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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2016.04.23 (Sat)

こないだ、ボウイが亡くなったばかりなのに。

それでも、ボウイの場合、すでに病気のことが分かってたから、自他共に覚悟していて、それを見据えて、最後の仕事を仕上げたらしいけど、

プリンスの場合は、あまりにも あっけなかった。
でも まあ、とりようによっては。。。だね。

 

 

ところで、
私らの世代は、いわゆる「バブル」の子、みたいな言われ方されて、いまどきの若い人たちには、何もかも誰も彼もが恵まれてて良かったんだろうみたいに思えるそうなのだけど、けっして、そんなことは ない。

やっぱり、どんな時代に あっても、その人その人によって、情況は大幅に異なることもあるしね。

 

まあ、全方位的に特異な条件を背負っている私なんか、クラスメートや親しい友だちのなかにすら、自分と共通した悩みや同様の環境を持っている子は、ほぼ皆無だったので、ほとんどの子が、あくまで私から見たら、うらやましいほど恵まれてると感じることも多々あったけれど、

なかには、経済面は豊かな家庭でも、祖母と母親間の嫁姑争いの激しさの果て、小学生の頃に、母親と二人で家を出て、その母親が、その後、入院し、退院することなく急死したのを、2、3日ほど、自分だけが、その事態を知らないでいて、反発の対象だった父親から突然、母親の葬儀の日を知らされ、混乱と葛藤の気持ちを抱えたまま、母子二人で暮らした家から元の家へ戻ったという過去を持つ友人も いた。
また、
母親よりも父親のほうを、ずっと信頼していたのに、その父親は、女房にウンザリしていて、よその女性と一緒になるために離婚し、あまり好きでない母親のほうへ残されたせいなのか、性格が ひどく屈折していた子も いた。もっとも、その子は、亭主に見限られたらしい母親のほうに、外見も性質も、よく似ていた。

 

ただ、
いまごろになって、
世界情勢やら現政権の方針等からも、なんだか不穏さが漂っているような、そうとうキナ臭くなってきた感じも しないでは ないけれど、

あの時代の日本は、さすがに、行きつくところへ行きついた敗戦の阿鼻叫喚のあと、やっと訪れた平和第一の時代の さなかだったからなのか、戦争なんてものは、いかに理由が あろうとも許されないことという基本は揺るぎない、単なるタテマエでない感覚は、私が所属してきた市井の市民、一般国民間においては、多かれ少なかれ、誰しもに あったように思う。
まあ、そういった大上段っぽいこと以外では、

ロックを中心としたミュージック シーンでの収穫が、画期的なほど豊かに広がっていたこと、かな。私個人は子ども時分から、日本の歌謡曲とかアイドルに興味薄いほうだったし。

あとは、ファッションの面かな。

こういった点では、いまどきの若い人たちが、なんとなく少し可哀そうにすら思えるのよ、
音楽でもファッションでも、日本国内では、なんか ちょっと貧相な印象が あって(苦笑)まあ、一概には言えないけど。

私だって、自分たち世代の流行ものが薄っぺらで安っぽく感じる面も あったし、親や祖父母が若かりし時代のファッションやら音楽に「レトロ」「レトロ」と憧れたこともある。

 

さて、プリンスの楽曲で、特に好みの一つだったのは、

“When Doves Cry”(『ビートに抱かれて』)
 

久々に「プリンス漁り」をして、
たとえば、エルヴィス・プレスリーのステージについても、旧ブログか過去エントリーで感想を述べたときに、同じようなことを思ったのだけれど、

(ちなみに、うちの母親は、一つ年下であるプレスリーの熱狂的なファンだったw)

ジャニス・ジョプリンでもマイケル・ジャクソンでもプリンスでも、パワー全全全開と言うか、これじゃ、ステージ降りたら疲れ果てちゃってるわなと察せるほど、一滴の手抜き一切ナシに最初からブッ飛ばし最後まで駆け抜ける、ってな感じ、とにかく、パワー!パワー!で仕事熱心、ひたすら忠実なのね。

そりゃあ、ずば抜けた成功しなきゃ おかしいとも思えるくらいだけど、
その反面では、ありがちなクスリの問題が つきまとうね。

ともあれ、

Rest In Peace, Prince

あえてプリンス以外のミュージシャンで。

    
     

 

 

 

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2016.04.23 (Sat)

生まれた街の匂い

やっと気づいた

……

街角に立ち止まり

風を見送ったとき

季節が わかったよ

……

 

最近、ちょっとばかり気になることが生じて、同時に、ここ数年来の予定事項を実行するにあたり、些かの決心を固めるためにもと、じつに数十年ぶりに、帰った。

旧ブログか過去エントリーの どこかでも触れたと思うが、生まれて最初の1年半ほどを過ごした「故郷」だ。

 

今回の「帰郷」にあたっては、なんせ、ン十年ぶりゆえ、念のためにと、めったに利用しない「グーグル マップ」や「ビュー」を使ったのだけれど、うちのパソコンのマウスの不調なのか、手元が狂ったか、途中で幾度も、とんでもない所へ飛んでいたりして、ここは何処だー?と、位置確認のため、急速に拡大したり縮小したりしているうち突然、連山のカタマリやら深海の表面やらが、わっとクローズ アップされて突き出されてきて、そのたびに、ウへッemojiとなった。と言うのも、

私、こういうの見たくないんだよおemoji

 

よく、こういうものを、ああ美しい~とかってウットリ口調で礼賛する人もいるんだろうけど、

ハッキリ言っちゃうが、

「ランドサット」撮影の地表とか
「ハッブル」望遠鏡による宇宙の写真画像って、キモチ悪いんだものemoji
ほとんどグロテスクだろお。え?そうは思わない??

 

ごく僅かながら、これなら まあ美しいと言うか、辛うじて見るに堪えると言っていいものもあるけれど、殆どの場合、NASAの「色付け」センス?を疑いたくなっちゃう。

むかし、例のQAサイトで質問したときに、宇宙の画像というものには、(われわれの視覚に)分かりやすく効果を強調するため、人工的に、毒々しいほどの色付けしてありますからねとかいう回答してくれた人もいたし、

私と同様、こういう写真画像は、自分も実は苦手なんですと言ってた人もいたけれど、われらは圧倒的に少数派のようなので、もしかして、こういう発言は、タブーなのかもしれないけど。

どうも、大自然・大宇宙礼賛者が圧倒的多数派の世のなかであるらしいので、肩身の狭さを感じて、ふだんは、あまりアカラサマには言わないで来たんだけどね。

 

うちの母親なんかでも、満点の星空を見ると、息が詰まりそうになるとか、深海なんてブキミだとか、ふとした おりに、吐き出すように言ってたけど、このへんは、私にも理解できるわ。ただ、いまどき、少なくとも都会と その周辺では、夜空を見上げてみても、満天の星空、とは いかないね。

母は、子ども時分の戦中に、田舎へ個人疎開してたそうだから、その頃は、文字どおりの満天の星空を見る機会もあったのだろう。

 

「息が詰まりそう」

そのとおりで、この世界は、物質で隙間なくギュウギュウの世界なのだと思う。これに対しているはずの、いわゆる「観念」でさえも、物質のうちであると。わしゃ、詳しいことまでは知らんけど。

 

んで、その「グーグル」で、列島の あちこち、意図せず飛びまくった、そのたびに、

つくづく、日本列島てのは、上下左右いずれ必ず、程なくして、どこかの海上に出てしまうこと、

本当に、ヒトだらけだということを、今さらながら、つよく感じた。

 

まあー、大概どこの谷底や海際までも、へばりつくように、人家または人工物が ひしめいているわ。

もう、全く、人が普通に住んでいない場所なんて、高い山のテッペンとか海のなかくらいしか残っていないのでは なかろうか。。。って感じ。

私は、いわゆる田舎での生活経験がないので、これまでに見聞してきた物事で想像するしかないが、「グーグル」の画像で見た限りでは、あんな山と山の隙間までも、人家が入り込んでビッシリ埋め尽くしているさまを見たら、なるほど、ヒトが増え過ぎな気も してくるよ。
それこそ、ゴキブリなんか軽く凌駕してるに違いないと思えるほど繁殖しとる。


あ、それと、
航空写真で、グーグルの画像読み込みスピードが追いつかない部分は欠けて出るけど、建物が密集している市街地なんかの上空からの画像の一部が真っ黒状態で表示されるようすは、かなりシュールですぞw
地表に突然出現したブラック ホールさながらww

 

と、本題から逸れたが、話を戻して、

そういうわけで、片道せいぜい2時間未満の距離なので日帰りながら、「故郷」の街に帰ってきたわけだが、

最後に訪れたン十年前の頃と殆ど変わらないままだったのは、最寄りの駅前の一帯のみ。
そこから、目抜き通りにあたる緩やかな坂を のぼりきった所が、私らが住んでいた場所なんだけど、

さすがに、当時の隣家の人たちも行方は知れず、表札も替わっていて、自宅が あったアパートの位置も、確定は おぼつかず、あたりには、見るからに高級な、どっしりしたマンションが幾つか新しく建ち並び、

こんな お高そうなマンションに、若いうちから住めるなんて、どれほどのセレブーやねん、
さしづめ、私が20代の頃、一時帰阪した叔母と落ち合った中之島のホテル内の高級料亭に、一人でブラッと食事に来ていた、隣の席の青年みたいな人かいな?

(この若い男性を、こういうシチュエーション時の癖みたいに毎度のごとく、叔母は、気づかれないよう観察していたらしく、宿泊の部屋に戻ったとたん、
「あんた、見た?あれは間違いなく、どこぞの御曹司だわよ、ああいう男の人を掴まえなきゃ」
云々と早速うるさい お説教が始まったものだ。

へいへいと聞き流していた私自身は、贅を凝らしたらしき一皿一皿の「ちょっとずつイロイロ」盛られた、その量の、えげつないほど少いことに呆れて、大喰らいゆえ、その提供量についての怒りでアタマいっぱいになっていたというのにw)

等々と連想しつつ、

どうにか おぼろに思い当たる地形等から、だいたい、このあたりだろうと、かろうじて見当は つけたものの、そこまで こぎ着けるあいだに、何度ウロウロと繰り返し行ったり来たりを続けたことか。

幼少時の記憶に関しては、ひとかたならぬ自負ある私にとって、こっち側に、あれが あり、あっちのほうに、それが あってという、その記憶の位置が反転アベコベになっているらしいことを認めるのは、なんとしても気持ちが悪いのである。

なんだか、幼くして生き別れた、それでも、互いの肌と肌で知り尽くしている生みの母が、まるで別人格になってしまったかのようなショックに近いと言えば近い。

 

その間、まさに「瞼の母」を探し求めて切なく彷徨してでもいるかのような気分だった。

この気分が影響したせいなのかどうなのか、
はたして その夜の夢に、久しく思い出すこともなかったJ・レノンの楽曲『マザー』を、小さな声で歌っていた。

もっとも、この歌詞の内容と、私自身の実際の生い立ちとがピッタリ重なるということは ないと言うか、むしろ正反対に近いけれど。

(だって、私自身は、暑苦しくも親に必要とされていたからさ。とは言え、それは、あくまでも親側の利己的つごうに過ぎず、そのゆえに、私は、「必要とされる」だの「期待される」ということに恐怖すらも伴って、早々に忌避したくなる性向へ傾いてしまった。)

 

その街に居た私が生まれる前から、すでに建っていた懐かしい お店に入り、長時間ほっつき回って疲れ、ほてった からだを休めて、とりあえず、空腹を静めようと、冷たい麺類を頼んで、その歯応えと冷感を、ひとしきり楽しんだあとに、もう このままで、何も言わず、お勘定だけ済ませて出ようと思ったのだが、

そこの女将の にこやかな顔を向けられたら、もちろん、お互い、記憶に残っているわけもないのだが、なんだか、私の母親に似た感じすらしてきた女将の、さすがに何十年このかた客商売で鍛えられて身についたのか、いかにも、人を逸らさない、それでいて素朴な温もりに満ちた笑顔に、つい、話し出してしまい、訪れた経緯のことを告げ、地図を出してくれた店主夫妻と話し込んでしまった。

 

要は、あの当時、隣家に住んでいた人たちが見つかれば、私が訪ねた理由であるところの疑問のこと等も判明するかと思い、その街の変遷について、あれこれ教えてもらったわけだが、いかんせん、数十年の時間の流れが、幼少時の記憶鮮明なことだけは自信があったはずの私も、首を傾げざるを得ないほどに、ほとんどを磨りガラスの、あるいは紗の布を透かし見るのが関の山ていどにまでボヤかせてしまっていた。

むしろ、10代から20代の頃にかけて2、3度訪れたおりの記憶のほうが、もっと曖昧な断片にバラケてしまっている始末。

 

ただ、一つ、かなりハッキリしたことがある。

それは、やはり、この街の出身者で、近年、亡くなったそうだが、日本国内のロック シーンで活躍した有名な歌手の生家が、私の記憶のなかでも、ことに懐かしい対象だった屋敷であり、そこの子息その人であったこと。

その日本屋敷の重厚な門構えを挟んで両側に伸びめぐらせた塀に付属して、おとなの腰の高さあたりに組まれた石垣を毎日よじ登っては、その上に並んだ植栽を踏み荒らして遊んでいた近隣のガキども、

そのなかに混じっていたヨチヨチ歩きの私と、私よりも幾つかは年上の、くだんの有名歌手の男性は、お互い誰だか全く知らないままに、幼なじみであったかもしれないことに気が ついて、今さらながら、いささか驚いた。

その お屋敷周りの植木を、私ら近隣の子どもが、さんざんに踏んで痛めつけ、根こそぎ荒らしていくさまは、当時の写真を時系列で見ていくと、ついに枯れ果てるところまでいったことが明白に分かるのだが、
その お屋敷の人に叱られたということが、ただの一度もないのである。
母は、あの時代は まだ、おおらかな人が多かったからなあ、と笑っていたが、いまどきの時代なら、どれだけの苦情を申し寄こされたことだろうか。

 

私が、実家を出て、自活を開始した最初の地で馴染んだ、ちょっと高級筋のスーパーマーケットが近くに出来ているのを知り、お土産ではないけれど、懐かしさもあって、少々の食材を購入し、帰宅後に食しながら、その日一日の光景を思い浮かべて、

それにしても、庶民クラスの日常生活にとっては、お世辞にも暮らしやすいとは言えない、あんな お屋敷街で、そのスーパーが出来る前までは、もう少し距離のある場所に設けられているという古いアーケード街まで、皆、えっちら おっちら、坂を上がり降りしながら買い物に出ていたのだろうか、

いまどきは、大都会であるはずの大阪のなかであっても、アーケード街が「シャッター街」と化した凋落ぶりは、地方の嘆きと何ら変わりないようなのだが、、、

と考えを めぐらしていて、ああ そうかぁと気づいた。

ああいう、いわゆる高級住宅街の住人は、その殆どが、高級車で、自宅周辺の幾つもの坂を涼しい顔でス~イスイ走り抜け、大阪ど真ん中のターミナル駅周辺の、選り取り見取りの店舗やデパートにでも乗りつけて、車いっぱい載せられるだけ、高級食材やら高品質な日用品を買い出しに行けるんだわね。

 

生まれた街は私にとって、いつまでも恋しい「瞼の母」、を言い替えるならば、幼い初恋相手にして初婚の、そして、間もなく別れてしまった、内心では まだ想いの残る、かつての伴侶のような感じでもある。

いまも変わらずに、品良い美しさを保っている、その相手と、ひそかにデートしたあと、

共に暮らして長年になる、別の相手のもとへ帰って来て、かなり雑多ながらも、それなりの洒落っ気や可愛げもあり、庶民らしい気安さ、屈託のなさに、これは これで、おしとどめようもなく寛ぎを感じている。

 

上下左右あらゆる方面において、私は、言わば、どっちの方向世界にも自在に入って行けると同時に、常に「境界」の位置に立って居る、それが宿命のポジションであるかのように感じられもする。

 

 

Updated   
2016.04.23 (Sat)

(このエントリーは、数日前に書き始めて、そのままになっていたもの)

被災地の役所で用意していた毛布の枚数が、全然不足してるという記事を最初期に読んで、
相変わらずだな、、、毛布なんて、腐るもんでもあるまいに、これまでに起きた、まだ記憶に新しい大災害の教訓なんて、結局この程度じゃないのかな、と思った。

 

私も、たまたま先日、久しぶりに、長期保存が利く缶入りビスケットを売り出しているのを見て、気休めに一つ購入したばかりだったのだけれど、

実際、個人が備蓄に励んだところで、あまり、意味ないかもしれないなあとも思っている。

うちなんか、備蓄の品々を多数購入したり置いとける余裕じたいが そもそもから ないし、

実際に被災した人たちの話でも、極限の場合には、天井が落ちてきて、身動きならない状態で、防災品詰め込んだリュック担いで避難どころの騒ぎじゃないからなあ。

まあ、あくまで軽度から中度までの被災で済み、とりあえず見つけて持ち出せる余裕が あればの話に過ぎないわな。

 

さて、

つくづく、政治屋センセイってのは、何でも かんでも、政局に結び付けてしか考えられないのかと思った。

要するに、「勝ち負け第一」「要領第一」思考回路と、私は呼んでいるのだけど、そのくせ、肝心のところが、みごとにスッコ抜けてるという不可解さ、奇異さが付きまとうパターンである。

 

でもね、これは、政治屋センセイだけではないようだ。

 

今度の熊本大地震でも、勃発して早速、ネットのコメント投稿で、毎度のごとくに「ヒダリが~」と喚き出してた輩らが いた。

そやつは、自民党支持のウヨだということが、発言そのものから あきらかだったけど。

こういうのを、ごく早い段階から幾つも見かけたわ。

なので、即ゲンナリしちまって、今回の地震についても、うちのブログで取り上げる気が なかなか起きなかった。

 

ま、さすがに今後は、

「日本で『ヒダリ』が政権とったときには、大災害が起きる」

云々てな極度にバカげたことは言えないねw

そのデンでいくのなら、
それこそ、現行のようなウヨ政権に対する、天の怒りなのだと言われても、ネトウヨらは文句言えまいてww

 

熊本地震「タイミングいい」=おおさか維新・片山氏が発言撤回
時事通信 419()174分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160419-00000090-jij-pol

 

最初、見出しを見た瞬間は、自民党の誰やそれやを思い浮かべたのだがw

まあ でも、ほぼ完全に近い存在だわね、思考回路とかさww

言った直後に撤回だなんて、顰蹙を買うだろうとは一応、本人も分かっていて、それでも、よっぽど、これが言いたくて言いたくて言ったんだろうなとしか思えないよ。要するに本音だ。

 

しかし、
どうして、政治屋センセイというものは、こうも、口に締まりとボキャブラリーが なさ過ぎなのか。病的である。

 

学歴も教養も乏しい、そのうえ、知的や発達障碍等を抱えているというのなら、まあ、多少は仕方ないのかと思えなくもないが、全体的に、一般人よりも優れているからこその政治家、のはずなのだが。

実態は、真逆の場合が多過ぎるほど多いような。。。

 

これは恐らく、言っちゃいけないのだろうなァ、、、でも、、、言いたい、、、言わないとグルジイよぅ、、、

えーい!言っちゃえー!!

ハイル!!ヒットラー!!!^ρ^

 

 

あ、あーん、イってしまった。。。

スッキリしゃっきり♪

 

…みたいな感じすら するw

 

もっとも、今度の災害も、政権維持のために、めいっぱい利用してやろうとか考えめぐらしてる誰かさんたちも いるはずだww

あっという間に、米軍とオスプレイの宣伝に利用とか、こういうことだけ、呆れるくらい早手回しのアメぽち安倍政権は特に()

 

どこの国も、どんな大災害時でも、他国の「暴力装置」組織である軍隊を、おいそれとは自国内に入れない、できるだけ避けるという基本姿勢には、それなりの深い理由があるからなのだそうだが。当然、そこには、軍事戦略が つきまとうので。

 

ま、せいぜい、「トモダチ作戦」の二の舞にならないよう、あとからヘンな請求を負わされないようにするんだな()

どういうわけか、日本のメディア連は、これの事後を殆ど報道していないようなのだが。

 

 

Updated   
2016.04.10 (Sun)

せんだって、
くだんの映画作品を、『モーターサイクル ダイアリーズ』に同じくヤフーのサービスにて観せてもらった。

『モーターサイクル ダイアリーズ』を観た。

そのサービス自体は大いに結構なのだけれど、

鑑賞したユーザーたちのコメントには、せっかくの名画を台無しにしてしまうほどのコマーシャル動画のウザさぶりについて、ならびに、

こういうコマーシャル挿入の やりかたでは、かえって、その提供企業に対する、視聴者からの反感さえ招くであろうという批判が あった。

一般のテレビ ニュース サイト等で感じていた不快と共通していることでもあり、私自身、これらの指摘には全く共感するところだ。

 

ま、しょせんは、カネ儲け第一アキンドの やりくち、というか、当のコマーシャル提供企業自身が、こういうイヤラシイ動画の出し方を要求したのではないかもしれないし、請け負ったIT業者の担当者らの考えで やっていることかもしれないけど。

 

以前にも、新しいパソコンを購入して、新規のウィンドウズを立ち上げてみたおりに述べたことがあるが、どうも、ますます、使い勝手もサービスも共に悪くなっていて、
一般ユーザーの望む方向とは逆行しているのでないか?と言いたくなるほど、開発者だか技術者だかの独り善がりさが、ますますアカラサマになっているのを実感した。

まあ、こういう分野のエンジニアとかいうのは、もともと、平凡な一般人の望みや感性とかとは、多かれ少なかれ異質なのかもしれないが。

 

なぜ、パソコンは、後退していくのだろうか

 

さて、

今回で、この映画を観たのは、何度めになるのだろうか。

しかし、何回観ても、飽きることがない。この作品は特に。

そして、

観れば、そのつど、もの思いに耽らせ、
無精な私にも、あらたに何かを書き残しておきたくなる気を起こさせる。

旧ブログや過去エントリーでも、この作品について述べたことが あったが、

ホン、主題曲、監督は勿論、端役に至るまでも唸るほどの良い役者揃いという、およそ名画の条件にズバ抜けている『道』であることに、あらためて感じ入った。

 

ただし、私は、主題曲だけを、それより もっと早くから聴き知っていた。

叔母から譲り受けた、たしか、フランス人トランペッターの、古いレコード アルバムに収録されていた曲の一つだったので。

 

当映画を、テレビで初めて見たのは、一番最後のシーンのみだった。

あの「ザンパノ」が、海辺で一人、砂を掴んで咽び泣く場面。

いまでも鮮やかに思い出すのだけれど、

学校から帰って来て、夕方の中途半端な時間帯、家族も出かけたままで、手持ち無沙汰な気分に、とりあえず、テレビのチャンネルをガチャガチャやってて、ふと、目に留まったのが、上記のシーンだった。

で、じきに“fine”の文字が出てしまい、

もちろん、そのままでは、何の話なのかサッパリだったが、
ここはアンソニー・クインの演技の迫真ぶりもあったのだろうが、やけに印象に残っていて、

その後、何年か経ってから、この映画を再び、今度は冒頭から観る機会が訪れ、それで やっと、あの最後の場面に至ることの納得が いったのだった。

 

 

いままでの人生で観てきた映画作品にも、私なりに、格別の お気に入りというものはあるのだけれど、

この作品以外で、『禁じられた遊び』と同じくらいパッと思い当たる映画というと、意外なほど思いつかないことに、初めて気づいて、われながら、ちょっと驚いた。

 

ある面においての双璧を成すという意味では、
『禁じられた遊び』と、くだんの『道』は、まさに、私のなかで双璧を成しているのだ。

そして、
やはり、キリスト教が見え隠れしているのも、過去エントリーで述べたように、幼い頃の絵本や絵画の記憶と共通していることにも気づいた。

こういう記事には、コメントが つかないなw

 

 

ジェルソミーナが、冒頭、薪の材料のようなものを背負って登場するシーンから開始する。

ベイスハート演じる「イル マット」は、最初に登場したとき、芸用の衣装としてだが、天使の羽を背負っていたのも、意味深に思えてくる。

この二人、どちらも、アタマおかしい人、というキャラ設定らしいのだが、

たしかに、ジェルソミーナには、知能的な面の問題が あるのだなということが示される場面は幾つもあるものの、いたって普通の、健やかな感性の女の子だし、同時に、真っ当な倫理観や聡明な判断力を備えていると、

イル マットは、ジェルソミーナのような知能的問題は なさそうだし、その分、もっと普通に大人らしい分別と思考力を備えていると、私には思える。他の人たちの殆ども、だいたい、そのように思うはずだろう。

 

けれど、そこは映画のなかの世界と言うべきか、

現実に、知的や精神の障碍ある人は、なかなか、こうは いかないだろうと思う。

「普通の人」で通っている人以上に俗悪な感性と利己的な思考を、しかもアカラサマに露出して憚らないからこそ、そこのところで、病者や障碍者の範疇に入れられるだけ、というケースも少なくないのかもしれない。

しかし、いわゆる「健常者」だって、一皮めくれば、似たり寄ったりだ。

ただ、押し隠す技術を わきまえているだけのことかもしれない。

 

 

むかし、作家の故 遠藤周作さんたちが、何かの対談で、

『道』のヒロイン、ジェルソミーナを指して、「あの女はキリストだ」と言ってたのを読んだことがある。

 

だけど、久しぶりに今回あらためて、この映画を観て、最後の場面で、

きょうまで意識しないでいた自分の孤独、気づかぬうちに手に入れていたのに、そして失ったものに、生まれて初めて気づいたらしいザンパノの慟哭する姿を見て、

むしろ、人が見捨てたら、「神」のほうこそが一人ぽっちじゃないか。

という考えが浮かんだ。

 

 

ザンパノから離れよ、ここに居よと、ジェルソミーナを心配し引き留める人は何人も いた。

だが、イル・マットだけは、反対のことを言って、彼女を温かく力づけた。

 

私だったら、イル・マットのような男性に ついていってしまうと思うけど()すごい好みのタイプだしw

 

 

それにしても、思い出すのは、私の母校の同窓生たちだ。

このことも、過去エントリーで触れたが、

かの『禁じられた遊び』にアクビしまくり、上映後はクサしまくり、

いかにも、お涙ちょうだい式の、やすっぽい悲恋もの娯楽映画には号泣していた彼女たち。

でも、みんな、それぞれ、それなりに、いい奥さん、おかあさんを やっていることだろうw

 

『道』の汲み尽くせぬ深さを理解できるべくもなく。。。

 

こういうところでも、マイノリティとしての孤独は あるよなあと思う私w

 

ただ、うちの母なんかも、若い頃から、特に洋画鑑賞を好んでいて、戦後に上映された『自転車泥棒』を観に行ったおり、母本人の大感動を尻目に、この作品の良さをサッパリ理解できず、「あんなん、しんきくさいの、どこがイイの?」と退屈がっていた友人のことを思い出してボヤいたことがあった。

そうしてみると、

各人に備わった感性には各々ある種の共通したパターンみたいなものが あり、そこで、それぞれの感性グループごとに分かれて、そこのところでは、時代や世代が全く異なっていようとも、結局、あまり違わないのかなと思える。

 

 

ごく短時間のうちに、何日も何ヵ月も過ぎたような気がして、

2時間も満たないうちに観終わってみれば、あっという間だったように感じる。

人生の時間の流れにも似るが、

さてもさても、じつに名作映画のなかに流れる時間は、このうえなく濃密である。

 

こういう映画を観たあとは、かつて、シナリオの道に片足入れかけ、そのままになったことを悔いる気分になってしまう。

 

 


 

Updated   
2016.04.10 (Sun)

【続】日本人の好色度w

 

【旧ブログの記録より】

常識を覆す、ということに拘る人の常識。          2010/10/25 20:50

~常識を覆して新しい物を出す。昔から、出陣するときはきれいな下着を着ける。だから~

 

ある意味、ムジュンしとりませんか?(笑)

結局それも、大昔からの習慣を持ち出してるまで。

そういうのは、常識を覆す、というのとは、また違うと思うで。まあ、これは これでいいとは思うけど。

 

~「漫画雑誌は、生き方の情報誌。読んだ人に『こういう生き方もある』と感じてほしい」

 

私にとっては、それは大島弓子さんだなあ。他にも好きなマンガ家さんは何人もいるけど。

 

戦国時代のオッサンの歴史ものに興味が薄いのと同じく、いわゆる少年漫画というのも、興味が持てなかった。暴力的なイメージが強いから。

女の子でも少年漫画好きという子は、どこか違和感感じたし。

 

 

うちの親らは、マンガ、と聞いただけで、鼻で せせら笑うけど、

私は子どもの頃、竹宮恵子さん、萩尾望都さんや、山岸涼子さんなどを読んだとき、これからのマンガは、単なる娯楽に留まっては いないんだと確信した。

 

大島弓子さんは、私が おとなになってからも、辛い時期の私にも、慰めと指針を与えてくれたうちの一人。

長生きなさって、一つでも多く、良い作品を残しておいてほしい。

最近は情報が少ないので、ご病気のほうは どうなってるか、気にかかる。。。

 


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カテゴリ: エンタメ  > コミック・アニメ 

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