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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2016.06.18 (Sat)

麻生さん、はよ辞めなはれ。の続き。

 

とにかく、
今回の失言のなかでも、国民がマジで怒らなきゃならない大きな問題は、後半に あるわけ。

 

このひと、財務大臣だよね? 

国民の一人としても、ついつい、

はて?この お爺ちゃん、何大臣だったやらと、忘れそうになるほど無能のようだ。

 

まあ、あほらしくて、ここで一から述べるのも かったるい。

 

【続】「政府答弁書」を報じる記事で騒ぐウヨw

 

高齢者が多いのも、高齢者が金持ちなのも、
それ自体に問題が あるわけでは ない。

むしろ、本来なら喜ばしいことのはずなのだ。


なぜ、高齢者ばかり増えて、高齢者ばかりが金持ちなのか?
ここに至った根本を考えなきゃならない。


で、
同世代の
麻生さん自身、自分が後期高齢者だという自覚はトンと薄いのでしょうよ、

まーだまだ俺だって、、、と思ってるからこそ、広く国民一般の益に資する能力もないくせして、いまだ国政の場に居座り、
しかも中心近くに陣取ったままシャアシャアと、
歪を具現化した顔面から歪な発言を晒してるんだろうに。

 

 

「お金を何に使うかをぜひ考えてほしい。金は使わなきゃ何の意味もない。さらにためてどうするんです?」

 

そういう あーたは、どうなんです?

 

あーたこそ、むだに大金持ちでしょ。

そのくせ、政治資金で、せこい消費ぶりなんでしょ。

 

舛添さんどころじゃない。もちろん、舛添さんの味方する気にもなれないけど。

 

 

なりあがりの典型的血筋の世襲政治屋
しょせん無能な政治屋ということは明白なのだから、とっとと辞め、
その分だけでも、税金を浮かしてちょうだい。

 

自分棚上げの手合いには、ほとほとウンザリ。。。

 

 

陰気臭く垂れ下がって、「不景気」を絵に描いたようななアベシの顔面と同じく、

性質と舌に ふさわしく歪みきった顔相を見るだけでも、
はらわた煮えくり返るemoji
血圧あがるemojiemoji 眼が腐るemojiemojiemoji

見たくないから、アベシともども、

 

辞めろ()

 

 

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Updated   
2016.06.18 (Sat)
おカネ溜め込んでる後期高齢者の麻生さん。

 

ホステスに入れあげ、熱心に夜の店に繰り出す おカネは、どのポケットから出てるのかな?

政治資金からだと報じられてたけどな。

 

<麻生氏>いつまで生きるつもりだ…高齢者について講演会で
毎日新聞 617()2354分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160617-00000118-mai-soci

 

ほんと、いつに変わらぬ、

あほうヒョットコたろう

だねえ。。。

毎回、飽きもせず、呆れさせてくれる。

 

どこのブログさんだったか忘れたけど、

例の「ナチスに見習ったら どうか」発言のときだったと思うが、

麻生さんの一連の失言(と言うか本音)ダダ漏れや、
普通レベルの漢字すら読めない等の奇異な特徴というのは、発達障碍の影響から きているらしいということを、とある専門筋が指摘していた。

私も、おそらく、そんなところだろうなと思ってた。

もちろん、「発達障碍」にも様々な態様があることは、すでに何度も述べてきた。

 

その障碍をカバーできるだけの知性と発想力や教養が ないんだろう。ここが問題なの。

 

だから、
自分の思考傾向に問題が大きいことにも、いつまでたっても気づけないし、

なまじっか、恵まれた生い立ちで、
ちやほや取り巻き連に囲まれて生きてきたから、高齢になって、いよいよウヌボレぶりも病的。

 

これで お大臣だってんだから、恥ずかしいったら ありゃしないemoji

 

安倍さんにしても同様、

閣僚以外でも、「日本をアメリカ51番めの州に」云々口走った丸山さんと言い、

それこそ国際的な場に出てもらったひにゃ、
国民として、穴が あったら入りたいほど恥ずかしくなる素っ頓狂。emoji

 

自民党は、昨今、こんなのが多過ぎ。猛烈に下品。

 

 

90歳代の人の言う「老後が」云々というのは、たしかに、まあ、ズッコケお笑いの範疇と受け止められなくもないさ。

でもね、そこまでの高齢になって、いったい何に消費したい?

「棺桶に片足突っ込んで」って言われるトシにもなって。

若い世代みたいな消費意欲をギラギラ保ってるほうが珍しいわ。
普通は、「欲もトクもないわ」って心境になるもんでしょう。

 

ただ、いまどきの70歳代の人を見てたら、私の若い頃に見ていた60歳代の人々の印象だ。体力の豊かさに見合ってか、気力も外見も相応に若々しい。確実に、寿命が延びた分、10年ほど若返っていると見受ける。

 

麻生さん自身、一昔や二昔前なら、りっぱに高齢者であり、

いまどきの世間の風潮に照らせば、「老害」と呼ばれる年齢、
もはや お引き取りをと、政界引退を勧められるところ。

 

このひと、ずーっと前にも、
高齢者は、医療とか してないで、早く死ぬべきみたいな発言して、問題視されてたわなあ。

それで、オマエかて年寄りやないか!と嗤われてた。

もちろん、そのときも、麻生の言ってることが正論、と擁護連中がウジャウジャ湧いてた。

 

ほとんど皆が、「いずれ行く道」なんですよ。

 

今回の失言については、

問題視しなければ ならないのは後半部分

なのに、

またぞろワサワサ湧いて出てる擁護連は、前半部分だけを取りあげて、「これの どこが おかしいのか、切り取りだ!」と、相変わらずのヘリクツを吐き散らしてる。

そんなの、もう聞き飽きたよ、っつうの。

 

本当に、発言「切り取り」を してるのは、麻生さんや安倍さん擁護連の側だろうに。

 

自民党ネットサポ」、「日本会議」、「在特会」、
その他モロモロの魑魅魍魎。。。

まったくもって、党もシンパも、鵺の如きバケモノの如きだ。

 

いつも呆れるんだけど、

麻生さんのようなひとを礼賛したり擁護するタイプというのは、
もののみごとに、思考回路が一方向

一言で言って、

俗物を持ち上げてヨロコんでる俗物集団


 

※この項、追記あり。

【追記】麻生さん、はよ辞めなはれ

 

【続く】



 

Updated   
2016.06.17 (Fri)

もう70年まだ70年の続き。


 

「被爆地広島にふさわしいか」=オバマ米大統領演説に疑問―日本被団協時事通信 616()1757分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160616-00000124-jij-soci


 

空から死が降ってきて、って、

「自然現象のような」と言うよりか、

私は、かつての『ノストラダムスの大予言』に出てくるコトバを連想したw


 

さて、

自分ちの おじいちゃんやら個人的な想い出なんかの類のほうを最優先してるみたいに見えてしまう、目下のところ日本の首相たる安倍ちゃんは、じょうずのつもりの端からポロポロこぼれてしまうけど、

オバマさんは、一人の「バラク」であることよりも、アメリカ合衆国大統領であることを最優先していることだろう。

アメリカの体現者たる大統領で あることは、少なくとも、現代日本の首相で あることよりも、ずっと厳しいのだろう。

 

だから、オバマさんの心中を推し測るのは、われらが安倍ちゃんに比べると、もっと ずっと難しい。

でも、どこの国の首相や大統領でも、安倍ちゃんと比べたら、やはり、もっと ずっと、難しい。

 

 

時代は、とっくに過ぎたのに、まだ、謝罪しなければ ならないのは何故なのか。

70年も経った。

なぜ、謝罪を欲するのだろうか。

 

だって、生きているから。この今も。

あの死者たちの、声にならぬ声を、知っているから。

今も忘れることなく。

まだ70年しか経ってない。

 

 

われわれが直接に犯したのでは ないことを、なぜ、いまだに謝罪させられるのか。

 

ならば、聞く。

なぜ、われわれの時代になっても、相変わらずムキになって、理由付けと正当化とを繰り返しているのだろうか?

 

理由付けと正当化、これを やめられないうちは、決して、

われわれに「無関係なこと」には ならないままだ。

 

 

大統領の広島訪問に関して少々。

 

 

Updated   
2016.06.17 (Fri)

たとえば――

私の、お互いに、顔も知らない、ひいおばあちゃんが生きていた時代。

ひいおばあちゃんの身に、残酷な災いが、見知らぬ外国人たちによって齎され、そのために、苦しみのなかで命を落とした、
という出来事が あったのだとしたら。

 

私は、自分には関係のない、遠い昔のことなので、と割り切ってしまえるだろうか。

 

もちろん、顔も知らないのだから、懐かしい思い出の一片も ない、
それじゃ、あかの他人と、どれほども違わないのじゃないかと思えてくる ひいおばあちゃんの、ひそやかな素朴な生が、
ある日、不当に過酷な終わりを迎えたことを偲んで泣くこともないし、
普段は、もっぱら自分の日常に かまけての笑いや涙でしかない毎日だ。

 

でも。。。

この私が、ひいおばあちゃんの立場だったとしたら。

ひいおばあちゃんだって、
そこから100年近くも経とうかという時代に生まれる曽孫のことなんて、まったく想像すらしなかったことだろう。

 

でも、。。。

自分が、こうして死んでいったという事実を、

数十年、100年近く後に生まれて来て、生きていく孫や曽孫に、

血の色の扱き帯で結ばった自分が、どんなふうに生き、そして死んでいったか、って、

そんなの関係ねぇ~、って言うのを知れたとしたら、、、

やっぱり、少しは哀しく思うのかなあ、ひいおばあちゃん。。。と想像するの。

 

 

現実に、実際に、遭遇して、体験した人の思いや辛さは、後世の者には、想像することくらいでしか理解できないだろう。

 

当事者の存在は、とても、とても重い。

 

「おまえに何が分かる」と言われたら、もう何も言えないだろう。

でも。。。

関係ねぇ~って、言えない。私は。

 

 

人は、おとなになり、利口であるほどに、複雑な計算や考えを持つようになるので、

自分が犯した罪や過ちには、よんどころない理由を付けて正当化しようと図る。

 

どういうわけか、人は、

小さな罪を見逃さず、

大きな罪には称えることさえも ある。

 

みずからの罪や過ちが、ただ謝っても取り返しようが ないのだと分かれば分かるほど大きく深いと、

なおさら何とかして、もっともらしい理由を付け、正当化しようと足掻く。

 

自分の過ちの理由や、罪の正当化に事欠けば、

「おまえの持って生まれた星のせい」にも する。

 

誰だって、罪人らしく、ずーっと うなだれたままでいるのは厭だもの。

英雄的行為を実行したまでなのさ、と嘯いて、大きな顔をグイッと上げて歩きたいもの。

 

 

せんだって、

私は、とあるニュース サイトの動画を見た。

それは、
第二次世界大戦の戦勝国を中心に集った各国の人々が、天真爛漫な舞踊を賑やかに繰り広げているシーンだった。

やがて、

日本に、原爆が投下された場面が、背景に映し出された。

楽し気に踊っていた人々は、あたかも天の歓びが到来した瞬間を称えるかのように、しばし静止した。

上気した頬に、満面の笑顔たち。

 

覚えず、私の目には、涙が滲んでいた。

どういう感情のもとに滲んできた涙なのか、
自分でも、よく分からなかった。

ただ、自分が、その場に居ないことにホッとしていた。

 

 

私自身は、もちろん、戦争も、原爆も、体験していない。

また、父母双方とも、それぞれの個人的環境要因等により、
衣食住に関した苦労だけは、当時の周囲に比べると格段に少なくて、

両親から、おりに触れ、あの時代の話を聞かされることも あったけれど、

私としても、いちおうの関心は ありながら、
この父母から、戦時中の生々しい苦労話について聞けるという機会は、さほど多くなかった。

 

母のほうは、まだホンの小学生で、
仕事を続ける父親のもとを離れ、実母を亡くしたばかりの幼い弟妹たちを引き連れて赴いた個人疎開地にて、初めて味わった苦労やら、

慣れぬ田舎から、やっとの思いで帰阪したおりの同級生たちから聞いたという、大阪大空襲の凄まじい話など。

 

父のほうは、まだ非常に若い軍人ながらも、「肩で風切る」という謳歌の時代を、エリート世界に生息していたゆえ、国外の戦地の阿鼻叫喚を、一度として味わわずに済んだわけなので、

遠い戦地を生き延びてきた同世代と、戦後の平和な時代に出会い、語らうときの父は、普段に似ず、どこか面映ゆそうな、申し訳なさそうな表情を していた。

その反面で、

父の親の世代、すなわち、私から見て祖父母の世代を見るときの父の眼つきが、憎悪さえ含んだ軽蔑感を浮かべていたことに、私は、いつからか気づいていた。

 

一人だけ養子に出されていた父の生家の兄たち二人ほどは戦死していると聞いたが、もちろん、私は、その面影すら知らない。

 

 

旧ブログでだったか、この話も記しておいたと思うが、

私の学生時代に、現代国語の授業で『黒い雨』を取りあげたとき、
ご自身が、
二次(間接)被爆(ばく)であることについて話し始めた教師が おられた。

いまでも、その恩師の、些かシニカルな特徴的口調とともに憶えているのだが、

街なかの通りを歩いていて、人間の指一本でも落ちてるのを見つけたら、あんたがたはビックリして、警察官を呼んだりなんかして、さぞ大騒ぎするはずだろう。

しかし、あの時代は、道端に、人の腕や足の一本が、ごろんと転がっていたって、誰も驚きもしないんだ。想像できるかね?あんたがたに、と仰った。

述懐の最後のほうで、

「わたしは、正直言って、いまでも、アメリカが憎い」

と、力を込めて仰った。

自身の被爆のことよりも、娘への影響を考えると、どうしても、アメリカが許せなくなるのだ、とも仰っていた。

 

【続く】


 

Updated   
2016.06.16 (Thu)

アメリカ人の憬れの居住地だそうですがねえ。

そこまで、鰐やら毒蛇やらウヨウヨしてると知って住み着く気が知れん。。。emoji

 

米ディズニーワールド“ワニが2歳児襲う”
日本テレビ系(NNN 615()1635分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160615-00000057-nnn-int

 

鰐というものは、岸辺の水中からも秘かに、陸上の獲物を虎視眈々、狙ってると思う。

そこから、隙ありと見た瞬間、ガバーッと飛び出してきて、噛みつくんじゃないかと。

だから、水のなかには入ってなかったとしても、じゅうぶん危険だったのでは ないかな?

 

 

話のスケールはググッと縮まるけどw

むかしの実家の庭に、ちょっとした池が あったの。

池のほとりの築山には、季節が来るたびに、たわわな藤棚が あり、

夏休みになれば、私の宿題の絵の役にも立ってくれて、

ささやかな噴水、

その噴水が出ると、水中で嬉しそうにクルクル泳ぎ回る金魚や

(大学生の兄が下宿から帰宅すると、肥え太った金魚たちを見ては、
 うまそうだ、食ってしまおうと提案するので、そのたび激怒していた私w)

色とりどり満開の睡蓮に とどまらず、

水面に浮かんだままのビニール袋等ゴミの類までをも丁寧に描き込んでいた私を見て、親父が つくづくと呆れていたww

 

  
   
Frieseke(1874-1939)The Garden Pool

 

その池は、暑い季節になると、毎年、トノサマ蛙等が集団でワンサカ押し掛けて来て、
爬虫類も苦手極まる私は、ゲンナリしたあげくに苛立ち、
トノサマ蛙の眉間目がけて小石を投げつけては命中させていた(ナイス コントロールw)

当たると、ぽこんっ、と、なんとも言えぬ侘びしい音が して、手ごたえを感じたものだがw

トノサマ蛙のほうは、
相変わらず憮然とした顔つきを、心なしか、より いっそう、憮然とさせるのみ、
せいぜい、のそのそと背中を向けるていどで、全く動じていなかったようだ。さすがトノサマ?

 

思うに、
実家の裏が、農家の田圃だったので、時期的に、水田と化す季節だったのだが、

トノサマ蛙たちは概ね、その田圃から移動してきていたのだろう。

彼らにとっては、広い水田のほうが、ずっと居心地良好だったはずなのだが、

のんびり寛いでいると、私に、眉間めがけて、小石を ぶつけられるにも めげず、

毎日、そこに佇んでいたところを見ると、あたかも、別荘気分だったのだろうか。

 

 Brewtnall(1846-1902)The Princess and the Frog Prince

 

 

以前のエントリーでも述べたことが あるけど、

旧のブログでの常連さんで、アメリカ在住の人が言ってたには、

その人は、かつて、アメリカの地方都市の、普通の住宅街に住んでいた頃、日が暮れると、あちこちから、コヨーテ()の遠吠えがブキミに響いてくるとか、子どもさんの学校からの注意で、野性の猛獣出没中なんて話は、いたって日常的だったとか。

 

アメリカって、ワイルドだなあ、、、と恐れ入ったものだが、

フロリダについても、プライベートで知った これもアメリカ在住の人が言ってたけど、

アメリカ人にとって、フロリダは、人生最後には、、、と思うほどの、憧れの地域なんだそうな。

で、
その人の御主人が、ワシントンD.Cの、何かの省庁勤務なので、近場で銃撃事件が起きたとき、だいじょうぶだったかと尋ねたら、

「あの程度の事件は、こっちじゃ日常茶飯事に等しい。そう言えば、うちでも、家の どこかに、銃を しまってあったはずだ、、、」

とか言ってた。

 

Youtube”でも、普通の民家だけど、日本じゃ考えられないほど広い庭の隣りは森、って感じの家の人が、何気なく、庭に出たら、知らない間に入り込んでいた熊と遭遇し、大声出して撃退、みたいな動画を見たことも ある。

 

アメリカと言うと、そのへんの一般的日本人は、人工都市の極致みたいなイメージを持ってると思うけど(私も以前は そうだった。)実際は、都市部の少し奥のほうにでも行こうもんなら、たちまちにして、野性の危険に遭遇する実態が あるのだなあと、認識を改めたものだ。

 

なので、

アメリカで、乱射事件が起きるたびに、銃の規制が取りざたされるわけだけれど、なかなか、そうは いかない事情は、そこらへんにも あるのかもなあ、と思うしだい。

 

ちなみに、

日本の銃刀法、こんにち、一般の国民には、武器の類を持たないのが普通みたいになってるのも、「押し付け憲法」()と同じく、戦後の日本で「刀狩」を行なったのは、他ならぬアメリカさんだそうで。
これの おかげは、多かれ少なかれ確かに あると思うわ。