2016.10.28 (Fri)
『「伝統」vs.「終身天皇制」?』の続き。
ところで、
日本のメディアの問題点の第一は、
特に大手を中心に、政権寄りだという特徴。
これは、ウヨどもが、「ヒダリ」であるー!と、なんぼ決めつけようとも、
『朝日』ですら、基本的には政権寄りなのだよ。
日本の一般大衆が、依然として「茹で蛙」さながら おとなしい傾向のままなのも、一番、原因しているのは、政府以上に、そんな大手メディアからの影響だ。
だから、政治権力側は、国民よりも先に、メディアを懐柔あるいは、安倍政権のように、なんとかして圧力を かけようとするの。
よーく分かってるからね。
誰が、一般国民を「教育」するのに、最も力を持っているのかということをね。
そこに、メディア側の思い上がりもあるだろう。
それでも、日本の特に大手メディアは、政権寄り。
お互い、持ちつ持たれつ関係なのだ。
ま、そもそも、民主主義制度とは、根本からバッシングが避けられないのだし、
実権力は潰えていた天皇かつぎなおして「富国強兵」軍国主義の末、
幼い子どもにまで煮え湯呑ませて敗戦した、
その時点で廃止するのがスジだったんだ。
皇室から一般国民まで、
ゴチャゴチャ文句言うんなら、皇室廃止でいい。
要らねぇ。
たいがい うっせえわ!
形式的呼び名だけ残すことに、何ほどの意味が あるのやら、
私には理解し難いが、
皇室というものが、太古より、「自然の道」に寄り添いつつ続いてきたというのならば、無理なコジツケや小細工を駆使してまでも残すのは、本来の ありかたに全く反しているだろうに。
また、
実のところ、「万世一系」なんぞ荒唐無稽のファンタジーでしかなく、どこかの時点で大きく入れ替わっていることを、表面上はキレイに拭い、そうして また連綿と続けてきたというのが実態ならば、今後も、そういうふうにして続いていくであろう。
それでも続かないなら、続けなくていい。
こういう時代錯誤で奇妙な制度に いつまでも しがみついてるかぎり、
日本国民に、真の思想の独立性と知性は持ち得ない。
いつまでも子どもっぽいパターナリズム依存のまま。
統治権力側にとって、つごうが いいだけ。
2016.10.28 (Fri)
『生前退位容認の意見=皇室典範制定時に―三笠宮さま』
時事通信 10/27(木) 9:52配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161027-00000049-jij-soci
「思いつきで取って付けたような」ことを言ってるのは↑このコメント投稿者自身だよ。
「辞書」以下のレベルだ。
美智子さまが おっしゃった「伝統的な言い方」なんて全く関係ない。
美智子さまの御意見にも、ちょっと おかしなところは ある。
なぜなら、
「終身天皇」制度自体が、明治以前の そのかみには なかったから、
存命中の退位ならびに譲位が珍しくなかったわけで。
しかも、実権が伴っていた時代は尚のこと政争、権力争いが原因で。
だから、先日のエントリーで、私は、
「新しい天皇」?「古代に近い天皇」?
と言ったの。
「美智子さまを悲しませるから」云々と言うコメントも混じっていたが、
そんな感情でしかない次元で論じることじゃない。
さて、
「譲位」なのだ!「退位」とはケシカラン、
まして「生前」とは何事か!!マスゴミがー
という膨大なコメント。
だが、マスコミ側も、苦肉の策だと思うよ。
ただ、ことばの吟味が不足なのかもしれんとは、先日も言ったけど。
だって、しゃあないでしょうよ。
なぜなら、現行は、「終身天皇制」なのだから。
まずは、それを変える話からだね。
ま、私としては、あの『日本会議』が裏からゴリ押ししたという「一世一元」制もワヤになるのかと、痛快なんだけどw
それと、再度言うが、
皇族の基本的人権に関しては、「ない」のでは ない。
そもそも「基本的人権」を、ないということにできない。
人間である以上、あって当然という土台に立脚する思想なのだから。
皇族にしても、制限は厳しい面が あるが、
もし、「基本的人権が ない」とか、それこそ「奴隷」みたいなものだとしたら、
民間人それも若い年齢の健常者のはずが次々に過労死している この時代、
ご公務負担が過重である皇族がたに過労死する人が出てもフシギでないはずだろうに、それは出るわけが ない。
その点では、主権者たる国民を さて置き、誰よりも厳重に守られている。
お仕事の選択にしても、
天皇ご夫妻および後継者たる皇太子ご夫妻は、直接の御公務が最優先に違いないが、それ以外のかたがたでは、ご本人の お好みと選択で、いろいろな方面に就かれているようだし、
こんにち、ご結婚相手についても、秋篠宮妃のケースを見れば明らかだ。
またぞろ、マスコミがー、皇室に敵意を持ってるから どうだこうだー
言ってるウヨ連中。
毎度くだらない焚きつけのネタに利用してるのは、おまえさんらだろ。
あまりにも、こういう幼稚な手合いが多過ぎるので、
特に、皇室関係のトピックともなると、心底ウンザリしてくる。
まあ、この話題には、まずはウヨでもネットウヨでも、そっち方面の輩が一番乗りでウヨウヨうじゃうじゃ押し掛けてくるから、
ただでさえ反知性・非論理・無知・あ□・ば△が跋扈する流れとなり、
どうしても、拙劣・低次元コメントの羅列になるわな。
ああ、厭になる。
だいたい、『ヤフコメ』においても、もっぱらコメント投稿してるのは、いわゆるネットウヨ以上に、ズバリ右翼団体関係者とか、産経シンブン関係者なんだろうなあと察してるけど(嗤)
とは言え、
共産党支持者らしき人ですら、先般、発表された「お言葉」を離れて検討する、という政府を罵倒している人もいる。
私は、現政府は、いままでの自民党政府のなかでも、殊のほか嫌悪しているものだが、
天皇さんの個人的「お言葉」は、検討にあたって離れるべきであるのはアタリマエだ。
現憲法上、当然のことである。
【続く】
2016.10.23 (Sun)
『北斎の肉筆画と判明 「作者不明」西欧の水彩画風の6枚』
西日本新聞 10月22日(土)10時10分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161022-00010003-nishinp-soci
こちらのほうでは、絵のサイズを幾分か大きく見られます↓
『オランダの博物館所蔵:北斎の西洋画だった 作者不明6枚』
毎日新聞10月22日(土)
楽しいですねえ、こういう話題は。
間違いないのであれば、北斎自身も、まったく新しい手法に、胸を躍らせながらのチャレンジだったことだろう。
旧ブログで、「根付」か何か、日本の伝統工芸のことを取りあげたとき、北斎のことも話題にしたことが あるんだけど、そのおり、あらためて確認の検索してみた感想は、やっぱり、特筆して先端的な面白い絵師だったということ。
でも、考えてみたら、江戸時代も後期の頃の人なんだから、こんにちから遡っても、それほどの大昔の人では ない。
もしかしたら、シーボルトが持っていた、西洋の画家たちによる参考作品サンプルのなかに、フェルメールのも含まれていたかも。
シーボルト先生は、日本に滞在していたあいだに、なんかアヤシイことも含めてwいろんなこと なさってたらしいし。子どもも つくってったしね(笑)その娘、通称「阿蘭陀おイネ」さんも、日常の一コマふう写真に、肩の力が抜けたクール美人なところを残してる。シーボルトが若い頃の肖像画の面影に似ているのが、またオモシロい。
上掲記事へ投稿されたコメントのなかに、かのフェルメールの名を挙げてる人が やっぱり いたけど、私も、今回判明したという絵の画像を一見して、フェルメールの『デルフト』の空気感を少し感じた。
その「空気感」というものは、やはり、大きくは構図から来るものなんだろうけど。
ちなみに、この絵も、(現実と幻想と両方が混ぜ合わされたような)独特の空気感を持っている。
Elinga(Dutch1623-ca.1682)Woman Reading
ここからは余談ながら、
この『読書する女性』は、私にとって、特別な感慨を もよおす絵なのです。と言うのも、
以前のエントリーで、ちょっとだけ触れたように、私は、時たま、いわゆる予知夢を見ることが あって。特に、どういうものか、病気で長らく苦しかった時期には、わりと頻繁に見ていて。
そのなかでも、絵に関する予知夢の場合は、独特のパターンだった。
夢で見て概ねは翌日から数日後、たとえば新聞の日曜特別版で恒例の、国内外の様々な絵画を中心に紹介する特集記事にて、特大サイズの画像が掲載される、そのなかに、
その日まで、名も知らずにいたエリンガの作品が、夢で見た光景のままに再現されているのを見た瞬間、あっと息を呑んだ。そのときのことは、かれこれ数十年たっている今でも、まざまざと思い出す。この類の経験を した人は、私以外にも いるらしい。
これと同じような現象が起きた絵画や写真などは他にも幾つか あるんだけど、
ただし、いずれも、「絵」そのものとして見たのでなく、
夢のなかでは、あくまで現実としての その風景や光景のなかに、普通の日常的肉体を持つ自分自身が居て、そのときの周囲を眺めているという かたちで見ている。
くだんのエリンガ『読書する女性』の場合も、
かの地に特有なのであろう窓の造り、その外側の人通りの気配、少し埃っぽい窓越しに入ってくる柔らかい光が照らし出す室内に浮遊している細かい塵の きらめきとか、隅に置かれている大きな衣装箱(チェスト)や椅子に打ち付けてある鋲飾りとかを、間近に明瞭に、自分の目で眺めながら、べつだん奇異にも疑問も思わず、落ち着いた気分で、ほの温い空気を吸いつつ、木の床の上を、ゆっくり歩き回っている自分の足音が、室内にコツコツと響いていた。
その臨場感は、じつに生々しいものだった。
ただ、少し不思議なのは、
絵のなかの腰掛けて読書している女性だけは、その夢のなかの室内で見ていないと言うか見当たらなかったのね。これと似た現象なのだろうか、他の画家(日本人)の作品で同様の経験したときは、その作品のなかでヒロイン的に描かれている若い女性が、自分自身だったということが あった。
そういう夢を見たあとだから、「あっ、あの夢のなかの光景」と、まっすぐ、ピン!と来る。疑う余地なく。これは、経験した人でないと、理解できない感覚だろうと思う。
通常の現実における体験じゃないのに、すでに、わが身を以て体験したような世界なのだから、なんとも言いようのない感じ。一種の懐かしさが こみあげてくると言うか。。。
たしかに、
時代も国も全く異なる、あの、とある室内の空気を吸っていた。
白い大型帆船が高々と帆を膨らませ、遠い国から訪れた女王の誇りに満ちた足どりのように、厳かに滑らかに進み行くのを、青い波の まにまに揺られながら、傍で見上げていた。
日本の何処か、見知らぬはずの街で、夕暮れと夜の境に燈った月明かりに照らされ、静かな通りを歩いていた。
「未知の記憶」。
2016.10.23 (Sun)
もともとから、今般の この表現に対しての批判は少なくなかったようなのだが、
たしかに、「生前」というコトバには、動かし難い「死」のイメージが伴ってくるゆえ、特に、家族や身内の者が見聞きしたときは、りくつ抜きでギョッとしてしまうのは、一般的にも共感できるところである。
『「生前退位」は「歴史の書物にない表現」 皇后さま、違和感表明 NHKの反応は…』楊井人文2016年10月22日 7時8分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20161022-00063507/
めったに読まない『ヤフー』コラムの、とりわけ、めったに読まないでいた筆者さんなので(もちろん、全く読む気さえ起きない書き手のほうが圧倒的に多いw)、忘れてたが、このかた、『産経』ご出身でしたなあ。
なるほどね、という感じです(笑)
さて、揚井さんの提議しておられる、この問題については、ほぼ一言で指摘できますやろ。
要するに、現「天皇制」が、終身天皇制であるということの影響が最大にして根幹。
つまり、現天皇が亡くなったとき即で次の天皇が位に つくという仕組みでしょ。
なので、現に生きている人が「生きているうちの」という断り書きを縮小して、わざわざ、不自然さすら漂う「生前」と言うことになったのかと。
まあ、ことばの吟味が足りなさ過ぎな感は否めないね。
やっぱり無神経でもあるし、
ことばで商売してるわりには、ちとナサケナイかもw
私は、天皇さんの御意向表明のことが報じられた当初の頃のエントリーで、まだしも「存命」というコトバを用いるほうが よかったのでは なかろうかというふうに述べておいたけど。
要は、現天皇さんは、「終身天皇制」に対して、異議を述べておられたのだと思うが、
また、「全身全霊をもって」と おっしゃったことについても、
これも、私の過去エントリーで述べておいたことだけれど、
少なくとも、はたの者の眼に、まさしく「全身全霊をもって」取り組んでいるかどうかなんて、あきらかには分かりっこない。
ましてや、遠くから、何らかの画面越しに眺めるしかない大多数の一般国民にとってはね。
つまるところは、
失敗せず、滞りなく、まあ完璧に近いレベルで やりおおせたなら、「全身全霊をもって」というコトバの裏付けには できようか。
極端なことを言えば、
客観的に見て、どんなに お粗末なるデキであったとしても、ご本人が、「全身全霊をもって やっとります、やりました」と宣言すれば、そうなのだろうとしか言えないでは ないかと。
そう言えば、
かつて、美智子皇后が、紀宮内親王の降嫁にあたっての御述懐だったと記憶するが、
公務の場で、何かミスを してしまい、気分が落ち込んでしまったとき(もちろん、美智子さまのことだから、些細なレベルに過ぎないことだったろう)、「ドンマーイン!」と言って慰めてくれました、というふうに、幼い頃の内親王との思い出を語っていらした。私は微笑ましく拝読したけれども。
ちと意地の悪い言いかたかもしれないが、
皇室のかたがた、ことに最高位とされる天皇ともなると、さぞやプライド、自尊心、自負心も並外れて高く強くて いらっしゃるだろうから、おおぜいの人々の面前での、些細な間違いや小さな失敗をも、まず、当の御本人自身が、許せないのだろうかなと思う。
私みたいなチャランポランは、自他ともに対して、そういうの、あまり気にならないどころか、
「天皇さんだって人間だもの」
くらいにしか思わないので、かえって、親しみを感じるだろうにと思うのだが(笑)
完璧に近く こなせる能力に欠けている者が、かりにも天皇という地位についていることは許されない、という基準や定義も、現天皇さんに、それを決める権限は あるのだろうか。
とは言え、たしかに、あまりにも失敗が看過できないほど大きくなり増加し、おつむや精神の働きに、加齢ゆえの尋常でない傾向が出てきているのを目撃するのは、誰にとっても、いたたまれないこととは思う。
「天皇陛下の『ご意向』を表すときは『譲位』」云々と、この揚井さんは おっしゃってるけど、
そもそも、天皇自身の意向を表明して許される場合、許されない場合の区分けも、一般国民には殆ど分からないのが現状だろう。
ただ、
より古くからの伝統に近い対処法であり、「譲位」というコトバを使うべきだと、天皇さんから望んでおられるというのなら、それも また、主権者としての一国民である私なんかは、複雑な感覚が起きてくる。
新しい天皇とは、という模索?
古代に近い天皇の姿に戻る?
だって、早い話が、役所あたりの人事異動みたいなものなんでしょ?
でも、
「譲る」というコトバには、主権者国民が、ではなく、天皇個人の主体性的感覚が伴うでしょ。
天皇が、みずからの意向でもって、
皇太子なりの次代を指し、それへ「譲る」(与える)という表明は、本当には許されてないことなのでは なかったろうかと、幾ばくかの疑問が生じてくるからだ。
と なると、
せいぜい「退位」まで、それ以上の積極性を孕む表現を押し留めておかなくては ならなくなる。
ついでに、
近頃、それこそ酷く遅ればせながら、ネットウヨのなかにも、天皇の基本的人権が ない、と云々する者を見かけるようになったけれど、
たしかに、天皇と皇族の人権は、一般国民と同様では ない。
同様で ないけれど、しかし、それがダメならば、どだい、いわゆる天皇制もダメ、ということになるよ。
この「経済大国」「先進国」を標榜する国の一般国民において、
こともあろうに餓死だの過労死する者たちすら次々に出ているというのに、
彼ら天皇と皇族の人権は、ひとえに世襲によって縛られているせいで、ある面は厳しく制限されて いるものの、基本的人権が認められていないわけでは ない。
そういった点では、むろんのこと、一般国民の何倍も保証され、厚遇されている。そこは履き違えては ならない。
また言っとくが、
わたしゃ「臣民」wになるため生まれてきた覚えなんざサラサラ持たないし、
もしも、今後は「臣民」でいなければ ならないと強制されるなら、日本人を やめることに躊躇もない。
「不敬」だの「不敬罪」だの言い出す、時代錯誤にして思想性低劣なウヨ連中は、レイシズム大好物の分際が、と冷笑する対象でしかない。
俗物連中の心性は、空気で できた「虎の威」を借るナントヤラが本当のところだ。
劣等感のカタマリである自分を高みに置いて、他者を見下ろせる よすがとしての道具にしているだけ、という自覚が ない。
それだから、ひとたび何かあると、天皇だろうが皇族だろうが、たちまち呼び捨てにして、攻撃的干渉、口汚く罵り始めるでは ないか。
基本的人権思想など理解不能で眼中にもないからこそ、そういう下劣・下品な言動が できる。
いったい、何を尊崇している臣民だというのだろうか。ばかげた話だ。
かねがね、ウヨらの尊敬やまぬらしい福沢諭吉が書き遺した
「天は人の上に人を造らず」
云々と、対して、
この現代になっても、むやみに有難がっている天皇・皇族なる存在との折り合いを、どう つけているのやら つけてないのやら、
たぶん、ああいうテの連中は、そんなリクツや努力やなんかはハナから端折っておいて、豪も悩むことなく済ませているんだろうなとは察してるけどw
ずばり、「天皇制」や天皇という身分存在が なくなったとしても、これまでと異なる感覚の面で戸惑う向きは まま あっても、現実的に困るという人は、少なくとも一般国民のなかには全く いないか、ごくごく限られるだろうし、
現天皇さん お望みどおりに、「終身天皇」でなくなったところで、何ら全く困らない。
なので、私には、
はるか昔からタテマエでありながら、本来とされてきた意味内容がゴロッと消失しようとも、たとえ、もとよりファンタジーでしかないのが「伝統」の真相であっても、その根本から まるっと入れ替えてでも、
あとは いよいよ「天皇」「皇族」なる名称だけが残るのみでも かまわない、形骸に次ぐ形骸の そのまた形骸を残すべきだと、必死になっている者たちの感覚には、あまり共感できないでいる。
ましてや、「象徴」として「全身全霊をもって」完璧な手本の姿を強制され、洗脳され、一人の人間としての人生が犠牲になることもありうるのに、そんなこと、誰に対しても強いることは できない。私はね。
2016.10.23 (Sun)
あのさ、
大阪がー!大阪府警がー!と言ったって、ほとんど意味ないのよ。
この前のエントリーでも言ったけど、
大阪は、各地方から集まってくる大都会です。
かつての実家の お隣の おじさん、すでに亡くなられたけど、
出身は鹿児島県で、まさに大阪府警の警察官だったよ(爆)
もちろんのこと、あの おじさんが、どこの誰に対しても、悪口雑言を吐いてるところなんか、私は、一度たりとも見たことが ない。
気は優しくて力持ち、を絵に描いたような お人柄だった。
しかし、うちの親から聞いたには、
あの(旧)ソ連抑留経験者であり、
じつに死線を超えて、命辛々、日本に帰って来た、凄まじい過去を持つ人なのだと。
帰国後、警察官になってからも、お昼の お弁当は、毎日、煮たタマネギ2個だけ、給与の殆どは、実家の兄弟姉妹の養育費として仕送りしてたそうな。
そんな おじさん、戦後しばらくの若い頃は、お酒でも飲んだひにゃ、周囲を震えあがらせるほど荒れて荒れて、気性が激しかったらしいけど、
お齢いってからの、朴訥で、面倒見が良くて、優しく穏やかな姿しか見たことない私には、想像も できない。
父に暴力ふるわれているとき、隣家から おじさんが駆けつけてくれれば、うちの酒乱親父なんか、あっという間に制圧されてた。
かつて、ソ連抑留の悲惨に遭った、平凡な兵士と、
エリート青年として、戦時中こそ何不自由なく、意気揚々と闊歩していた近衛将校。
ふん(嗤)
ウヨらが言うには、沖縄で、特に、政府・国家権力に対して抵抗活動してる人たち、その殆どは、沖縄以外の本土各地から集まって来てるってんでしょ、それを焚きつけてるのが、「シナ系サヨク」だとかって。
いったい、どこまで事実かは知らないが。
だいいちね、
ネットウヨウヨは、「ヤフゴミ捨て場」は勿論のこと、コメント投稿できる場という場で、とーっくに、沖縄県人を指して「土人」呼ばわり、それ以上に、先述した、政府・国家権力に対して抵抗活動してる人たちのことを「シナ人」呼ばわりしてきてるがな。間違いなく、ネトウヨ潮流でしょ!
今に始まったことかよ、
ネットでは氾濫し続けてきてるのに、知らないはずないよ、しらじらしい、あほらしい。
で、
ウヨウヨち~んどもの、そういうオゲレツ極まる侮辱や罵詈雑言について、かねがね、不快の感と怒りを述べ続けてきた私は、何を隠そう、大阪府民の端くれですけどねw
ただ、あのように特徴的パターン化したネットウヨならではの汚言が、事あれば、口を突いて出るところを見ると、機動隊とか自衛隊とか、そういう方面の公務員には、やっぱり、ウヨやネットウヨ的思考回路が優勢なのかな、それが、彼らの素の顔なのか、という印象を、あらためて感じた。
皆が皆、そんなわけは ないだろうと思いたいけども。
まあ、自民党や安倍政権が、自分とこのシンパおよびネットサポあたりに言わせてるんだろうなという感じは拭い難いわねw
もっとも、沖縄県に対しても、そこで抵抗活動している、県民か本土人かを問わず、その人たちに対しても、私なりの疑問や批判は全くないわけじゃないよ。過去エントリーでも、けっこうキツイこと言ったし。
ただ、
知性のカケラも見当たらない、いかにもネットウヨ的汚言の吐き散らしは、まじで猛烈嫌悪しかない。
まぎれもなく、暴力装置としての権力側に立つ者らの言動なのだから、その えげつなさときたら、いやがうえにも、だ。