2019.10.14 (Mon)
まずまず、ですと?
「まずまずに収まった」(?)
はあ??
まーだまだ これからやろ?地盤崩れなど関連事も含めて、詳細が判明するのは。
最初に報じられた被害規模や死傷人数を知っただけでも、「うわあ
」と思ったけどね、私ですら。
むろん、これから増加していくであろうことが明白だからだ。
まあ、国民の命は、「数」そのものでしかない。
まさに、得票数と同じなんだ。
あるいは、かの『ナチ』の収容所に、うずたかく夥しく積み上げられていた、犠牲となった収容者たちから奪い取って、種類ごとに分別されていたメガネやら靴やら、そんな感覚なんだろう。
それが、政治屋の感覚。なかんづく『自民党』は。
相も変わらず、ことばの感覚が極めて粗く、稚拙、無神経、思いやりも、寄り添うも何も あったもんじゃない。
その年齢になっても、
大ベテランとして、与党の重鎮として、長の年月を「政治」の第一線に立ってきた人が、国民の神経を逆撫でするようなセリフを平気で吐く。
平気で吐けるのは、気が咎める意識もないから。
つまりは、それが当然という感覚が根底にあるゆえの本音だからだ。
「政治屋」ならば別だろうが、「政治家」というものは、国民や民衆への愛が なければ、そのための政治は つとまらないだろうし、そもそも、政治の世界に入らないでもらいたい。
政治は、売り上げを数える商売では ないのだから。
ところで、
昨夜、『八ッ場ダム』についての、『読売』新聞の、さも事実だけを冷静に伝えました(つごうに合わないことはダンマリですがw)と言わんばかりの記事の言外に、なんともイヤラシ~イものが滲み出ているのを、早速、旧『民主党』叩きに使えるとて、マダニの如く飛びついている「ヤフゴミ」どものコメントを眺めていたら、
そのなかに、
「自分たち土木系は、ミンスなど絶対に支持することは ない!」
というふうな投稿が混じっていて、そりゃそうよねwと苦笑した。
先日の当ブログ エントリーでも、
以前から指摘していた、頑丈な公営住宅の問題ならびに、今後の避難所の問題それ以前に、
そもそも、自民党の従来、飽くまで「個人で持ち家を推進」政策の弊害を述べておいたのだが、
ま、二階さん自身、まさに「土木」「建設」系の出身だそうだから、そっちの皮算用でホクホクなのかもね(嗤)
ここで あらためて付け加えておくが、
「備え!」「備蓄!」と言ったって、個々のケースによって、大きな限界も ままあるし、せいいっぱい万全のつもりでいても、大規模災害となると、何ら役に立たない事態も ままある。
避難所へ行ったからって、それだけで安心とは限らないし、場合によっては、そこでも隔絶が起きたり、緊急救助が必要になる恐れも ある。
自民党政府と、その手下どもの本音である「自己責任」を根底に潜めた、ていの良い説教を真に受けないことだ。
各種の災害に強い家屋で、子どもを含んだ家族と共に生活できているのは、あたりまえのように見えても、実は そうでは なく、むしろ、とても恵まれている層であり、今後、どんどん少数層になっていくかもしれない。
昨今では、もはや、老いも若きも、一人世帯という現状が増えている。
『八ッ場ダム』の本当のところについて、嘘つき『自民党』支持者や暗愚の代表たる「ネトウヨ」の言うことなんざ一切、信用できないのは当然で、
今後、ヘンな組織からの根回しが効いてない、真面目で、まともな専門家らのシミュレーションなど出してもらい、その検証結果でしか判断できないことだ。
なんせ今回は、工事中断を経てのち、『八ッ場ダム』完成前の試験途上という、たまたまのタイミングによる不幸中の幸いという結果であって、
次からは、もう このテは使えないんでしょうが?
ほんと、自民党のシンパって、なりふり構わずのバカまる出し。
いつでも どこでも、信仰対象あるいは、甘い汁の分け前に あずからせてくれる自民党のためならエーンヤコーラ!とばかり、
恥知らずにも、デマ・ガセだろうがネタだろうが広げ回し垂れ流し![]()
そうやって、無知な一般社会にカン違いさせる。![]()
![]()
野党と報道人、しっかりしてくださいね、ほんとに。![]()
『八ッ場ダム』を めぐっても、住民や関係者間の激しい対立・分断が起きたように、
長年にわたって住み慣れた家屋や地域を離れることだけでも、当事者にとっては「人生が ひっくり返る」ほどの大事件だ。
ましてや、
命というものは、一回性のものであって、リセットは利かないのだ、
ということを、当ブログでは近頃、何度か言及した。
たった一人にとって、その命は、ただ一つしかない。
かわりは ない。
したがって、
自分の命を なくすことは即ち、
「日本」どころか、この世界まるごと全てが消滅することに ほかならないのだ。
ま しかし、
決して おろそかにして見逃しては ならない大スキャンダルが、各界で次々に浮上している さなかの、大災害。
これこそは、日本と、その国民の宿命的な、最大の不幸なのかも しれない。
おかげで、
政府自身も追及され、窮地に追い込まれる恐れのある あの問題、この問題から、全国民の眼がイッキに逸らされる状態になってしまい、
むしろ、政権側は喜んでいるんじゃあるまいな。
毎度の冷血ぶりが表れた発言を見ても、それが透けているようだよ。
2019.10.14 (Mon)
『「よくも!」と怒りたいのは、いつの時代も。』の続き。
まあ、またぞろ、どえらい台風が、こないだ被災したばかりの所を直撃するんじゃないかとか、これからの日本は、列島全体が毎年こういう不安に苛まれ、実際に被災しては、立ち直れないうちに次々お見舞いされ、
「泣きっ面に蜂」、
まさに「踏んだり蹴ったり」、
こういうパターンになるそうだから、
絶望的な少子化、若年層の不足を どうすることもできなくなったらしい国で、子どもを産める人は、間違いなくノーテンキとしか言いようがないな。特に、庶民はね。
あらゆる問題を柔軟に緩和する社会の調節機能を果たしていた最大層であったはずの庶民は。
おまけにさ、
教育界も、まるで暴力団と、それに癒着した政治屋を足して二で割ったごとくな体たらくが発覚。
仮にも教師ともあろう者が、
しかも、「いじめ対策」担当だったとかいう教師が、
「ミイラ取りがミイラ」でもあるまいに、新人をイジメ抜いてたって事件。
悪い冗談かよ?![]()
暴力団員も顔負けの恫喝ぶりだったという前校長と、
その、暴力団の組長みたいな校長の手下さながらなチンピラ教師と、
教頭時代から それらを知りながら、
なーんも できなかった、リーダーシップ ゼロの、無能・事なかれの典型みたいな後任校長といった登場人物たち。
どちら側も、ベテランの年齢らしき女性が混じっていたり、「ボス」格すら やってのけてたというのだから、いよいよ呆れる。
さぞかし、職員室の雰囲気も最悪だったろうね。
私の中学生時代に担任だった、中年の女の先生は、子どもさんも いる おかげなのか、そうとうデキの悪い生徒でも大らかに接しつつ、厳しくすべきは厳しくと、メリハリ利いていた。
私とは年齢差の大きい兄の中学時代の担任でも あったので、兄は、妹の担任が、かつての恩師だと知って、とても懐かしがり、
「あの先生、優しいやろ?」
と頻りに言ってたが、
私が親しくしていたクラスメートの女子が、あるとき、何かの切っ掛けで、男子たちから、酷いコトバを投げつけられ、彼女が泣いて訴えたとき、
その先生は、すかさず、下校前のホームルームのおりに、当該男子らを、論理的なコトバのみで厳しく糾弾し、
ついで、他の生徒たちも鋭い眼で見渡し、つよく戒めた。
ふだんの、ユーモラスで、「おかあちゃん」な雰囲気の先生からは、想像できないほど、ドスの利いた声で、みんな、震えあがってたよ。
そして、ますます、生徒たちの信頼を厚く得ていた。
私の子ども心にも、「こりゃダメだ」と思った教師も少なからず いたけれど、
そして、そういう教師は、他の児童・生徒たちにも往々にして見抜かれていたりしたもんだったけれど、
やっぱり、敬意を抱かずにいられない先生も おられたから、私自身は、教師全体に対する不信感までは持たずに済んだ。
しかし、
ン十年も前の私の学校時分の話。
大概の教師は、まあ普通の子とか、根はマジメとか、それほど逸脱してない生徒に対しては、少しのことでガミガミうるさく注意し、何かにつけて細かく縛ろうとするのよね。特に、表面的、形式的なことで。
その反面、
根っから不真面目とか、ほんとうに不良になっちまってるような生徒とかが相手だと、やたらヘラヘラして、ほとんど見逃してた。
あるいは、
ごく少ない例だけど、
軽度に知的問題を抱えてる児童・生徒が相手の場合とかも。
そういう傾向について指摘すると、
「見離されてないうちが花。何も言われなくなったらオシマイ」
とか言ってて、
生徒である私らは内心、
つごう良く誤魔化してるな、、、![]()
と反感を感じてたよ。
いまに始まったことじゃなく、
従来、ガッコのセンセイの殆どは、多かれ少なかれ、保身的だ。
だって、
基本的には、おとなたちの言いなりで要領良く「良い子」「優等生ちゃん」を通してきたタイプが就く職業なんだもの。
特に、「教職公務員」はね。要するに「体制側」でしょ。
私立学校の教師でも、やっぱり、いろいろなタイプが いるのは、公立と ほぼ変わりないけど、
私の恩師のなかには、
公立校の場合、世界じゅうを長く放浪したのちに帰国し、英語ペラペラで、高校教師の資格を持ってるのに、敢えて中学生の英語から指導したいという動機で赴任した、珍しい経歴の先生も いたし、
私立校のときは、もと新聞記者だったという先生も いた。
どちらも、個性的で、型破りで、見るからに飄々とした雰囲気で、そういうタイプの人が、私は大好きなんだけど、
また、どういうわけか、私のほうも、そういう変わりダネの先生に何かと注目されたり、可愛がられる生徒だった。
逆に、
最も多いのが、いかにも「ガッコの優等生」だったという雰囲気の、平凡なタイプの教師、または、
いわゆる「体育会系」「スパルタ方式」とでも言うんだろうか、やけに威圧的なタイプほど、もちろん、体罰も好きみたいで躊躇しないし、
一切の「はみ出し」的なことを許さず、いちいち煩く指図して、細かいことでもヤイヤイ言ってくるので、嫌いだった。
ヘンな先生、ヘンな おとな、と、軽蔑心すら もよおすことも あった。
あと、
それと、見るからに神経質そうな、陰湿で、プライド剥き出しで、視野の狭いヘリクツ攻撃を繰り出してくる数学教師とか美術教師も いたw
私の周囲でも、「教職」というものに縁は多いほうで、
まず、兄が大学出て すぐ、新人のうちから主任教師だったので、職員室の雰囲気やら教師間の反目やら問題教師のことも聞いてたし、
母親は「PTA」活動に のめり込んで、学校じゅうの教師から一目も二目も置かれて親しくしてたし、
友人の おとうさんは、教頭か校長やってて、教師としては、受験指導等に熱心だが、私生活においては、家庭内での問題も いろいろと聞かされていた。
私自身の仕事でも、「校長あがり」の上司と接していたことが あるし、
そもそも自分が、かつて児童・生徒の立場で あった頃から、あの世界にも、ドロドロした面が あることは薄々察していたし、いろんなタイプの校長や教師たちを見てきて、たしかに「ピンキリ」と言えるなあとは思うけど。
ただ、校長となるとねえ。
ヒラの教師たちを監督・指導するべく、よりいっそうの見識と指導技術が あるはずでは?と思ってたしねえ。
まあ、私と同じ職場で仕事してたオッサンで、そうとうイイカゲン、デタラメな者でも、なり手が いなかったからって、「PTA会長」やってるというので唖然としたもんだけどw
そんなオッサンでも、
「校長あがりなんてのはねー、あんなもんなのよ。子どもの前で演説するだけ。それしか できないの。だから、あんたもね、いちいち腹たてても しょうがない、しょうがない。だって、あの人は校長あがりなんだから!」
てなこと言ってたわよ。
個々の家庭では、ますますもって、親が子を虐待し、殺してしまったり。
高齢になったら、病院で、施設で虐待され、殺され、
家庭で介護も、やっぱり、子に殺され。
学校時分から、「子は産むまい」と、心に決めていた私だが、もし、いま、出産可能だとしても、あの頃とは違う意味で、
「つくづく恐くて産めんわぁ」![]()
と思う。。。
産むなら、せめて、比較的にでも災害が少なく、暮らしやすい国へ移住してからやね。
ま、それにつけても、お金がねw![]()
2019.10.14 (Mon)
トランプさんでも橋下さんでも百田さんでも竹田さんでも、
いま話題のグレタ・トゥンベリさんを、アタマから批判したり、中傷したり小バカにしたりするのは、
私に言わせれば、そんな彼ら自身が、何か確信犯的なのか?それこそ、何らかの勢力や権力筋に「洗脳」されている軽薄短小者なのか?
と疑わしい連中です。
それとも、
「汚れっちまった」エセ大人であることに、まったくの無自覚なのか。
彼らの言っていることは、単に「自分棚上げ」や「自己投影」から出ているコトバとしか思えませんわ。
まだ子どもと言っていいほど若い人を つかまえて、やけにムキになってさ(嗤)
実は、このエントリーも、数日前の ある記事を読んで、ほぼ書きあげてあったのを、またぞろ、そのままにしていたのだが、
さて、東大名誉教授の上野千鶴子氏が、こう おっしゃったそうだ。
「環境問題は『未来世代との連帯』と言われてきました、が、その『未来世代』は死者と同じく見えない、声のない人びとでした。その『未来世代』が当事者として人格を伴って登場したことに、世界は衝撃を受けたのでしょう」
いやいや。
子どもや孫を持つ人たちは特に目の前で日々、見ているじゃないですか。「その『未来世代』当事者」を。
私自身は、子や孫を持たなかったから、怪訝に思っていたけれど。
「しょせん、子どもが いない者は」
と言う人たち、世間では とても多いみたいよね。
でも、最近は、
実際には、そんなもんなのだなあ?と、諦念に似て思うようになった私。
以前から指摘してきたけれど、
子どもを産み落とした人たちは、私に言わせれば、往々にして楽観的で、基本が俗物なのですw
「子を持って一人前」とか、子を持つことで、それだけで、なんだかリッパになれたような気が するらしい、野生の猿の価値観さながらな人々ww
そうでないと、
子を産み落とすことなんて、
ましてや、
このような日本で、なにがしかの抵抗感どころか、子を産むのが当然!という気には とうてい、なれないはずですよ?
あのグレタ・トゥンベリさんの世代から見れば、まさに、私らの世代こそを中心に含めて、「よくも!」と糾弾したくなる対象だろう。
けれども、
例の『福島』での原発大事故を機に、あらためて私が驚いたのは、
「いつの間に!日本じゅうに、こんな たくさんの原発が」![]()
ということだった。
ところで、私の実家では、いつだったかの過去エントリーで述べたように、
夏の1ヵ月間だかは購読料ロハにするという約束を、営業に来たオニイチャンに、うちのケチな親父がフッカケて、無理やり押しつけたらしく、
以降、ずーっと、『読売』新聞ひとすじで何十年と購読していたのだがw
そもそも、国の「原発」施策に大いに関わっていたという、あの『読売』ですら、私が若かった頃までは、「原発」の問題についても、わりに、ちゃんと報道していたように記憶している。
でないと、中学・高校生時代の私が、ほぼ『読売新聞』しか読む機会が ないのに、問題意識を少しは持ち得ていたはずが ないので。
いまでは もう、すっかり、安倍政権ソンタクのヨイショの、
『自民党』御用達ペーパーとなり果てて久しいけどなw
うちの親らは、「低学歴のうえ、女」である母親でさえも、政治や社会問題全般に対して関心は持っているほうだったのだが、なぜか、両親ともに、「原発」問題については、何か話していた記憶が ない。
フシギな気が するほどだ。
それと、
私が、「環境に良くないんじゃ」と咎めたことに対して、「うちだけが心がけてもムダ!」と即座に一蹴されたという出来事も、一度ならず あった。
特に母親のほうは、戦中・戦後の子ども時代を経験しているにもかかわらず、食品を使い忘れたまま腐らせてしまったり、つくり過ぎて廃棄したり、食べ残したりと、食べ物を粗末にする傾向が あったので、子である私のほうが、よっぽど、食べ物をムダにすることへの抵抗感が つよくなった。まさに「反面教師」と言えるだろう。
うちの親らの世代というと、間違いなく、まずは、あの戦争に翻弄された世代である。
親父らの同世代は、例の『特攻隊』といった「クレイジー」な命令にも従容と、あるいは嬉々として、従った。
その世代が、戦後、中心となり、こんにちの日本へと繋がる道を着々と つくりあげてきた。
うちの親父は、個人的に、自分の養父に対する恨みも あってか、
自分自身が高齢になるにつれて、親世代に当たる『明治』生まれ世代への反感を つよめていった。
もとは、若きエリート軍人らしく、『天皇』崇拝者だったのに、いつしか、『昭和天皇』に対しても冷淡な姿勢へ変化していった。
自分自身の子どもや孫が いるからこそ、全体の将来像を思い描き、深く案じもするはずだろうと思うのだけれど、はたして現実は、そうだろうか?
うちの親も、自分自身の人生への不満やらを、子どもで個人的に解消したいと思っているフシは見受けられたが、
おおむねは、単なる「自己投影」に発し、軽薄な「自己満足」に終わっていた。
いつの時代も、子どもは、その親世代のツケを払わされることになる、
それが、この世の現実では なかろうか。
かつての子ども、すべての子どもは、グレタさんなのだ。
それにしても、あちゃらの若者は行動的で、おとな顔負けにシッカリしとんなあと感心することも多いけど、
日本の子どもや若い世代は、いよいよキモチわるいくらい、おっとなしいねえ~。だいじょうぶかよ?
先日も、二十歳代の人と、仕事の ありかたなどについて少し話を する機会が あったのだが、あまりにも、従来の社会や陳腐な おとなたちの影響下にあるのか、些かの疑問も持たず、画一的で、通り一遍で、「哲学」のテの字もない、ある意味、人間の現実というものを無視した、形式的良い子ちゃん、つまり「優等生ちゃん」むき出しで、「こりゃあアカンわ」
と思った。
その若者自身は、公私とも平均以上に恵まれた立場に居る、健康的な好青年だけれど、
何と言うか、
適性とか考慮することなく、言わば「苦役」であっても、「仕事」というものは、そんなものでアタリマエという考えなのね。おそらく、世間一般からの受け売りだろう。
そういう、決まった「枠」が大前提として あり、
そこから少し違う角度でも考えてみることなんて、思いも つかないようだった。
そりゃ「ブラック」でも従容と黙々と従って、逃げもせず、抗議もせず、
機械的に日々の作業を続けていた「良い子ちゃん」が、ある日とつぜん、とんでもない事件を起こして、周囲が仰天する、そういうパターンが増えてきたような気もするわけよ。
【続く】
2019.10.05 (Sat)
『【続】異常者は、ゴリ押しが お好きw』の続き。
ところで、
うちの親父のほうはと言うと、これが また、「千葉」と「目黒」の各父親に似ている。
その女房である母親のほうは、まさに、「森山」という人と似ている。
やれやれ。。。
スケールは小さいながら、こんな夫婦に挟まれてたんだぜ、私って。
(苦笑)
やはり、決定的に分が悪かった親父は、母親の話によると、
かつて、家庭裁判所で小細工してまで真っ赤な嘘を通そうとしたそうだし、
なるほど、
徹底した被害意識と自己憐憫ゆえのものか、
恥ずかしげもなく、さめざめと泣いても見せるし、
なんだったら土下座すらも厭わないところが あったよ。
知人たちの話を聞いていても、
かなり深刻な問題を孕むケースの家庭は、世のなか、意外なほど少なくないのかなあと思うけど。
専門家筋の話によると、
「『自己愛性人格障害者』は、実際に、企業などの組織体で出世していることも多い」
ということだし、
「勢いが強過ぎるタイプの人は、精神的異常の範疇」
ということである。
はたして、そのとおりだろうと、私は かねてから推察していた。
そして、
「異常性」を潜めた手合いこそは、個々の家庭から大きな組織体に至る そこかしこで、マメに動き回り、はたらきかけ、世のなかを牛耳っているんだわ。
そりゃあ、人間社会は良くなるどころか、やがては腐っていく一方よ。
世のなかを動かしている中心は、自己愛に凝り固まって異常性を帯びた者たちなんだから。
ひいては、
異常発生的に「特化されている」男性というものが、人間社会の中心を動かしている意味も考えてみたら いい。
男性という存在が いなかったら、良くも悪くも、どうであったろうか、と。
それらを考えたとき、
およそ男性に弱い女たち母親たち、
さしづめ『自民党』所属の女性議員や『日本会議』あたりの組織に参加し活動している典型・稲田のような女たちの、
なんとナサケナイおつむや精神レベルであることかも、思い当たるだろう。
要領の良い「優等生ちゃん」ばかりではダメなんだ。
どうやったら、精神性を高められる、ほんとうの知性を育むことが できるのか考えないと。
大多数の一般人・大衆にこそ喫緊の課題。
民衆の(女たちの)知性が高ければ、愚物や自己中を、権力の(夫の)座に寄せつけることは ないのだから。
政治は、民衆のレベルの反映。
夫婦は似た者どうし、つり合うレベルだから ひっつく。
2019.10.05 (Sat)
『異常者は、ゴリ押しが お好きw』の続き。
「いままでに、わたしが ついた嘘なんて」どーでもエエよ、というような
福井の海w
さあ、出るわ出るわ、あの「パンツ高木」やら「国民の幸せ第一はダメ!の『日本会議』稲田」やら。
『自民党』は昔から、こうだからね。
だから、私は、もともと大の「自民党嫌い」なんだけど。
同時に、
それほどは驚かないのが、あたかもマヒを起こしたみたくに、また困ったもんで。
最近、発覚した『関電』の大疑獄。
先日のエントリーでも述べたように、真っ先に疑問が湧いたのは、もと「助役」なる経歴だが、
それ以前の仕事は何を やっていたのかな?
それと、
この森山さんが、「先生」と呼ばれ、
よりによって「人権」をテーマとする講演に出ていたというので、
なにソレ???と、フシギに思ったのだが。
また、
数々の「働き」は、「助役」を退いた後の数十年に、ということらしいが、
言っても、たかだか、田舎の中小企業でしょ?
そこが、あんな巨額の裏金って。。。??
この分では、そもそも「助役」現役中のことも、調べあげねば ならないだろう。
さて、
こちらの事件では「森山」という人物の生前のようすを聞くにつけ、うちの母親と共通した性格を思い起こさせる。
「プチ森山」とでも言おうか、
もちろん、うちの親なんぞは、両者とも結局は一市民の人生、スケールは いたって小さいものだったけれど、その性質や性格、行動パターンの基礎には、まぎれもないものが窺える。
福井県での「関電」疑獄発覚において、中心的存在として動きまわっていた森山なる人物には、
自分の意向どおり運ぶためなら、どんなゴリ押しも辞さないし、
いざとなれば、暴力団顔負けの恫喝や恐喝も やってのけていた、という指摘が あり、
こういう性格は、うちの母親とも共通性が ある。
「アベノミクス」の呪文も効かなくなり、
「外交の~」という涙ぐましいキャッチフレーズも、単なる「代わりに言ってくれてアリガトウ」の社交に過ぎない!と喝破され、
ここへ来て いよいよ生気のない、だるんだるんの顔つき、どんよりした眼つきになっている現シュショーのアベシにも、かねて、
「爺さんゆずりの恫喝だけは いっちょまえ」
という指摘が漏れ聞こえていたがw
さすが、
「ケチって火炎瓶」の暴力団との交流で培っただけのことは ある(嗤)
私もね、
「ヤクザ」と言うよりも、現代では「暴力団」と呼ばれる組織の者らと、少々の話を したことくらいは あるよ。
印象としては、
そのへんの一般サラリーマンなんかよりも、よっぽどマメに気を遣って、愛想は良いかもしれない。
ただし。
飽くまで、あたりさわりのない雑談を するかぎりでは、だ。
明るく大声で笑っていても、眼は決して笑ってないぞ。
そして、やはり、どこか、尋常でない眼つきを している。
と言うか、
もっとも、私個人は、むかしから、
「ふつうのサラリーマンやOLである自分たちは、まともで真っ当な人間の種類に属している代表」
と信じていることにすら無自覚な、そういった「会社勤めの一般人」こそは、いちばんウヌボレててイヤな感じの連中が多い、
と思ってたけど。
うちの親の両者とも、事情を深く知らない他人さんからは、「腰が低い」とか「感じが良い」とか、
または、母親のほうは、その並はずれた容貌と体躯ゆえに、「堂々としていて威風が あって、恐いくらいだ」と評価させるほどで、
両親どちらでも、いわゆるソトヅラは いたって良く、
似ない娘の私は常々、「もっと愛想を良くせよ」と注意されていた。
ただし、
彼らは、自分の意に叶っているかぎり、あるいは、
自分では太刀打ちできないような力を持つ相手や権威・権力筋ならば、態度はコロリと変わる。
それでも敢えて逆らおうというような場合は、なんとか自分でも太刀打ちできるだろうと踏んでいたり、そのための下地を前もって構築しておいた場合に限る。
ハナから見くびっている相手(娘の私とかw)なら、
せめて基本おとなしくしているか、
自分の要望を従順に聞き入れ、できるかぎりは積極的に、意に沿うよう動いてくれていると見做しさえすれば、むしろ、大いに肩を持って、感情むき出しに援護射撃してくれるけどねw
もちろん、
意に反して逆らったなコイツ、となると、
とたんに猛烈な妨害や恫喝が開始されます。
こういうのって、天性のものなのかねぇ?ようワカランけど。
なるほど、この両親に全く似なかった私では、歯が立たなかったわけだw
見下されつつ、同時に、たいへんアテにされていた私。
もっとも、私には、親の失態による、不利な条件が様々に負わされていたので、それゆえ、彼らの要望を完璧に満たしてやることが できかねるという、致しかたない側面も あったわけで、そのへんは幸か不幸か、というところ。
しかも、
私の子ども時代は、他の子たちと比べて、非常に素直な性質だったものの、日常生活で多岐にわたる軋轢の多さから来る疑問に直面せざるを得なかったから、そうそう「素直」ばかりでは いられなかった。
長じるにつれ、あらゆる知識と共に、リクツっぽい面も大きくなり、
そういうところが、うちの親らにとっては、可愛げなく、オモシロくない点だったろうw
【続く】