忍者ブログ
とりあえず、ひかりのくに
     
<< | 2025年07月 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 | >>
[756]  [755]  [754]  [753]  [752]  [751]  [750]  [749]  [748]  [747]  [746
Updated   
2016.01.09 (Sat)
「ネトウヨ」=「対案厨」wへ言っておく

の続き。

 

「人権」思想というものを、自民党、特に、現政権の連中は拒否してるという話を、どこかの記事で読んだことがあるけど、
だから、彼らの憲法草案にも、そのへんのところが陰に陽に反映されているということだ。

 

民主主義と人権思想とは、根本的に切り離せない。

 

このへんのところを見ても、いかに、この連中が、基本的な哲学的素養も、それに ついていけるだけの知性もないことかが、いっぺんで見抜ける。

 

日本会議』あるいは旧『生長の家』たらいうところの信仰対象の一人だという岡 潔について、ある批判者が言うとおり、
冷静な論理的思考の基本が、きちんとできているうえで、「情念」とやらの重要性を敢えて説くのなら、まだ許せる。

「反知性」か何か知らんが、

反するだけの知性そのものすら、もとから備わってない者どもが、嗤わせるな、つうの!

 

だってね、

人権思想というものは、「普遍」思想なのであり、したがって、

条件付けして認める認めない、

たとえば、あいつには認めないが、こっちには認める、といった、
勝手つごうのいいものではないのだよ。

 

「自己責任」というのも、同じようなことで、

先日も言ったように、完全な「自己責任」となると、国家も政治も、司法も裁判すらも不要だわな。

 

自民党議員や現政権の閣僚たちが、「人権」思想を認めないというのであれば、それは、とりもなおさず、

自分たち自身の人権も放棄しなければならない

ということに他ならないんだけどね、

そういう覚悟なんざ、もとより ありもせず、それ以前に、

そこまで考え及んですら いないだろうね、たぶん。

「反知性」ならぬ「無知性

子どもっぽい、おつむ浅薄な俗物揃いだから。

支配欲だけが、人並み以上ときたもんだ()

 

 

知っている人が、どれほどいるのだろうか、

私が、むかし、何かの記事で読んだ話だが、

たしか、李王家に嫁がれることが、ご本人の あずかり知らぬままに決定されて、厭も応もなく、その日が近づいてきた或る日、宮城に出向き、
報告に上がった華族だかの令嬢が、
謁見した、ときの皇后から、いかにも口先だけの励ましを賜ったおりの、その憐れむような蔑むような口調と表情がショックで、のちのちまで脳裏に残ったという。

 

もともと、天皇家の人たちというのは、そういう感覚だろう。

いまでは、とうの昔から、「特別な お血筋」というわけでさえ なくなっているし、

私の眼には、

「江戸時代から漬け込んでいます糠みそ」自慢くらいの奇異でしかないのが正直なところだw

 

 

「人の上に人を」拵えるということは、

「人の下に人を」拵えるということでもある。

 

ここから脱皮できないうちは、
いつまでも、精神の後進性を保ち続けたままだ。

したがって、

現在、「人の上に」立っている人と、「人の下」と見做されている人には、皮肉にも等しく要求されてきた待遇というものがある。

それこそが、人権にかかわる問題なのだ。

 

愚衆には、そこが見えず分からず、

この愚衆を徹底的に管理することで利用せんものと虎視眈々、舌なめずりしている支配層と。

これが、こんにちまで変わらぬ日本の愚かな本質である。

 

 

あなたが今、生きていられるのは、ほとんど偶然の流れに過ぎない。

自分の力、努力だけで生きていると思っていて妥当な存在など、一人も いない。
溶けて流れりゃ
皆同じ、
吹けば飛ぶような存在に過ぎない。

 

死ねば、骸がミクロの物質になって、やっぱり、この世の塵として留まるばかり。

ひとえに風の前の塵。

 

 

PR