2025.06.15 (Sun)
『【続】最近、むかついたことの羅列w』の続き。
さて、話を戻して、
男女差別ダメだから!というのを高々と掲げている人たちに、もう一度、言っとくよ。
門地差別は温存してもイイわけか?
ほれ、ちゃんと答えろやw
どこかで見かけたが、「男女差別を認めていることへの違和感」と言うが、じゃあ、門地差別に違和感は感じないわけだ(嗤)
私はね、門地差別こそが、最大の違和感です!
「男系」であることを要請する理由、それが見せかけやタテマエに過ぎないとしても、少なくとも、祭祀の伝統に関わるからという理由が、いちおうは あるだけ、まだマシだ。
でも、ある特定の家に生まれた子、それだけで要件を満たせるって何?
男女関係なく、優れているに決まってる家系だからなの?(嗤)
むしろ、もっと酷い差別やん(嗤(嗤)
『立民』の野田さんとか山尾さんだか菅野さんだか、その他の政治家も、まことしやかに述べているらしい、あくまでも男女に関係なく、とにかく「世襲」という形式の一点のみ継続すれば、それで よいとするのは、『日本国憲法』の視点からの、「男女差別はダメ」という単純な主張ゆえなのだろうが、それ以上に問題が深刻な「門地差別」のことは無視、それどころか、この温存を自動的に図っていこうというのは、国民をペテンに掛けているに等しいと思う。
こんな稚拙なペテンに引っかかる国民大衆も、そのレベルの知性だがな。
ましてや、
「世襲の伝統を守るため」などと、こんなトンチキ理由は、噴飯ものであり、言語道断。
…
昔からね、「終わりが近づいている」古い家柄には、どういうわけか、女児ばかり生まれる傾向になってくるとは聞いていたけど、
そもそも、現代の『天皇』に繋がっているとされる血筋『伏見の宮』系ってのは正統から外れているとする説とかも あるし、『南北朝』の経緯とか、まあ、ややこしいやらアホらしいやらで、私には、そこまでの関心は持てない。
ま、さしあたり、次代の確保は できているようだし、それ以降ともなると、だいたいのところ、それこそ「数十年後」の話になるでしょ。
いまより もっと、一般国民の無関心はアタリマエになろうし、なにごとも、終わりの時は来る。
男児が続かない、んじゃ女子で、と、じたばた抗ったって、むだな努力。
さっさと『共和制』に移行。もしくは、『ips』に賭けますかねw
とにかく、民衆がアホ大多数では、話にならんのだから、そこを どうするかのほうが、もっと ずっと大事。
他国の『王室』などは、「革命」などと、えげつなく残虐な刑を以て、強制的に絶えさせられたりしてるわけでね、それと比べりゃ、静かに終えられるのなら、むしろ幸いというものよ。
あっ、
広島県の知事が、よりによって、「日の丸」チョーチン『日本会議』の名誉会長に おさまってたことが発覚したな。
それも、余計な名簿提出だのだけでは済まず、
『公選法』違反問題までズルズル出てきた。
米軍基地外での、日本の市民に対する紛れもない威嚇、
そして、この『日本会議』との癒着問題、
なぜ、もっと大きく知らしめて追及せんの?
ほとんどの国民は、知らないままか、知っても無感情なんでしょうかね。
『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』、ならびにウヨどもなんぞ、私は見離しきってるから、ここは野党各党、左派、リベラル、そして、まず報道各社。もっと しっかりしてくださいよ!?
2025.06.15 (Sun)
『最近、むかついたことの羅列w』の続き。
大学で教鞭とってますてな識者や学者も、「体たらく」。
ましてや、胡散臭い週刊誌か月刊誌か知らないが、私は、その類はハナっから読まずにスルーすることが多いので、内容までは知らないものの、見出しの低劣さぶりから推して、読んでも、時間がムダになり、不愉快になるだけと踏んでいるけど、
一般の国民大衆ときたら、何も知ろうともせず、わかろうともしないままで、単純に、「『女帝』の姿を見てみたいから~」と、なんともノーテンキな、ふわ~っとした感想だけ。
こんな無理くりを体現したような、アクロバット憲法を、それこそ押し付けられたままで、とんと疑問にも思わないのが、この国の民衆の知性レベルだ。
近頃、たまたま、『皇室』の研究者だか崇拝者だかが、現状のことは辛うじて認めつつも、「数十年後に、いまより もっと、『皇室』への関心が高まるようであってくれたら~」みたいな、哀しき願望を唱えていたようだがw残念ながら逆でしょうよ。
いまから数十年後には、いまより もっと、ガタガタに無関心になるだろうと予測するのが妥当ってもんじゃないですかね?やれやれ、なにを眠たいこと言ってはるのやら(嗤)
日本の市井人の知性を、いつまーでも舐めていられるものと思ってるんだろうかwwそうかもしれんけどさwww
ま、現実に、あるよね。
『皇室』の名前と存在が儲けのネタになってる各業界とかさ(嗤)
国民大衆全体で見れば、どちらかと言えば、その連中のほうこそは少数層かもしれないのに、なんせ、組織だって活動してるからな(嗤)実際よりも、多数層のように見えてるということも あろうし、
まあ、結局、新聞社を始めとしたマスコミの商売上の都合とも大いに合致してるわけで(嗤)
その商売や儲けのために、国民全体の知性と品性を犠牲にしているのだよ、自覚してまっか?(嗤(嗤)
で、きちんと答えてくれないかな?
男女差別はダメだけど、門地差別は不問で良しと思っているらしい、学者やジャーナリストさんたちよ。
特に、一般の国民を代表しているはずの議員さんがたよ。
無用に中途半端な「左」系のほうが、「右」や「右翼」以上に、よっぽど、『天皇・皇室』制度を堅持したがってるように見えると言われてしまってることも、自覚しているのかね?
私は、『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』政権のままでは、『天皇』の地位に関することだろうが何だろうが、とにかく、ほんの一ヵ所でも変更されたら、憲法上の他の箇所も、なし崩しで変更されていきそうな危惧が本音に あるからなのかなと察してきたけど。他に理由ある?
「国民の総意」とやらに加えてもらった覚えなんぞ一度もない私としては、きみょうキテレツな『天皇・皇室』制度を含むアクロバット的歪さは酷すぎて、もうちっと、どうにか してくれんかな、あたま痛くなってくるし、すっきり『天皇・皇室』制度廃止してくれたら、それが いちばん良いのだが、とは思っているけど、だけれども、
このことも、過去エントリーで再三、述べているように、あのテの人たちには、「悪い虫」が付きやすいからねwそこから、新たな政情不安や治安の問題が起きかねないから、敗戦後の『日本国憲法』にハリツケみたく掲げてあるのも理解できないでもないと、そう思うわけ。
実際、『天皇』の存在は、戦争の要因にもなったから。
「四方の海 みな同胞と思う世に」などという『明治天皇』御製に、『昭和天皇』が「反戦の意」を込めたというけれど、これまた、どうやら、もとは中国の皇帝由来のようであり、私のチョイいじわるな見方では、うっすら微かにウヌボレの匂いさえ滲み出ている感も なくは ない。
「現人神の足もとに おいては、全員、平等」であるのに、というふうな。
なんせ、かの「同化政策」「皇民化政策」つうのをゴリ押ししていったわけだから。
そして敗戦、この現代。
「籠の鳥つらい」だの「おかわいそう」てなことを言い放ってるところを見たら、不快さ いや増しです。
だったら、人権侵害だー!なんて叫ばれるよううな制度を、いつまで続けるの?ってことよ。
いっそのこと、まともな食事も できずに、餓死していった、いま、この時代の底辺庶民の生活を体験してみますかね?と。
たしかに、望んで、その家柄に生まれたわけでない(『梨園』とかの伝統芸能の家もね)、全く社交的でもないタイプの人には、あちこち「お出まし」という名のドサ回りとか憂鬱だろうなあとは お察ししてるけれどもw
私は、そんなことを強制した覚えもない。
実のところは、『天皇』さん『皇族』さんたちには「人権が認められてない」というほどのことでもないでしょ。
あるていどの制限は あっても、しかたないし、一切なしとなると、それこそ不合理だもの。
思いきって、たとえば、外国の要人とのパーティやら祝宴なども、『天皇』さんと『皇后』さんとの、せいぜい御夫妻だけで出席されたら どうかしら?ww
考えたら、選挙で選出されてもないのに、ご一族ぞろぞろと、外交の場に出ていただくのもヘンな話だ。ただの形式的なことであるということにしても。
いろんなイベントの類も、もっと減らしていいのではと思いますけどなw
何らの効果もないわりにはw過酷であると聞いている「お祈り」儀式のみに専念していただいたら、ご負担もグッと減るでしょうww
ああwそう言えば、
かつて、『産経』系のブログ サイトでブログやってた頃に知ったことだが、たしか、例の『日本会議』の構成員である、どこぞの大学のセンセイらが、そういうふうな主張してたなあww
「菊のカーテン」の奥にジッと静かに籠っていていただくのが最も望ましいってよwww
あそこの宣伝広告塔みたいな存在の、「櫻井」なんとかいう人も、アメリカの大学を出てるんだっけ?やっぱりなって感じするわねwwww
国民の基本的権利の一つと設定されている「選挙投票権」にしても、別の角度から考察すると、この権利から外されていることは、むしろ、責任に直面させられ、追及されることを、大義名分のもとに、良いほうへ回って避けていられるわけよ。
「万機公論に決すへし」というのも、そうでしょ。
だからこそ、「国民が望んだからだ」というセリフも言い放てる。
だいたい、つごうのイイ「神話」という作話で飾りたがるのは、古今東西に共通した野心家や権力者のパターンだけれど、やっぱり「自己愛性」なんだろうねw
私個人は、わざわざ、作り話して、何が楽しいのやら、作り話を聞かせた相手の反応を見るのが楽しいという感覚も、いまいち分からない。だからかな?小説家に向いてないのはw
『韓国』ガーの連中は、歴代『天皇妃』のなかに、はっきり朝鮮半島出身者が いることも無視しているし(嗤)、
たぶん、『韓国・朝鮮人』の特徴的傾向が あるのは本当だとしても、日本人も負けてないですやん(嗤)よく似てるやん(嗤(嗤)
私の推察では、最初の『天皇』なる人が、現代の『宮崎』県あたりから云々という説よりも以前に、朝鮮半島から日本列島へ渡海してきたのであっただろうと考えていて、すでに、先住民が住み着いていたのを、中国大陸から得た最先端技術(金属加工など)を持っていれば、つまりは『アメリカ』の出発点と同様のパターンで、先住民を追い散らすのも容易かったことだろうし、進出域を広げるにつれ、その地の先住民との混血も進んでいったのだろうと。
しかし、実際には、推察していた以上に、半島と列島の あっちと こっちで、互いに行ったり来たり住み着いたり、様々に交流が繰り返され、もちろん、私らも、歴史の授業で教わったとおり、当時の『皇族』と、半島からの「渡来人」は、じつに、ルーツを同じくする身内や親戚どうしであるように親しく交流し、婚姻も している。
以前にも触れたが、さすがに地続きだけあって、中国大陸と朝鮮半島との「血の交わり」は、日本との それよりも早くから深く浸透していたので あり、そうして、日本列島に おいての血の交わりも、現代の私ら一般人の浅い知識からや想像では及ばないほどの、密なものであったらしい。
それを、なにを「韓国ガー」だか(大嗤)
まあ、もっとも、私は、在日の『北朝鮮』系の投稿コメントが多いのかもな?とも睨んでますけどw
だって、『北朝鮮』に対する批判や非難よりも、どういうわけだか、やけに「韓国ガー」のほうが、圧倒的に多く見かけてきたからですww
それも、『北朝鮮』に対しては、主に国家体制や権力者についての批判や非難が多いが、『韓国』のこととなると、その政界や為政者のみならず、一般の韓国民についてまでも、一様に口汚く嘲笑するコメントが多いからねw
【続く】
2025.06.15 (Sun)
まずは、
神奈川県下における、いたって平和的な市民の平和デモ行進を睨んで、米兵が、小銃を携えて、キチガイ、おっと基地外の歩道にまで出て来て、要するに、威嚇行為に及んでおったという。
一読して、トランプ政権のトバッチリが、やっぱり、日本国内の、こういう場にも影響しているなと、真っ先に思ったが、
なさけないことに、相も変わらぬ「ヤフごみ捨て場」のヤフゴミん、なかんづく、えせウヨあほウヨの類よ。
こういう問題になると、いち早く出没して、もちろん、「『アメリカ』と米軍に感謝!」「米軍の行動は無理もないこと!」「デモを やってる連中こそが悪い!」と、この非国民ぶりだ。
日本人ちゃうやろ、こやつら。
このニュース自体の扱いも小さくて、だいたい、『ヤフー』自身、このテの記事は、ちょろっと出して、すぐに引っ込めてしまうというパターンなのだが、
いやはや、まったく、どこの手先が活動するための舞台提供なのやら、
ほんとうに、「ヤフごみ捨て場」を開設した商売人と、その運営、従業者への不快は、常に掻き立てられている。
さっさと潰れたらエエのに。
もとが在日の胡散臭いカネ儲け企業
で、
このテのニュースに対する、一般の国民、有権者の反応しだいで、もっと大きく問題視されるはずだし、そうならなければ甚だ異様なことなのに、その自覚が ないときたもんで。ほんとうに、なさけないこっちゃ。
市長、知事、首相、『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』の、あまりにもヘタレな姿勢よ。
あれかい、辛うじて、『日本共産党』だけかい、抗議の動きを示したのは?
「サヨ」「リベラル」が何だってぇ?あほウヨども!日本人ちがうやろ、例の『統一教会』の分派か何か知らんが、アメリカで、トランプとも連携してるっつう『サンクチュアリ教会』の手先かよ?
そしてね、いわゆる「ヒダリ」とか「リベラル」とかと呼ばれている、あるいは自負している人たちも、毎度ながら、声が小せえぞ!!
あのな。
なんと言っても、第一に、国家主権の侵害であり、日本国民の主権侵害だっつうの。
あらためて、他の新聞社が提供している画像を確認してみたら、
米軍基地の出入り口の前から進み出て、公道側の歩道のキワに立って、小銃を見せつけとるやないかい。
これさ、この米兵らの背後の歩道上を、くだんのデモと無関係の私なんかが通り抜けたくても、やっぱり躊躇してしまうわよ。
まあ、しかたないのか。なんせ、『昭和天皇』みずからが、アメリカに対して、ずばり売国的かつ越権行為を はたらいたくらいの、なさけない敗戦国だもの。
あわれ、100年たっても、相変わらず、アメさまさまさまで過ぎていくのだろうよ。
『昭和天皇』のことが出たついでに、
またぞろ騒ぎを起こした「不倫の党」な(嗤)
「山尾志桜里」か「菅野志桜里」だか、どっちか存じませんけど、
この人もね、もともと、望外の人気を得たことの基本には、女性たち、特に、家庭と子どもを持つ女性たちからの支持を得ていたことが大きいだろう。それを、根本から ひっくり返すような騒ぎを起こしてしまったのだから、多くの女性たちから「敵」と見做されるようになっても しかたないですよ。日本は、現代でも、不倫に対しては厳しい感情を持っている国民性だし、芸能人でも、発覚すると、平謝りと、ヘタすりゃ業界追放がセットだもの。
それを無視して、彼女を立候補させようとした玉木氏も、自身の不倫騒ぎを、ヘとも思ってなかった証左だろう。
ところで、あくまでも私個人的にはね、不倫そのものがケシカラン!という以上に、「これじゃアカンわ」と、ため息が出たのは、彼女のワキの甘さよ。
うちのブログでも、当初から、そのことを指摘してあるよ。とりわけ、外交に関する仕事なんか、ぜったいに就かせられんわ、とね。
それなりの地位や身分を得ている人が、わきの甘さを露呈してしまう背景には、必ずや、ウヌボレやオゴリが潜んでいるもんです。そういうところで、思いあがりが露出するんです。
そしてね、これも、あくまで個人の経験からだけど、主として、うちの両親についての問題は、あるていど、ご存じの読者さんも いらっしゃるだろうが、不倫、それ以上に、自他の家庭や家族を壊してしまうことを辞さない者が、つまりは、自分の欲求を最優先してしまうタイプの者が、どうして、無縁とも言えよう世界で生活している人々に成り代わり、広く民衆のための政治や政策・施策を考案し、実現していくことが できようか。
自己中心な性分の者は、立場が弱い者、それが、自分の子であっても、自己の欲求を優先するためには、正当化を図りつつ、平気で踏みつけにできるんだからね、結局は、誰も幸せになんか できない。
だから、私は、「不倫」と一言で言っても、様々な経緯やケースが あることも如実に知っては いても、それを抑制できない、欲求を実行して突き進んでしまう者の性格や結果のパターンを いろいろ知っているだけに、良いとか悪いとかは横に置いても、味方や擁護はサラサラしないし、少なくとも、ほめられたものでは ないと思っているし、ましてや、思いやりに欠けて、反省心も ない者に、私ら民衆の頭の上に立って、「国民のために」などと、もっともらしい演説されても、信用は できないよ。私以外の有権者も、そういうふうに感じている人は少なくないだろうと思う。
ま、多くの女性の「敵」に回ってしまってるということに、きちんと向き合うべきだったろうにと。
先述したとおり、私個人は、不倫か否か真実は ともかく、彼女のワキの甘さに辟易したのが大きな理由だけどね。
しかも、「コーヒー」とか「ガソリン」とか、それまでにも、小さからぬ顰蹙を買っていた ふしが見受けられたわけでね。
これで、素直に『自民党』入りしていたもんなら、なんにも言うことないわ(嗤)「私らの頭の上に立たないで、消えてちょうだいよ」。それだけだわ。
で、今度は、その『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』政権の、首相だ。
一言。
石破さん、あーた、例のアッソウ2万円ジイさんの着ぐるみだったんかい?
ほんとに、一見「コワモテ」に見えるようで、実際は、その全く反対だろうなと、私が当初から見透かしていたとおりだわ。
まあ、『自民党=本名:ダッピ統一つぼ売国党』なんぞ、数十年も前に、終わらせておかなければ ならなかった。
ああ、そうそう、
例の山尾さんだか菅野さんだかも唱えていた、『天皇』についての主張ね。
彼女の主張には、私は、すっかり関心を失ってしまっているので、『女性天皇』『女系天皇』の どちらかを容認すべしというのか、両方ともなのかも知らないでいたが、
このことについても、いいかげんなことを言ってるようだね。
すなわち、『皇室典範』とやらには、「世襲」としか記されていないのだからとか。
そんなことないでしょ。
一般の国民大衆が疎いからって、舐めてたらイカンよ。
百歩譲って、正真正銘「世襲」としか書かれていないのだから、いちおう、世襲でさえ あれば、どんなことを してもイイってことでは ないでしょうよ。
書かれてない、法的には違反してないのだからってヘリクツは、政治屋や悪党の お得意ゼリフよねw
まずね、『皇室典範』ってのは、敗戦後、ほどなくして、現『日本国憲法』の下位に位置付けられており、しかも、戦勝国アメリカ側の意向や悪知恵やらも大いに加えられていると思しいけどねw
こないだも、「男女平等」に反するから、あらためろ、とか、詳しくも知らず、理解もしてないだろうに、頭ごなしにエラソーに口出しされてたわよね。
たぶん、いずれは、こういう日が来ることを見越しての建付けだったのだろう。
『皇』と名称しているのだから、単なる『王』以上に、宗教的な意味合いを帯びてくるわけで、あの家の、とりわけ、「即位」に伴う儀式には、男性かつ男系の子孫であることの意味付けが示されている、そういうことよね?
まあ、これについても、主権者ながら私ら部外者には知らされてないままのところが多々あるし、どこまでが本当なのかも怪しいし、いわゆる「武家政治」の世になってからは、貧乏ピイピイ言ってたという『皇室』の行事の どこまで実施されていたやらも怪しい。
後世になって、『明治帝』が担ぎ上げられ、ここぞと、あれもコレもと、それこそ、思いっきり「盛った」可能性も あるんじゃないのぉ?ww
「盛る」のも、『皇室』の伝統だしwww
私自身は、『(男系の)女性天皇』については、全然かまわないと思ってる。過去の歴史上にも、何例かは「中継ぎ」としての登場が あるので。
それら大昔の『女帝』の即位に際しては、けったいでイミフなイワレが伴うという大きな儀式が、はたして、どこまで実施されていたのやらも知らんが、
とにかく、「中継ぎ」をも越えて、ましてや『女系』も当然、ということに変更するのであれば、あの、仰々しくも意味不明にしか思えない、わけワカメな祭祀行事の類は、さっさと止めてんか。
いよいよ名実とも、単なる上っ面だけを なぞるための、ただの形式でしか なくなるのだから、そこを潔く認めて、そんなことで莫大な税金を注ぎ込むのを減らすこと。
いろんなニュースも制限されるし、迷惑だわ。
だって、
「男系」で即位するからこその祭祀的意味が付与されてきて、そのことが、世界的にも稀有な長さで継承されてきた、そこに、断然の「値打ち」「貴重性」が あると言うんでしょ?つまり、それが「伝統」で、伝統なのだから残しておくべきと。
それ以外に、理由あるの?
まあ、「ウヨ」のクソな主張は、どーーーでもイイんだけど(嗤)
また、「女系」も容認すべきとして、こんなヘリクツを主張する者らも いる。
「変わり続けてこそ、伝統」。「変わり続けたから、続けられた」。
そんなコロコロ変わってるくせに、なにが「万世一系」やねん?(大嗤)
万世一系なんて、大嘘だよ!と、まずは、そこからでしょうが。
変わらず受け継いできたのである、
その長の長の年月こそを以てして『皇室』ならでは独特の伝統が ある、
だから、こんにち、世界でも珍しい伝統となった、
だから残すべきである、と。いったい、誰が言うたんや?(大嗤)
だいたいな、ヘリクツにはヘリクツで返すならば、
廃止したら、廃止した その日から、それ自体が「伝統」になっていくじゃんか(大嗤)
でね。
これも、もう何度も指摘してきたことだけれど、いまだに、根本からズレたまんまだ。
「男女差別」以上に大きな問題は、「門地(血筋・家柄)差別のことだよ。
わるいけど、私は、「あの家の血筋であること そのもの」が有難いなんても、さらさら思ってませんので、
単なる形式的「世襲」自体に価値が あるなんぞ、とうてい、思えません。
現『日本国憲法』は、いわゆる『皇室典範』の上位に位置する。
(ちなみに、『日米地位協定』は、『日本国憲法』よりも上位なんだそうでw)
なので、その観点で見れば、たしかに、「男女差別」は、あらためるべきだし、『皇室典範』の書き換えが必要になるわけだ。
しかし、「門地差別」は、そのままにしておくのか?
このことに、きちんと答えている人を、私は、まだ見たことが ないわ。
【続く】
2025.06.04 (Wed)
『【続】薔薇の精』の続き。
ところで、
特に歌舞伎に関しては、やはり、より庶民に親しみやすい つくりになっていると感じるし、それでいて、舞の端々に、能の所作が取り入れられているのも窺えたりして、興味深いと思う。
ただ、子どもの頃からの疑問なのだが、謡などの声が、まるで老人のような声音で なされるのがフシギでね、
このトシになれば、内容は、まぎれもない色恋の思いを表現したものとは理解できるので、ますますフシギに思える。
とは言え、「色恋」の内容だからこそ、ということかもしれないとも思うし、
これが、もし、いかにも若々しく元気な声では、かえって、深みに欠けるのだろう。
どちらかと言えば、若い頃の恋愛の苦悩への追憶だったりする内容なのだから、枯れた老人のような声でこそ、何とも言えない哀感が醸し出されるのかとも思える。
花も雪も、はらえば もとどおりに清い。。。
歌舞伎のレクチャー的な時間を冒頭に設けた特別仕立ての構成になっている舞台を、学校時分、学外行事として観せてもらったことが あるのだが、およそ、趣味の良さというものが身についておらないクラスメートたちは、芝居が開始した最初のうちは、興味なさげな雰囲気だったのだけれど、だんだんと、人情あふれるストーリー運びと登場人物たちの素朴な、日本人らしく抑えめでありながらも、せつない感情表現の洗練された豊かさに引き込まれていったと見えて、最後は、拍手喝采の お開きとなった。
私は、この舞台の冒頭で、レクチャーを受け持ってくださった『片岡我當』氏が、「見得を切る」ときの所作の見本を披露してくださったときに、
「これは、ちょっと外しておきますね」
と、
さらっと ことわられてから、掛けておられた眼鏡を外し、スーツ姿のまま、大きく見得を切って見せてくださったのが、それは もう、思わず惚れ惚れするほどの男っぽい色気が滲み出ていたので、「ナマの」舞台ならではの迫力というものをヒシヒシと感じつつ、それ以来、我當さんファンになってしまった。
この話は、旧ブログでも、何かのおりに述べておいたことが あるし、十代の頃からババアになった今でも、あのときの我當丈の男っぷりが忘れられないでいる(苦笑)
カッコ良さは、時代を超えているのだなあと、初めて知った経験だった。
それと、
うちの高校には、現役オペラ歌手の方々を学内に招き、講堂のステージ上で、有名なオペラ作品などの楽曲から、いろいろ聴かせてもらった行事も あり、そのときも、「人間のナマの声の力」というものに打たれたことを、鮮明に憶えている。
坂東玉三郎氏の舞踊も次々に拝見させてもらってウットリした。もちろん、『ユーチューブ』だけどw
さながら『博多人形』が人間と化して舞っているような、まさに上村松園の画のなかから抜け出てきたような世界。
なんなら、女形の扮装なし、男性としての着流しのままでも、その舞姿の端正なこと。
冒頭の話題とした『薔薇の精』に絡んで、ニジンスキーの生前の記録動画が残っていないらしいことを、つくづく残念に思っているのだが、
玉三郎丈の場合は、われわれがリアルタイムで鑑賞させてもらえたことを、とてもラッキー至極に思う。
2025.06.04 (Wed)
『薔薇の精』の続き。
私は、もともと、能や雅楽も大好きで、とりわけ『蘭陵王』とか、憧れてきたのですが、
踊るのなら、こっち方面なら辛うじて可能?とかチラッと思いつつwやっぱ無理っぽいなとww
まあ、あの、蹲踞したり、すっくと立ち上ったりを繰り返すわけだからね、なんせ、腰が(泣)
ちょっと「ラジオ体操だいいち~!」てな掛け声が聞こえてきそうでも あるw
たとえば『太極拳』の動きにも似ているように感じるし、やはり、そもそも、他の日本の伝統舞踊の動き方とは、根本的に方向性が異質と思える面は確かに あると思う。
ただ、まぁ、どこの国でも、およそ舞踊というと、大概は、ここぞと派手に、また軽快に、あるいは思いっきり激しく踊ることが殆どのパターンのようであるし、日本古来の踊りにも、もちろん、同様の派手さや激しさを込めて踊るものも あるわけだけどね。多くは庶民的な賑々しい祭りなどの場合。
けれど、『上方舞』『地唄舞』となると、そもそもが、料亭なんかの、まさに「お座敷」で、料理の膳を前に、一献傾けている客の前で踊るわけなのだろうから、そりゃあ、飛んだり跳ねたりは憚られるというもんでしょう。畳も傷むしw
うちの母親なんてさ、ステージ狭しと足を踏み鳴らし、たっぷりしたスカートを盛大に翻しの『スペイン』舞踊とか「フラメンコ」を鑑賞しながら、すぐ傍のテーブルで飲食している観光客らの ようすを、テレビ番組の一場面で見たとたん、
「料理がホコリかぶるわ!」
と、呆れていたが(苦笑)
ま、そんなわけで、私は、たまに、日本古来の伝統芸能なども鑑賞するのだけれど、
『陵王』などを動画で鑑賞していたら、そういうところのコメント欄にても、結局、このような傾向なんだよなあと、あらためて、つくづくゲンナリしたのは、
やれ、
「日本の深い伝統ッ!」「日本人であるなら、神社の神聖さを、ちゃんと、わかっているはずッ!理解できるはずッ!」「日本という国を、もっと もっと知らなくてはッ!」
等々と、鼻息も荒げに一席ぶっていた ていの、どこぞのオバハンw
ほんとうに、エセ付き「うよ」やらネトウヨの、「半可通」レベルにも届いてやしない、ただの感情むき出しの知ったかぶったグセには呆れてしまう。
しょせんは自分も知らないのだから、せめて、知らないということを知り、おとなしく黙ってりゃいいものを、
どうしても、いっちょまえに、大上段から演説したいのなら、その前にゃ、最低限、基本的なところくらいは、ちっと確認してからにすれば いいだろうに、それすら しようともせず、勘違い演説を披露している光景が多々、見受けられる。
いわゆる「ミギ」系の手合いって、よろず、こういう頑なな思い込みのまま、勉強する気もないまま、せめて確認の労を取る気もサラサラなく、見てるほうが、思わず、小っ恥ずかしくなるような演説をブチたがるのよねえ。
「日本人ならではの!謙虚さ!奥ゆかしさ!」
そんなもの、どこ行っちゃったのよ~?(嗤)
その点では、、いわゆる「ヒダリ」系はね、良くも悪くも理屈っぽいだけに、そこまでトンチキやワケわかめな演説をブチあげたがる人を見かけることは、比較的に少ないw
だから、私は、「ミギ」系とか「ウヨク」のほうが、もっとキライなのですww
で、
さすがに、少しは知っているらしい人が、関西弁で、やんわりと、そのウヨおばはんの勘違い思い違いを注意していたようだけれど、
この、やんわりと、というような態度が また、いわゆる「ウヨ」系の連中を甘やかしている結果になっていると思う。
本人らのためにも、日本人全体のためにも、よくない。
私は、もう、長らく「毒親」だの「おカルト連」だのといった、性根が邪まな連中と戦ってきて、
「それは違う」
と、いちいち親切に言ってあげる気も失せてしまっているので、「ヤフごみ捨て場」の仲間入りは勿論のこと、『ユーチューブ』などのコメント欄にも、一切、かかわらないのだが、
「(日本を)知らなくてはっ!」
などと、
鼻の穴おっぴろげて口走っている くだんの、どこぞのオバハンみたいな、あまりにもエラソーな、しかも、根本的に無知なままの、間違ったことをトクトクと吹聴したままで永久トンズラを決め込んでいる手合いには、
「をいをい、いちばん、何も知らない、わかってないのは、当の おたく自身でんがな」
と、ピシゃリ指摘し、容赦なく せせら嗤ってやりたいけどもなw
なんせ、知らないのだからね、知らないことを知らないと、素直に認める、もう少し謙虚でいる、それどころか、まったく無知のままで、反省も改善も する気が なく、世間さまに向かって、ただ ただエッラソーに一席ぶってるのだからねえ。
日本語を多少は理解できる外国人も閲覧してるわけだし、
現に、『陵王』の動画のコメント欄には、中国人なのだろう、
「自国では忘れられてしまった古(いにしえ)の雅楽が、現代の日本に残されていた」
というふうに感激しているコメントが幾つか見られた。
考えてもみなはれ。
ああいうコメント欄で、肝心の日本人自身が、最も無知であるということを大々的に さらしてるわけですからね。とんだ赤っ恥やないかいな。
【続く】