2016.05.22 (Sun)
近ごろ、自民党支持者なのか、「日本会議」や「在特会」系なのかと思しきウヨどもの投稿のなかに、「家柄が良い政治家のほうが信用できる」という、
またまたバカげた説を恥ずかしげもなく吐露する者が 目につき出したので、一言。
なんだって こんなバカなことばかり言い張るのだろうか。。。
家柄が良ければ、悪いことは しないのかね?(嗤)
当然だが、そうでは なかろう。
いわゆる「家柄」が良いとされていても、自民党の お歴々、なかんづく、あほうタロウさんだとか、あへのシンちゃんだとかいう人たちのように、
人品骨柄を大いに疑ってしまうような ご仁は おられるわな。
彼らは、思想や哲学の低劣、見るべきほどの資質も実力も なく、それが証拠に、
一般の何倍もの恵まれた生育環境のはずなのに、学業成績が優秀とかいうわけでもなく、ひたすら、ごく近い先祖筋の七光りだけ。
それを取っ払ったら、一般人よりも出来が悪いのは明らかと言わざるを得ない。
恵まれてて、あの程度だもの。
そもそも、彼らの家柄が良いとか、名家であるとかいった説を、私は全く同意できないの。
むしろ、「ザ・なりあがり」の典型だと思っている。
ハッキリ言って、家柄のみを言うのなら、うちの家系や家柄よりも、ずっと落ちる。
ちょっとばかり過去を遡ったときに、それなりの地位に就いていた者が いたからという、それだけのことだ。しかも、「七光り」を付与している原因となった その者自体、素性も知れぬ芸者の産んだ、もらいっ子だったりね。
ただ、たまたま養育者の遺した禄や財に ありつけたラッキーさは特大だったわけだし、おつむのほうも、その子孫に比べれば、ずっと良いほうだったのだろうけれど。
要するに、家柄が良かろうと良くなかろうと、
問題を起こしている原因は、
カネ
これに尽きる。それだけ。
2016.05.22 (Sun)
『拘り』の続き。
一例を あげるとすると、
休憩時間の お茶を汲んできて、その湯呑等を、自分の机の上の、どの位置に置くかというのは、まあ、合理的な理由が ある場合も勿論あろうが、
その人の場合、湯呑を置く位置も、ほぼミリ単位で毎回、決まった位置に置くのかという徹底ぶりだった。
われわれの業務は、締め切り期限が迫ると、休憩時間を返上してでも、とにもかくにも仕上げて提出しないと いけない仕事だったのだが、
他の者たちが、青筋立ててシャカリキになって取りかかっている最中、
お茶の時間が来たら、一人だけサッと席を立っていき、のんびりと、お茶を飲んでいる。当然、その間、仕事の手は止まっている。
仕事のほうも、休憩時間くらいにキッチリ守って遂行してくれたら助かるんだが、そっちはカラッキシという体たらく。
まず、業務の基本的段階から、よく理解できていないまま。私よりも先輩だったのだが。
普段から、仕事が遅いのだけは、職場で一位を譲ったことがないのだから、
上司に提出すべき期限の時間が来て、私ら(なかでも私は、他の同僚の2、3倍の量を こなすように強いられていた)が辛うじて仕上げて、
やれやれと息を つき、さて、時間だ、集めて提出しなきゃと、
くだんの社員に、できましたか?と促すと、案の定、さっぱりこと進んでない。
もう一人のほうは、なぜ、「強迫症」なのか?と感じたかと言うと、
たとえば、仕事で、何かの作業を行ったあと、これで間違いないか確認しておくというのは、誰しも心がけることだと思うし、
できるかぎりは、そうすべきでもある。
けれど、それにしても、1、2回程度で済ませるはずだ。
私なんかは本来が、アタマぼーっとしてるしオッチョコチョイなのは自分でも分かってるから、3回くらいは確認したいのが本心だけれど。
たしかに、あとの確認を丁寧に行う人は、安心でもある。
しかし、それも程度問題。
せいぜい2、3回で終わらせるなら まだ いい。
10回20回、
黙っていたら、あとの確認作業だけで、ヘタすると数時間を費やしても、平気の平左なのだ、そのひとは。
これでは、異常だと思われても しょうがない。
そのぶん確実に、周囲の誰かしらが、カバーしてやらなければ、仕事がスムーズに まわらないのだが、
その職場では、身障者であり、新入りであるという、非常に弱い立場の私が、概ねカバーしていたので、その「困ったちゃん」なべテラン社員を、正面から注意してあげる人は皆無だったし、肝心の上司でさえ、わざと見過ごしていた。
誰かが犠牲になっているかぎりは、皆、黙っているのだ。
だから、私が、そこを辞したとき、くだんの当人も、間もなく辞めた。
もちろん、口では、良いほうに まわって、せいいっぱい自己保身に努めていたが。
当人は、さも、責任感が強いゆえという「演出」に精出していたし、
私も含めて、てっきり、そうなのだろうと素直に思っていて、実際には困らされる立場だった私も、むしろ、その人の美質と受け止めるべきなのだと思っていた。
だが、そういう面も あるとしても、最大の理由は、やはり、自己保身だ。
自分のミスを、どんなに些細なことでも、指摘されることを、異様なほど恐れていたのだと、いまでは察している。
私も、自分の障碍ゆえに、避けてきた業種は多々ある。
若い頃、見栄っ張りの母親に半ば強制されるようにして、障碍を無視し、どころか、まさに、私の損なわれている機能を必要とする業務に就いたことも あった。
が、針の筵の思いを してからは、素直に避けている。
精神衛生にも甚だ悪い。
大概のビジネスは、時間の遅れは命取りだ。
どうしても できないのなら、無理せず、それで支障の生じない仕事に就くべきだろう。
支障が ない、というのは、特定の誰かに全てを押しつけてしまうことのないように、ということだ。
全員で各自が少しずつ譲歩、助力できるのなら、大概の障碍の問題を持つ人を受け入れる余地は、全く可能性が ないとまでは、私は思わない。
「拘り」。
私だって、親らの姿を見ていたら、多少の遺伝は あるはずだと思うし、
ましてや、軽くは ない障碍を抱えているのだから、それらから来る影響が あってフシギは ない。
当然、自分でも持て余すような「拘り」も持っていないわけでは ないのだ。
ただ、それを飽くまで通そうとすると、ある程度以上になると、たちまち、周囲の人たちに迷惑となってしまうだろう。
だから、グッと こらえているだけのこと。
それが できるか どうかだろう。
気づくことが できなくて、マイペースを通してしまうこと自体、その障碍が もたらすゆえんなのかもしれないが、
自覚は あっても、あらためる気もなく、それどころか、
自分のマイペースや欲求・欲望をトコトンまで押し通さずにいられない者のなかには、
自分よりは立場の弱いと踏んだ者を、悪者にしてでも押しつける「要領の良い」手合いが存在する。
こうなると、それは障碍のせいなのか、否、もともとの性格として、個別に考えるべきなのか、はなはだ曖昧だ。
障碍も、個性を かたちづくっていくのだ、
という説に、私自身は実感が ある。
私の場合も、かなりのマイペース傾向があるのは自覚しているが、その原因の一つには、そうとう疲弊してしまっているという側面も ある。
最終的に無気力にまで陥ってしまうと、人は動けなくなる。恐ろしいことだ。
親や養育者、世の指導者たる者は、心すべし。
『「パニック障害」』
2016.05.22 (Sun)
『注意欠陥多動性障害、成人期に発症も 研究』
AFP=時事 5月19日(木)12時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160519-00000017-jij_afp-int
この記事に付いたコメントのなかに、
「子どもを持たない人は」云々と言っている投稿者を見かけたが、
このひとは、それなりに知識も持っているようなのだが、要するに、
ご自身に、発達系障碍児が いるのだろうかと思えた。
そのコンプレックスから、
はては、障碍児だろうが、とにかく子どもを産んだという一点において、そうでない者よりはナンボかでも偉いと思っての意見なら、くだらないことを言うのは やめたほうがいい。
そんなことを言ってるから、往々、障碍児本人よりも、むしろ、その親の資質や考えかたのほうを不審に思われるのだ。
もっとも、私も、数年前だかに、いま首相に就いている政治屋さんあたりを指して、その、あまりの浅薄な考えかたは、子どもを持たないゆえなのだろうか?と疑問を呈したことは あるけどもw
「汚気・愚」(OKウェイヴ・おしえてgoo)でも、何の筋合いがあってなのか、突如として、「カルト連」の一員(と言うか別ハン)「あまがっぱ」と私の争いに、いらぬ嘴はさんできた「ミスト グリーン」なる会員が いたが、
この者も、自分の息子が、脳関係の障碍者なのだそうで、
にも かかわらず、
連日、長時間を、あのサイトでの異様なまでの長文投稿連発に費やしていて(いまだに やってるのかしらん)、
そのために、子らの食事すら あとまわしという体たらく、
一応これは健常らしき上の娘に、白い眼で見られているという内容の、見るも恥ずかしい自己申告を見かけたことが あった。
つくづく、呆れたことだ。
私を つかまえて、筋合いもないのに、「トラブル メーカー」呼ばわりし、「カルト連」のほうに肩入れしていた、その愚かさ。
他には、「こだわり」という特徴のことを指摘している投稿者が いて、
そう そう、それよ、と思ったしだい。
この短い指摘くらいだなあ、最も冷静にして的確なコメントは。
私も、仕事の関係で、発達障碍児に間近で接した経験は少し あるが、
それは もう、程度の重い子だったのだろうか、ひどく手こずったものだ。
もちろん、困らせようとして、わざと、という感じとは異なっていた。
この類の障碍も態様は いろいろあるだろうし、個人によって、現れかたも様々だろう。
私の経験では、精神障碍の方面、かつ、いわゆる人格障害者にも重なるところが あるように感じては いるのだが、
彼らを総じて、その大きく特徴となる面を一つ挙げるとすると、まさに、「拘り」なのだ。
私には、親きょうだいを含めた身内にも、職場の同僚として関わった人たちにも、大なり小なり、そうした傾向を持つ者たちが いるし、
たしかに、
うちの親のように、知能は人並み以上に高く、日常生活の範囲内では、狡猾なほど要領良く立ち回れる者だから、ある程度の見分けられる知識がないと、むしろ非常に優秀で、非の打ち所がないほどの人物、といった印象を持たれて誤解されてしまう。
なぜ、それが「誤解」であると言えるのか。
彼らは、表向きや世間向きにはイイカッコしていても、その裏で、立場の弱い者を、それが、わが子であろうとも、平気で踏み台にしてしまうからだ。
その犠牲者のことを、世間は知らない。
彼らが、自分の所業を自覚しているか いないのかは、そばで観察していても、よく分からない。
ただ、もし、多少なりの自覚が あるのなら、そのために、ますます、自己保身のため、内外ともに、取り繕う細工を必死に凝らすだろう。そこは、知能が高いだけのことは ある。
なぜなら、異様に見栄っぱりだからだ。
その また理由は、
小心が過ぎるのか、「不安」に苛まれるほど過敏ということなのか、
つまりは、自己防御のために小賢しいからでもあろうが、
むやみと被害意識が肥大したあまり、トコトンひらきなおっているからだ。
職場関係でも、いまだに思い出すたび、辟易感を もよおしてしまう人たちが いるのだが、
いまにして思えば、一人は発達障碍者、もう一人は、何らかの精神障碍おそらく、強迫神経症らしきものも併せ持っていたのだろうかと推察した。
発達系障碍者かと思しき人のほうは、性格そのものが悪いとかいう感じでは なかった。
単に、考えが極端に足りないのか、それゆえ、洞察力や、周囲に対する気遣いが、極端なまでに不足している、
一言で言って、極度のマイペースであり、そこを乱されると、被害意識を持つ、という印象だった。
まあ、それじたい、人によっては、こいつ性格が悪い?と感じさせるかもしれないのだが。。。
【続く】
2016.05.17 (Tue)
『「ドレス コード」』の続き。
ところで、私の知人のなかに、オシャレという意味での身なりを、ほとんど かまわない女性が いたんだけども、
彼女が、新しい職場に初出勤したとき、いわゆる「のびのびジーンズ」的オバサン向けGパン着用という、普段の彼女のパターンで出社したら、上司から早速、「うちは基本的にブラウスとスカートね。Gパンはダメです」と言われちゃったんだって。
そのせいなのかまでは聞かなかったが、ほどなく、そこを辞めてしまったらしい。
Gパンを愛用するのは、わりとスタイル良いのでないとキマラナイはずと思ってる人、けっこう多そうだけども、彼女の場合は、おみあしにコンプレックスが(いわゆるO脚で短足という、日本人女性の典型的おみあし)あって、むしろ、だぼっとしたオバサン向けGパンはいてるほうが、曲がりぎみの脚を隠せて、つごうが良かったんだな。実際、めずらしくスカートはいた姿を見せてくれたとき、全然似合わないことに驚いたくらい。
おまけに、お化粧が絶望的に下手、
ただ、土台の顔だち自体は、まあ それなりで、けっしてヴサイクなわけでは ないので(もちろん、好き嫌いは あろうが)、そりゃあ、こんなにメイク下手なら、いっそスッピンで とおしたほうが、よっぽどマシだものなあと思った。
そのくらい、自他ともに認める不器用、かつ、およそセンスというものが からっきし、なかった。
フアッションだけでなく、仕事にも家事にも全てに、その傾向は およんでいたので、いろいろと、内心で驚かされていたけど、
「センスが備わっている」かどうかということは、そういうものなのかもね。
こっちは、仕事でシワ寄せされてエライめに遭わされてたということも あったもんだから、にも かかわらず、その異様な負けん気の強さと性格のキツさも相俟って、なんで こうなの?このひと、、、と不審に思っていたのだが、
あとから思い当たったのは、本人から聞いた過去の身の上話を鑑みても、どうやら、精神的な方面の病気か障害が あったらしい。
その方面の病気や障碍者には、あたかも代替作用のように、美的感覚やら各種芸術の才能に恵まれているはず、という、ありがちな印象から、俗世間の思い込みに感化された信仰者、殊に遭遇した「病んだネット民」ら多々の願望に対して、そうとは限らないのだよと冷酷に(?)w反論する場合の根拠の一つにも なってるほどだ。
取り立てるほどの何の才能も才覚もないが、ただ、何らかの精神障害を抱えているだけ、って者も いるのが現実、ってことよ。
だから なに?
ってことだ。
芸術的才能やらを持ってたら、何か偉いのか?ってことよ(嗤)
ま、俗悪な価値観に毒されているゆえの劣等感を捨てることだね。
そういうのが凝り固まって、しまいには、筋合いもない他者に八つ当たりして鬱憤晴らしするようなグジグジ歪んだ性質になってしまうようだから。
かくいう私自身も不器用さでは負けてないし、
肌質が弱いせいもあって、顔にアレコレ塗りたくる化粧そのものが鬱陶しいので、お化粧を本格的に始めた年齢も遅かったし、いまじゃ普段は、ほぼスッピン、やっぱり、全体ダボッとしたヒッピー的スタイルと化してしまいましたわい。(これでも むかしは、どこの ご令嬢?と言われるほど、お嬢さんスタイルだったのにぃ、、、ううっシクシク( ;∀;)
たまにリキ入れてメイクする必要に迫られたときは、コツも何もスッカリ鈍っちゃってたりするどころか、やりかたすら忘れかけてたり(苦笑)
それとねー、
Gパンばかり履いてると、脚のほうも、それに向いたかのようにガニマタ傾向を帯びてくるのだそうな。ほんとかなあ?(汗)
あと、
ウォーキング レッスンの心構えとしても、むやみと長時間にわたって歩くこと自体が、あまり良くないことで、特に、まちがった歩き方のままだと、ヘンな筋肉が ついてしまうし、
ロウヒールばかり履いてると、やっぱり、そういう靴向きの足になるのだそうで、足首が太くなるとかって。
私が教わったモデル スクールの講師は、なるべく10センチくらいのハイヒールに普段から慣れておくように、最低でも8センチ程度は必要だと言ってた。
しかし、ま、やたらヒールの高い靴、やたら締めつける衣類は、総じて、健康に良くない。
特に女性にとって、血行は大切。
いつものように、話は あっちゃこっちゃ飛び続けたが(苦笑)
最後に、心理的に興味深い事例の話。わりと知られていることかもしれないが、
むかし、雑誌で読んだと記憶するけど、おもしろいなあと思って、いまだに憶えてる記事が ある。
アメリカだったかな、出勤時の女性たちは、その多くが、スニーカー等のフラットな靴を履いて出勤し、会社に着いたら、ハイヒールに履き替えるのが一般的なのだと。
要は、出勤途上に すれ違う他人の目なんか気にせず、着ているスーツには似合わない靴であろうとも、合理的にラクに通勤することを優先していて、「戦いの本番」たるオフィスでこそ、きちんとした靴を履いてビシッとキメてるのだと。
日本とは、ほぼ真逆ね。
なにしろ長時間拘束されるからという理由が1番目に来るのだろうけど、職場では、可能なかぎりラクにしていたいのが本音。
ましてや、お仕着せの制服に着替えて、座りっぱなしの事務系仕事はね。やっぱり むくむし、ムレちゃうし。
で、退出時間になって、パンプス履いて帰る頃には、おっさんサンダルで遊ばせてた おみあしがパンパンになっちってる、というパターンは、私も経験してきたw
ちなみに、満員電車で痴漢に遭遇したおり、犯人と思しき男の足の甲めがけて、ハイヒールで思いッきし踏んづけたこともある。
もしかしたら、お人違いだったかもしれない ことも あったw
私は、少しの摩擦にもズル剥けになるほど、異常なくらい弱い皮膚なので、靴擦れはハンパない。
だから、ハイヒールと言うか、そもそも、かかとのある靴が厭である。
なんせ、スニーカーでも、おろしたては特に、酷く靴擦れするくらいだ。
アメリカあたりの女性たちの対処ぶりには、合理性を認めやすいスッキリさが あるけど、
日本の場合、通りすがりの他人たちには、ハイヒール等で澄ました姿を見せておき、慣れた職場の同僚たちには、まったりした かっこうで和気あいあいと、、、ってところか。
それでいて、通勤電車で人目を憚らず化粧したり、もの食ったりだもんね。
同じ日本人ながら、あらためて考えてみれば、一筋縄で いかない、ちと不可解な面が。。。
ついでに、
欧米圏と言うか、やっぱりアメリカだったかにおける一般的母親は、
もしも強盗や何かの危険な相手に思いがけず遭遇したとき、そばに幼い子どもが いる場合、まずは子どもを、自分の背中の後ろに隠すようにして、自分自身は犯人にキッと顔を向けて身構えるそうだけど、
日本の母親の場合、その多くは、反射的に子どものほうに向き、犯人に対しては、まるめた背中を見せて縮こまってしまう人が多いという、何かの調査結果を読んだことが ある。
まあ、読んだ当時は、なんとなく、そんなとこだろうなあとは思えた。
2016.05.17 (Tue)
『企業のハイヒール義務付けを違法に、英女性の陳情に12万人が署名』
ロイター 5月16日(月)12時51分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160516-00000044-reut-int
パリジェンヌなら、むしろ、しゃれたフラット シューズで闊歩するイメージだけどね(笑)
イギリスの場合でも、幼いうちは、王室のプリンセスたちが履いてるような、ベルト付きのフラット シューズは上品だし(私も子ども時分は履いてたよ)、
なんといっても、エリザベス女王が、お若い頃から、ハイヒールは好まれないそうで。
欧米圏と言っていいのかどうか、少なくとも、かつて、王侯貴族を戴いていたとかで、あるいは現代でも、身分制度の名残が色濃く残っている国では、ドレス コードというものも、いまだ厳格な面が あるようだ。
アメリカあたりでも、服装がキチンとしてないと、それなりの格を標榜するレストランには、入店を断られたとかって話、むかしは、けっこう聞いていた。もちろん、人種差別とともに。
もともと労働着だったジーンズとかTシャツなんかも、ソーシャルとされる場では許されなかった時代が あった。だいぶ緩和されてきて、近頃では、ほぼ全く許容されているようだが。
私が旧ブログを やってた、産経系運営のサイトで、
そこの常連の、いかにも頑固な、保守派を気取った自覚もない、退職後の高齢と思しき男性で、もちろん、堅く自民党支持・産経シンブン愛用と思しきブロガーが、
いつだったか、たしか「クール ビズ」ファッションを話題にしていた記事に寄せたコメントのなかで、
どうやら、わが国においては、夏場の、どんなクソ暑い季節でも、きちんとした服装で いるべきなのであり、くだけたスタイルの かっこうで勤務するのは、はなはだケシカラン、ということを主張したかったのだろうか、のっけから、「ここは日本だ!!」と怒っていたのを見たことが ある。
それで、この高齢男性、ならびに、多くのウヨ系の かたがたも そうであるのだろうが、
ごく日常的な場や卑近の話題等に関しては、いたって平凡な思考力レベルと感性だけに、まずまず普通に善良と言っていい人たちなのだろうとは察しているのだけれど、
いかんせん、彼らが大いに好む政治やら、それ関係の思想などの如何となったレベルの話題となると、
この低学歴・無教養な私ごときでも、そうとうに辟易感を もよおさざるをえないほどの、
「真情溢るる浅薄」
とでも喩うべき人物タイプが、あまりに多過ぎることは、すでに じゅうぶんなくらい見てきているので、
直接対話は、めんどくさ過ぎゆえ、避けさせてもらってw、
自分のブログ内で、私としては珍しくも、なるたけ遠まわしにww
「ここは日本だー!と言うのなら、昔ながらの伝統守って、和服や裃着てりゃあ いいのに、とっくの昔から欧米スタイルどっぷり真似てて、それが普通で やってるんですけどもー」
というふうな内容で、せせら笑っておいたことが あった(爆)
さて、
ハイヒールにせよネクタイにせよ、発生した時点では、そもそも「美的に」とか、ましてや「エロ」目的だったかというと、そうは言えない事例が少なくないようだ。
たとえば、ヒールのある靴というものは、昔のロンドンあたりの、ぶちまけられた糞尿まみれの道路を歩く時のためだったとか、
ヴェルサイユ宮殿のようなゴージャスな城にさえ、こんにちで言うところのトイレなるものが なかったので、女性たちは、その思いっきり膨らませたスカート内にコッソリ隠して、迫った用を済ませていた時代の必要性だったとか、様々な説が あるようだ。
ついでに、
昔の軍用コートなんかの袖口に、ボタンを多数、縫い付けてあるのは、寒いときの見張り中などに、当番兵が、垂れてきた鼻水を袖口で拭おうとするのを防ぐためだという説も ある。
気候も寒冷だし、白人さんは、鼻が高いせいか、鼻水たれやすいそうな。
このへんの考察を、興味深いサイトやブログさんを引用しつつ、私の旧ブログでエントリーアップしたことが あるのだが、
もとは「色気」どころか、身も蓋もない生活状況の影響から、「爪先立つ」必要性を生じ、ヒールの高い靴が考案、流通したのだとすると、
その「爪先立った」状態の足が、意外に可愛い(小さくて、不安定な雰囲気を齎す)というので、やがて、のちのバレエにて用いられるようになったポアント シューズへと引き継がれたのかもしれない。
もっと穿った考察を すれば、
「爪先立つ」という しぐさの、もともとの由来を連想させるがゆえ、本来は生理的用足し等の必要性から来ていた、この しぐさなり形態を、敢えて とどめるよう造形された靴が発達したのでは あるまいかとか。
多少似たような理由で、中国では「纏足」なる風習が生まれたという。
このあたりになると、ほぼ完全に、異性に対する媚び目的からの美意識で発展していったと言って過言では なさそうなのだが。
「纏足」の場合にも、それを実行したすえに見られる、成人でありながら女性が歩行するときに、幼児のごときヨチヨチ歩きになってしまう姿の、おぼつかなさ、不安定さが、一種の性的魅力なのであろうか。
(他には、日常的労働に似つかわしくない容姿ということで、むだに長い爪なども そういう意味が あるのかもしれないが、ひいては、働かなくていい、高貴な身分を表現しているつもり、とか。)
果ては、
足を不自然にキツく縛りあげたままにすることで生じる独特の臭気さえもが、男性の性的欲求を刺激するという効果を もたらすのだそうで。
まあ、そうなのだろうなぁ、現代日本人の男性にも、女性の生理的臭気に興奮する向きは あるようだしw
「纏足」には、もとは、女性の逃亡を防ぐことを期していたのかなとも推察するのだが
(単に靴の形状自体に、何かと不つごうな問題が あるのなら、いったん脱いでから走るなりすれば いいはずだし)、
ついには、女性みずから、泣き叫ぶ幼い娘の足を、鬼のように縛りあげることを当然の義務のように考えて、母親が、嫁入り条件の一環として、娘に対して実行していたのだそうな。
【続く】