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Updated   
2021.03.24 (Wed)

「洗脳」とは何かの続き。

 

話を戻して、再び言うが、

この「ママ友」事件の登場人物の不可解さは、首謀者の女なんかよりも、被害児の母親を始めとした、周囲の人間たちのほうが目立つと感じる。

 

たとえば、首謀者の元夫にしても、「記憶から消したい」とまで言う元嫁との結婚写真アルバムや当時のメッセージ カードの類までも、すべて大事に保存してあったようだし、

この元夫の母親も、くだんの嫁が、出かけてくるからと言って、「手持ちのカネを」と要求され、なぜ、10万円もの大金を渡すのか。これで何度目だったわけ?

 

うちの親だったら、せいぜい1万円も寄こしてくれたら大盤振る舞いだよw

と言うか、そんな嫁だったら、とっくに叩き出してる。

自分の子に対してすら、甘くは ないのだから。

 

首謀者の女の実家でも、祖父母や両親からしてが、近隣住民らに借金ざんまいだったということだが、

これまた、すでに分かりきった癖と所業の相手に、何十万、何百万円と貸したという近所の人たち。

 

分不相応な贅沢を、不審にも思わなかったらしい、首謀者の現夫。

 

というわけで、

私に言わせりゃ、
被害児の母親と、首謀者を取り巻く人々のほうが、よっぽど不可解だ。

 

「心理学」云々するのならば、
むしろ、被害児の母親が、自分の夫の あらぬ不貞行為や、自分の子のイタズラが起こしたというトラブルなどの、真っ赤な でっちあげ話を、

しかも、
最初から、ものすごく おかしな流れの話を右から左へ真に受けて、

証拠ひとつも要求せぬままスンナリ信じ込んだということが事実なのであれば、そっちの分析のほうが、よっぽど重要だ。

 

 

私の場合、幼い頃から20歳代に至るまで「洗脳」されていたのは、他人ではなく、自分の母親だからね。

しかも、父親のほうは、「わかりやすい暴力」を振るうという情況下だったのだから、幼い子が、その分、母親に傾くのは自然当然とも言える。

 

ただ、被害児の母親との一つ共通性が あったとするならば、

幼い子どもは勿論のことで、自活する能力を持ち得ていないのだから、生活や経済は、親や扶養者が一手に握っている、それが最大の弱みである。

 

いっぽう、被害児の母親も、その点では、同じ状況に陥っていったわけだ。

 

だから、どうにも ならなかった、できなかったという言い訳には ならないと思うけど、

問題の核心は、やはり、そこにまで至ったプロセスだね。

そのプロセスに、私は、のっけから尋常ならざる特異性が、被害児の母親にも大いに あったと思えるわけよ。

 

監禁されていたわけでは ないし、

その代わりに「監視カメラが」という真っ赤な嘘を信じ込んでいたにせよ、ふつうの生活感覚では、あまりに非常識なことを、やすやすと信じ込んでいたわけだから、その精神や心理のほうが、わかりやすい欲のカタマリに過ぎない首謀者の女よりも、理解し難いと思うわけ。

 

だって、ごく若く、世間知らずな学生の小娘なんかじゃあるまいにね。

すでに三児の母親である中年だよ?

 

自分の親に理不尽なこと言われたり要求されたりなんてことはゴマンとあっても、

あかの他人に応えてやる筋合いは ないわな。

 

親の理不尽だって、それは理不尽だと、子どもでも分かるんだよ。

でも逆らえないのは、生活力、経済力が ないから、逃げ出せないから、せいぜい泣いてガマンするしかないわけだけど。

 

まあ、お金が ない、という恐怖は、なみなみならぬものが あるのは、私も知ってるけどさ。

それでも、その恐怖のなかで、必死に考えて、なんとか動こうとしてきたけどなあ。

自分の庇護すべき子どもが いたら、もっともっと必死になると思うよ?

 

次々に報道される記事の内容を読めば読むほど、

首謀者の嘘話は、あまりに非常識そのもの、もはや荒唐無稽としか言いようのない話では ないか。

なぜ、そんなことも分からなかったのかな、この母親。

大のオトナが、一度も確認しようとも せずに、ひたすら信じるって。。。

 

やっぱり、宗教に のめり込む資質の特徴なのかな?

「不合理ゆえに、われ信ず」ってとこか?

首謀者とは また違った意味で、知能と育ちを疑ってしまうのよ。

 

ほら、何かの動物だけど、

せいぜい自分の膝あたりまでの高さの柵しかないのだから、いくらでも逃げ出せるのに、もう その柵だけで、ハナから逃げ出そうともしなくなる習性が あると、動物園あたりの飼育員の話で聞いたことあるけど、
まさか、そんな動物程度の知能しかないわけ??

 

ここまでフニャフニャなオツムと精神状態で、よくまあ、子ども3人も産んだもんだよ()

 

自分の家族や身内よりも、最近になって知り合った他人の言うことを120パーセント信じられるって??

仲の良い夫や可愛い子どもや、まともな親たちよりも???

 

てんで不甲斐ない母親が、ちっとも逆らえなかった首謀者の女に、幼いながら、反発を あらわにしていたという男の子は、何のために、断末魔の苦しみを味わわなければ ならなかったのか。

 

「母は強し」なんて、大嘘だね。

 

「他人事ではない、自分も、このようになる恐れは ある」

と、被害児の母親を庇って主張する人も多いみたいなので、

だったら、自分の夫や子どもよりも、つきあいが長くも深くもない他人の言うことのほうを、いとも簡単に信じるという、そのメンタルや知性に問題を抱えている人が少なくないということに ほかならないわけなので、
なおいっそうのこと、こういう人たちのためにも、被害児の母親の知能、精神や心理の分析は重要だろう。

 

 

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Updated   
2021.03.24 (Wed)

ということを、

「私は心理学を学んでいるから知ってる」云々と主張するヤフゴミんのみならず、その前に、専門家と称する人たちも頻りに唱えているわけだが、

例の「オウム真理教」信者に なぞらえることと併せて、ちと おかしな話でないかと、私は思うのだ。

 

だって、

これまでの報道で、餓死に至らされた被害児の母親は、なるほど、「監視カメラ」の話を恐れてか、トイレに隠れながらと言えども、「洗脳」していた首謀者の女に対して、これまでに取りあげられた金額や、内心の反感や不満の意を表すメモ書きを残していたというんでしょ?

 

だったら、それは、少なくとも全くの「洗脳」では ないと思う。

 

ほんとうに洗脳されていたら、まず、一切を疑わないもんだからね。
相手の ほぼ全てを正しいと信じきっているのだから。

 

私も経験者なので(母親からの「洗脳」)、もし、そこに、些かなりと気づきや疑念を兆したものなら、何らかの抗いを試みようとするはずだ。

私も、よその家庭のようすや、友人・知人の話を聞いたりして、どうやら、うちの親(むしろ母親)は、ふつうじゃないところがあるのかと、薄々感じ始めてから、抵抗を始めるのが遅過ぎるくらい遅かったわけだけど、
少なくとも、自分に子どもとか いないから、被害が及ぶのは自分一人の問題で終わったわけでも あった。

 

私自身、まだ20歳代の頃、他人に言われたことが あるよ。

「あんた、おかあさんの言うことを信用し過ぎだよ」と。

で、
そういうふうに言ってくる人のほうを、当時の私は不審に思ったわけ。

 

まさに「洗脳」されてるから、忠告や警告してくる人の言うことなんか受け付けることもないのよ。

「洗脳」している相手を正しいと信じきっていて、自分が「洗脳」されているなんて、つゆほども疑わないから。

 

ただ まあ、その忠告や警告してきた人自身、かなり悪いことしてきた嘘の多い人だということを、私も、他の人から聞いて、少し驚いたということが あったので、いまにして考えると、
私と母親を分断し、お定まりの「囲い込み」を やろうとしていたのかな?と思えなくもないけれど、

ある意味で、その人と、うちの母親も、「互角」だったのよね。

つまり、「同類の臭い」が したのかな?とも思えるわけw
「悪」は「悪」を鋭く見抜き、リスペクトするからねww

 

なので、

当ブログは最初に指摘しておいたとおり、「洗脳」ゆえと言うよりも、正確には「恫喝」であり、それに対する恐怖ゆえだったのだと言うほうが的確では ないかなと。

 

そして、

定番の「囲い込み」だ。

プツッまた一つプツッまたまたプツッと、あまりにも容易く、被害児の母親の周囲を切り離していき、孤立させる手段が上首尾で運ぶもんだから、首謀者の女は、この被害児の母親を、「あのバカ」と呼んでいたとおり、心底から軽蔑していただろうなとも思う。

 

ただ、

首謀者の女は、カネと贅沢、あまりにも単純な欲のカタマリみたいなもんで、そこに、皆も認めるように、「口の上手さ」とか押しの強さが加わったら、「鬼に金棒」みたいなもんでもあるから、まあ典型的というか、わかりやすいと言えば分かりやすい人物像では ある。

 

私には、被害児の母親についてのほうが、首謀者の女以上に解せないという印象が つよい。

 

私は、この母親、やはり、もともとからメンタルや知性などに脆弱な面が あったのでは ないかなと思う。

写真の顔を見ても、ちょっと、そんな印象だわ。こっちのほうも、些か独特な風貌だと感じるし。

 

 

あと、ついでに言っとくけど、

このような特異事件に飛びつき、これを理由にして、再びの『生活保護』制度や利用者バッシングしようとハリキッている「ヤフゴミん」どもは、
おのれの浅慮と意地の悪さをこそ恥じなさい。

おまえさんらのようなゲスが、この国を悪くしているんだよ。

 

こうしたヤフゴミんの過去投稿履歴の内容を覗いてみたら、間違いなく「ネトウヨ」であるか、少なくとも、その範疇に くみする連中だ。

 

こないだ、通報しようと思い、念のために確認した投稿者も、案の定で、暇を持て余した中高年主婦だった。

 

田舎者で、高齢の舅や姑を疎み、亭主には浮気され、夫婦間の信用も失せきって、連日「ヤフゴミ捨て場」に入り浸り、日常の関心の対象は、主に『皇室』崇拝と『皇室』スキャンダルと、テレビ番組や、年甲斐もなく、アニメの話題に夢中で、

あげく、あの名古屋の「不正リコール」に、わざわざ出向いていって署名してきたんだそうな。

そういうわけで、あの不正リコールの擁護まで していて、
その反面で、不正に関係ない『生活保護』バッシングときた。

 

こういう手合いは、一事が万事でね。

無知、浅慮、軽薄、俗悪、

もはやトシだけ喰って、人間的な魅力さえも なく、一緒に居てもタイクツだろうから、そりゃ、亭主も浮気するだろうよ。

それでも、自活するだけの経済力が、自分自身にも皆無だから、関係が冷え切っている亭主と離婚するわけにも いかない分際で、社会的弱者を叩くという、この あさましさ。

 

 

『ヤフー』は、いったい、いつまで、この「有害廃棄物ゴミ捨て場」を続けるつもり?

かの孫 正義氏の親さんからしてが、不法な、そうでなくても、いかがわしいこと このうえない商売で、この日本にて汚いカネ儲けを してきたという、さすが、その後継者だけのことは あるんだねえ、「ヤフゴミ捨て場」を見ていると、つくづく実感するよ。

 

で、

よりによって中国に筒抜け状態だったという『LINE』の問題で大騒ぎになっている韓国系企業と、くだんの孫さんとこの「在日ホールディングス」じゃなかったw『Zホールディングス』とかいうのが合併か何かしちゃってるよね(大嗤)

 

まあ、私自身は、詳しくは知らないし、もともと『フェイスブック』だろうが何だろうが、『LINE』も また、いっさい利用したことが なく、
『ヤフー』でさえ、なんとかして やめたいと常々思ってるくらいだけど。

 

【続く】

 

 

Updated   
2021.03.23 (Tue)

「天才」と呼ばれたいチミに。の続き。

 

さて置き、

私は、もう何年前になるか、例の「汚気・愚(オーケーグー)」の回答でも、当時から指摘しておいたことが あるのだけれど、

もちろん、
あそこの連中に、私の指摘や示唆を理解する者は皆無だった。

 

まずは、
「狂気」あるいは精神病の類と、「天才」と呼ぶべき能力とのあいだには必ずや、イコールに等しいほどの結びつきが あるとは限らないのでないか、ということをだ。

 

これは、私自身の身近に、精神病であった者や、脳に異常性が あった者が幾人か(と言うか、ほぼ全員w)存在していたことから明らかに察せられたのだが、

 

(ここで、ちょっと、おことわりを。

先日のエントリーでも、うちの母親の脳が先天性異常、ということに触れたけれど、あらためて思い返すと、
母親は、交通事故のおりに、頭を打って、長期入院してたことが あるんでした。

そう言えば、夜中に寝ている最中、それも、フシギと、親父が留守にしている夜間が特に多かったんだが、
発作と言うのか、痙攣に近いような激しい震えを急に起こすことが たびたび あったので、

近年になって、私は、母方の叔母に当たる人の症状を聞いていた記憶から、遺伝的に『てんかん』の素質も あったはずということを考えていたんだけれど、

それだけでなく、よく思い起こしたら、交通事故に遭って、入院し、帰って来て以降だったのだな、あの奇妙な発作が起きるようになったのは。

どうりで、母親本人自身、

「交通事故が直接の原因らしいが、医者から『脳波が乱れている』と告げられた」

と、何度か言っていたのだった)

 

たしかに、平均的なレベルに比べたら、何らかの分野で、目立つ能力やセンスが見受けられたという事実は ある。

しかし、そのこと自体をもって、では、広く世のなかに打って出て、当人の存在が「天才」として知れ渡った、などということは ないわけで。

 

 

世のなか、狂気じみた、とんだ凶悪事件を起こす者も いるけれど、それらの者が、じつは芸術的才能を持っているという保証は必ずしも ないのだし、

逆に、

豊かな才能を知られている人が、他者を困らせたりする迷惑者や犯罪者になると決まったわけでも ない。現実は、いたって普通に生活し続けている人が殆どだろう。

 

と言うよりも、

いちおう「平凡」な人でも、どこか何かしら、幾分かは問題ある面を持っているものだろう。

 

全き健全とか「健常者」のほうが、よっぽどマイノリティなのが実態では なかろうか?()

 

 

言ってしまえば、「美男」「美女」という存在、これも「天与の才」という指摘も あるし、そうも言えそうだなと、私も思う。

なぜなら、本来は、当人の努力と全く関係なしに、生まれつきのもので あるわけだから、これが際立っていれば、それを武器に、世に出たりなどの切っ掛けやチャンスを齎すのは同じことだ。女性なら「玉の輿」というパターンは、古今東西共通。

うちの母親も、若い頃には、文字どおりの「玉の輿」や芸能界デビューのチャンスは あったし(ただし、祖父が猛反対したらしい)、叔母や叔父などは、モデル業など、容姿のみで稼いでいた。

 

(逆に、実際、顔面など容姿上の様々な障碍を持つ人たちも存在するよね。)

 

そして、ここでも、時代の向きも影響してくるわけで。

 

あるいは、「生まれたときが」なんとやら、

やはり、「運」の強弱と言えば いいのか、もたらされたチャンスを ものにできたかどうかであるとか、

自分で選んだ覚えもないのに、これが「親」これが「養育者」として与えられた その者たちの姿勢や生育環境の違いが断然、大きく左右したということのほうが、私の目にも明らかと思えた。

 

だいたい、世のなかで、何らかの分野に おいて、華々しい才能や能力を示し得た人は、そもそもの生育環境も、それに見合う程度に用意されていたケースが多いようだ。

音楽やスポーツなどの方面は特に、多くの資金も必要だと聞くし、

最近の調査では、単に高学歴であることにも、生育家庭の経済力が大きく関わっているということが明らかとなった。

 

ということは、

市井の一般人、これと言った得手や才もない者として平凡に生きている人々にだって、何らかの天分と言える才は多かれ少なかれ備わっていても、

周囲の環境や状況が、それを伸ばすまでには至らなかったケースのほうが大多数なだけである、

とも言えそうだ。

 

 

一般レベルよりは、少し大きめの資質が与えられ、環境も与えられて、本人も、その気を心身ともに維持でき、努力を続けるだけの情熱が ありさえすれば、

誰かのコトバを借りれば、

キングには なれなくてもプリンスには なれる」ものだ。

 

 

ただ、もし、環境に恵まれてとは、おせじにも言い難い状況であっても、その不利を凌駕して余るほどの天分が あれば、やはり、幼くして抜きん出た傾向を隠しようもなく示すのだろう。

 

これも、「汚気・愚」などで回答したことが あるのだが、
かの田中一村画伯の幼少時の出来事。

一村画伯の父上も、その道の人だから、幼い息子が描いたものに関心を払って、ここは、という箇所の手直しを施し、跡継ぎの指導をと思われたのだろうが、

幼い画伯は、プロである親の手直しを断じて許さず、その場で、激怒しながら、たちまち引き裂いてしまったという。

これは こうでなければ ならぬ、
という確固とした内なるビジュアルが あるのだろうか。

 

他にも、一村画伯の幼い頃に描いたものを、私も、テレビ番組か何かで見た記憶が あるのだが、テーマと言い、表現技術と言い、とてもとても、子どもが描いたものとは到底、思えなかった。

 

もう一つのエピソードは、

うちの母親が述懐していた話だが、

戦後のドサクサと、民衆の生活の苦しさが、なおまだ続いていた頃、
母親らが住んでいたアパートの一室か近所に、貧しい親子が入居していて、そこの、まだ幼くして寡黙な長男は、いわゆる「モク拾い」とか言うのだろうか?貧乏で買えない父親の ささやかな楽しみであるタバコにするため、そこらで捨てられている吸い殻を熱心に拾い集めていたそうだが、この男の子が、あの「山下 清」ばりの絵を描くというので、
近所の人々から「キヨシ」と、あだ名で呼ばれていたという。

もちろん、誰に教わったでもない。

そして、知能に軽く障碍を持っていたということだった。

 

 

ちなみに、これも、『汚気・愚』の回答とか旧ブログのエントリーで述べた話なんだけど、

若い頃は、ハモニカを吹くのと、絵を描くのが好きだった、うちの親父。

親父は、絵に関しては、いわゆる正統的なというか、端正な描きかたの具象画が基本の好みだったようだが(たとえば黒田清輝とか浅井 忠とかいったあたりね。あとは、日本画全般には、まず文句も出ない)

ただ、東山魁夷を知ってからは、他の どんな画家に対しても見られなかったほどの絶賛ぶりで、魁夷画伯の作品にゾッコンだった。

(たまたま何かのおりに、戦時中の軍隊に おける、東山氏の階級を知り、

「おやぁ?意外だなあ~。俺のほうが ずーっと身分が上だったんだぁ!ウッヒッヒ」

とヘンな悦びかたを していた。画家になれなかったコンプレックスかね?w)

その反面で、

ピカソは大ッきらいだ!!

と苦々し気に吐き捨てていたw

(私の母方の叔父なんかは、ピカソばりの絵を描いてたそうだが)

でもさ、

あの有名なデフォルメされたやつじゃなくて、ごく普通の描きかたしてる作品も あるでしょ、ピカソと言えども。

そっちの作品だけ見てた分には、親父だって、それほど嫌わなかったんじゃないかなと思う。

 

ピカソも、一般的な描きかたを しようと思えば、いくらでも そうできたし、そういう作品を見たら、
もともとから実力、技術が際立っているので あって、
有無を言わせず上手いんだということは、ピカソのファンでもない私にも分かる。

もっとも、私自身、デフォルメされたほうのにも好きな作品は幾つか あるけど。

ドラ・マールの肖像なんか、すごい描きかたされてるけど、
実際、この女性は美人だったんだろうなあと、すんなり想像できたし。

 

しっかりした基礎の土台、実力が あるから、その上で自由自在に飛び、跳んで遊ぶ。遊びかたが分かっている。

「お茶の子さいさい」な余裕を見せつけられてる感じ。

 

あるいは、

やはり、まあ、「こうでなければ」、どーにもキモチわるいんだわな。

 

これは こうなの!ぜったいに!!って。

幼い一村画伯のように、「こうでなければ ならぬのだ!」という、自覚なき確信みたいな。

 

最近の話題の記事から

 

青年時代に精神の異常を来し、父親を発作的に殺害してしまったという悲劇の画家として知られるリチャード・ダッド。

親を殺した、その同じ手で描いたなんて信じられないほど、「ティターニア」に夜具を掛けるフェアリーたちの手の、なんと嫋嫋と優しげなこと。

テーマが「妖精」の世界でもあるせいか、独特の色調が禍々しいほどに美しい。かつ、禍々しいほどの緻密さ。

 
 

  Richard Dadd1817-1886Titania Sleeping(1841)

 

Updated   
2021.03.23 (Tue)

「天才」とは何かということを、やたらと論じたがる者は、自身が「天才」でないからこそ、論じたがるもののようだとも見受けられる。

 

その あらわれ顕著なことは、「ヤフゴミ捨て場」のヤフゴミんのみならず、あの「汚気・具(オーケーグー)」で跋扈していた「カルト連」も そうだったし(と言うか、どっちのサイトでも、ほぼ同一人の複アカ多数だろう嗤)
ぜんたい、「ネット民」と括られる層に目立って窺えるようでもある。

これには、どういう心理や、彼らを取り巻く生活環境もが作用しているのであるか、調査すると興味深い傾向が あるかもしれない。

 

このエントリーは、そんな「渇望」を抱える者たちへ向けての考察です。

 

が、このブログでは よくあることだが、
これも また、しばらく前に下書きしたまま放置してあったものだ。

 

さて。

だいたいさー、「天才」だから幸せになれる、なんてこたぁないんだしw

そのへんからして、あの連中は、なんか大きく履き違えしてる感じww

 

それこそ「紙一重」の定番たる精神病だった場合、当の本人自身も甚だ苦痛でしょうによ。

 

 

「天才」すなわち天与の才能そのものを真似するわけには いかないねw

どんなに希求しても、非情なもんで。

 

自分には、どうやっても追いつけないほど、しかも、やすやすと優れている相手を見分けられるセンスだけは、なまじに備えている者ならば、思わず嫉妬の感情も湧いてくるのだろうよ。

 

だが、ないものは、ない。

 

努力だけでは、追いつけない。

 

そこを どうにかしたいと、

俗に言われる「紙一重」の天才が併せ持つとされる、一方の困った特徴のほうばかりを、もっぱら真似するしかないんだな()

 

そして、

「天才」になれないまま、ただの「狂人」になるという末路(()

 

少し前のエントリーで、兼好法師の警句を引き合いに出したでしょ、あれですよw

「キチガイの真似を する者は」云々と。

【続】〽国会議員はぁ~

 

 

先日は、太宰 治についての記事を読み、その記事に付いた「ヤフゴミん」らのコメントを眺めていて、それに対する感想も述べておいたところだが、

【続】「文系」か「理系」か

こないだは、『叫び』なる作品が知られているムンクの、その作品の一つの片隅に、

「狂人にしか描けなかった」

云々と、鉛筆で落書きされていたことについての記事が出ていて、それにも、ヤフゴミんらのコメントがワンサと集まっていた。

 

で、案の定、ワンパターンな、「狂気」との結びつきを指摘するコメントのオンパレードだ。

 

さてさて、

私は、ムンクの作品を初めて見たときに、それは実物では なく、美術の教科書の写真でとかだったんだけども、

とりあえず、その第一印象としては、

「分かりやすいな」

と感じた。ほとんど俗っぽいほどに。

 

『病める子』とかもね。

なので、私にとって、また、おそらく、世間の多くの「凡人」たちにも、難なく共感しやすいとも言えるだろう、ムンク作品。

 

ただ まあ、部屋に飾りたいと思えるわけじゃない(苦笑)

それに、

分かりやすい作風だなと思えたのであって、もちろん、きらいでは ないけれども、好きな画家であるとか好みの作品だというほどのことでも ない、私にはね。

 

ムンク作品は、それほど多くは見てきていないので、このへんにしておきましょう。

 

ちなみに、

晩年に至っては、平穏な生活になったからなのか、皮肉なことに、作品そのものは、つまらなくなっていったようだ、とかも言ってたが、
それって、ユトリロの場合も そうだったらしいね。

ユトリロも、後年になってから、それなりに穏かで満たされた暮らしだったそうだが、作品のほうも、それに応じてか、色彩が豊かになってしまってwつまらんくなったとか(苦笑)

 

 

で。

「天才」と評価するのは、いったい誰によって、であるのかな。

 

 

なかには、あの「カルト連」と同じくw
『サヴァン(症候群)』が、と頻りに述べる者も いたが、それは必ずしも、「芸術」と関係するとは限らないだろう。

 

それぞれの、何らかの特定分野における「異常」的あるいは平均的範疇のレベルを超える現象には違いないにせよ、

たとえば、写真の如くに、見たままをソックリそのまま描き写せることの どこが「芸術」なのかと問わば、はっきり言ってビミョ~だろうw

 

 

私なんか、いつぞやの過去エントリーでも述べたように、

小学生時分、夏休みの宿題に、庭の池を描こうとして、睡蓮の花と並んで水面に浮かんでいたゴミ袋までも忠実に、
すべてを見たまま描き込もうとしていたところ、
モノクロ写真のようなリアルな絵が得意だった親父が覗きに来て、いつものような嘲笑さえも超え、まじで呆れてたもんだw

 

 

または、

誰かから譲り受けたのだろうか、以前は、腹違いの姉が使っていたらしいのだが、すでに壊れかけ、ところどころ、音が出なくなっている、ひどく古ぼけたオルガンを用いて、小耳に挟んだメロディや、自分が好きな曲を、音符も読めないのに、出ない音は、うまく避けつつ、聴いた そのままを、やすやすと再現するということを やっていて、

これについては、幼い頃から私が示していた素質の側面だったと、

みずからは絶対音感を備え、音楽全般に才能を持っていることを認められ、自負も していた母親に、珍しくも長所の一つと指摘されていたことなのだが、

自分の周囲の ほぼ全員から、「文才」を認められていた反面、
じつは「文法」がワカラナイと言うか関心も薄く、
はっきり言って、文法なんざジャマ!にすら感じられるという本音を隠し持っていたことに似て、楽譜や音符に対しても、それと似た感覚を抱いていた。

 

 

子どもの頃は、数字に、それぞれ色彩の連想が伴うのも、ごく自然なことであるように思っていたから、わざわざ、誰かに確認してみようなどとは全然思わなかったし、

将来はマンガ家になりたいなあ~と思っていたくらい、マンガを描くのも好きだったので(このことでも常に両親から怒鳴られていたw)
これまた、ごく自然な感覚でもって、登場人物全員の顔を、「1」から「9」まで、それぞれの数字の形そのまんまで表現して、
数字の顔を した人物たちが動き回り、関わり合うストーリーを作り、

仕上がったものを、これ読んでみて、と、幼なじみに差し出したら、さすがにタマゲられたことも あったのを思い出したw

 

…いやあ、いまだに覚えてたんだ。長いこと忘れてたのに。

 

登場人物の顔が「1」とか「6」とか数字そのもの、ってww
emoji?emoji*emoji~emoji??

われながらフいちゃったwww

 

【続く】

 

 

Updated   
2021.03.17 (Wed)

思考力を摘み取り、選択能力を刈り取る国。

それが、日本。

 

もっと言えば、それは、

自民党日本会議(←ウヨ・アキンド・宗教の、いずれも在日や反社組織をも含む団体ゴッタ煮みたいな鵺のパレードの如き百鬼夜行状態というシロモノ)

に とっての「理想」なのだ。

 

このことを、大手紙や各メディアがハッキリ言えないまま、言わないままだと、日本は、このまま変われない。

 

これまでのエントリーでも示唆してきたように、

昨今、家庭内虐待事件で目立つ、親の狂気的支配欲を満たしたいという動機が窺えることからも分かるように、

家庭内の虐待でも、学校などの、あるいは職場でも、細かな、無意味な、邪魔ですら あるルールや習慣といったものは、その根底の動機に、場の「権力」を握っている者が、自分よりも「下」、「弱い」はず、そうでなければ許せないと見做している側の統一規制を図り、もって統率・管理を、よりいっそう容易にしておきたいという、そのような意図が ある。

 

要は、「ハミダシ」を容易に見つけ、
見つけしだい、刈り取り、

そして、以降、二度とハミ出させないためだ。

 

いまだにモメてる戸籍の問題なんかも しかり。

じつは日本特有のものという あれは、
国家権力が、シモジモを支配し易く、役所においては、その管理作業のラクさを最優先する目的。

 

 

だいたい、自分が名乗る姓・名を、自分自身では、ただの一度も決めることを許されないという理不尽さは、最も甚だしいものの一つと言うべきことだ。

 

うちなんか、名字のほうは旧字体が本来、本当なんだが、
いつから そうなったのか知らないけど、役所のほうで勝手に、全然違う字体に変えられちゃってる。

 

 

たしかに、お役所系とかガッコのセンセイって、ちょっと独特な硬さと言うか、融通利かなさみたいなものを往々にして感じるけど、

だからと言って、一般民間企業なら、問題が ないわけじゃない、どころか、こっちも問題だらけですやんw

ハッキリ言って、国全体、問題だらけでしょww

 

日本特製の、歪んだ「精神論」的なものが、いまだに通用するんだからな。

 

 

さて、

体育で「肌着の着用禁止」。川崎市立の小学校の指導に批判が殺到。市教委の対応は?
3/15() 12:29配信 最終更新:3/15() 19:02 ハフポスト日本版
https://news.yahoo.co.jp/articles/55605a9c0ba312c60b655fa864e3b1b6bfee890d

 

「これが民間の企業なら」云々と、
定番パターンなコメントしてるヤフゴミんも いるけど、えてして、こういうのほど、連続投稿してたりするので、投稿すれば するほどに、

「あ、こやつ、実際には、会社勤めなんか したことも ないな?」

とバレちゃうw

 

知ったかで、くだらんゴタク並べてるヒマが あるんなら、さっさと働けば?ほんものの会社で、と言ってやりたくなる()

誰か言ってやんなよw

それとも、

「ヤフゴミ捨て場」には、やっぱり、ひきこもりネトウヨとか、世間知らずの有閑主婦とか、時代錯誤な知識しかない田舎老人とか、
あとは、せいぜい、株や投資で儲けようと血眼になってるか、
不労所得で毎日がノホホンしてる、
いずれも『自民党』『日本(ビジウヨ)会議』シンパくらいしか いないから、何も言ってやれないのだろうかな(()

 

 

「忙し過ぎて」変えられないとは、つまり「フリーズ」状態なんだよね?

こうした理由は、一般企業においても往々ありがちなことは、会社勤めの経験を持つ人なら、少なからぬ人が実感していることだろう。
なにも、ガッコのセンセイだけの問題でもないと思う。

 

非効率、ニッポン!

虚空の精神論、ニッポン!

 

忙し過ぎて、そのまんま、の次には、
改善できてないから、忙しいまんま、という現実が来る。

 

忙しいから改善できないから忙しいからという永久ぐるぐるの悪循環だ。

 

こんな日本に、誰が した?

 

――硬直する日本――

 

 

ところで、

「胸の成長」だって、プププw

 

現代日本女性の平均からしても、かなり大柄な私が、『昭和』の小学生だった頃、

私自身は、成人女性と見紛う体格のわりに、なかみはのほうは、見かけによらず、まだまだ子どもっぽかったのか、

ブラジャーについては、むしろ、シビレを切らした学校側から注意勧告されたように憶えている。

いわく、男の子たちが、目のやり場に困っているという理由でw
私自身は、ブラジャーなんて鬱陶しいから、まだまだ厭だったんだけどww

 

でも、

体育の授業前後の着替えが、5、6年生になっても、男女混合で一斉に、だったので、私自身が どうこう思う以前に、男子らが(そして女子も)、私が服を脱ぎ始めたら、好奇心まる出しの眼つきで見詰めてくるのでw厭だなあと思い、

ある日などは、脱ぐのを躊躇って、グズグズしていると、
席順で、いつも隣りに座っている、クラス一の優等生で、普段は無口で おとなしい、小柄な男子が、なんとも言えない、妙な笑顔を向けてきて、一言。

「はやく脱げよw」

 

 

その着替えの状態のことを、母親に訴えたところ、
母親は、懇意にしていた担任の先生に伝えてくれたのだけれど、

ほどなくして、放課後前の学級会だったかで、先生は、いちおう、このことを提議してくれたものの、
結局は、私が気にし過ぎ、という結論で かたづけられてしまった。

 

ま、いずれにせよ、もう「お年頃」「思春期」として扱わなければ ならない年齢だわね。

 

小学低学年頃までの実家には、まだ、内風呂が なかったので、近所の銭湯へ親父と二人で一緒に行ったときは、そのまま平気で男湯に入っていた。

背中を流し、シャンプーしてくれたあとは、髪をタオルで巻いてくれて、
あとは、髭剃り用安全カミソリを使って顔剃りするのも、親父のほうから促してきて、懇切丁寧に やってくれたもんです。

 

先日は、今後の公共浴場での混浴を、6歳までとする方針となったそうだし、

いま振り返って、親父は ともかくとしても、他の男性客の存在を考えると、そうとうキワドイことを やってたんだなあ自分、と、ヒヤヒヤもんだが、

これに予想外の終止符を打ったのは、ちょうど9歳当時、
同じクラスの男子と遭遇したのが切っ掛けとなった。

そのときは、少し厭な思いを したし、親父と男湯に入るのを やめるべき時が来たらしいと気づいたこと自体も些か不本意だったが、
しかし、あれで正解だったんだなあと、今にして思う。

父と娘の「稀なこと」?さてねw

 

中学時代には、髪の留め具にも、あれこれ細かく注文が つき、

と言っても、
私自身は、洋菓子の包装に使われていた濃紺の洒落たリボンを、長めの髪を部分的に束ねた根元で結んでいて、登校時に、それを見た校長先生ですら、「ほらほら、雨が降ってきた、綺麗なリボンが濡れちゃうよ」と笑って見逃してくださったけど、

そもそも、髪の長さ自体、校則では、肩の あたりまで、それを超えたら、振り分けにして くくるか、三つ編みにするとか決めてあったようだけど、完全に無視していたw

 

3年生になってからの、ある日、ソックスの柄についてのルールが新たに決まったことを告げられ、

それまでは、ほぼ全員が、ふくらはぎの下部まで届く丈のソックスを穿いているのが普通だったのだが、これの柄が、ワンポイントまでは許容するが、ソックス上端のみのストライプでもダメ、基本的に白の無地という、意味不明な話だったので、ホームルームの あと、多くのクラスメイトらと共に、担任の男性教師を囲むように詰め寄ったことも ある。

担任の先生も、明確な理由を言いあぐねてか、困り顔でモゴモゴ言ってたがw

 

また、ソックス上端を留めるための『ソックタッチ』という商品を、私たちの頃は、学生生活上の必需品としていたんだけど、これも、使っては いけない、ということが、急に決められたという記憶も ある。

まあ、3年生だったので、じきに卒業だったから、そこはハッキリと憶えていないのだが。

 

だったら、ゴチャゴチャ言わずに、昔ながらの「三つ折りソックス」を履くように言えば?とも思うけど、中学生や高校生男子の場合は、制服に三つ折りソックスって、ちとヘンだもんね。

 

もっと深刻な問題が あった。

体育の授業では、女子だけが「ブルマー」と呼ばれるものを穿くわけだけど、必要以上にピタッと密着する これを着て出ると、男子らがニヤニヤして、見詰めてくるんだよw

それだけでも、いかにヤラシイ感じのものを穿かされているのか、わかりそうなもんだと思う。

そもそも、昔は、ブルマーはブルマーでも、「ちょうちんブルマ」と呼ばれていた時代のものは、その名のとおり、ゆったりした形状のものだったらしいよね。

いつから、あんなピタピタに密着するものを穿けという決まりになったんだろうかね。

 

 

当ブログでも、過去から幾つか、ヘンな校則等に対する疑問提示のエントリーをアップしてある。

やってた やってたー

時事問題プチ論――ガッコのエアコン

【続・続】母親は、子を庇うものというのは「神話」。