2019.05.11 (Sat)
『「涙」に餓え、「感動」に餓え、そして』の続き。
ところで、
現天皇家の内親王である愛子さんの場合は、あまり社交的では なさそうな印象だし、それこそ、『園遊会』だののイベントは、ただでさえ負担となり、
まして、彼女自身で『天皇』という主催者の立場となったひにゃ、大変な苦痛にさえ感じられや しまいか?と、少々心配になる。
かつて、『昭和天皇』も、そのへんの お悩みを おっしゃったことが あったし、
雅子さまも、ご体調の影響から、長らく避けておられた。
先述のとおりで、私個人は、『女性天皇』だろうが『女系天皇』だろうが、どっちゃでもいい。
強いて言えば、
このたびの天皇ご夫妻が結婚された当時も、わが家を含めた俗世間では、どうしても雅子さまのほうが、だんぜん、存在感あるねえ
(その分、皇太子の影が薄いw)、
と苦笑されたように、女性には、やはり、「華が ある」のは、イギリスその他の王室などを見ても感じることだ。
近頃では、野党、それも『共産党』までが、『皇室』温存の姿勢へと積極的に転換したように見えるが、それは、あくまでも、改憲に からむ思惑が あるからだろう。
幾度か繰り返し表明してきたように、私個人としては、『憲法』改正、だめゼッタイ派では ない。
国民・民衆にとって、切実な必要性が あるのならばということだが、
しかし、ほんとうに必要かどうかの考えかたが異なる人々が いるわけで、
私は、自民党の『憲法草案』なるものは言語道断、あんなものは「改正」では なく、まさに「改悪」だと思うし、
ましてや、アベシが主催者という『そうせい日本』(?)とかいう団体の連中が喚いていた
「国民主権を なくせ!!」
などという主張には、断固として抵抗する。
『天皇制』『皇室制度』について、性急に無理に廃止すべしとまでは主張しません。ただ、
「(独自の)伝統文化」だから、残していく価値が ある、という考えかたに一応、私なりに寄り添っているからこそ、その「伝統」を、ひとたび損ねてしまうと、あとに残るものは、いったい何を意味するのか?と問うているだけ。
私には、『天皇』や『皇室』に対して、ことさらの反発や悪意もないが、
それは、彼らの思想の持ちかた、姿勢や態度如何による。
もし、おかしな考えかたを しているのでないか?と感じたり、そう思わせるような言動を出したら、そのときは、容赦しない。
もとより、
基本的に、あくまで「他家」の人たち、という通常感覚以上のものは ないし、
ましてや、自己同一視して、『天皇』『皇室』が ある おかげで「日本人として誇り」とかを感じたことなど ないし、
彼らの存在ゆえに、国民として力づけられたこともない。
もしも、災害等で被災し、お見舞いに来ていただけるからと、お会いしてみたいとも思わない。
要は、一個の人間どうしという感覚しかない。
先日は、退位の儀式だったのだろうか、一連の行事についての画像や動画、解説の類も、殆ど見なかったので、詳しくは分からないのだが、「神器」とか「剣璽」とかいう宝物のレプリカ(?)なのかな、それらを納めてあるらしい箱を、天皇さんたちの前で、うやうやしく捧げ持つ係りの人の姿はチラッと見たけど、ああいう お役目、私は、頼まれてもマッピラです(苦笑)『紫宸殿』の階下の地べたに座ってる者でも ございませんw
こないだ、タイ王室でも即位の行事が あったそうで、王様の金ピカな輿行列を取材した記事の写真をチラッと見たが、
あくまで私一個人としてはだが、
こうした光景を見たときに、失礼ながら、ある種の「みっともなさ」すら感じてしまう。
タイ国民の一人である市井の女性の、感動のあまりに、よよよと泣く ようす、これと ほぼ変わらんのだよなあ、日本の「天皇・皇室崇拝者」は。
ところで、
前『天皇』の言う「現(平和)憲法を大切に守る」という「おコトバ」だが、
これ自体が、けっこうな「政治的発言」になってるじゃないか、と思えるのだがな。
「守る」って、強い意志を持って、か?
「則る」のほうが、たしかに受け身だとは言えようけれど。
むしろ本来的な姿勢と言えるかもしれない、天皇としての あるべき態度は。
同時に、
『天皇』ひいては『皇室』『皇族』の地位を、まさに現憲法が保証しているのだということも忘れては なるまい。
これについても、私の考えとしては、現憲法で「縛っておく」に越したことは ないということ。
つまりは、『天皇』『皇室』という存在は、「国民」では ないのであるそうだから、「憲法で縛っておくべき権力の側」に入ってるということなのかな。
以前のエントリーでも述べたように、
こういう存在は、「悪いムシ」が寄り付きやすく、利用され易いからね。
また、
もしも、現(平和)憲法が変更されることになれば、
それこそ、戦前・戦中のように、主権者たる天皇の立場に戻されてしまうようなことが あればだが、天皇その人にとっても、しごく迷惑千万なことでも あろうと察する。
そこにこそ、前『天皇』を つとめた明仁氏の、その父である『昭和天皇』を、むしろ「被害者だった」と感じていることの表れもあるように思える。
「戦災地や被災地への旅」「人々のなかに入っていく」ことも、そうしなければ、以下の大目的が果たせないから。
これらに滞りが出そうだから「譲位/退位」したということになっているけれど、
民心から遠ざかってしまうことへの深い恐れが あったからに ほかならないだろう。
すなわち、
「『皇室』の存在が、常に途切れることなく(実際、『昭和天皇』の代で潰える危険が あった)、安定的に続いていくことを、ひとえに念じている」
これが、明仁氏の一番の大目的。
やはり、『皇室』という一つの家系に伝わる「帝王学」の威力ということだろうか。骨の髄までだな。
ついでに、
いちおう、知識不足を補おうと、しらべていると、
「『男系=血統』という考え方は、けっして日本だけの特殊な考え方では なく、ほぼ人類普遍の観念であると言えます」云々、てなことを述べているセンセイが いた。
なんですと?
だったら、べつだん、日本の独自の伝統的考えかた、とは ならんのか。
皇學館大学現代日本社会学部教授の新田センセイ、あなたの御解説は、理解できるところは あるけれど、「男系」「女系」に関することでも、
(一般の、民間からの女性も皇族になれるということは)
「むしろ、信頼され、尊ばれているわけです」
てなことを おっしゃってるが、
それはキレイごとのヘリクツです。誤魔化すんじゃありませんよ![]()
本音は、あくまでも「父方」最重視でしょうが。
それじゃ結局は「女系の否定」にならざるを得ないじゃないか。
要するに、昔で言う「女は借り腹」程度に見做してるから、産めさえしたら、誰でも いい、くらいの感覚でしょ。
これだから、「ウヨ」ってのは、、、いや、「サヨ」でも そうなんだろうけど、
キレイごとのヘリクツ言い、欺瞞は、わたしゃ、大キライだ。
さて、当ブログでも幾度か取りあげ、何かと問題が指摘されている『大嘗祭』だが、そもそも男性の天皇でなければならぬ理由というのが、この「秘儀」は、いわゆる「女性原理」に もとづくものであるからということらしいので、
なるほど、古今東西の「復活」すなわち「命の継続」の祭りには、ズバリ、性行為を連想させるものが多いのは共通している。
もっとも、かの折口が提唱した説については、どこまでが参考に価するのか、私には分からないけれど。
聞くところでは、『神道』というもの、「カタチ」を最重視し、なかみは二の次というのが本意なのであれば、
たとえば、古代に、殉死者の代わりと見做したハニワを置き並べるようになったごとく、
ここは、女性の天皇には、男装でも していただいたら よかろうw
表面のカタチは、ととのっているよという お約束ならイイんでしょう。
たしかに、そういう気風の濃厚な国柄だわなw
2019.05.11 (Sat)
「イベント」に餓えている日本の大衆。
『オリンピック』も そうだし、
『改元』、『御代がわり』も、『日本会議』提供の『日の丸』小旗を打ち振る民衆にとってw結局は、イベントの一つに過ぎない。
ここんとこ連日、皇室関係の記事ばっか。うんざり。
イノベーション力に根本的に乏しい代わりに、よその文化や伝統をパクることしかアイデアがないのかwやれ、「クリスマス」、「ヴァレンタイン デー」「ホワイト デー」、昨今では、「ハロウィン」と、次々に設定され続ける、商魂たくましき日本のアキンド。
要するに、商売人の仕掛け。![]()
この「商売人」のなかには、メディア・マスコミ業界も含まれてるよ、もちろんw
飽きやすい民衆、日本国民お得意の、「手のひら返し」
に ご用心ww
上げて、上げまくってから、イッキに落とす。
これが、いつもの やりかた。大好きな やりかた。マスコミも民衆も。
ちなみに、とある「ヤフゴミん」に言っておこう。
「空気読め」「長いものに巻かれろ」根性の典型である この手合いは、
『皇室』に対する敬称のことでブーブー文句を言ってたようだが、
「某BBSや一部のツイッターなどでえらく不評」
だとさ。
だから何?
私の場合、べつに「反日」というわけじゃないし、そもそも「某BBSや一部のツイッター」なんぞ、参加してないし、視野にも入れとらんわ、くだらん。
それから、
皆が問題視しているらしい、悠仁さん将来の御結婚相手?
それは、ぶっちゃけ、彼が、成人したとき、女性から見て、男性としての魅力を最低限ていどには備えているか。
異性として、それなりには、アピール度を備えているかどうか。
まずは、これに尽きるだろうなw
それが最も左右する。
そんなもんなんですwたとえ、いろんな重いプレッシャー問題が あろうとも。
また、
世のなか、とても目立ちたがりやで、自負心や名誉欲が殊のほか旺盛なタイプの人って いるもんでね。
ましてや、一般的には、まあ「普通」レベルに過ぎなくても、なぜか?w『皇室』では、なかなかの「美男・美女」だということになっちゃうww
芸能一家さながらの存在www「象徴」じゃなくて、もはや「アイドル」。
こういうところでも、前天皇ご夫妻の御努力の たまものかしらねw
しかし、すべてが順調に行くとは まいらないのが、この世の常。
いずれ『皇位』を継ぐ立場として生まれた人が、もしも、重篤な、重篤で なくてもか、何らかの障碍を持っていたら、
あるいは、途中で負ってしまったら、どうするんだろなあ。
選択できない不自由の迷惑は、一般国民は勿論、また、皇室の人々も こうむっている面は、現に ある。
そこで、いわゆる「帝王学」とやらの重要性が出てくるんだろう。
一種の洗脳だろうし、だからこそ、生まれたときから、そのもとに置かれなければ ならない。
そして、万が一のトラブル・アクシデントが あった場合、その中断を想定し、言わば「スペア」をも用意しておかなければ ならないのだろうけれど。
「退位」だ「譲位」だ「二重権威」だ「持参金だ」『旧 皇族』復帰だ!と、次々に『皇室』のための費用が、際限もなく増える。
これも「ヤフゴミん」のなかで、ちょくちょく出てくるようなので、言っておくけども、
個々人から召し上げる金額自体は、ごく少額なんだからツベコベ言うな、という牽制は、お門違いだし、ナンセンスだよ。
もちろん、日本国民以外の人々個々からも召し上げている、その総額は当然、莫大な金額となる。
この莫大な金額を、何に費やすか。非常に重大な問題だ。
この国は、国民主権であり、民主主義。
第一に費やすべきは、国民の福祉である。
庶民・国民の生活は、いまや、熱中症や餓死者を出すほど逼迫し始めてるのに。
また、昔の皇室は、国民に頼る必要もない莫大な資産家だったのだ、という主張もナンセンスの一言。
何が どう転んでも、そもそも、すべては、民衆のものなのだ。
だいいち、そのまた昔は、とても貧乏だったでしょ、朝廷w
士族にスポンサーやってもらい、士族に お膳立てしてもらって、権力を与えてもらい、あげく、民衆を「消耗品」として犠牲にし、大失敗。
あわや、天皇制・皇室制度は廃止、という窮地を脱して、ほとぼりが冷めやらぬうちに、臆面もなく『沖縄メッセージ』、
しまいには、
「どうも、気の毒だったとは思うが」。。。
なに?それ![]()
ある種の傾向性がハッキリ見受けられるので、ことばの選択能力に難が あったのだろうけれど(なにやら、現政権の あのひと、このひとを連想するねw)、それにしても、他人事感覚だ。
沖縄、広島・長崎、よくまあ、腹が立たないもんだ。
たとえば、これは、どう考えても、間に合わない話とは思うが、
仮に、愛子さんが、天皇位に就かれることが、もしも あったとして、
かような「洗脳」を施される立場からは、現状では、逃れられているものの、いわゆる「女系」が開始されてしまうのを避けるため、将来、ご結婚相手を否応もなく、同じ『皇族』男子の一員から選ぶよう仕向けるか強要すれば、「男系」は守られるわけだけれど、
さもなくば、その時点で、「男系」継続はプッツリなくなるわけで、
なにごとによらず、日本の民衆の大多数が、いたって不勉強かつ感覚的、感情だけで判断しているのは明らかだと思われるので、
『女性天皇』は良しとしても、その配偶者が、皇族と無関係な人ということになった場合、
それは、『万世一系』――「男系」という、『天皇』そして『皇室』最大のウリであったはずの「伝統」が覆されるときに ほかならないのだ、
ということは、しっかりと周知策を講じるべきだろう。
そのうえで最終判断するのは、主権者たる国民たちだから。無知のままでは いけない。
そこで、私が何度も提起した疑問が出てくるわけ。
「伝統」とは、
残し続けるべき価値ある独自の「伝統文化」とは何ぞや?
ってことだ。
「Y遺伝子」とかのケッタイな説を繰り出してまで、「男系」に拘るのはバカバカしい。
それも そうなのだろう。しかし、
「女系」であっても、とにかく『天皇』『皇室』の「血統」でさえあれば、それで よい、と拘る側だって、五十歩百歩だよ。
「男系」こそ「皇統」なのか、
「女系」でも「皇統」には違いないのか。
「男系」が、論理的に根拠を説明も証明も できやしないシロモノだというのなら、結局のところ、『天皇』『皇室』の「血統」自体の根拠だって、論理的に説明も証明も できやしないのだ。
いずれに転んでも、「ファンタジー」に過ぎない。
だから私は、この両者の どちらにも、くみする気には ならないのだが、
ただ、
「男系」で連綿と続いてきた、それが、すなわち『皇室』の皇室たる血統であるという立場によるならば、五里霧中の昔・昔・大昔にまで遡らずして、いま、この現代において、女性の天皇が立つことに引きずられるように「女系」が始まったとあらば、そのときこそ、それは、われわれ自身が目の当たりに、その「切り替わり」を目撃する出来事、明白な事実となる。
そして、そこから始まっていくのだろう。
『明治』のときに始め、「伝統」の装いを続けていったように。
「伝統」なんてものは、少しづつ変わっていくのであり、柔軟に変わらなければ続かない、それもそうだ。しかし、
主権者の片隅を占める私個人は、そうまでして続けるだけの価値は感じない、それだけのことだ。
したがって、つまるところ、どっちゃでもいいわけだが、
しかも、
崇拝とコキ下ろしの あいだを忙しく行ったり来たりブンブンと揺れまくり、国家的ゴシップのタネを供給し続ける、痛ましくも奇怪な宿命を負わされた、病的なまでの家系の存在なんて、見たくない。必要でもない。
ただ、この国の人々の おゲレツかげんを、天下に曝け出すだけの装置。
日本人の一人として、恥ずかしいので、私は御免こうむる。
なによりも、
現代日本の国民としては、突き詰めれば「家柄」「出自」差別になるものには、とうてい、納得し難いものがあるし、
積極的には賛成する気に ならん、ということ。
なにが悲しゅうて、わけワカランものに「統合」されなきゃならんのよ?w
取って付けたように「象徴」なんて、そもそも、敗戦後の苦肉の策のコジツケだもの、いらない。
【続く】
2019.05.11 (Sat)
『【続】おっぱいは、何のためにあるの?』の続き。
やっぱり、われらヒト族と、ルーツを共にしているとされるだけあって、猿の子どもの観察は、大いに参考になるよ(笑)
先日のエントリーで、仲間の年上オス猿の おチ○チ○を、おチチとカン違いして、執拗に咥えようと迫る子猿の姿に大笑いした動画を紹介したが、この子猿の癇癪も、そうとうなものだった(笑)
理由は、子猿たちの共通点、「乳離れ」を強制されるからだ。
それは、すなわち、母親の庇護と愛情が遠ざかることの怖れを伴う。
人間関係においても、あらゆる原点を なしているものと察せられるのである。
こちらは、親に捨てられたか、生後間もなくして、親から引き離され、人間のペットとして飼われていたのが、そこからも捨てられたといった何らかの事情があるらしい子猿。
彼は、母親の乳代わりに、何を咥えているか。
不安なとき、眠たくなったときの癖。
とにかく、母親の乳を得られないという時点で、直接的に命に かかわるわけだし、
ましてや、親と言えども、自分の得た食べ物を、
「欲しかったら、自分で探しなさい!」
とばかり、基本的には、わが子に対してさえも与えることを拒絶するのだから、空腹な子猿は、親や「キッド ナップ」された猿が、人間にもらった果物などを手にしてムシャムシャ食べている姿を、とても羨ましそうに見つめる。
最近、こんな動画がアップされていたのを見て、ビックリした。
いわゆる「キッドナップ」するオス猿も いるんだ。。。どうやら、父猿なのかな。
見ていて、だんだん腹が立ち、
「こら!!食べ物を分けてやらないんなら、せめて、父の乳くらい出さんかい!
」
と、先述の「キッド ナップ」したオス(父)猿を怒鳴りつけたくなったw
このオス(父)猿は、コメントなどを見たところ、どうやら、「フード スタンプ」として、子猿を連れ回しているのだろう、という。
「フード スタンプ」という意味は要するに、幼い小さい子猿を連れていると、人間たちから、フルーツなどの上等な食べ物を、自分だけのときよりも格段に多く もらいが増える、ということらしい。
人間にも、こんなやつ いるわな。子どもを利用する親。
なんで、こんな目に遭わな あかんねん。![]()
この、途方に暮れた子猿の眼よ。。。
大きなスイカやら蓮の実などを受け取り、その全部を、くだんのキッド ナップ親父が独り占めして、むしゃむしゃと喰ってしまう。
空腹な子猿は、少しでも分けてほしくて泣くのだけれど、いっさい無視されるので、思いきって、下から もぐり込むようにして、食べるのに夢中な親父の目を盗むようにしつつ、食べ物の端っこを ひとくち、もう一口と、ちょこっとずつ齧るのだが、それに気づかれるや、たちまち、噛みつかれるは叩かれるはで、こっ酷い目に遭わされるのだから、結局、ずっと空腹なまま。
そうしているうちに、その子猿は、死んでしまった。
ほんとうに無念そうな死に顔をして。
いったい、この子猿に、何の罪が あったのだろうか。
「業」だの「因縁」だのと、訳知り顔で言う者らに、再度 問う。
そもさん、何の所為ぞ。
この世で最初に「因縁」やら「カルマ」やらのカラクリを拵えたのは、誰だってんだよ、いったい。![]()
![]()
この子猿が会いたがっていた頼みの母猿も、一度や二度は、毛づくろいを理由に近寄って来て、うまく乳を含ませたり、連れ戻したりしたものの、最後は とうとう、助けに来てくれなかったようだ。
誰も助けてくれなかった。
ただ、人間どもが、カネ稼ぎのため、ユーチューブ ネタにしただけ。
くだんのオス猿だか父猿は、子猿の死後、しばらくのあいだ、多くの母猿が行うのと同様、なおも、死んだ子猿を連れ回して、時々、かいがいしい ようすで、死体の毛づくろいなどしてやっていたが(猿の世界では、子への愛と言う以上に、むしろ「儀式」的な手続き行為でもあるように見受けたが)、
やがて、そのへんに、死体を放置したあと、
またぞろ、小さな子猿を さらおうと、虎視眈々狙っているんじゃないか?と、閲覧者たちの疑いと怒りの声。
ところで、くだんのオス(父)猿から逃亡するチャンスが全く ないわけでもなかったのに、なぜか、子猿のほうから、しがみついて離れなかったりする場面が少なからず見られたので怪訝に思えたのだが、もちろん、オス(父)猿のほうも、逃げられてなるものか、と、すぐさま追いかけて つかまえてしまうのが常だ。
やはり人間の心理と似て、
「DV」といった情況のなかに置かれると、あたかもフリーズした如くなり、逃げ出せなくなるのと共通しているのかもしれない。
なによりも、おとなの猿に くっついておかないと、子猿は、小さな小さな自分の身を守ってくれる者が いないと感じ、非常な恐れを抱き、怯えるようだ。
だからこそ、母猿に突き飛ばされようが噛みつかれようが叩かれようが、断末魔の表情して、必死に しがみついていく。
人間社会の根源を窺わせる猿の社会は、徹底した上下関係の社会だ。
わが子だろうが何だろうが、利用できるものは、片っ端から利用する。
自分が生き延びるために。そういう者こそが、生き残る。
それが「摂理」であり、大自然界の法則であり、「自然淘汰」ってやつ。
ちっ、ほんとに、宇宙ごと一瞬にして潰れろや!!
と思うわ。。。
このような情景は、野性の(また、それに近い)世界では、猿に限らないのだろうか、
昔、かの森 鴎外が、奈良公園に訪れたとき、例によって「鹿せんべい」を与えたところ、子連れの鹿が独り占めして、自分だけ次々に食べてしまい、立腹した鴎外が、それではと、直に子に与えようとした煎餅までをも、親鹿がサッと奪ってしまうので、いたく憤慨したという話を読んだ記憶が ある。
しかし、常々、「自然淘汰」バンザイ!!を唱え、『ナチス』を信奉し、「ディストピア社会」を推進すべく、ネットじゅうを徘徊活動している、例の「カルト連」にとって、こうした野生の猿の社会などは、これこそ、人類が立ち戻るべき理想の社会なのだそうな(嗤)
2019.05.11 (Sat)
『おっぱいは、何のためにあるの?』の続き。
ついでに、
こんな記事を読んだのだが、
『子供のかんしゃく、放置はNG!ベストな対処法は?』5/4(土) 18:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190504-00017207-nallabout-life
「(癇癪を)放って置かれるとママが容認していると」
必ずしも そうとは限らないでしょうね。
むしろ、これじゃ効果がない、と、子ども自身で学習する場合も ありうるでしょうから。
コメント投稿者の大多数も誤解しているようだが、
たぶん、この記事自体が、ことば足らずだからなのかもしれない。
かつ、あくまで「普通の子」の場合の解説だろうね。
要は、「癇癪の放置」とは、終始にわたる放置が いけないのであり、その間も、その後も、フォローを怠っては いけないということなのだろう。
おぎゃーと泣いて訴える方法しか持ち合わせない あかんぼの場合は、それを放置していると、実際に、命にかかわる恐れも あるし、心理面や性格の面でも、のちのち、悪影響が伴うという、専門家の指摘も ある。
あかちゃんですら、生後何ヵ月か経つ頃には、自分の傍で、おとなたちが話している内容を、多少は理解できるようだと思うが、
その あかんぼう時代を過ぎて、みずから、かたことのコトバを話し始めても、なお、幼児は基本的に「ボキャ貧」である。人生経験も、これから積み上げていくのである。
だいたい、「椅子を倒す」等の力を発揮できる頃には、話すコトバの発達も目覚ましく伴ってくる年齢だ。
そこが、あかちゃんとは決定的な違い。
まあ「ふつうの」子どもなら、おとなが思う以上に、案外、りくつを理解するもんです。
「おとうさんと おかあさんは、好きだから、結婚したんでしょ?なのに、なんでケンカばかりするの?」
これ、子どもが主張する素朴なリクツの典型ね(笑)
ちなみに、大のオトナが、自分の子どもである新生児に噛みついてタイホされたとかいう、信じ難い事件が あったが、
ついつい、噛みついたり叩いたりという暴力行為に訴えてしまう場合は、知能障碍や「発達障碍」絡みのケースが多いようだし、この場合は、「シャワーのようにコトバを」かけようが何だろうが、完全にスルー、という子どもも いるんですよ。
いいオトナになっても「ボキャ貧」のままだったりもする。
いみじくも、実家の酒乱親父が、自分の女房をブン殴るときに、
「おれは、おまえみたいに、口が達者じゃないんだー!!」
と言いつつ殴ってたもんだw
たぶん、カクレ発達障碍だったんだろうww
娘の私だって、けっして、口は達者じゃないが、親父みたいに、暴力は振るわないよ。結局、人間性の問題だわねw
私は、母親に対する親父の暴力を静め、落ち着かせるため、親父の気持ちを的確に「代弁」して、本人からも、「そのとおりだ!」と、お墨付きを もらってたよw
それでも、暴力が止むわけじゃないんだ。
むしろ、
「だから!」というので、正当化できたかのように、かえって大いに暴れたりした。
幼い子どもの癇癪の気持ちを、あれかコレかと推し測って「代弁」するのは、結構だろう。なんせ、相手はボキャ貧なんだから。
ただ、「共感」だけではダメな場合も ある。
単に、そういう時期、ってことも あるし。「反抗期」とかね。
ま、いずれにせよ、養育者側の度量にも左右される。
子どもの側が、いっしょうけんめいに、理解を訴えても、自分の利害を計算して、スルーする親もいるよ、うちの親みたいに。
私自身は、癇癪とか、あまり起こさない子だったらしいが。
しかも、ことばを発するのも、とても遅かったらしい。
それは難聴のせいだったのだと、自分で気づく頃には、成人する前後になってしまっていた。
あれほど私を罵倒し続けた親からも、乳幼児期の私は、ほとんど いつも、こんこんと眠っていることが多く(超難産で、栄養ならびに酸欠で疲労困憊してたからさ!w)、
あまり泣かないし、時々、非常な高熱を出す(むやみと薄着で育てたせいかもね。母親は、それも自慢の一つにしていたがw)
以外は、いたって育てやすかったと言うのだから。
さて、
この記事に付いたコメント投稿者は、やはり、お子さんを お持ちの人が殆どのようだが、一つ、特に気になったのは、
私の目から見てもトンチンカンなと言うか、あまりにも狭量な思い込みとヘリクツが多い投稿ゆえ、それは、大多数からの顰蹙を買っても しかたなかろうし、
あの「カルト連」ソックリで、
投稿者本人の劣等感が激しく、ある面で、とても寂しがりやなのだろうか、それとも、単にヒマ人なのか知らないが、
とにかく、いわゆる「かまってちゃん」そのものであると、私も見受けたけれど、
それ以外の「子育て経験者」たちの多くも、なかなか狭量じゃないかと思ったのは、
意見が異なる相手に対して、口々に、
「子育てした経験が ない」
と決めつけてることだ。
そうかと思えば、先述した「かまってちゃん」を、子育て経験者と見做したコメントも している。
まあ、「ヤフゴミ溜め」に集うような人、ましてや、育児中の親を やってる「ヤフゴミん」だもの、私に言わせれば、基本的に、まともな信用に足る人々とは思い難いのが正直なところだがwそれは ともかく。
ここで言いたいのは、
記事の本文に挙げられている「癇癪を起こした子どもを抱きしめてやる」という対処行為が、逆効果になる場合も多々あるのでは ないか?ということ。
こう推察できるのは、子を産んだことも育てた経験も皆無な私自身、他人さんの子どもたちと身近に接した経験は あるし、
そのなかには、「発達障碍」の子どもたちも いたし、
何よりも私自身、自分が幼い頃に戻ったら、どんなふうに感じるだろうか?と想像してみたら、「抱きしめることが逆効果になる」場合も、容易に察せられるからだ。
ちょっと考えてみたら分かるはずと思う。
驚異的に敏捷な猿の子とは違ってwふつうにヒトの子なんだから、おとなの圧倒的な力に逆らえるはずもないのだ。そう考えたら、
おそらくは、当の子ども自身、自分でも、明確な理由が不明ながら、とにかく、キーッ!!となってしまうのを(あかんぼなら、昔から、「疳の虫だな」と言うやつ?)、すかさず、おとなに抱きしめられてしまったら、
「制圧」
としか感じられないだろうよw
案の定で、
「危険回避の為に子供の手と足の行動を制限するように抱きしめる」云々
と記事にも書いてあるがなw
まあ、とにもかくにも、第一には、子どもの安全確保して、それからということだね。
【続く】
2019.05.11 (Sat)
おっぱいは、何のためにあると思いますか?
ン十年前の ある日、私が高校生のときの授業中、女性教師が、このように問いかけた。
すると、クラスメートの幾人かが、
「パパのためぇ~」
と答えたので、教室内は爆笑、
当時、4、50歳代だった先生は絶句。
ややあって、先生、気を取り直し、
「あかちゃんのためでしょおー!?!」
と、必死に訴えておられたけれどw
わがクラスメートたちは、髪のカーラーをセットしたり、お化粧の手直し等しながら、どこ吹く風ww
そんなシーンを思い出した。
地元では富裕層や名士の家庭の お嬢たちが通う学校で通ってた、伝統ある女子高だったんだけどw
以前にアップした↑エントリーで、子猿に対する一般的なオス猿の態度なども再び取りあげたが、
いわゆるマカク猿の「キッドナップ」には、それなりに大きな意味が あるようで、
まず、母猿の母乳が出るか出ないかは、個体差も大きいようだが、殆どのケースで、よくは出にくいみたいで、その場合は特に、母猿にとって、常に しがみついてくる子猿が、生死を かけた猛烈な勢いで吸い続ける痛みも あるせいか、だいたい生後3週間前後も経てば、それを疎ましく思い始め、ましてや、猿ならではと言えそうな立派な歯が揃い始めたら、たちまち、子猿を邪険に扱ったり、虐待し始める。なので、
母猿が、授乳を苦痛に思い始めたと察するや、仲間どうしでグルーミング(毛づくろい+マッサージ)を施し合い、
歯も揃ったのに、いつまでも、乳に吸いついたり、母親の背中に しがみつく子猿には、いいかげんにしなさいと言わんばかりに、他の雌猿たちが、母と子を引き離しにかかったりもする。
なかには、変わった気性の雌猿も いて、自分の子だけでは飽き足らずか、と言うよりも、自分の子にも厳しく、早々に ほっぽり出し、他の雌の子どもを常に見張っていて、
特に乳離れが遅いとか、いつまでも甘えんぼな子猿とか、母猿が少しでも持て余していると見るや、
もちろん、子は泣き叫んで拒絶し、母親は抵抗しても、
「いーから、預かってあげるから!わたしに寄こしなさい!!」
と、嫌がる子猿を無理やり引っ張って行こうとするwそして勿論、ぶっ叩くw
多くの場合、未出産の雌猿が連れ去るようだが、
大概の猿どうしは、同じボス猿を父親にしていることが殆どなのか、母猿の姉妹や、そのまた母猿(子猿の祖母)等の血縁関係が ある身内どうしで、そろそろ乳離れすべき子猿を預かり、連れて行くものらしい。
子育てに疲弊し始めた母猿が、信用できる自分の長女などに、敢えて、幼い末子を託す現象も見受けられる。
私が、一連の動画を通して観察した『アンコール トム』の猿の場合、
第一に、基本的には、母親以外の乳は飲まないゆえだろうが、
本当のところ、子猿にしてみれば、乳さえ飲めるのであれば、必ずしも母親でなくても結構らしい(笑)
だから、何らかの理由で、母親がアテにできなくなったら、ほかの雌猿に、乳を ねだったりもするわけだが、
ごく若く、未出産の雌だと、そもそも、乳が出ないのだから、子猿を預かるのに、かえって、つごうが いいのかもしれない。そういう意味でか、
珍しくもオス猿や父親が、女房である雌猿から、自分の子を引き離して連れ歩くというケースが、稀のようでは あるが、起きるみたい。
ただ、子猿にとって大迷惑なのは、乳を飲むことが不可能な雌猿に連れてこられた場合と同様で、
単に母乳を飲むということだけが目的でなく、ある程度は、固形物を食べられるようになり、離乳済みであったとしても、なおも、
乳首を咥える、ということ自体に、安眠やメンタル面での深い意味、
ひいては(庇護される)優越の意識が あるようだ。
周囲からの「甘い!!」というプレッシャーを意識しつつ、娘を厳しく叱るフリする母猿w
大きな ずうたいして、妊娠中の母親に乳を ねだり続け、さも、せつなそうに泣く息子w
ぷーギャン!!じゃない!あっぽーぅ。人間どもが嗤ってるぞww
このように、大きくなっても甘やかされてと言うよりは、母猿が根負けしたあげく、いつまでも、おっぱいにしがみついている子猿もいるけれど、
それだけ、猿の子どもの要求は凄まじい。
けれど、下の子が生まれたら、さすがに乳離れし、弟妹の せわを心がける良い お姉ちゃんに成長したりもするのである。
ほとんどの場合は、まだ ずいぶん小さいうちから、母親に噛みつかれ、叩かれたりして、乳離れを厳しく促され、しかも、もともと、乳の出が不良となると、常に不足感に苛まれているから、じゅうぶんな母乳を得られないまま、乳離れを余儀なくされた子猿は、いつまでも母猿に しがみつきたがるのかもしれない。
その点、生後間もなくして、母親を失った子猿は哀れだ。
生後間もなくから噛みつかれ、母乳もロクロク飲ませてもらえないまま、さんざんに虐待されるケースも少なくないようだし、いずれにせよ、いつも空腹に耐えなければならないので、親と共に過ごしていても、哀しそうな眼をしている子猿は多い、けれど、
どんなに冷たい、虐待する母親でも、親が いる子猿とは、どこか決定的に違う眼を している。
母親を失った子猿の、独特の寂しさに満ちた眼。
いつも いつも、母親の乳首を探し求めて歩き回り、時おり、周囲の人間たちを怪訝そうに見上げては、「わたしの おかあさんは、どこ?」と言いたげな まなざしを向ける。
よく似た情況に置かれ、姿の雰囲気も似ているが、これは別の子猿。
人間から与えられた何を飲んでも食べても、それは、かつて、つかの間に味わった記憶の母親の乳首から得たものだと感じたいゆえにか、この子猿は、飲んだり食べたりしたあと すぐ、自分の指を咥え、母親の乳首の代わりとしている。
【続く】