った若者たちも、いまは60歳代後半から70歳代だろうか、りっぱな「高齢者」となっているはずだ。

 

 

「戦争を知らない子どもたち」は、

「戦争を知っている子どもたち」の名をこそ忘れずに覚えていてほしい、と締めくくるべきだったかもしれない。

 

「戦争を知っている子どもたち」

「戦争を知らない子どもたち」

「誰でも一緒に歩いて行こうよ」

 

戦争が始まり、ボクらは生まれた

戦争の さなかで、ボクらは育った

 

おとなになって歩き始める

平和の歌を口ずさみながら

 

ボクらの名前を覚えてほしい

戦争を知ってる子どもたちさ

 

 

Updated   
2018.08.19 (Sun)

【続】世界じゅうの「パウル」たちの続き。

 

また、それとは別の日、

やはり似たような番組のなかで、

「天皇に、戦争責任は?」

という問いかけが聞こえてきた。

 

私は まだ学校時分だったけど。

いまになって思い返せば、あの頃、マスコミは盛んに、

「軍部が暴走して」という理由で、

「だから、天皇自身には」モゴモゴ、、、

てな、口を揃えたごとくの論調だったと憶えている。

 

 

戦後すぐの時代にも、

「せめて退位するくらいのケジメは」

という批判も あったと聞いたことは ある。

 

で、

その後、昭和天皇さんは、「行幸」という名の「全国ドサまわり」の旅へ。

 

さぞ お疲れなったことだろうとは思うけれど、

やっぱり、「死の行進」とかに比べたら、、、ねえw

少なくとも、泥水すすって餓える心配は ないのだし。

 

その「全国行幸」のおりに、うちの母親も、昭和天皇に、間近で お目もじしてる。

学校からの優等生代表グループに加えられてたからだそうな。

私の母親の眼には、「自分の父親よりも優しい人に見えた」と言ってたけど。

 

 

終戦にしようって会議して、

昭和天皇と各宮家のナンタラ王さまたちが、上等の お菓子を召し上がりながら、ごゆるりと休憩されている頃、

大陸に渡っていた、とある一家の女児が、父親は現地で出征したか戦死したかで、

今度は母親が亡くなり、残された乳飲み子に飲ませるミルクも ないから、親戚に促されて、しかたなく、乳児が消化できるわけもないフスマとか?そういうのを、水でドロドロに溶いて、空腹で泣いてる妹の口に入れてやったら、間もなくして、酷い下痢にまみれて、最後は、かすれきった泣き声も あげることなく死んでいったと、
そういう子ども時代の苦難を振り返る女性の記事を、新聞で読んだ記憶が あるんだけど、

こういう話を、天皇さんたちは、どれだけ御存じだったやら?って思う。

 

 

うちの父方の親戚のなかには、中国大陸に渡ってから終戦になり、
向こうで助けてくれた中国人男性とのあいだに できた幼児を連れ、日本へ帰国してきた女性が いた。

やっとの思いで、もとの田舎の婚家先に辿り着いたら、ダンナ(←親父の従弟にあたる、つってたかな)のほうも復員してきてて、

なんせ、中国人との「不義の」子ども連れて帰ってきた!てんで、うちの親父と似て、酒癖が悪い亭主の暴力ざんまい、

夜は、家のなかから追い出され、軒下で寝たそうな。

 

その おばさん、私が学生時代に、一度だけ、もう一人のオバサンと一緒に、千葉から大阪へ遊びに来て、うちで泊まってったことが あるんだけど、

あとから、母親に聞かされた、中国での凄い苦労話なんて、ちょっと信じられないくらい、ハキハキ明るい人だった。

ジーパン履いて歩いてる私を、

「んまあー、○○ちゃん、足が長くて、カッコイイわねえ!!」

って褒めてくれたし()

 

でね。

片腕を失ってたの、その おばさんは。

中国に居た頃、大変なことが あったらしいんだけども。

 

 

たぶん、あのとき、「幸せだった時代は?」とか聞いたとしたら、

「いまが一番、幸せ♪」

と答えたんだろうなあ、と思うの、その おばさんも。

こうやって、のんびり、大阪見物しに、旅行できて、と。

 

 

晩年の「香淳皇后」は、骨折したことに大ショックを受けられ、そこから、いろいろと、ご容体が悪化されていったらしいけど、

私も、いちおう、骨折した経験も ある身だけど、

おなかの手術したときのほうが何十倍もの苦痛だったし、

「認知症」を引き起こすくらい、骨折で大ショック、ってのは、、、

まあ、骨折箇所にもよるのだし、

おそば仕えの侍従さんたちも、何をモタモタしてたのか知らんけど、

やっぱり、シモジモ庶民とは、苦労の次元が、まるっきり違うんかなあ、
って感じです。

 

 

『西部戦線異状なし』に登場する、当時のドイツ皇帝ヴィルヘルムの風采や内面には、「昭和天皇」との共通性を感じさせられるところが あるようだ。

 

ところで、

この昭和天皇は、かつて、

原爆投下はやむを得ないこと

と発言されたね。

「遺憾」

「どうも気の毒では あるが」

と。

 

被爆者団体の人たちは、他人事まる出しな「昭和天皇」の発言を、どう思ったのだろうか。

 

この当時、少々騒ぎになりかけそうだと感じたことも記憶に残っているが、マスコミ側も早々に引っ込めていたと思う。

 

さて、

『日本帝国陸軍』近衛将校にして、バリバリ皇室崇拝者だった親父は、キッパリ言い切った。

 

「天皇に責任は ない、とは言えない

と。

 

それからかな?

だんだん、少しずつ、「天皇」と「皇室」について、以前のようには関心を示さなくなっていったのは。

 

私が子どもの頃、近所の幼なじみの母親で、栃木だか茨城だか出身のオバサンが いて、

ゴシップ話が ことのほか好きな彼女が普段から よく口にするネタの一つが、おそらく、女性週刊誌から仕入れたっぽい「皇室」についての いかがわしい話題だったんだけど、それが、たとえば、当時の皇太子妃・美智子さまの御出産にまつわるタブーだとかね。

ある日は、「大正天皇という人の病気」のことを言ってたよと、家に帰ってから、親たちの前で、なにげなく話したら、とたんに激高した親父、そのオバサンとこへ怒鳴り込みに行きかねない勢い。

もちろん、「タイショーテンノーて、だれー??」な、当時の私は、なにを そんなに、血相変えて怒ってるんだろう?とポカンとするばかりだった。

 

【続く】

 

 

Updated   
2018.08.19 (Sun)

世界じゅうの「パウル」たちの続き。

 

もう一度繰り返すが、

「白人国家列強」の真似を行い、みずからが取って代わりたい、という、かねての願望が本音なのであり、

「アジア解放の大義」てなキレイごとは、

表面だけ拭って、さもキレイごとに見せかけておき、

実態は逆と言っても言い切れないほどの欺瞞だった。

それが、日本人において繰り返される、歴史的にも顕著な特徴的なことなのだ。

 

踏み躙られた「愛国心」

もう70年まだ70年

【続】もう70年まだ70年

 

だが、日本だけでは ないじゃないか!!

どの国も、人道に悖るような酷いことを やっていたでは ないか!

と言い募りたいのなら、それも よかろう。

 

たしかに、第一には、要は敗戦したからに ほかならないのであって、

日本だけが悪者にされるのは口惜しい!という感情も理解できないでは ない。

ましてや、

日本にやられてきたという残酷、非道を、

今度は おのれ自身が、全く異なる国に対して、日本の真似を やらかした、そんな隣国を嗤いたくなる気持ちも、理解できないでは ない。

 

ただし、

どうしても それを言いたいのであれば、

(エセ)ウヨどもよ、

やれ、日本人の武士道精神だの、やれ潔い民族だのと、うぬぼれたことをヌカすな。

聞くだに みっともない。

 

あの公共広告に出てくる、

迷惑駐車していて、警察にキップ切られ、

みんなも停めてるやん!!ワタシだけちゃうやん!!

と頑強に言い張る根性と、どんだけ違うんだ?

 

ウヨだろうがネトウヨだろうが、オマエさんらに、

「潔い」

というコトバだけは使ってくれるなよ、と言いたい。

恥ずべきことだ。

 

あとね、「純粋」だの「純正」だのがアタマに付く日本人など、存在しないのだよ。

みな、どこかの代で、どこかしらと混血してるんだから。天皇さん自身だって、認めてるでしょ。


 

とにかく、困った連中。

国やら天皇・皇室と自分自身とを同一視する、
時代錯誤で愚かな感覚から脱し切れない連中。

 

 

原爆投下の日に

うちの親父、中高年頃までは、晩酌で酔った勢いみたく、やおら正座して、ウットリと、NHKの放送終了後に流れてくる『君が代』に耳かたむけていたことを述べたけど、

実は、話は それだけじゃなかった。

 

そのとき、傍らにいた私の母親に対して、

「おい!おまえも、ここへ正座して聴かんか」

と呼びかけたのを、

母は呆れと怒りと、些かの軽蔑さえ滲ませて、断固、拒絶していたw

さすが、「墨塗り教科書」世代ww

 

「墨塗り教科書」のことについても、母が怒りを込めて回想していたことは何度も あった。ああいうことが あると、子どもは、おとなたちを信用しなくなるわな。

 

市井の庶民の家で、ある夜に起きた『君が代』騒ぎ、

その小さな出来事と どっちが先だったのか、

あるとき、やはり、いま頃のような時期だったろうか、
年配のオジサンたち中心の座談会的な議論のような内容のテレビ番組だったと思うのだけれど、

学生の私には、それほどの関心もなく、ほとんど、聞いているような聞き流しているようなだったが、

さすがに親父のほうは、さっきから、番組に集中していたようだった。

そのテレビ画面から、

「日本は、敗戦して よかったのだ」

というコトバが聞こえてきた。

 

すると、

アメリカや連合軍に追いまくられた『帝国陸軍』の敗走シーンが出てくる映画などを見ると、とたんに怒声を あげて、私や母親をウンザリさせる親父が、たった一言、

「そうか。。。負けて よかったのか」

と、ションボリ。

毎日新聞は「反日」なのか?w

 

「日本は、敗戦して よかった」

私も、このことについての異論は ない。

たしかに、日本が「戦勝国」だったら、、、

と思うと、それは それで、ゾッとするものが ある。

 

嘘と隠蔽に対しての、罪の意識の極端な希薄さ。

(もちろん、他者の それは許さないのだが、それでも、力関係を見比べてみたうえでのことだ)

そこに、自己中心的な目的が あるうちは、迷いなく、要領も良く、ズバズバいく。

飽くまで、その狭い範囲内において、それに のっとっているかぎりは。

だが、ひとたび外れたら、、、

 

チョーシにのって、どんだけでも思いあがって、いけいけドンドン、

それこそ、みずからが、核兵器を入手していたら、気の赴くままに、気の済むまでも、冷酷このうえなく、あちこち、じゃんじゃん投下しまくったんじゃなかろうか。

こういう点では、私は、残念ながら、日本人の性質を信じきれない。

それは、親父を見ていて、感じていたことでもあるのだが。。。

親父自身、若くして叩き込まれた『帝国陸軍』エリートだったからか どうなのか、

とにかく独特なところが あった、あれは。

もしかしたら、同世代でも、他の分野の兵士たちとは、また違った感覚なのか?と思う。うちの親父は、近衛とか諜報とか、ある意味で特殊任務だったし。

 

学生が計算し尽くしたようなリクツを基底にした「正義感」と言うか、タテマエ。

その背中を突き破り、幼児的なまでに自己中心性を剥き出した「自己愛」、これが、いつ何どき、飛び出してくるやら、危うく両方を並び立て、自分にとっては、それでアタリマエで、ムジュンだとも思わない。

 

単純、かつ、ネジクレ。

大胆と言うよりは、ずうずうしい。

細心・緻密と言うよりは、小心。

剛直と脆さ。

 

親父から漂ってくるものは、どう表現したらいいのか、むかしから、どこか難しいと感じていた。

 

一言で言って、、、

そう、やっぱり、アメさんの言ったことがズバリ。

「クレイジー」。

 

親だけど、「人種が違う」と言いたくなるほど、違和感が拭えなかった。

結局は個人的感覚の問題なのかなとも思うけれど、

母らの世代どうしに共通して感じるものともハッキリ違う。

時代や世代の違いだけで、感覚までも異なるものなのか。

 

母自身、「おとうさんらの世代は、ちょっと違うからな」と言っていた。

 

【続く】

 

 

Updated   
2018.08.19 (Sun)

おっ母さんと僕だけの世界へ かえりましょう。おっ母さん、そうしましょう

~レマルク『西部戦線異状なし』より~

……

 

 

『特攻隊』の若者は、「美しき志願」だった、ということが、権力層にとって つごうの良いがゆえ、長年にわたり押し通してきた「タテマエ」だったのだということと同じカラクリ。。。

 

ちなみに、私だって、学生時代から つい最近まで、たいへん痛ましいとは思ってきていても、その「タテマエ」を疑ってかかろうという段階までは殆ど届いてなかった。なので、ご多分に漏れずというのか、せいぜい、「犠牲的精神」に感嘆するところで止まっていた。

 

先日のエントリーで紹介した

9回出撃して9回生還 隠された特攻隊の真実2018/08/09 07:00

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/9%e5%9b%9e%e5%87%ba%e6%92%83%e3%81%97%e3%81%a69%e5%9b%9e%e7%94%9f%e9%82%84-%e9%9a%a0%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%9f%e7%89%b9%e6%94%bb%e9%9a%8a%e3%81%ae%e7%9c%9f%e5%ae%9f/ar-BBLGgom?ocid=FUJITSUDHP#page=2

 

上掲の記事にも明らかなように、

エントリー内で、私も再び三たび指摘した。すなわち、

表面だけを拭って、さもキレイごとに見せかけておき、

実態は逆と言っても言い切れないほどの欺瞞。

それが、日本人において、歴史的にも顕著な特徴的なことだ、ということを。

 

呪われた安倍りんピックw

陸自エンブレム。。。

【続】陸自エンブレム。。。

 

いわく「アジア解放の大義」なんどは、これこそ、毎度のごとくの一大欺瞞であり、

その実態と本音は、

かねて秘めてきた、貧しい小国のコンプレックスを払拭せんものと、、

かつての「中華」から、いまでは「白人国家列強」へと、お得意の真似し根性を上手に発揮し、

いまに見ておれよ、みずからが取って代わってやる、

という願望に ほかならなかったことくらいは、

また同時に、

そうは言えども、

真相を洞察できるだけの教養・学問にも、いまの時代より もっと乏しく、縁遠かった一般国民シモジモは、「大本営発表」と同様、「アジア解放の大義」なるキレイごとをば、純真にも信じ込んでいた、それが、特に若い者に多かった、ということも、

これくらいは、学校の歴史のサラリ流す授業だけで よしとせず、あらゆる層からの情報に接してきていればのことだが、少しは わきまえておいたうえで論じるはずだろうに。

まさか、
当時の若者たち同様の感覚で信じ込んで、当時の「大本営」的タテマエを振りかざしているのだとしたら、いかにネトウヨでも、いや、「ネトウヨ」だからこそ、ありえない主張だろ。

低知性とズレた思考回路を特徴とするのみならず、「『嘘も百篇武器」を用いて恥じないのだから、とうてい、同じ現代の人間の主張するところとは思えない。

 

いま80歳代から90歳代の高齢者というのは、まさに、あの時代の若者たちだったわけだが、

彼らは、われわれと同じ現代人の一人でも ある。

目の前に いて、呼吸している、われわれと共に、この時代をも生きている現代人なのだ。

 

その高齢者たちに向かって、「死ね死ね」キャンペーン。

『自民党』か『日本会議』か両方からか知らないが、

「ネトウヨ」が指令を受けてのことらしい「日本分断工作」の一つだ。

なるほど、少し分かってきたぞ。。。

 

「大本営タテマエ」を崩してしまうような、ほんとうのことを証言し始める前に、

いまは高齢となった、かつての若者たちには、黙ったままサッサと死んでほしいわけよ。

生還してきた『特攻隊員』を罵倒し続けた上官らのセリフと、まるで同じだもの。

まだ生きてんのか!はやく死ね!!ってw

 

 

子どもと言っていいような素朴な少年たちは あっけなく死んでいき。

 

人馬ならぬ愛機と一体になり、大空を自在に駆けめぐる爽快感に、ただ全身全霊を浸していた若者。

 

ろくに操縦桿を扱う技術も持ち合わせず、

「そうか、死んできてくれるか♪」と、媚び滲ませた励ましの反面で、

なかなか死なない若い部下たちを「クズ」「卑怯」と罵倒した上官たち。

 

 

前線に送られた兵士たちのなかには、片っ端から掠奪し、レイプし、虐殺し、悪行のかぎりを尽くす、そういう、

日本国内では到底、許されないことを、現地では、気の済むまで やりまくれることを楽しんでいた者たちも いた。

 

 

「恥ずかしい日本の姿」であること、「日本のためにならない」ことを推進するのが、「反日」と呼ばわるべき対象であるなら、

「反日」とは、まさに「ネトウヨ」の類が該当するでは ないか。

 

いまどきに、「冷戦思考」を堅持せよと喚き散らす時代錯誤ぶり。

やっぱり、現憲法を変えさせ、特に『9条』を外させ、その後は意のままに使いたおしたいアメリカ「ジャパン ハンドラー」の類?

こっちも また、日本を巻き込み利用したいばかりな朝鮮人も入り混じった『勝共連』ナンタラ組織なのか??w

何を企んでのことか?

 

『日本会議』の連中が、昔の栄華を取り戻したいエリート層を中心にしているとは聞いてるけれど、

専門家であるはずの、大学教員らまでが、学問の徒とは思えぬほどデタラメ、キテレツ、クダラナイ目論見を推進しているとは、なんたることか。

【続】「羊を人間にしてやった」――愛国心と『日本会議』()

この連中こそは、搦め手でもって日本を壊したい『反日』じゃないかと、私は睨んでいるわけ。

連中は、口先で何を言おうが、日本のシモジモ国民を、人間のうちには入れてない。

 

利用することしか考えてない者は皆、共通している。

各々立場は様々なように見えても、つまるところは一つになる。

利用することしか考えてないからだ。

 

【続く】