2016.05.17 (Tue)
もうちょっと、他の絵は ないのんかと、
私個人的には嫌いな「ばっちい絵」やら「暗黒画」系統ならば、さしづめ、「カルト連」の お好みよねえ(爆)
『バスキアの絵画、日本人社長が史上最高額62億円で落札』
TBS系(JNN) 5月12日(木)13時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160512-00000038-jnn-int
国際間で褒めそやされつつ、内心で軽蔑もされていた、いわゆるバブル時代の日本人の姿を彷彿させる一幕だった(苦笑)
だいたい、色遣いや絵画の趣味には、その人の内面が出ると聞いたことあるし、
くだんの社長さんについては何も知らないので、とくに言いたいわけでもないのだが、
個人の好みとは関係なく、ただ財テクや投資目的だけの理由から、知識も教養も、個人なりの審美眼もない、金持ちだからというだけで、あまり売れそうにない不人気作を、計算高くソロバンはじいてる画商等の美術関係者に つかまされる人も あるといった裏側の現実について、以前に聞いたこともあるけど。
まあ、私みたいに、ネーム バリューやらブランド性には無頓着なほうで、基本的には飽くまで自分の趣味・嗜好だけで気に入ってしまうと、いざというとき手離す気にも なりにくいから、それでは投資や財テクにならないわなあ。
そうして、秘匿しているままでは、公共の利益にも反してしまうし。
なので、
この社長さんも予定しているという、美術館を設けて、そこで展示するというのであれば、それは それで、結構なことと思う。
聞くところによれば、むかし、ある財閥系か どこかの大企業の大社長だか会長だかが、自分で購入し、大事に所蔵していた、歴史的画家の名作を、自分が死んだら、その絵も棺桶に入れて、いっしょに昇天させてくれと遺言していたのを阻止したという実際に あったらしい話を、誰だったか知識人が暴露していたのを見かけたこともある。
まあ、「ゾゾ」なんとかいうところの経営者さんの個人的趣味が どうだろうと、また、その人が稼いだ金銭を何に、どれだけ注ごうと、それは勝手だし、自由を保障されているのは、国家的にも基本事項である。
ただ、この記事にも、相変わらずの浅薄なコメントが溢れかえっているので、それに向けて、すでに何度も指摘してきたことを、ここで また言っておく。すなわち、
儲けさしてもらったならば、それに見合うだけの社会還元は、あきんどの心得るべき道徳なり、
と、大阪商人の伝統精神に言う。
ま、「いまいずこ」の典型だろうがね。
「貧者の一灯」が、なぜ、尊いと されてきたのか。
どうやら、「貧者の一灯」などは無価値ということになってきているらしい、こんにちの日本だが、
そもそも、日本に限った話ではない、東南アジアや中東あたりの、いわゆる発展途上国では、
「持っている者が、持たざる者に分け与えるのは、偉くも何ともないこと。分かち合って、独り占めしないことは義務」
なのだという考えかた。
もちろん、これに甘えきっているだけでは、何らかの弊害が出てくることも あり得るし、要は、何事にも、限度というものが あり、それを超えてしまうと、持っていようと持たなかろうと、いずれの立場に居る者であろうとも、やがては、わが身の首が締まるぞよ、ってことさ。
「肉屋を支持する畜肉提供動物」かどうか知らんが、いわゆるネットウヨお得意の、「金持ちネタムな」なんどの類では ないぞ。
これは摂理というものなのだ。
大儲けできたのは、誰の おかげか、
手前一人の おかげでしょうかな?ということを、一度は、よく考えてみれば分かるはずだということ。
早い話が、
「ゾゾ」なんとかのような企業を含めた、すべての商売人が、この社会、そこは、もちろん、貧乏人と呼ぶべき庶民たちの割合が最も高い、その社会なくして、
あーたは、何を それだけ稼ぐことが可能でしたか?ってこと。
税金なり、何らかの社会還元を、それ相応に納めることが苦痛で業腹なら、
無人島でも買って移住するなり、砂漠やジャングルにでも入り込んで、人っ子一人いない所で終生、暮らすが よろし。
才覚なんぞがナンボあろうとも、
畢竟、社会の皆さんなくしては、カネ稼げるやつなんぞ、どこ探しても、いるわきゃないのだ、
というアタリマエのことが、身に沁みるはず。
ほんとうに、なくては困るものを商いして稼いでいる者が、どれだけ いるというのか。
少なくとも私には、「ゾゾ」なんとかいう会社や「アマゾン」とかいう会社も なくて何ら さしつかえない。
実際、ほとんどの人にとっても同様だろう。
だが、
およそ商売人にとって、この社会が ないのでは、そもそも成り立ちようが ない。
2016.05.13 (Fri)
これに追記する。
「欠ける」ということが、何らかの面で「過剰」を招く
という興味深い現象。
良くも悪くも両面においての。
多くの一般家庭の事例を見ても察しが つくであろうように、本当は、男性が、女性をコントロールしたがり、実際そうするよりも、
女性が男性をコントロールしているほうが、現実には上手く いっている傾向が高いらしいと思われるし(少なくとも日本では)、
また、多数の男性がたは、実のところ、「女房の尻に敷かれている」状態のほうを、むしろ快く受け入れてもいるようだ(少なくとも日本では)。これは、男性の許容性が高いとかいうのでは なくて、
多くの女性が、実権すなわち財布を握っている、
言わば「影に隠れた真の実力者」という立場を堅持できていれば、牙城である家庭は自分のもの、表向きだけ「男性を立てておく」ほうがラクだから、という本音に似ている(少なくとも日本では)。
夫側である男性は、(少なくとも日本では)仕事仕事に明け暮れていれば、こまごました日常品の価格でさえ、さだかには知らない。
なので、家計管理を任せておけるのなら、そのほうが、仕事だけに集中していられる。
本音では、自分で得た収入を自分の好き勝手に遣いたいのは やまやまだろう。けれど、
もし、財布を握っているのが男性側であれば、大概の場合、勝手な判断で、これくらい渡しておけば、まず間に合うだろう、と言うより、間に合わせてほしい、間に合わせるべきだ、と、およそ現実的でない金額を渡すのみでは、妻側は、つよい不満を溜め込む恐れが高くなる。
このような水面下の関係性が ない国だと(そのほうが、日本以外の国では一般的なのかな?欧米圏では、家庭の財布を握っているのは夫側が普通のことだと聞いているが)、そうなると女性側は、むしろ、ハッキリした表現で自己主張せざるを得ないのでは なかろうかとも思う。
(以上、ちょっと書き飛ばしたかなと思うので、コトバを補いました。)
で、
もちろん、その場合、女性側の知性レベルも問われるはずだろうが、
そこは それ、伴侶というものは、私が かねがね言ってきたように、
「相手のレベルが自分のレベル」
であるから、
多くの男性たちにとって、あくまで日常生活の範囲内に おいては、自分よりも、ほんの少し上回って狡猾なくらいの女性のほうが、かえって安心感があるのかもしれない(笑)
男性も、本当は、もともと、たまらなく好きな対象である女性たちを尊敬していたいのだろう。
ただし、あくまでも、自分のテリトリーや得意とする分野、プライドを支えている分野を明け渡さずに済むかぎりで。
もし、
自分よりも、ほんの少し下回っていると思える程度の「おバカちゃん」が伴侶であるなら、今度は逆に、徹底的にコントロールするべく、伴侶と、その家庭内管理を、自己つごうで強化することも あるだろう。
だからこそ、
思考を深める質の良い教育は、肉体的性的欲求のコントロールに苦労する男性には勿論のこと、
女性に対しても、別様の意味から、必要なのは当然だ。
子どもの初期段階教育に関与する度合いが、現状、母親のほうが高いのだし、
もっと大きく出て、世界規模で考えると、
古今東西、圧倒的に男性が意欲を示してきた、戦争というものを抑止・阻止するためにも、女性は、男性に おもねり、引きずられているようでは いけないし、
むしろ、女性のほうにこそ、男性の「過剰」性向をコントロールする力が必要であると、私は思っている。
もっとも、女性のなかには、男性も真っ青な凶悪犯罪を やってのける者も いるのは事実だが、こういう女性の脳は、多分に男性型だろうと思われる。
(実は私自身も、「男性脳」の範疇らしいのだがwま、科学的に確かなことなのかどうか、正確なところは不明。)
「ヤフコメ」投稿のなかに、海外での経験談のようだが、少しだけ科学的根拠の面から述べているものを見かけたけれど、
言うところの「テスタスタロン」というのは、たぶん「テストステロン」のことだと思うが、これについて指摘しているということは、やはり、男性性の問題だということになろう。
併せて、
気候条件が もたらすところに根本的原因が あるらしいという指摘、要は、それによって鍛えられ、上下する思考力発達度の違いを示しているのであれば、
やはり教育、または、実生活上の豊富な経験・体験による思考力の深化が関係してくるということだろう。
単なる知識でない、想像力や洞察力を養う教育の重要性も結局、そこのところを問われるわけだから。
ただ、アフリカあたりの気候風土を指して「穏やか」という見解は、私には意外だった。
一般的に言って、暑い地域というのは、露出度が高くなるせいなのか、性的にも放埓になる傾向は多少あるのかもしれない。
実際、夏場のほうが、性犯罪も頻発しているのでは ないかなと思う。
ちゃんと調べずに言っているので、私個人の実感に過ぎないかもだが。
だからこそ、暑い気候の国の宗教や文化的に、性の方面でのルールや縛りが激烈になるのかと思える。それも、立場の弱い女性に厳しい。
日本でも、真夏になると理解できることだと思うが、
極度に暑いと、ダルくてダルくて、めんどくさくなって、つらつら思考しているエネルギーなんぞ低下し、覚えず衝動的傾向を帯びてくるようだ。
寒さが強烈でも、同じようなことなのだけれど、
ただ、厳寒地域では、考えるのダルいなどと悠長なことを言っていては、たちどころにして、生命の存続が危ぶまれるだろうから、必然的に、生き延びる方策を思考し続け、ついでに(?)なぜ、生とは、かくも苦労が多いのかを突き詰めて考え込まざるをえないかもしれないし(哲学w)、
寒さは、体温を容赦なく奪い続けるし、脳は、使えば使うほど、エネルギー補給を要求し続けるし、補給を じゅうぶん満たせない者は不利になってしまうのだから、生き延びるための工夫を図り、実行し続けていかざるをえない。
その結果、白人の文化・文明は、飛躍的発展を遂げた、と。
皮肉なことに、生活も教育も高レベルなはずの欧米圏「先進国」で、
しかも、戒律が厳しいはずのキリスト教の坊さんが、裏では、性的犯罪を犯し続けていたことが発覚した事件は少なくないようで、
それも やっぱり、男性だ。
日本でも、仏教の僧侶と言えど、性欲発散のために、「稚児」という小児性愛かつ同性愛的存在を黙認されていたという歴史が ある。
女性を肉欲対象にするよりはマシ、ということらしいのだが、
それだけに、
かえって、もともとの、女性に対する性欲の強烈さが滲み出ている。
2016.05.13 (Fri)
東京にオリンピック招致が決定したとき、ほとんどの国民もネット民らも、ガッツポーズで湧きに沸き、メディアも口々に、安倍朕の「強運」とやらを称えていたはずだがなあw
あの頃は、私は、よりによって産経系wが運営していたサイトでブログを やってたから記憶してるが、
同じサイト内で、どういうわけか、あそこでは珍しいことに、「サヨ」系と目されているにも かかわらず、
どういうわけか、がちウヨ・ネットウヨどもにまで好かれていた、毎度ロリコン趣味の悪趣味なイラストを宣伝してた、自称「Tシャツ屋」だか建設業者だかが、普段は、安倍政権をコキオロシていたのに似合わず、オリンピック決定おめでとう!と のたまっていたものだ。ふん。
このブロガーは、あるときなんか、例のana5と一緒に、私に対してヘンな絡みかたを してきたもので、ここにも胡散臭いやつが いるわぃ、、、と思っていたけれど、いまにして思えば、やっぱり、えせサヨだったのだろう。でなきゃ、あそこの究極ネトウヨどもにまで好かれるはずがない。
しかし ま~、日本国民、おそらく、在日の人々も含め、この列島に居住している者たちは、とことんまで忘れっぽいのだろうか。
「3歩あるいたら」ナントヤラ、、、まんまじゃねえの?
この記事に付いた、「フェイスブック」コメントを見てごらん、
ミギだろうがヒダリだろうが毎度のチョーシで、呆れるったらないよ。。。
『<東京五輪>招致巡り裏金、仏当局捜査…国際陸連前会長側に』
毎日新聞 5月12日(木)21時26分配信
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6200833
やっとれ、ミギやヒダリの愚民ども
今ごろにもなってからに。(呆)
だって、オリンピック誘致成功したというニュースから ほどなくして、どこかの新聞社(やっぱり毎日新聞だったかな?忘れた)が、オリンピック委員の各人に、大金とか高級ブランド品だかを渡してあったとか、来日したときに、東京で、豪勢なオモテナシしてあったとか、報じてたよ?詳細は、私も忘れたけど。
そのときは、国民もネット民も殆どは、なんら問題視せずにスルーしていたようなんだがな。
それどころか、
オリンピックに文句言うのか、反日だー!反日新聞だー!!って雰囲気だったわな。
やれやれ。
『【続】歯が痒くなるw 』
あの頃のエントリーでも述べたように、
思えば、日本の華々しい上向き時代到来の象徴だった旧の国立競技場、それを、潰したのだ。
旧国立競技場を取り壊すことになったとき、
さしたる愛国心もない私でさえ、いささかは抵抗感を覚えたものだが、
それは(耐震性問題とか)仕方ない理由も あったそうでは あるけれど。。。
だいたいなあ、オリンピック委員会そのものの利権・腐敗ぶりは、とうの昔から指摘されてたろ。
それもあって、
石原の都知事時代から、ちんたろう爺さんがナンボ欲しようと、誘致反対してた人たちも少なくなかったはずだよ。
もうね、
発祥の地、アテネに帰して、お金に困ってるらしいギリシャの永劫特権にしてあげたら いいよ。
2016.05.11 (Wed)
うちの母親が生前、何の気まぐれからか、パン屑だか米粒だかを、ベランダに撒いたら、目敏く やって来て、じきに覚えて習慣化したごとく食べに来るようになった雀たちを、可愛い可愛い♪と、悦に入っていたらしく、実家に帰っていた私に、その話を していたとき、父親が横合いから、「だーれが掃除を するんか!」とプンプン怒っていたのを思い出した(笑)
母は、その頃すでに、病気で倒れたあとだったから、辛うじて回復してからも、あまりマメには動けないうえ、もともと、掃除が嫌いだった人なので、そっちのほうは、家事に几帳面だった親父が、せっせと後始末していたようだ。
けど、
母親は、生まれも育ちも大阪ど真ん中の都会っ子、
親父は、千葉のド田舎育ち(笑)
『街のツバメ、子育ての敵はヒト 巣作り妨害、農村の7倍』
朝日新聞デジタル 5月10日(火)9時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160510-00000016-asahi-soci
あんな小さな、野性の生きものでも、あの小さなオデコで必死に考えたのか、生き延びるために、人間の生活ぶりを、よく観察してる。
人間側にも人間にとっての、その時代背景や環境による つごうと理由が ある。
だいたい、都会地では、もともと田舎から来て住み着いてる人のほうが多いでしょw
基本的に街育ちの私も、近場の大きな公園のみならず、ほんの少しの土や緑のスペースを見逃さず やって来る小さな鳥たちは、いかにも健気で、特に可愛いもんだと常々ほほえましく思って見てるけど、
昔の農家のように、広いタタキとか土間とかが ある家屋なら、巣を掛けられても、それほど、気にならないかもしれないが、
都会の街なかで押し合いヘシ合いしてるような狭い家では、そこの住人にとって、かなり酷なことだとは思う。
卵や雛を狙って、みーさんが、屋内に侵入してくるかもしれないし。
しかし、知事の許可が必要ということは知らなかった。。。
ともかく、巣が掛けられたあと、雛が孵ったあとで、無慈悲に取り払ってしまうのは、さすがに、燕も可哀そうだから、せめて、事前に防いでおこうと思うのも、じゅうぶん理解できる。
まあ、せっかく苦労して拵えた巣をアッサリ壊されてしまうのは、燕たちにとって、思わぬ大地震に襲われたようなものだろうか。
なんてこと してくれたんだ!と立ち向かって怒りの抗議することもできないもんね。
2016.05.11 (Wed)
私も、世界的に共通して見受けられるのは、人種や国、地域とは無関係に起きていることから、男性性に由来する面が突出して大きいのだろうなと察しては いた。
おりにふれ、こういう記事を目にするたび、少しずつ考察してきて、すでに何度も指摘してあり、もう めんどくさいので、たまには簡潔に言おうw
男性は、いろんな意味で、根本的に自信がない者ほど、レイプに走る。
もっとも、
状・情況が与えられたにせよ、自分で無理に拵えたにせよ、そうできるチャンスが あればだが。
『「レイプは黒人文化」 南ア白人判事の投稿に非難殺到』
AFP=時事 5月10日(火)17時34分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160510-00000027-jij_afp-int
発言の真意と詳細は、よく分からないし、もちろん、言いかたは悪い。
せめて、疑問形にしておくべきだったろう。
けれど、
現地で生活してきた、かつ、女性であり、判事という、裁きの立場にいるからこそ、目の当たりにしてきた、あらゆる悲惨の事例の かずかずが、このように言わせたのでは ないかとも とれる。
さて、
一般的に、男性は、何らかの理由で、自信を失うと、てきめんに、まずは性的方面にて、レイプ等の歪で強圧的な行為に走りがちのようだ。
彼らは、自信を傷つけられた、損なわれたと感じると、とにかく、自分よりは弱いと踏んだ相手に対して、手っ取り早い「自信の回復」を図れるような気がしてなのか、レイプ等の性的蹂躙行為に およぼうとする。
それは、被害相手だけでなく、
当の自分自身さえも貶めてしまうだけのこと、全くの錯誤でしかないのだが、一般的に男性の性欲の、不自由なまでの強烈さが、ダイレクトに後押ししてしまうのだろう。
もちろん、そこでは、相手の人種とか所属する国等は関係ない。
自分と同じ共同体の仲間でさえも、そっちに向かうほうが、とりあえずは容易であれば、そうするだけのことだ。
女性一般の側にも、傷つけられたり損なわれたりした自信を回復したいという欲求から、自分よりは弱い対象に向けて、強圧的な何らかの行為を行うことは、めずらしくもないだろうが、
男性一般の そうした、身も蓋もない単純な肉体的発露に比べると、もう少しは、メンタル的に屈折していて、
昔からの譬えで言う「真綿で首を締める」的な やりかたを することのほうが、女性には多いだろう。
特に、男女とも、自分が保護者側として扱える子に対して発揮されがちなことは、古今東西の例に事欠かない。
ここに、もう一つ加えておく。
俗物根性。
俗悪な程度の思考能力しか備わっていない者は、こうした浅はかな傾向を強化する。
当然、世俗の、または、自分が所属する場所の価値観に、たやすく感化されるし、自覚なく、無批判に従う。
さしあたり、おのれにとっても、つごうが よいとなれば、「渡りに船」のことだ。
文化、教育、習慣、風習、これらは、切っても切れない、繋がった関係である。
古今、高等教育は、男性を対象に、より注力されてきた。
反面で、女性には、むしろ、教育から遠ざけるのが望ましいとされてきた。
たぶん、これも国際的な共通傾向だと思われるが、日本でも昔から、
「男性を立てておくべき」
といった戒めは唱えられてきた、そのことの意味。
ほとんどの男性にとって、ほとんどの女性にとっても同様だろうが、
乳母のように世話をしてくれ、優しく あやしてくれ、うっとりと包んでくれた温かい肌が懐かしくもあるのだが、
原初の自分の上に絶対的に君臨していた生ける法典、有無を言わせぬ暴君、恐ろしい女神でもある。
それに加えて、男性の場合には、女性とは、尽きせぬ神秘を、この世に体現している
「メカ女神」
であるかのようだ(笑)
解き明かしたいフシギ、
同時に、克服せねば ならぬ、
つまり、大自然の化身。
さても恐ろしいがゆえに、
組み伏し、究明しつつコントロールするべき対象のようである。
文化的特徴、というのなら、たしかに、白人の思想や文化の歴史に顕著であるとは言えそうだ。
イスラム教等に見られる、不当としか思えないほど、女性に対して抑圧的で厳格な戒律の類も、
また、それらと通底している日本の風習にも、体よく現れていること。
それは、ひとえに、
それほどまでに、
男性性とは本来、心身ともに脆弱な存在
なのであるということ。
というわけで、私に言わせれば、
キリスト教の「アダムとイヴ」神話にしても、かのフロイト大先生の お説にしても、真逆も いいとこ。
科学的にも、各方面のデータに明らかなはずである。
染色体の形状にすらも、本来、「あるべきもの」がない、ということが現れているw
それが即、悪いとかいうことでは、もちろん、ないよ。
「原始、女性は太陽であった」とか言い放った人が いたが(学校時分に読んだことある。ほぼ完全に忘却してるけど笑)
原初、男性は女性であったのだから。
『民族か?個人か?』
『ひとたまりもないのだ。』