2025.07.06 (Sun)
『【続】消費税減額か給付か、それが問題だw』の続き。
で、生理用品の話だけど、
普通サイズのナプキンさえ あれば、ほんの数日や1週間以内で やり過ごせる人を助けましょうというのなら、1ヵ月のうちの殆どが重い生理中で、特大サイズのナプキン必須で、非正規で貯金も できず、毎月の給料が、高価なナプキン代でドンドン削られてしまって、食費も ままならない私をも助けてほしいわ~と思ったかもしれないw
でね、
このように、ナプキンひとつを考えても、「贅沢品」の範囲か否かの線引きが難しい。
あの頃の私にとって、いちばん高価なナプキンが、間違いなく、生活必需品だったからね。
あえて言ってしまえば、個々人や事情によっては、必要性も価値も違ってくるわけで。
まあ、現代でも、これだけは間違いなく奢侈品・贅沢品であると決めつけていいのは、貴金属や宝飾品の類とか高級車とかですかね。
だからと言って、ここらへんだけバーンと高額税を課しても しょうがなかろうし、業界も厭がるでしょうねw
それと、
私には、ここまでの考えは及ばないでいたのだけれども、
新製品については、どう判断するのか?ってこと。
たとえば、パソコンね。
またまた私個人のことを例にすると、私は、いまだに、スマホを所有してません。
ノートパソコンは持ってるけど、パソコンですら、一般に普及し始めた当初は、自分のを所有しようという気が全然なくて、このまま、死ぬまで買わなくてイイかなぁとすら思っていた。でも、職場では、ちょいちょい使わないと いけなくなってきて、やっぱり、職場だけでは、なかなか慣れず、周囲からも、自分のパソコン買っといたほうが いいよ、これからの時代は必要だよと諭されて、しぶしぶ購入したのが、すでに40歳代だった。買うときに、まず思ったのは、
「たっけぇなあ。。。このまま一生、買わないで済ませようと思ってたのに。チッ
」
ってな感じwww
そして、パソコンの普及には、校正・校閲者でもあった私の仕事を奪ったという側面もある。
でもね、やっぱり、聴覚障害の身には、メールとかが便利だというよりも、もはや必需品だし、使えなくなったら、まじで困る。
しかも、その障碍のことに関しても、ネット検索によって、知らないままでいた いろいろな情報を得ることが できたわけなのよね。
それまでは、生前の親らに、勝手な作り話を吹き込まれていて、
「障碍」なんていうほどのものじゃない!大げさ!ひとえに、根性と努力と要領が足りない私が全面的に悪い!!ということにされてたから。
ほんとうは、幼いうちに、補聴器や手話に慣れておき、発声・発話訓練も受けておくべきで、『障害手帳』が必要だったのだけどね。
パソコン検索という手段が得られないままだったら、いまだに自分で自分を責め、恥じているしかなかったかもと思う。
いまでも、親父の先妻のほうの娘らは、私の悪口を言い続けているかも しれない。
生前、親父は、私の母親が生きていた頃は、先妻との娘や息子の一家と極秘に旅行先で落ち合っては、私の母親の悪口を言いまくっていたらしいが、母親の死後は、「できそこない」の私自身に、お鉢が回ってきていたようで、今度は、私の悪口ざんまいだったらしい。
昨今は、『生成AI』の有害性が言われるようになったが、
もともと、インターネット自体が、言わば「見切り発車」的な野放し状態で開始し、様々なトラブルや被害発生も敢えて放置されてきたでしょ。
私個人も、パソコンによって、障碍をカバーするために身に付けた仕事を奪われたのみならず、
ネット上で、例の「おカルト連」やらワケわかめなサイトやなんかで、猛烈な誹謗中傷攻撃を こうむり、ものすごく不快な目に遭わされもしたわけだけど、
ま、そういった負の面は さて置くとして、
世に画期的な新製品が登場したとき、それまでは、一般的な人々の生活のなかに存在しておらず、したがって、「必需品」では ないもの、と決められてしまったら、一部の人々以外の大多数の人々は、せっかくの新製品によるメリット面を享受できないままということになりかねないわけで。
それは、とにかく営利を追求したい商売人や企業側にとっても、望ましくないことだろう。
このように、現代では、『物品税』『奢侈税』というものの区分けが、あきらかに難しくなっている。
ところで、
最近、誰かさんと誰かさんが、いまさらに、「少子化の原因は」経済的に苦しい人が増えたからとか、いーや、豊かになったからこそだ、とかって、論争を繰り広げているみたいな、そういう見出し(だけw)を見かけたのだが、例によって、記事の内容は、読んでないww
すでに見限っており、はっきりキライだったり、関心を持つほどでない対象の記事や意見はスルーしているので、今回も、そのパターンでwww
ただね、
この話題に おいては、どちらの意見や見解も、無関係では ないだろうし、その お二人のうちの、どちらかが全面的に正しいということでもないだろう。
つまるところ、
いちおうは「豊か」になったし、いちおうは豊かさを維持できているとしても、
いちおう「人並みには豊か」な範疇に入っていると、いまのところ辛うじて自負できるとしても、
次には、その人並みレベルの「豊かさ」すら維持し続けることが できなくなるかもしれないという転落の不安が つきまとっている。
手に入れた「豊かさ」を維持し続けられる自信には乏しいわけだ。
失ったら、おしまいだから、
いまの「豊かさ」を維持するだけで精いっぱい。
なので、ある意味、余裕は一切ない。
砂上の楼閣のような脆い「豊かさ」だから。。。
現代の、いわゆる発展途上国も、昔の日本も、共通して子だくさんだ。
そして、ごく限られた特権階級、「殿上人」のような、雲の上で暮らしているかような人たちのことに対しては、住んでいる世界が全く違うのだと割り切っていたのは勿論、
目の前の隣人と、いちいち比べ合って、ねたみも羨みも しないのは、殆どの人が、自分の生活状況と大差なく、みな、多かれ少なかれ耐えており、がんばっているうちには、だんだん良くなっていくだろうという漠然とながら希望が持てていた時代なら、自分だけがと、貧しさなどを恥じる必要も、恥じている余裕すらも なかっただろう。
庶民階級に おいて、昔は、子どもは保護するべき対象では なく、まずは、家事や労働の担い手として期待し、また、大家族が当たり前の時代には、子育てを直接的に担うのは、両親では なく、祖父母それ以外では、先に生まれた子どもが担っていた。子どもが子どもの めんどうを見ていた。
そして、子孫は、「家」制度の、地域や村落共同体の、ひいては、国家の維持を担うための存在だから、婚姻と出産のセットは、当たり前の義務であったし、そこからの逸脱は許されなかったし、権力者は、当然の如くに、民の生死に介入し、干渉する。いざとなれば、この現代でも同様だ。
権力筋に支配され、利用される庶民のほうも、自分たちの子どもは陰に陽に利用する。昔から同様に。
どこかで利用する対象が子どもという存在なのだから、デメリットのほうが危惧されるとなってくれば、子を持つことを避けるのも自然当然だろう。
現代は、一般的な民衆の あいだにも、格差が広がり続けてきて、自分は「平均」から外れそうだ、どうやら外れていると思えば、それを隠そうとするし、隠しきれなくなるかもしれない、少なくとも「平均」の範疇に入っていることを維持できなくなるかもしれないという不安が あり、その不安を現実化してしまいそうなものは持たない、かかわらないでおこう、となる。
逆に、積極的に持とうとする向きも、少しは あるだろうけれど、
それも また、何らかの面で利用していることが あるはずだと勘繰られ、バッシングを憚らない現象も、世間で起きている。母子家庭などが恰好のターゲットになった。
『異端者の歌w』
…
「ナショナル ミニマム」
というコトバを、いまだに知らない、理解していない、理解しようともしない、したくない人が、この国の大多数なのだろう。
2025.07.06 (Sun)
『給付か消費税減額か、それが問題だw』の続き。
さて、
『物品税』は、『奢侈税』とか『贅沢税』とも呼ばれるのだそうだが、
たしか、私が20歳代まで残っていた制度だった。
実施したのは竹下政権のときだったかね、もともとから、導入時に猛反発を招いていた『消費税』、たしか旧ブログでも、リアル タイムで見た回想を述べたことが あるのだが、私が20歳代だった当時、どこかのテレビ局で、一般の視聴者たちをスタジオに集め、そこで、担当官僚だという男性を取り囲んで、質問攻めとか不満を ぶつけさせるみたいな内容の番組を やっていたのを、いまでも憶えている。それらの質問に対して答えている官僚氏の態度が、なんとなく冷笑的で、答えの内容も、まさに詭弁というものやヘリクツじゃないかと思えるていのものだったので、私は、
「ああ、なるほど、これが、官僚ってものなのか」
と、
なかば呆れながら思ったことだけが、いちばん鮮明な印象で残っている。
で、
昨今は、ますます、『消費税』を問題視して、不満を言い募る人が増えたようだけれど、その人たちに聞いてみたいと、最近も思ったのは、
ほんの数年前、『立憲民主党』の枝野さんが、『消費税』減税を掲げようとして、結局、あっさり引っ込めてしまったことを憶えてないのかいな?ってこと。
どうやら、有権者全体の反応が、予想外に鈍いので、という理由で撤回したとも記憶にあるのだけれど、
当時も、うちのブログで、その問題を取りあげて、私は、このように述べたと思う。
要するに、
消費税のことで苦しんでいるほどでもないのか、まだまだ、それなりには余裕が あるという世帯が実際には大多数であるならば、枝野さんの提唱に対して反応が鈍いのも当然だろうけれど、それだけでも ないとしたら、
消費税を減らしたとか、いっそゼロにしたところで、その程度では、どうにもならないくらいに、生活が苦しくなっている世帯が増大しているからじゃないのかなと。
あらためての先述どおりで、
私なんかも、ふだんの食料品などの買物で、レシートを確認するたびに、
「消費税分が なければ、牛乳もう1本、パンもう1個買えたのにな」
と思って、ため息が出ることも多かった。
でも、牛乳もう1本、パンもう1個、買えたからって、生活がラクになった♪感じは、まるで しない(苦笑)
買い足りない分は、一日2食から1食に、なんなら、一日絶食で調整することも多いけど、わたしゃ、生まれつき虚弱体質なもんで、「人間、いざとなったら、水だけで1週間くらいは もつ」と言われるようには、まいらない。
これは、若い頃に試したことが あってw1日くらいはガマンできるが、なるべく動き回らないようにしていても、2日目になると、かなり苦しくなる。
3日目に突入となると、ガマンどころでなくなり、安静にしていても、腕一本うごかすのも困難になる。
単にダルいとかいうレベルでは なくて、このままでは、動きたくても、動けなくなる!という、そうとう恐ろしい予感に迫られた。
なので、
「餓死」とは、どれほど苦しいものであろうかということも、身をもって理解している。
もうね、ふつうに起き上がることも できなくなってるから、ベッドから床の上へ、敢えて転げ落ちるようにして出て、そのまま、台所の冷蔵庫の前まで這いずっていき、手当たりしだいに、そのまま食べられるものを そのまま口のなかに押し込みました。キュウリなんかも、1本まるごとで、そのまま齧りましたw
その後、また這いずってベッドまで戻り、一日、昏々と眠りました。目覚めたときには、なんとか、まあ ふつうに動ける状態に回復してたけど、いまだに、二度と同じ状態に陥るのは恐ろしいと思うほど強烈な体験の一つだったので、やむを得ず絶食するにしても、試してみて分かった自分自身の限界を超えないよう、ぜったいに、二日連続には ならないように、週に一日ずつというふうに分散してるわけww
でも まあ、こんなこと してると、どうしても、欲求不満みたいになってしまい、反動的に、つい多めに食べてしまっては、その分、絶食するしかないパターンにもなりやすいのよね(苦笑)
いつも食べ足りない感じを抱えていると、いわゆるジャンク フードで誤魔化し、貧乏人なのにデブ化しちゃってる人の気持ちもワカランでは ない。
さいわい、私は、もともと肥りにくい体質なので、そこまでには陥ってないけど。
でも、栄養不足の問題は、いつも、頭の片隅から消えない。若い頃のような無理も きかなくなってるからね。
話を戻して、さて、『物品税』。
私もね、わりと近頃まで、これを復活させたら どうなのかなあと考えていた。
もっとも、現行の『消費税』を完全に廃止してしまうのでは なく、食料品や日用品など、生活上の必需品には、消費税を外す代わりに、間違いなく「贅沢品」と見做せるものには、物品税を復活させて補うとか、そういう「二本立て」みたいな。
あるいは、同じ生活用品のカテゴリーでも、一定の線引きして、ある程度の価格帯から上の品物には、高め設定するとか、まあ、いろいろ考えてみたりしたのだけど、しかし、よくよく考えると、そんな単純には いかないよね。
そもそも、高品質の商品は、もとから価格が高めなのだから、やっぱり、消費税まで複雑に入り組ませずに、シンプル設定が結局は効率的にいく制度なんだろうね。
たとえば、一つには、生理用品、いわゆるナプキンのことが思い当たる。
昨今、生理用品すなわちナプキンを、公共のトイレなどにも、無料で常備しましょうよって呼びかけが目立ってきたとともに、提唱している人をバッシングしてるとかも聞くけど、
まあ、男子トイレにも備え付けるべきだとか聞けば、さすがに、ハア?ってなるのは私も同感だけど、
それよりも、正直なところ、自分の立場で考えてみると、どこのトイレにも普通サイズのナプキンを無料で常備してくれるとなっても、あの頃の私には、まったく、ありがたいとは思えなかっただろうなあってこと。
下半身がらみの話で、ちょっと気が引けるけども、私は、むかし、婦人科疾患を こじらせてしまって、毎月の生理のたびに、出血量が増加していく一方なのに、仕事を休むのが恐いし、たまの休日は、疲れ果てて寝込んでる。せっかく有休を取得しても寝込んでしまう。結局は、病院に行くこと自体が おっくうで、ずるずる後回しにしているうちに、悪循環が積み重なり、やがて、一ヵ月のうちの、たった1週間くらいを除いて、ほかの3週間ずーっと、生理中という状態になっていった。
しかも、加えて困ったことに、
ナプキンがね、ふつうのサイズや厚みじゃ全然、間に合わないから、いまほど、いろんな製品が揃ってなくて、まだまだ限られていた、あの当時としては特大サイズの、いちばん厚手のものを、ほぼ毎日、昼夜を分かたず使わなくては ならなくなっており、それでも、ひどいときには、ものの30分もたなかった。
当然、ひどい貧血。
それでも、ある日、会社の昼休みのときに、停まっている献血車を、たまたま見かけたので、献血しようとしたら、看護婦さんに、
「献血できる状態じゃないですよ!できるだけ早く、病院に行ってください!しんどくないんですかぁ?」
と言われて、そりゃ しんどいけど、、、と、内心で苦笑したものだが、
じつは、献血できるくらいか否かを、試せるかもと思ったのよw
もし、献血可能ならば、たしかに、すっごく しんどいけど、自分で思うほどには、ひどい状態には なってない、ということだろうとww
通勤途中の駅の階段すら上がれないほど、ふらふらになってたのにwww
さすがに、その後、病院へ行きました。
血液検査とかして、そのデータ結果に、お医者もビックリ、さも、呆れた~という口調で、
「基準値の半分以下やでぇ~」
と。
いま思い出しても、気力だけで生きてたなあ、とも、
われながら、無知でアホだったなあとも思うけど、
仕事帰りの買物で、いつものように、特大サイズのナプキンを購入し、
ついでに、効き目もない鉄分入り牛乳やホウレン草とかセッセと買って、吐き気を こらえつつ帰宅して、そのままベッドに直行しないで起きていられたときは、いっしょうけんめい、ホウレン草の お浸しとか作って食べてたわw
ところが、私は、親らには常々、ガマンが足りない、努力が足りないんだ、おまえは怠け者だから!と言われ続けてたのよ。
いまになって振り返ると、実際は、ガマンし過ぎる癖が ついてしまってたんだなあと思う。
実家に戻るくらいなら、死んだほうがマシだと思ってたし。
けれども、入院と手術が切っ掛けで、泣く泣く、実家の近くに戻ったあとは、母親のほうも、かねての持病が重くなっていて、何度も倒れ、入退院を繰り返している状態だったので、仕事のあとには見舞い(食事の介護や身体清拭も含む)のため、帰宅が深夜になることが多く、毎日、睡眠時間が2、3時間未満だった。
あの頃に、ふと、頭の どこかのネジが外れてしまってる感じがするなあ~と思ったことが あったのだけど、二十数年後になっても、いまだに、その感覚と影響は残っている。
【続く】
2025.07.06 (Sun)
『参院』選挙が目前に至り、こないだまで、「現金給付ダメ!」「『消費税』減額、いっそゼロで!」という声が、だんぜん大きいということが報じられていたようだが、ここへ来て、待てよ、、、?という疑問も出てきているということらしい。
これこそ、典型的に、それぞれが属する各階層の立場によって、実施してもらいたいと望む方向が異なってくる問題だけれど、とにもかくにも支持を得たい、政権に近づきたい、あるいは、維持し続けたいという本音が目先にあるゆえの、各政党や議員らが最重視している対象の有権者は、それぞれ、どの層に属しているゆえに、そのような、とかく耳触りの良いことを主張しているのだろうかと、有権者側の冷静な判断力が要請される。
石破さんらが慌てて指摘し始めた その前々から、当ブログでは、消費税を削減とかゼロにしたとて、最もトクするのは裕福層であると、なぜなら、お金持ちは、高品質または高価格帯の品を、必要なだけ、欲しいだけ購入できるので、必然的に、支払う消費税額も多くなるわけだが、
しかし、
逆に、生活に余裕が ない、まあ、余裕が ないと言っても、そのような声を大に言いたい人が多いのは、概ね、いわゆる中間層の世帯が該当していて、その内訳も、子どもの教育費がーとか住居の新築や購入でローン抱えて苦しいーといった世帯が少なくは ないだろう。
家を新築したから~なんて、富裕層と同じく、違う世界の住人だわ~と思うような、ほんとうに生活苦のレベルとなると、お安いものを少しだけ、という買物しか できないのだから、こちらも また必然として、消費税も、少ししか払えない。
日常の買物だけでなく、光熱費など、消費税が伴う支払いには、ことごとく、各階層による差が大なり小なり生じる。
なんだかんだ言ってても、「そこまでの貧乏人は、日本では少数層に過ぎない」のが事実なのであれば、なおのこと、やはり、高額商品を たくさん買って、たくさんの消費税を払ってきたというような層の分がゴソッと減れば、減ったから、あれを削減しますね、これも止めますよと、社会福祉面をガシガシ削られることのほうが恐いわ~と、底辺層たる私は述べました。
もちろん、「逆累進性」という欠陥を基本的性質に持っているのが消費税というやつだ。そんなことは、私だって、身をもって知っとる。
そのことは、別の次元の問題として、いったん横に置き、私は、あくまでも、現実、実態のことを指摘してきたつもり。
さて、
私みたいな底辺層だと、払っている消費税は、裕福層は勿論、まあ一般的な生活レベルの中間層と比べても、桁が違うほど少ないだろう(苦笑)
で、うちは そうなんだけど(苦笑)「2万円」て、貧乏人にとっては、1ヵ月分以上もの食費全体に匹敵するかもしれないが、金持ちにとっての2万円は、おそらく200円か?wせいぜい2千円ていどの値打ちもない、まさに、はした金
に過ぎないだろう。いくら、「金持ちほどケチ、こまかい」という説は本当だとしてもww
だから、
「2万円てw」と、思わず、麻生のジイサンを連想して、せせら嗤ったのデスわww
一律?全国民に?2万円って、そんな必要が どこにあるんや??と。
この日本、さすがに、まだまだ、余裕のある世帯が多いんでしょ?www違うの??と。
言っとくけど、生活が苦しい、それこそ、食費すら切り詰めないと やっていけない人たちへの現金給付は、政府の責任であり、早急に必要です。
「そんな貧乏人は、日本では、あくまで少数層」なんだから、さっさと実施できるでしょうにw
どうせ、貧乏人が払う年間の消費税総額も満たせやしない少額だよw
『消費税』は、断じて、このままデス!
でも、給付金も、やりません!
結局、何にも仙人wいや、なんにも しマジンww石破ブー政権デスwww
これまでに、いわゆる非課税世帯へ何回か給付したとは言え、それで、生活がラクになったかというと、そうは なってないはずよ。
つまり、それだけ、深く落ち込んでしまっているから、要するに、チョロッと振りかけてはパッと蒸発w
「焼け石に水」状態だ。
何事もね、ちまちまチンタラでは、効果なんて出やしないのよ。日本人は、とかくチマチマちんたらが大好きな国民性だけどね。
「2万円?フン」
と、鼻先で嗤って、そのままタンスのなかに しまっておける人に給付したって、それこそがムダだ。
ましてや、一律にとなると、その財源が、やっぱり足りない!というのなら、愚の骨頂でしかないがな。
ならば、消費税を下げる、それも、一時的に、だと。
で、限定期間が終わりましたので、もとどおりにしますとなると、ほとんど「増税」感を持つのが、一般国民の感覚だろう。
だいたいね、こんなことを、選挙のニンジンとして ぶらさげるという根性が怪しからん。
与党も野党も、無責任の極み。
『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』政治により、数十年このかた、給料が増えなかった、「最賃」アップしない。
それは、『生活保護(生活保障)』を削減し続けてきたこととも連動してる。
それを言わない『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』と、その支持者層。野党の殆ども、口を噤んできた。
立場の弱い自国民を虐めたおして、なにが政治だ。
そして、そんなことを理解しようともせずに、煽りに乗るだけの、無知蒙昧な国民たち。
こういう問題ってね、余裕が ある者が、そうでは ない者を見下し、ろくに税金はらってもない分際で、、、と、嘲笑していい問題じゃないのよ。
ましてや、余裕ないないと嘆きたい層の人が、そんな自分よりも貧しい人々に敵意と憎悪を向けてバッシングなんて、もっと愚かなことだ。
再々指摘してきたけど、社会インフラを最大限に利用してきた おかげで、富裕層になれた者は、社会還元の精神を持つことだ。
大企業の経営者とか代表格でしょ。たとえば孫正義さんとかさw
私にとっては、『ヤフージャパン』なんて、なくても困らないどころか、ずばり有害なくらいだけどねww
えてして、いわゆる虚業の類ほど、バカげてるくらいに儲かる。
いわゆる中間層も、こんな時代、いつ何時、最底辺層に自分や子どもが転落するかもしれない、あすは わが身という自戒を持つこと。
私自身は、無理に自活を始めてからというもの、ほんとうに、まともな食事が できない生活状態アタリマエで長年やってきたけど、そんな状態でも、自分よりも恵まれていない(いろ~んな意味でですよ)人たちに損させられてる!なんて、一度も思ったことは ないし、ましてや、バッシングしてやるなんて、想像したことも ない。
私は、出生時の重度仮死状態に続き、乳児期に、これも親らの不注意と怠慢が原因での身体障碍を抱えているうえ、やがては予想外に深刻化した病気に加え、実家の複雑な事情も あって、仕事に就くのも続けるのも困難だった。しかも、ちょうど、『自民党』の政策とも かち合って、ほとんどは「非正規」としての立場で、サービス残業も余儀なくされつつ、ボーナスなんて出やしない立場で働いていたから、いわゆる「氷河期」世代の嘆きなんて、
「被害者は、あなたがただけじゃないよ、損してきた立場の者は、あなたがたの世代以外にも、おおぜい いるよ」
と、思ってきた。
むかしの同僚が、あるとき、
「社会保険なんかの天引き、すごく痛いんで、なんとかして止めてもらえる方法って、ないもんですかねえ?」
と、相談されたことも あったけど、
同じ立場の私も、切実な気持ちは、それこそ痛いほど理解できるけども、しかし、
「そりゃ、こっちのセリフだわよ。あーたみたいな若い、『健常』の男性が、家賃も不要の親もとで生活していながら、なに言うとるのかw」
と、内心で思わないでも なかったし、
たしかに、日本の景気が最高に良かった時代が現役バリバリ時代だった層の人たちのうちで、とくには障碍や病気を抱えても いなかったのなら、なぜ、いまごろになって、生活苦に喘ぐことになったの?と、正直、批判的に思うことも あるけどね。
まあ、でも、様々な事情の人が存在しているのだということを、私なんかも、いろんな世界を見てきて、それなりに知っているから、
よりによって、人並み以上に恵まれている者が、自分ばっかり損させられて!と、勘違いブウブウ言い募る連中にも、
少なくとも人並みには恵まれてる自分より下を見下ろし、これまた同じく、自分ばっかり損させられてる!!と、喚く連中に対しても、世間知らずの お門違いも極まれりだわいと、ほとほと呆れ果てて、もう、ことばも出ない。
だって、こういう問題はね、とりわけ、国家経済の問題は、単純な「損得」感情で判断すべきことじゃないからです。
【続く】
2025.06.19 (Thu)
『国がダメになっていくプロセス:日本のケース』の続き。
「民主主義」が、表面的にでは なく、きちんと健全に はたらくためには、有権者、民衆の知性と直感に かかっている、このことを直視し、鍛えあげていくことくらいしか、望みを繋ぐ方法が見当たらないと思う私は、けれども、自身、生活の多忙と、それゆえの怠惰にも実感は あることだし、近頃では、単なる学校の、その優等生のでは ない、真の知性を底上げしていくことの甚だしい困難さを思うことが増えたのだが、
どうあれ、決して忘れては ならないことは、
悪しき為政者、あるいは、何らかの権力を有する者は(個々の家庭の親も含めてだ)、自己に有利なように教育、または「シツケ」したがるものだ、ということ。
良きであろうが悪しきであろうが、およそ権力者は常に、教育の ありようを握り、これを操作したがるのだから、
もちろんのこと、狭い視野しか持たない、特に狭い視野である自己利益のみを念頭に置く者は、それに合致した教育、「シツケ」を施そうとする。
私が義務教育時分の教科書にも、日本の「侵略」とするべきはずの箇所が、ことごとく「進出」と言い換えられていたことをハッキリ憶えている。と言うのは、本来の意味とはズレているように思えて、なんとなく、子ども心にも違和感を引きずり続けていたからなのだが、それでも、子どもだから、間違ってる、怪しからんといった憤りなどは全くなく、ただ、
「ヘンなの」
という違和感だけが残った。
それと、『NHK』ね。
私は、小学生時分から、『NHK』のドキュメンタリーなどを重点的に視聴するような傾向の子どもで、これは、親などに勧められたのでもなく、私自身が積極的に選択していただけなのだが、なので、クラスメートのなかで、かなり浮いた存在だったという話も、過去エントリーの どこかで述べている。
で、
その『NHK』のドキュメンタリーでは、『昭和天皇』は気の毒な立場だったのであり、暴走していた「軍部」が悪かったのだという一連の論調に終始していたことも憶えている。
もちろん、このことにも、批判や憤りを抱くほどの知識も見識も何もない、ほんの子どもだったり、ごく若かったので、「ふうん、、、そうだったんだ」としか思わなかった。
いま、このトシになって、あらためて振り返り、
「あの頃の、NHKなどの、ああいう方向性は、誰の意向だったのかな」
と、それを不審に思うようになった。
ところで、
ピンチの『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』による、代わり映えする可能性もゼロ!であると、いよいよ念押しされた気分を味わわされている最中の石破政権。
お次は何やら、「参院選の公約案に、30年度に賃金100万円増」「国民平均所得の5割以上上昇」も盛り込もうぜ!という、その見出ししか見てないけどw
相変わらずで、はいはい、ってな感じしかないわww
またぞろ、いっそうの格差を拡大して、裕福層は、ますます裕福にして、それを「平均」という見せかけにするんでしょうよ(嗤)
ほんとうに、どうにかしてくれや、この物価上昇と生活苦。
先日のエントリーでも言ったように、うちは、去年から ずっと、お米を購入してない。
どうせ、一日3食はナシなので、せいぜいが2食分のうちの1食はパン、あとは最安値のパスタや饂飩で、どうにか こうにか済ませてますけどな、
ところが、「米離れ」だの何だの言ってて、いざとなったら、米!こめ!コメ~!!と、夜中や早朝から、スーパーマーケットの前で行列してるという、この国の軽薄な民衆。
かの『コロナ(covid19)禍』に おけるマスク騒ぎを連想したわ。
ついでに、これも言っておこう。
先日も、安倍政権時のガーゼ マスクの配布と保管の愚策が指摘されたとたん、いまだに跋扈しているアベシ崇拝者どもが湧いてきて、相変わらず、くだらない擁護に努めていた。せいぜいが、「あのときは必要だったのだ」程度なら、まあ、百歩も二百歩も譲って、無視しておけるかな?と、辛うじて思えないでも なかったのだが、
しかし、再び、はっきり言っておく。
このことも、当時のエントリーで、私は指摘してある。
すなわち、
鼻を隠せば口が、口を隠せば鼻が出る、これは、故アベシの顔の つくりによるものだとしても、
そもそも、ガーゼ素材では、『コロナ ウィルス』に対する意味が ない、
それだったら、各家庭のタオルやバンダナ、スカーフの類、大判ハンカチなどを用いて、何重かに折り畳み、鼻から口に かけて、しっかりと覆っておけば、あんなサイズのガーゼ素材よりは、ずっとマシだと。
そして、個々で手作りするときに、ふつうのハンカチなどを使ってマスクにしやすいクリップなども、いろいろ市販されているのだし、私自身も、それを使おうかなと思っていたら、例のガーゼ マスクが、やっとかめで配布されてきた。
しかしながら、すでに、世間で警告されていたように、いろいろと、カビや汚れなどが付着していることが次から次へと発覚しており、
私も、念のため、じいっと見詰めてみたら、たしかに、黒っぽい点のようなものが付着していたので、いっぺん洗おうかなあ、洗ったら縮むしな~と、迷っているうちに、「サージカル マスク」も店頭に並び始めたので、結局、あのガーゼ マスクは、外袋からも出さずじまいのまま、どっか そのへんに突っ込んである。
私が、アベシ側近の官僚などの立場なら、当初に指摘したように、アホでも子どもでも、ちゃちゃっと折り畳んで作れる手製マスクは、すでに、家庭内に あるハンカチやタオルで作れるし、そのほうが、がばっと覆えるのだから、むしろ、あんな小さいガーゼ マスクよりも よっぽどマシなくらいなのだから、そのことを、しっかりと、国民に周知する。
それでも なお、自分では よう作れないという事情のある人もいるだろうし、おそらく、それなりに存在するであろうワガママな、とにかく、作るのがメンドクサいと言う連中だけに限定配布すれば いいことだった。
それなら、あれほど大量のムダを積みあげて、その後の保管料が莫大になることも なかっただろう。
ああ、ついでに。
もと首相の小泉さんとこのポリ息子さん。
ピンチの泥沼に はまったまま、出るに出られず もがいている石破さんに泣きつかれたんか知らんが、急遽、いまは『農水大臣』を やってるらしいけども、『経団連』のジイサンたちと「有意義な意見交換」でけた!とかで、鼻の穴おっぴろげて、今度は、高価な大型農機具や何かの、リース、レンタルを制度化すべ、みたいなことをブチあげたらしい。
で、ネット上のコメントや、とある落語家さんなどからも、猛批判されてるんだと。
まあ、小泉かばって、落語家を猛非難する向きもチラホラ出てくることは しかたない常として、私が、小泉レジ袋クンの述べたことを流し読みしてみて、まさに「どシロウト」ながら、真っ先に思った疑問は、
「やってる仕事が全然ちがうんだから、農業と建設業などを同列に考えていいんかいな?」
ってこと。
それに、建設業界にも農業にも縁が薄い私は、リースやレンタルなどを利用した経験も ほぼ全くないので、その場合のルールなどにも疎いのだが、
たとえば、建設業者が、借りるにせよ自己所有するにせよ、ある大型機械を、ある施工案件などに使用して、その案件一つにしか使用しないということは ないんじゃないの?
逆に、地方、地域ごとに「農繁期」というものが ある農業だと、足もと見られて、リースやレンタル料金を、つりあげられたりとかするんじゃないか?
だいたい、小泉クンが言ってるようなことは、過去に やっていたと指摘してるコメントも幾つか見られたが、だったら、なおのことで、合理的なはずの方法が、なぜ、いまだに定着していないのか、その理由を分かりもしないままでブチあげてるのかいな?地頭ポリ袋くんは、と思った しだい。
現場の事情や経緯というものを、少しは知っている人が、まさか、仮にも『農水大臣』やってる小泉クンの周囲に一人も おらんのかい?
官僚でも『経団連』でも、現実的なアドバイスや忠告してくれる人が一人も いないのでは、それこそが、致命的ということだよ。
最近、うちのエントリーで、『雅楽』の何たるを豪も知らないウヨおばはんが、日本の伝統を!神社の神聖さを知れ!!みたいな、トンチキ演説を披露しているのを見かけて、つくづく呆れたことを述べておいたところだけど、
自分は知っている!と大いに主張を繰り広げたいのならば、まずは、自分こそが知らないのだということを知り、多少の下調べくらいしてから、人前でモノを言いなさい、ってことよ。
皮肉なことには、世俗的価値観に のっとった劣等意識やコンプレックスが つよい人ほど、その半面では謙虚さが なく、それらの自覚にも欠けるもんだから、ちょっと何か掴んだぞ!と思ったが早いか、息せき切って、自分が自分が自分が!になりがちだからね、人の頭の上に立つ人は、よくよく注意して、自分を客観視しないと、だ。
わたしゃ、かつて、当時の首相官邸にて、スガひでぶに唆されたとかで、ほいほいと自分の結婚発表に及んだときの、小泉ポリ袋くんの得意満面ぶりと公私混同ぶりを問題視もせずに、「将来の首相夫妻」と持ち上げていたマスコミの無責任で軽薄な ありさまを、いまでも忘れてないし、許しては おりまへんえ。先が思いやられるウヌボレぶりだったわな。
まあ、それにつけても、
総理大臣に首相に なってみたい!なりたい~!!それだけが動機なのね。
いちばん、なっちゃいけない人たちほどね。
最後に、
『朝日』新聞の、たしか、副島さんとかいう人たちもね、『ロシア』『ウクライナ』戦争について、われわれのほうが「西側の視点に偏っているのだ」とか、そんな中途半端な啓蒙的、ヘタに先方への同情的見解よりも、もっと根本的普遍的な大前提を侵すことに対する、厳しい姿勢を保つべきですよ。
あなたがたの見解や指摘が妥当であるとするならば、それは、かつての日本側の開戦理由にも共感を示していることになりかねないよ。
ああ、まあ、そうか、
『朝日』新聞こそは、あの時代、先頭に立って、いけいけドンドンだったんだっけか(嗤)
『民主主義』の ありかたへの危惧が噴出している世界的情勢、
威勢よく「戦争を止めてみせるぞ!」と、平和主義者を自負しているはずのトランプが、いまや、とうとう発展途上国並みの民度と化したアメリカの大統領に一度ならず返り咲いた結果、
なぜか、各国の軍事費がドンと上積みされ、
同時に、あちこちへ飛び火しているかのような戦乱続き。
むろん、従来からアメリカを含めた、野心的、好戦的な国家やプーチンのような権力者らが存在しなければ、こうは ならないはずだし、およそ軍事や武力など、くだらないことに費やす必要もないことだ。
2025.06.19 (Thu)
いまも、これまでも、一般のコメント欄にても頻繁に見かける、「選挙投票に行きましょう」という呼びかけ。まあ、ご尤もなはずなんだけれど、これで改善できるかというと、実のところ、あまり期待は できなさそうでもある。
なぜなら、選挙に行ったは良いとして、相変わらず『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』、または、その亜流、それどころか、もっと愚劣で酷薄で悪辣な政党に投票してしまうようでは、従来と何も変わるはずが ないか、よりいっそう悪くなるやも、そういう危惧が残念ながら ありえてしまうのが、いまの国民のレベルで あるし、
それは、何度も言ってきたとおり、有権者の知性や聡明さ、そして、直感の鋭さなどもが影響してくるからなので、要するに、怠惰と無関心ゆえの不勉強で ありつつも、短絡的な狭い自己利益に関しては計算を怠らない、長期的視野に甚だしく欠けた性質が伴う「衆愚」と常に背中合わせであるという現実を克服できるか否かに、どうしても かかってくる。
これも歴史上のパターンであるようだが、多くの民衆にとって、長く過酷な生活状態が続いた果てには、それこそ暴動や、あるいは「革命」と称した激動が起き、それで、ようやっと、様々な旧弊が覆されということになるのだろうが、単に、従来の「上」と「下」が逆に入れ替わっただけということも まま ある。
日本の場合は、すでに、まさに「茹で蛙」状態が長く続いたせいなのか、あるいは、国民の知性の鍛えと底上げが頭打ちになったままのせいなのか、国内外で『共産主義』勢力の失敗や失望感が否めない時代になったことも手伝ってか、およそ暴動の類など起こす気力すらも失っているような、ましてや、「革命」などというものへの動きや期待など、どう見ても希薄になり続けてきたばかりで、それどころか、国民として当然の要求や要請すらも、なんか、どうでもイイわ、みたいな無気力感が蔓延している。
各方面の制度や福祉施策等々について、肝心の政治家や公務員などの専門職に就いておりながらも、無関心で、疎く、間違ったことを垂れ流し、吹き込む事例すら少なくないのだから、一般の市民や国民の無知ぶりも、これを後押ししている。
また、役所は、市民・国民に対して、教えない、不親切に徹するというのが昔ながらの相場だ。
そうして、世俗の風潮や、個々人の感情的欲求に従い、一過性のブームなどに突き動かされるだけで、それ以外のことは、どこまでも「他人事」感だけで流され、消費されていく…。そんなふうに見える。
仮に、たまには、「義憤」やら「正義」やらに目覚めた如くに気勢を上げてみせたところで、その根本からして、無知なまま、したがって感情に支配されて偏ったまま、上っ面の気分によるだけの、一過性的な「ブーム」に如かず、ほどなくして、湯気のように消失していく、その繰り返し。
そこへ、現代を特徴づけるインターネットの影響は、この日本に おいても甚大で、『皇室・皇族』に対しては、とうの昔に、「芸能人」気取りと扱いであったことも、前の『皇太子妃・皇后』さんの時代から明白に そうであったけれど、いまや、政治家であろうが、そのへんの一般人であろうが、芸能人気取りと扱いが蔓延している。
こういう世界では、「悪名は無名に勝る」そのものが横行する。
つまり、言動・行動の内容と是非は、ほぼ一切、問われず、単なるブームとして消費され消失していくだけ。
こないだ、『毎日新聞』だったか、国外の識者、研究者による分析、見解を紹介している記事を見かけて、そこには、要するに、たとえば、トランプ崇拝者のような、いわゆる「カルト」信仰者のような存在、このような層の人々が、何らかの問題が発覚してのちも、かえって、対象への「崇拝」や「信仰」に没入していく現象が起きているらしいことについての心理的な観点などから考察が説かれていたようなのだが、
私個人は、ある時点までは、共感し、信用できると思っていた対象者が、ひとたび、何かしら不審なこと、チグハグなことを洩らしたとなると、まずは、もちろん、できるかぎりで、真相と本意を知ろうとし、追跡を試み、失望を撤回すべく努力しようとは するけれども、
それらの努力が、ほとんど功を奏することなく、想定外だった混乱と困惑が解消されることも なく、失望やむなしのままに終わりそうだと判断せざるを得ないこととなったら、次には、大なり小なりの怒りや憤り、もしくは、一種の悲哀のような感情が襲ってきてのちは、やがて遠からず、サーッと冷めていく。どんどん冷めていく。
そうして、最終的には、ほぼ全くの無関心へと至るのが概ねのパターンで、上述の識者の分析や見解の対象になった層の人々とは異なるタイプなので、あまりピンとは来ず、じっくり読むこともなく、流しておいたのだが、
一読して、自分なりに思ったことは、
「まあ、世間で言われるような、悪い(と、多少なりに分かっては いても)、でも、そこには、それなりの理由や同情すべき点が あるに違いない!と信じている相手から離れられないタイプの人に近いのだろうかな?昔から いる、いわゆる「貢ぐ女」タイプとか『みつぐクン』とか『だメンズ』みたいな??w」
「高齢者に多いようなイメージも あるけれど、要するに、脳内更新を頑なに厭う、そういうタイプが、若年層にも増えてきているということだろうか?」
と、
くだんの記事で紹介されている識者による、あくまで、これも一つの分析、見解ということに留め置き、それだけなら、昔から存在していたタイプの層では あるから、むしろ、そういう人々が、現代では、異様に増大している現象、ということを重視すべきなんだろうなと思った。
さて、
近頃では、単に「選挙に行こう!」に加えて、
「権力の座に長く座っていると、いろいろ、おかしくなってきて、やがては腐敗してくるものなのだから、政権政党を交代しなくては いけない」
というコメントも増えてきては いるようなのだが、
日本の場合、『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』政権が、ずでに、あまりにも、あまりにも長く続き過ぎたわねえ。
なので、しがらみのカタマリやら、癒着構造が、あちこちに巣を張っている状態で、そこには、当然、持ちつ持たれつ双方ともに、互いの利害がガッチリ組み合わされている。
とにもかくにも、喉から手が出るほど、票数が欲しい、安定した支持層が欲しい、それらを失うことが、何よりも恐ろしい。
長年に わたり同じ政党やら組織、権力者が居座っていることの弊害って、こういうところに、大きく出来てくる。
最大・最多の企業献金とか裏ガネだとか、そこは、ふだんエラソーな新聞社を筆頭とするマスコミも含めた民間企業や商売人の話だけでは なく、裁判所も含めた、あらゆる省庁も同様だ。
かつて、私の周辺の関係者によって、『自衛隊』も、『自民党』支持の大きなカタマリの一つなんだなと実感させられたことが あった。
ほぼ全て、『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』の網の世界が出来あがっている。
同時に、これは、大親分『アメリカ』の網でも ある。
『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』最大の親分であり、最大の契約相手、戦勝国さまのアメリカw
…
朕の家が なくなるのは、甚だ困る、朕家を残してさえいただけるならば、今後の『皇室・皇族』の存在は、必ずや、貴国アメリカの お役に立ちまする。まずは『沖縄』の…ごにょごにょモニョモニョ。。。
そして『自民党』は、日本を、アメリカさまのための「不沈空母」に育てあげまするぞ。お約束します。
『日本会議』を筆頭とするウヨ団体も、陰に陽に、お支え申し上げまするぞ。マンセー!マンセー!!
それは そうと、
またぞろ問題発覚の『日本会議』構成員、『神社庁』とか『神社本庁』な。
「庁」って何?庁って、何さまのつもり??
で、
アメリカ:
まだか?まだなのか?どんくせえのか狡猾なのか、どっちなんだ?おい、ジャップ、はよ せえよ!!はよ契約と約束まもれよ!!もう80年たつんやぞ(イライラ)
…
てなわけで、
幾重にも張り巡らされた強大な「網」の上を這い登り、中心点、せめても、その近傍までは行きたい野党も、必然的に、「第二」や亜流に ならざるを得ない。
あちこち動脈硬化を起こしている、この「網」を破ることが、どれほど困難なことか。
破るよりも、勝手に自滅し、腐れ果て、朽ちていくのを見ているしかないのだろうか。
すでに、「投票」や「政権交代」でも、どうにもならなくなってるのでは なかろうか。
そうして、よろずに不勉強で、蚊帳の外に置かれたまま茹であがってしまった国民大衆は、「悪名は無名に勝る」を唯一の判断の よすがにするか、
「どうせ、選挙に行ったって、何も変わらん」
「どの政党が、誰が政権に就いても、何も変わらん」
と、フテクサレつつ、せつな せつなに浮かれるだけの老若男女。
このまま、笑ってるか泣いてるのだかワカラン顔して、国土の荒廃とともに、国家権力とともに朽ちていくのだろうか。
日本という国の宿痾は、深く深く、深い。
【続く】