2020.08.27 (Thu)
自分を許せる人は、他人も許す。
ほんとかな?![]()
うん、なかなか難しいね。![]()
『障害者手帳をもつ私は「死んでもいい命」?「働かざる者、食うべからず」の日本は生きにくい。』ハフポスト日本版2020/08/26 11:56
(旧)『優生保護法』については、
私も、自分が成人してから なお長く残っていたことを知ったとき、かなり驚いた。仮にも『民主主義』の「先進国」たるもの、とっくに廃止されているとばかり思い込んでいたので。
さて、
このコラムの筆者さんにも、基本的として心得ておいていただきたいことを述べておこう。
まずは、生まれたときから『生活保護』というケースは、当然、養育者の事情からだろうが、ごく少ないんじゃないか。というのも、
『生活保護』利用している最中の人で、働きつつ、不足分を補填してもらう方法を とっているケースも多いし、
何よりも、
もともとは普通に労働して、
普通に税金を納めてきてた人が多いでしょう。
そのことを忘れているのか、それとも分かってないのか、カン違いしてる人が目につくね。
でね、
自分の仕事や社会生活が苦しいからって、『生活保護』などの、いわゆる「セーフティネット」という制度を憎むなんて、はなはだバカげてる、ただナンセンスなことなんだと、気づいていない人は、それこそ、
「そんなオツムだから、おまえさんは」
と、ふだん、「ネトウヨ」らが得意げに言い放つセリフを、私も吐きたくなるのよ。
「新型コロナ ウイルス」騒ぎで、職を失う人たちが増加して、必然的に『生活保護』を利用することになった人たちのなかに、以前は、利用者を悪く思い、ネット上で、蔑み、罵ったりしたことが ある人が いるのならば、ひとつインタビューしたいもんだわと、私は、以前のエントリー内で言ったけれど、
「生活保護を受けるくらいなら、死んだほうがマシ!」
と言い放ってた「ヤフゴミん」は、自分自身が、そういう情況に置かれたら、これは もう、さっさと自殺するしかないよねえw
「仕事」とは何か。お金を直接に稼ぐことだけが「仕事」たり得るのか。
~
障害者年金を受給し、そのお金でフラフラと買い物をし、遊びに行っているだけの存在だった。
~
若いうちから、ずっと そういう状態を続けているのだとすれば、さすがに、あまり良くはないと思うね。
この記事を お書きになった人が、実在しておられるのかも、私には分からないが、まだ若いかたのようでは あるし、直接に お金を稼ぐことばかりに拘って、ひけめを感じたりする必要は全くないけれど、
できれば、「ライフ ワーク」のようなものを見つけるとか、少なくとも、何らかの勉強に努めるほうが望ましいだろう。たぶん、いまは そうされているのだろうと察するが、
だいたい、『障害者年金』って、1級または、せいぜい2級までじゃないかな、「生活費」と辛うじて呼べるほどの額を支給されるのは。
この筆者さんは、親御さんのもとで生活されているそうだから、その お陰で、おせじにも潤沢とは言えない『障害者年金』を、買物や遊びに回せるのだろうかと思う。
でも、親御さんとて、いつまでも元気で、そばに居て支えてくれるわけじゃないからね。
まあ、「就職して、お金を稼げない自分は、自殺するべき」と思うのなら、それは他人に対しても、そう思ってしまうもんよね。「自己投影」ってやつね。
~
「自分は生きる価値がないのではないか?」という考えをなくすため、自分より劣っていると感じられるものを見つけて差別することにより精神の安定を保つのだ。
~
もちろん、そういう面も大きいのだろうけど、
なんと言っても、普通に真面目に、あるいは、頑張っても、全く報われず、なぜか生活は苦しいまま、まるで「ドツボ」に嵌まってくみたいな状態だと、「生きる価値」云々なんかを考える前に、どんどん疲弊していってしまうからねえ。
そもそも、いちおう人並みの条件で生きていられる者ですら、なんだかんだとシンドイのだから、人並みでない者の苦労は、人並みな自分の何倍と重いものになるはずという想像力が ないのよね。
私も以前に述べたように、親のエゴで、親が原因で背負った障碍を隠して就労したために、入社後になってバレては、
「迷惑だよ」「どうして、こんな人が ここに居るの?」
等々と罵られたことは何度も ある。
しかも、
障碍のことを承知しておいてもらったら、それは それで、
他の社員の何倍も こなせと押しつけられたり。
「あんたは障害が あるんだから、他の社員の3倍は頑張らないとダメ!」なんですと。
私、からだ弱いんですけど![]()
まあ、なぜか私の場合は、なまじっか、面接時に買いかぶられちゃうんだわな(苦笑)
個人としての能力は低くても、まさに「親の七光り」的に、国家権力をも握った者が、悪行を繰り返しつつ、莫大な報酬を得ると。
現実は、そういう社会ですね。
【続く】
2020.08.25 (Tue)
『「改善」できないなら、敗北だ。しかし』の続き。
これまでのエントリーでも言ってきたように、
私は、自殺や自死という行為について、「意志」というコトバは使わない。
また、
「安楽死」という呼称に対しても、以前から疑わしく思っていた。
それは、
ほんとうに「安楽」に死ねるのだろうか?
という素朴な懸念からであるし、
そこのところは、「消極的」と付く「安楽死」ならば、すでに、国内においても実施されてきているという、
ならば、
「消極的」とは如何なる状態なのか、
「積極的」と付いた場合と、どう異なってくるのか、
そこを知りたいのである。
少なくとも、
「消極的」というレベルを実行したために、かえって増大した苦痛に耐えなければならないのであれば、こんな酷なことは ないと思う。
ところで、私個人にも、医師という立場の人からは、まあ、いろんなタイプが いるのは当然として、基本的には、やはり、患者を治癒、そこまでは いかなくても、少しでもラクな状態へと改善させることに、使命感や、やりがいを持っているのであろうことを感じる機会は あった。
とある医師は、もとは、一時期の母親の担当だったのだが、周囲の知人などからは、
「あの お医者は遠慮会釈なく、ずけずけと厳しい所見を言い放つ、怖い冷たい医者だ」
という、もっぱらの評判だったらしい。
けれど、私自身も、自分の病気の症状が深刻化しつつあったおり、その医師の診察と処方を受けたあと、再度の診察時、
「だいぶラクになりましたぁ」
と告げたとたん、
クールを絵に描いたような その医師の頬が、反射的に弛み、いささか ほころんだ表情になったのを目にした。
やはり、これが、医師の「本能」とも言うべきところなのだな、と思ったことだった。
刑務官の役割とは違うのだから、
これが本当の「医師の本能」とするところであるなら、
やはり、「自殺幇助」などが本懐となるはずもなく、
「積極的」と付く「安楽死」ともなれば、患者にとって、そのほうが、今後も生命を持続させる以上のメリットが大きいと確信できるほどでなくては、これも、たいへん酷なことでは あるまいかと思われる。
社会や制度、現状を、いつになったら「改善」できるのか。
答えを出せないのなら、ただ議論を避けるだけで やり過ごそうとするのは卑怯というものだろう。
現に苦痛に苛まれている患者当人にとっては、残酷なことだ。
ただ、危険性は看過できないのも現実。
ことに、わが国でも、「シネシネ大作戦」煽り屋連中が跋扈している世相だ。
どうやら、先回エントリーで言及した西部氏と、その「お弟子さん」やら、周辺の「右翼」「保守」勢力の影響が あるのだろうか。
それに対して、
「左翼」とか「ヒダリ」が どうこう、という揶揄の類も相変わらずで「ヤフゴミ捨て場」には飛び交っている。
じつに くだらないし、
苦しんでいる患者にとって、こんな虚しい話もないだろう。
「改善」できないのなら敗北だ。
しかし、
ケースによっては、乗り越えることが できない患者の苦しみは今、起きている現実である。
いつまで待てばいいのかも答えられない。
思い切って議論を開始するにしても、右や左の思想だの机上の理想論、偏った方向へ傾くことへの警戒を重々意識しつつ、
いろいろな側面や段階にての支障が あるようで、非常に困難な問題の一つでは あるが、
すでに実行している『スイス』などの国々における実態や起きている問題点なども調査して炙り出し、慎重に吟味する要が あろう。
ここも また難しい点だろうとは思われるが。
手を拱いているうちに、また次の類似事件が起きる恐れは、念頭に置いておかなければ ならないだろう。
このままでは、悲痛な犯罪の歴史が、また1ページ増えることになる。
「改善」できる社会への希望を捨てないという輝かしい旗を、どこまでも高く差し掲げて進む人々の姿勢は理解できるし、私個人としても、基本の足場は、そこに置きたい。
しかしながら、その旗だけを見上げていて、足もとに横たわっている人の苦痛を、視野から締め出したくは ない。
だいたい、どこか矛盾を来しているのでないかと思えるのは、
現社会の「負の面」に呑み込まれてしまう危険を、つよく警戒するばかりであるならば、
本音では、この社会を信用するには足りないと思っている疑心が、
そして、自分たちが敗北するかもしれないという、自信のなさが あるからでは ないか?
諦めない希望と裏腹な、その疑心と自信のなさは、どこから来ているのか。
2020.08.25 (Tue)
「私だったら死ぬ」投稿はヘイトスピーチ 立岩教授に聞く ALS「安楽死」事件』京都新聞8/23(日) 18:12
https://news.yahoo.co.jp/articles/f6e3716c65c2f71c5752de5ffde385a3c6e03d20
『「“死にたい状況”の改善が先だ」
ずばり、いつになるんでしょうか、それは。
このエントリーでは、いちおうの明確な線引きを期しておきたいので、あくまでも治療法や緩和療法が確立されておらず、しかも、そうとうの苦痛と、明白な死期の予想を伴う難病、という点における疑問としたい。
さて、
「自殺幇助」については、何年前だったか、東大の教授だったという人、たしか、西部さんというかたが、「心酔する弟子」さんらの手を借りて周到に準備したうえで入水、という事件が あった。
私は、ご本人のことを、ほとんど存じ上げないのだが、むかし、テレビの討論番組か何かで登場したときに、「なんとも陰気くさい人だなあ」という印象を持ったことだけ憶えていたので、一報を聞いたときには、ああ、やっぱりね、という感じと共に、「このクソ寒い時季に、川で?」と、ただ、えげつない感じすらも受けて、どうしても自分だけでは決行できなかったんだろうか?と不審に思ったことだった。
そのときの「幇助」した側は、やはり、罪に問われていたね。
「『死ねる』条件を探すのではなく、死にたくなる状況が何に由来しているのかを考える。社会の対応が不十分なまま、いろんな手が打てるのにサボったまま、「死にたい気持ち」に応える制度を実現してあげましょう、というのは順序が違う」
ほんとうに そうですよね!立岩さん。
そこで、もう一度、どうしても消えない、私の疑問を、立岩さんや雨宮さんたちに再び。
くだんの患者さんが、排泄介助を、男性にしてもらうのが辛いなど訴えていたことに対して、どのように答えたら よかったのでしょうか?
あちこちの報道記事でも、
当然、軽薄短小どもの集う「ヤフゴミ捨て場」でも、
この訴えのことがスルーされているのは何故なんだ?
「自殺幇助に対して一定の刑罰を科すことに合理性があるのは間違いない。歯止めがなくなると、手伝いたい人、商売にしたい人が出てくる恐れがある」
そうなんですよね。
もちろん、そこを危惧するからこそ、制度化に慎重、あるいは断固反対する人たちも多いわけで、その基本的立場は、私も同じです。
しかしながら、
「(自殺することを)助けたいのならば、罪に問われるぐらいのことは覚悟すべきだ」
だったら、助けてあげたいとは思っても、自分が罪に問われるのは厭だから、敢えて見て見ぬふりを するということにもなるじゃないですか。
「助ける」って、何なんでしょうか。
ほんとうに助けたことで「罪」になるなんて、おかしいでしょう?
「『私がもし黒人として生まれたら、生きていられない、死んじゃう』とかね」
それは雑ですよ、そういう例えかたは。
「なんでもいい」ことには ならないですw
あるいは、
私が、もし、朝鮮人として生まれたら、生きていられない、死んじゃう、とかね(苦笑)
『生活保護』に対しても、同じことを言う連中が いますね。
人種差別や民族差別というものは、もちろん、その対象者としての位置に立たされている人たち自身が、積極的に、「死ぬほど辛い」等と訴えることも、実際に少なくないだろう。
しかし、その思い切った、必死の訴えによって、何を最終目的としているかと問えば、まさしく、
「社会の改善」
ですよね。
それは、当事者たち自身の努力も寄与する面のほうが、むしろ、大きいものですね。
概ね、直接の立場に置かれていない者にとっては、無関心や他人事で やり過ごしても いられるからだ。
しかし、治癒の見込みが ない、しかも、苦痛に苛まれる病気の場合は、どうなんでしょうか。
苦痛に耐えようと頑張れるのは、ひとえに、ここを乗り切れば、いずれは、いつかは、という目標と希望が あるからに他ならないですよね。
「しかも、発言者は、目の前にそうした状況が迫っていて、明日にでも死を選ぶのか、と言ったら全然そうではなく、自分は安全圏にいて言っている」
それは、立岩さん御自身も同じような立場でしょ。少なくとも現在は。
たしかにね、
「私だったら死ぬわ~」とか言われたら、大きな おせわじゃ!と、ムッとするかもしれない。私自身も障碍を持っているハシクレなので、多少なり理解できる。
舩後議員が話しておられたように、あろうことか、介助スタッフの立場にいる人から、侮辱的言動を受けた、このショックと悲しさ、悔しさは、自分自身で即座に反発・反抗を示したり、何らかの抵抗、防御策を講じることが可能な人には、そうそう分からないだろう。
「社会が未熟ゆえだ」という証左になるのは、まさしく「死にたい」と思ってしまうところに現出しているわけだ。けれども、
だったら、その「未熟さ」を改善できるまで、待てということなのだろうか?
いつまで待てばいいの?
まさに今、ここで苦しんでいる人、その苦しみが解決できそうにない人に訴えられたら、どう言ってあげたらいいのか、私には分からない。
ただ、私自身が、身近にいる立場の者だったなら、その人の訴えを真正面から受け止めて、じゃあ、どうしたらいいのかは、共に模索しようとするだろうが、
「とりあえずだけれど、まずは、あちこち当たってみましょう。その結果が出るまで、ちょっと待っててもらえるかな?」くらいしか言えないだろう。
でも、その結果が、訴えている人の苦痛を少しでも改善してあげられるほどのものには ならなかったら。
私は、あの「バイト殺人」事件の犯人である医者らを、おそらく、水面下で、もっと やらかしてきてるんでないかと当初から疑っているので、そのへんも厳しく調査すべきだと思っている。当然、まぎれもない犯罪行為であると判断しているからだ。
同時に、
報道では「被害者」とのみされている患者女性の側も、言わば「オレオレ詐欺」被害者は「犯罪加担」の一面をも持つ者と認識していることに共通する面を、私としては指摘しておきたい。
ただ、
「オレオレ詐欺」被害者とは だいぶ異ならざるを得ないほどの、大いに同情を感じてしまうのが現実だ。
現在の法においては犯罪行為。
そうでなくするには、法制度側を変更するか、
変更しなくて済むためには、「改善」できるか。
畢竟、そういうことだろう。
【続く】
2020.08.23 (Sun)
『中国大使、キリバス住民らの背中の上を歩く 批判招くも「風習を尊重」と擁護』AFP=時事8/22(土) 22:34
https://news.yahoo.co.jp/articles/7c2116785d52a7ac31c4e98ea3e92c17f8acdcec
「擁護」ってコトバも、なんかイヤミだねw
もっとも、中国側の肩を持つ気にもなれないけどね(苦笑)
他の人には何も言わないのに、特定の人だけが指摘されたり責められるという場合は、往々にして、そこに何らかの理由が あるのよねw
原因が本人に あるか周囲に あるのかは、その場合によりけりだけど。
さあ、特に「ウヨ」「ネトウヨ」連中は、困っちゃうwどうしませう?ww
なんせ、ふだんから、
「郷に入らば郷に従え!」「伝統文化を尊重せよ!」
の一辺倒だもんねえw
ま、あの連中は一事が万事、このように、いずれ論理破綻を来しやすいのも特徴の一つである。
やっぱり、あたま悪いのかしら?ww
たとえばね。。。
土俗的と言えそうな風習レベルとなると、大昔からのことを引き継いできている場合、
中国の『三国志』じゃないけれど(これがまた、ウヨやネトウヨのバイブルみたく有難がられてるよねw)、
極端な例では、嫁さん殺して、その肉を、客人に提供したと。
どこか、『キリスト教』の逸話に出てくる息子殺しの話と似てるが、
「おおっ!!そこまでのモテナシを、この私などに。。。ご亭主!深く感服いたしましたぞ」
涙に むせぶ。
んなわけない。
少なくとも、わたしゃ、そんなもの食えませんわ。![]()
もし、知らん間に食べてたら、死ぬまで怨むわ。![]()
でさ、いくら中国でも、人間のは さすがに大げさだろうけど(そうでもないか?w)、
何らかの動物だったら、その肉を用いて、国自慢の ごちそうを提供するという前提で、
「ささ、お客人。取って置きの家畜でございます、これをば、あなたさまの御手ずから」
とて、刃物を持たせられ、グサリやるように勧められたら。
ぜったい、いやよ、私は。
日本の伝統的ごちそうであるという「活け造り」「踊り食い」だって、見るのも嫌よ![]()
あるいは、
「ハニートラップ」とかいうけれど、実際、わが国でも、何かにつけて性的オモテナシを、国家が行うという実態は あったわけで。
ならば、
国家的賓客を迎え、その夜のオモテナシに、「傾城」級の美女を差し向けるということだって、あり得るわけだ。
ただし、通常は男性の場合よね。
これからの時代、増えていくであろう女性の賓客だったら、美青年とかを差し向けるわけか?(笑)
まあ、動物を殺すよりは、だんぜん、抵抗感少ない、
と言うよりも、大歓迎というところでしょうか?(苦笑)
でも、私は、いやですよ。
美青年とかも好きだけどね(爆)
美女は、もっとかもしれないけどね?(爆)爆)
せいぜい、マッサージでも やってもらうか?w
寝るときに、同じ布団は、いえ、もっと言うと、同室すらも厭ざますのよ、あたくしは。
なんせ、幼い頃から、親が添い寝したら、かえって寝ない子だったというくらいだ。
「パーソナル スペース」とかいうやつが広いのかな?
傍目には、彼氏なんかにベタベタしそうなタイプに見えるらしいんだけどwたしかに、ツンデレ タイプですけど?ww
それにしても、
背中の上を歩くのって、なかなか難しそうだがな。。。
なが~い板でも渡したのかなあと思いました。
ま、そういうことで、
いかに伝統的オモテナシだとか伝統儀式だとか言われても、どんなことでも受け入れられるとは限らんのよ。
だからこそ、国際的に妥当とされる標準モデルが あるんでしょう。
これこそが、いらぬ摩擦を避けるチエなのですわ。
2020.08.23 (Sun)
「立場によって、安倍政権に対する評価が~生活保護受給者は~」と、
小賢しいこと言ってる手合いが居るけれども、
「国家の大計」とは、全体を考慮しなければならない。
現代は、それこそ1パーセントの富裕層が、世界じゅうの富を云々と指摘されていて、なるほど、どうりで、全世界規模で深刻な歪みが目立つ。
要は、一部の者や限られた者だけが良い思いを しているのではダメだということ。あらゆる腐敗も、その欲望が引き起こす。
それは『生活保護』にせよ『障がい福祉』にせよ、そこだけを優遇なんてことは あり得まい。
「痛み」が必要なら、分かち合わなければ ならない。
特に経済、ひいては教育にも繋がってくるわけだが、「底上げ」ということが できなければ、結局は無意味なのだ。
「ヤフゴミん」の殆どは、税金を投じ、業者を通して、『自民党』に雇われている安倍政権シンパで占められてるという指摘が よく知られているし、実際にも明らかに察せられるが、まあ、単純な金銭授受だけでもなくて、私も以前から指摘してきたように、『自衛隊』を含む官庁方面や、各種の民間団体の利益要求、そういった連中のなかに、上述のような、いかにも小賢しいことを述べたて、自分は政治に関して通暁しているかのようなウヌボレを曝け出す軽薄者が多い。
おそらく、私などよりも恵まれた環境と学歴を得ているのでは あろうが、それだけに、どうしようもない救いのなさを感じるわ。
いわく「アタマの良さ」、というものにも種類があって、
通常に言われるような優秀さは、まさに実務に携わる者に備わってないと、目も当てられぬものだ。
まずは要領良く、こなしていける能力ということだから、官僚界に突出して多いことも頷ける。しかし、そこにも、特有の限界は ある。
言わば、
受験勉強の方面には抜きん出ているからと言って、思想家や哲学者には、逆立ちしても なれない、そういう類の者をも多く含むだろう。
実際、そうじゃないか?w
だが、
何らかの組織の頂点に立つ者の優秀さというのは、それとは別種のものが必要になる。これには、単なる「実務家としての要領の良さ」だけでは済ませられないものが ある。
ところで、誰かが指摘していたが、
アベシは、オトモダチや、お気に入りメンバーとだけ、官邸、その他の場でも、面会に応じ、懇談に励むだけだった、それをもって「公務」「仕事」の中心にしているだけだったのじゃないか、と。
なかには、「トランプとツーツー」だったのが功績だ、みたいに言っている相変わらずなやつもいるようだが、
ツーツーが何だと言うのだろうか。
ああいうのは、全然、違うだろうに。
どう見てもバカにされまくってるじゃないかw![]()
首相が、他国の要人に、くみし易しとばかり舐められるとは、国民がバカにされ、舐められているということだ。だから、国民として屈辱を感じるというのだ。かつて敗戦した相手だけに(苦笑)
感じないというか結構なことだとさえ思うやつは、単にニブいのかも しれないが、実のところは「ジャパン ハンドラー」の息が かかっているような連中だろう。
ま、なお一言添えておこう。
仕事の遅れは、命取りなのだ。
クソが付くほどの真面目を装いつつも、実際は仕事が異様に遅い先輩同僚から負担を押しつけられて悩まされた(本来はグズな)私なんかから見れば、
安倍シンパ連中が有難がっている現シュショーは、業務時間の長さだけでしか申し訳が立たないような典型的ダメ社員と同種。
アベシの会社員時代も、そんなところだったのじゃなかろうかw
「大山鳴動、マスクが2枚」
アベノマスクによって、本望どおりに、日本政治史に印象深く刻まれるでありましょう。
祝!戦後最長最悪政権。
くにたみを思う心情もなく、ただ、逮捕事案になるようなことばかりを抱えて。
だいたい、そこまで体調がアヤシイのに、当人が望んで第二次政権、
しかも任期延長へと変更を やってのけ、
今ごろになって、自分自身を苦しめることになった。
さても愚かな話。
私は、どんだけ、国民に対して失礼なんだろうかと、怒りすら覚えるけどね。
まあ、どの政党にも、政権を任せられる気が しない、と言う向きには(私だって、そのクチだよ)せめて、与・野党伯仲状態に近づけていくしかないだろう、そのために効率的な選挙戦略ならびに自分自身の投票戦略を どうすべきか、そこを考えなさいよと言ってきたんだが、
ま、「無党派」と自称していても、実際には、ろくな知識もなければ考えも全くないから、そう名乗っているに過ぎない者が圧倒的多数なんだろうな。
「無党派」というよりも、ふわぁ~っと「気分派」「日和見派」、「勝ち馬に乗っておこう派」というのが本質だろう。
こういう手合いのマジメな投票も、また別種の頭痛のタネとなるジレンマよ![]()
どうすりゃいいんだべ?![]()