2014.01.31 (Fri)
Like Water for Chocolate (ホット チョコレートをつくる お湯みたいに)
『赤い薔薇ソースの伝説』
むかし、観た(と言っても、テレビ放送なんだけど)映画のなかでも、特に好きなタイプの作品ではないものの、もちろん嫌いではなく、むしろ、わりと好印象で残ってる一つ。
主人公の母親、鬼母・毒親のエレナが、なんとなく、うちの母に似ていると感じた(苦笑)
凄いなあ、ここの おかあちゃんもw
エレナ役女優(レヒーナ・トルネ)の演技、良いですよ(笑)
『地獄に落ちた勇者ども』の主人公の母親役(イングリッド・チューリン)も、ちょっと思い出した。
ちなみに、
『ウィトゲンシュタインつながりで』
~
ウィトゲンシュタイン家は、当時のオーストリアで「鉄鋼王」とまで称されていた~
というのは、『地獄に落ちた勇者ども』に登場する製鉄王の一族である、「エッセンベック男爵家」のモデルなのだそうな。
2014.01.31 (Fri)
ウィトゲンシュタインつながりで 2011/01/20 01:59
クリムトの作品は、モローなどと共に、私が若かった頃、特に好んでいた。
エミーリエ・フレーゲという人は姉妹と共にオート クチュールのブティックを経営していたそうで、当時の女性としては珍しかっただろうと思う。
クリムトとは、彼の弟と、エミーリエの姉が結婚したことで出会ったらしい。
クリムト自身も、エミーリエのためにドレスをデザインしていたという。もしかしたら、ウィトゲンシュタインの姉が着ているドレスも、クリムトがデザインしたものかも?とても優雅なドレス。
http://stephan.mods.jp/kabegami/kako/Margaret/picup6.html
どちらもクリムトの愛人とか恋人だったのではと伝わっているけれど、アデーレ・ブロッホ・バウアー夫人などの溶けんばかり妖艶そのものな表情に比べると、エミーリエの肖像は、固く、むしろ冷たさを感じるくらいの表情と色彩だ。
ところで、1902年の、クリムトによる肖像画が、エミーリエは気に入らなかったのだそうな。この点、ウィトゲンシュタインの姉、マルガリータと同様なことになってしまった(笑)
大変、プライドが高かったらしいクリムトが、マルガリータのご機嫌のために、背景に手を入れ直したりしたそうなのだけど。。。
マルガリータの肖像は、彼女の結婚記念のための絵だったらしい。何が気に入らなかったんだろ。
こちら↓は、クリムトと親しく、自身も画才に恵まれていたという、ウィトゲンシュタインの姉の一人、ヘルミーネの肖像。
姉妹のマルガリータの肖像と、ほぼ同様のポーズ。
なんか、白いドレスの肖像画が多いね。
白に白、というテーマは、ホイッスラーを思い出させる。
クリムトといえば、ビアズリーも連想するのだけど、そのビアズリーとホイッスラーは、、、へえ~(苦笑)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%A2%E3%82%BA%E3%83%AA%E3%83%BC
Symphony in White No. 1: The White Girl(1862)
ウィトゲンシュタイン家は、当時のオーストリアで「鉄鋼王」とまで称されていたほどの大富豪だったとか、私は、『地獄に落ちた勇者ども』という映画を連想してしまったのだが、全く関係ないのかなぁ?
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カテゴリ:本・アート > アート
2014.01.29 (Wed)
摩訶不思議であり、くだらなくもあり。。。ってとこかな。
あのひとたちへ。
…
あなたがたは、特定の誰かを「悪者」とすることで溜飲を下げ、また、結託することもできるでしょうが、それは楽しいですか?どんな旨みがあるのでしょうか。
私には、誰とも、そうした類の共有が できないのです。
聖人君子でもない、ただの俗人ですが、私自身は、なんぴとであれ、その人生までを陥れてしまうほどの事だけは はたらいたことがない。
たとえ自分の子であろうとも他者、その人間性を貶めに貶め、ついには、その人生までも深部から歪めてしまうような悪事を はたらいたことだけはありません。
『悲しくてやりきれない』
2014.01.27 (Mon)
『本当は怖くない「金縛り」の真実 そのメカニズムは?』
2014.1.26 00:26
http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/140126/lif14012600280000-n1.html#remark_comment_system
私も「金縛り」に悩まされていた時期が長いことありましたが、
たしかに、過労ぎみだったのは思い当たりますし、他にも、当時は(重病というほどではないが)手術を要する病気中でもありました。
ただ、私の場合、少しフシギに思っているのは、この間、いわゆる「正夢」とか「予知夢」を見るという現象が多かったこと。
たとえば、まったく思いもしない新聞記事の内容や画像写真等を、前日か前々日の夢に見ていたということさえも何度かありました。
いったい、どういうメカニズムなのだろうかと、いまだに思っています。
と、コメントしようとしたのだが、サインインできないので諦めたわ。
2014.01.27 (Mon)
『明日ママがいない』というドラマについて
『ご存知ですか、谷崎さん』
http://www.asiawave.co.jp/bungeishichoo/bsessay/shionoyanobuko.htm
~
小説『春琴抄』が、多くの人たちの間で、視覚障害者のことを知るためのガイドブックに成り下がっていると知ったら、谷崎潤一郎は草葉の陰で苦笑することだろう。
この小説は、盲目で気位の高い天才的な琴・三味線奏者である春琴に、丁稚の佐助が献身的に仕えるという物語で、そこには無類の耽美的な世界が繰り広げられている。それをそのまま現実世界に当てはめてしまったり、道徳論を持ち出したりする読者の何と多いことか。しかも、江戸から明治にかけての物語という設定であるにも拘わらず、現代にも通用する普遍的な話だと思い込んでしまうのだ。おかげで、私たち視覚障害者はそんな読者への対策に手を焼く羽目になったのである。
この物語は、全くのフィクションであるにも関わらず、谷崎の巧みな筆によって、あたかも春琴と佐助が実在の人物であるかのように思い込ませてしまう。私も、まんまと騙された読者の一人である。谷崎自身が二人の墓にお参りしたことがあるとか、明治初年か慶応の頃に撮られた春琴の写真を見たとか、『鵙屋春琴伝』なる小冊子によって春琴のことを知るに至ったとか、その他、実話であるように思わせるためのお膳立てが満載なのだ。大阪某所の丘の上にあるという二人の墓とそれを取り囲む風景の描写などは実に精密で美しく、夕日に染まった古い墓石のたたずまいと、眼下の夕靄の底に広がる工業都市とのコントラストは、時の移ろいをしみじみと感じさせ、お見事と言うしかない。
「そんなまことしやかな書き方をするから視覚障害者への偏見が助長されるのだ」と言う人もいるが、それよりも、この小説の特異な世界に浸ることのできない真面目な読者のいることが問題なのだ。だが、谷崎にとっては、そんなことはどうでもよかったのだ。耽美の世界へ読者を誘い込むことが彼の目的であり、そのためには墓や写真や春琴伝を登場させてリアリティーを出す必要があったのだ。
~
いやあ、きょうまで知らないでいた。。。
他の事で検索中に、例のごとくで「たまたま」行き当たったのだが、とりあえず、他のエッセイも続けて幾つか読ませていただいた。
すばらしいなあ、この人の文章も感性も。
特に、こういうところの描写。
『深夜の散歩』
~
ジンチョウゲの咲く頃には、どの道を行っても、その香りに誘惑され、もう少しさまよっていたいと思ったりする。虫しぐれの季節には、虫たちが、草むらのある場所や、その広さや形、そして道との境目を、まるで音の地図でも描くように教えてくれる。ちょっと風でも吹けば、葉っぱが揺れる音で、木や草が立体地図を描く。
もちろん、昼間のほうが、はるかに様々な音に満ち、しかもその音は活発に動いている。それに比べ、深夜の音は密やかで、種類も動きも少ない。だからこそ、かえってそれらの音風景は、昼間よりくっきりしたシルエットを描くのだ。そして、今この風景を味わっているのは私一人だと思うと、益々その風景は魅力的なものに感じられてくる。~
残りも読ませていただくつもりでいる。楽しみだ。
塩谷靖子さんのホームページ
塩谷靖子さんを検索中、こちらも見つけた
http://shinetu.blog.so-net.ne.jp/2009-06-09-1
http://shinetu.blog.so-net.ne.jp/2014-01-14