2025.03.29 (Sat)
ドッカーン
ですわな。
当然の報いと反応だと思える『アメリカ』、「またぞろ」も通り越して、やらかしましたなあ。今度のは、ひときわデカいですぞ、例の(『フ―シ』派とかいう組織への)襲撃計画の機密漏洩。
『アトランティック』誌の記者氏は、記者の本能とも言えようはずのスクープ欲を抑えて、慎重に対処、よっぽど「愛国」的姿勢だったものを、きわめて口汚く罵られていた、このことも、トランプと、その政権メンバーらの恥の上塗り状態となっている。
それにしても、いっぺんで、ほぼ消えたな、トランプ支持のコメントが(爆)
どうせ『(旧名)統一教会』とか『サンクチュアリ教会』とか、あるいは『福音派』たらいうカルト集団でなければ、これらと裏で手を繋いでいる組織構成員の「お仕事」か、
残るは、何でも かんでも逆張りや訳知りを気取りたがる軽薄短小の連中が。
入れ替わりに、
トランプと、その政権メンバーを非難、糾弾するコメント投稿が激増しているが、
おたくらもなあ、ここぞと正義感に満ちあふれるコメントを、やっと今ごろになって惜しみなく投稿する、その情熱をば、どこに隠してたんですかの?(苦笑)
ほいほい日和ってばかりではダメよw
私みたいに、ふだんからの姿勢というものが大事ですよww
私はね、当初から、トランプは「愛国者」どころか、その逆、自国を逆恨みしているか、あるいは、どうも、プーチン・ロシアとの あいだで、何か邪まな経緯が あるんだろうということを指摘し続けてきたわけだけど、
もちろん、それだけでは なく、トランプ個人の人間性や志向、好みなど、そっちの影響も大きいだろう。
で、
たしか『ハーバード大学』卒というアメリカ人で、なんとモノズキにも、日本で芸人やってるとかいう御仁。この人が言ってたようなんだけど、「トランプは、スパイとかいうよりも、スパイのように振舞っている」とかナントカって。
いやいや、実際に、そのように振舞った結果が、まさしくプーチンの都合に良い運びとなっていってるのであれば、それは、取りも直さずスパイであり、「売国奴」です。
わが国の大昔の賢哲の一人、兼好法師が仰ったとおりに、
「キチガイの真似する者はキチガイ」
ってことですw
兼好法師って、洞察力が鋭くて、ほんと、アタマ良いよね。
トランプは、どう見ても、よりによって自国の信用、国力、築き上げてきた威信を根こそぎガタガタに壊そうとしているようにしか見えないということを、私は、ずーっと指摘してきたし、まさに、それに違いないのであれば、その結果を、誰が最も悦ぶのかを考えてみれば、一目瞭然でしょうがw
従来の枠組みなどを大胆に変化させること そのものを反対するわけじゃないよ。
アメリカの来し方も また、問題が甚だしいものだった。
だがね、
時代錯誤なマッチョ爺トランプたちのせいで、日本も含めた世界じゅうが、たちまち、軍事重視へと舵を切り始めた。
こんなこと、人類が目指してきた世界か?人間が やるべき仕事なのか?
とんだ先祖返りだよ。
ボルトン氏あたりでさえも、トランプは、プーチンと友だちのつもりなのでと指摘しておられたけど、私は、やっぱり、それどころじゃないやろと思う。
少なくとも、故あべポチのようには勝手が違い、プーチンは、「ブロマンス」を乞い求めるトランプに対しても、温かい対等なスタンスで接しては いない、どこまで行っても、故アベぽちの実態も そうだったように、「片思い」に過ぎなく、もっとズバリ言えば、「焦ってる足もとを見透かされている」側と見受けるけどな。
だって、少なくとも中国、そのトップである習 近平氏に対しては、トランプ自身、友人とかいうような態度と全然ちがうやんww
ことわっておくけど、私だって、大キライですよ、
他国からの援助やら「互恵」取引やらの おかげで、ぐんぐん蓄えた余裕を、ほいさ ほいさと軍事に注ぎ込んで、あげく、周囲にケンカ売りまくったり、挑発しまくるような国はね。
まっ、こんにちの結果を導いたのは、欲を掻きまくった日本のアキンドどもと癒着する『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』も熱心に手伝ってきたに等しい要員だ。
まあね、言うて、私はアメリカ人じゃないんで、その分、気楽に、近ごろの過去エントリーでブチマケタとおり、
「泣け!思いっきり泣くが よい、アメリカ人」
と、呆れに乗じて言い放っては みたものの、これまた現実になってきた、わが国の行く末よ。
「なんとか、距離を あけるようにしていかないとなあ」という姿勢を、日本だけじゃなく、その他の「同盟国」各国も、それを真剣に考え始めたでは ないか。
とりわけ、日本は、アメさんがクシャミしたら、こっちは肺炎とまで言われてきたくらいに、アメリカからの影響をモロに ぶっかけられる立場だからね、いいかげん、真剣に、この先のことを考えて、徐々にでも方針転換を心がけていかないと、アメリカに平伏する一辺倒では、どこでトバッチリを浴びせられ、とんだ濡れ衣を着せられ、ついには悪者にされてしまうやもしれぬ。とにかく、罪つくりの お先棒を担がされ、本家の身代わりを引き受けさせられないよう、重々警戒しないと。
つくづく、恐ろしい事態になってしまいましたな。
日本も、経済が好調で、余力の豊富なうちに、アメリカの網のうちから少しは抜け出せていたら よかったんだろうけど。
何もかもが、遅すぎた。
『ウクライナ』の資源類についても、全部よこせや!!と、あらためて執拗に要求しているというトランプのアメリカだが、これについても用心しないと、「踏んだり蹴ったりに なりは しないか」と、私が危惧したとおりだったね。
いまや、自国内でも分が悪くなってきた状態らしいゼレンスキ大統領は、ここで また迂闊なことを決めてしまうと、自分とこの国民たちにさえ、いよいよ恨まれてしまうかもしれないし、
だいたい、まるっと寄こせ寄こせーアメリカに!と要求している真意には、なんとか辛うじて、ウクライナ支援を継続しようと思案している各国へ牽制する意図も大いに含んでいるわな。これまた、プーチンにとって、好都合だ。
例の『クリミア』で味を占めてるプーチンの、新規選挙を実施せよとかいう要求を聞くにつけても、そもそも、誰のせいで、選挙が できなくなっとるのか、どの口で言うとるのかと、こっちの開いた口が塞がらない酷さは、トランプの常套手段と、基本は同種。
まあ、だんぜんトランプと、その政権メンバーのほうが、アッタマわるいんじゃねえの?というイメージは濃厚だけど(嗤)
私は、当初から指摘したように、『NATO』に入りたい入りたいと公言していた側も軽率きわまると思うけど、
プーチン・ロシアの側もね、再び言うけど、おとなしく していれば いいんだよ。
おとなしくしているところへ、なんでNATOが、何のために攻め込む必要が ある?
『グリーン ランド』についても、最近、プーチンが、またぞろ、もっともらしいネタにしてるみたいだけど、
ことによると、トランプ政権時代のうちにと、グリーン ランドを入手しておくこと、これが、どのような効果を遠からぬ将来的に齎し得るかということも、もっと穿った洞察が必要かもしれない。
なにしろトランプの やること なすこと、すべてはプーチンのために、そんな思惑がプ~ンプ~ン臭ってくる状態なのだから。
やれやれ、
これまたマッチョ趣味(=女性蔑視(女性恐怖)という点でも、明らかに共通点が窺えてきたエルドアン氏。ついに、大きく本性を曝け出したようだ。
ふん、このテの男どもが やりたがることって、古今東西、結局は同じだわ。
んでもって、それを、さも「正義漢」ぶって忠告しにいくトランプ政府(爆)
なぜに、プーチンらのような余計な手合いが生まれてくるのだか、ほんと、マッチョ趣味と時代錯誤は傍迷惑だ。
だいたいね、特に生活感覚に おいて、世界の どの地域であろうと、共通性が大きいせいか、本来、女性の殆どは、「領土争い」なんぞにサラサラ興味は ないですよ。
なかには、男の出来損ないみたいなバカ女も いるけどさ(嗤)
そりゃあ、「染色体」の片足が欠けているかに等しい形態に特化された、ある種の異常性を抱えて生み落とされた男性という存在は、ある面では、およそ生物界のなかで、人類だけが特異な発展を遂げてきたことを、その異常性をこそ駆使して担った役割も多大だったにせよ、
もう、そろそろ、異常性ならではの、その役割も行き過ぎに至ってしまっており、ここいらで、淘汰、消滅してもらってイイんじゃないかとw
とうに、じゅうぶん過ぎるくらいの発達・発展を遂げおおせているのだから、昔なら、男性が いないと不可能だったような作業なども、女性だけで回していけるでしょう?w余計な欲さえ搔かなければ、それなりに回していけるわよww単純すぎるかしら?冷酷かしら?www
なんてったって、もともと、男性などという者は存在しなかったんだからwwww
【続く】
2025.03.28 (Fri)
まずは、日本の映画から。
谷崎潤一郎の『細雪』という小説を映画化した作品は、これまでに幾つか あるようなのだが、今回、私が鑑賞したのは、ヒロイン『雪子』を、若き日の山本富士子さんが演じていたもの。
私自身、谷崎の小説も好きなほうでは あったが、小説の方面に関しては、どちらかと言えば、もちろん翻訳だけれども、主として欧米の作家の作品を読むことが、意図せず多かったので、とりわけの好みと言うほどでない場合には、日本の作家のものは、多少、谷崎の作品も含めて、疎いままで きている。芥川とか太宰などは、小学生時分から読み耽った時期が あったし、いまでも引き込まれるほど好きな作家たちでは あるが。
ただし、江戸川乱歩は、だんぜん別格w
先日の過去エントリーでも ちょっとだけ触れたように、
母親なんかは、泉 鏡花が好みだと言っていたのが意外に思えたこととか、まだ元気だった頃、娘の私自身も、ごく若かった時分に、『細雪』が、新しく映画化されたというので、父方の実祖父は、伝え聞くところに よれば、運輸官僚の職を辞したあと、まだ若いうちに海運関係の企業を興して経営していて、それこそ『船場』界隈に豪壮な屋敷を構えて、いたり、
うちの母親のほうも『大阪』の生まれ育ちで、「いとさん、こいさん」の世界には親近感が あるせいか、いろいろな和服が登場するのも楽しみに、『細雪』を観に行きたいということを言っていたのが思い出され、そこで、毎度の『ユーチューブ』(苦笑)。
オススメ一覧に出てきたもんだから、ちょうど、またぞろの体調の悪さを、ひたすら、許容範囲のヒマと睡眠で癒やしつつ、他は、できるだけ、室内にての気分転換でもって紛らわせたいとの思いから、ほんの、気まぐれで、これ観てみようかと。部分的ではなく、全体を通しで観られるということなので、さっそくクリックして見始めた。
最初の場面から、『夙川』駅だっけか、あの周辺の、当時の ようすが鮮やかに映し出されて、まだ私は生まれてもいない時代の違いを大いに感じながら、いやぁ、こんなに風光明媚な所だったんだな、とか、幼い子どもが遊んでいる すぐ横の深い崖下には大きな川が流れているのだが、ガードレールらしきものは一切、見当たらないようなので、その大らかさというか、無防備さに驚いたりも しつつ、
なんと言っても、四姉妹を演じた女優陣の、いま見れば、多少は古風ながら、美人なること揃って気品にも満ち、出演の俳優さんたち全員、力づよい演技も印象的で、
「いまどき、こんな女優さん男優さんたち、おらんわなあ」
と、ひとしきり、感動。二回くりかえして鑑賞させてもらいました。
ごく たまにしか観ることが なかった日本映画の良さを楽しんだ余韻で、またオススメ一覧から、今度は、『愛すればこそ』という題名の、実際には、三つの作品から構成された、オムニバス形式の映画を選んでみた。それぞれの作品名もストーリーも、担当した監督も配役も異なっており、いずれも、私らの世代では疎い監督さんの お名前ばかり並んでいたが、タイトル ロールを ぼんやり眺めていたら、新藤兼人氏の お名前は知っていたので、ここでは脚本担当として表示されていたのを見て、あら、すごく若かった頃のかな?と思っていたら、予想どおりに?若き音羽信子さんが登場していて、ああ、やっぱり?みたいにも思った(苦笑??)もっとも、音羽信子さんにしても、私の記憶では、すでに中年以降のベテラン演技派としての姿だったのだが、若い頃の爽やかな可愛さ、それだけに とどまらず、なんとなくサッパリした、どこか『大阪』育ちらしさも滲み出てるような、気取りのない、独特のメリハリが感じられる演技が、すでに表れていた。
「わ~可愛い!きれい~、さすが、『宝塚』の娘役を されてたというだけ あるなあ」と、うっとり。
同時に、
この作品の時代背景としては、いまだ混乱が残る貧しさ、そんななかに あっても、矜持や品位を失うまいとする「花売り」少女の健気な ようすにも感心したけれど、やはり、非常に厳しいには違いないが、大らかな側面も あったのかなと思えた。だって、現代では、小学生くらいの子どもに、夜も更けるまで、繁華街の酒場あたりで、酔客相手に、ものを売って歩かせるなど、いかなる事情が あっても、あらゆる面で許されないわけだが、それよりも、どだい、そんなことを していたものなら、ほどなくして、邪悪な男に連れ去られたりする危険が大きい現代、どんな怖ろしく酷い目に遭うことやら、むしろ、いまの時代のほうが、ある意味、もっと危ない情況となっているのかもしれない。
私の子ども時分を思い起こしても、結局のところ、子どもを餌食に利用しようとする男を中心に、油断の ならない、邪まな おとなたちの存在が あることは変わらないにせよ、子どもは子どもである、という基本的な視線は、おとなと子ども双方ともに、どこか揺らいでいる危うさも漂っているように感じられなくは ない昨今。
さて、そこはかとなくオモシロかったのは、三話のうちの真ん中に出てくる『飛び込んだ花嫁』。
観終わったあとも、
「結局は、お芋で意気投合するなんてね」
と、クスッと笑えたほどユーモラスで、こういうのも良いなあと思えた。
でも、やっぱり、厳しい時代背景もシッカリ伝わってきた。
写真だけで、「嫁を送る」なんて、「人権蹂躙」というセリフも あったけど、
さすがに戦後は、「人権」という概念も、普及していたんだなと思いつつ、よく考えたら、うちの母親ってさ、最初の結婚は、継母からの圧が激しくて、まだ十代のうちに、写真どころか、顔も全く知らない人と結婚させられたという話だった。
で、
その後、うちの親父と出会って、と言うか、親父の執拗な誘惑に根負け、みたいに言ってたけどw最後は「ダブル不倫」の「デキちゃった」再婚だわな。私が生まれ落ちた原因なんだけど、いまでも信じ難いわよ。せいぜい『明治』や『大正』時代までやろ?それも、ど田舎のwって思いたいけど、『昭和』も戦後に なってたのに、顔も知らない相手と結婚させられ、っつうのがねえ。
うちの母親も、不必要に勝気なくせして、ほんとうに肝心なところで、なんでやねん?!って言いたくなるような、不可解な行動に走るタイプだったけど、脳が異常だったせいなのか、冷酷な継母と、あっさり宗旨替えして手の平を返す実父を めぐる、複雑な心理やら、世代が違うほど年齢差のある親父と ひっついたこととか、まあ、いろいろ奇怪な話が多々あるわけだけども、私が、これは間違いないと断定できるのは、愛憎こもごもの、「ファザコン」だったんだな、ってこと。
その愛憎こもごもは、最終的に、自分の娘に対して集中的に向けられた。
母親にも親父にも言えることは、自分たち それぞれの鬱憤と暴力を、筋違いにも、家族のなかで最も抵抗力のない、幼い娘に向かって吐き続けたってこと。そして、依存し続けた。
…
『飛び込んだ花嫁』でも同様に、出演している俳優さんたちの、ずっと後年になってからの姿しか知らなかったので、まだ すごく若かっただろうにと、しっかりした演技力に感心。
どうも、この時代の俳優さんたちって、総じて、どこか清新な、どんなに若々しくっても、生真面目な雰囲気を醸し出していて、おそらくは、仕事と関係ない私生活からしてが、こういう雰囲気なんだろうかと思わせられてしまう。
いまでは、やっぱり、どこ探しても おらんような気が する。
最後に、
『愛すればこそ』という、ラストの作品は、あるコメントによれば、いわゆる「左翼」系の思想を持つ監督さんだったらしいのだが、たしかにモロ出しだなあとは思った(苦笑)そういう、良い時代だったのかw
また、登場人物の全員が、それぞれの立場なりに、生真面目というのか、とても情熱的でもあり、とにかく、私なんかの世代からしても、どうしても、時代の差異を感じないでは いられなかった。それこそ、
「こんな日本が あったんだ!こんな日本人たちが いたんだ!」
「どこ行っちゃったのかしら」
と、思えるほどに。
で、
「いまどき、こんな女優や男優、いや、実際、私らの世代も含めて、女性だろうが男性だろうが、太鼓たたいて探したって、見つかりゃせんやろな」
と、老若男女の別なく、またまた感心させられたが、
極めつけは、かの山田五十鈴さんだ。
ここでも同じく、
「いまどき、こんな母親、おらへんわな」
と、
うちの母親の姿を思い浮かべると、なお いっそう、それは、「幻想の母親像」という感を もよおさせるのだが、
にも かかわらず、
しかし、なんだか、たまらなく懐かしいのである。
たまらなく、いぢらしいのである。
現実には見たこともない、ましてや、自分の母親とは、似ても似つかないのに。。。www
「こんな母親、、、おるかあ?」
と、思いつつも、ついつい、おかあさんっ、かわいそね、、、と、ホロリと くるのである。
さすがの大女優で あった。
一言で締めましょう。
山田五十鈴さん演じる母親像は、とことんまで美しかった。
でもさ、
幸田 文さん原作の『流れる』という映画だけは、若い頃に、テレビで放映されていたのを、なんとなくで観た記憶も残ってるけど、やっぱり、まったく違うイメージだわ。女優なんだから、それでアタリマエだろうけど、むしろ、田中絹代さんの名演技のほうが、もっとクッキリと記憶に残っている。
山田五十鈴さんも、私の記憶のなかでは、とっくに老年、往年の、という存在だったし、インタビュー番組で見かける姿も、私生活の面でも、あの母親像とは、イメージが全然、異なるのよね。
なので、よけい驚いた。
しかも、当時の彼女は、現代なら、まだまだ若いと言っていい年齢だったのでは ないだろうか。
長女が20歳代後半、息子が大学生という設定なのだから、やっと50歳代に なるか まだ なってないか?って あたりか。
それと、付け加えたいのは、彼女の和服姿。これも、いまどき、どこを探したって見ること かなわないであろうような、独特の美が あった。
たとえば、ちょっと古い切手なんかに、黒い羽織姿の、ほっそりした、昔の女性が、スッと佇んでいる光景を描いた、有名な日本画を題材にしたものとか あるでしょう。あんな感じよ。
いまどきの成人式なんかの、あの、取って付けたような、仮装大会、仮装行列の如きゴテゴテごっちゃり和服姿の、ズケッと言っちゃって悪いかしらんけど、品のなさよ。。。
どんなに、日本の伝統美を受け継ぎ!と、力んで言ってたって、たぶん、現代の和服そのものの仕上がり具合から着こなしぶりに至るまで、全てが変わってしまっているように思える。
あと、男優さんでは、私個人的に、このかたも、すでに中高年以降の姿でしか なかったし、どちらかと言えば、腹黒い政治家とかwテレビ ドラマの悪役のほうのイメージだったのだけど、山村 聡さん。
くだんの映画を見て、ビックリしました。
すごい端正で、ダンディで、見るからに、アタマ良さそ~って、見惚れたわ(笑)
こちらも、いまどき、こんな男の人、おらんやろなあ、、という感じでした。
結局、3回くりかえして観たw
最後に、もう一つ、
これは『アメリカ』の映画だったのかな、監督は、かのフリッツ・ラングなので、ちょっと面白そうじゃんと思って見始めたけど、やっぱり、面白かったよ。コメント投稿のなかには、たしか『レベッカ』とかいう、ヒッチコック監督の、だっけ?それを連想したという感想を見かけて、むかし、私も、茶の間のテレビで、親らと一緒に観たことは憶えているので、ああ、なるほどねと思ったけど、今回の映画、特にオモシロいなと思ったのは、「部屋の収集」という設定。
ふつう、「収集」する対象に、部屋、というのは、聞いたことが なかったので、これは珍しい視点だなあと。
で、
必要に応じて、正確な復元を施した、「収集された部屋」には、それぞれに、収集理由が あったのよね。禍々しい、陰惨な理由が。
そこには、「マザコン」とか、女性蔑視つまりは女性恐怖といった、心理的な要因が絡んでいたと、そういった、科学的風味付けと相俟って、勇気と愛あるヒロインが追い詰められていく場面にも手に汗握る、なかなか興味深い仕上がり、さすがのフリッツ・ラング監督でした。
これ以上、述べてしまったら、これから初めて観ようとしている人の楽しみを大きく損ねてしまうので、ここまで。
ごく搔い摘んだ、ごく雑な感想でした。
2025.03.06 (Thu)
いやはや![]()
トランプを大統領にしたとたん、なんと、
『アメリカ』の同盟国は『ロシア』
に、なってたという、この異常事態。(唖然)
「万座の中で吊るしあげる」扱いを して、仮にも一国の代表者を辱めようとした、それが、アメリカの現在の姿。。。
しかし、ゼレンスキーと『ウクライナ』側が、プーチンのロシアに対して、
「二度あることは三度ある」
のでは ないかという疑いを持つことは自然当然の流れだ。
ウクライナの「レア アース」とやらの地下資源が、意外と少量だと指摘されているのが本当のところだとすればだが、
「掘って掘って掘りまくれ~」というトランプの号令どおりに、あっという間に掘り尽くされ、ナントカの切れ目よろしく、早晩、「はい、それまでよ、ほなサイナラ~」で終わった、、、![]()
なんてことになれば、先日の当ブログ エントリー内で危惧を述べたとおりの、「踏んだり蹴ったり」になりゃせんのだろうか。
しかも、トランプは、これまた おかしなことを言ってるけど、
罵倒してやまない対象であるバイデン氏、じつに、前大統領の政権時に決定して実行してきたことをば、「損害」だから、取り返すのだ!と、しかも しかもだ、それにしたって不当と言えるほど大幅にフッカケた金額を要求しているらしいのだが、
そもそも、ゼレンスキー大統領側の目的は、これから先も支援を継続してもらうため、ということだよね。
「これまでの」と、「これからの」。
ハナっから全然、喰い違ってるやん?
それと、
トランプの肩を持ちたがるケッタイな連中のなかには、『日本会議』関係者ならびに故 安倍氏シンパとか『自衛隊』関係者とか日本の核兵器装備に賛成とかいった「ウヨ」「ネトウヨ」らが中心なのだろうと思しいものの、そこへ、プーチンやロシアにシンパシーを感じているらしい者らが目立っても いることから、ひょっとすると、「サヨ」系も混じってるのかな?という感じも しないでは ないので、いやはや、ほんとうに、魑魅魍魎集団の体を成している しまつ。
「ヤフごみ捨て場」のヤフゴミんの誰かだったかが言うことにゃ、
故 安倍氏が、プーチンに頻りと接近を図っていたのは、『中国』に対する思惑からのことであり、裏で、『ロシア』との友好の手をシッカリ結んでおくという戦略からだったのだ、とか、もっともらしいことを述べ立てておったが、
ふんw
だったら、なおのこと、『北方領土』返還についての話題は、とりあえずにもせよ、その場は完全に棚上げとしておく、くらいに伏せておくべきだったのじゃないかね。敢えての「戦略」だというのなら、初歩的なことだろが。
それどころか、ますますドツボ化させてしまったという、スンバラシイ手腕を発揮しまくって終わったアベシw
プーチンの姿を見かけたとたん、小犬のように小走りに駆け寄って、尻尾を振り振り、しまいには、大枚の税金を費やしての ご招待とオモテナシ、由緒と歴史自慢の温泉にて、プーチンの お背中までも流させてもらいww
その結果が、これ。
いまだに称賛、までは、さすがに、やってる者を見かけることは なくなったようでは あるがwそれでも なお、アベシを擁護したがる愚か者は相変わらずチラホラ居るのだから、呆れるしかないよ。
雉も鳴かずば撃たれまいにw
だいいちさ、
ウクライナの地下資源の権益を渡せという要求には、
そうすることでもって、イコール、ロシアからの襲撃を防ぐ効果もあるのだ、その意図を汲め!と、トランプ派は主張するけど、
それこそ、顰蹙もんだぜ。
だったら、自国の、それも民間人を「盾にする」ってことか?
ロシアが、そうならないように配慮して、そこだけは見逃してくれるはずという保証は、どこにあるというんだろうか。
できるだけ善意に解釈しても、何らかの行き違いやミスから突発的な事態になる恐れも大いに あり得るのだから、そのときには、軍人でも兵士でも ない、よりによって、民間のアメリカ人が、まずは、犠牲になるわけだろが。
すげえ大統領だよな。
自国の一般人を盾に しよう、見殺しも辞さず、とはね(嗤)
手下の副大統領ヴァンスはデタラメを言い放ち、マスクも同様に、デタラメを やっている。
「右翼」が「左翼」が如何なるものなのだか、私は知らないし、「愛国心」とやらにも、べつだんの興味は ないが、
ただ、「愛国!」と叫ぶわりには、それを叫びたがる手合いのほうこそが、むしろ、いわゆる「売国」行為「国賊」行為の類を はたらくヤカラが多すぎやせんかねと思う。
しかも、よりにも よって、大統領とか首相とか、一国のトップがだ。
ネットのコメント欄などでも、「大和魂!」などとイキってカキコしているのを見かけることが あるけど、
こういう嬉しがりのイキり野郎は、たぶん、「『明治』の文豪」たる漱石の『猫』すら、読んだことは ないのだろうな。読んだことが あるなら、少しは恥ずかしいと思うはずだから。
うちの親父が、いまどきの若造の「軍国」シュミや「ミリオタ」「ネット コスプレ」の類を見たら、プップププ
と失笑するであろうと指摘しておいたように、
なんてったって「富国強兵」まっしぐら時代の『明治』だよ?その明治時代の人である漱石となれば、失笑どころじゃ済まないだろうなあ。
やれやれ。
2025.03.03 (Mon)
『もう、きみには頼まない』の続き。
先述の知的障碍者の場合、その親さんが言っていたには、自分が言った嘘を真に受けた相手が、驚いて、慌てたり困惑したりする ようすが見たくて、要は、とにかく、「反応を見るのがオモシロくて」嘘を つきまくってたというんだけれど、
うちの母親の場合、知的障碍では なかったし、
まあ、娘である私自身と同様wいわゆる「発達障害」的な要素が、どこかしら あったのかもしれないとも思えるのだが、
なんせ、遺伝的に「脳の異常」を抱えていたのは事実としても、IQ自体はズバ抜けていたと、ま、この点については、本人自身の自慢話で聞かされたに過ぎないのだがw
たしかに、あたまが良いというか、物覚えが良く、何でも器用で、いわゆる「回転が速い」タイプでは あった。
だけども、
母親の姉妹つまり、私の叔母はと言うと、
ハッキリ言って、おつむが よろしくない、ずばり「パー子ちゃん」という定評だったのだからねw
そんな叔母ですら、いちおう美人だった おかげも あってか、バリバリ稼いで、家賃100万円のマンション暮らしやってたんだからなww結局は発狂したけどwww
ちなみに、
脳や精神の異常を抱えている人と、その人の、あまりに「整い過ぎている」ような顔貌との関連性を、誰か研究してみたら、興味深い発見が あるかもね。
もちろん、整形なんかじゃなくて、生まれつきのままの顔貌ですよ。うちの母親が、典型的だったのだけど、ただ、非常に整った美人だとか人相が優れているとか言っても、なかみや人格が必ずしも つり合っているとは かぎらない現実も あるもんですw
…
考えるに、
うちの母親の場合、その嘘や作話の意味するところは、ひとえに、特に娘である私に対して、母である自分が正しいのであり、最も賢明な存在なのだと認めさせるため、イイほうへ回るため、また、同情をも買うためだったのだなと、いまになって、明白に分かるようになった。
私が出生するときの、大変な難産も、聴覚障碍のことも、事実とアベコベの、とんだ作話だったことが、母親の死後、だいぶ後年になって、次々に発覚したから。
要するに、全部、母親に都合のイイ話だった。
その分、私も大いに含めてw家族全員が悪役ww
まあ、あっけらかんと単純だった私以外は、たしかに、陰湿な狡猾なことを やっていた事実も少なくないんだけどさ、特に、親父はね。
まっ、
感謝してもらいたいのなら、まずは、私利私欲や欲得づくの計算から離れたものでないとね。
そういう動機からの提案や要請など、えてして、相手の望まない、また、良くない方向へと押しやるものだ。
まあ、感謝を期待したり、強要するようなな手合いには、そもそもが、できないことか。。。
最後に、もう1回言うよ。
核兵器が あったって、戦争は起きているし、起こしている、この現実。
では、
「日本の核兵器装備!」を声高に主張してやまない連中は、何を どのように考慮していると言えるのだろうか。
このテの連中は、もう ずいぶん前から跋扈していて、その主張の根拠や見通しの如何についても、さっぱり明らかにしないまま、ただ喚き嗾けんとするだけだから、ほんとうのところは、まったくの不勉強のまま、ただのイキった感情だけで、無責任に主張しているだけだということがバレバレだ。これは、およそ「ウヨ」どもの特徴である。
オマエさんらの言うことはな、どれも これも、それこそノーテンキの「お花畑」なんだ。一言で言って、妄想の類に過ぎない。
そうでは ないと言いたいならば、私が以前から問うていることに、せめて一つでも答えてみなはれ。
まず、
小国ながら、なまいきで執拗だった軍事最優先国、もと「枢軸国」であった敗戦国、それも、原爆を もってしての敗戦となった日本を、戦後80年に なんなんとしても、「宗主国」アメリカ自身、その持てる原爆を用い、完膚なきまでに叩き潰しおおせたにも かかわらず、いまだに、心底では疑いを捨てておらず、優越した立場を譲る気配は なし。
なにを やってもダメ、まともな実を結ぶことが なかった故 安倍氏も、その生前にブチアゲてみせていたことの一つ、「核兵器の共用」ですら、許可しないだろう。
それ以外の各国も、とりわけ、隣国を筆頭としたアジア諸国も、日本への警戒と反発を捨てているわけでは ないのだ。
この揺るぎなき事情のなかで、日本が、核兵器装備することを、どのようにして、理解を得ていくのか。
主要な各国にだけでも理解を得られないことには、あの『北朝鮮』と同様のテツを踏むことに ほかならない。
そこを越えていくには、営々の長い年月と苦心惨憺の努力が必要だ。
「百歩譲って」、もしも、その段階を乗り越えたなら、次には、どれくらいの核兵器を、狭い列島の どこに据え、あるいは並べていくのか、そのための莫大な資金を、今後は、明るい材料に乏しいであろう日本の庶民から、どのように搾りあげるのか。
古今東西、軍事に注力した分は、必ず、庶民の生活を圧迫する。
そこまでの犠牲を払っても、戦争は起きるのだ。
「戦いに備えてこその平和」、そんなものは、ほんとうの平和では ない。
戦争、領土争い、カルトでしかない各種宗教その戒律、
そんなものは、男どものシュミ。
そして、
これが最大にして、最後の難問。
この列島は、太古から、自然災害の宝庫であるが、近年は、ますます、大規模災害の回数が増えている。
うち続く災害からの復興も、ままならなくなっていってる。今後の災害回数と規模によっては、いよいよ、見捨てられる国民が増えていくのだろう。
あの原発大事故を起こしてしまった日本だ。
日本には、核兵器装備は、現実として、いろんな面で、そぐわないのだ。
さて、そこで、「平和外交」とは、どれほど深い、重い意味が あったことか。
昨今は、「『台湾』有事」!という叫び かまびすしく、しかも、そこへ、『ウクライナ』『ロシア』の大問題が勃発した。
このような事態を見るにつけ、「あすは我が身」という懸念は多少なり理解できるが、だからといって、防衛予算を爆上げだ、軍事に注力だ、核兵器装備だと叫んだとて、それは、この国の来歴と現実に沿っていないのだから、よくよく考えてみるしかない。
まず、ウクライナという国、本来なら、日本との直接的な縁は なかった。
そして、台湾のケースとウクライナの それには、基本的共通性が ある。それは、どちらも、自国よりも強大な軍事大国と地続き(追記:但、台湾は、地理的には島国だが、あくまで中国の一部地域で、一つの国に含まれているという「公式見解」も あり、日本も、いちおう、その見解に立っている)でありつつ、敵対も続けてきたといいう事情だ。
あるいは、台湾の本音にも、すぐ手が届く所に居る日本が、自分たちの肩を持ってくれるかぎりで、日本の軍事力を当てにできるならば、という願望めいたものが あるかもしれないが、それと同時に、かつての日本に味わわされた苦みや屈辱も忘れたわけでは ないのだ。
ウクライナにも また、そもそも、自身の初動や対応の浅慮が指摘されうる余地は少なからず ある。
それでも、なお概ねは被害国として見做されており、圧倒的悪と位置付けられているのは、やはり、プーチンのロシアだ。
『レア アース』などの地下資源云々にせよ、ウクライナ国内の埋蔵量が、それほど豊富に あるという話は、ついぞ、聞いたことが ないと、これは、専門分野の研究者が言っていた。
そして、ウクライナが狙われたのは、むしろ、稀有なほどに肥えている「土」そのものでは ないか、とも。
さて、日本は、少なくとも、戦後、一貫して、どこの国とも、敵対していない。ましてや、自分のほうから、ケンカを吹っかけるマネは しておらない。
『9条』憎しの連中が喚くように、そりゃ、『9条』の おかげで平和だったのだと言ってしまっては、たしかにズレている。
日本は、ただ実行してきたのだ。
「平和外交」というものを。
その おかげで、こんにちに至るまで、どの国とも、生活を台無しにし、命を遣り取りするようなケンカを せずに済んでいる、そういうことだ。
2025.03.03 (Mon)
最近フきだした名セリフ。
(「なぜ、スーツを着てこないのか」という、それこそ無礼な記者の質問に対し)
「この戦争が終わったら着ます。おそらく、あなたのスーツと同じか、もっと良いものを」
ムッとせずに、すかさず切り返し、上手いですね~
これくらいの皮肉やイヤミだったら許せるわね、けっして下品に陥ってないから。
私なんか、
「おたく、なんで いきなり そんなこと言うの?!」
と、単純にプンスカ
しちゃうかもだから(苦笑)
もう一つは、
ヴァンス副大統領が、『バーモント州』で、家族との休暇を取っていた際、『ロシア』とゼレンスキー大統領に対するトランプ政権の態度に怒り心頭の国民たちがデモを行い、そのおりに掲げられていたプラカードの文句。
「スキーはロシアで しろ!!」
ぎゃはははは。
上手い上手いw
さて、
最近、特に疑いを抱きつつあるのは、
「児ジイちゃま」トランプって、もしかすると、あたま悪いんでねえか?ってこと。
どうも、あの顔つきからしてが、バ、いや、皆まで言うまいw
ゼレンスキー大統領は、終始、機転かつ真摯な論理性を失うことなく応答していたと見たが、
ヴァンスのバンバン太鼓も、少なからず、ボスに対する助太刀的な役割を果たさんものと仕向けたのだろうし、ま、いいようにズラシてたわよね。
そのうえ、肝心のトランプのフッカケときたら、、、
まさに、ガキのようだった。
要は、プーチンが、今後、二度と再び、『ウクライナ』を攻撃してくることの ないように、確約が必要だが、しかし、、、ってことでしょうが。
国際法を遵守しない国家の存在なんて、世界各国にとっても、困る存在のはず。
先日も言ったように、プーチン側だって、おとなしくしていれば、『NATO』が攻め込むなんてことは ないはず。
ところで、
城山三郎氏の これらの著作は、私は読んだことが ないままなので、ここでは無関係なのだが、
最近、よく思い浮かぶコトバを もう一つ。
「租にして野だが卑では ない」。
トランプたちの場合は、まさに、租にして野にして、卑でもある。
それにしたって、
どう見ても、
トランプの繰り出してくる ほぼ ことごとくが、あきらかに、
プーチンを喜ばせるであろうこと、または、プーチンにとっては都合の良いことばかり やってるもんな。
たしかに、トランプのような「マッチョイズム」「ブロマンス」大好きなタイプにとって、プーチンのようなタイプは最上の お手本であり、リスペクトの対象であるには違いないのだろう。
ぶっちゃけ、ほとんどの男性には、少なくとも潜在的には、こういう好みの向きが多いと見受けているのだが、
女性は、意外と、あまり好きでないというか、私なんか、大きらいなタイプだけどね。かといって、なよなよ軟弱な感じの男性が好みなわけでも ないけどさw
まあ、いちばん手っ取り早く、膠着打破できるには、
先日のエントリーでも指摘したように、
かつて、プーチンとトランプの あいだに、何が あったのか。
それをスッパ抜くとか暴露することが できたなら、イッキに事態は急展開できるのだろうけどねえ。
『フランス』の極右党首と同じく、プーチンに、お金を借りてるんじゃないの?とか、それとも、よほどのマズイことを掴まれちゃってるとかさ。
なんせ、相手は、もと『カーゲーベー』だもんね。お茶の子さいさいでしょ。
「決裂に終わった」というトランプ・ゼレンスキー会談だったが、
やること なすこと断絶を招来するトランプ側が言い放った、
「感謝せよ」
という要求。
これも、「自己愛性人格障害」の特徴だわな。
ここで また、思い出したセリフ。
「あんたのためというコトバは、いつ如何なるときも、醜い」。
うちの母親がね、とりわけ私に対しては、異常なくらいに過干渉で、感謝を強要するような圧を込めたセリフを しょっちゅう吐く人だったんだけども、
「だいたい、おまえは、感謝が足りない」
とか。
そのくせ、自分から感謝することは稀。
「それくらい やって(くれて)も、バチは当たらん!」
とか。
でもね、
実際のところ、感謝に足るどころか、むしろ、損害や危険を味わうハメになりかねないようなことを、
「この道しか、ない!!」
これしか認めないぞ!!
と、強圧的に押し付けられても、こっちだって、ヘタすりゃ人生の死活問題だからね、どだい、感謝できるようなシロモノじゃないんだから、無理!というものだよ。
それと、
私の障碍の問題でも そう。
原因は、当の母親たる自分自身の軽率が招いたことなのに、
「親に迷惑かけて!謝れ!!感謝しなさい!!」
と、平気で言い放つんだよ。
近ごろ、「作話」が多いタチの人について、ちょっと考察してみたのだが、
だいぶ前の過去エントリーでも、
知的障碍を抱えている子どもさんが、やたらと噓を つく癖が あって、とても困っていたという話を聞いたことが あったのを述べたことが あるけど、
いっぽう、これは、うちの母親の場合。
やっぱり、嘘が多かった。
そのくせ、本人は、うちの親父、つまり、おのれの亭主が、ものすごい嘘つきだということを年がら年じゅう怒っていて、まさに「ゴミ箱」扱いの私に向かって、しょっちゅう、そのことを、憤懣を込めて訴えていたものだけれど、
やはり、亡くなってからだなあ、
鈍いこと甚だしい、ポケーっとした性分の私が、やっとかめで、少しずつ、「あれ?おかしいな
」と、気づき始めたのは。
特に驚いたのは、昔の、とある有名な小説家の作品の あらすじを知った時に、
「あれれ?これって、うちの母親が、若いころに体験したという話の流れ そのままじゃん」
と、奇怪の感を覚えたこと。
そういえば、その小説家の作品が特に好きだと言っていたことも あったのだった。
私は、当該の小説を未読の頃に聞かされた話だったので、ちっとも気づかずのままでいた。
他にも、母親が、365日、私に向かって説いていた、いろんな話というか、ほとんどは愚痴や怒りの八つ当たりなんだけども、
かなりの多くが、むしろ、事実とは全く逆の「ストーリー」だったのだ。
なにしろ、自分が生まれる前の事情や幼い頃の出来事を知らない子どもが、親を疑ってかかるのは、難しいものだからね。
要するに、虚偽であり、つくり話だった。
それ以外は、どこかから仕入れてきたストーリー。
で、その自覚を、当の母親自身が持っていたのか否かも、いまとなってはサッパリ不明なわけよ。
娘の私にとっては、けっこうキモチワルいものが ありますわ。
【続く】