2019.11.10 (Sun)
水で洗い流すより以上に、本当の「浄化」は、火で燃やすことなのだという。
火が焼き尽くしてしまうのは、「汚れ」が溜まりきっているからだと聞いたこともある。
さて、
隣りの半島の国もそうだけど、
自分の国を、一度は失ってしまったという歴史を持つ民族は、あたかも宿命のように、失う悲劇を繰り返してしまうのだろうかとすら感じた。
だからこそ、『沖縄』は騒ぐんでしょうね。
まあ、日本だって、実質的には「失われている」と言えなくもなさそうだし、
少なくとも、実際に失う事態に直面した歴史を、わりと近年に持っているわけだ。
このたびの『首里城』焼失について。
いやはや、みごとなまでに燃え尽きたなあ。。。
このエントリーも、ザッと書いたまま2、3日ほど放置してあったのだが、
時間の経過と共に、関係各当局の歯切れ悪さにも かかわらず、透けて見える部分は漏れ出してくるもので、ここ数日間で、私にもズバッと言えそうなことが幾つか出てきている。
まあ~、だらしないことだ。
まずは『沖縄』!
「なんくるないさー」の性分、「南国気質」ってやつが出ちゃったのか?
原因もサッパリ突き止められないうちから早々、「再建だー!!」「寄付だー!!」「政府の支援を!!」と叫んでいるのは、いかがなもんか?という多くの意見も、むりは ないと思える。
その反面では、
なけなしの小遣いを差し出してみせる、ほとんど何も知らないであろう、素朴・純真な児童・生徒たちの姿を、全国から映し出すメディア。
典型的な情緒優先の光景。日本人も韓国人も、まあ、こういう点については特にソックリなんじゃないかと思う。
さてさて、
戦時中の悲惨な経緯から、ほんものの『首里城』を失っている。
だから、国が全面的に責任を持ち、可能なかぎりの再現を果たす、それは当然だろうと思うし、実際、できるかぎりのことは したのだろうから、
できれば、あとは もう、政府を頼らず、自腹と寄付だけで再建したら どうか?
そうなると、燃してしまった その足もとにも及ばないような、大雑把で安っぽい造りになるのかもしれないけど。
そう、コンクリートにしておくといい。
コンクリートで、なんくるないさー!
コンクリートと言えば、
こないだの台風で甚大な被害を受けた「本土」の住民に対し、
「沖縄の住民である われわれは、来襲がアタリマエの台風に備え、周到に、家屋もコンクリートにしてある、万全の対策を講じてある」
と、ほとんど自慢やアテツケみたいに言い放ち続けていた、自称『沖縄』県民の「ヤフゴミん」たちは、あっという間に、いなくなったな。
一般の民家ですら、コンクリで頑丈に建ててあると言ってるのに、大事な大事な お城が木造って、、、?と、私は怪訝に思っていた。
これまでの私は、
『日米安保』『米軍』と、その駐留基地の必要性を固く主張し、かつ、ゆえに『自民党』『安倍政権』を全面支持している、という自称「沖縄県民」を、「ヤフゴミ捨て場」で ちょくちょく見かけていたのと、
選挙結果で、『自民党』を勝たせてしまうことも たびたびだったことから、
はたして「オール沖縄」というキャッチフレーズに、時には、大いに疑念を持っていた。
そうでは ありながらも、基本的には、『沖縄』の味方だったつもりなのだが、
『首里城』は「ウチナーンチュ」沖縄県民の「心の よりどころだった!」「宝だった!」「象徴だった!」と、いかにも悲愴なセリフを言い募って、激しく嘆くわりには、ずいぶんと、ずさんな扱いかただったのね。
口先だけだったんでしょ?
不始末の直接原因を齎したのでないかと疑わしい現場関係者も「ウチナーンチュ」、地元の人たちじゃないのですか?
『沖縄』に行ったことないし、今後、行く予定もない、その余裕もない私は、『首里城』復元のことについて、ほとんど何も知らないで いたし、
ぶっちゃけ、『首里城』が存在していようが なかろうが、「本土」の住人である私個人の生活にとっては関係ない、
と言うよりも、ただただ、莫大な税金が、あっけなくムダになったこと、
そして、
この災いに、むしろ、つけ込み、乗じる構えを早速、見せている、イヤラシイ安倍政権に対する警戒が もたげてきて、もう、不快感マンタンだ。
アベシを援護射撃しているかのような『北朝鮮』と似た不快を感じる。
あとね、
「所有者」たる国の方針も、すごく おかしいよ。
たたでさえ、非常に燃えやすいことが分かりきってる木造のうえに「桐油」とかいうやつを塗たくってあったんだってね。
どんなに、オリジナルに忠実に復元したと言えど、木材ひとつとっても、実際は、オリジナルと同じじゃないでしょ?
国外へまで無理を言って、融通してもらったらしいじゃないか。
復元に当たっては、その方面の専門家の意見も取り入れているはずだろうけど、
「できるだけ、当初のとおりの復元」
という方針だから、たとえば、スプリンクラーは付けませんよ、って、
そんなリクツは、おかしい。
そこまで行くと、単なるヘリクツです。
どうぞ、思う存分に燃え尽きてください、って待ってるみたいだわよ。
外側に幾つも最新式消火設備を並べていたって、延焼や類焼を防ぐには役立つのかもしれないが、肝心のものの内部から発火した場合、火が大きくなってしまっていたら、意味あるのかと、そういう考えは なかったのか、はなはだ疑問に思う。
もちろん、スプリンクラーなどの、内部消火に備えた設備が ない以上は、
かつ、それで納得していたのなら、沖縄側の当局が、それに応じた運営を すべきだったのは当然だ。
結局、筆頭当事者であり、直接管理者である沖縄の各当局、雇用されていた地元の業者関係、そして、所有者たる国。それぞれ、全員、各様に、不手際と無責任さが あったように思える。
次は、例の『表現の不自由――その後』展について。
こっちは、先日のエントリー『【続】最近の話題の記事から』に付け足す かたちで。
日本人作家のものとしては、最も話題にと言うか槍玉に挙げられていた『遠近を抱えて』とかいう作品。その作品は、作者ご本人の内面を全体的に表現したもののなかに、あくまでも一部分として、若い頃の『昭和天皇』の肖像写真が含められているわけで、
「燃やした」というのは、作者ご本人の「抱えて」いた内面そのものを燃やした、という意味を込めているのだということらしい。
ところが、
『文春』の特集インタビュー記事内でも、いまだに、「天皇の肖像写真を燃やし」という説明を相変わらず使い続けてるね。
それ、違うよ、って、作者ご本人も、その周囲からも指摘されてるのに、なぜ、あらためないのかな?
【続く】
2019.11.06 (Wed)
『最近の話題の記事から』の続き。
うちの親父なんかは、ピカソが大キライでw
「なんだ?あのヘンな絵は」と苦虫を噛み潰したような顔で言うので、私なりに、「絵画上での、一種の思想実験みたいなもんで」と説明しても、
「何か知らんが、俺は嫌いだ!」
で終わりww
親父が好きな絵は、たとえば浅井 忠とか東山魁夷とかあたり。
母親のほうも、「部屋に飾る気にならんような絵は厭」だって。要するに、暗いとか陰気な絵がね。
まあ、かく言う私も、結局のところ、好き嫌いで決まるんだけど(苦笑)
ムンクとかを、部屋に飾りたいとは、私も やっぱり思わんしw
基本的、圧倒的な技量に裏打ちされているピカソなら、個々の作品によって、だいぶ好みが違ってくるのだが、
美術の教科書で、『泣く女』を初めて見たとき、思わずフき出したw
ドラ・マールの肖像なんかは、あれだけデフォルメされているのに、そうとうの美人さんなんだなということが分かる。
さて、あの『表現の不自由展――その後』の騒ぎの最中に、私も、紹介されている動画などで、見ることが可能な範囲だけ見てみたんだけど、
ここでは、日本人の作者の手になる作品についてのみ、あくまでも私個人の勝手な感想を述べさせてもらうなら、
一言で言って、、、
ダサいな。。。
という(苦笑)
なんつーか、いかにも、従来の日本人らしい、陰気臭くも、垢抜けないダサさである。![]()
![]()
一種の「陰気臭さ」が漂うのは、日本映画の多くにも感じる特徴だと、むかしから思ってた。
「美」のある陰気臭さは嫌いじゃないがw
ダサい、しかも陰気臭い、というのは、私の好みじゃないのでw
すびばせんね、ずけずけ言っちゃって。
要するに、
「洗練」とか「美しい」とは思えなかった。
はっきり言っちゃうと、かなり稚拙で独り善がりな表現かなあと。![]()
重ね重ね、すびばせんねw
まあ、実物を目の前にするのと、パソコンの画面で見るのとでは、どこか異なるかもしれない。
で、脅迫に およんだウヨのオッサンのダサさについても、以前のエントリーで せせら嗤ったねw
「『うちらネットワーク民』wwダッせえわあ!!www」
と(爆)
ダサい者どうし、脅し脅されwww
…許してたもれ(苦笑)
もう一度 言いますが、
各作者さんがたの持つ背景思想だとか、そんなもん、どーでもいいのです。
過去に、私が辟易させられた「カルト連」も、やってることは下品なイヤガラセでしかないのに、それを、「芸術なんだよ!」とか「哲学的実験なのだ!!」と言い張ってて、心底ウンザリしたけど、
案の定で、「ナチス大好き」の、ネトウヨにしてオカルト愛好者だった。
その頃、私の やるかたない怒りと不快を やわらげてくれたコトバが、
「芸術とは、心を豊かにするもの」
という一言だった。
これを言ったのは、
名門『キューバ国立バレエ団』を率いて、先ごろ、ついに故人となった、往年の大プリマ、アリシア・アロンソだった。
私を力づけてくれたアリシア。彼女の踊りを見ていると、少し元気が出る(笑)
2019.11.06 (Wed)
『埼玉・杉戸町で図書館宿泊 秋の夜長に「読書をしながら図書館で寝落ち」』11/3(日) 9:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191103-00000002-minkei-l11
ステキだけど。
ただ、もしも、地震が起きたときのことは、考慮してるのかな?と、少々、気にかかる。。。
あの『阪神・淡路 大震災』のとき、大阪のなかでも、一部では大きな被害を こうむったが、
その頃、私の同僚が、就寝中に、揺れと共に落ちてきた大量の本に埋もれて亡くなったので。
次に、
『美術展に出展の書「滅び行く町相生」 市教委「不適切」と撤去要請 兵庫・相生市』11/5(火) 12:15配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191105-00000020-ytv-l28
この記事を読み、真っ先に、なぜか、
「つけ火して煙り喜ぶ」
ナントヤラつう書道作品(?)を思い出してしまった。。。![]()
さて置き、
私も、「滅び行く町 相生」という見出しを見て、『相生市』のことは、地名くらいしか知らなかったけれど、たしかに、
「えっ?なんで そんなこと言うの??」とは思ったよ。
記事中にある、問題になったという書道家の主張を読んで、
ああ、そういうことを言いたいわけね、と分かったけど、
やっぱり、その作品自体を見せてもらいたかったな。
もう数年前になるか、故 金子兜太氏が揮毫された
「アベ政治を許さない」
という、その主張以上に、
眼を瞠らされたのは、内面から迸り出たような筆跡の力強さ。
書かれた文字が、声を出している。
「ヤフゴミん」は相変わらずで、そもそも「表現」とは何であるか、芸術と思想との関わりは、といったことについて、根本的カン違いしたまま、それこそ、自分たち側が、「偏った」見解を開陳し、浅薄さ、教養のなさを曝け出してることに気づいてないようだが、
ウヨだかネトウヨだかの連中の解釈は、まさに、「当たってない」し、よっぽど、偏った「思想」からの感情むき出しでしかない。
例の『表現の不自由展――その後』だっけ、
あそこに出品した作者さんたち個々に持っている考えだとか思想だとかは、私は、とりたてて批判する気は ない。
要するにだな、
根底にある何らかの思想だのを主張したくて、それを出品しているのか、などは、二の次三の次なの。
それが思いっきり偏っていようが、どうでも いい。
要は、どのように表現しているか、なのだと思う。
そこに、ある種の、幾ばくかの「美」が感じられるか否か。
少々付け加えると、
いわゆる軍隊的な序列と行進・規律の厳しさであるとか、自国や主君に対する徹底した忠誠の態度であるとか、そういった、昔ながらの「美意識的」な面は、もしも、それを要求されたら、仮にも現代人である一般市民として、断固拒絶したくなるし、あくまで私個人として、まっぴらゴメンなんだけどw
それでも、独特に洗練された制服や所作の様式美みたいなものは感じないでもない。
たとえば『ナチス』時代のリーフェンシュタールの『オリンピア』は、背景思想が、いかに怪しからぬ、許し難いといっても、やはり、その表現には、端正な美を感じさせられる。
また、
どう見ても、こりゃ「児童ポルノ」だろ?と言わざるを得ない、非道徳的作品、あるいは また、怖ろしく禍々しい人物や光景を描写したにも かかわらず、
どこか抗い難い品格と魅力を感じさせる力を持つ作品も ある。
ただ、私にとって、そういう、「抗い難い魅力」や一種の「美」を感じるところが ない作品は、いっこうに響かない。
どこかの講義に参加した、とある絵画モデルさんの訴えのように、耐え難いほど、ひたすら醜悪、羞恥を もよおすしかないようなものも あるのだろう。
内容のことは詳しく知らないが、あの講師ってのは、そうとうに癖のあることで有名な男性なんでしょ?
まず一般的な感覚の女性なら、あんなに極端なとこまで いかないだろうね。
しかし、女性のアーティストでも、非常に いかがわしい内容のものを実施したという奇怪な事件も あった。
「芸術」って、しょせん、時代によって変化したりする「正しさ」やら「道徳」やら、そういうものを軽々と超えているからこそ、「良識」とか「こうあるべき!思想」とかに縛られないわけなんだろうけど、
もちろん、どのような感じかたを するかは、その人によるわけで、
感じかたを強制して、皆一律に統制なんて、ナンセンスでしかないもんね。
【続く】
2019.11.04 (Mon)
『「公平」な米国求める怒り=社会主義賛美の風潮-米大統領選』
11/3(日) 17:32配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191103-00000066-jij-n_ame
日本でも、やはり同じ問題が起きてるよねえ。
ただ、
本場アメリカの、いわゆる富裕層が、日本の それとは違い、見識も矜持も段違いなのだなあと感心したのは、バフェット氏だったかな、彼ら富裕層の一団が、
「われわれから、もっと税金を取ってもらいたい」
と、明言したこと。
さて、
『上智大学』教授という肩書の「オーサー」さんの おことばなんですけれども。
「~アメリカの50以上の識者に『若者の間に社会主義的な概念が好まれている』というと、『若者はよくわかっていないから』と露骨に嫌な顔をされることもよくあります」
日本でも そうだが、しょせん「借り物の資本主義」国は、それこそ、「よく分かってない」んじゃないかと思いますけど。
たしかに、アメリカと、『社会主義』や『共産主義』って、最も遠い、相容れない、とことん忌み嫌ってるというイメージつよかったけどね、従来は。
日本では、いつのまにやら、『共産党』と『自民党』では、はて、どっちが どっちやったかなあ?と困惑するほど、みごとに入れ替わったみたいなところが出てきてるけどw
おのれ自身が極端だから、相手も「極端」に見えるのだと、
ことに、先方が「極左」に見える、というのは、
おのれこそが、とりもなおさず「極右」である証拠だ、という喝破は、そのとおり言い当てていると思う。
いわゆる「右」だろうが「左」だろうが、何ごとも、極端では行き詰まる。
私なんかは常に、「右」「左」双方から叩かれまくってきたもんね。つまり、見事な「中道」でしょっ!ww
「自分さえ良ければ」という考えや姿勢は、いつしか、回り回って、自分の首を絞め、破綻することになるんだよ、という意見を、私自身、ずーっと前から言い続けてきた。
最近では、さすがの「ヤフゴミ捨て場」でもチラホラと、それに近いことを言い始めた投稿者も見かけるようになってきたが(いままで、どこに隠れてたんだ?w)、
こういう考えかたって、わが日本だと、宮沢賢治先生が おっしゃったし、
かのチェ・ゲバラも、似たようなことを言い遺してる。
この両者は、生まれて生きた国も時代も全く異なり、思想背景ときたら、正反対と言うべきほど異なっていたはずなんだけどね。
商売ひとつ とっても明白な話だ。
おおぜいの人たちが買ってくれる、使ってくれるから、儲けられるのだから。
「ヤフゴミん」のなかでも、しょっちゅう見かける、
「たくさんの税金を納めてないやつがー、ねたむな僻むなー」
と言い張ってるけどね、
小学生の算数アタマで考えても明白ですがな。
日本においては特にだけど、ごく少数の富裕層が、どんだけ高額の税金を納めても、
最も ぶ厚い庶民・大衆層が一斉に納める金額に、到底、かなうはずが ないだろうよ。
その おかげで、国家も商売も、そして『皇室制度』も成り立ってるの。
商売人なんて、その殆どは、要らんもん売りつけてるだけよw
富裕層とまで いかない、そこそこ お金持ち程度でも、日常に、ある程度の余裕を持てていて、たまには気晴らしの娯楽も楽しめる、という生活なら、私は、性分なのか、まあ満足してると思う。
普段の衣食住が、まずまず平均クラスの水準で満たせていたら、要するに、大欲は掻かないんだ(苦笑)庶民層の大多数も そんなとこなんだろうと思うよ。
それに、私は、税金を納めること自体を、あたかも損してるような気分には ならない。
むしろ、納税できることは、本来、誇らしいことだと思うし、その点、税金を払いたくない!と主張する、自称「努力した勝ち組」さんらのススメる「愛国心」の意味がサッパリわからないw
もちろん、使い道については、特定の人々が、私的に流用したなんて事が あったら、それは怒り心頭だけど、
日常生活で、多少の余裕を持てる分以外は全部、税金で持って行かれたとしても、腹は立たないと思う。想像でしかないけどね(苦笑)
なぜかと言うと、さっき言ったように、大欲は掻かないから。
「足るを知っている」からさ。
でも、大欲を掻かないタイプは、困ったもんだと苦々しく思う、ある層の人たちも いるんだろうねえw
ところが、ささやかな日常すらカツカツの線になってくると、
ましてや、「人並み」のカラダじゃないことで、足もと見られ、平均レベルの仕事すら こなせないような、能力が低い人の分まで引き受けさせられていたにも かかわらず、報酬に反映してもらえなかったとなると、いいかげん、バカらしくもなるわよ。サービス残業とかね。
さあ、
それでなくても、障碍者でもない「人並み」「普通の」はずの人々が、どんどん振り落とされる異常事態が、この国で起きた、ということを、前々回あたりのエントリーで指摘したけど、
いよいよ、「AI」社会だのって、凡庸な者は容赦なく振り落としていく社会が到来するのも目前となったら、「ヤフゴミん」の皆さん殆どの人は、振り落とされること必定の側じゃないの?(嗤)
おたくらのコメントをチラチラ眺めてると、たいがいは、低学歴で不勉強な私なんかから見ても、ほんっとに低知性で、思い込み激しくて、有名人やエライ人の発言だとなると、全面平伏して有難がってる、凡庸そのものの群れですからな(嗤)嗤)
あ、そうだ、賛否両論の「ベーシック インカム」ね、これこそは、「人並み」の人々が、急いで検討しなくちゃならない議題じゃないの?w
働きたくない者は~、オカシイとか何とか、疑念を呈している向きは多いようだが、
現実、働きたくなくても働いてるんだ、と言いたい人のほうが多いだろうね。全員が、「天職」や適性のある仕事に就けているわけじゃないんだから。
ただ、「ベーシック インカム」の、良き可能性は?と少々考えてみるに、
まずは、『生活保護(生活保障)』の、言わば「スティグマ」を解消する効果も勿論あるだろうけど、
ある程度は、失敗が許されること、つまり、路頭に迷ったり餓死するかもといった息苦しい心配が なければ、各自、それなりのアイデアや野心を持って、様々に起業することが気軽になるかもね。
まあ、難しい問題だけど。
あ、それと、
すでに言ってきたように、「完全にフラットでは流れない」。
「格差」は あるのが自然です。
極端に ありすぎるから不自然なのです。
そう言えば、
最近、ゲバラの故国、アルゼンチンで、(中道)左派政権が成立したそうだね。
2019.11.02 (Sat)
『きょうの二題――城と避難所――』の続き。
世のなかには、男性や、性というものに対する、みょうなコンプレックスや劣等感を抱えている女性が いるのも事実のようだし、
そういうコンプレックスや劣等感を、男性の目を引くことによって、発散させようとする女性が いることは認めざるを得ないケースも あると思う。
ただし、
ほんとうの「性欲」自体の強さで、そういうふうになることは、女性全体のなかでは非常に少ないだろうと思われるし、
なかには、レイプ被害を受けた影響からの心理だったりするから、女性の場合は、男性と比べて、単に肉体的な欲求からという以上の、複雑な心理背景が あるようにも思う。
およそ「性」というのも、駆け引き材料の商品となり、優位や力の誇示の場ともなる、そういうものに敏感な者ほど、それに とらわれる。
だからかね、『自己愛性人格障害』者の場合、「セックス依存」とか、女性でも顕著な性的関心を示す傾向が指摘されるのは。
もともとは そうだったという、「女性ばかりの世のなか」だったら、
たぶん、もう少しは平和な世界だったろう。
少なくとも、戦争、犯罪、特に性的犯罪、地球規模での自然破壊も公害も、概ねは男性が齎したものと言って過言じゃないわね。
良い面と悪い面、
男性は、極端で、ひどく危ういバランスを、この世に齎してきた。
女性性のなかから、突然変異のごとく発生してきた男性性というもの。
古今東西の問題なのだけれど、
ことに「イスラム」圏の女性の身なりを見るにつけ、えらく痛々しいものを感じるわ。
日焼けも防げてイイのかも、と思ったりするけどw
日本でも、荒行を する修行場などに、女性の立ち入りを禁じていたりする。
男性の弱さを痛感するところよね。
致命的に弱いからこそ、必死にカバーせざるを得ない。
だいたい、男性は、特に、性的なものが絡むと、自分の つごう良く解釈する傾向、つよいよねえw
つごう良く誤解し易いし、
誤解させられたー!期待させられたー!と逆恨みすること多いでしょw
でも、それが現実だったのだと認めて、おとなしくしてるばかりもシャクで、つまらないから、しまいに、犯罪に繋がるような強引な手段に出ようともする。
ゲームやエロ漫画のオタクなんかが、「関係ないー!!2次元と現実との区別は、ちゃんと~」と必死に言い募るコメントを よく見かけるけど、
ところが、男性は、視覚からの刺激を受け易く、影響され易いのだ。
性の対象になり得る女性かどうか見分けることにも拘るのが一般的。
もっとも、せっぱ詰まったら、相手がババアだろうが何だろうが襲うんだけどね(嗤)
幼い子どもみたいに、目を離せないで、じーーーっ、と見詰めるシーン、思い当たるでしょ?w
このことは、女性側も、わきまえておくべきだと思うよ。
男性がだね、もし、露出過多な、からだの線ぴっちり、みたいな かっこうで出歩いてたら、女性から見ても、不快でしょう。
とは言っても、
女性のファッションによって不快に感じる男性側の それとは異なるよね。
性欲を刺激されるとか、そういう雰囲気を感じさせられて不快、というのとは多少なり違うから。
ただただ、単純に醜い、カッコ悪いんだから、おやめなさい!見苦しいわねえ~って感じしか持ってないのよw一般的な女性はね(苦笑)
け、け、けしからん!と息巻きつつ、内心(*´Д`)ハアハア、、、っつうのと、根本が違うw
女性たちが、さも厭そうに、顔を顰めるのを見て、快感を もよおす男性も、そこは おわかりでしょ?ww
あと、やっぱり、母親が、そもそも女性であるということの心理的影響もあると思う。
母子関係ってのは、息子でも娘でも、原初の、恋愛関係の原型とも言えそうだものw
こういうのも、猿の社会を見てたら、よく分かるよww
私自身、どういうわけか、幼い頃から多くの性的被害に遭い、幸いにも、「レイプだー!!」と、警察に駆け込んで被害届を出さなければ ならないほどの深刻な事態には辛うじて遭わないで済んだけれど、
幼児から見れば、「おとな」に見える男性、いまの自分が振り返るに、ごく若い、19歳や二十歳くらいの青年だったりしたけど、
まるで同年配の女性に言い寄るみたいなコトバと態度でもって、にじり寄ってきたのよね。
過去に、どこかのエントリーで述べたと思うけど、
あれは本当に、理解できなかった。
だって、こっちゃ幼児だからねw
「このおにいちゃん、なに考えてるのかなあ~???」
てなもんですわよ、ほんとww
ただねえ、最後に言い添えておくのは、
特に痴漢なんかは、電車に乗っただけで簡単に近寄ってこれる、いとも手軽な犯罪だけに、ウンザリするほど遭遇したけど、
周囲にもコボシたりしていて、あるとき、
「あんた、スカートは やめ、ジーパンにしたら」
と言われたので、そのとおりしても、やっぱり同じことだった。
私は気まぐれというか飽きっぽいというか、着る物なんかは特に、典型的「お嬢さま」スタイルから、「ヒッピー崩れ」みたいなスタイル、OLの鏡みたいなスーツ スタイルから、セクシー超ミニまで、いろ~んなタイプのものを着てきた。
そうして、長らく観察してきて、確かに言えると思うのは、
露出が~とかハデとかセクシーなとかいったタイプの服装よりも、
むしろ、白いブラウスに紺色のフレア スカート、という典型的な、まさに「清楚な」服装のときのほうが、圧倒的に、痴漢に遭遇したのよ。
これは、実際に、そうなのだというデータを、どこかの記事で見た記憶も ある。
なので、服装が原因であるとは、あまり言えないかもね。
ちなみに、うちの兄は、
私が高校生時代、通学の電車内で、しょっちゅう痴漢に遭い、きょうは、たまりかねて、睨みつけてやった、と言ったら、
「睨みつけられるだけで済むんなら、俺も痴漢やりたい」
と のたまいました。ガッコのセンセイですわ。
![]()
ついでみたいになっちゃったけど。
『首里城』の大火事のこと。
30年ほども時間と労力と税金かけて、あっという間にワヤだとさ。
また繰り返す恐れが高いんなら、もう やめとけば?と言いたくも なるなあ。
オリジナルの城が現存していた何百年このかた、それこそ蝋燭やら焚火の生活で、現代よりも、もっと ずっと、火事いく危険性が高かったはずじゃないの?と思うんだけど。
何やら、
スプリンクラー設置義務は ないので、といったコメントが あったけど、
それは、あくまでも、建物自体が古くて、かえって傷める恐れから、設置するのが困難な場合でしょ?
今回、全焼してしまった『首里城』って、最近になって完成した「復元物」でしょうに、スプリンクラーを設置するのが困難だったわけ??
国がケチったんじゃないのか?
こないだの洪水災害でも、どこかの堤防を、でっかくし直して、新しく設置したおりに、地元の人が、いざというとき、水を逃すための扉(?)か何かを備え付けておいてほしいと要望したにも かかわらず、役所側が、その扉(?)ひとつをケチったために、かえって、浸水が酷くなってしまったと言ってたな。
こういう、最後の詰めが甘い、
ヘンな所でケチる、
かえって失敗した、
日本の行政や国民性の特徴なんじゃないの?と思うこと多い。
ま、沖縄よ。
カネ出してもらった分、口も出されると覚悟しないと いけないですよ。