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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.02.07 (Thu)

【続】千葉県野田市の小学4年生の事件についての続き。

 

子どもを連れて逃げることすら できなかった母親は、たしかに愚か極まる。

だいたい、「できちゃった婚」じゃないのかな?ここの夫婦も。

 

子どもを、支配欲なり依存のための、「繋ぎとめ」の道具に利用する男女も多いだろうと思う。うちの親も そうだった。

 

 

一度は、警察に相談に赴いたものの、そのときに どうすることもできなかったらしいということも、無力感を増加させたのだろう。それでも。

裸足で駆け込んでほしかった。近所にでも交番にでも役所にでも。

 

 

亭主に、娘の監視のため報告することに使っていたそうだから、スマホも持っていた、ということは、この母親を擁護する連中が言っていたような、「情報の全遮断状態に置かれて」というほどでもなかったわけだ。

 

 

子を守る本気度が足りなかったという責めは引き受けねばなるまい。

一個の おとなとして、子の親になった以上は。

まぎれもなく、第一の保護者たるべき者は、親なのだから。

 

 

しかしながら、その、親たる者が、真の意味での非力、無力で、どうしようもない出来なのであれば、これは もう、社会全体によって救済するしかないことだ。

 

ところが、その社会におけるシステムが機能していなかった。こんな事例が引きも切らぬ日本という国。

 

 

「事なかれ主義」「他人事」の感覚、表面と形式重視、本質的に、どこか無責任、傍観者的態度を賢いと見做す、これらの国民的体質は、

そう、
「祈ってくださる(おまえだけが祈っておれば よい!)
「大御心だ!」
「無私(でなければ ならぬ!おまえだけは!)」と、ただの一人に押しつけて澄ましかえっておれる日本の「象徴」システムと、けっして無関係では あるまい。

 

 

ま、私が常々言うように、相手の毒牙に ひっかかる夫婦は同レベル、
その典型的な事例が、また増えた。

 

ダメダメどうしだから ひっついたら最後、離れられないのよw

こんな親のとこに生まれてきたら、百年の不作ですわな。

子どもは ただただ迷惑千万。

 

産んでは みたものの、まともに育てられも しない、こんな親は少なくないのが、昔も今も実態なのだ。

 

 

実際、日本の社会でも、現行、子育て世帯が最優遇されているはずで、最も「搾取」されていると言えるのは、低所得の独身世帯だ。

なので、
その最優遇されている子育て世帯が、独身者から「独身税」を取れ!というバカな主張しているのを見るにつけ、オマエみたいなバカが子どもを持つから、世のなかが ますます歪むんだよ、と言いたくなってくる。

 

富裕層しかり、子育て家庭しかり、社会的インフラを最も、フル活用できているのだから、なにを被害妄想的なことを言い募ってるのやら。。。()

 

 

これも、私が常々言うように、誰しも、最も可愛い、守りたいのは、自分の身である。このことは、否応もない本能的なことだ。

その「守りたい自分」のうちに、ほとんどの場合は、自分の子どもも入れているだろうから、難しい、複雑なことでは ある。

だが しかし、それも、ある程度の余裕が、あらゆる面で確保されていればの話。

先日来のエントリーで紹介してきた、猿の社会を見ていても、よく分かる。

 

 

子を虐待する者の根底に潜んでいるであろう意識、「子は、親の私物」的な感覚を捨てさせるには、子どもは社会資産であり(したがって、これを毀損した場合、社会全体の損害を齎したと見做すことになる)、希望への投資対象であり、掛け替えのない宝として育てる、という意識を共有していくしかない。

 

 

うちの母親は、自分の親への深い恨みもあって、

「子どもは、親の私物じゃない」と、口先では頻りに主張していた。

ところが、

じゃあ、翻って、自分自身の行いは どうなのか?

と問うと、

自分は言行一致だ!と、無自覚と両立させた自信マンマン。

脳に異常が あっただけのことは あるよw

自分のカラダとは言え、コントロールできないもんね、
とりわけ、脳の異常は。

 

このように、

どこまでいっても自分棚上げ、自分が最も可愛く、守りたいものなの。
また、そういう者ほど、良いほうへ回るものなの。

 

(むろんのこと、脳も含めた)肉体を持つゆえの煩悩、悲哀に ほかならない。
この世の摂理です。

 

 

実際に虐待を見知っていてさえも、

勢い強く、自分棚上げの主張を展開して恥じない者のほうに靡き、

被害を被っていた者については、たとえ満身創痍状態であろうとも、

とりあえずは、いちおう、まだ、そこで生きてるじゃないか、ならば、それほど大したことでは なかったのだろう、

で済ませてしまう。

 

だから、殺されるなり、自殺するまで、気づいては もらえないし、

いったんは分かってもらえても、すぐに忘却される。

それが、第三者、他人事の精神ゆえ。

 

今回の事件でも、あとからあとから明るみに出る実態に窺えるように、

虐待被害者は、あんなこと、こんなこと、
生きていくうえで、しかたなく、記憶の片隅に追いやり、忘れかけていたことも、キッカケさえ あれば、いくらでも思い出すよ。

でも、思い出せば、そのたびに、エネルギーを多大に消耗するし、
がんばって言えば言うほど、鬱陶しがられるから、口を噤んでしまう。
そうして、やがて ほんとうに、澱のように、手を伸ばしても掴み出せない底のほうへ沈殿していってしまう。


 

 

ところで、

私が、こんな事情を知っていたら、
ましてや近所に住んでる者なら、知らん顔や放置は できない。

事情を知っていたという、この近所の人たちの気が知れないと呆れたのは、

こないだ、静岡県の どこかで、ガスも電気も止められ、焚火で しのごうとしていた家から火事を出し、そこの住人の高齢者が死亡したのみならず、近所の何軒かも、もらい火したというニュースが あったね。

 

よくまあ、放っておけたもんだわな。。。

そりゃ、もらい火するだろうよ。

 

 

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Updated   
2019.02.07 (Thu)

千葉県野田市の小学4年生の事件についての続き。

 

少なくとも人並みの家庭で育ち、人並みに順調に学校を出て、公務員にでもなった人たちは、概ね、深刻な苦労は、あまり していないからこそ、まずまず順調な来歴で やってこれたことだろうし、

それだけに、異様なほどの家庭環境その内部の闇とか、異常なほどの心理を持つ人間の、浅ましさ剥き出しの姿というものは、おいそれと想像できないだろうと察する。

 

うちの場合はね、むしろ、母親のほうが、もの凄く気性が激しかった。

本当の内面は、そうでは なかった、子どもの頃から言い知れぬ寂しさを押し込めて生きていたのだということに、私も、本人の死後になってから、察しが ついたのだけれど。

 

学校時分は、母親も父親も、せっかくの好成績だったのに、それぞれの実家の親の身勝手ゆえ、進学を阻止されて、低学歴だったが、
もともと、「無能」ではない。

なにしろ、母親は、しろうとながら、得意の料理の腕を生かして、自分の店を経営していたくらいだ。

 

それだけに、猛烈に口も達者で、人に取り入るようなことも得意だが、
同時に、敵に回すと、そりゃあもう、舌鋒鋭いなんてレベルじゃない。
「唇からナイフ」てな感じw

だから、手が出るんだ!と、激昂する親父の言い分。

 

ちょっと黙ってて!!と、あいだに入った私が諌めても、機関銃のような口が止まらない、そんな母親を庇って、身代わり状態で、親父にボコられていた私の場合よりも、もっともっと深刻な状態だった人々も、世のなかには いるわけだけれど、

自分自身の身をもって経験したことが、多少なりに あると ないとでは、想像力の幅が全然、違うのだろう。

 

これは、一般的に、公務員といった職業の人たちだけでは なく、
要するに、家庭や生育上の環境における特段の問題や躓きを経験することなく、順調に年齢を重ねてこれた人たち全般に共通で、その方面の想像力が希薄であること。

したがって、暴力や暴力的な人間に対しても、けっして慣れては いないだろう。

だから、
こうした事態に直面すると、たちまち、震えあがって、思考停止よろしく、反射的なまでに ひれ伏してしまう。

 

割合としては、ごく僅かであるにも かかわらず、昨今、頻りにブチあげられる「生活保護の不正受給」云々という話題だって同様で、昔から、多くは暴力団関係者に屈してしまうからだという話は知られていた。

 

いまや、その公務員が、不正受給を はたらいていた事件が幾つも世に出るしまつ。

 

強い者には弱く、弱い者には強く。。。

 

言っとくけど、

ほんとうに、「あすは我が身」の時代に入ったんだよ?

老後の年金の受取額が心細い向きは特にだ。特に、いま若い層に入る人。

年金だけでは生活していけない場合、不足分を生活保護で補填してもらう方法は ある。役所は、積極的な周知は決してしないけどねw

そのような状況に、自分自身が直面したとき、

安倍政権による、ただ今 絶賛削減中の生活保護、そして障碍者、高齢者、あらゆる弱者をバッシングする投稿を繰り返してきたものの、ふと、気づけば、すっかり老齢になっている自分。
からだは自由が利かず、いま現在とは違って、やがて減少を始めた高齢層の一員に、知らず知らず加わって、どんどん無力になっていた自分。

過去に、ネットで、愚かな投稿を繰り返していた自分を嘆く日が遠からず来ることだろう。

 

 

ちなみに、

先日の当ブログ エントリー内で述べてある「異常なほどに仕事できない『健常者』は、カクレ精神的問題者だった」、つまりは異常なほどの自己保身者である当人自身の家庭環境には特に問題なく、ご両親は、出来が悪すぎる娘の将来を案じ、いろいろと手立てを講じてこられた、真面目で優しい親だ。

うちの親みたいに、軽からぬ障碍を抱えて苦労している娘を、他人事のように無関心で、最後まで無視しきった無責任とは全く違う。

 

にもかかわらず、

当人は、かなりのヒネクレ者だったし、親しくなって、私の家庭環境のことを知ったとき、

「あんたとこの家って、なんで そんなんなの?」

と、嘲笑の表情をハッキリと浮かべて見下してきた。

そういうこともあって、私は、彼女の正体を見極め、見限ったのだけど。

 

 

なお ちなみに、

実家の兄は腹違いで、私とは、年齢も立場も心理も大きく異なっていた面は あるけれど、もちろん、お互い、同じ父親の子として、同じ屋根の下で生活した時代が あったわけだから、家庭環境が劣悪だったことは知り尽くしている。

だが、
うちの母親も、親父とは また違った意味での、たいへんな見栄っ張りだったから、その見栄っ張りを、あたかも正義に見せかけて、兄の尻を徹底的に叩き、なかば強引に、教職公務員のレールに乗せた。

 

まあ、それ自体は、あの兄の性格から言って、とうてい、民間の企業向きでは なかったし、ちょっと普通では ないような偏った気質も見受けられたから(しかも、知能指数も高くは なかった。私のIQよりも、ずーっと下)、公務員のように、簡単には辞めさせられない、堅い職業に就けておくのは、親として希求する安心でも あった。

 

たしかに、おかげで、兄は、私の何倍も、安定した良い生活を手にしていた。

近場に住みながら、鬱陶しい親の介護も、一切、関わろうとしなかった。

 

しかし、いつの間にか、鬱病になっていたそうで、やがて自殺してしまった。

私の母親の、凄まじい「教育ママゴン」ぶりも、結局は水の泡と終わった。

 

 

精神医学やら心理学方面のセンセイがたが、いっしょうけんめい説いてきたことが功を奏してか、そのへんのドしろうとたちも、喧伝に これ努めるようになった近頃だが、

「虐待の連鎖」ということも、
該当する場合のほうが多いのだろうなとは思うけれど、必ず当てはまるわけでは ないよ。本人の資質によって左右されることも少なくないだろう。

 

 

こないだは、久しぶりに、心理学の碓井先生のコメントを見かけたが、

「思い悩まない親」は要注意とかいう内容の指摘、これは確かなことだと思う。

 

うちの親も、何から来る自信なのか知らないが、ものすんごい確信的な言動を押し出してくる親だった。

なので、

「信念!」「信念が大事」と、やたら主張する人は、私にとっては鬱陶しい人種w

 

これも、私は早くから気づいていたことだが、

異様な自信マンマンで押しまくる、「勢い」が強過ぎる人ってのは、世間でも一目置かれていたりすることも多いだろうけど、

ずばり言わせてもらうと、一種の精神異常者です。
一歩違えば犯罪者タイプ。

かかわると、とんでもなく しんどい思いさせられるぞ。

見た感じは、頭の回転が速いシッカリ者としか見えないから、タチが悪い。

 

今回の事件の加害者である父親も、その やりくちは、まさに、「自己愛性人格障害」を思わせる。

 

 

「異様なほど、腰が低かった」とか外面が良い、といった指摘が、友人や知人のあいだから出ているそうだが、うちの両親にも、当てはまっていた。

その反面、

ひとたび、相手を「敵」と見做したとたん、猛烈な反撃に出るけどね。

ただし、あくまでも、自分のほうが立場が強い、と思えるかぎりで、だけどw

 

 

まあ、「腰が低すぎる」というのは、とりもなおさず、自分自身の内面に、常々、敵意や不安が潜んでいるからこそ、やたら用心深くしていることの一環なのかもしれないし、

外面を良くし続けていたら、ストレスも溜まるんだろう。

 

私なんかでも、親ですらも含めた他者の敵意や悪意に晒されることは、これまでの人生で、いくらでも あったけど、
そこまで、そこまで徹底できないや。。。

 

つまるところは、「自己投影」なんです。

 

うちの母親は、私が幼いうちから、
「おまえは妬まれやすい」
と、何かにつけて言ってたけど、私は、なんで、そういうことをワザワザ言って寄こすのか、わからなかった。

おせじにも人並みとは言い難い、家庭環境にせよ、障碍にせよ、ねたまれるどころか、バカにされるネタのほうが、ずっと多いのだからね。

 

要するに、うちの母親が、自分自身が、娘である私を妬んでたってことだ。

いまにして思うと、「呪い」のコトバだわな、あれは。

 

そんな私は、深刻な持病の多かった母親を、親父の暴力から庇い、その分、自分が殴られていたが、そのほうが、まだしも精神的に耐えられたからだ。

 

 

それにしても、

私は、いまのところ、まだ詳しい情報に接していないのだが、

いったい、この事件の被害者である実の娘の何が、父親らは、そこまで憎かったのだろうか。

 

「しつけだったのだから、悪いことは していない」と言い張っているそうだが、その「しつけ」とやらを必要とした理由って、どれほどのものだったというのか。

 

 

くだんの事件の少女の母親は、自分の娘を直接的に虐待していたという事例は、それほど多くなさそうだし、もともと、娘のことを、どうでもいいと思っていたのでもないだろう。

むしろ逆では なかろうか、と私は思っていたのだが。

というのは、

大事に、大切に思っているものが、酷いめに遭わされ、壊されていく。
それを目撃しても、どうすることもできない非力な、非力な自分。

こうなると、見たくないからこそ、眼を背けるばかりで、徐々に無気力に陥ってしまうのだ。

 

それどころか、

やられっぱなしである娘、そして、不甲斐ない自分自身も、みょうな憎悪の対象になってしまうという、非常に複雑怪奇で、自暴自棄的な心理にさえ陥る。

これは怖ろしい事態である。

少しでも免れるためには、正気を保ち、諦めずに抵抗し続け、闘い続けるしかないのだ。

それが できなくなった時点で、終わってしまう。

 

【続く】

 

 

Updated   
2019.02.07 (Thu)

絶望と孤独のなかで 死んでいった子どもが、また一人。。。

 

当ブログでは以前も言ったことだけど、

「ヤフゴミん」らのなかで特に目につくアホな主張が、

やれ「親を選んで生まれてきた」とか、

やれ「次に生まれてきたときは」とか、さも見てきたようなことを言う。

しょーーーもないのも通り越して、ひたすら愚かなコメント。

こんなだから、デマも平気で こくわけよ。

 

親を選んで、って、

じゃあ、そう言うオマエさんは、選んで生まれてきた覚えが、カケラでも あるのか?

おめえみたいな愚物が、たまたま、なんとか人並みの生活できてる、
いまのとこは「まあ、運が良かった」というだけのこと。

えらそうに、他人の人生を、そんな単純に片付けられるもんじゃない。

 

あるいは、人並み以下の苦しい生活環境を余儀なくされていたりしたら、それでも、すべてが自己責任、自己判断の結果です、と潔く言えるか?たぶん、そうは できまいよ。

 

それに、自分自身が子どもを持つ側の者が、「子どものほうが、親を選んで生まれてきた」なんてな、ごつごう剥き出しの、それこそ無責任な戯言をホザくな。emoji

見てて不愉快極まる。

 

うちの親だったら、

「そうそう!自分たちのところが良いからこそ、おまえは選んで生まれてきたんだ」

と、さっそくウヌボレの材料にするのは、火を見るより明らかだ。

 

もっとも、そういう親ら自身、じゃあ、自分も、生まれるところを選んだのか?と問われると、それは猛然と否定するはずw

そんなもんなんだよ。

 

基本的に、親というのは、身勝手で脳天気だからこそ、ほいほいと、子を産み落とす。それが現実。

だからこそ、子を負い、責任を負い、子育てによって成長し、人間として成熟しなければ ならないとされる。

未熟だからこそだ。そうじゃないか。

 

甘ちゃんだからこそ、「すべては自己責任」とか、「次は」などと、あたかも「リセット」可能と思えるんだ。

こういう感覚だと、そりゃあ、他人事、他人まかせにしてしまうわな。

 

呆れた脳天気だよ。

ま、そういう脳天気のウヌボレやでなければ、安易に子どもを つくることは できないはずなんだけどね、人間としての知性が備わっているのならば。

 

いいですか。

命は、一回コッキリです。

代えは ない

 

だから、取り返しが つかないの。

厳しいもんだよ。

 

 

私自身も、家庭内暴力や虐待被害の当事者だったので、年齢を重ねるにつれて、ますます、この類の事件を見聞すると、ほぼ反射的、と言えるくらいに、気分がダウンする傾向が あるので、すぐ反応して、ブログとかに、自分なりの見解を書き込む意欲すら、ここ年々、起きにくいようになっていってるのだが、

例の「ヤフゴミん」らのコメントを見ていると、やっぱり、ここの連中の多くは、わかってない、わからない連中なんだと感じる投稿が多過ぎるほど多いので
(障碍者の問題にせよ、生活保護の問題にせよ、政治や社会一般についての問題にせよ、何でも その傾向。よくも まあ、こんな無知かつ下劣なコメントを、恥ずかしげのカケラもなく投稿できるもんだよ、いくら匿名でも。)
特に、自分自身で、実態というものを経験していないと、なかなか理解し難いのだろうなと思えることについて触れておく。

 

 

まず、
今回の事件で断定することは避けたいものの、やっぱりなあと感じざるを得なかったのは、お役所の、公務員さんの、「事なかれ体質」「他人事で済ませたい性質」といった、昔からの定番の批判。

これは、障碍者自身や、支援等の関係で、障碍者と関わっている人たちの大多数が、よーく知っていることだ。

 

原因は「人手不足」?なぜ、そうなる?

政治や政策、行政の ありようは無関係か?

 

言わば「内部告発」の かたちを とらざるを得なかった、抵抗が困難な者を守らず、逆に突き出す結果になってしまったような、アンケートのコピーを渡した行為に、「人手不足」を理由には、決して できまい。

 

中途半端な行為が、かえって、事態を悪化させることは ままある。

 

私が受けた印象は、今回も、「しょせん、苦労知らずには分かるまいさ」ということ。

政治屋や公務員らが、苦労知らずのオボッチャンお嬢ちゃんのまま、いっちょまえの肩書き付けた「おとなモドキ」だと、庶民は苦労する。その端的な現れが、こういう場面にも噴き出してくるのさ。

 

 

私が小学生の、ちょうど、この事件の被害者である少女と同年齢の頃、当時の担任は、大学卒業したばかりの新米の女性教師で、子どもから見ても、見るからに若い お嬢さんタイプで、地元の旧家育ちという話は、子どもたちの耳にも入って来ていて、

当時、うちでは、母親が経営する飲食店の閉店後に、交通事故に遭い、長期入院中だったのだが、クリスマスから年末の季節となり、私は、母親の見舞いの帰りだったかに、幾ばくかの小遣いを もらったので、駅前の目抜き通りの商店街を散策中、この担任教師とバッタリ遭遇したことが あった。

 

「あらぁ、○○さん」と一言二言、短いコトバを かわしているあいだ、にこやかに、こちらを見ていた、彼女の母親らしき、品の良さげな中年女性と連れ立っていて、二人で買い物を楽しんでいるところだったようだ。

先生は、上質で温かそうなコートに身を包み、とても幸せそうだった。

 

子どもだった私の目にも、何不自由なさそうな母子連れで、「先生って、ほんとに、お嬢さんなんだ」と感じたものだ。

 

さて、その頃に、クラスでイジメられっ子の一人と見做されていた立場の男の子が、どういうわけだか、いきなり、学級委員に選出されたことが あった。

ふつう、学級委員というのは、昔も、いまでも、まずは優等生で、リーダーシップが ありそうな子が選ばれるのが相場だと思うけど、

私も、あれれ?と思ったものの、要するに、こういうことも、イジメのネタになり得るからなんだな、ということは察した。

一部の男子らが、やんやと囃し立てていたことからも、それを確信した。

選ばれた当人は、あきらかに当惑していた。

 

案の定、
それから ほどなくして、何かの問題が もちあがったときに、その男子は、学級委員でありながら!とて、教壇に一人立たされ、クラスじゅうの総攻撃を一身に受けるハメになった。

 

そのとき、あのクラス担任は、どうしていたかっつうと、
どこか薄笑いを受かべて、他人事のように眺めているばかり。

私は、その光景を黙って見ているうちに、とうとう、たまらなくなって、挙手して発言した。

 

「わたしたちクラスのほうにも、○○クンを学級委員に選んだ責任は あるし、○○クンを責めるだけでいいとは思えません」とね。

もっとも、私自身は、その男子を学級委員に選んでいたわけじゃないよ。

 

で、担任の先生は、私の発言を受けて、こう言ったの。

「それは そうやね」

それだけ言って、にやにや笑っていた。。。

 

 

その後、学年が上がって、担任も変わったおり、その女教師は、同時に退職したという話を聞いた。

教師を続ける自信が ない、と。

なんでも、そもそもは、校長先生あたりのコネが あったらしいのだが、たった2年ほどの教員生活に懲りて、以後は、花嫁修業に邁進します、ということだったそうな。

 

 

この時代、日本は高度成長期の花盛りと言っていい時世、公害問題が もっぱらというくらいで、いまどきのような複雑かつ深刻な心理的問題、「貧困の連鎖」だの「暴力の連鎖」だのといった問題は、あまり、浮上しては いなかった印象が、いま振り返ってみても残っている。
もちろん、実際は、いろいろと あったに違いないけど。

 

まあ、うちに関しては、いまどきなら、それこそ児相からの偵察が来てもフシギじゃない環境だったことは、先日のエントリーで言ったとおりだけど。

なにしろ、「心理学」というコトバすら、うちの無教養な親なんかは、知らなかったろうし、ましてや、

子どもが、「DV」すなわち両親のあいだで繰り広げる暴力行為を目撃しただけでも、虐待に該当するなんて知見は皆無だったと思う。

ええ、委縮してるかもね、私の脳もw

 

 

つくづく、融通が利かないんだなー公務員さんというのは、とも思った。

その、どうしようもない融通の利かなさの原因は、私が、ここで先述したことも、要因の一つだろうし、それこそが、役所の特徴的な体質なのだろう。

 

「判で押したような」

「杓子定規」

「杓子定規」というものは、不公平や不合理を生む。

 

【続く】

 

 

Updated   
2019.02.07 (Thu)

新元号に「和」の字が人気?

やめときなはれw

 

この年末・年始に:祈りますw

 

『平成』で、名前負けの恐ろしさというものを実感しただろうにw

『昭』だって、やっぱり、名前負けの面が大だったろww

 

次の元号に「和」の字なんぞ入れてしまったら、ただでさえ、再びのキナ臭さ漂う国内外情勢だ、ほんとうに、戦争が勃発しちゃうかもよ?

まあ「ネトウヨ」と、そのミコシを任じているていのアベシらは、そうなってほしいと願っているらしいがねww

 

子どもや孫に、「お国のためだ、死んで来い」などと、口が裂けても言いたくない、言えない人たちは、そんな事態に陥らないよう、シッカリがんばんなさい。

わたしゃ、子も孫も いないから、他人事みたいに言ってスマンけどね。

 

 

ところで、
この3日は『節分』ということで、半額になってた「恵方巻」を食しました。

思うに、私が子どもだった頃、もちろん、それはン十年も前の時代だが、「豆撒き」の季節行事は、一般家庭においても比較的に残っていたので、夜ともなると、じゃあ~始めるか、と、窓を開ければ、寒風に紛れて、ご近所の家々が建ち並ぶ向こうのほうから、

「鬼はぁ外ぉ」

「福はぁ内ぃ」

という掛け声が、途切れ途切れに聞こえてきたものだ。

 

大きな声で、戸外に向かい叫ぶのも、なんとは なしに気恥ずかしい感じが あるもので、
実家では、幼いうちは私が言わされていたが、その私自身も、お年頃に さしかかったあたりで、兄が在宅しているときは、もっぱら、兄に言わせていた。

 

こういったことも あるゆえに、特に都市部の密集した住宅街や集合住宅などで、にぎやかしく豆撒きや「鬼やらい」という風習が薄れていき、
かわって台頭してきたかのような、一般家庭における新しい風習が、
「恵方巻」
ということなのかもしれないと思う昨今。

 

もっとも、この風習自体は昔から、いわゆる花柳界にて行なわれてきたものだとは聞いているが、
なんせ、「歳の恵方」を向いたら、あとは黙りこくったまま、
黒々とした海苔に覆われた、太く長いソレを、ひたすらに咥えて食べきるべしというんでしょ?
「ひいきの旦那の訪れを、今夜も切に願いつつ。。。」

じつは、かなりキワドイ意味を持つものであるという(苦笑)

なので、

じゃあ、男性が、「恵方巻」を、って、どうなの??という疑問を、旧ブログで書いたことがw

 

近頃では、「恵方巻スイーツ」と称し、太く長いロールケーキ状のデザートなんかも出てきてるが、いくらなんでも、これを、ひたすら黙ったまま、イッキに食べきるのは、そうとうの甘党でなければムリだろと思う。

もっとも、買ったことは ある()

 

 

友人・知人の誰かが言っていたかと憶えているのだが、
この、拍子を つけた掛け声を出すのが照れくさいからとて、
小声で、いたって普通に しゃべるときのように、「鬼は外、福は内」と、
あくまで淡々と言って済ませるとかいう人も いたが(もしかしたら、私自身だったか?笑)

ちょっと似た話で、

むかしの実家が特に親しくしていた隣家のオジサン、お正月の朝、うちへ出向いて来て、ひとしきり、あらたまった姿勢で、新年の挨拶の口上を述べるのが、なんだか照れくさいなあと おっしゃったところ、そこんちの娘さん(私は、おねえちゃんと呼んでた)が、

「ほんなら、玄関あけて一言だけ、『謹賀新年!』と言うて帰って来たら いい」

と答えたというので、皆でフキ出したことを思い出す。

 

来客:

「謹賀新年!」emoji

あるじ:

「臥薪嘗胆!」m(_ _)m

()

 

まあ、いまどきは、「あけおめ」で済ませたりもするけどなw

 

 

ああ、そうだ、辻元さんの「外国人献金」発覚について少々。

以前、前原さんの辞任騒ぎにまでなったことは、記憶に古くないね。

それなのに、またぞろだそうな。

いずれも、元『民主党』で、現在、党の要職に就いていて、やっぱり在日韓国人から、というパターン。

 

実のところ、自民党支持者には、昔から、在日韓国人・朝鮮人も多いそうなので、

あれかねー、わざとかねえ?www

 

そうではないのなら、どんだけ学習能力ないんだろ、在日韓国・朝鮮人ってのは。。。()

しかも、今回の献金者は、焼肉屋のオバちゃんでもなくて、
なんと、弁護士だってさw

まあ、弁護士と言えど、もの知らずも多いのは知ってるけどww

 

 

さて、半額でゲットした「恵方巻」を食しつつ、
「豆撒き」のこと、その掛け声のことを思い出していた。

胸のうちで唱えながら、おいしく いただきました、ええ、このように。

 

「あべは~外!!福は~内!!」

あべは~外!!emojiemoji

 

 

Updated   
2019.01.28 (Mon)

先日、youtubeで検索していて、たまたま、『アンコール トム』の猿たちの動画にハマってたという話を述べたけれど、


この年末・年始に:人は、獣に まさるところなしw

人類とルーツを共にしているというだけあって、本来の人間社会の原型を見たというべき、勉強になった面は大いに あるものの、

そのうちに、いろいろと、問題が潜んでいることに気づいた。

 

たとえば、『アンコール トム』の猿たちに密着するように撮影し続けることが、猿たちにとって、ストレスになっているということは、当初から察していたが、

「レスキュー」と称し、瀕死の子猿を連れ出し、獣医に診察・治療させた、ということも、じつは、あれは獣医なんかでは ない、という指摘が、コメント欄に散見された。

ほんとうのところ、一般の視聴者には、ハッキリとは見分けられないことが多い。

 

それ以上に、私自身も気づいたのは、

Youtubeが、いまや、貧乏人のカネ儲けのツールともなっていること。

 

あらゆる種類の猿の乳児が、生まれて間もなくから、母親と引き離され、ペットとして入手した人間たちの、まさにyoutubeネタとして利用されているということ。

 

 

いくつか閲覧していて、私も胸が痛む思いを した。

人間の手のひらよりも小さな子猿が、本来の彼らの生活習慣に ない、
たとえば、からだを洗われたりすること。
人家のなかで飼う以上、あるていどは、人間の衛生的習慣を押しつけることになっても しかたないのかもしれないが、

それにしても、人間用のシャンプーやソープを、じかに子猿の からだにゴシゴシ擦りつけ、せめて、最後にはキレイな温湯で すすいでやるなら ともかく、

盥なり流し台なりに溜めた湯や水に全身を浸からせたまま、シャンプーやソープの汚れた泡が浮かんでいる、その湯や水を、抵抗する子猿の頭からビチャビチャぴちゃぴちゃ、しつこ~く、いつまでも かけまくって、目や口に入ってるのも構わず、

結局、激しく抵抗し続ける子猿を持て余してか、すすぎ流してやることも全く せずに、汚れた泡が付着したまま、これまたボロッボロの汚らしい布で強く拭きまくって、おわりにしていたり。

 

たまたま、おとなしい性質の子猿だった場合、厭なのを堪え、じっとしているとなると、それこそ延々、浸からせたままの状態で、撮影している、いつまでも。

ねっ、可愛いでしょー?と言わんばかりのバカな撮影者。

 

 

不安やストレスに晒されたあとは、本能的に、母猿に抱きついて、からだを温め、母猿の乳首に吸い付くことで安心と癒しを得るのだろうに、

なぜ、こんな乱暴・狼藉を されるのかサッパリ理解できない乳児の子猿は、さんざん、からだを弄り回されたあげく、湿ったボロ布の上に放置され、しかたなさそうに、自分の小さな指を吸いつつ、がっくりと うなだれて、そのまま眠ってしまった。それは それは、哀しそうな顔を して。

 

 

ミルクを飲ませるとなったら、これが また、小さな子猿の口に おさまりきれないほど乳首の大き過ぎる哺乳瓶で、子猿は、見るからに、顎がダルそう。。。

 

 

せめて、できるだけ、猿なら猿に適した飼育方法を わきまえているなら まだしも、

なかには、毎日、とっかえひっかえで、人間みたいな服を着せ、からだを洗い、人間の子ども用の、小さな子猿には大き過ぎる歯ブラシで、乱暴に「歯磨き」もどきを やって、

しかも、その子猿の場合、生後まもなくして徹底的に しつけられてきたのか、あらゆる無理なことを強制されていても、ほとんど抵抗せずに、諦めた哀しげな顔を しているのも お構いなく、図に乗った飼い主は、せわしなく指図し、強制し、その間ずっと、耳障りなカン高い声で、やかましく しゃべり続けるので、その中国語じたいが、大キライになりそうになった。いかにも成金趣味まる出しの中国人らしき女性だった。

 

最近、金持ちになった中国人だけじゃない。

インドネシアとか、東南アジアの どこかと思しい、見るからに貧しい人々も、生後間もないと見受ける子猿を入手し、自覚もないのか、さも可愛がってるふりで、虐待しとる。

 

なんでかというと、

カネ儲けなのよ、スマホとyoutube使って。

 

 

何年か前に、
インドで、住居にトイレが ないから、線路沿いの原っぱみたいな場所に出て排泄するしかなく、
特に女性は、襲われる危険に怯えながら用を足す、そんな生活状態の人々のあいだにも、スマホが普及しているという記事を読んで、呆れてしまったことが あった。

 

 

まあ、誰が、一番トクしているのか。

そして、

その結果、誰が最も苦しむことになってるのか、っつうことだわ。

 

 

あのテの動画を見ていたら、つくづく、人間どもに大バチが当たらないでは済まされまい、と言う憤りを感じざるを得ない。

なので、私は、もう二度と、このテの動画は見ないことにしました。