2016.06.26 (Sun)
『「アベノセイメイ」を再び嗤う」』の続き。
先日のエントリーでも触れたように、
なんだか、一種の「揺り戻し」が、世界規模で起きているかのような不穏な印象だ。
なぜ、いつの間に、こうなったのか。。。
私は、自分の大変さに かまけているあいだ、世界じゅうで、ここまでになっていることに、数年前まで気づかないでいた。
私は、夢のなかで、時々不可思議な現象を経験してきているということを、過去のブログでホンの少しだけ触れたこともあったが、
あるときなどは、
テレビも新聞も遮断したような状態の生活のなかにいて、
地名も覚えておらず、行ったことも、縁者も ないのに、
「ギノワン」「宜野湾」
と、夢のなかの声が頻りに聞こえていた時期が あったのは、いまだナゾのままだけれど。
だいたい、難民の流入が困るって言ってるが、
その根本原因を拵えたのは、他ならぬ米欧諸国の皆さんでしょうに。
また、移民政策によって、自国の経済を まわしてきた側面も大きいのでしょう?
まあ、最大のメリットを得たのは、やはり既得権益層だったのだろうけど。
そうして、
なぜか、わが日本では、よその国が失敗した、あるいは、失敗が見えてきているのが明白な道を、「この道しか!」と言い張り、まさに、同じ轍を踏みたがる、奇妙な癖が あるらしい。
ちなみに、
うちの母親も、特に私に対して、「あんたには、これしかダメや!悪いことは言わんから、これに決めなさい」と、詰め腹を切らせたがる言動の人だったが、
このように、
「これしか ない!」と、表面だけ体よく、脅迫的に押し付けたがるのは、自己利益のために他者を利用することしかアタマにないという「自己愛性人格障害」者の特徴なのだ。
もっとも、本人だけは、類稀な先見性と正義感の発露だと固く信じていたりする(←自己信仰)から、その独特なる執拗さと相俟って、じつに始末に負えない。
そのなかでも、また、大まかに二種の分類が できるようだ。
一方は、
生育環境等には恵まれてこなかったが、本人にとっての、大なり小なり成功体験によって、その分、従来かかえてきた劣等感が激烈なウヌボレへと反転してしまい、自己自身の努力によるという頑なな過信のために、本来的分際を わきまえなくなってしまっているという始末の悪さ。
なので、年を取るほど嵩じてくるわけだ。
本人なりの、何らかの成功体験を得られなかった場合は、悲惨なほどの被害意識、凄まじい劣等意識に凝り固まったまま、いっちょうあがり、だ。
残る一方は、
逆に、努力なく恵まれた生育環境や地位を当然のこととしてきた人生のなかで、自己自身の分際を疑う必要もなく、その知性に欠けたままでいること。
しかしながら、世間並以上に優秀な血縁者や知己らに囲まれて育った そのなかにも、そこには そこでの厳しい選抜・競争があるのであって、
うまく勝てない場合、もとより周囲には、非常に優れた比較の対象がゴロゴロしているわけなので、これも また、よりいっそう根深い劣等感を抱えてしまう原因になり得る。
その結果、
周囲の「パペット」状態になることで、自分の存在を認めてもらおうという計算が働くことも あるだろう。
圧倒的な権力を行使できる地位に、苦労なくして就いたものなら尚更だ。
この両者ともに共通しているのは、金輪際、反省しない、できない、という性向。
いずれにも、根強く歪な被害意識が潜み、
その反動としての、ほとんど脳天気なウヌボレが支配している。
しかし、
初めて、写真を見たけど、
ボリスなんて、ロシア人みたいな名前の、
前ロンドン市長にして次期イギリス首相候補であるらしきジョンソンさん、例のトランプさんと、風貌が似てるのには、些か驚きw
それにしても、トランプさんは、まぎれもなく、突出した富裕層の一員でしょうに。
何度も言ってきたが、
いわゆる富裕層、それこそがマイノリティそのものな富裕層こそは、
一般大衆の存在によって生かされているのです。
本当の「生殺与奪」の力は、大衆に ある。
その大衆も また、知的思考力の低さによって、自分たちの首を、自分で絞めることにも なる。
民衆というものは、日々の自分の糧を稼ぐのみに あくせくしていて、
勉強不足で、感情に引きずられがちなのは仕方ないこと。
そして、一方、
マイノリティの特権層も、自分だけが狡猾に生き延びる計算おさおさ怠りない。
どちらの層でも、存在を脅かされ、不安が募ると、余裕を失ってしまうのは、しょせん生物の常。
知性でも経済でも、カギは民衆のなかにある。
民主主義のカギも、同じく。
ま、どうやら「残留」が勝つだろうという予測のもとで「離脱」に入れちゃったという、ありがちな現象も含まれていそうな今回の「イギリス」発の大騒ぎの結果、
わが国の年金積立金を、ますます大幅に、株投資している真っ最中の「GPIF」への影響も どのようになったか、
なぜか、今回参院選後に発表するということを勝手に決めた、相変わらずの姑息さまる出し安倍政権だが、
思いのほかに平穏だったとしても、
もちろん、悪しき結果が出ても、
どっちに転んでいようと、
どうにも滑稽にして面妖でしかないのが安倍政権の姿。
安倍チン、あーたは、
「1分遅れて、アンフェアだ!時間を守れ」
とかって、テレビ局に文句こいたそうだけど、
国民として言わせてもらうわ。
まずは、おのれの公約を、フェアに、守りなさいね!!
安倍ち~ん、、、の陰気臭く不吉に垂れ下がった ご面相にも如実に現れているように
(ちなみに、アタマの てっぺんから爪先まで、だら~んと下がっているかのような このテの容姿というのは、先日来、「仕事が異様なほど できないくせに、口だけはデカかった」実例として挙げた、かつての同僚と酷似してるんだわ。
なので、安倍ち~んを見るのも厭なのは、ついつい、そのひとを思い出してしまうからでもあるのだが、
私の嘆きを知っている者は、その同僚を喩えて、
「貧乏神のようだな。。。」
と呆れていた。
いまでは、顔だち以前に、こういう全体的容姿の人との関わりは、極力、避けたほうが無難なのかも、、、とまで、私は思うようになったw)
ほんと、加齢臭ふんぷんの禍々しい政権だよ
不吉なのよ
2016.06.26 (Sun)
あーあ、滑稽。大嗤いですわ。
だって、
安倍ち~んが、自分の発した「コトダマ」で、自分の首絞めたんだもの(爆)
ち~ん、、、|~(-人-)お焼香(爆)爆)
カサンドラめいた私はw当初から、
「アベのセイメイ」「アベのコトダマ」
と、せせら嗤ってきたんだけどさww
またぞろチョーシこいてスリかえるんじゃないよ、
いつ見ても、ど厚かましいねえ、アベシの腰元、
人呼んで「バーコードのスガ」
「増税先送りが正しい」のではないよ。
なぜ、公約なのに、実施できないままなのか、
という根本原因を問う声に耳を傾け、猛反省するべきところでしょうによ
よりによって伊勢神宮の膝元で(爆)
「G7」を主催した安倍ち~んが、ちぐはぐな内容を、おのれ一個の保身目的に、不吉な「コトダマ」を発して
(また どういうわけか、こういう類のものほど、さしあたっては実現し易いのwあとが長く続いて、いずれは壊滅、その度合いを徹底的に増す前哨のためにねww)、
その禍々しさの部分だけが独り歩きしてるってな様相。
バチが当たったのかねえ?(嗤)
だって、そうでしょ。
今回の騒ぎで、一番、青くならざるを得ないのは、
当の掛け声(またはコトダマw)「アベノミクス」をブチあげてた安倍ち~ん本人および、利害を同じゅうしている一部の連中だもの。
焦りのあまりかカン違いして、アベコベを吠える、アベノ宗教信仰連中。
滑稽だってのよ!www
ま、私は、だから、すでに言ってきたように、
改憲についての国民投票のことも、大いに危ぶんでるわけ。
そこまで行き着く前、その段階に至ってしまう前に、自民党・安倍政権に退陣してもらいたいわけ。
なぜなら、
にせもののニンジンをブラさげられて、そっちへ ひた走ってしまうのが、いまだ、日本の民衆の知性レベルだからよ。
「9条」そのものは改めるべきだが、それ以外は慎重に、と考えている人も多いようなのだし、
今回、「9条堅持」という趣旨での一致を掲げている幾つかの野党は、
まずは、
安倍政権が、改憲に着手すること自体の危険性
そのものをアピールすべきだった。
本来なら、選出された政治家が、その能力を司っているはずなので、
国民投票に持っていかなければならなくなること自体が恥ずべきことだとも言えようけれど、
国民投票という事態になったら、たちまち問われるのが、一般国民・有権者全体の知性と展望力。
そこが あらわになるわけで、
民主主義の最大のネックは、ひとえに民衆の知性と展望力に かかっているのであり、したがって、
その底上げを、国家の義務として、世界の潮流としても目指し、実現を図っていかないとならないわけ。
こんにちは、世界的に、そういう時代。その意味で、グローバル。
だが、それを妨げたい連中は、いつの時代でも、どこの地域でも、存在する。
それが、
いずれは、自分自身の首を絞めることになる事態を考えも せず、目先の矮小な、歪んだ利害に拘っている。
だいたい、権力を集中させている存在の周囲は、やっぱり、その存在に見合った連中が出入りして固めるものだ。
日本では、さしづめ、『日本会議』あたりとかね。
この連中が、「民主主義」を廃止したいのは当然。
いや、
「愚衆の民主主義」なら、むしろ好都合なんだろうが、
知性の高い民衆による民主主義は、つごうが悪いのよね。
民衆の知力がアップしてもらうとマズイ。
なので、「小粒ちゃん製造国」日本の公教育は、昔も今も「型に嵌める」システム。
様々なルーツを持つ移民のパワーによって発展してきたアメリカのような起爆力が ない。
「優等生気質」で、ある程度は要領良く行くんだけど、それが、いよいよ頭打ちになってきて、
あげくのはて、オツムが優秀とは、とうてい言い難いパペットを、またぞろ担ぎ出した。
この国では特に、遠くもない歴史上で、最も民主主義とは相容れない、
一人の人間を主権者にしていた体制の惨憺たるツケ
を味わってるからね。
まあ、一人の人間を懐柔するほうが、ずっとラクだもの。
夥しい人数を相手に言いくるめるよりは。
お釈迦さまでも「縁なき衆生は度し難し」と。
【続く】
2016.06.24 (Fri)
『男に追いかけられた女性が語る 釧路通り魔』
日本テレビ系(NNN) 6月23日(木)18時25分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160623-00000077-nnn-soci
この事件を起こした下手人が、本当に、精神科の患者だったのかどうか知らないが、
私の知る幾人かの精神科方面の患者たちは、
もちろん、それぞれに長所や得意とする分野を持っては いたけれど、
それらを ゆうに上回って、と言うか、
台無しにするほどに、欠点も凄まじく大きかった。
要するに、
始末の悪い事件や犯罪を起こすことも ままあったという現実。
少なくとも、警察沙汰にまでは至らない場合でも、身近の、立場の弱い者を犠牲にして泣かせつつ、それを誤魔化し、眼を背けながら生きていた。
10の輝かしい美点が あっても、たった一つの欠点が、すべてを帳消しにすることもあるわけ。
逆に、
10の欠点や弱点があっても、
非常な美点が、それら欠点や弱点を帳消しにするほど大きければ良いのだろうが、
たいがいは、そうは いかない。
とにかく、
彼ら彼女らの持っている長所や何がしかの得意なことなどは、
彼ら彼女らのように、他者に酷い迷惑を かけるまでに至らず済んでいる人々のなかにも、じゅうぶん持ち得ている程度のものだった。
それなくしては、人類が困るほどの才覚では なかった。それが現実。
だから、そういうコトバでもって、「免罪符」のように扱っては ならない。
何らかの機能不全を補う作用で、
何らかの機能が代替的に突出して発達する可能性は、よく取り上げられる話だけれど、
全く当てはまらない場合も、また多いという、それも現実。
世間で よく聞く話では、
目の見えない人の、聴力の高さ鋭敏さという事例。
私の場合は、逆に、聴障ゆえ、もともとは視力の高かった目を酷使したすえに、いまでは、視力も めっきり衰えてしまった。
だいいち、身動きすら自由でない日常を過ごす重度の障碍者なら、常人程度の可能性にも制約が大きいかわりに、凶悪事件も起こさずに済むだろうけれど、
では、
何らかの才能や天才を一つでも備えている者でさえあれば、他者を不幸に陥れてもよいか?
私には、とうてい、そうは思えない。
「天才」や才覚の名のもとに、すべてを許してもらう口実にされて たまるかっての。
先行エントリーにて取りあげたコラムの筆者さんも述べておられる「理解と共感」、これに著しく欠けが あるからこそ、それこそが「障碍」と呼ばれるわけで。
はたの者が難儀することになるほど、「理解と共感」の欠けが酷い場合は、まず、隠蔽するのでなく、周囲との共有が大事。
この共有ということには、私のように、自分の障碍に関して、ある程度の自覚を持ち得ているならば、自分自身の努力によって、そうとうカバーできることも あるが、
最も始末が悪いのは、周囲は勿論のこと、肝心の障碍者本人に、自覚が殆ど ない場合だ。
傍らの特定の者が、不審を感じながらも一人で犠牲になっているとき、
その周囲は、まさに「われ関せず」の利己的心理だし、
当の障碍者自身も、いつまでも、なんら改善も向上も していかない。
なので、まずは、障碍者自身で気づくことから始めないと ならないし、
その力もないほど重度となると、保護者・養育者が、なるべく早い段階で気づいて、適切な指導なりトレーニングを開始しないと ならない。
けれども、
結局、成人する頃まで、本人は もとより、養育者も誰も気づかなかったということは、それだけ軽度で済んでいるわけでも あるだろうから、気づくことを始めるのが、実は最も困難とも言えよう。
私の場合は、聴覚障碍の存在自体を、
(多少の知識を備える現在は、私の考察と分析によって、ある種の発達障碍だったこと、人格障害でもあったこと、先天性の脳機能障碍および癲癇の傾向があったことも分かっている親)両親らに、完璧に抑えつけられ、捻り潰されていたから、
必然的に、こちらの人格の問題とされて攻撃され、
ほんとうに大変なストレス人生だったけれど、
みょうな「生き辛さ」であるとか、周囲との不可解な齟齬を感じているのは、当の障碍者本人であろうはずだから、そのことを、素直に訴えることが できる環境であるか どうか。
実際、世間で、「人の上に立っている」ような存在、
たとえば経営者等、出世して、何らかの権力を持っている立場の人には、「人格障害」者の範疇に当てはまる人が少なくないということも聞くし、
医師なんかは、ある種の「サイコパス」でないと、勤まらないともいう。
私個人の周辺でも、頷ける事例が多い。
なかでも「自己愛性人格障害」者の大きな特徴として、
「他人を利用する」ことに殊のほか長けている、
ということが挙げられるが、さも ありなん、というわけだ。
他人どころか、実子でも利用する。
だが、世間では、「やり手で有能」「立派な人」で通っている現実。
しかし、同時に、
そうした人の誰もが、「人の上に立って」いられるわけでもない。
何度も言うのだが、
発達障碍だ精神障碍と言っても、その現れかた、態様は、その人や場合によって いろいろなのである。
そういった方面の障碍を持っていれば、即、何らかの才能の証だなどという考えは、自覚なき劣等意識の反転したものであるとも見受けられるし、
たとえば、黒人だから、歌やダンスが上手いはず、と決めつけて思うのと同じようなもので、悪しき単純からの「神話」ともなりかねない。
もう一度、問うておく。
発達障碍であれ何であれ、何らかの才能だとか「天才」とかが なければ、生きている価値はない、ということなのか?
2016.06.24 (Fri)
『誰もがその特性を持っている?「大人の発達障害」で注目された「自閉症」の基礎知識』竹内弓乃 2016年6月23日13時5分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takeuchiyuno/20160623-00059163/
~
ちなみに私もチェックしてみたところ、12点で、平均よりも低い得点となりました。私の所属する組織の男性スタッフは16点だったそうです。性差もあり、女性よりも男性のほうが得点が高い(自閉症傾向が強い)といわれます。
~
筆者さんたちの「自閉症」指数チェックの結果を、ここで報告する意味は よく分からないけれど、
「男性のほうが得点が高い(自閉症傾向が強い)」というのは、たぶん、そうだろうと、かねて私は思っていた。
たとえば、
一般的には、男性のファッション感覚ひとつを とっても、保守的な傾向だ。
(男性のファッション自体が、一般的には決まりきった、形式的な傾向であるし、対異性のファッションについても、たとえば女性の着用する靴は、オーソドックスでシンプルな黒のパンプスを、最も好ましいと感じるとか、奇抜なものを纏う女性を敬遠したりする傾向性の調査結果)
このことには、
従来から決められているもの、慣れ親しんだもの以外の、見慣れないもの、新しいものに対する不安感の現れの一端ではないだろうかと思っていたわけだが、
それでいて、
「発達障碍」や、
あるいは「パーソナリティ障碍」をも含めて精神障碍についての、世間の声のなかには、
「天才」だ
「ひらめき」が、
といった、平凡な一般的傾向の人には希薄とされる利点の面を殊更に挙げて主張する人も多々見かける。
こういった主張にも、
ある種の猛毒性を孕んでいることの自覚が ないことに要注意だ。
早速、この記事への投稿コメントにも見られる。
「ラカン」が どうだとか
(しかも、おそらく、どんな学者の説の内容も、的確に理解できていないし、本人ばかりは理解しているつもりで、実際には、ひどく歪んだ解釈を しているに過ぎないものと思しい)、
いつも、このような「学問知識」(と言うか、学者の名と学説の題名のみ)の多さを、匿名で必死に自慢してみせるしか、ネットで書くことがないのだろうか?
と感じさせられる「顔本」常連が、早速とびついてコメントしている。
私は、以前から、この常連投稿者を見かけていて(投稿量が夥しいので)、おそらく、精神科病歴を持っているのだろうと見受けていたし、
そういう類の者は、どういうものか、いわゆる「ネット民」には掃いて捨てるほども多いようなので、いつもは流し読み以下の扱いだが、
日常生活で、普段から、惨めさに打ちのめされそうになっているのだろうか?
と感じさせられるほど、
劣等感アカラサマになっているということに、本人だけが気づいていないのか、痛々しいほどだ。
だが、
この劣等感は、他者に対する俗悪な見下しや侮蔑意識に、容易に転換するものだ。
要するに、
「素直」というのも、極端だと、困った事態になるように、
本来は平凡なる俗物の感受性や思考回路に過ぎないものも、
極端になると、「俗悪」そのもの、
ついには、社会的に悪影響を及ぼすようになる。
はっきり言ってしまうと、世間の人々の、こうした論調と、同時に、以下のような論調とを、私は唾棄する。
じつに、これらこそが俗物的価値観に依存した思考だからだ。
すなわち、
発達障碍であれ何であれ、
何らかの才能だとか「天才」とかがなければ、存在する価値はない、
ということなのだろうか。
以前から、当ブログのエントリーでは何度か言ってきているのだが、
特に、茨城県だったかの自治体で、どこぞの企業経営者の類が、「先天的障碍児を、出産前診断で選り分ける度合いを高めて、税金を浮かすべし」等々の主旨にて主張したという記事に、大いに賛同するコメントが押し寄せたとき、私は、当ブログにて徹底的に反論しておいた。
貶めるのも、排除するのも、むやみと持ち上げるのも、
根っこの心性は同じ出どころではないのだろうか。
【続く】
2016.06.24 (Fri)
この呪文を唱えるのは、他ならぬ自民党支持者。
自民党が悪い、とは、口が裂けても言いたくないゆえの、自民党信者の唱える呪文なのです(嗤)嗤)
なーにが「どうにかならんものか…」だ。そらぞらしい。
いいかげんにしろや、思考停止の自民信者ども
ちなみに、
実際として、私の知るかぎりで、自民党支持者と言うよりも自民党信仰者は、やはり、自衛隊や海保等の職員にも多いようだ。
私自身は、何度も言明してきたように、
自民党だけはマッピラ!の無党派層である。
野党よりも悪いのは自民党、というスタンス。
たしかに不甲斐ないのだけれども、野党だけが悪いのでは ない。
一番悪いのは、自民党支持(信仰)者を筆頭とした国民自身。
かつ、それに流されるままにしてきた「茹で蛙」国民たち。
野党を育てて(=鍛えて)こなかった国民自身が、罪咎を最後に背負うのだよ。
自民党支持したことが全くない私にしたら大迷惑千万だが
このままでは、いよいよ腐り果てるぞ、日本国。
私は もう、日本を見限るかも。