2019.07.10 (Wed)
という考えは親の身勝手でしかない、
云々ということをテーマに、
どなたかが御意見を発表されてたのを、ササッと流し読みしたのだけれど、
この筆者さんは(「ちばつかさ」と名乗ってらっしゃいました)、柔道や野球選手といった経歴を見るに、平均以上の じょうぶな健康体に生んでもらえたのでしょうね。それだけでも、まずはラッキーでしたね。
さて、当該コラム自体の内容について、あくまで私個人にとってはだが、遠慮のないところを言えば、
どうも もの足りないと言うか、いまさら、何てこともないがなwと言うか、結局、それが言いたいのねwwと言うか、、、
だいたい、そんなところだったので、キーワードを一言。
言わば「共犯関係」(笑)になったのである。
筆者さん御自身、かつては そうであったと振り返るように、自分の親に対して、どんなにか恨みツラミを抱いてきていたとしても、
なんだかんだ言って、自分自身も また、「親」というものになってしまったら、その時点で、
その自分の親と、ある意味で「共犯関係」wになったようなもんなのですww
だから、ほとんどの人が、自分が子を産んで、親の立場になってみたら初めて、自分自身の親に感謝を感じるようになりました、てな殊勝なことを、手のひら返したごとくに言うんです(苦笑)
だって、
自分の産んだ子を抱きながら、自分を産んだ親に向かって、
「勝手に産んだねえ、恨んでるぞお」
なんて言ってたら、ものすごくヘンだし滑稽でしょ?w
みずからも また、親と同じ立ち位置になっちゃったからね。
要するに、
自分自身も、産んだ子から、
「勝手に産んだ」
と言われてもしかたない側に まわったわけですからw
どこまでいっても、人間は、自己中心(笑)
昔から、親の小言、いや、意見は、万に一つも云々、とか言うけどさぁ、
私なんか、親の言うことを信用して、そのとおりにしたら、どえらいことになった(爆)
それと、その筆者さん、ならびに、二言目には「愛が」「愛が」と主張する世間の人たちにも思うのは、
私自身は、「愛された」かどうかなんて、どうでもいい。
親が、ほんとうに、子である私を愛してくれていたか、それは甚だもってアヤシイことに、だいぶトシくってから気づいてしまってるけど(ましてや、親自身の口から、「利用するために産んだ」だの「産まされた」だの聞かされてるしね)
「愛」のことは、もう いいんですわw
そういうのは、いかに「親」であっても、それぞれの持って生まれたキャパシティとか限界というものが あるので、どうにもならない、そういうところを責める気は、私には ないのよ。
本音では、子どもよりも自分のほうが可愛い、私に対する、親としての愛情は、じつのところ、二の次三の次だった、ということが、やっぱり真実だったとしても。
そのことで、親を恨む気は、サラサラないんです。
ただ、
親としての責任は、ちゃんと果たしてほしかった。それだけよ。
と言うのも、
うちの親も、自分自身の親らのことは、大いに恨んでいて。
やっぱり、祖父母の時代から、すでに、ややこし~い人間関係だったのだけれど、
私が幼かった頃から常日頃、親自身の口によって、その親への恨みの気持ちを聞かされていた。
彼らの世代は、なんと言っても、戦争が あったし、
日本の国自体が、近代的な思想やモラルから立ち遅れていた時代でも あったから、
われわれ、戦後も だいぶ経ってから生まれて育った世代とは、いろんな面で異なる苦労が多かったであろうので、
まずは食べさせ、着せて、人並みに、学校へ通わせる、それだけ やっていたら、「親業」は、ちゃんと果たしているじゃないか!という感覚だろう。
けれど、
私の場合は、まず、障碍の問題をネグレクトされていたために、やっとの思いで、社会に出たあとも、非常な難儀を するハメになった。
せめて、その大きな躓きさえ なかったなら、大幅に、生きやすかったろうと思う。
当然、二十歳にもなる前に、親もとを出たと思うし(実際には、30歳頃になってた)、それも、できるだけ遠方へ、できれば、国外へと出て行きたかったくらいなので、もし、それが叶っていたら、自然と、実家とは疎遠になっていっただろう。
さて、そうなっていたら、うちの親らは、破滅だったよ。
特に、跡取り息子だったはずの、腹違いの兄は、親父と相性が悪過ぎて、なにやら、「運勢」を見るような人に、
「この息子さん、できるだけ早く、家から出すこと。一つ屋根の下で暮らしていると、おとうさんとの あいだで、必ず刃傷沙汰になります」
とズバリ言われたということを、私は、学校時分に、母親から聞かされていたんだけど、
それでなくても、親父と兄は、そりが合わなくて剣呑だということは、はたで見ていた私も察していた。
兄は、それこそ、私以上に、親父を恨み、憎んでいたからね。
母親自身も、最初の結婚は、親の意向で、まだ十代のうちからムリに、という経緯だったので、親父と出会って、なんとしても、この男と!いう気持になり、前夫とのあいだに産んでいた娘を手離すことになっても
(このときの母親の言動が、それこそキチガイじみたと言うか、常軌を逸したものだったので、父親違いの姉が、これまた、私らの母親を恨み続けてきたという。。。まあ、そのうち、そのセリフのことも、機会あれば、どこかのエントリーで書くかもね。じつに恥ずかしい話なんだけど)、
親父と一緒になりたい執念のなかで、私を産んでる。
それも また、ええカゲンきわまる産みかたでw
以前も、過去エントリーで触れたかしれないが、
親父は、すでに3人目の子を身ごもっているヨメと、本気で別れる覚悟もないまま、
「掃き溜めに鶴かー!!」
と思った、というほどの美貌だった人妻(←私の母親w)に一目惚れした あげく、しつこく つきまとって、チョッカイ出したわけさ。
ま、ヨメが妊娠中、よその女に手を出すなんざ、世間じゃ腐るほど多い話だ。
そんなわけで、
親父の先妻が産んだ末娘と、「ダブル不倫」で産み落とされた私とは、たったの6ヵ月違いw
はじめのうちは、鼻も引っ掛けないつもりだったのにと言う母親は、ついに深入りした男(←私の父親w)が、この自分を「つまみ喰い」しただけなんて許せるはずもなく、
ましてや、そのまま逃げられ、捨てられる結末なんて、プライドが断じて許さなかった。
最初の家庭をサッサとぶち壊し、
私を産み、それをテコにして凄まないと、親父と一緒には なれなかったの。
まあ、みっともない話よねww
おなかの子をダシにしてさ。
幸か不幸か、
その おなかの子には、母親の悲願を叶える力が あった。
しかし、その私に対して、母親は、こう言っていた。
「父親のない子にしては なるものかと、あんたのために」
頑張ったんだとさwww
そうして、
戸籍謄本を見るようなことが あったときには、自分と娘である私の分の記載が書き加えられているのを不快そうに睨みながら、
「まるで、わたしが、前のヨメさんと末の子を追い出したみたいに見えるやないの!」
と、
いつまでもブツブツブツブツ言ってた。
だって、そのとおりのことだったんじゃんかw
自分の望みどおりに。
みずから敢えて、そうなるように行動したくせに、今さら、なにを(嗤)
どうして、こうも、得手勝手を言うのだろうか。
自分の親とは言え、両親ともに、理解できない感覚ばかりだった。
【続く】
2019.07.06 (Sat)
『「マインド コントロール」に陥ったから(?)』の続き。
ついでに、
「誰に産んでもらったんだ?」というようなコメントが あったが、
まさに、それだろうね、
男性の、女性に対する複雑な感情やコンプレックスの源は。
そして、
世の男性たちが、意外にというか、往々にして、もとは小心・保守的傾向であり、
個人的範疇においても、たとえば、「離婚したがらない」という現象、
それは、まさに、うちの親父も、愛情なんかサラサラないはずの前妻と、それでも、なぜか、離婚するのだけは大いに躊躇っていたらしいように(まあ、子ども3人も拵えてあったしw)、
男性の概ねは、「破壊」することが大好きであるらしいと同時に、
せっかく、いったんは出来上がったカタチ・「組織」を壊すのも、なぜか、たいへんに抵抗感つよいみたいね。
そこには、多くの男性に特有的な、食べる物でも衣服でも決まりきった、いつものパターンを好むという、ある種の依存性とかも窺えるけれど、
ほら、
いわゆる「保守」系とか「ウヨ」系の連中が、二言目には「国家!」だの「国体!!」だのと持ち出しては「守る!」「守るべき!!」というセリフを力こめて使いたがるw
それでいて、
内心では、「戦争」という破壊行為の最たるものを やりたがってるように、どうしても見えちゃうのもwまあ、矛盾は ないのかもね?
そりゃ、破壊するためにこそ、カタチが必要だもんねw
安定的で頑丈なものに寄りかかっていたい。
でも、
そのうちに、なんだか、思いっきりブッ壊したくなってくる。。。
かくも相反する欲求に翻弄される、分裂的男たちww
さて、
「逃げられない」問題。
ある種の動物は、じゅうぶん越えられるはずの高さに柵を設けたら、もう それだけで、その柵を越えようともしないのだそうな。
「マインド コントロールにかかりやすい人の特徴」。。。
私自身はハッキリと、両親が離婚してくれたらなあと願っていた子だったけれど、
それは、親父の暴力性が、幼い子どもにさえも、目に見えて分かりやすいものだったからなので、そのため、決して、芯から親父を信用することは、子ども心にも あり得なかったわけだが、
その分、母親のほうに深く傾倒していたと思う。
もちろん、母親の言い分は正しく、自分だけは、母親の味方であらねばという気持ちだった。
そうか、それは「マインド コントロール」ゆえだったわけね。
当の母親のほうも、私に向かって、自分の大変な苦労について、日々に言い聞かせ続け、子である私への大小にわたる不満をも必ず添えて、
だから、母親の言うことを聞き、従うことを要求し、
あるときなどは、学校で、「尊敬する人を挙げよ」という課題に対し、母親以外の人物を挙げたというので、眉間にシワよせて文句を言われたことが ある。
「なんで、尊敬する人は、おかあさんです」
と言わなかったのか!?と。
事情を知った他人さんは、「過干渉だな」とズバリ指摘するものを、当の母親自身は、「わたしは過保護な親!」と のたまっていた。このウヌボレの甚だしさよwあつかましいにもほどが あるww
うちの母親はね、
私の障碍の上にアグラかいてるようなところが大いに あったけど、
また一方では、
大企業勤務のバリバリ「キャリア ウーマン」にでも なってくれれば、とも望んでいて、そのときこそは、腐れ縁の亭主と離婚するチャンスと思ってたらしい。
そしたら、私の経済力で生活する気マンマンだったらしいw
どこまでも あつかましいww
そして、そうは問屋が卸さなかったwww
うーん、識者あたりから聞くところによれば、
「連鎖」という、たとえば、生育環境のなかで、親から暴力を受けていた女性が、恋愛や結婚の時期になると、要するに、親に似た暴力タイプの男と、なぜか くっついてしまったりするというんだけど、
そりゃあ、心底から、すごいと、尊敬したくなるような人ならば、こちらが受け身になってハイハイ言ってしまうかもしれない。
そのほうがラクだしね(笑)、そういうヨロコビってのも あるわねw
「ついて行かせてください!」
「わが身を粉にして お仕えしたい!」
みたいな?ww
でもさ、
ヘリクツばかり言って、一方的にワケ分からん要求してきたあげく、暴力までも振るうやつなんて、そもそもから、尊敬心なんて持てるかよお。
最初は持っていたとしても粉々だろう。
私なんかは、親に理不尽な暴力ふるわれてきて、このうえ何が悲しくて、あかの他人の息子にまでも、暴力ふるわせてやらにゃならんのか?と、バカバカしくて。
ざけんなーーー!!!![]()
![]()
![]()
の一言ですわ、はい。
ところが、やっぱりと言うか、上司や同僚みたいに、こっちの選択が通らないような人間関係においては、どういうものか、うちの親、特に母親に似た人に囲まれてしまうんだわ。。。![]()
ある職場なんかでは、初対面からムチャクチャに感じ悪かった先輩社員が、この人は、長らく、出産やら忌引などで長期欠勤していたんだけど、何かの ひょうしに知ったには、
なんと、
その人の亡くなったばかりの御両親の名前が、うちの両親の名前と同じだった。![]()
こういうふうなことが、いやに多いのよね、私のまわりでは![]()
そんな私は、いつぞやのエントリーでも思い起こして述べたことが あったかと思うけれど、小学校の最初期に受け持った担任のベテラン教師が、いみじくも見抜き、
「あまりにも自己主張が できない。将来、困ることになるだろう」
と指摘され、
親ですらも、これは認めていたように、周囲からは
「とても素直な子」
だというのが、私に対する、常に第一の評価だった。
そのせいか、デキが悪いわりには、上長や目上に可愛がられやすいという傾向も あったと思う。
しかし、
それは大変マズイ、間違ってるんじゃないかと思ったら、相手が誰であろうと、明瞭に指摘してしまうことも辞さないので、かえって、もとから素直な性格でないような人よりも、もっと、やれ「裏切った」とか「飼い犬に手を噛まれた!」的な感情を抱かれてしまい、ことさらに騒がれ、事態が深刻化することも あるかもしれない。
メデタイことばかりでは ないのだよ(苦笑)
それは さて置き、
一般的に、子どもってのは、特に幼い頃は、じつは、環境の激変を恐れる傾向を持ってるものだと見受けるし、
自分自身での経験や体験を積んでいく前なのだから、比較対象にも乏しいゆえ、わが両親が つくりあげた家庭の状態が、まともなのか異常なのかも判断は困難である。
だから、どんなに酷く感じては いる親であっても、急に引き離されたり、今後スッパリと会うことなく、生活環境が大きく変わるよとなると、とたんに、なんとなく抵抗感を持つんだろうと思う。
私自身も、小学校時分、親から、いざ離婚するにあたっては、引っ越しとともに、転校しなければ ならないと告げられたとき、それはイヤだと泣いたことが あった。
子どもの適応力、と、よく言われがちだが、実際は、子どもだって、慣れた環境からの急激な変化には、多かれ少なかれストレスもあるだろうと思う。
多少の知識も持つようになった私が、いまにして思えば、両親とも、それぞれに特徴的異常性を孕んでいたし、それでなくても、身内のなかには、明白に精神病の方面で患い続けた者も いたわけだから、私自身、同じような事態になっていてもフシギは なかったのだ。
「自分で考える」こと――
私が、どういうものか、あの親らに似ず、
いわゆる「マインド コントロール」にも わりと強い傾向が あるとしたら、
それは、通常一般レベルの環境で生育した人よりかは、もっと、より多くの「理不尽」や「不条理」に晒され続け、自分一人で直面せざるを得ないなか、混乱や錯乱に陥るのを避けるための、とことん思考――それは、当然、ことばを用いた切り分け作業を中心に行うわけだが、
そういう「訓練」のようなことを、おのずと、自身で行なってきた、
そうせずには いられなかった おかげだろうと思う。
――「艱難、汝を玉にす」――
しかし、私は、「玉」
になる前に擦り減ってしまったでやんすよw![]()
まっ、そういうことでして、
このブログの副テーマである
「とりあえずの光」
というわけなのです。
2019.07.06 (Sat)
うちの母親なんかも、「自分は絶対的に正しい!!」という勢い凄まじいタイプだったけど、
それは、他人さんでも、知っている人は知っている特徴だった。
周囲は、子である私の上に将来的問題が起きるであろうことを予想していても、うちの母親のプライドと言うか頑なさに恐れ入って、早々に退散していたことを、母親の死後になって聞いたこともある。
いまにして分かるようになったことは、やっぱり、一種の異常性格なんだろうなということ。
ただし、
これは、両親ともに共通していたことなんで、よくまあ、彼らの間に生まれ育った私が、その資質とは似ても似つかなかったことをフシギに思うばかりなのだが、
まあ、もしも、あの親のどっち側にでも似ていたら、さぞかし、どエライことになってたでしょうよw警察沙汰、新聞沙汰でww
それを思うにつけ、うちの親や身内は、私に感謝すべきよwww
家庭内殺人を起こすことなく、それどころか、私一人にトラブルの始末を押しつけて済ませられたんだから。
彼らは、自分の言動や行動が、まさに理不尽であることを分かっていたとしても、それでも、結局、自分のやりたいことを通してしまうんです。
自分の凄まじい欲求を。
ただ、いたってシンプルでは あるとも言える。
それは、自分の利害や「勝ち負け」に直結している!と感じた場合にだけなので。
それだけは譲れないみたい。
まるで、手負いのケダモノの如しw
したがって、当然に、強烈な「支配欲」は現れ出る。
幾度か触れたように、その根底にある感覚は、「勝ち負け」如何に あるわけだから。
だから、
「親に勝てると思うな!!」
てな、バカげたセリフも吐いてのける。
自分に逆らわず、自分側の利益に合致するなら、これ見よがしなベタ甘も演じる。
まさに「飴と鞭」戦術。
仮に、「負けた」という情況を、シブシブでも認めざるを得ないとなると、やっぱり、私のような子とか、立場の弱い者から順に、自分以外の誰かのせいにするんです。
もちろん、夫婦間でも、事あるごとに、「罪」の なすりつけ合いに余念が ない。
年がら年じゅう、はたで見ていてウンザリしてしまうよ。
もう鬱陶しい鬱陶しい。
虐待側は「しつけ」「しつけ」って主張するが、そんなもの、自分一人だけの言うことに無条件・反射的に従うよう「仕込む」ことを、「しつけ」だと言ってるだけだねえ。
つまり、利用できる「人質」。自分専用の「奴隷」育成。
「対等」関係なんて、全然、望んでいない、それどころか、心底では不安で、恐れてるわけなんだから。「負ける!」と思って。
例の、小学4年生を虐待死させた事件では、幼いながらも冷静かつ必死の抵抗を試みていた女児では なく、
その母親のほうが先に、手もなく「マインド コントロール」されてしまっていた、ってわけか。
最も被害を被っていた女児は、母親よりも、もっと抵抗していたのに。
私は、母親の代わりに、親父から殴られたが、
娘が虐待されなくなると、今度は自分のほうに向かってくるのでは ないかと恐れたという母親、ねえ。。。
女児が、加害者である父親に、
「おとうさんに叩かれたのはウソだった」という手紙を書かされて、それで、『児相』は保護を解除してしまったというんだよね?
何らかの事件で、証言を得る必要が ある場合、幼い子どもから証言を得る場合は、それは不安定なものであるという疑いを、いちおう念頭に置くらしいと聞くけれども、
なぜ、このケースでは、子どもの言うことを右から左に「信用した」のか?
と言うか、
こういうときには、つごう良くホイサッサと利用するオトナたち。
『野田女児虐待死事件の背景に「マインドコントロール」 DV被害者に働く心理とは?〈AERA〉』7/5(金) 8:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190703-00000085-sasahi-soci
「夫が」
「だって子どもが」
という言い訳。。。
この記事に登場した女性も、同じ言い訳してるね。
「長男が『お父さんに会いたい』と泣き、シェルターのスタッフからも『1度戻るのも間違いではない』と言われ」
そう言ってくれるの、内心では待ってたんじゃないですか?w
「シェルターのスタッフ」というのもイイカゲンじゃないかとは思うけど、私ならば、自分の実体験からも、その「スタッフ」とは、考えかたが逆だし、子どもが泣いたなら、情況を よくよく説明して、子どもなりの理解を促すとともに、不安を薄めてやれるよう努めると思うけど、
しかし、ま、
肝心の母親自身が、そもそも、不安と依存心を抱えたままグラグラしてるんだろうから、そうも いきかねるのが実際か。。。
私の同僚だった男性が言ってたんだけど、
彼の両親が離婚して、まだ学校に通う子どもたちと新しい生活を始めた おかあさんが、表面的には気丈に ふるまっていても、内心では、とても不安を抱えていることを、息子の自分は、どうしても感じてしまっていたと。
親の気持ちを、子どもは敏感に察するところが あるからね。
ま、あくまで私個人としてはですが、「子どものせいにしなさんな」と。この女性に対して同情的な気持ちには なれない。
お子さんたちに対しては大いに、身につまされるけど。
この女性は、お子さんたちの将来にわたる影響、特に、娘さんの恋愛や結婚に際し、何らかの問題が出現してくるであろうことも、いまから覚悟しとかないとならないだろうな。
うちの母親もね、
むかし、何かのおりに、どうして、避妊しなかったのか?ということを尋ねたときだったかな、
その答えが、
「だって、おとうさんが」
と。
要するに、「ナマ」でないと、マンゾクしないからってことw
当然、堕胎・中絶は何度か やったらしい。
うちの母親ってのは、直接的暴力は、さすがに、親父ほどでは なかったにせよ、その代わり、ことばの暴力や精神的な抑圧を上手に駆使する人だったけど、
子どもの頃から成人に至るまでの私が、そんな親の言動や行動のなかでも、どうにも怪訝に思っていたことの一つが、
両親のあいだで、またぞろの大ゲンカが始まると、早速、母親のほうは、なぜか、押し入れをバッと開け、上段に積んである荷物のなかでも特に重たそうな物を次々引きずり降ろし始めるんだけど、
幼かった私には、「何やってるのかなあ??」と、さっぱり、ワケが分からなかったw
要するに、
流産を招こうとしていたわけよね、かつ、親父に対するアテツケww
その当時は、母親が妊娠していることを知らなかったんだけども、おとなになってから、ふと思い出して、ああ、そういうことか、と気づいた私は、つくづく思った。
「きょうだいよ、あんたは生まれて来ずに済んで良かったねえ」
と。
むかし、「大河ドラマ」の、『戦国時代』か『江戸時代』だったか、ある偉人の生涯を描いた内容だったと思うのだが、その人物の子どもの頃、父親とか祖父とか伯父とかいった身内の男たちに、武士の卵として鍛え上げる訓練という名目で、実際は虐待に近いような過酷な「スパルタ教育」を施され、苦しむ息子を見て、どうしてやることもできない母親が、離れた場所から一人コッソリ見つめながら、
「いっそ、死んでおしまい」
と呟いた場面を思い出す。
【続く】
2019.07.04 (Thu)
というのは、
最近、どこぞのソフトウェア系の会社が、
「独身または既婚者でも、子どものいない人などに対して『信用ならない』」
云々と、『ツイッター』あたりで投稿し、これまた酷く偏りきった見解を堂々と発表したというので、
年々、知的レベルの劣化が著しくなったかと思えるような日本の巷でも、さすがに、各所から非難の声が巻き起こっているらしいのだが、
そりゃあ、雇用される側の立場で言わせてもらうなら、
「御社は、こっちから おことわりです」
の一言ですわなあw
こんなにも、視野の狭い見解の者が経営してる会社であるのなら、先々の経営が危ぶまれるわいと思ったら案の定で、赤字経営なのだそうなw
ま、余裕がないからこそ、こうした偏見に満ちた、ヒネクレてフテクサレたことを言い出す者は、けっこう見かけるもんです。
その社会の縮図でもある。
一言で済むんだよ、こんな愚かなゴタクに対しては。
まずは、あんたとこから、基本給与を上げなさいよ。
ってことだ。
だって、
現実、いまの日本社会の大問題の一つが、「少子化」で、
結婚したくても、子どもを得て、育てたくても、
できない!という事態が あるんでしょ。
その理由の第一が、基本的給与の少なさゆえの、家計の苦しさなんだから。
実際には、いまの日本社会で、各種の手当や何やらで、
最も優遇されているのは、子育て世帯なんだよ。
そして、こんな時代でも、ふつうに家庭や子どもを持てる人は、それ自体で、まずは経済的には概ね恵まれている層に該当するだろう。
もし、そうでなければ、何らかの家庭問題や子育ての深刻な問題(DVとか子ども虐待とか)が起きているであろうことは、連日のニュースを見ていたら、察しは つくよね。
もちろん、独身世帯は、最も、優遇されていない。ましてや「非正規」は。
そして、
一般的な会社勤めを経験してきた人なら、少なからぬ人が知ってるだろうけど、
妊娠とか子育て中の人の つごうを最も引き受けてるのも、独身者なんだ。
私自身も、子育て中で時短勤務の人のために、サービス残業を繰り返していた頃が ある。
その人は、どうしても、家のことで気が急くのか、もともと短気な人でもあったけれど、致命的な失敗を おかしたことが あり、私のほうで、そのカバーに努めたことも あった。
したがって、
結婚しろ!子ども育てろ!と主張したいのなら、その前に、
基本的な給与を上げなさい。
ちょっと考えたら分かることさね。
独身者は、給与を低くしておいて当然だ、という考えかたが、いかに本末転倒かということが。
アホやろがw
こんな基本的なリクツさえも分からない者が経営する会社なんてねえ、そりゃ、危ないですわw
淘汰されたらイイんちゃいまっか?ww
それとね、
逆立ちしても「無い袖は振れない」者に強制するよりか早い話、
富裕層の人たちには、1ダースくらいは産むなり、よそから引き取るなりして、子どもを持ってもらいたいもんですな(笑)
できるはずでしょ?
つましく暮らしてるビンボー人よりも、社会インフラを最大限に利用・活用して、もって、めいっぱい儲けさせてもらったんだから、社会還元として、やってくださいよおw
この日本社会に対して、恩を感じ、愛国心や感謝の念を持っているのなら、社会還元は厭じゃないはずよ?
そんなの厭だ!恩もない、愛国心も感謝も持ってないぞ、というのなら、さんざん儲けた大金で、無人島でもポンと買って、そこの森林のなかへでも引きこもって暮らしてくださいなww
ところで、
たしか『毎日新聞』の記事でだったかな、数年前に、とある中小だか零細企業を経営している男性にインタビューしたというなかで、その男性は、最後に答えて、こう言っていたのを憶えている。
「アベノミクス?これからでしょう」
と。
あの当時は、大手マスコミこぞって、日本じゅうが喧しいほど「アベノミクス!アベノミクス!!」と沸いたあと、そろそろ、
「あれ??」
という雰囲気になり始めていた、微妙な時期だったが、
そんな頃でも、くだんの中小だか零細企業を経営しているという男性は、「アベノミクスの恩恵」が、自分とこまで回ってくる日が訪れることを、固く信じたいようすだった。
「いま、どんな気持ち?ねえ、どんな気持ち??」
もし、私が、その男性にインタビューの続きを行えるものなら、そのように尋ねてみたいw
たまに、その記事を思い出すたび、「だから、あーたは、しょせんが中小・零細のシャチョーw」と、せせら嗤いたくなるのよww
まあ、大企業経営だと賢いわけでも全然ないけどw
だって、私なんかは、何度も言ってきたように、
「安倍政権は、戦後最悪政権」であり、
「アベノミクスなんぞは、一般国民・庶民にとっては無意味だと(ということは結局、国全体にとっても無意味ということさ。いや、有害なまでの結末になってしまったわなあ。やれ雇用が向上だの給与が上がったの言っても、それは、『アベノミクス』の おかげでは ないし、
良い思いしたのは、ヨメの実家の『森永』の株でウハウハだというアベシ含めた一部の既得権益層のみの話!)
アベシが返り咲いた直後から予想して指摘していた。
先日も言ったけど、かれこれ6、7年も前から、旧ブログやってたときから述べてきたとおりに、おおよそは なっていってる。
(もっとも、政権支持率というのが、しぶとくも下がりにくいのだけは、ちと予想外なほどだったと言っていいかもしれないが、なにしろ、大手新聞社を中心に、メディア側のアヤシサも感じるしなあw
日本の新聞社は、だいたいは政権寄りなのが昔からの ならいだそうだが、こういうところにも、日本の国民性が現れてるみたい。
まあ、アカラサマなのは『産経シンブン』と、その系列ほどじゃないにしてもw『朝日新聞』および、その系列も、もうダメダメかなという感じが日々強まってるしねww
地方紙の一部や個人にガンバってもらうしかないのか。。。)
大学すら出てない、何の専門知識もない私程度でも見抜けていたことが、なぜに、えらいセンセイがたや企業経営者たちに分からなかったのかが、ワカラン。いったい、この人らは何を勉強してきたんだろうか?と不審だわよ。
政治とマスコミと国民の連鎖的劣化。
まじ、もはや、だいじょうぶじゃないんじゃないの?この国。
2019.06.28 (Fri)
障碍者や社会的弱者といった人たちへの強烈な悪意に満ちたバッシングや、誹謗・中傷のための作り話すらが並ぶことで有名な「ヤフゴミ捨て場」には、そうしたコメントを諌めようとする投稿者は、ほとんど、いない。
にも かかわらず、
近頃、頻々と発覚している、子を、死に至らしめるまでも虐待する亭主に服従し、ついには一緒になって虐待に加担してしまった、不甲斐ないこと甚だしい母親を擁護する投稿者は、思いのほかに多いもんだから、なんだかヘンな感じが するw
さて、
子どもを連れて逃げないと言うか逃げられない心理状態について、もちろん、いろいろと経験してきた私さえも含めた一般の人々には、なかなか理解し難いものが あるのは しかたないだろうし、
そのあたりの心理的事情のことを、専門筋の人とかボランティアなどで かかわってきたと自称する人たちが、
世間一般からの理解が特に必要なのに、まず、それが大いに不足していることの認識から必要なのである、
といった指摘も なされている。
そこで、
私自身は、自分の子どもならぬ、母親について、自分の身以上に心配し、庇ってきた過去の経験・体験から、
なぜ、ほとんど反射的なまでに、大事な存在を、わが子を庇おうとせずにいられるのだろうか?
という、どうにも不可解さを感じてしまうことについて、もう少し掘り下げて考えてみた。
亭主に殺されそうになっている子どもを、守るどころか、虐待に加担してしまう母親の心理。
ヒントは、
「セルフ ネグレクト」。
もしかしたら、これに近い心理状態であるのかもしれないと思った。
厭だ、辛い、逃げ出したいとの思いが深くなるほど、
あたかも「セルフ ネグレクト」のように、フリーズ――動けなくなる――
それは、自分自身を罰するかのごとくに。
もとより力弱い子どもが、徹底的に やられている姿を目の当たりにして、自分自身の非力そのものな姿を重ねてしまい、
わが子を哀れに思う反面では、なさけなくも思い、まともに抵抗することすら かなわぬ子どもの姿に、むしろ、イライラしてしまっているのかも しれない。
つまり、
自分自身に対する、深い無力感や失望感と同時に、それを、わが子に投影してしまうのだろうか。
そういう、言わば二重の心理が、母親と言えども自分自身の身を真っ先に守ろうとしてしまう動物としての本能的動きと共に、かえって、虐待する夫との共犯関係を、むしろ積極的に行ってしまうのだろうか。この点は、まさに、いわゆるイジメの集団心理と大差ないように思える。なので、私は、以前から、「家庭内イジメ」と呼んできた。
「サディズム」と「マゾヒズム」は、背中合わせの一体だ。
最近のエントリーでも指摘したように、
暴力を振るったり殺したり、それは、心理的に、
自分自身に対しても行なっている
のである。
もともと、ホレて一緒になった男なのだろうから、やっぱり、子どもよりも、亭主のほうが大事なのが本音なのかもしれないがw
昔から、そういう傾向の女たちは少なからず いただろうと思うけれど、
もしや、いまどきの若い女性は特に そうなのかな?母親である以上に、女オンナしていたい、と思う女性が多いとも聞くし。。。
自分が、良いと思って選んだ男が、くっついてみれば、「トンデモ人種」だったということを認めたくないとか、もう少し耐えて頑張れば、なんとか、少しは風向きが変わって、やがて、最初の頃のように戻ってくれるかも、といった淡い期待が捨てきれないのかもしれないが
(たとえば『自己愛性人格障害』者の特徴は、初対面や、知り合ってから間もないうちや、あるいは、心のうちに押し隠した何らかの目的が ある場合に、非常に良い人がらの印象を与えることや、相手の気持ちを上手に翻弄したりすることに長けていたり、相手が振り向くまで、決して諦めず、根気づよく迫ってくるとも聞く)、
自分一人のことならば、ホレた男に殺されようが、一個のオトナの「自業自得」で一蹴されてしまうかもしれないとしても、
どんな理由が あろうと、
親としての、子への責任は、男女とも同等で ある。
おのれの不甲斐なさを、子の上に投影してくれるな、
と言いたくも なる。
おとなの女、人の子の親として、それでは通用しないんだから。
私だったら、自力だけでは どうにもならずに、これじゃあ、子どもを守りきれない!となったら、それこそ道端で通りすがりの人にでも、髪振り乱して すがりつくかもしれない。
人に対する不信感を、私自身も少なからず持っているし、さしたる期待は していなくても、とりあえず子どもの命を守るためならば、しのごの言ってられない。
これくらい できなくて、人の子を産み落とした親が つとまるものなのかね?
まさか~まさか~で、むざむざと時間が経ってしまう前に、
まず、子どもの身に危険が迫った その時点で、ぐだぐだ言ってるヒマは ないはずなのだが。
ほんとうに、自分よりも、亭主よりも、子どもを可愛く、大切に思っているのなら、石に齧りつけよ!!と言いたいところ。
なにしろ、家庭内の、まして、現代は、マンションだのの内側で起きてる事は、密室内でのことに等しいのだから、外部からは、なかなか、それと察するのが難しい面も現実的に大きい。
聴覚障碍の私なんか、子どもの泣き声を聞き取ることも困難だ。
親でありながら、自分だけ「セルフ ネグレクト」的な無力感にドップリ浸りきる前に、なんとか助かる方法を必死で模索するべきなのだし、それは、そんなに難しく構えなくても、まずは隙を見ておく。
これ以上、動きにくくなる前にと、行動を起こすことを意識していないと、時間が経てば経つほど、動けなくなるのだから。
ところが、
しかし、実際には、「危険」が「危険」だと判断することにすら、躊躇してしまうものらしい。
まあ、親の家庭しか知らないままの、幼い子どもなら、ほとんど、そうならざるを得ないものだと、それは理解できる。
だが、一個のオトナがねえ。。。と思ってしまう。
私なんかは、ほんの幼児の頃でも、やっぱり、親父の ふるまいに、恐怖と異常性を感じていたものだがなあ。。。
ただし、
年齢を重ねて、親を看取ったあとになってから、やっと気づいたのは、
これまでのエントリーでも幾たびか触れてきたように、
むしろ、母親のほうが、タチが悪かったのだという問題。
要するに、
巧妙に押し隠された暴力性に、それこそ、「気づいていなかった」わけで。
大事な、しかも弱い存在を、ほぼ反射的に守ろうとすること
(それは、自分のためでもあるわけだから)
それを敢えてのように、やらなかった母親たちに、どうしても、怪訝な感じを持ってしまう、そこで考えているうちに思い当たったのが、
先述した「セルフ ネグレクト」の延長的心理、
および、背中合わせで一体たる「サディズム」と「マゾヒズム」の心理だ。
現実的な対処としては、やはり、
もし、頼る身内も、友人・知己も ないのならば、さっさと警察でも役所でも出向いてみることだろう。
そこで、とにかく逃げるための手段を聞いてみるべきだし、
そのときは、警察や役所関係の人も、テキトーに あしらうようなことは、決して、決して、しないでほしい。
役所あたりの人間が、無知では、話にならない。
市民のための情報を豊富に用意し、周知を図り、何かしらの手がかりを伝えられるようにしてもらいたいものだ。
直接虐待側の親も、それを見ていて、どうすることもできない側の親も、どちらの側も、要するに、子どもを私物視しているのだろうと思う。
とにかく、
子どもに対して自己投影するな!
と言いたい。
自分自身の内なる「自己憎悪」に気づかなければ ならないよ。