2019.02.14 (Thu)
『「生まれぬが幸せ」』の続き。
かく言う私、
若い頃、『ウパニシャッド』に興味と共感を持ったことも あった。
ぶっちゃけ言うと、
いわゆる「カルマ」が どうこうといったことについて、頷ける気持ちが全く ないでは ないのよ。
だって、
それこそ、「生まれることを自ら選んだ」覚えはサラサラないけれど、
敢えて言えば、
親でもない、それとは全く別の、正体不明の存在に、
「ほーれ、あの愚かもん夫婦のとこへ、生まれに行ってやらんかーい!!早う行けー!早う行けーー!!そりゃーーー!!!」
蹴っ飛ばされて、泣く泣く、生まれさせられた、
ような感覚なら、なんとなく ある。。。(苦笑)
とは言っても、
私は、泣き声を あげるどころか、黙ったまま、
ほとんど死んでる状態で産み落とされた。
放っておいてくれたら、ほどなくして、きげん良く?死んでいったはず。
ほんと、リーヴ ミー アローンですわ。
そのまま死なせてほしかった。。。
しぶしぶ、生まれさせられたというか、蘇生させられてしまったのよw
とほほ。
おかげで、
最後の最後まで、あの愚物夫婦に つきあわされてしまった。
腹のなかに居るあいだにも、無知で愚かもんの不倫妊婦である母親に虐待されてる状態だったんでね。
酒責め、予定日が、とーっくに過ぎていても完全無視、
そのあげくが、
胎盤ズル剥け剥離で、栄養どころか、酸欠状態に晒されていたんだから。
体力なく、虚弱、おつむの回転ぐあいは常に、ぼーーーと停滞状態なのも、極限に置かれていた胎児時代と、続く大難産の悪影響が終生、つきまとっていたゆえだろう。
うちの親らは、特に母親は、父親と、その連れ子に対する強烈な不満から、
「出来損ない」だの「おまえなんか産むんじゃなかった、おまえのせいで、おかあさんは損してる!」
などと、罵倒し続けた。
すべてを見届けた いまなら、私は言えるよ。
「オマエさんらの、少なくとも、晩年、老後は、誰の おかげだと思ってるんだ?あーん?
」
とね。
それを言っても しょうがない、それならば、そっちも、
「おまえなんか産むんじゃなかった、わたしは損してる」
などと、下劣なセリフをホザクな、ってことよ。
こちとら頼んだ覚えは ねえよ、と言いたくもなるわいな。
親子が逆転していて、母親を常に心配していたのは、娘である私のほうだった。
親父の暴行から庇い、あらゆる人からの抗議やイヤミにも、本人の知らないところで、私が謝罪していた。
さてさて、
人間は、「本能を逸脱」していると言われるほど、知能が発達してるだけに、いろいろと余計な、どうかしたら邪まな計算も入り込んでくるのよね。
子どもを産むことにも、「エゴ」が入ってき易いわけ。
たとえば、昔なら、
「最低でも、墓守を継ぐ者が絶対に必要だったんだ。だから、好きでもない相手と結婚せざるを得ないことも多かったし、子どもが できないというのは、大きな問題だった」
とは、
まさに、子どもが できない伯母の家に養子として連れ込まれた、実家の親父から聞いた話。
(せっかく、大金持ちの家に生まれたのに、田舎の貧乏人に、もぎ取られるように連れて行かれて、かえって迷惑な事態になったんでねw)
「跡取りが必要」とか、
「子どもが できたと迫れば、彼が結婚してくれるかも」とか「子どもを孕ませたら、俺のものになるかも」とか。
子どもを幸せにしたい、では なくて、
ほんとうは、自分が幸せになるためにと期待して産むんだ。ほとんどの者は そうじゃないかね?
もっとも、子どもによって幸せになれたよと思えるなら、それは それで、結構なことなんだろう。
「単に(子どもを)欲しかったから」という単純な理由は、最も素朴な理由だわね。
むしろ、それくらいのほうが好ましいのよ。
結婚でも何でも そう。
うちの親みたいに、あれやコレや、邪念と欲望を下地に、狡猾な計算を巡らして、というよりは、ずっと。
目的を持って、いろいろと事前に目論むタイプは、わたしゃ、鬱陶しい。不自然さが鼻についてしまう。
ただね、
「エゴ」で産む、ってのは、猿のように、人間と似た社会形態を持つ動物にも、多少は見受けられるようだ。なぜなら、
この あとのエントリーで再び取りあげるつもりだが、
子どもを多く持つこと、子育て経験が豊富であること、というのは、オス猿の生殖相手に選ばれやすい、すなわち、雌猿にとって、一種の「ステイタス」を得られる手段でも あるようだから。
母猿が、死んだ子猿の死体を、いつまでも未練がましく、それこそ干からびてる状態になっても連れ歩くのは、そのことにも関係していそうに思える。
次回のエントリーでも、例の『アンコール トム』で、社会生活を営んでいる猿たちの動画を幾つかピックアップする予定。
眼を背けたくなるような場面も あるけれど、
ヒト族の社会の原始を目撃しているかのような、とても興味深いものなので、ぜひ、見てみて、そして、考察してみて。
…
殺人であろうが何だろうが、それを行えたということは、可能だったからだ。
「この世」が許しているから、それを行える。
そこで、これも哲学的テーマとして取りあげられるのが、
「人を殺して、なぜ悪い?」。
しかし、それじゃあ、おのおの剣呑で困るんで、知性と理性が発達しているはずの人間は、あらゆるルールや法律をワンサカこしらえて、お互いに、身を守ろうとする。
そこからハミ出たら、または、バレたら、罰される。
それが、人間の歴史と社会。
「それを言っちゃあ始まらねえよ」としか言いようのない、くだんの訴えを掲げた男性の御両親ともに弁護士ということなので、
それで、裁判所を、言わば、親子ディベートの場にしちゃえ、というアイディアでも出たのかしらと思ったんだけど、
息子さんは、じきに30歳代に手が届く年齢、そのトシで、いまさら「論理的思考育成」も ないわいなw
【続く】
2019.02.14 (Thu)
というのは、おシャカさまのコトバじゃなかったかと思ってたんだが、検索しても出てこないので、記憶違いかもしれない。
でも、ショーペンハウエルあたりが、とか言うけれど、錚々たる西洋哲学の大家たちよりも、ずーっと昔に、そういうことを喝破したのは、やはり、お釈迦さまだろうと思う。
とは言え、王子時代の彼は、すでに自分の子が いて、その後に出家したそうだけれど。
お釈迦さまと言えば、「悟り」。
ほんとうに悟りを開いたとなれば、以降、生まれようが生まれまいが、いっさい、頓着しなくなりそうなもんだがね。
生まれるも良し、生まれぬも良し、と鷹揚にw
「神」なるものを希求するのも、人間ゆえだ。
人間は、他の生物と比べ、知性が非常に発達しているので、意味のないものには耐えがたい。
快楽に理由は なくても よかろうが、
苦痛を伴っていれば、理不尽さや無意味さには耐えられないからだ。
およそ宗教というものは、源を、肉体ゆえの煩悩に発する。
だから、
大概、どの宗教の戒律を見ても、
「肉体の超克」
を目指すようなものが多い。
肉体こそが、この世を「苦」ならしめているからだ。
もちろん、そこへ、快楽というものも多少なりは加わるのだが、
圧倒的に、「苦」の存在が大きい。
「生まれるの、やめときまっさ」
と流れていった胎児の話は、芥川の『河童』に登場するんだっけ?
『「本人の同意なしになぜ生んだ?」インドの男性が両親を告訴へ』
2/7(木) 17:26配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190207-00010006-huffpost-int
うん、まさに好事家的というか、高等遊民的な、そしてナンセンスな提案では あるだろうけれどもw
これってのは、永遠の哲学的テーマとしての典型よね(笑)
ほとんどの人は、若い頃に、一度は考えたことあるんじゃないの?
あるいは、この「自分」とは何か?とね。
まあ、これに関しては、イタリアか どこかの学者さんが提唱したらしいが、ある一個の肉体の内側を通して見たり、聞いたり、触れたりなどすることによって、これが自分で、自分そのものである、というふうな感覚が できあがっていく、という説が、私は、もっともだと思う。
ある意味、「自我」って、その程度なんだ。
脳という、肉体の一部をチョチョッと弄っただけで、記憶・性格・気質までもがコロッと変わってしまうそうだし。
このことは、いつぞやのエントリーでも少々触れたけど、
「リサイクル」。
少なくとも、「この世界」では、おそらく、すべてが物質ゆえのことなのだ。
もちろん、肉体も、そこから生じる心の動きも、この物質世界ゆえの現象に含まれる。
さて、この記事に付いた「主コメ」の一つには、そして、諸手を挙げて賛同している大量の「従コメ」にも、心底、呆れてしまった。
「同意ができると考えてるなら拒否もできるはず」
それは違うよおw
チミたち、はなはだズレてるよww
まったく分かってないね。やれやれ。
だって、
同意するも拒否するも ないじゃん。
そもそも、ハナから聞いても聞かれてもないんやがなw
ふつうに、われわれの日常生活のなかでも、基本的として心がけてると思うけど、
当事者本人の同意を得てもいないのに、勝手に実行するなー!
ってことでしょうよ、言いたいのは。
でも、それが罷り通っちゃうのよねー。
「本人の同意をー」云々とメクジラ立てるのは、
たとえば、「神」の存在を求めちゃう心情と同様、あくまでも人間ならではの、そして、その社会におけるものであって。
自然の摂理は、そんなことに お構いない。
「出物腫れ物ところ選ばず」ぢゃwww
およそ哲学の初歩レベルのショッパナから、外れてしまってる代表的な思考停止コメントを挙げてみると、
「無よりは有であるべきだ」なーんて断定しちゃってるコメント投稿者ねw
チミは、哲学的センスを持ち合わせていないのだから、こういう話題には参加しないほうが無難だわよww
根本的に、
なぜ、「無では いけないか」。
なぜ、「有のほうが良い、望ましいと言えるのか」。
ほれ、答えてみな?wほれほれww
哲学というものはね、何ごとも、徹底して根源・根本を考察するの。
あってアタリマエの感覚を大前提には しないのよ。
そこに、自力で気づけない人は、そもそも、自分は哲学的センスを備えていないんだと悟ったほうが いい。
まあ しかし、このように、
「同意を得ていなかった」こと、すなわち「拒否しなかった」ことにイコールであるとか、「同意が できると考えてるなら拒否も できるはず」とかいう、のっけからズレズレなコメには、「完璧な論破」と称賛の列だわ(嗤)
案の定で、見るからに「ネトウヨ」まる出しなプロフィール画像を掲げてるところを見ると、しょせん「ヤフゴミん」は、このレベル。ぜんっぜん、哲学方面の適性ゼロwわかってたけど、あらためて、ため息が出るww
無理して、こういう話題に参加し、滑稽なくらいにズレたコメント投稿するのは よして、気が狂いそうなほど大好きな「特ア」関連とかミリオタ向きの記事にでも飛びついてろよ、いつものようにw
あさはかが剥き出しになってる自覚もないんだから、哀れさえ もよおしてくるぞww
それとね、
「精子」も「卵子」も、おとっつあん、おっかさん、それぞれのカラダが持つ機能や生理反応の一部でしょ。
そこの「ヤフゴミん」ら、わかっとるかい?
なぜに、
おとっつあんの「精子」が、おっかさんの「卵子」目指して突進して行ったのは、まだ胎児にすらなってない、その時点では影も形も ありゃしない自分自身が突き進んで行ったからで、それ自体をもって「同意した」と見做せる、なーんて、えらく支離滅裂なことが言えるんだよ┐(^_^;)┌
父・母と自分の違いは分かるかね?
もしかして、同一視してるんかな?
「ネトウヨ」や「ウヨ」の特徴的思考回路だからなあ、自他の区別が曖昧模糊で、つい「同一視」してしまう傾向性が大というのはw
それと、
「ネトウヨ」らは、子どもを産むのは、愛国の義務!みたいに思ってるらしいから、そりゃあ、生まれることに文句を言うなんて、「不孝」で「不忠」で、けしからん非国民!と思うんだろうなw
まっ、「ヤフゴミ捨て場」は、いわゆる「ネトウヨ」系の巣窟、
こんな思考レベルの連中に、およそ哲学的考察なんざ、ハナッから無理ムリ!(ヾノ・∀・`)ムリムリてなもんだけどw
辛うじての救いは、せいぜいのところ一人か二人か三人くらいかな、
まずまずな解釈を してるのは、しかし、そのコメントには、青ポチわんさかw
もう亡くなられたが、生前は個性派で鳴らした、ある有名俳優さんは、
「子どもを産み落とすということは、この世にツバつけるようなものだ」
と おっしゃってたのを思い出す。
もう一つ、思い出すのは、
おとうさんが、たしか、黒人の米兵だという、(もと?)女子プロレスラーの何と言ったっけ、名前は失念してるけど、
彼女が思春期の頃だかに、イジメの原因になってたということで、
あるとき、おかあさんに向かって、なぜ勝手に産んだんだよ、と文句を言った。
すると、おかあさんは、
「ああ、勝手に産んだよ、それが どうした」
とピシャリ答えたんだと。
そのことを取りあげて、
むかし、例の『汚気・愚』で、「生まれぬが幸せ」についての質問投稿したことが ある。
あそこのサイトでは大概、何のつもりなのか、いきなり噛みつかんばかりの凶悪な回答者が出てくることが多々あるんだけど、
そのときも、おそらく、回答している自分自身が、親として忸怩たる状態に あるのか、または反抗期の子どもに手を焼いていたのか何か知らんが、
えらく無礼で屈折しまくったオッサンが、さっそく乗り込んで来て、さんざんヒステリックに八つ当たりの説教したいほうだいしていきよったことが あった。
口先で説教している内容と現実のあいだに、大きな乖離が あるんだね、ということが窺えるってもんです。
【続く】
2019.02.12 (Tue)
結局、言うに事欠いてか、
「ネトウヨ」あるいは安倍支持者らが必死こいて言い募ってた、「悪夢の『民主党政権』」というセリフを、とうとう、アベシ自身でも言い出したぞw
ということは、
そもそも、誰が言わせていたセリフなのかということがハッキリしたような感じだね(嗤)
この糾弾だけでは もの足りなかったと見える。
↓
「おまえが国難!」![]()
では、、、これでトドメだ。
「あんたが悪夢!!」![]()
![]()
2019.02.09 (Sat)
の続き。
それにしても、
『ビッグ イシュー』について検索かけてみたものの、
ほぼ全て、『ビッグ イシュー』本社のサイトがズラリ、
それ以外でも、『ビッグ イシュー』賛同的なものばかり。
日本では、こういう方面に無関心で無知な人が多いため、知名度も低いからなのかもしれないけれど、なんだか、ますます胡散臭さを感じてしまった。
常々指摘させてもらっているように、
『ヤフーコメント欄』は、有害性のほうが、だんぜん高い。
けれど、
「オーサー」つまり識者であるという衣装を着て、特別な登場ステージを設けた所へ出てきて、主張を展開する以上、
今回、藤田氏には、このたびのコメントを、よく振り返っていただき、今後は、このように甚だコトバ足りずというのか、軽薄な印象を持たざるを得ないような投稿は慎んでいただきたいと思った。
字数制限が ある場合は、特に慎重を期さなければ ならない。
ただでさえ読解力が低いうえに、無知蒙昧が大多数なのだから。
ここの常連投稿者の殆どは、自民党や、その政権、そこから旨みを得ているのであろうかと思わせるような連中が、
作話、
ナリスマシてデマゴギー、
複アカ、
「連打アプリ」、
ありとあらゆる不正手段でもって夥しい投稿を繰り返しているらしいことは、ちょっと見ていたら容易に察せられる。
しょせん、この程度のオツム、あさはかな精神性、それを実感させられるのが、『ヤフーコメント欄』の「ヤフゴミん」だ。
いちばん望ましいのは、
『ヤフー』側が、このコメント欄を廃止することなのだが、
なにしろ、「ページ ビュー」というカネ儲けの手段としての旨みの前には、社会的有害性なんぞ、気にもならないのだろう。
アキンドというものは、そうした根性ならではだ。
うちのブログも、基本的に、コメント欄を閉鎖し続けているけれど、
旧のブログでは、外部コメントを受け付けていて、
そのために、不愉快このうえない誹謗・中傷に晒され、
大変な労力を割き続けるハメになっていた。
それは、私が、コメント投稿者に対して、無責任に言わせっぱなしで放置せず、基本的には、可能なかぎり応じ続ける姿勢を貫いていたからでもあるが、
ハッキリ言って、生活妨害だ。
その多くの原因となったのは、当ブログのカテゴリー分けにも入れてある「カルト連」の問題。
やはり、『ヤフー』の経営者と同様に、もと在日朝鮮人が、あからさまなまでの『ヤフー』のパクり方針で経営している、
そこの経営者自身の、胡散臭さ まる出しなスピリチュアル臭ふんぷんとした「伝説」を、NHKにまで協力してもらって華々しく宣伝していた某サイト。
そこで遭遇したのが、あの連中。
当時の私には皆目不明だったのだが、
いまでは、その正体をハッキリ指摘できる。
もちろん、いわゆる「ネト(バカ)ウヨ」たちであり、
あるいは また、
売れないモノ書き・作家あたりが、思想信条以前の、生活費のためなのか、バイト代わりに引き受けて量産したコメントを、ネットじゅうにバラマキ続けてもいる。
そりゃ、コメント量産は お得意でしょうよ、いちおう「作家」を名乗るほどなんだから。
ねっ、「芸名」J・A氏?w
他にもいるけどね。某大学の助教とか、某化学系企業の社員とか。
大企業たる『ヤフー』の運営、そして、孫さんに対しても言い続けているのは、
管理責任を全うできないのなら、コメント欄を設けるべきでないし、
それは、なにも「検閲」しろと言っているのでは なくて、
無責任で浅慮極まる投稿を垂れ流す場のまま、デマまでも放置するようなことでは、「自由な発言の場」なんどでは あり得ず、
あきらかに、かの『2ちゃんねる』同様、
社会的有害性を齎している場でしかない、
ということだ。
これだから、カネ絡みでしか計算しない手合いはねえ。
さて、
生活保護制度を利用している場合は、働いて得た収入に、厳しい上限が設けられているのであるから、むしろ、生活保護制度を利用したうえで、たとえ数千円の低額しか得られなくても、「リハビリ」を兼ねてアルバイトに出るという かたちは、まあ、現行では合理的と言えるんだろうが、
それも、
きちんと栄養状態が満たされていて、生活の基本が回っていて、
そこからだ。やっと、外に出て、請け負った業務が人並みに遂行でき得るのは。
たかだか数千円の「自立」、それは、何を意味しているのだろうか。
「ホームレス」である人たちが、「身を入れたら」(???)生活保護と ほぼ同額の稼ぎになる、はず、という『ビッグ イシュー』側の主張は、どれほどの可能性と現実性が あると言えるのだろうか。
お役所の「障がい者雇用水増し」発覚と言い、
最賃から除外された治外法権的世界である「障がい者作業所」の問題と言い、
この『ビッグ イシュー』についても、
「自立」って何だ?
という根本考察が必要。
2019.02.09 (Sat)
『ヤフゴミ』捨て場の「オーサー」さんの一人で、藤田なんとかいう人。
『ビッグ イシュー』という、もっぱら、いわゆる「ホームレス」と呼ばれる人たちを、雇用では ないらしいが販売員としていることで知られる雑誌が、最近、ロック バンド『クイーン』のボーカルだった故フレディ・マーキュリーを演じた俳優のインタービュー記事を前面に出している おかげか、久々の増刷となったという記事が あり、そこへ、くだんの藤田なんとかいう人が、「オーサー」として意見を投稿しておられるわけだが、
さて、
藤田さん、はたして『ビッグ イシュー』という「選択肢」は、生活保護利用のケースと同列に語れるようなものなんですかね?
私自身も、この雑誌を購入したことは ある。
初めて買ったのは、かれこれ十数年ほども前になるが、『梅田』の『阪急デパート』から少し歩いた大通り沿いの場所で、所用のため向かっている目的地についての道順を尋ねたいなあと思い始めたところに、
たまたま、売り手さんが、なるほど、立ちんぼ状態で、黙って辛抱強く、買い手が現れるのを待っているという感じだったので、
ああ、この雑誌ね、、、と1冊購入し、支払いながら、目的のビルの場所について尋ね、返答を もらって、また歩き始めた。
「きょうは、お天気も まずまずだし、過ごしやすい時季だからいいけど、真冬や真夏は大変だろうなあ」
「ああいう人たちって、入浴や着替えだけでも、普通に生活できてる場合と違って、何かと大変じゃないのかなあ」
と思いつつ。
帰途の電車内で、さっそく、なかみを読んでみたら、けっこう濃くて真面目な内容の記事が並んでいたので、良い印象は持っている。
けれども、
あれから時が流れ、障碍を抱える私自身も、やがて、各界福祉関係の人々と接したり、
(こういう分野においても、ほとんどは、畑違い出身のシロウトさんたちだ。私の知っている福祉業者も、補助金を水増し請求してる疑いが濃厚な所も あるし、また、その福祉業者自身が障碍者でありながら、同様の障碍者を見下したりする人もいる、いやらしい事情も見受けられるのが現実。)
障碍者の作業所を経験した いまにして振り返ると、
あの『ビッグ イシュー』の販売形態には、どこか、「障がい者作業所」の臭いと同じものが漂ってくるのを感じてしまう。
ところで、
過去、自分自身が、服役した経験を持つ、議員か何かの公人の立場に就いている人だったと記憶するが、その人は、「秘書給与」のことで有罪判決を受け、服役中に、
受刑者のなかの少なからぬ割合で、知的、精神、また「発達障がい」などの内部障がいを抱えている者たちが いることに気づいたということを言っていた。
このことを、「浮浪者」と呼ばれてしまうような、いわゆる「ホームレス」について考えるとき、同時に思い出すのである。
私が若い頃に、何かの記事や本で読んだには、
「浮浪者」や「ホームレス」自身、相手が誰であれ、権力筋とか公的機関であろうとも、自分の親や家族にすら、とにかく、「管理される」こと自体を、激しく厭うという姿勢を示す人たちが目立つそうだ。
だから、家を出る。
役所の手が伸びてくることを徹底的に嫌う。
したがって、生活保護制度を利用することも避ける。
「プライド」なんてことからでは ないと思う。
やはり、「浮浪者」「ホームレス」と呼ばれるような暮らしを せざるを得ない人たちには、一見しただけでは分かりにくい、知的や精神方面の問題を抱えているケースも多いだろうし、そのことは、とりもなおさず、思考の歪みや思い込みにも繋がっているだろうと察する。
「生活保護」という制度を、本当に「プライド」に云々と言っているのなら、それ自体が、是正を必要とする証左と言うべきだろう。
自分自身の思考力によっての情報選択や論理的構築の能力が乏しい知的や精神の障碍者は、不安定で、周囲からの通俗・俗悪的な価値感に つよく影響を受けて毒され易い傾向を持つのも現実だろう。
しかしながら、
生活保護制度にしても、また、選挙の投票制度にしても、あくまで「権利」なのであって、個人を強制できることでは ないとされている以上は、どうしようもない面も伴う。
浮浪者たちは、こうも言う。
「青カンはキツイよ~」
と。
そりゃあ そうだろう。
極度の暑さ寒さ、不衛生、栄養不良に晒され続ければ、健康状態は蝕まれていき、言い知れぬ不安と襲撃の危険を恐れつつでは、安眠も おぼつかない。精神状態も蝕まれていかないほうがフシギというものだ。
もともと、知能や精神方面の内部的障害などを潜めているケースが少なくないとしたら、当然だと思う。
「ヤフゴミん」の大多数は、社会的弱者らに対し、毎度のごとくに侮蔑や排斥意識を前面に押し出しているから、「ホームレス」側に対する非難も圧倒的よね。
だったら、
公園や公共施設といった社会のインフラを、自分たちの生活場所として勝手に(集団)占拠している問題について、どう考えるんだろうか。
近く『オリンピック・パラリンピック』という一大イベントが行われるに あたり、この、「ホームレス」たちのホームを撤去・排除する動きが勢いを増してくる。
私自身は、「ホームレス」についても、まあ、しかたないのね、という感覚のほうが まさっていて、どちらかと言えば大らかなほうのスタンスだし、「ホームレス」のテントなどを、役所が強制的に撤去することにも、非情さと反感のほうを感じてしまうのだが、
かと言って、
「浮浪者」には、個人的に、いささか厭な経験を させられたことも あるし(不衛生な思いを させられた出来事だった)、
公的インフラを、普通に利用できないような事態までを よしとしようとは 思わない。
それでも、
「浮浪者」「ホームレス」といった人たち自体に対して、敵意や優越意識めいたものを持ったことは、いまだかつて ないんだけども。
【続く】