2019.11.17 (Sun)
日本の最高権力者は、法律を守らなくていいらしい。
自分たちに つごうの良い法律をサッサとゴリ押しで拵えて、それ守るのは、あくまでシモジモ国民だということらしい。
実際、アベシは、「自分は、命令を下す立場なので」とか言ってのけてたそうな。
しかも、
「金持ちほど、カネに汚い」
というコトバを体現したみたいなのが、なかんづく、現首相ときたもんだ。
おはこのセリフ。
「任命責任」なんたら。
これ、本人のみは、われわれ一般の用法とは異なる意味で用いてるようだ。つまり、
「任命責任=任命する自由は、私に ある」と。
これもオハコ。
「丁寧に説明する」と丁寧に言い。
ニヤニヤニヤニヤ。。。
「悪魔に魂を売った顔」そのものだね、ありゃあ。
悪いことに追随、加担したら、報われて、良い思いが できるよ。
それを体現し、唆しているのも、現政権だ。
そして、
どの口が、、、と唖然とするのも、「道徳が大切」という言いぐさ。
ところが、予想外に せっぱ詰まりそうとなると、とたんに、もともと「八」の字の眉毛がカタッと最大限まで「八」の字化し、
これ以上ないくらいに顔面全体がズドドドと垂れ下がり、
いまにも泣き出しそうな表情に怒りを ないまぜにしながら、それでも必死に、早口で しゃべり続けて、こぶしを振りあげてみせる。
私には、あのシュショーは、生来、何かが欠けているように思えるんだ。
それが何であるかを明確に言うのは少し難しいけれど、
ただ、よりによって為政者、権力者にだけは、なっては いけない、
ぜったいに いけない原因になっているのが、何か欠けているゆえでは ないかと。
まあ、ああいう家の生まれでさえなければ、いまごろはアベシ自身も、「ひきこもり」とか「子ども部屋おじさん」と呼ばれかねない人生だったかもね。これを指摘する人は、けっこう多いようだ。
ほんと、国政の世界にだけは、入っては いけなかったのに。
それにしても、いま大騒ぎになってる『桜を見る会』の裏を知るにつけ、ほんとうに、ほんとうの「政治屋」なんだなあと、
あらためて思い知った。
まさに商売やってますやんか、自分の「顧客」相手に。どうやら税金をコッソリ元手にして?
口利き、内部情報共有、インサイダー、
安倍さまの おかげさまで、
刑期いや景気は良好ですなあ~と。
互恵ですな、ご同慶の至りですな、わっはっは。
顔を見合わせ、ほくそ笑む。
どうも、過去からの撮影画像など見てみると、もしかして、芸能人の殆どが、『サクラを見る会』に出たこと ありそうだよねえ。
もしや、ギャラも払ってるんじゃないの?
と言う気が してくる。
おっとっと、ここで出ました、恒例の「政権支持率の怪」(嗤)
『時事通信』が早速、出してる。
上昇してるんだそうよ(爆)
見出しはチラッと見ても、内容は読まなくなったけどね、私は。
どうも信用できないので、読むだけムダだと思うし、
事実どおりに伝えてるとしたら、それは それで、
同じ日本の国民、有権者どうしとして、この国の人々を心底、軽蔑したくなってしまうのが辛いから。
やっぱり、メディアは、忖度以上に裏で結託してるんじゃないかなと思える。
ずーーーっと以前から、それは疑わしく思ってきていて、
最近では、「政権支持率」の記事なんか、まったく読まなくなった。
恐らく、
あの政府・与党と大手の各メディアは、これを目的としているのでは ないかと思しい。
つまり、
「一般あるいは『シモジモ』国民を、ダブルバインドに陥らせること」。
これに陥るとね、
続く違和感と混乱状態は勿論、やがて最終的には、徒労感のすえ、思考停止、無関心・無気力になる。
すなわち、立ち上がることも、抵抗も できなくなるのさ。
まず、
いとも軽~い「おみこし」を自任しているのであろうアベシ、そして、その奥さんも加担している目論見というかタクラミは、恐らく、だいたいのところ、こういうことなのだと思う。
いつからなのかは知らないが、あの昭恵さんが口癖のように言ってきたという、
「首相夫人である私を利用してちょうだい!」「首相夫妻である私たちを利用して!」
これ、キーワードよ。
「ご利用!ご利用!」ってw
もちろん、自分たちも、利用できるものは何でも、徹底的に利用するの。
そうして、せこせこ紡いで、幾重にも張り巡らせた「ネットワーク」の中心部に居て、守られようとしてるんだ。
もう二度と、あのような退陣の憂き目、惨め、くやしさを味わうことがないように。
つまり、「永遠の」なんちゃらで いられるようにと。
殊更に自負心を募らせて生育した人は、うぬぼれと並立したコンプレックスが内在する。
自己中心的プライドを大きく傷つけられた、という切っ掛けが あり、恥と怨恨を抱え込んだ者は、以後、執拗に復讐心を募らせる。同時に、自分を防御するために役立つ者ばかりで固めようとする。
こういう者が、私利私欲を離れて、全国民のための善政を敷けるわけが ない。
私個人は、仕事と自分の病気やら親の介護やらが重なって大変だった時期に当たっていたからか、第一次の安倍政権については全くと言っていいほど、記憶にないのよ。なので、
第二次政権になってからしか知らないことが多いんだけど、
なぜか、「返り咲いた」ときから猛烈に嫌な予感が してならなかったので、それが、ほぼ当たっていたもんだから、どうして、こんな人が、、、と怪訝にも不審にも思い続けていた。
あのシュショー夫妻の二人とも、けっして、少なくとも一般的な意味で、「おつむが良い」とは言えないであろうイメージ濃厚だし(実際、そうなのだという指摘は、ネットじゅうに あふれてるしw)、当人自身で思いついたはずもないと思うんだが、
誰が、こうした「悪魔的入れヂエ」を授けたのか知らないけれど(またまた『日本会議』かな?嗤)、そのあたり特に、本当に怪訝で不審なわけ。
公務員の、とりわけ『自衛隊』の支持を強固に繋いでおく。そうした固い「組織票」を手離さないように長年やってきたのが自民党の生き残り策として代表的なところであり、その究極の姿が、いまの安倍政権だ。
なので、
そういった組織のなかの人以外の、ましてや「無党派」と呼ばれるような、一色でない層の人々が束になって投票して、それでも、やっと、それらしいカタマリの体になれるか なれないか?という水準であり、これは、どうやっても、ひっくりかえすほどのパワーには なりにくいね。
そこへ持ってきて、ひどい低投票率だ。
前々から言ってきたように、
政権奪取の力が乏しいようであるという以上に、
政権を得ても、だいじょうぶなのかなと思われてしまってるような、どこか ひ弱さが、野党各党から払拭しきれない、払拭できるほどのビジョンを示せない、のであれば(特に経済面については、私なんかは、そこまでガツガツする必要ないじゃん?てなノンビリした考えなのだが、まだまだ殆どの国民・大衆は、見果てぬ欲を持っているようだから)、
とりあえずは、せめて「与野党 伯仲」に持っていけるようにガンバることからだろうと、こう述べてきた。
【続く】
2019.11.12 (Tue)
『「芸術」って?やれやれw追加だww』の続き。
うちの母親なんかは、すごく綺麗な絵なのに、「気持ち悪い!!」と叫ぶなり、顔を背けてしまうことも あった。
「耽美派」系の画家などは、「ゴージャスな不吉」、とでもいうようなものをモチーフにして描いた作品が多いけど、まさに、「不吉」「死の影」などを感じさせるような作品だと、猛烈に拒絶すんのよ。
反面、
モネあたりの、女性たちが穏やかに船遊びしているといった場面には、気持ちが安らぐわ、と言ってた。知識も薄いし、特に好みの画家などは なかったようだが、
母親の妹である叔母は、有名な家柄出身の人たちや財閥系の御曹司との交流で、若いうちに磨かれたのかもしれないが、ファッションでもインテリアでも、とかく美意識が つよく、
自分自身では、これといって、ものを創作するような行為には殆ど無縁だったし、おそらく、その才能も乏しかっただろうが、
他人の作品の出来栄えに対しては、がぜん、上から目線で批評するクセが あった。
お花いっぱ~い
が大好きなのにw画家のなかで、ジョルジュ・ブラックが特に好きだと言ってたなあ。
実の姉妹でも、だいぶ異なってるみたいだ、と私は思ってたのに、ひょんなところで、全く同じ好みを持っていたり。
ふだんの好みは多かれ少なかれ異なるのに、
死後になってから、じつは、二人とも、あるイラストレーターの作品が好きだったのだと判明したり。そのことを、本人どうしも知らなかったと思う。
「ああ、それ、あんたの おかあさん(自分の姉)が買ったんでしょ?なんで分かったのって?姉は、そういう色柄が、むかしから好みだったもん、ハッキリわかるのよ」と言ったり。
母親の弟は、学生時代、ピカソばりの絵を描いていたそうだ。
先日のエントリーで言ったように、ピカソ嫌いの親父は、特に東山魁夷のファンだった。
小学校低学年の頃、たまたま、おとな向けの、ある雑誌を めくってみたら、特集号だったのだろうか、ルソーの作品をパロディにした絵が幾つか載っていて、なかでも、
ボールを使うスポーツを していると思しき、さも楽しそうなオッサンたちの光景を描いた絵は、よく見ると、生首がボールになっているので、子どもながら心底、不気味さを感じたけれど、同時に、すごく ひき付けられて、しばらくのあいだ、なんとなく、目が離せなかったことを憶えている。
眠るジプシー女とライオンのも そう。食べられちゃってるやつね。
けっして、好みでもないんだが、魅入られたように見詰めてしまった。
これらはパロディ作品というものなのだということを知ったのは、ずーっと あとになってからで、小学生だった あのときの私は、ルソーも横尾忠則氏も全然、知らなかった。
ルソーの絵には、幼い子どもでも即座に感じ取るような、独特の静謐な空気感が齎すものか、魔力のように引き付ける力が あるのだが、そのルソー本人としては、たぶん、普通に楽しい光景や美しく幻想的な場面を、いたって真面目に描いたつもり、なのかもと思えるんだけれど、
それが、
なぜか、単純に楽しいとか美しいとかに向かわず、なんだかマカフシギな方向へ行ってしまってるのが、ある種の哀感すら もよおしてくる。
そういう、魔力的静謐、ある種の哀感を、横尾氏ならではのブキミ世界に連れ込んでしまっていて、元の絵も「パロディ」という単語も知らぬ小学生の私の眼を釘付けにし、以後、数十年後を経た今だに、あのときの感覚を、まざまざと思い出させる。
今度は小学校高学年の夏休み。
宿題の絵の題材に、庭の池を選ぼうと思い立ち、
掃き出し窓の縁に腰掛け、描き始めて しばらくしたら、
ふと、親父が やって来て、取りに来たらしいタバコを手に、ついでの感じで覗き込んだ。その とたん、
「お、おまえはぁ~!アホじゃないのか」
と、呆れ嗤われた。
藤棚の下。
水面下に沈められた幾つかの水蓮の鉢の あいだ。
小さな噴水から 注ぎ落ちる水の動きを楽しむかのように泳ぎ回っている金魚たち。
そのうえに浮かび漂う、
ビニール袋など、大小のゴミ。
それらをも逐一、ていねいに描き込んでいた私w
リアリストでしょ?ww
はて、見えたとおりに描いて、なに悪いのかと、しばし困惑していたら、
親父は重ねて言った。
「そーいうのはな!省いて、見栄えの良いところだけを描くもんなんだ。なに?学校の宿題だと?そんなもの持って行って、先生たちに見られたらカッコ悪いじゃないか!ゴミまで描くのは やめろ」
「やれやれ、まったく。。。」
と、首を振りつつ、部屋を出て行った。
自分が、下手の横好きに過ぎないということは自覚してるさ。
だからこそ、描くことは、ただ楽しい。純粋な歓び。
「問いかけ」だの批判だの、リクツを駆使するのは、文章で やるわ。
文章を書くのは、好きでもなく、むしろ、苦痛なんだけどね。
きのう、とある記事にて、安倍政権主催の『桜を見る会』たらいうやつで、税金を私物化しまくり、不正な使いかたを しておるとの批判を読んだが、
「立法府の長」さんよ、違法行為とは、たいしたシャレのつもりですか?(嗤)
まあ、毎度のことだが、
こんなに滑稽で醜い、と感じるシュショーは、はじめてだわ(呆)
それこそ、顔を一目、見ただけで、吐き気がしてくる。
ということは、りっぱな「芸術品」ということか、アベシは。(嗤)
「4銭」じゃなかった「4選」を口にするのが、あの!カネ甘利さん。なにをシャシャリ出てんのやら。
被災地と死傷者を そっちのけに、「まずまず」、
アベシと自党の私利私欲、私物化は「当然」のこと、と言い放った、国民への愛は ない二階さん。
みんな、ボケてしまってるのかね?欲深過ぎて。(呆)
はよ引退しろ!!どいつもコイツも![]()
私も かねて、あきらかに皇室の『園遊会』を真似てるじゃんか、あれはと思ってた『桜を見る会』、
いつも以上に垂れ下がったニヤケ笑顔のアベシの周囲を取り囲み、
ヘ~ラヘラと俗物根性まる出しの芸人らが、さも嬉しそうにハシャいでる場面の写真を見て、「アンソール」の仮面の絵を連想していた。
『陰謀』
2019.11.12 (Tue)
先行エントリーね↓
『【続・続】炎上が あらわにしたこと――『首里城』と『あいトリ』』
まずは、
「愛の正反対は無関心」っていうでしょ。
ほんとうに無関心だったら、批判する気にすら ならないよね。
批判するにも、対象を よく観察して、知ってなきゃならないのだし。
さて、
ヨーロッパでは、芸術家というよりも、実は職人・商売人に近かった画家たちが、あるいは、彼らのパトロンの要望に従ってか、大昔から、現代では古めかしく仰々しく見えるヌード画が夥しく存在する印象なのだが、
裸体ですが、これは飽くまでも神話の一場面を描いたものであります、というタテマエにしておかないと、普通の女や人間としての裸体を描くことは、つよく憚られたそうな。出発は、そういうことだったらしい。
また、
こんにち、日本人は勿論、世界じゅうに愛好者が多い『印象派』の登場時も、最初の頃は猛バッシングに晒され、なんたる稚拙と嘲笑されたのだという。
ところで、何を隠そう、わたしゃ、学校時分から、パロディ作品ってやつが好物でw
ウィーンにおける『ジャパン アンリミテッド』に展示されたパロディ作品を二つほど、どこかの記事の添付画像で見てみたのだが、
たとえば、日本が敗戦後、間もなく撮影された「マッカーサーと昭和天皇」が並んで立っている、例の あれね、広く知られているらしい、あの写真のパロディ。
まあ、一目瞭然と言っていいほど、とっても分かりやすい表現の作品じゃないの?(笑)
なのに、
ことばに頼って説明するな!見てズバリ100パーセントの力が ない!とか言い張るんだもんな、「ヤフゴミん」は(嗤)
そういうふうに、あまりにもギャーギャー責めたてるから、それならと、アーティストさん みずから、よっこらしょと、説明に努めてるしだいでしょうのに、「ことばに頼るな」ってw
どーしろっつうの?ww
ああ、これかな?
「私には何の規則も方法も ない。〔中略〕私は、キャンバスの上で、その肉体が生き生きと、うち震えるように輝く色を見出さなければならない。今では、全てを説明するように求められますが、説明できてしまうような絵は、芸術では ない。〔中略〕美術作品は、あなたを捉え、あなたを、それ自体で虜にし、感動させるものでなければ ならない。それは、芸術家が情熱を表すための手段なのだ。芸術家から迸り出て、彼の情熱へと、あなたを誘う流れなのである」(ルノワールの ことば)
このように語った彼が描いた女は花のようで、花は女のようだ。
ルノワールは、貧しい生まれ育ちで、もともとは絵付け職人から出発したのだから、そりゃ、柔やわと楽しげな絵を描くでしょうよと思う。
「世のなかは、醜いものが じゅうぶんに ある。もう これ以上、醜いものを加える必要は ないから、美しいものだけを描くのだ」(ルノワール)
私も、「醜い」ものは、いやというほど見てきたし、
「見ぬもの清し」とて見ないでおくことは許されなかった。
明るい楽しい気持ちイイ、それだけが、「心を豊かにする」ことでは ないのよね。
こういうことって、人物とか人がらにも言えることで、
むしろ、とても辛いこと、人生の悲惨を経験してきて、明暗、彼我の落差というものを思い知っている人のほうが、そういうことから免れていた人よりも、ずっと、味わいある人が多いと思うね。
綺麗なだけじゃダメ、って考えも理解できるのよ。
私自身、暗く、恐ろしいような作品でも、どこか「美」を感じるものも あると言ったんだし、直視したくないほど不気味とか陰惨であっても、つい目を離せなくなるような独特の引力を持っている作品も実際、多くあるのを知っている。
芸術の ありようは、幅が広い。
ルノワールを批判していたという岸田劉生。
私は、教科書で、『麗子像』を初めて見たとき、
「うわ、すごいな。。。こんな顔に描いた父親に対して、モデルにされた娘さんは、お年頃になって、ハラ立たなかったやろか」
と思ってしまったけど(苦笑)、
まあ、『麗子像』については、他のも見ていったら、それなりに、「幼女の神秘的色気」みたいな描かれ方してるんだなあ、と思えた。
どこか、クラナッハのヴィーナスみたいな顔。
けっして嫌いでは なく、むしろ、好きな画家のうちだ。
しかしながら、
私個人的には、だんぜん、「心地良い」作品が大好きです。
だって、心地良いんだもんw
人それぞれの好み、また、関心の強弱が ある。
私自身は、たとえば、あの『表現の不自由展――その後』で見た、いくつかの作品に限っては、目新しいと言えるほどの視点を得ることも なく、尚且つ、驚くべきほどの表現とも思えなかったどころか、もはや陳腐でさえあるということ。
だって、自分なりに、すでに考えてきていることなので。
世間的にも、それほど珍しい「問いかけ」だったとも言えないだろう。
問題にすべきは、過去に、それぞれ、展示を拒否されていたという現象についてだ。
単なる、素朴な好き嫌いの自由も当然あるはずで、
また、どういうものを「心地良い」とか「美しい」と感じるかは、人によるのだろうし、
ま、そんなもん、個人に強制できない。
ただし、
権力側に対しては常に、その見識と姿勢が厳しく問われる。問われなければ ならない。
大衆とは、「愚衆」という別名も あるほどで、当然、一般大衆、大多数が正しいわけでも ない。
その大衆の上に君臨する国家なる権力の見識が低レベルで、あやふやな姿勢で あっていいわけが ない。
権力に盲従する大衆も、大衆の顔色を窺う権力も、国家としての品格を甚だしく損なうものだ。
その自覚と覚悟が ない、にも かかわらず、「先進国」の仮面を かぶってイイ気になっている、この国は。
【続く】
2019.11.10 (Sun)
『【続】炎上が あらわにしたこと――『首里城』と『あいトリ』』の続き。
津田さんというかたは、インターネット世界について、早くから非常に詳しいそうだが、その危険性に気づくのが、けっこう遅れたようだね。
世間並みよりも10年くらい遅れてる私なんかは、最初の頃こそ、既存では望めなかったような画期的な世界なんだろうなあと、良いほうに受けとめていたが、ほどなくして、これはヤバい、自分の国だけじゃなく、世界じゅうが危険になるかも、と大いに危惧するに至り、
その悪い予感を、可能なかぎりで伝えようと足掻いてみたけれど、
なにしろ、あの当時は、いまよりも もっと、わけが分からず、稚拙でもあった。
希少な理解者と思えた者にすら、
「華麗にスルーが できないのなら、あなたこそ、パソコンを閉じたら いいのでは」
と言われて、
「なんで、私が?」
と、愕然としたもんだ。
最後に付け加えておきます。
どこかの記事で、やっぱり、大学教授という肩書らしき識者が、「既存の価値観などへの意義を問う」それが、現代美術あるいは現代芸術、
というふうな説明を しておられたので、
だったら、
それは「美術」「芸術」と仰々しく名乗らなくても、そこ かしこで「名もなき」一般人が、日常的に行なってますがな、と思った。さしづめ、私みたいにw
当ブログでは、世間の常識、既存の価値観だのに対する疑問表明、とりわけ、政権に対する疑義と批判は しょっちゅう やってるもんねww
でも、
これを、「芸術」だと称したこともないし、自分を「アーティスト」だと思ったことも一切ない。
なので、
どシロウトが自己満足に閉じこもったような、独り善がりなダサさと思われるようでは、つまらんし、わざわざ「美術」だ「芸術」だと称するからには、その表現と技術は、「アーティスト」と名乗るに値するほどに洗練された、力強いもので あってほしい(いわゆる「ヘタウマ」も技術のうちだろうが、くっっっそ真面目にやってて、しかもダッサいのはカンベンだわw)、と思ったしだい。あくまで、私が垣間見た範囲の作品についてですが。
むかし、うちの母親の生前に聞いた話なんだけど、
戦後も、ようやく一段落したかというような時代の ある時期、そこで生活していたアパートの住人の家庭の一つに、幼い男の子の兄弟が いて、上の息子さんが、「山下 清」という あだ名で呼ばれていたそうな。
と言うのも、まさに山下画伯を彷彿させるような、独特の絵の才能が明らかで、「これは、将来、たいした絵描きになるだろうよ」と、近隣の人たちに知られていたというんだけど、
また、多分、軽く知的障碍か、いまで言う「発達障碍」かを抱えていたらしい。
その家庭は、おとうさんが失業中か何かで、たいへん貧しく、くだんの男の子は、タバコが欠かせない好物である父親のために、いつ見かけても、近所じゅうで、タバコの1本を ねだっていたり、道に落ちている吸殻を拾い集めるのに いっしょうけんめいだったと、うちの母親は言ってた。
とても貧しい家庭の子だから、普通の進学すら厳しいだろうし、幼くして、あれだけの才能が明らかでも、はたして、画家さんに なれたかどうか、難しかったんじゃないかなと。
ピカソが大嫌いなwうちの親父もね、若い頃から、自分で描くのが好きだったらしいが、
親父が あかんぼうのうちに、母方の伯母の養子として入った家も貧しくて、絵の具だの買えるような家計じゃないから、普通の鉛筆1本だけで、あり合わせの紙に、写真みたいなリアルな絵を、独学で描いてた。
何枚か、私も見たことあるけど、
時代がら、最もスピード出世が望めることを期して、志願して軍人の道に入り、『天皇』に仕える将校となり、戦後は、全く興味もない、予想もしなかった堅い職業に、かなり無理して苦労して就いたのだが、
いよいよ老齢になってから、引退し、60歳代で亡くなっていた女房(私の母親)が、生前、リハビリで始めた塗り絵に使っていた色鉛筆の一揃いを遺して逝ったので、それをムダにすまいとでも考えたのか、色鉛筆画の勉強を始めていた。
でも、その頃には、すでに『パーキンソン病』や眼病なんかを患っていて、若い頃のような、シャープな写実的描写力は、もう発揮できなかったみたい。
最近、どこかで見かけた記事で、
若い子が、色鉛筆で描いた、すごくリアルな犬の絵が絶賛されてるとかいうのが あったようだが、なんとなく、覗く気になれなかった。
私自身、鑑賞するのも描くのも大好きなんで、いつもは、この方面の話題に関心あるんだけど、
生前の親父が、もし、こういう記事を見たら、さぞかし、内心で悔しく感じただろうなあと思って。
自分が もともと やりたかったこと、進みたかった道を歩める人は、幸せね。
ピカソで一番好きなのは、これ(爆)
きょうになって、この記事が目にとまった。
良いこと言ってるじゃないですかwうん、なかなか哲学的(笑)
『【世相コラム】アートと「力」』11/9(土) 19:02配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191109-00010002-jij-cul
~
現代アートのグラフィティ(落書き)は、所有者や管理者に断りもなく描かれる犯罪行為であり、暴力的行為とも言える。しかし、それさえ時に歓迎されるのが、アートの力というものだろう。
バンクシーがヨルダン川西岸地区の分離壁に描いた一連のシリーズは、落書きという小さな暴力が戦争という大きな暴力を告発するという、アートの力をまざまざと見せつけるものだった。
そうすると東京都も、期せずしてアートの共犯者であり企画者、主宰者になったと言えよう。この際、本当にバンクシー作品だったのかどうかは問題ではない。真偽不明で犯罪の疑いさえある作品を展示したこと自体、一つの表現形態だ。
~
「国に対する暴力」
という批判が あるとして、それについては、先のエントリーで すでに述べた。
ところで、『バンクシー』は、センス良いしね。わりと一般ウケするみたいだ。
この記事で思い出した。
私が中学生時代の ある朝、全校集会のときに、制服のポケットに入れてあるものをチェックされることが あった。
基本的には「生徒手帳」を入れてあるのだが、ほとんどの生徒は、手帳のなかに、機関車『デゴイチ』とか何かの写真だとか、なかには、芸能界アイドルのブロマイドを挟んであったりするんだけど、
順番が まわって、私のところへ来た担任教師(この担任は、先日のエントリーで述べた、普段は母親的雰囲気なんだけど、叱るときは、恐いくらい迫力が あった、でも大らかで優しい先生)は、すでに没収してきた何枚もの写真やブロマイドの類を手にしていた。
私も、生徒手帳の表紙の透明カバーから見えるよう挟んであった、小さなカードを、しぶしぶ、差し出した。
すると、担任は、それを一目見るなり、
「いやあ、これ、カワイイやん
そのまま持っとき~よ」
と、ソッコーで返してくれたのだ。
そらブーブー言うわ、すでに没収された生徒らはw
「ずるい~!ずるい~!!」
と。
「あんたらのは、しょーもないやつばっかりやから!」
とか何とか言い返していた担任は、通常は、別の教科を担当しているのに、たまたま、美術担当教師が急に休んだとき、私のクラス担任の、この先生が堂々と現れたので、皆ビックリしたことが あった。
実は、美術教諭資格も持っているということを、このおりに聞いていたのだが、なるほど、それで、この先生の自画像イラストは、いつも、ベレー帽を かぶってるのか、と思った。
私の生徒手帳に挟んであったのは、
小学生の頃、クラスメートの おかあさんが勤めていた会社の顧客用サービス品である、小さなカード型カレンダーだった。
カレンダーの反対側には、ルノワールの『イレーヌの肖像』が印刷されていたので、一目惚れした私が、そのクラスメートに ねだって、1枚だけ譲ってもらったものだった。
数十年後の今も、大事に保管してあります。
Irene Cahen d'Anvers(also known as Little Irene)(1880)
2019.11.10 (Sun)
『炎上が あらわにしたこと――『首里城』と『あいトリ』』の続き。
さて、
「ネトウヨ」の歓心を買うためにやってるのかと思えるような政治屋さんがドッと増え、跋扈している今日この頃、
河村さんとか言ったっけ、名古屋の市長さん?この人も、「日本人の心を踏み躙りぃ~」とか大仰に断言したそうなので、
「はあ?日本人や、日本人の心っつうやつを、なんで、おたくにキッチリ定義されなきゃならんの?」
と反発を感じた私は、まあ、誰かに言われたことが あるように、「日本人離れ」してるせいなのかもしれないが、たしかに、「踏み躙られた」とも、「傷ついた」とも「暴力だ」とも、まったく、思いませんでしたw
せいぜい、「ふーん」とか、
先日のエントリー『【続】最近の話題の記事から』で ぶっちゃけたように、「なんかダサいなあ」としかww
どうりで、
津田さんと おっしゃるジャーナリストとか大学の教授さんとかいう、あの『表現の不自由展――その後』の責任者ですか、そのかたが、『遠近を抱えて』の作者さんは、むしろ、言わば「ウヨ」とか「ネトウヨ」に近い心情を持っているのに、というふうな説明を しておられたので、
ああ、やっぱり、と思った。
だからなんだ、
私が、あの作品に対して、全くと言っていいほど、共感できなかったのは。
前から思ってたんだけど、
『遠近を抱えて』の作者さんも、
また、近頃、韓国の重要閣僚だかが、「天皇の謝罪」を要求したとかいうことも連想するのだけれど、そのニュースが大々的に報じられ、案の定、現政府と、そのシンパである「ネトウヨ」どもが大騒ぎするのを眺めながら感じたことと重なるのだが、
要するに、
「ずいぶん、『天皇』という偶像を、非常に重大な存在と考えてるわけなんだ?日本人のみならず、韓国人までもが」
という怪訝さしか感じない、私は。
でも、
極端な騒ぎを繰り広げてる政権、そのシンパ、無知なまま巻き込まれてる一般国民が、止めろー止めさせろと主張するようなことは、私は しようと思わない。
なぜなら、
『遠近を抱えて』という作品の本当のところには、まさに「右翼」的心情が根底にあるのだと言っても、それによって、私の日常生活や思考・感性も含め、毀損されたりは していないし、
世のなか、そういう人も いるわな、そういう人が、そういうふうに表現してるんだなと、遠巻きに眺めるだけ。「ふーん」という感じだけ。
「ウヨ」「ネトウヨ」らみたいに、ああいうものにビンビン響かないw
響かないから、感動しない、妨害もしない。
積極的に見に行かないだけ。
その点では、まさに、現憲法で真っ先にシッカリ規定してある『天皇制』のほうが、よっぽど暴力的に、私の生活を有形無形に侵害していると言えそうだ。
そもそも、『天皇制』『皇室制度』についての「総意」になど一切、加わった覚えないもん、私は。
宗教まる出しの「祈らせてください」じゃあるまいしw徴収されて祈られるのも「象徴」されるのも、迷惑です。
国や政権が、「こんなの、認めませんっ!」とソッポ向くのは、大問題、というリクツは理解できる。
あほな「ネトウヨ」らが頻りに、「ヘイト法」を敵視してるけど、
「暴力装置」という専門用語で表されているように、公権力というものには、非力な一個人やマイノリティに対して適用される「ヘイト」見解は当たらないんだ。
国家権力とは、存在自体が、すでに「暴力」的なんだから、これに対して批判や抵抗は、一般国民の権利なのだ。
多数決や選挙結果だけが全てじゃないでしょ。
このへんの初歩的基本概念が、安倍政権と自民党シンパ、「ネトウヨ」らのオツムでは理解する能力が ないのか、ワザとヘリクツ言ってるのか。
だって、国民たる私は、『自民党』特に安倍政権は、ただの一度も、小指の先っぽほども、支持してないんだもの!!
もういっぺん言っとくわ。
あったま悪い「ネトウヨ」ども「ヤフゴミん」どもへ。
作家・アーティスト側の「カネ事情」のことなんざ、
なん~の問題にもなってないの!w
この場合の問題となってるのは。
政府側の姿勢!
国家権力というものの ありかたなの。
それが、大きな問題になってるの。
見なさいよ、
いつもの「ザ・官僚式ヘリクツ」で拵えたタテマエの下に、どうしようもなく滲み出てるホンネw
わかっていても、自分らの つごうと、政権ヨイショのために、話の本質をスリカエたいばかりなのかもしれないが、
どうも、ほんとにカン違いしてるのかもしれないよな、
なんせ、ものすんごいアホでバカだから「ヤフゴミ」は。
いいかげん、黙んな。
日本の劣化よろこぶ「ネトウヨ」ども。
さっさと閉鎖しなさい、汚い商売とデマとヘイトのために提供してる「ヤフゴミ捨て場」。
オーストリアで開催された『ジャパン アンリミテッド』とかいう展示についても、日本側の大使館が公認拒否に転じたとかいう話、現地の人たちは、ヘンな話だなと怪訝に思ってると、そういう内容の記事は、『ヤフー・ジャパン』は、そそくさと隠すのよね(嗤)
『朝鮮民族』を罵倒するための大舞台が、(もと)朝鮮人経営の「ヤフー・ジャパン」、とんだ皮肉だね。
孫さんは、同胞である朝鮮民族を殊更に憎悪・拡散してもらうことで、もって、恨みある日本社会の劣化と堕落、内部崩壊を期しているんでしょうかね。
私自身、自国だけでなくて、韓国や朝鮮人、また中国にも、いろんな面で指摘したいところが ないわけじゃないし、良い印象ばかりでは ないが、
適切・妥当な批判を するためには、真実、事実を真っ向から直視したいと望み、その望みを宿した眼で取捨・選択し、得た知識をもってから、正々堂々と論理的に指摘しなはれ。これは、どの国の国民もだね。
そういう知識や情報から、権力によって遠ざけられている国民は、目隠しされたまま、崖っぷちを歩かされているようなものだ。
誹謗・中傷のために、エセ知識や偏向してる情報だけを、つごう良く切り取って振りかざすのでは、ただ膠着し、終着点に辿り着かず、延々罵り合いになってしまうだけ。
政府と商売人、メディアまでも含めた権力は、一般大衆をコントロールするために、そう仕向けるよう、手を組むことが ある。
目隠しを剥ぎ取り、キッと振り向いて、
自分の背後でニヤニヤしながら、さあ歩け歩けと突っついていた、それは誰なのかを直視しなければ ならない。
それを しようとしない国民・大衆は、舐められ、操られる。
操っているつもりの権力トップも また、何者かに操られているのだ。
おおかた、邪まな目的を実行させるための指令を出している組織(『日本会議』とか『在特会』とか)や その中枢がゴチャラゴチャラ化け物みたいに絡み合ってるのだろうが、
矮小な利害を共有して、肩入れしたい対象を良いほうへ持って行くために、つごうの悪い相手を陥れようとする輩は、ゴミですらない。ゴミよりも まだ劣る。
なぜなら、腐敗した有害物質に ほかならないからだ。
これこそ、排斥あるのみ。放置していたら、どんどん分岐・蔓延していく。シンドロームだわ。
『首里城』の沖縄問題とも共通性が見受けられる『表現の不自由展――その後』、こういう騒ぎを見ていると、
やはり、自分たち自身で起ち上がり、自分たちで推進し、志し同じくする人々と手を携え、
やがて、
大衆の内側から抑えようもなく湧き上がってくる熱や動きを共有、
政府や権力に対しては、すっぱりと、手を振り払い、「間に合ってるので、けっこう!」と ピシャリ撥ねつけ、
何らの権力にも頼らず、しがらみもなく、したがって、口出しされる筋合いや心配もなく、わが道を行く!くらいの強さが ないと、
結局、すべてがロクでもないことになるんだなあという気が してきた。
まして、ああいう、神経質にピリピリ、それでいて、介入チャンスを虎視眈々、てな政権だから。
カネを出しても、口は出せないのよっ、ということを国家権力に分からせることが できないのであれば、難しいね。
【続く】