2019.01.11 (Fri)
まず、思い当たるのは、インターネット。
こんにち、ほとんどの人が頷くことと思う。
これと同様に、医療の分野でも、機器の発達・発展と共に情報量の膨大な増加と、それらを捌ききれないといった、現場の問題が持ちあがっているらしい。
このエントリーは、下書きしたまま、毎度のごとく、ブログにアップできず、放置してあったのだけれど、年末に、これらの記事を読んでは いた。
『東大病院、画像診断書「未開封」4割…主治医の確認形骸化』12/28(金) 9:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181228-00050000-yomidr-soci
『がんの「画像見落とし」はなぜ起きる? 放射線科医が語る“原因”』
https://www.fnn.jp/posts/00397050HDK
読んでいるうちに、何かに似てるなあ、、、と感じ、
あっ、そうか、と思い起こしたのが、かつて、自分が従事していた職業のこと。つまり、校正・校閲の部署でも ありがちな問題だったのだ。
掻い摘んで言うと、たとえば、私の経験では、制作部署のライターが、チェックお願いね、と言って回してきた原稿を、各段階に おいて、校正・校閲で、可能なかぎり、全チェックする。だけど、ライターにしてみれば、自分が見落としていたり、リスクが隠れているとは思いもしなかった箇所すべてを挙げつらってくれるのは、なんとも頼もしく思う反面、やっぱり、ずらずら並んだ、それらに目を通せば、その分の時間を取られるばかりか、ヘタすると、思わぬ大仕事やメンドクサイ作業が増えるわけだから、鬱陶しく思う面もある。
これは、私自身が、もともとライターから出発してるので、気持ちは大いに理解できるのだが。。。
まあ、私なんかは生来が横着だし、けっして、仕事が早いわけじゃないんだが、紙媒体では、各段階に応じて、優先順位を つける、
と言うとカッコイイかもしれないが、それなりの「手の抜き」ようが ないこともないのでw
実際問題、締め切り押せ押せの仕事は、そういうふうに、うまく「手抜き」していかないと、次の段階に なかなか回せない。
これの融通が利かないクソ真面目しかないタイプの先輩社員のトバッチリが、全部、私に被せられた苦い経験も ある。
けっこう人が良いんでね、私もwwそのうえ、こちとら、はっきりと障碍者であるということを明らかにしたうえで中途入社してたから、ヒケメも あるのよ。
過去エントリーで、この、「仕事できない」先輩社員について幾つか書いたことあるんだけど、いまにして振り返ると、彼女、何らかの内部的な、つまり、精神とか発達系の問題が あったんだと思うってこと。
それだけなら、責める気持ちには ならないが、
なにしろ、劣等感の裏返しなのか、えっらそうに言うタイプだったんでねw
最終的には、ネタミの塊りみたいな性質の人なんだと見極めて、すっぱり切ったけど。
一言で言えば、この人の場合も、「自己保身」が過ぎるタイプ。
自分の立場が不利になるのを、病的なくらい恐れるがゆえ、立場の弱い者へトバッチリが行こうと、かまってられない、という、余裕のない人。
生活や生きかた全て、そういう方針で、どんな些細なことにも用心深い。たとえば、カゼ?と、ちょっとでも思ったら即、病院へ駆け込む。
それでいて、あるいは、有給休暇を、全く、とらなかったりもする。
こういったことも、広い視野で見たら、社会的に弊害が あるものだね。
(生活費全般をケチってでも、『宝くじ』だけは、希少な楽しみとして購入しているらしいがw)
それは、何ごとにも手抜きせず、慎重に丁寧に進めるという、一見、美質のようでも あるんだけれど、私に言わせれば、本質は、自己中だ。
だってね、
ふつう、1、2回も見直せば済むはずを、10回でも20回でも、同じところを確認してる。
こんなの、ビョーキでしょ。
そうやって、ふつうなら、ものの5、10分もあれば終わるはずを、1時間でも2時間でも かけてる。
むだに時間を費やして、自分は安心感を得るかもしれないけど、誰が、そのシワ寄せを受けるんだ、ちゅうの。
それで、「(障碍者のくせに)仕事が早い」というんで、私という後輩社員を陰に陽にネタムわけ。
精神だか何だか知らないが、迷惑がられても しゃあないやろ、これじゃ。
…
でも、校正・校閲部署の基本的責務として、「ん?」と思った箇所は全てチェックし、訂正させるべき箇所は、ライターを叱りつけてでも、訂正させなくては ならぬ。単なる外注の業者の立場だったら、いーから、とにかく訂正!とまで言う権限も必要もないので、クライアント側に、ほっといておくれやす、と言われたら そこまでで、あっそーですか、で済むだろうが、それにしたって、いちおう、ひっかかってくる箇所は、それとして指摘したうえでのこと、ましてや、同じ企業のなかでの制作部署と校正・校閲部署だと、畢竟、同じ会社の者どうしなんだから、「そりゃ、こっちの話でさ、ほっといてちょ」「あっそ、どーぞ御勝手に」では済まないからね。
しかも、どっちかと言うと、分が悪くなるのは、校正・校閲側なんだから、ライターは、もの知らず、感覚だけで書き散らす脳天気、くらいに思っておかないと(笑)
けれども、コレぜったい訂正なっ!!というレベルでは なく、「このままゴーして だいじょうぶ?」程度の微妙さだと、担当ライター側がウンともスンとも反応しない場合は ままあり、最終段階に至るまで、しつこく延々とダメ出しを続ける。だって、世間に、その出版なり印刷物が出回った後になってから、「あーっ!?なんで言ってくれなかったんだよお!!」てな責任転嫁されたくないもん。だから、証拠を残す。
さて、医療の分野で起きてるという、CTやMRIなどの画像から得られる情報量が膨大になってきているうえ、「読影」方面の専門医が不足しているという内容の記事。
日本では、CTやMRIの機器が、アメリカを上まわって設置数が多いということなので、少々驚くと共に、そうなると、読影の専門医不足という現象にも、なるほどなと思わされた。
まず、「開封」ボタンの問題について、「未開封」でも、実際は読めるようになっているのは、現場でのチームワーク上の必要が あってのことらしいし、ボタンの使い勝手には、さしあたって、くふうと改善の しようが ありそうに思える。
それ以上に、「読影」専門医の養成を急ぐのは勿論だろうが、
何段階かに分けて、改善策を設けるとともに、やはり、ここでも、患者の「自己選択」の必要性が出てきていると言えるのかもしれない。
これは、当エントリー冒頭に挙げた、特に、インターネットに接して、多くの人が、昨今の情報量の膨大さのなかで、いかに選択していくのかということの重要性と共通していると思われる。
日本人というものは、もともと、「パターナリズム」を好む国民性が あるように見受ける、というのは、従来から私は指摘し続けてきたけれど、
こと、医療の分野において、こういう傾向性は昔から顕著だったし、医師も患者も、それを好んでさえ いたと思う。
ごく近年に至って、「インフォームド コンセント」とともに、患者自身の自主性や自己選択というものが重視されてきているようでは あるが、それでも、まだまだ、やっぱり「先生、先生」となりがちなのが現実だろうなあと思う。
うちの母親みたいに、漢方医の父親を手伝っていた子ども時分や、医師になった弟のことを思うにつけ、「ワタシだって、ワタシだって、男にさえ生まれていたら」では あるまいけれど、医師に向かって、
「先生、あの薬を出しなさい!」
てなセリフを吐くというのはトンデモナイことには違いない(苦笑)
だいいち、ヤバい話なのだ。
これは、かれこれ30年ほども前のことでは あるが、
くだんの「あの薬」というのを、うちの母親が執着し始める頃になってから、当時の母親の かかりつけ医は、ぴたっと、処方することを止めた。
そして、母親は、「先生、あの薬を出しなさい」と、命令口調で のたまうに至った。
ちなみに、その主治医の家庭では、夫人が三度ほど変わっている。
最初と2番目の奥さんは、いずれも、若くして、謎の(?)死を遂げているらしいという話が、近所では密やかに流布していた。。。
(株に凝っているらしく、診察の途中でも、株屋から電話があると、あーだ こーだと長電話でウンザリする、とも言ってたなあ)
私自身も、急病のとき、この医師に特別に往診、注射してもらったあと、なぜか、症状が急激に悪化し、一晩じゅう苦悶で七転八倒したことが あった。
当時は、何らの疑心も持たぬまま、ついに、救急を頼んで、他院に緊急入院し、一命を取留めた。
その入院時、容体が回復し始めてから、かねて、学生時分から困っていた腰痛、これは多分「椎間板ヘルニア」というものなんじゃないかと自分で推察していたのだが、ことのついでに、こっちも調べてもらおうと思って頼んだレントゲン撮影。
いま振り返ると、なぜ、ほぼ裸にならないと いけなかったのか、よく分からんのだが、そのレントゲン室にて、背中から腰のあたりまで撮るための、ベッドのような台に横たわり、ふと、室内外を隔てている壁に穿たれた小窓を見たとき、
そこには、担当の技師のみならず、白衣を着た男どもの顔が、スズナリ状態になって、全員、こちらを凝視していた。。。
いずれも、何だったんだろうか、あれらは。
この話、旧ブログで書いたことあったかなあ、憶えてないんだけど、そのうち、詳しく書いたろうと思っていた。
さて置き、
その後、他の病気で手術前に受けたCTやMRIに関しては、あの頃は、いまよりも、もう少しだけ、撮像時間を要していたと記憶する。
技師が出す、息を止めたりする指示が、聴力障碍者の私には聞こえづらくて、何度か やりなおすハメになり、ご迷惑を かけたことも思い出した。
その前の時代は、もっと時間が かかってたらしい。
当時の隣家の おばさんが、MRIを受けて、けっこう長時間かかるあいだに、だんだん、気分が おかしくなってきて、錯乱したんだって!と、うちの母親が、なかば呆れてたけど(苦笑)
話を戻して、
「何段階かの改善策」というのは、たとえば、安価にして基本的に有用な機器であるレントゲン以外に、高額となるCT(CTスキャン。コンピューター断層診断)やMRI(磁気共鳴画像診断)を受けるかどうかの選択、
そして、受けたならば、その結果を、どこまで知らせてもらうかの選択、
あるいは、もれなく全体の読影結果を知らせてもらうか否か、否の場合には、そのとき診察・治療を受けようとしている箇所のみに絞って留めるか、やはり、全体的な所見を知らせてもらうのかの選択、
また、全体的な読影の結果、もちろん、多忙を極める主治医の負担を、これ以上にも増やすのは よろしくなかろうので、主治医の専門分野以外の箇所で見受けられる懸念が あった場合には、ごくシンプルに、簡潔に挙げることを前提として、主治医または画像診断専門医側から、それに相応した専門部署に知らせる、ただし、これも事前の、患者側の選択による、といった方策は どうだろうか。
いずれにせよ、患者側の主体的選択が重要になってくるだろう。
また、この選択の各段階に おいて、従来から当然のことでは あろうが、患者各自の経済事情が左右することも起き得る。
経済的事情ゆえの選択は、主体的選択とは言い難かろうが。。。
政治分野の情報の的確な取捨選択も そうなのだが、
自分や家族の病気に関する取捨選択にも、情報の蓄積と見識、哲学のレベルまでもが問われる時代に入ったようだ。
患者も、そして医師にとってさえも、「パターナリズム」の心地良い揺り籠から、いよいよ這い出なければならないのか。
おめでたき、単純な「しろうと」であることが許されない時代。
「しろうと」にとって、そして、専門家にも、厳しい時代になりそうだ。
2019.01.06 (Sun)
『この年末・年始に:ヒトから猿へ返れ?w』の続き。
「何見てんのよ!見せ物じゃないわよ!!
」
だめ息子を撮影されて、歯を剥いて怒る母猿のほうも、この息子の二の舞になったら困るからというつもりでか、少し大きくなり始めた娘に対しては、ことのほか厳しく あたり、ずいぶん早いはずなのに、乳離れを急かす。
この娘は、わがままなアニキの とばっちりで、わりを喰わされたあげく、まだ子どものうちに、交通事故で、あっけなく死んでしまったそうな。
長男の育てかたに失敗したからとて、他の雌猿に比べると、じゅうぶんに出る乳も敢えて与えてやらず、罪もない娘には、何かと厳しくして、ある日、思いがけず死んでしまった娘を嘆き、いつまでも呼び続ける母猿も また、多くの閲覧者の軽蔑を買い、
「息子とは大差つけて、幼い娘にはネグレクトしてたくせによ」
と批判されていた。
ところがね、この母猿、なぜか、ボス猿にモテるんだわ。
片目は潰れてるし、けっして、器量良しでもなく、人間で言えば、巨乳というか、まあ、つまりは おでぶちゃんなんだが、
自分の息子に大甘であると同時に、他の猿の子どもも、よく あやしてやったり、毛づくろいしてやったりしてる。本来は、子どもが好きなのね、この愚かな母猿も。
こういう面は、自分の子を大事に育てている母猿に共通するのか、他のグループの雌猿のなかにも、似たタイプは いた。
もっとも、そっちの雌猿の場合、くだんのマザコン息子の母親よりは聡明で、自分にベッタリしてくる長女の嫉妬深さと、気立てが良くないのを見抜いていて、あかんぼの妹にチョッカイ出すたびに、姉娘を厳しく怒っていた。
仲間たちに穏やかに接し、怒っている若い雌猿には、すみやかに謝り、なだめるのだが、
基本的に、いつも子どもを抱きしめ、こまやかに見守りながら、慎ましく座っている。
それが、
どこからか、若い雄猿が闖入すると、仲間に加勢を呼びかけつつ、自分は赤子を抱えたまま、勇ましく撃退に向かう。
あっぱれですなあ。そこいらの人間の雌よりもアッパレである。
ところが、
ある日のこと、体調を崩したのか、しかたなく、気立ての悪い長女に、妹の子守を させつつ、気分の悪さを堪えているようだったが、何が原因になったのやら、片足が壊死したようになって、そのまま、姿を隠した。
ついには、
撮影隊メンバーが探しに赴いた遠い森の片隅で、すでに、土に還り始めた死骸を発見したようだったが、
あわれ、まだ乳飲み子のうちに取り残された妹は、よからぬ たくらみを秘めているような、見るからに冷酷そうな顔を した長女の腕のなか。
以後、
若過ぎて、子育てなんて到底ムリなうえ、母親を めぐって、かねて嫉妬に満ちた長女に、案の定、さんざん虐待され、行方不明となってしまった母の乳も飲むことが叶わなくなったので、地面に落ちているものに必死で腕を伸ばし、拾って食べようとしても、見かねた人間が何か与えようとしても、意地悪い姉が、ことごとく、邪魔を する。
レスキュー隊が救出したとき、すでに遅し。
飢餓状態が極まってしまっているから、栄養摂取も進まず、皮肉にも、母親と同じく、足を痛めつけられたまま、回復しきれずに、ほどなく死んでしまった。
そりゃあ、行き届いた世話を してくれた情愛深い母親ならでは、いつまでもベッタリつきまとい、未練がましく、どんなに大きくなっていても、かつて自分のものだった乳を独占している、下の きょうだいを憎む、嫉妬深い長男や長女。人間世界でも ありがちよねw
うちの犬を見てても思ったように、野性や動物の世界では、子どもを可愛がる母性豊かな熟女のほうが、オスのウケが断然、良いようだw
人間の価値観とは違うと言うか、特に日本の社会とは真逆なのかもね。
「マチュア」よりも、どこかは青いまま、どこかは黄色いまま、脚は棒切れの如くして、首筋は鶏ガラみたいに痩せぎすの「オコチャマ」が大好き、
そして、自分の子どもよりも、他人の産んだ、大きな子どもである「おこちゃま男」を最優先にしてくれる雌女(メスジョ)が大好きw
なぜって、
どうしようもなくアホでバカで、何につけても、心身ともに さえないオスで あるにも かかわらず、全面的に受容してくれる。
こういう雌女こそは、俺にとって最高の母性の持ち主だからだ!!w
「他の男とのあいだに産んだ子どもを殺せ」。
猿でも やらんみたいだよ?自分以外の男の子どもは殺すなんて、少なくとも、私が閲覧したマカク猿たちの社会では。
親と はぐれて、泣きながら呼び続けるマザコン猿を、ずっと傍について見守ってやったりする。
「グルーミング」も、小さい若い猿が、おずおずと求めると、時間を かけて丁寧に、虫取りを してやり、つきあってやる。
そうかぁ、「ボス」や「ボス」候補になるには、ガタイが大きくて、ケンカが強いという条件だけじゃダメなんだ。
人望ならぬ「猿望」も確保しないとならないんだなあと理解した。
見習うべきよね、人間社会のほうがw
強くなくては、生きていけない。優しくなくては、生きていく資格が ないって、チャンドラーは言ったもんだ。
けれど、猿の世界でも、優しく、良心的で、ものが分かってる賢さ、誠実さを備えている者が、あっけなく死んでしまい、
素直で無垢な者ほど、虐待や苛め殺されたりして、
結局は、
嫉妬深く、おそろしく執念深く、拒まれても拒まれても徹底的に自己利益を求め続けた者が生き残ってるのは、あのマザコン息子や、妹殺しの姉が証明してる。
人相ならぬ猿相だってあるみたい。
冷酷な姉猿は、冷酷な顔つきだったし、
マザコンあほ息子は、アホまる出しの顔してたw
閲覧者のコメント欄には、
「妹殺しに餌やるな!」
「バチが当たることを祈る」とか、
「マザコンのヘンタイ息子は、とっとと追い出せ!」
「このバカ親子!」
「周囲を見張ってるつもりのボスの父親の眼は、UFOでも探してるんだろう。結局、何も見ていないのだ」
と、人間たちの揶揄と怒りの声が並ぶ。
「あの姉猿も、まだ子どもだし、ストレスが溜まったのでは」とか
「食べ物を譲らないのは、それが、猿社会の文化なんだから」等と擁護する人も混じっているが、
ほとんどは、非人道的で、けしからん猿に対する非難轟々(爆)
「人の子らに臨むところは、また獣にも臨む。…皆、一つの呼吸に よれり。…人は、獣に まさるところなし。みな空なり」(『コへレトの ことば』)
いやいや、より劣るのかもよー?
それよか、せっかく、辛うじて「まさる」ところを やめれ、とワザワザ、生きるか死ぬかの「ヒリヒリ」するよな暗黒のディストピア、ヒャッホウ社会に戻すべきだー!と主張する愚物とか、くだらん「先祖返り」を煽ってコメント連投する、ネットのなかでしか大きく出れないバカは(←すでに指摘してきたように、私が『カルト連』と名付けている、あの連中の誰かですわ、こんなバカな投稿しまくるヒマなのは)、
ドンパチやってる国の一兵卒にでも、さっさと志願して来いよw
まあ、ろくな体力もないヘナチョコ男じゃ、雇ってすら もらえんけど。口先だけ勇ましいのはね(嗤)
自衛隊に、この類のアホが入られたら困るんで。いや、もう入ってる者も実際には いるんだろうけどさ、増殖したら、ますます困るから。
ということで、
当シリーズ エントリー冒頭にて、インターネットに対する不審や不信を、いまだ解消できていないことを述べたけれども、
インターネットにおいては、常に、選択眼と主体性を根底から問われていることを大前提としなければ ならないことを念頭に、
問題は、この能力が乏しい者には、まさに危ない玩具で あり続けていること、
ましてや、悪意ある者にとっては、堂々と利用できる凶器で あり続けている。
従来の「パターナリズム」的な情報メディアでは限界が あることに気づかせ、幅広く、深く、情報に接することが可能となったのは、インターネットの最大の長所だ。少なくとも私個人にとっては、メール以外では、そういう点が、有用なところ。
ただし、他は、相変わらず、問題だらけのまま拡大していってる。
しかも、
いまや、従来の大手メディアまでが、ネット上で跋扈している、胡散臭い連中、魑魅魍魎の後追いをし始め、愚かな真似を するようになった。
現状、
政治でもメディア業でも、どういう層に支持してもらいたいのか、それによって、大きく左右されている。
とにかく当選したい、とにかく支持してもらいたい、とにかく儲けたい、
とにかく生き残らねば ならぬ。。。
理念も理想も そっちのけになるの、あたりまえだ。
これを多少なりとも解決に向けていくには、「層」の質を変化させていくしかない。
やっぱり、教育だ。
でも、その教育の なかみが問われている。
ま、そんなわけで、検索していたら、たまたま遭遇し、このところハマっていた動画の おかげで、子猿は まだしも、お猿さん全般、なんとなく、好きになれないでいた私だったのに、その印象を大きく変えることが できた。
そして、これまで接してきた他の動物たちと同じく、学ばせてもらうことが できた。
なまじっか、おえらいセンセイがたよりも、よっぽど、深いところを教えてくれる。
とても有意義な、精神的収穫だった。
生き残りの厳しさゆえに酷薄、
それと同時に持ち合わせている、人間以上の優しさ。大らかさ、繊細さ。
特に、猿という種類のものは、知られているとおり、最も、われわれヒト族に近いだけあってか、そういう社会のルール、マナー、家族や仲間との関係の ありかた、人間に おける恋愛や、親子・兄弟姉妹関係の原型というべきものを見い出せた。
2019.01.06 (Sun)
『この年末・年始に:なんてステキな お猿の世界w』の続き。
ボス猿ともなれた雄は、群を抜いて大柄だけど、雌猿どうしのなかにも、それなりのランクとか階級的なものは あるらしい。
でも、それに直接の関係は なくて、「女王」格と見做されてる雌(たしかに、ひときわ、プライド高いし、気が強いw)でさえも、ひどく痩せて、お乳ペッチャンコだったりする。可愛い娘に与える乳も出ず、ひらきなおって、育児放棄状態になってしまってたり。
で、その娘は、他の子猿に授乳中の母親たちに向かって、「あたしにも、お乳を分けてほしいの」と、幼いながら、ある象徴的な口つきで訴える。
その「口つき」というのは、われわれ人間にも思い当たる風景が、猿たちの「グルーミング」という実用を兼ねたコミュニケーションだが、
それを するときの一連の動作に伴い必然的にやる、あの、もぐもぐとした口つき、それが、親愛表現や友好的態度の象徴となっており、猿たちにとって、あいさつ代わりにもなっているようなのだ。
その口つきでもって、「女王」格の猿の子は、よその母猿に対して、お乳を分けてもらえまいかと、みずから尋ねまわってたわけ。
でも、どうやらタブーなのね、猿の世界での「もらい乳」というのは。
なので、母猿たちは、かわいそうに思いながらも、それだけはダメなのよと、これも象徴的な しぐさをもって教え示すのだが、
なんとなく、この、ひもじい思いを訴える子猿に対しては、乳を分け与えること自体は拒否するものの、形式的に、いちおうダメなんだからねえ、という、どこか柔らかい示し方を する。
手を噛んだりしていても、実際には、それほど痛くも してないように見えたのだが、やはり、「女王」格の猿の娘であり、しかも、気の毒な状況にあるという慮りが あるようだった。
他の、言わば「平民」クラスの猿の子どもや、せっぱ詰まるほど餓えてもいないのに、単なるワガママの場合には、もっと厳しく、牙を剥いて拒絶していたから。
そういう、せっぱ詰まった猿たちの場合は、ときに、レスキュー関係の人たちが応急手当を施したあと、『アンコール トム』に戻さず、別の所、たとえば、公園型の動物園とでも言うか、一般の日本人にとっては、ちょっと想像できないかもしれないくらいの広大な、もとは森林のなかだったのであろう施設内で、健康回復さえ達したあとには、ほぼ自由に動き回れる状態にして、開放的に飼育しているということだった。
『アンコール トム』周辺で、生存にかかわる事態の猿(多くは子猿であるが)を連れ出せたなら、とりあえずの応急処置等を施してから、獣医など関係者らの判断の結果、上記のような場所に移された猿たちは、以後、食べ物の心配なく、安全が確保されていることを徐々に理解したとたん、人相ならぬ猿相までも、穏やかに変化するのね。テキメンだ。
そうして、仲間たちと、命を賭して争う必要もなくなり、子どもを見殺しにすることもなく、仲良く暮らしてる。
『アンコール トム』に住み着いてる猿たちも、餌の確保は、親子間ですら容赦なく、しかも、交通事故、その他、「猿も木から落ちる」そのまんまのアクシデントで大ケガするし、死とスレスレの様々なトラブルは日常茶飯事であり、過酷な生活では あるのだが、でもね、
そんななかでも、幼い者に対し、基本的には、皆で可愛がる対象と認識しているようで、
親に連れられて遊びに来た人間の幼児に対してさえも、熱心に あやしてやってるんだから、驚いた。
成獣の猿よりも、ずっと大きいんだよ、人間の幼児のほうが(笑)
でも、抱きかかえて遊んでやろうとする。分かるんだね、これは人間だけど、まだ幼い子だってことが。
もっとも、人間の子ども側は、お猿さんが あやしてくれるのを、なんだか迷惑そうに厭がってたけど(苦笑)
まだ、木登りが じゅうぶんに できない子猿が、高い所に取り残されて、ギャン泣きしてると、少し年上の子猿が、必死に抱き上げて、降ろしてやったりするのね。
ふだんは、思いっきり、取っ組み合いを してるんだけど。
また、人間ならぬ猿の世界で、「乳離れ」が、あんなにも大変だというのが、最も驚いたこと。
あの ちっこい子猿が、もの凄い食欲と、もの凄い瞬発力と握力で、母猿に しがみつき、育児疲れの母親に、邪険に振りはらわれても振りはらわれても、磁石みたいに、母猿に飛びついて密着してる。
で、母猿も、根負けして、ヘトヘトになりながら、結局は受け入れてやったり。母系社会なのね。
私ら娘の離乳について、うちの母親が笑って指摘してた話。
もちろん、いちおうにせよ(?)ヒト族の親子ですが(笑)
父親違いの姉の場合、やっぱり大泣きして激しく抵抗したそうなんだけど、母親が、誰かのアドバイスで、乳房に「へのへのモヘジ」の顔を描いておき、姉が吸いつくたびに、「痛いよ痛いよ」とやったら、しばらくは困惑の表情を していたが、ほどなくして、乳離れしてくれたという。
この姉は、幼稚園に入園するにも、大泣きして、母や先生を困らせたそうだが、1週間も過ぎると、嘘だったかのように、けろっと機嫌良く通園するようになったという。
さて私の場合。
味を占めて、例の「へのへのモヘジ」作戦を とった母親、大げさに「痛いよ痛いよ」も再び演じたが、そのときは、いちおう、口を離すものの、昼寝で添い寝しつつウトウトしている隙に、ふと見ると、
母親の着衣の前を はだけさせ、乳房を取り出して、勝手に吸いついてたそうな(苦笑)
そのうちに、「痛いよ痛いよ」を始めると、それならと言わんばかり、6ヵ月で歩き始めた足で、よちよちとタオルを取って来て差し出すようになったという(爆)。「そのヘンな顔を拭いちゃえば?」と言いたかったのかなw私って、すべて お見通しだったのね、あかんぼのうちからww
ボスの父猿は基本的に、子育てのことは全て母猿まかせなんだけど、
目の前で、子猿どうしがケンカして、いつまでも激しく くんず ほぐれつしてるのを見ると、「やかましい!!静かに仲良くしろ!」と言わんばかりに押さえつけたりする。
自分は、他のグループのボスと死闘を繰り広げるくせにね(笑)
じつは、このことに最も驚いたのだが、
猿の社会にも、どうやら「知能障碍」とか「発達障碍」といったものが あるのかなあと思ったのは、母親ベッタリ、まさに「マザコン」の、ある息子猿。
これが、大きな ずうたいになっても、いつまーでも乳を欲しがり、しつこ~く甘え泣きしてると、うんざりした表情ながらも、「とうちゃんの食べ残しでも食っとれ」とボス猿である父親が促したり、
自分の傍で、「かあしゃんが乳を くれない!!」と大泣きして訴えるマザコン息子が、またぞろ母親のほうへ走って行こうとすると、シッポを掴んで引き止めようとしたり、
しまいには、他の子猿とケンカしている息子を激しく怒ったひょうしに、母猿が心配して近寄って来たら、「だいたい、おまえの教育が悪い!!」と言わんばかり、母猿を引きずりまわしたりしてたw
やっぱり、どこか、従来の人間の世界との共通点が濃厚なんだなと感じた。ヒトと猿は、もともとの先祖が ほぼ同じという説に頷けますわ。
このマザコン息子、多くの閲覧者に顰蹙を買っていてwコメントで、「アブノーマル」とまで罵られてたww
なるほど、ここまで、母子の密着度が高いと、男の子の場合は、成獣になったら、よそのグループに入るなりして、さっさと出て行ってもらわんとマズイわな。
人間の場合でも、幼いうちは、男の子のほうが、女の子に比べて多少、甘えんぼ度が高いなとは思ってたけど。
とにかく、あのシツコさには驚いた。
とっくに乳離れしているはずなのに、他の同年齢の子猿たちよりも二回りくらい大きくて、と言うか、ぶくぶくに肥えてるのに、隙あらば、コソコソと、かあしゃんの胸に手を伸ばし、なおも、乳に ありつこうと、虎視眈々。
片目が潰れてる かあしゃんに、「おまえは、、、」と、キッと睨まれて拒絶されるたび、大げさに全身を激しく震わせ、のけぞり、おっぱいー!おっぱいー!!と大声で泣きわめくw
母猿は、なさけなさそうに、うなだれるww
ついには、他の母猿の乳房にまで吸いつきに行き、
「ん?ぎゃーっ!!なにやってんのよ、あんた!」
と、どつかれてた(爆)
それで、いつも、自分より小さい子、それも、母親の乳を飲んでる最中の子猿を苛めに行くのよねw
無理やり引き離すは、引っ掻くは。
「おまえはイイよなあ、かあしゃんの乳が飲めてよぉ」
って言わんばかりww
そして、めげずに、またも母親に にじり寄っては、母親にも どつかれ、
当然、他の猿たちからも呆れられ、嫌われ、
特に、先述した、痩せて乳房ペッチャンコで、育児放棄を余儀なくされた「女王」格の猿からは、親子そろって軽蔑されてw
息子のほうが、何かの ひょうしに、たまたま、ちょっと触ってしまっただけで、「なんなの?!」と怒られて、オシッコちびってたよ、かわいそうに(笑)
実際、母親のほうも、いいかげん疲れ果て、「どうして、うちの息子は、、、」と思い悩んでるのが、閲覧してる人間にも伝わってくるんだけどwやっぱり、完全には突き放しきれないでいるのね。
「バカな子ほど可愛いもんだ」って、人間の社会でも言うけどねえ(笑)
「あんた、息子を甘やかし過ぎ!!」
マザコン息子が、根負けして受け入れた母親の おっぱいに むしゃぶりつき、
「えへへ」と、さもウットリしてるツラを見ていると、私も、だんだん腹が立ってきてさw
このように、腹たててる閲覧者のコメントがズラリ並んでるよww
しつけと教育に失敗した猿のダメ親子に、人間どもが怒り心頭の図www
そのせいか、次の子が生まれたなら、さすがのバカ息子も乳離れさせられるんじゃないかと、「ボス」である亭主と、下の子づくりに励み、今度は妹が生まれたんだけども、
案の定、乳を独占してる妹を、マザコンのアニキが嫉妬し、イジメまくる。
このマザコン息子は、コメントしてる人たちが言うように、知能や精神に問題が あるのではという見解に頷ける。
猿社会での基本的な生活の知恵とマナーを兼ねている「グルーミング」すら、他の猿なら、もっと幼いうちに、おとなたちを見習いながら、積極的に練習しながら身に付けるものを、この異様に甘えた息子は、いつまで経っても できないまま。
ちょっと、やってみようとするような そぶりは、たまに見せるが、結局できないようだ。
どうやったら いいのかさえ、わからないみたいに見える。
グルーミングは、自分が、やってもらうほう専門。
ひたすら、ただ食べるだけ。
食べ物の皮を剥くのは、上手に できるのに。
あとは、かあしゃんの周囲をウロついて、隙あらば、にじり寄っていくw
だけど、
観光客たちに対して物怖じせず、と言うよりも、なれなれしく寄って行って ねだったり、おどけたりするので、人気は なかなか高いみたいよ(笑)
そんな彼を嫌っているオマエら、ねたんでるんだろwとコメントしてる人も いる。
「母親のオッパイに執念を燃やす息子w」
「おっさん顔の女王に叱責されるダメ親子w」
【続く】
2019.01.06 (Sun)
『この年末・年始に:嫉妬とは、呪うことかなw』の続き。
ところで、
個人的に、手軽に気分転換したいときなどは、いろんな動物が登場する動画を眺めたりすることが ある。
私は基本的には、動物たちが好きなのだが、これまで、猿については、あまり好きになれなかった。特に、日本猿は(苦笑)
しかし、
年末近くに、たまたま、『アンコール トム』に住み着いてる、おおぜいの猿たち(アカゲザルとかマカクとかいう種類なのかな)の生態を、それぞれの猿の生活ぶりに密着するように継続撮影したものを見かけて、ちょっとハマっていた。
こういう撮影のやりかたは、猿たちにとってストレスになっていると指摘し、批判するコメントも あったし、実際、見ていると、私にも、そのように思えるふしは少なからず あった。
けれど、同時に、興味深い場面や、ほほえましい場面も多々あったので、ついついハマってしまったのだが、関心を持たれた向きは、まずは『アンコール トム』の猿たちを、“youtube”で検索してみてね。
広い動物界のなかで、最も、人間に近いことを感じる猿が好きになれなかった、ということは、私は、人間が、あまり好きじゃないからなのかなってことになるかもしれないけど、たしかに、動物たちを見ていて、人間のほうが、よっぽど下品なんじゃなかろうかと思えたりすることが ある。
それも野性か、それに近い動物、特に、彼らが幼い子どものうちは、そこいらの人間の子どものほうが、よっぽど可愛げもなく、野性動物の幼児のほうが、周囲の ものごとを直感的に理解して、とても慎ましい感じさえ受けるのだ。
ただし、
あかんぼうや幼児でも、生き延びるための自己主張の強さには、驚かされるばかりか、思わず笑いだしてしまうほど、とことんストレートで激しい激しい。それが、このさき、生きていけるかどうかを試されるエネルギー量なのだ。やはり、野性動物として生きていくうえでの過酷さゆえ。
それでも、
『アンコール トム』の敷地に住み着いてる お猿さんたちは概ね、国内外から大挙してやって来る観光客たちから、フルーツなどを中心とした食べ物を、ふんだんに もらってるみたいなんだけどね。
野生動物は、ごく幼い子どものうちから、すでに、プライドの片鱗を示す面を備えているようだ。
そもそも、仲間内でも、油断なく見張り合っているし、子育て中の母猿は特に、のべつ周囲を警戒しながら、乳児を見守っているから、寝不足で疲れて眠いのは、人間の親と同じだ。猿どうしでも、そこは同情的なのか、子どもを虐待しそうだなと察するのだろうか、その一歩前で、なかばムリにでも、母親から子を引き離しにかかり、疲れている母猿を休ませてやる意味も あるように見受けた。
いわゆる「キッド ナップ」ということも多いようでは あるが、だから母猿は、しぶしぶながら託した仲間の猿に抱かれている自分の子を、ずっと眼で追い続けているし、安心できない相手と思えば、拒絶する。
だいたい、子猿のほうが、母親から離れるのを、ひどく嫌がるんだけど。
眠たいのは、基本的に皆が同じ。なので、「グルーミング(毛づくろい)」してもらってるあいだに、少し眠る。お互いに、そういう手続きを踏まえて、協力し合っているところが ある。
ましてや、人間に対して、警戒心を完全に失っているはずが ない。
病気やケガで、食欲を失ってるとか、よほどの事情がなければ、勿論、人間から、食べ物を受け取るのを拒むことは ないし、空腹のところへ、おり良く、人間が やってきたら、服の裾を掴んで、「ねえ、ちょうだいよ」と、ねだりもするものの、それでも、
「あっそう。どうしても くれたいのなら、受け取ってやるよ」みたいな態度と雰囲気だったりもするし、食べたくなければ、無視(苦笑)
そして、せっかく、極上のフルーツを楽しんだあとに、見るからにマズそうな木の根っこや草をバシバシ齧っている(笑)
そもそもは、人間なんかに頼らずに、自分で食料を探し、調達して生きていけるはずなんだから、人間に媚びる必要なんか あるはずもない。
実際、親子のあいだですら、いったん、自分が手にした食べ物を渡さない。基本的には、それが、彼らの社会のルールであり、マナー文化でもあることが窺えた。
人間社会でも言う、「人の物を欲しがったり、取ったりしちゃダメ!」って ことだろう。
自分の子どもが、どうにも執拗に ねだって、あきらめないときは、じかに渡して与えるのでは なくて、足もとの地面に放り捨てるという かたちを とることで、譲り渡す。
他者が放棄したものであるなら、もらっていい、ということだね。
もちろん、敢えて横取りする者もいるのは、人間社会と同様。猿の世界は、特に、上下の力関係も大きいようだ。
うちの犬なんかは、自分の餌に、子どもが鼻先を突っ込んできて、そのままパクパク食べ始めても、「しょうがないわねえ~」と言わんばかりの表情で、温かく見守ってたけど(笑)
日常的に、食べ物が確保されてるかどうかの安心度にもよるんだろうなあ。
離乳期が近くなり、歯が生えかけると、歯茎が痒いせいか、まだ幼くても、かたい物に喰いついたりするようになるが、母乳を飲んでいるうちは、人間さま用の牛乳などは(うちはイイカゲンで、犬用だ猫用だとまでは頓着しなかったw)、母犬のほうに飲ませていた。それが、母犬の体内を通って、子犬が飲むわけだから。
『アンコール トム』の お猿さんたちは、ほとんどが、何らかの身体障碍者だ。
足や手や鼻や下顎や、どこかしらが欠損していて、その不自由な からだで、雌たちは、いっしょうけんめい、子育てしているし、子猿たちの要求も、生まれ落ちた瞬間から、ハンパなく激しい。いつも、かあしゃんの乳を、貪欲に ねだっている。
見守ってくれる かあしゃんの頭は屋根、
かあしゃんの胸は あったかい布団。
移動するとき、安全で良い所へ運んでいってくれる かあしゃんの背中は、自動車の座席になる。
子猿たちは、かなり大きくなっても、かあしゃんの傍を離れたがらない。
「ボス」格のオス猿などは、自他のグループ間で、生き残りのための乱闘を繰り広げ、大ケガして、それがキッカケで死んだりもするんだけど、
『アンコール トム』に住んでいる猿たちの場合、ほとんどは、人間どもが乗り回すバイクや各種の自動車のせいだ。
すごいよ、あの傍若無人いや傍若無猿な騒音は。
低めに音量調節しなおしたイヤホンを通してすら、この聴障の私の耳を つんざく、という表現どおりの爆音。
子猿たちが甘え泣く、あるいは、子を見失ったり、亡くしたりした母猿が、哀しげに呟く「ホーホー(ポウポウ?)」という、はかない声とは大違い。
ふだん落ち着きはらってる風情のボス猿でも、「なんだよ、あの煩い音は」と言わんばかりに、頬を引きつらせ、他の猿たちも、ひっきりなしに、けたたましい音を撒き散らされるのにウンザリしてる感じ。
こっちから向こうの森へ移動するのに、車の流れが僅かに途絶えた隙を見計らい、あるいは、車のほうが遠慮してくれるのを期待するかのように、子ども抱えて、えっちらおっちら渡ってる。
発展途上に ありがちな国の、野放図な人間の往来。
なかには、『アンコール トム』周辺道路のみならず、敷地内の森のなかまで入り込んでるバイクや、果物売りの車も あって、カンボジア政府も、もう少し考えたら どうなのと思ってしまうくらいだ。
また、
猿たちは、『アンコール トム』の非常に広大な敷地のなかで、グループを作り、集団で暮らしているのだが、所属してる集団のなかでのルールやマナー、コミュニケーション時以外は、基本的には好きなように、気の向くままにやってるみたいだから、あの立派な、クメールの精華である壮大な遺跡が、猿たちの住まいになっていて、かなり荒れてる。
【旧ブログより】
アンコール ワット 2010/08/22 20:03
褐色の肌して女神らは踊る
石の音楽、
肢体しなやかに踊る神々、
クメールの誇り、
南方アジアに咲いた大輪の花、
年古りて美しき大伽藍の姿した女神よ。
私が子どもの頃からの憧れやまぬ遺跡です。
なかには、技術力が及ばぬ国の修復箇所から早くも傷んできているという話だが、
わが日本が最先端の技術をもって、このような人類遺産の一大精華に関われるのは名誉なことと思う。
年古りて麗し肢体傷むるは
ナーガも かくや
ガジュマルの幹
胎内に
あまたの神ら
孕みいて
女神化身し
横たう伽藍
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
そして、観光客などの人間たちから もらう食べ物や、観光客たちが置き去りにした、人間用の飲食物の残骸を漁り、それも足りないと、
味が残るビニール袋を舐めたりしているうちに、歯で引きちぎって食べ始めた母猿も いた。
木の皮や根は勿論、生後いくらも経たないほどの 赤ちゃん猿でも、殆どは、早々に、母親の授乳に期待できなくなるから、地面の上を、小さな手で まさぐっては、なんでも かんでも、口に入れている。
そんななかでも、なぜか、常に肥満気味で、子に与える乳も不自由しない猿と、眼が見えなくなるほど栄養失調になる猿もいるのね。
【続く】
2019.01.06 (Sun)
『この年末・年始に:祈りますw』の続き。
「~鬱屈してくるし、フテクサレたり、陰湿になって、根性まがってくる」のは、もともと「自己愛性」が肥大していて、そのせいで、むやみと「被害意識」が突出してる自己中タイプほど、そうなる。
どうガンバってみても、相手が、自分の思うとおりになってくれなかった、となると、もの凄い勢いでバッシングを始める。
それは、被害意識を突出させずにいられないほど、可愛い自分が損させられそうになってると、過敏なまでに感じてしまうとか、損させられちゃ ならないから、事前に!とて、自己防御に鋭意邁進するわけで、
そこで、必要以上の被害意識をもって防御に努めるあまり、
「攻撃⇔防御」
に進むということは、必然的に、筋違いの被害を被り、巻き込まれる他者が発生してしまうわけだ。
その被害者が、理性的でガマンづよい性格なら まだ いいけれど、あるいは、「多勢に無勢」で弱い立場だったりで、被害を被ったままスゴスゴ引き下がると、それこそ、「連鎖」に繋がりかねない。
だから、私は常々、社会的に有害な、こういう被害意識の突出した者は、何が「被害」で、自分の「居場所」を脅かされていると感じるのか、論理的に分析しなさい、と言うのです。
人間であり、野生の獣じゃないと言うのなら。
敵対心を感じた相手をバッシングするために、「包囲網」構築する仲間、と言うよりは手下を増やす努力にも余念がない。
だからこそ、世俗の権力を目指したがる。権力者は、最も多数の手下を持てるからね。
ゴマも する、恩に着せまくって威嚇・恫喝もする、カネさえあれば、札束で頬を叩くこともする。
相手が思いどおりになってくれるまでは、さも、私は立派な人なんですよ、とイメージさせたり、そういうストーリーづくりに熱心で、
とにかく、相手に受け入れさせるようになるまで、しつこいシツコイ。。。「疲れを知らない子ども」のようだ。
それは、見込んだ相手を、必要としているからなのだ。
何に必要かって、
自分の役に立ってくれる相手だと見込んでるからだ。
その目的の大概は、ピンからキリに至るまで私利私欲、個人的な野心に過ぎない。
なので、「役に立ってくれなかった」イコール、自分は「裏切られた」、相手は「裏切者だ」というバッシングを始める。
このときこそ、それまで培っておいた「人脈」という名目のグルやら手下を結集させる。
しょせんは、似た者どうし、「類友」どうし、お互いに「うぬ、裏切ったな」とならないよう、「腹心の友」とか言ってたって、内奥は、常に探り合い。
恋人だろうが家族だろうが、そういう「カケヒキ」が生き甲斐みたいよねw「ヒリヒリする~♪」とかってさww
その反面、家族や身内となったならば、完全に安心させてもらいたがりもする。
そのためには、パートナーは、自分に感化されてくれていて、基本的に、ほぼ言いなりになってくれる程度の知性レベルでなければ、家庭内でも争いは絶えず、平和では いられないから。
しかも、もともとが「ヒリヒリ」好きなもんどうしで ひっついてるwとなると、これは これで、お互い、毎日が勝負!で飽きることが ない。
一種の生き甲斐と化して、離れられない。
殺したいほど憎い。
いないと もの足りない。
憎悪の やり場が なくて、全身を掻き毟りたくなるほど。
相手の存在まるごと喰ってしまいたいほど、憎い。
こんなにまで毎日ワクワク胸躍らせてくれて、
ギラギラ煮えたぎる油のような憎悪を掻き立ててくれるのは、
この世のなかで、たった一人、あいつしか いないんよw離れられない。
そして、腐れ縁の泥沼に、共に絡み合いつつブクブクと沈んでいくのが快感w
もとはアカの他人だった配偶者よりも始末が悪いのは、こういうのが、親だった場合よ。
子が、どっちに味方するのかでも争うし、
実の子(本能的に、子は、親、特に母親の最大の味方だものw)で あろうとも、自覚の有無と関係なく、
まさに本能みたいに、利用せずには おれないから。
期待されるのって、じつは、ひどく しんどいこと。
ところが、
『自己愛性人格障害』者というものは、「期待してもらいたい」から、何が何でもガンバルらしいね。その根本にあるのは、
「自分の居場所が脅かされてる」と感じて、「居場所の確保」という目的での「努力」ひいては「自己承認欲求」らしいんだけど、こういう人は、他者を見て、
「あいつ、努力してない!」
「ガンバッてる自分より下のランクなのに、それで満足してるのか、なんだか のんびりノホホンとしてる」
ように見えるタイプが、もう絶対に許せないほど憎く感じるらしい。
努力して、それに見合った結果を順調に出せている人を見たら、むしろ安心を覚えるのかな、自己投影するから。
努力してなさそうでも、自分には縁がないほどの高みに のぼってしまえてる人ならば、努力を厳しく問うたり、嫉妬を あらわにすることなく、個人崇拝までする。もともと、「才能」「天才」や「地位・権力」といったものに対して俗物根性だから。
才能や地位の持ち主が自分の子で あれば、世間に向かって自慢できるという大きなメリットも ある。
しかし、内心の奥深くでは、やはり嫉妬してるかもよ。
嫉妬とは、呪いなのです。
【続く】