2020.02.03 (Mon)
しかも、その鮨代は、税金w
ここで、ちょっと お知らせです。
当ブログ運営先の業者さんにおいて、何やら内部システムがトラブルを起こしたらしく(サーバーのノードが云々とか)、ここ10日間近くにわたるアクセス不能により、うちも全く更新できない状況になっていました。
まあ、ぼちぼち直してぇや、と思いつつ(苦笑)、
なんとか復旧できたようなので、『忍者』さん、ご苦労さんでした。
その間に、下書きだけ始めておいて、やっとアップできたエントリーが、
そして、ただ今、お目にかけてる
『鮨代を、「支持率」で払うメディアかな』
というしだいでござる。
個人的にも、いつまで続けられるのか全く不明な当ブログですが、ともあれ、今後とも よろしく~♡![]()
さて。
「ベター」ですらない。「ベター」の値打ちも ない。
こんなとき、どうすりゃいいのか、どんだけ考えてみても、結論は出ない。
と言うのも、
「ギリギリ」でもない、ハッキリ言って、崖っぷちから、かなーり、足がハミ出してるというくらいの危険な譲歩でもって、本来なら、とうてい気に喰わない政党なり候補者、それは、私にとって、いちおう、『自民党』でない、「野党」の範疇に入ってるだけ、ということでしかないのだが、
それでも、
どうしようもない情況なので、心のなかで、
違うー!違うー!!![]()
と叫びたいのを押し殺し、「ベター」のつもりになって投票してみたら、、、
当選しました。してしまいましたよ。
で、
案の定、
結局は『自民党』と同じような、そして安倍政権に ひたすら おもねるような行政を得意になって やってるわ。
「ベターを」なんて、それもマヤカシだったのだと思い知ったら、やっぱり、投票自体を放棄する、に傾いてしまう。
どうすりゃいいんだよ。
どう逆立ちしても、断じて投票したくない面々だけが並んでいたとき、
しかたなく、
「全員、イヤ!!」
と書いて放り込んできたことも あるよ(苦笑)「白票」ってか、無効票だね。
悪の親玉、暴力団さながらの『自民』は言うまでもないが、
そこへ へばりついて、もはやカラカラに干上がったまま なお へばりついてる、ん●のカ●の如き『公明』、
その下で、あからさまな上目遣いして、ご用うかがいにスタンバってる、もろ名前負けを恥とも思わぬ『維新』、
こうした党の候補者しか並んでなかったとき、
たちまち、目の前が暗くなり、めまいを起こしそうになったわ、つうの。
私は、候補者個人に肩入れして、投票先を決めるということは、ない。
だから、「タレント」なんかの知名度だけで投票する連中とは、根本から異人種。
基本的に支持し続けるだけの価値ありと見做せる対象が あれば、そのまま、すんなり行けば いいという話になるが、こちとら、いわゆる「無党派層」だ。それでも、
基本的には、あくまでも、どこの政党に所属しているのかを重視する。
なので、
「候補者個人は良いと思うけど、その所属政党が気に入らない」
ということで悩んだことは ない。
その組織の特性なり、普段からの主張や活動ぶりは、あるていど分かるのだからね。
まずは候補者自身が、どこを選び、そこに所属しているのか、
もし、そこに ふさわしくなかったのなら、いずれ、その人は出ていくんだし。
最近、「ヤフゴミん」の一人が、
「白票」にも意義とか価値は ありまーす!みたいに言ってて、それは、「ビッグ データ」によって、男女別やら年齢層やら分析することで、次回選挙の改善策に繋がるから、てなことを主張していた。
おおかた、これまた、どこかの誰かからの受け売りを、さも自分の見解みたく述べてるんだろうけど、
はて、
「ビッグ データ」によって、投票率など選挙に関する改善が図られ云々って、本当か?
そんなこと やってきてるというのは、私は知らないし、だいいち、これまでに、間違いなく何か改善された、ってこと あったっけ?
投票率は、まーすますダダ下がりしたけど。
仮に、20~30歳代の投票率がガクンと低く、60~70歳代が最も高いとなったら、じゃあ2、30歳代に前向きになってもらえるような政策・施策を実行します、ってなるか?
違うやろ。むしろ逆やろ。とうに分かってることやんか。
私も、ここ数年、「白票」のススメを頻りと繰り返す「ヤフゴミん」を見かけていたので、一見は尤もらしいような意見だけど、胡散臭い感じも するなあと思ってたら、
なるほど、白票すなわち、結局は与党『自民党』に有利なんだとさw
「ビッグ データで改善できるから~」というので「白票」のススメを やってたヤフゴミんは、「ネトウヨ」の定番たる「反韓」心情を、抑制しつつもプンプンにおわせてたし、たぶん、やはり与党『自・公』支持者と思しい。
こんなのが、いっちょまえに子持ちだというんだから、社会を劣化させる分子のバラマキみたいなもんだ。
いくら少子化が甚だ危惧されと言えど、聡明さとヴィジョンに欠けた、怪しい説を断言口調で触れ回るタチの悪い者には、どこぞのシュショー夫妻が そうであるように、せめても、子なしでいてくれたほうが望ましいというもの。
ちょうど、「下手の考え休むに似たり」で、あほが「シッカリ考えた」つもりになって投票するくらいなら、それこそ「寝ていてくれ」たほうが、よっぽどマシ、ってのと同じ。
学生さんなどの若い人たちが、選挙のとき、「何を基準に考えたら、、、」と、投票に あたって悩んでしまうんだそうだが、
広く情報に接して、特にインターネットでは、みずからの取捨選択能力が非常に大きく左右するのだから、いまのうちに鍛えておくことだ。
様々な現実に接し、観察し、疑問を持ち、大いに考えること。
「要領(だけ)良い子ちゃん」にならないで。
遠からず、自分自身で営む生活が始まるのよ。「何を基準に」って、厭でも直面する日が来る。
学校現場では、政治絡みとなると、思いきったことは しにくいという本音も あるそうで、それもそうかとすれば、やはり、個々の家庭あるいは生育環境も重要。
親御さんは、保護者の立場として、頭ごなしに抑えつける、あるいは放任のほうがラクかもしれないが、大概の人は、視野も世界も狭いという自覚に乏しく、へんにウヌボレてる。親である自分自身からして鍛え直さなくては ならない必要に迫られることだろう。
政・官・財に蔓延する「俗物」の分身を増やさないで、と言いたい。
私の若い頃は、ネットだ検索だ、って皆無。
私の場合は、小学生時代から読み始めた新聞を、社会人になってからは、職業上の必要もあったので、よりいっそう、時間を かけ、まさに舐めるように読んできたが、それでも なお、不十分なのは明白。
特に日本では、新聞と言えど素直に信用できないところも ままある。
いまだに、もの知らずな、浅薄な自分であることよと、われながらナサケなくなってしまうことが少なくない。
【続く】
2020.02.03 (Mon)
『「冷コ」――季節外れの想ひ出あちこち』の続きです。
「俺のコーヒーが飲めんのくぁ?!」
と、スゴむ人も いないだろうけどねw
と言うのは、
昨年だったか一昨年だったかの春ごろ、
という記事を読んだことが あった。
ここも また寝かせてあったと言うか、ほぼ忘れてたエントリーなんだけど。
う~ん。
単に形式的儀礼でしかないんだから、ここは飲もうが飲むまいが、とは言えど、せっかく出されて、勧められたものに全く、手を つけないのも、マナー違反になるんじゃないかな?
私は、この場合、マナー云々よりも、捨てることのほうが、気になってしまう。。。
たしか、お醤油なんかを匙に一杯ほども流したら、これを浄化するためには、浴槽に幾杯もの水が必要になるとか何かで読んだことが あるので。
もうさ、
コーヒー、紅茶、ココアにコーラ、はたまた、お水、白湯、煎茶、焙じ茶、ウーロンもアルよ~
っと、
いっそのこと、「メニュー」を用意して、「どれになさいます~?」と選択してもらったら良いのでは?(笑)
…
って、喫茶店かい?!w
と思った。
ただ、私も、職場の来客応対時、コーヒー、お茶、どっちも、持病や服薬の つごうで、飲めなくなっちゃってねー、と、申し訳なさそうに言った人を実際、知ってるし。
そう言えば、職場の同僚男性のなかに、チョコレート(てか、甘い物)が大の苦手で、『バレンタイン デー』で もらった義理チョコを、いつも持て余してしまうので、という人も いた。
いちばん無難そうな日本茶でさえも、やっぱり好みとか あるし、緑茶は、気分が悪くなってしまうという人も いる。
いろんなケースが あるんだよね。。。
これは趣味・趣向の世界だけど、「お濃茶」を いただくときは、事前に、「懐石」つって、軽く食事を済ませておかないと、それこそ、胃が痛くなるとか聞くわね。
私自身も、20歳代までは、もっぱら紅茶党だった。
そもそも、小学生のうちは、コーヒーは、まだ早いと、飲ませてもらえなかったから、興味も なかった。
高校生になって以降あたりかな、実家の親が、突如として「サイフォン式」コーヒーに凝りだしてから、だんだんと、コーヒー党になっていったんだけど、それ以来、自宅では基本的に、ドリップのレギュラーしか飲まない、と言うか、もう飲めない。インスタントは、たいてい、飲む気が しない。たまに飲んだら、昔よりは、だいぶ美味しくなったとは思うけど。
コーヒーと言うか、ミルクたっぷりのコーヒー党だった うちの親父なんかは、
「焙じ茶は薬臭いみたいな匂いがキライだ」
と言ってた。紅茶もキライだったようだ。
親父は、「酒乱」「アル中」になってしまったほどの酒好きだったが、
しかし、お酒だったら何でもイイというわけで なく、
ビール以外は、洋酒類を好まず、もっぱら日本酒または焼酎。ウイスキーやワインの類は敬遠していた。
ある年の暮れ、私が、退社後に買って帰ったチーズ ケーキを、さっそく、晩酌のアテにして、舌鼓を打ちながら日本酒を飲み始めた。
それを見て、ええっ?親父、マジかよ??と思ったことが ある。
過去エントリーでも書いたけど、
この親父、ご飯に牛乳かけて食べてたのを目撃して、
気でも違ったか!?と、小学生だった私は やっぱりビックリ仰天、わが目を疑ったくらいだ。
親父は千葉の田舎育ちだったので、近所に牧場みたいな所が あって、時々、ヤギさんの お乳を飲ませてもらってたらしい。その味が、よっぽど忘れられないのかw
「ほんとうは、牛乳よりも、ヤギの乳のほうが好きなんだあ」
と言ってた。
「ミルク好きの酒好き」なのよ。
洋酒なら ともかく、もっぱら日本酒だもんね、すげえヘンなの~と思ったけど。
母親のほうは、逆に、病気の影響からか、いつしか、コーヒーを受けつけなくなり、
『フォション』だの『フォートナム&メイソン』といった、外国の有名メーカーのなかでも「アール グレイ」「ベルガモット」といった、ストレート向き風味のものばかりを好むようになっていた。
もっと昔は、『トワイニング』ね。
母方の祖父は、若い頃、「モボ」と呼ばれるようなオシャレ男子で、
カフェ文化と言うのか、必ず、日に一度は老舗の喫茶店でコーヒー ブレイクを楽しむ習慣を持つ人だったんだけど、
ある日、祖父宅へ行ったとき、台所を覗いた うちの母親が、
「あっ、おとうさん!『トワイニング』の「黒」なんか置いてあるやん」
と言うと、祖父は、
「うむ、そのメーカーなら、「黒」(『プリンス ウェールズ』)が美味い」
と答えていたのを憶えている。
ここのは、私が子どもの頃、日本国内の一般家庭に広く知られるようになり、私自身も受験生時代なんかは、深夜のティーブレイクとして、あの青い缶入りの『クイーン マリー』ご愛顧でした(笑)
やっぱりミルク ティーにすることが多いので、『アッサム』や『ニルギリ』も特に好みです。
しかし、本当にコーヒー好きの人は、あの特有の香りが漂ってきただけで、一種の「ハイ状態」に近くなるようだ。
とある お宅に訪問したとき、
話し込んでいる最中、頃合を見はからったように、ご家族のかたが、コーヒーを出してくださったんだけど、ああ、ここの あるじ、コーヒーが大好きなんだ、と察せられた。
なぜかというと、あるじ自身が、運ばれて来たコーヒーを前に、いちだんと「ハイ」な状態になったのが明らかに窺えたから(笑)
ちなみに、私も、紅茶ならば、香りが良いものであれば、ストレートで楽しんで飲めるけど、
コーヒーとなると、たまに、体調が良くないときは、あの香りを嗅いだだけで、気分が悪くなることもある。
なので、
「きょうも元気だ、御飯が美味い」の「御飯」を入れ替えて、
「きょうも元気だ、コーヒーが美味い」で、ほんとに通用する。
「アメリカン」と称した、みょうに薄いやつも、げろマズで飲めないや~と思うし、
ブラック コーヒー自体を、そもそも一切、受けつけないので、ミルクまたはクリームなしのコーヒーは、私にとっては ありえない飲み物。
紅茶でもコーヒーでも、ミルクたっぷり派。
お砂糖はナシで、お願いします~。
2020.02.03 (Mon)
大阪憎し!在日韓国・朝鮮人憎し!のイメージ濃厚な『産経』シンブンwが、またまた大阪の悪口を、多数雇ってるらしい在日の記者さん使って書いとるのかと思って覗いてみた記事が ありましたがww
「がーん」と同じくでw「冷コ」は死語?という話題だった。
うちのブログでも、新年の二日に、「冷コ」のことをホンの少し話題にしたエントリー『「幻想小説」』をアップしたけど、
そうね、「昔ながらの喫茶店」というやつが減ってるという実感は あるな。
落ち着いた雰囲気、椅子も ゆったり、食事系も美味しい、そんな喫茶店、私は今でも好きですわ。しっかり分煙されてたら、もう上出来。
大阪の喫茶店名物とも言えよう「ミックス ジュース」「ミックス サンド」また「スパゲッティ ナポリタン」にせよ、どこか家庭的な温もりが ありつつ、やっぱりプロの味で、ほんとうに、いつも美味しいね。
喫茶店って、私の若い頃、たしかに、会社の「会議室」代わりに利用したり、場合によっては面接のときに使ったりもしたもんです。
なかには、個室を備えている老舗も あるそうな。
近場で、マスターと馴染みだったら、いや、そうでなくても、かなり長居していても、大らかに「放置」してくれたりね。
もっとも、学生街の、とかじゃなく、貧乏学生でもなければ、客のほうも、ある程度の時間が経過したら、自分から追加のメニューを頼んだりするけど。
これは もう、だいぶ前のことになったけど、過去エントリーにも書いたか、『難波』駅前から『心斎橋』へ続くエリアに あった『平野屋』さんが なくなってたのは、まじでショックだった。
あの、すばらしい「コーヒー ババロア」は、もう食べられないの?![]()
と、泣きたくなったくらい(苦笑)
あとには、何やら いまどきのチェーン システムの食べ物屋が開店していて、風情も何も なくなり、腹立たしくさえ あった。
『平野屋』は、若い頃、映画鑑賞や買い物帰りなんかで通りかかったら、母親あるいは友人と、時々利用してたんだけど、ここって、どこか独特の内装と雰囲気で、そうとう古い喫茶店だったようで、うちの母親が娘時代にも、友人たちと、よく入ったと言ってた。
むかしの同僚の男の子が、学生時代に、友人たちと行きつけの喫茶店へ入るたび、テーブルに備え付けの、お店オリジナルの灰皿なんかを、皆で、制服のポケットなどに隠して盗みまくり、しまいには出禁になったと言ってた、真面目なんだか不良なんだか判然としなかった あの美青年、いまではスッカリおっさんになってるだろう、どうしてるやらw
父親違いの姉が幼稚園の頃、母親と別れ、自分の父親のもとへ去ってから、向こうの家で、すでに同棲を始めていたという内縁の後妻が嘆いたらしいんだけど、
自動販売機なんかのジュースを買って飲ませようとしたら、姉は、
「ちゃんと お店に入って、椅子に座ってからじゃないと、お行儀わるいもん!」
と言い張ったそうな(笑)うちの母親が、さも自慢そうに言ってた定番話の一つ。
最近、「タピオカ」というものが大ブームになって、それと共に、ゴミ処理の問題が酷くなったと指摘されてるのは私も知っているけど、
ハイティーンくらいの頃、テレビが、都会か観光地での繁華な街の通りを映し出したとき、茶の間で一緒に眺めていた両親が、
「今どきの者は、憚りもせずに歩きながら飲み食いして、行儀の悪い」
と苦々しい顔で批判した。
親父なんかは、
「こういう風潮はな、戦後に乗り込んできたアメ公の影響なんだ」
と吐き捨てるように言っていた。
親父は、やっぱりテレビなんかで、リスが木の実を両手で持ち、ちょこんと座って食べている光景を見ると、たちまち相好を崩し、「行儀が良いな」と褒めちぎっていたw
蛙なども可愛いと思う理由は、「きちんと座って、行儀が良いから」だとさww
自分自身を振り返ってみろやと言いたいがwww
まあ、世間の おとうさん族に多いらしい、パンツいっちょうで、家のなかウロウロとか、おならコキまくったりとかは、ぜったいにしない人で、行儀そのものは、まあまあだったけど。
酒乱じゃねえ。一切が台無しだわねえ![]()
むかし、うちの母親が子ども時分の同級生と、通院先でバッタリ会ったら、喫茶店の経営ってのは、「モーニング」やら いろいろサービスしてるけど、利益を出すのが大変なのよとボヤいてたそうだ。その人は、実家の お店を継いでたのだが、そろそろトシだし、病気になっちゃったから、たたむつもりとか言ってたらしい。
昨今は、うちの居住地域でも、最寄りの駅前などに、まだ何店か辛うじて残ってるけど、逆に、市の中心部の駅前に行くと、せっかく洒落た構えの洋菓子・喫茶の お店が、数年前に潰れてたし、私が幼い頃から何度か入ったことのある、ここいらでは老舗の喫茶店が、先日、なくなってたのを見て、ちょいショックだった。この数年で、目につくことが増えたよ。
さて、「冷コ」の話でした。
私も、二十歳ごろまでは、このコトバ、知らないままだった。
それって、たしかに、いわゆる「バブル時代」の頃では あったけれど。
しかしながら、わたしゃ、兼好法師の おっしゃった、「奥ゆかしい」部類の人間でしてなw
ほとんどの場合、「最先端」的な物事については全般、疎いことが多いんですわ。
むしろ、こういうふうにしたら良いのになあと、かねて思ってたら、数年も遅れて商品化されたものが世間で出回ってきたりとかいうことは あっても。
代表的なのは、パソコンを、家庭で使うため購入したのが、世間さまよりも10年は遅れ、インターネットのアレコレにも、ほぼ無知、「複アカ」だの「なんたらチャンネル」って、それは なんですか?状態。
それまでは、会社の仕事くらいでしか触ったことが なかったので。
だから、あの「カルト連」の悪行には、最初キョトンとしてて、事情が分かり始めた頃には唖然呆然だったわけ。
さてさて、
あれは、やっぱり二十歳の頃。
母親の知り合いが経営してた喫茶店でアルバイトしてたときに、初めて、お客さんの注文を取りに行って、
「冷コ」
と言われ、は?となったもんでした。
そう、あの頃、バリバリ若者だった私だって、「冷コ」の意味を知らなかった。
家では、そういう類の流行コトバは使わないし、聞いたことすらなかった。そういう実例も あるんですよ。
初めて耳にしたときは、業務用のコトバなのかなあ?という印象。
「冷コ」だけじゃない、たしか、「アイミティ」なんてのも あったかと。リスカじゃなくてw「レスカ」てのも。
もちろん、よりいっそう、はあ??ですわ。
私は聴障だから、まーた聞き間違えたかな(汗)と思ったんだけど、
常連らしき お客さんが、
「ああ~、この子、意味を知らないんやぁ」
と、お連れさんに、苦笑しながら言って、私のほうに向きなおり、本来の正確な名称を説明してくれました。
ふしぎなことに、「ホット」というと、自動的にコーヒー(熱い)のことになるよね。
けっして、「ホットコ」や「ホッコ」でもない。
「冷コ」に対して「あつコ」にもならない(笑)
『スタバ』や『マクド』『ミスド』といった所も、私は、これまで、十本の指で数えきれる回数しか入ったことないと思う。
最新式で、いわゆる「セルフ サービス」の店なんかだと、どちらかと言えば、いまだに慣れないもんだから、うかうか一人きりで入って、初めてだから、店内システムの説明を、店員さんが早口で言ってくれても、聞こえなくて何度も聞き返すハメになったことが あり、以来、連れが いないときは、あまり、足が向かない。なので、いまいち慣れないまま。
『スタバ』がブームらしいことは、なんとなく聞いていて、初めて入ったのは、これも、かれこれ20年前だったか。
叔母が亡くなった、あとの始末に、大阪から東京方面へ何度か出向き、やっとこさ、きょうで最後の日となり、叔母のパトロンだった おじさまが、前夜も、和食の お店で、松茸フルコースなどを奢ってくださったのに続き、
「いよいよ、これが最後ですから、どこかで休憩しましょうよ」
と おっしゃったので、私は、通りすがりの『スタバ』を見て、あっさり、ここにしますぅと言った。
入ってみたら、圧倒的に若い人で満員。やっと、二人で座れる席について、私は、ふうん、と、店内を見回していたら、おじさまは、私を見つめ、
「あなたの叔母さんは、こういう店には入りませんでしたよ」
と、哀しそうな顔して おっしゃるのよ。落ち着けなかったのね。
どうやら、最後の最後まで、「きちんとした」和食の お店あたりに入りたかったらしい。
それから、ほどなく、おじさまとも、今生の お別れとなりました。
ご病気のことは、いちおう知ってたけど、あんなに あっけなく亡くなられるとは予想してなかったので、成城の お屋敷に預けっぱなしになっている、有名画家の絵を返してもらう手立てが なくなってしまった。
離れの茶室などに過去から何度も空き巣が入ったらしいので、あの絵も、もう やられてるかもしれない。とほほ。。。
帰れ~、きみ、『馬上の恋人』、われのもとへ~♪
ま、こういうことが あるから、有名画家の作品が、杳として行方不明になったり、長い時を経て、とんだ所から発見されたりすることが あるんだなあと思う このごろ。
なつかしの喫茶店、「冷コ」…
罪のない話題の一つとして、しかも、期せずして社会情勢をも織り込みつつ、誰でも気軽に参加できて盛り上がりやすい話題ですね。
「喫茶店と言えば」の定番メニューに挙げられるうちの一つが、クリーム ソーダ。
ユーミンの歌に、『ドルフィン』という名の喫茶店いや、レストランだっけ、ソーダのことが出てくるよね。あ、ソーダ水だな。
…アイス クリーム、プリーズ!(笑)
透明な緑色とバニラ アイスの黄みがかった白がキレイな取り合わせだなあと、子ども心に思ったもんでした。
まずはアイス クリームを一匙すくい、できるだけ濁さないようにソーダを飲み、しているうちに、どうしても、柔らかく淡いパステル グリーンに変化していく。貨物船が通っても、見えなくなるw
もうン十年前になったが、『小田急』から『江ノ電』と乗り継いで『鎌倉』に向かっているとき、ふと、『天気雨』の歌詞が浮かんできたのを憶えている。
ユーミンさんがデビューした頃って、私まだ子どもだったので、知らないまま20歳代になってから初めて聴いた。それまでは洋楽方面にドップリで、日本人の楽曲には殆ど関心が なかったので。
では、喫茶店にちなんだ懐メロを どうぞ。
松任谷由実『海を見ていた午後』
石川ひとみ『まちぶせ』
ガロ『学生街の喫茶店』
~あのときの歌は聞こえない。人の姿も変わったよ~
2020.01.22 (Wed)
『「楽観性」とは』の続き。
ついでに、
トランプさんの いわく、「悲観的な予言者」云々について。
以前、キューバの故フィデル・カストロ氏のことを評し、かのゲバラでさえも心底から呆れるほど「徹底的に楽観的な人」だったということを、うちの過去エントリーで取り上げてある。先日のエントリーにも再掲している。
ゲバラについても、その並はずれた意志力と活動性には、幼い頃からの喘息を持病としていたため、服薬歴に、なにがしかヒントが あるのではと考察してある。
フィデル・カストロと、トランプさんの言う「楽観性」には根本的な違いが あるね。
その出発点の違いを考えてみよう。
楽観的なと言うか、楽観的で いられた人というのは、その共通性として、まず、猛烈にエネルギッシュ、それだけで恵まれている人が多いだろう。
なんせ「楽観的で いられた」んだから。
うちの親父なんかでも、それに近いタイプだった。
そのわりに、ちまちまとヘンなところで神経質だったけどw
まあ、暑苦しいタイプww
先天的な心臓の弱点が少し あったりは したが、浴びるほど大量の飲酒や喫煙が できるという、言わば「アディクト」に耐えられること自体、基本的には体力が あるからこそだろうと思う。いまの時代こそ珍しくもないが、かなりの長命だったし。
そんな親父の体質に似た面も あるはずの私なんか、無理。同様のことを したら、死んでしまうだろう。
もっとも、晩年の親父は、お酒は やめられなかったものの、禁煙だけは実行していたが、そこに至る前には、友人に勧められた「禁煙飴」というものを大量に しゃぶり過ぎて、体重が激増、
しかも、なかなか やめられないタバコと交互に口にしていたものだから、「あんたは、よっぽどシツコイ性分やな!!」と、母親に怒鳴られていた話を、過去に述べたかもしれない。
母親のほうだって、病気の問屋を自称していたわりに、食べることが大好きで、したがって、料理も苦にならない。自分で厨房に立つ割烹料理店を開いたくらいだ。
両親とも、いわゆる「精が付く」という食物を、ふんだんに、滞りなく摂取できる。
私は、それも、なかなか困難。
出産なども そうだが、いずれも、それらを こなす基礎的体力自体は備えているということだろう。
私の考えるに、基礎体力と持病とは必ずしも関係ないのかもしれないと思う。
両親とも、最後の最後は、自分最優先、それを遠慮しない。
そのために、利用できる者は利用することを憚らない。
彼らは、それを、自分は当然に持っている資格であるかのように思っていた。
家庭環境に恵まれなかったせいか、その他の面での有利さには自負心が強く、
それでも、なお心底に、「被害意識」が横たわっていたから、常に、「損を させられてなるものか!」と警戒し、防衛意識を強化し続けていた。子に対してさえもだ。
必ず、何かと引き換えに運ぼうとする。その自覚が ない。
ほんとうの、掛け値なき全き善意は、難しい、
そういう自覚が なかった。
親と子においては特に、最も密接な利害関係者なのだ。
「さても、まことに、成ること難し」だ。
「楽観的で いられた」からこそ、「哲学」から遠く、そんなものは不要とし、世俗の価値観などを、つゆ疑う必要もなく、どっぷりと従い、多くのことは、深く考えないで済ませられたのだろう。まあ、あくまで、多くの人々の場合は、だ。
まあ、「悲観的」ばっかりの男性も、魅力に乏しいかな?(苦笑)
かく言う私だって、いくつも背負ってきた重荷のなかで、せめて、障碍を背負わずに済んでいただけでも、こんなブログ、全然、やってなかったと思う(苦笑)
ずっと前にも言ったことだけど、
生来のほほん、ノンキさに輪を掛けて、中途半端な思考で満足し、軽佻浮薄・軽薄短小な人間のまま、年齢だけ重ねていたことだろう。
また、そのほうがラクだったには違いない。
自分自身の面前に差し迫ったことでなくても、真剣に考えることが できる、こういう人は稀有な人なのだ。
トランプさん、実際に、生き残れない人(それは、われわれも含めて全員なんだが)その個人にとっては、その時点で止まる、まぎれもなく「世界の終わり」なんですよ。
あくまで自分や自分の周辺だけは、このまま生き残れると、根拠なく固く信じているから、「終末」や「世界の終わり」なんか ない、というのは、
それは楽観性では なく、単なる幼児的ウヌボレです。
まあ、「自己愛性」に必然として伴うものでは あるけれど。それが なければ、誰も、子どもを産もうとは思わないだろうしw
たとえば、
原子力をコントロールしてみせるのだ!これが人類のチエなんだとリキんでみても、必要なことを「コスト カットしたったぜ!俺って有能だろ!どーだ!!」
とか鼻高々で言ってたら、
どっかーーーん!!!
…
あらゆる災害などによって、「断末魔」の果てに亡くなった人の、最後の思いを、生きて相変わらずメシ食ってナニ出してる者に分かろうか。
「断末魔のなかで死ぬ」ということが、どんな思いか。
そうなると知っていて、誰が、子を産みましたか?
知っていても、産みましたか?
当事者には、このうえなく残酷な質問だろうけどさ。
この前のエントリー内で、私は、こう言いました。
「自然界の(人間にとって)『不条理』『理不尽』と闘っては倒れ伏し、起き上がっては闘い、また倒れる、それを歴史としてきた『人間たる』の本来やむことなく、飽くなき希求からドンドン遠ざかり、そして、
手の施しようもなくなった「カオス」の濁りを眺めて、力なく立ちつくすだけ←いまココ。」
いまからでも行動しさえすれば、闘えば、こんな現状と先行きの不安を少しでも変えられる、改善できると信じられる、これこそが本当の「楽観性」。人間の歴史。
そのようにして、ヒト族の知性は発達・発展してきた。
グレタさん17歳になったのね。
遠い日、同じ年齢だった頃、
「環境に良くないよ?」と言うたびに、「うちだけ気にしてもムダ!」と、親に無視されていた私は、彼女の主張について、いまだに殆ど知らない。
頻りに批判するオトナたちが言うように、ただ極論だけを主張しているというのであれば、それは問題だろうけれども、
批判側のオトナたち自身も、これまた極論を主張しているのでは ないのかな?
なんと言っても、これから、まだまだ勉強を重ね、成長していく若い人だ。
とにもかくにも、弱冠16歳から、世界に飛び出した行動力、その怯みのなさに感心する。
2020.01.22 (Wed)
『「長期政権には、すり寄り」』の続き。
職業柄なのか、生まれつきの性分なのか、ヘンに こまかいことに拘って警戒する親父とは また違い、うちの母親のほうは、わりと豪快と言うか大ざっぱな面も あって、あまり普段からコマコマしたことばかりは言わない人だった。私も、どっちかと言えば、そういう点は似たんだろうけど、
ただ、飲食店を経営していて、一人で切り盛りするには忙しくなってきた頃、手伝いに雇った女性が、毎日、お子さんである女児を連れて来て、その子の要求のまま、店の冷蔵庫からチーズやら、おつまみ用の食品を取り出して与えるので、
おおかた、家計が苦しいのだろうからと見逃していたら、どんどんエスカレートしていき、遠慮会釈なくなったらしい。
商売の品を勝手気ままに消費することが頻繁過ぎ、女性への報酬以外に、子どもさんへのケーキなどまで渡していた母親も、さすがに、大目に見ることが できなくなり、辞めてもらったことが あった。
見るからに、つましい雰囲気で、地味な女性だったが、図太い子連れだったなあ。。。![]()
そのかわり、うちの母親は、非常に、自分への称賛を求めてやまない人だった。
自分一個のプライドを傷つけられたと思ったら最後、ぜったいに許さない。
どういうわけか、私や親父ら家族のことは、自分から徹底的に侮辱して楽しむシュミが あったけどw
やっぱり、「敵・味方」の区分けが激烈なところが あって、
それでいて、称賛を求めたい相手には、調子よく取り入るし。
でも、それを自覚してないようでもあった。
「自己利益こそは正義」と信じていることに無自覚だったんだろうか。
自分にとって、つごうの悪いことは頑として認めなかった。
さて、
「権力」というラベルが貼られた砂糖壺に、蟻の如き人間どもが群がる。
そういう手合いは、いつでも どこにでも いますわな。
問題はね。
商売では ない、公組織の、それも国家レベルのトップともなれば、「自分さえトクできれば」ということではダメなんだが、それこそ「類は友を呼ぶ」でね、
安倍政権が、これを最も具体化して見せつけてくれたわけだけど、
アベシの嫁さんが、何を言っていたか。これも皆さん、忘れてるのかな。
私は、このブログで何度か言ってきてるんだけども、わかってない人が まだ多いようなので、もういっぺん言っとく。
アベシの嫁さん、昭恵さんね(漢字、合ってるかな?w)彼女が、いみじくもバラシてたじゃないですか。
「私たち夫婦を利用してね」
と常々主張し、宣伝してきたのだと。
まあ、あの奥さん個人は、(悪い意味で)単純なだけかもしれないけどw
あくまでも彼女ら側にとって「良い活動」のために利用してちょうだい、
と、そのうち明るみに出た一つが、例の『森友』事件だった。
「ご利用ご利用」「利用してちょうだい」
ってのは、要するに、
「すり寄ってちょうだい」
ってこと。
【続く】