2014.02.09 (Sun)
珍しい名字だから、たまたま同姓の人も肩身が狭いんじゃなかろうか。
私みたいな障害者の端くれにとっても、ほんとに、傍迷惑な事件だ。
「審査を厳しく」「毎年更新しろ」なんて言う、無責任の塊りみたいな連中が、この騒ぎに乗じて、またぞろワラワラ湧いて出て来て、ネットで下衆な意見吐きまくってるけど。
そんなの現実化したら、こちとら、いよいよノイローゼだわ。
ただでさえストレスフルなのに。
日本では、障碍判定も、なかなか厳しいほうなんじゃないの?
いいかげんにしてくれや、無責任な下衆ども
なぜかと言うとね。
あのさぁ、聴覚検査って、よく知らない人たちが思い込んでるようなカンタンでラクな検査じゃないよ、少なくとも、受ける側の私にとっては。
「ああ、聴こえないな、、、まだ聴こえない、、、まだまだ聴こえないぞ、、、あ?お?おっと!」
と思ったときには、すでに遅し。
耳のなかを、ガーーーン!!!!!!
と、思いっきり殴りつけられたみたいな衝撃を感じて瞬間、
目から火花、あたまクラクラ、ナミダぼろぼろ、
やっと検査室から出るときは、全身冷や汗ビッショリ、手は ぶるぶる震えて、ふらふら~。
私にとって、聴覚検査は、本当に痛いので怖いものの一つなんです。
ついでに言うと、
補聴器つけるのも、なかなか苦痛を伴うのだよ。
あまり役に立たないときてるし。
全聾は ともかく、聴覚障碍にも、細かいランクというものがあり、
たとえば私は、特定音域については全く聴こえないのだけど、その音域以外では、音声そのものは聴きとれても、何を言っているかが分からない(「明瞭度」)、という特徴があるように、その人によって内実は微妙で様々だが、
実際に、どの程度の級に当てはめるかは、かなり大雑把な診断でしかないのは事実かもしれないと思う。
検査は、ヘッドフォンで送られてくる音が、だんだん大きくなっていき、本当に聴こえた時点で、すかさず、ボタンを押して知らせるわけだけど、私なんか、検査でサンザン怖いめに遭ったのがトラウマになってしまってるんだろうけど、聴こえてもないうちに、ついつい、早め早めに押してしまうんだぜ。
ましてや「全聾」ともなったら。。。わかるでしょが?
もっとも、私自身も、全聾の状態についてとなると、その検査方法とか、よくは知らない。
同じ「聴覚障碍」と言っても、これが現実。
むしろ、全く聴こえない、見えない、というなら、健常者ですら、あるていど想像は つくだろうけど。
ちなみに、
私も乳児期の薬害によるものだそうだから(専門医が見れば、検査結果に、マイシン薬害の特徴がハッキリ出てるということだった)、部分的とは言え、りっぱに?言語障碍も伴っている。
だが、先日も述べたように、
親の厳命で(←ミエねw)、必死に健常者のフリしてきたから(今回の「佐村河内」事件とは真逆w)、手話どころじゃなかったわけ。
ちなみにちなみに、
生まれたとき、近所のオジサン、オバサンたちまで参加して喧々諤々、なかなか名前を決めてもらえなかった私に、母は当初、「聖」と名付けるつもりでいたらしい。
私は、その話を聞いたとき、
「だって、耳に口に、王だよ?」
と呆れたw
もし、現実に、その名前に決定していたら、後年、お笑い話になってたはずww
恐らく、この「佐村河内」事件では、佐村河内さんの検査と診断を担当した専門医についても、調べが必要なのかもなあ。
それにしても、NHKが宣伝した影響が大きかったということなんだそうだが、さもありなんか、と思ったわ。
なんせ、あの始末の悪い「OKウェイヴ」を、これも持ち上げ宣伝したそうだからなw
まじで、いっぺん、NHK解体したほうがいいのかもww
このことも、インターネット内における「ナリスマシ」等を対象に、以前から私は ずっと指摘してきたことなんだけど、
自分自身が、その立場にあった経験・体験なくして、しかも、
何らかの立場にナリスマシや詐称したうえでの活動を行うとしたら、実際に、その立場にある人々に、いずれ大迷惑を及ぼすということ。
これは、障碍関係に限ったことではなく、どんなことにも言えるだろう。
http://schneewittchen.7narabe.net/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%80%8D%E3%80%90%E7%B6%9A%E3%81%8D%E3%80%91
――フィクション――「私は共犯者」【2】
http://schneewittchen.7narabe.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%80%8D-%E7%B6%9A%E3%81%8D%EF%BC%92
http://schneewittchen.7narabe.net/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%80%8D
2014.02.09 (Sun)
私の旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes”にて、ごく初期の頃にアップした、数年前のエントリーなのだが、最近の騒ぎについて述べた これらのエントリーにも関連している内容になっている。
旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes”
「鬼畜系」自体は従来からあると思うんだが 2010/07/24 12:07
シッカリと「本」の体裁になってて、こういうことが起きる。
だったら、なおのことだ。
「しょせんバーチャル」というネット世界であれ、いわゆるリアル日常であれ、人に及ぼしていく影響とは、どのようにして起こるのか。
『作家の村崎百郎さん殺害される 練馬区の自宅で』
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/419534/
この作家さんのことは、きょうまで全く知らなかった。
ザッと調べてみて、根はマジメ過ぎるくらいマジメというか、潔癖過ぎるくらいの精神の人だったのではないの?とも思えたけど。。。
例の「首都大学どブス事件」といい、近頃、私にとっては、ある意味で引き合いに出すのに好つごうの事件が立て続けに起きてきている。
代償行為としての勉学・学問知識や、また、自称「芸術」が、他人を傷つけたり貶めるための道具になりかねないということ。
なぜ、こういうことが起きてくるかを、実は、ずっと考えてきていた。
いずれ、このことについて書いていくつもりでいる。
そして、
いわく「徳を積む」ということイコール「ポイントを稼ぐ」ことだと考えるような、まさに短絡的思考回路についても。
年がら年じゅう、哲学関係の書物を読み漁ってる、「要領の良い」ことが自慢(!)の優等生の あの人たちも、少しは、こういうこと考えてみたら どうなのと思うんだけど。
(まあ、要領の良いことを自慢してるようでは、本質的には不まじめで短絡的なんでしょうかね。)
カテゴリ:事件です > 事件 フォルダ:カルト・サイト関連
2014.02.07 (Fri)
http://schneewittchen.7narabe.net/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%80%8D%E3%80%90%E7%B6%9A%E3%81%8D%E3%80%91
――フィクション――「私は共犯者」【2】
http://schneewittchen.7narabe.net/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E2%80%95%E2%80%95%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E2%80%95%E2%80%95%E3%80%8C%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%85%B1%E7%8A%AF%E8%80%85%E3%80%8D-%E7%B6%9A%E3%81%8D%EF%BC%92-
私の旧ブログのほうの玄関口にも載せてある、三木 清が いみじくも喝破した
~
感情は主観的で知性は客観的であるという普通の見解には誤謬が ある。むしろ その逆が いっそう真理に近い。
感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである。
真に主観的な感情は知性的である。
孤独は感情でなく知性に属するのでなければならぬ。
~
というコトバをも思い出すのだが、
感情や感動を強制するなんてことは、ことに芸術作品においては、ナンセンスこのうえもないことだ。
また同じく、肩書やらネームバリューやらブランドやらに、代わりに判断してもらうのも、同じくナンセンスだろうにと思う。
私なんかは、しょせん、どの世界でも、およそ専門性というものから遠いので、何を見ても聞いても、結局は自分の好み(共感に近い?)で判断するしかない。
100円ショップで買ったものでも、世界最高級ブランドのものでも同列、自分で気に入ったか どうかが全てなのだ。
私の住まいには、何十万円のものと100円のものとが、平気で肩を並べて鎮座している。
どちらも同じくらい好きなのだよ(笑)
前以って、どのようにアリガタイ講釈を聞かされても、自分の性に合わなければ、やっぱり処分してしまうし、だけど自分の感性とか感覚に自信があるというのでもない。
だって、好きくもないものと ひっついてるの、苦痛なんだもんw
一般的にも、ほとんどの人は、そんなとこじゃないかと思うのだけどな。違うのかなあ?
聞かされていた肩書とかブランド性が高いものであったほどに、自分で直に接してみて、これは違うわと思ったときの私のゲンメツ度は大きい(苦笑)
私の身内にも いたよ。
かなり美意識が つよく(いわゆる上流社会の人々によって、鍛えられてもいたが)、もともと本人のセンスも良かったのだけれど、結局のところ、そんな自分自身の好みよりも、世間の定評とかブランド性に頼って最終判断していた。この最終点が、私とは真逆の人だった。
このたびの騒ぎに、かつて、朝日新聞の連載小説で読んだ『讃歌』(篠田節子)という作品を思い出した。
↓篠田さん御本人の、興味深いインタビュー付き。あとで、私も読んでみる。楽しみ。
さて、まぁ、「玄人」好みだとか、シロウトは解り易いもの、取っ付き易いものから入ってしまうのは仕方ないのだろうし、
「ウマヘタ」と「ヘタウマ」の違いは、という議論まであるけれどw
ただ、背景に関する深い知識があれば、それに助けられて、その対象の意味を、より深く察し、理解できるということは大いにあると思う。
だが、音楽なんて、まさに、「知識」や「理論」が本来なのか?という疑問もなあ。。。
こういうのに正答なんて、あるんだろか。
文章世界もそうだし、
スポーツ、体操の世界にも、類似の問題はあるようだ。
「スチャラカさん」の愛称で、日本人にも大人気だったという、往年の女子体操の名花、チャスラフスカ女史。この人を、うちの軽薄おやじなんかは、「毛唐(←!w)とは言え、あれは女らしくて良い!(←鼻の下!w)」とか言ってたもんだわww
このチャスラフスカ女史が、あのコマネチ元選手を批判していた記事を読んだ記憶がある。
もちろんのこと、女史は、その道のプロ中プロの立場だ。
美意識の高低というものも また、リクツだけではなかろうし。
何に対して感動するか しないかということにも、おのずと、その者のレベルは現れてしまうのも確かなのだろう。
とにかく、ないものねだりはナンセンス、ということだけ断言しておくわwww
2014.02.07 (Fri)
実は私も、いつだったか、だいぶ前に、産経の記事が切っ掛けだったが、旧ブログのほうで、くだんの佐村河内氏の作品を とりあげたことがあった。
その音楽作品自体は、ふだんの自分の好みではないものの、なかなか迫力があって、これは これで良い作品じゃないかと思った。くだんの人の障碍云々とは別の、いたって単純な個人の感想。私は、クラシック音楽に詳しいわけでも、特に親しんできたわけでもないし。
まあ、いわゆる「現代音楽」ってのは、何かと胡散臭い話題が付きものというイメージもあるんだけどさw
私自身、幼児期の薬害による聴覚に障碍を持っているが、私の場合は、左右で若干の差もあり、全聾までは いかないので、まあ普通に聞(聴)きとれる場合と、補聴器を使用していても、まったくダメな場合とのムラが激しい。そこが、周囲からの誤解の原因にもなりやすかった。
聞こえてるふりを したことは多々ある。
私の場合、親の命令で、基本、健聴者として生きてきたから、相手に、気を使い過ぎて。だから、疲労蓄積も激しいわけ。
「聴覚障害2級」ということだと、ほぼ全くと言っていいほど聞こえないのではないの?
佐村河内氏の場合、全聾とはいえ、もともとは聞こえてたという話だったので、そういうことも可能なんだなあと、単純に感心するばかりだった(苦笑)
新垣氏のほうにも、不審としか言いようのない点が幾つもあるけど。
最初から「私が作曲しました」と言えば済むことなのに。
まあ、たとえば、全盲の人が、名画を描きあげた、とかね(苦笑)そりゃ、一種のミラクルですわなw
そこに何の必要性があったのやら分からないが、こういう、殊更ややこしい細工をしないでいられないひとの心情というのが、「ストレート プレイ」(←「フィロトピア」のメンバー、名付けて「カルト連」からの蔑称w)な私には理解し難い。
ただのヒトに対して、イメージだけでもと、完全無欠を求めてやまない。いまだに天皇制を戴く国民性ゆえもあるのだろうか?
いわく「作品と作者(または現実)は切り離すべき」
再び三たび言うのだけれど、さあ、これって、どうなのだろうか?
小説の場合は特に、作品と作者(または現実)を切り離してもらいたいと、実は作者自身が望んでいないのではないのかな?w
江川紹子さんは、かの「オウム真理教」を連想したというのだが、
~しかし、現実よりも、過去の情熱が共感し合えた時を引きずって、普通であれば、異常に感じることも感じなくなる、考えるはずのことを考えなくなる状態が続いたのは、単にプロデューサーと制作者との関係では済まされない、何かがあったのではないだろうか。その「何か」はよく分からないが……。
~
~
それは、必ずしも苦痛ではなく、指示をよりよい形で実現する喜びのようなものもあっただろう。自分がやっていることを自覚できないまま、「指示されるがまま」に曲を書き続けてしまった、という新垣氏のコメントは、自分の仕事の結果が何をもたらすかについて関心を持たなかった信者の状況を、ほんの少しばかり彷彿とさせる。
~
ある面、「ナチス」も然りかな。
私としては、あはは、littlekiss(にゃんこ~!)の、あのセリフを、またまた思い出したw
「ボス(stomachman)とは共犯関係」なのだと、あの潰れてしまったサイト「フィロトピア」で、頻りに言ってたっけなあ。
だから、「何の共犯関係?」と私は質していたんだけどね。
延々はぐらかすことしかしないもんで、あそこでの時間まるまるムダになった。
ここでも私が真っ先に思ったのは、
そもそも、佐村河内氏の目的とは如何なるもので、
恐らくは「墓場まで」の話だったのだろうに、なんで今ごろ、こういう真相が発覚に至ったの?
報酬700万円ほどとは、相対的に高いの安いの?ってことなんだけど。
これらのエントりー内容とも、決して全く無関係の話ではないだろう。
~
会見での言動を見ている限り、新垣氏は生真面目で誠実で、金銭欲や名誉欲や権利意識が希薄で、執着も薄く、自己主張が弱く、そしてあまりに浮き世離れしていて社会性に乏しく、音楽の世界だけで生きてきた、という感じがした。きっと彼は、人の善意を信じてしまうタイプだろう。彼に教わった音楽家たちは、口々に彼が本当にいい先生だった、と言っているようだ。そういう善意の人だからこそ、なおさら、佐村河内氏の全聾を装うことについても、その意図を疑うこともなく、深く考えることもなかった時期が長いのではないか。善意が無自覚を生んでしまったと言えるかもしれない。
疑うこともなく、深く考えることもなかったのは、1人新垣氏だけではない。ドキュメンタリーで記譜する場面を決して撮影させなかったのは、「おかしいな」と気がつくきっかけになると普通は思うが、スタッフはそれを疑ったり確かめたりしなかった。佐村河内氏の「物語」はいつの間にか「神話」になっていたのだろう。メディアにいて彼を取り上げる人たちは、「神話」を受け入れつつ、それをさらに増幅して、多くの人たちに届けた。音楽評論家の中にも、佐村河内氏を激賞して、「神話」をさらにグレードアップする役割を果たした人もいる。
~
あの「カルト連」の場合、「OKウェイヴ」会員たちのなかにも、水面下でナリスマシていたとか自作自演とか、それ以外でも、ある程度、裏を知っていて結託していた者もいると思う。なんせ、ネット自体に新参だった私とは違って、ネットそのものにも、あの「OKウェイヴ」でも、最も古いクラスの会員たちだ。
私は、インターネットでの問題にも、こういう点は大いに共通点を指摘できることだと思ってきた。
私自身にも、江川さんが、ここで推測している新垣氏のような面の個性は多少ある。
ただ、私の場合、あの連中と多かれ少なかれ関わっていたあいだ、自分に何らかのメリットはあったか?というと、真逆はあっても、メリットと言えるものなんて一切何もなかったし、その分もあってか、連中の欺瞞に気づくのは、わりに早かった。
したがって、問題の拡散を、たった一人で危惧し始めるのも早かった。
まあ、なんだか「カサンドラ」みたいだけどさ。
ちなみに、これもオモシロイねえ。
「イザ!」ブロガーの一人だった「レッドフィールド」さんとか、シマウマのプロフ画像を使ってたりとかw
【続く】
2014.02.07 (Fri)
『佐村河内氏から「ソナチネ」送られた少女の父「深く心に傷」』
[ 2014年2月6日 17:35 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/06/kiji/K20140206007531970.html
聴力を失った作曲家で「現代のベートーベン」と呼ばれる佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏(50)が、実際は曲作りをしていなかった問題で6日、12年に同氏から「ヴァイオリンのためのソナチネ」という曲を送られた、義手の少女バイオリニストの父親がコメントを発表した。
佐村河内氏が約5年前、テレビで少女を見つけて、コンタクトを取り交流が始まったという。そして、12年に「ヴァイオリンのためのソナチネ」を送られたという。
少女の父は、佐村河内氏が桐朋学園大非常勤講師の新垣隆氏(43)氏に作曲を依頼していたことことを知った時「大変衝撃を受けました」といい「5年もの長きにわたり、信じ切っておりましたので、憤り、あきれ、恐怖すら覚えております」と怒りを露わに。
ただ「娘は、佐村河内氏から格別の厚遇を受け、素晴らしい曲を献呈いただいたり、コンサートに出演させていただくなど、様々な恩恵を授かりましたので、それに関しては大変感謝しております」謝意も。
しかし「ここ1年ほどは、絶対服従を前提に徐々に従いがたい要求を出されるようになり、昨年11月に、“服従できぬ”と回答しましたところ、大いに怒りを買い、絶縁された状態になっております」と語り、現在は交流がないことを明かした。
娘については「深く心に傷を負っている」といい、「5年もの間気付いてやれなかったと、親として後悔の念にさいなまれています」と娘を思いやった。娘のファンらに対し「ご心配をおかけしたり失望されたりしたかと思うと、大変申し訳ない気持ちです」とわびた。
「娘がまだ、バイオリンを弾き続けたい」という気持ちがあるといい「ヴァイオリンのためのソナチネ」そのものには愛着があるとして「この後も真っすぐ育てて行きたい」と親心も見せた。
最後にソチ五輪フィギュアスケートSPで「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用する予定の高橋大輔選手(27)に対し「どうか今回の件に惑わされることなく、健闘されますことを心から祈っております」とエールを送っている。
「bragelonne」なんかは、
(↑「OKウェイヴ」「顔本」等でも日比野暉彦と名乗ってて、一応?w作家の城島明彦氏の古い友人なのだそう)
「傷つくほうが、悪い」
つってたがなあw
発覚した佐村河内氏と新垣氏の関係は、まさに、小説家と編集者の関係性に共通しているようでもある。
ちなみに、今回スクープしたという「文春」というのも、上記の城島氏との縁が古いとこらしいよねww
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/06/kiji/K20140206007531070.html
聴力を失った作曲家で「現代のベートーベン」と呼ばれる佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏(50)が、実際は曲作りをしていなかった問題で、ゴーストライターを務めていたと公表した桐朋学園大非常勤講師の新垣隆氏(43)が6日、都内のホテルで謝罪会見をした。
新垣氏は「佐村河内さんと出会った日から18年にわたり、彼の代わりに曲を書き続けてきた。私は佐村河内さんの共犯者です」と告白。「何度もやめようと言ったが受け入れてくれなかった。曲を書かないと自殺すると(佐村河内氏に)言われた」と生々しいやりとりも明かした。
また、フィギュアスケート男子日本代表の高橋大輔が「ヴァイオリンのためのソナチネ」を使用していることに絡み、ソチ五輪の前に公表するか苦悩したと言う。だが「このままでは高橋選手までウソを強化する材料になり、五輪の競技後に発覚した場合、高橋選手が戸惑い、偽りの曲だったと世界から避難されると思い」公表に至ったと説明した。
[ 2014年2月6日 14:48 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/06/kiji/K20140206007532140.html
~
「私は佐村河内さんの共犯者です」とした新垣氏。「最初に、耳が聞こえないのだと言い出した時は戸惑いました。その必要があるのかどうか(疑問だった)。でも、それはこのような環境に立つための方法なんだと私は了承した。彼は自分のキャラクターを作り、世に出した。彼のイメージを作るために、私が協力をしたということだと思う。私にとってもゴーストライターとしての役割を果たすためにはそれ(実は聞こえるという事実)が知られてはならないので、なるべくそれがやりやすいような状況を望んでいたのは否めないです」と自らも「共犯者」として偽りの片棒を担いだことへの思いを語った。
[ 2014年2月6日 17:49 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/02/06/kiji/K20140206007532280.html
~
2人の出会いは18年前。「彼とは知人を介して知り合った。彼が映画の音楽を担当することになり、オーケストラ音楽を作れる人を探してほしいということで、私のところに連絡がきた」。佐村河内氏が注目されるきっかけとなった01年発売のゲームソフト「鬼武者」の解説書には「佐村河内氏が長野でたまたま新垣氏のコンサートを聴きに行ったのが出会い」と書かれているが「あれはフィクションです」。
当初は「アシスタントとして映画音楽を作るためのスタッフの一人として問題を感じていなかった。それがある時期から“自分は耳が聞こえないんだ”という態度を世間に取り出して、彼の名前で私が書いた曲が発表されることは非常に問題があると思うようになった」。しかし、その後も書き続けた。「昨年5月にピアノ曲を提出した時に、もうこれ以上はできないと思った。そこから7月に直接や続けることはできない、やりたくないと伝えた」
最後に会ったのは昨年12月15日。「12月にもう一度(公表することを)要求しましたが、それはうまくいきませんでした」。佐村河内氏の楽曲ほぼ全てを新垣氏が制作。真実の佐村河内氏は「譜面は書けません。(ピアノ演奏も)初歩的なピアノの技術のみ。実質的にはプロデューサーであった」という。テレビのドキュメンタリー番組は楽曲を作り出すために苦悩する姿なども映し出されているが、「彼がどのような気持ちであのようなシーンを撮らせたのか、私にはわかりませんが、(演技だと)私は思います」と話した。
[ 2014年2月6日 20:11 ]
…
「ないものねだり」の典型としか言いようがないなあ(呆)
こんなことのために、同様の障碍を持つ等、無関係の人たちまでも、ネガティヴな印象に巻き込みかねないではないか。
【続く】