2016.12.08 (Thu)
自然分娩で済む妊婦にまでも、「帝王切開」を施すことを避ければ よい。以上。
『帝王切開出産が人類の進化に影響=オーストリア研究者ら』
BBC News 12/7(水) 14:02配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161207-38218512-bbc-int
なんだかバカげたと言うか、どこまで科学的と言えるのか、かなり軽率な書きかたを している記事のように感じた。
最先端科学の研究や知見について、一般メディアの記者たちが書くことは往々にして、学者や研究者が述べたことの実際の内容や真意からはズレていたり、読者の注目を ひこうとして、歪曲したり誇大に語っていることも多いということを、母の主治医も苦々し気に言っていたそうだ。
さて、
自然分娩というのは、文字どおり、本来の自然に もとづく分娩で あり、
それを、敢えて、おなかに「メスを入れ」ないと出産できないという場合のほうが、少数事例のはずなのだ。
大多数が できることを できないのなら、死あるのみ、
もしくは、「ウマズ女」の罵りと共に殺されるか。
選択肢が殆ど なかった時代、
すなわち、医療分野を筆頭に、あらゆる科学技術が未発展だった時代には、およそ少数事例というものは、何によらず、なすすべもなく、そして、酷薄に切り捨てられても いたわけだ。
私個人の話は、旧ブログなんかでも書いたことあるけど、
「生後7日目から、こんな歩きかた」
と言ったというマリリン・モンローどころでなく、
生後何日目だったかは、母の話を忘れかけているので、はっきりしないのだが、とにかく、
生まれて いくらも経たない あかんぼうの身で「生理」になった。
そう、
あろうことか、おしめに、血が ついているのを発見した母は、この子、いったい、どうなってしまったのかと、血相変えて大慌てで、医者に駆け込んだら、
それは、母体のホルモンが残存した影響で云々、新生児の女の子に稀に起こる現象なのだと説明されたそうだ。
【追記】
おまけに、やけに長引いたうえ、経血量も多かったそうで、最後は、止めるための注射を打たれましたとさ。
そのへん、医学的な詳しいことは知らないが、
以前のエントリーでも書いたことが あったように、とにかく、私は、出産時に とりあげてもらった医師が、学会報告すると言ってたくらいに、特異な生まれかたを している。
母の、これまた特異な体質の問題と、本人の自覚不足、不摂生も あったのだろうと思うが、
そもそも、まだ母体内に居た胎児の頃から、酷いめに遭わされていて、死産か、脳性麻痺等の状態で生まれ落ちていてもフシギではなかった私。それゆえ、重度の仮死状態で あった。
いまでも思う。
そのまま、死なせてくれていたら、と。
まあ、それにしても、
まぎれもない経血が、あかんぼうのオシメに べっとり付いてたなんて、シュール過ぎて、そりゃ、そんなもの見たら、普通は大いに動転するわな。
ついでに、
いきなり立ち上がり、そのまま歩きだしたのは、生後6ヵ月のときだったそうだ。
このような私自身、少女時代から成人女性としてのプロセスは、一般の女性と比べ、多少、変わった傾向のようながら、見かけだけは、小学生時分から、おとなの女性と間違えられることが少なくなかったほど早熟だったので、いまどきの時代なら、それこそ、あの当時以上に、ロリコンやヘンタイ男の誘惑のアラシで、実際に餌食にされてたやもと、怖ろしいものが あるが、
いざ、成人してみると、いかにも嫋々とした女性らしい外見を していると、多くの他人からは見做されていたにも かかわらず、これが、なぜか妊娠しにくいとか、
しまいには、余儀なく、本当に、妊娠できないカラダになってしまったので、ほんとうに、世のなかには、皮肉なことが あるものだと、われながら思う。
私は、日本女性の平均からすれば高身長で大柄なほうなので、初潮年齢も5年生と、当時としては、比較的に早かったようだが、私が早熟過ぎるのではと心配した母が、学校で相談すると、
実は、ここだけの話、おたくの○○ちゃんよりも全然小柄で貧弱な体格の女子児童のなかには、なんと、2年生時点で初潮を迎えている子も いるのです、おたくの娘さんは、あの身長と体格なのだから、ちっとも早いことは ないですよ、と、教師に言われたそうだ。
おまけに、その「骨盤が狭い」というのも、私は該当していると思う。
若い頃はスレンダーだったので、生まれつきの体型なのだろう。
「遺伝」というものは、必ずしも直親からの顕著な傾向性だけを受け継ぐわけじゃないよね。
うちの母は、成人後、出産するごとに尚更ブクブク肥りだしたと言っていたが、
私は、体型に関しては、だいたいのところ、父親に似たのだろうと言える。
一番ハッキリしているのは、両親の、あるいは両家系の どっちに似ても、そうとうの酒好きだったはずなのに、そうでは ないし。
私は、過去、開腹手術を経験していることから、これ自体は未経験ながら、「帝王切開」なのだからラクとは、けっして言えないだろうことも察している。
なんと言っても、からだに「メスが入る」ということは、なまなかなことでは ない。
うちの身内も、この者は、いたって頑健な体質だったのに、本人の会社勤めの つごうなのか、医者のスケジュールの つごうなのかは知らないが、
「帝王切開」によって出産後、いつまでも、おなかの傷が痛むと言う愚痴を、よく電話で こぼしていた。
私の場合、痛み止めが効き難い体質のようで、用いる間隔を非常に長く あけないと、命にかかわるくらいキツい痛み止めしか、効果が なかったので、
あの開腹術後の麻酔が切れたときの、まさに七転八倒、地獄の苦しみを思い起こすと、
もしも、人並みに妊娠し、出産できたとしても、たった一度のみでコリゴリしたことだろう。
大概のことでも そうだろうが、
こと、痛みに対する感受性は、人によって千差万別なほど大差が あるので、励ますのは ともかく、無責任や無神経なことは言わないよう配慮が必要だ。
自分の場合は こうだったから、あなただって だいじょうぶ、というのは、ほぼ、何の根拠にも できないと思っていたほうが いい。
また、
私の障碍についての実例を話すと、これは、乳児の頃の薬害が原因らしいのだが、
うちの母が言っていたことに、
当時の医者の話では、私に投与された量くらいで、障碍を引き起こした前例は一切ないのだと言われたと。
いまの私は、生前の母が、おそらく無自覚に、虚言を弄することが まま あったことに、遅まきながら気づいているので、これも、はたして本当の話だったか どうなのか、母が言い残したことを、100パーセント信用は していない。
ただ、自分で受診し、検査し直してもらった結果、ある薬害に顕著な特徴パターンが出ていることを、担当医師から説明されたのは事実だ。
さて、「帝王切開」の影響からか、大きめの あかちゃんが生まれる傾向、女性の骨盤が狭くなっている傾向というのだけれど。
「小さく産んで大きく育てる」とは言ったもんだが、
そもそも、全体に胎児が大きくなっている傾向が出てるというのは、それこそ、栄養状態の向上が作用しているのだろうことは推察できるが、
それに合わせ、女性の骨盤も大きくならないとしたら、それは何故なのか?
むしろ、こちらのほうが疑問である。
胎児に、豊富な栄養を施すことは、先進国においては概ね、困難なことでなくなっているのだから、
それに見合うだけの骨盤側のスピードが追いついていない、ということなのかもしれない。
本来なら、じゅうぶん自然分娩可能なのに、
近頃は、病院や医者のスケジュール等の つごうで、「帝王切開」を行うようになってきているという記事も、2、3年前に読んだ記憶が ある。
また、
仕事に従事する女性個々のスケジュールの つごうで、みずから敢えて「帝王切開」を望む場合も あるだろう。
【続く】
2016.12.04 (Sun)
『トランプ氏、個別企業経営に異例の介入 「雇用守った」』
朝日新聞デジタル 12/2(金) 10:29配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161202-00000041-asahi-int
まあ、こうなると、もしや、共産主義か?と、首かしげたくなるし、
それくらいなら、サンダース氏のほうが、だんぜん良かったではないの?
自画自賛で「守った」つっても、このひと、まだ大統領じゃないし、
ヘタすると、来たる「選挙人」選挙とかいうので、結果を引っ繰り返されるかもとか言われてなかった?
まあ、アキンド側は、表向き、へえへえと畏まっていても、自由資本主義国家の最たる国において、そのとおりにしてやる義務も なかろうし、腹のなかでは、どう考えてるやら、保証の限りでない。こんなこと、自分自身が不動産屋やってるトランプさんも重々承知だと思うんだけど。
(しかし、書くたびに思う、「トランプ」という、それも、「ドナルド・トランプ」という、名前からして、どこか滑稽味のある この響きよw)
だいいち、
アメリカの州というものは、日本の自治体のありかたとは大違いで、一個の「国」にも近いほどに、独立性が高いんじゃなかったの?
「同社は州からの税の優遇措置と引き換えに、計画の見直しで合意した」って、
裏で何を やったんだか。。。
かくのごとく、疑問符だらけの記事。
こんなレベルの記事しか書けないのかよ;
なにかい、まだ就任前から、早々とゴマすってんのかい。
安倍ちんの御意向で?
日本の大手メディアって、朝日新聞でも(?)この体たらくな。
政府首脳、閣僚を始め、議員連中もオコチャマなレベルの日本国。。。
やんなっちゃう。
テレビも勿論のこと、
そりゃ、この私でさえ、新聞とる気も なくすわ。
実際、とってなくても、べつだん困らんのだからなあ。
ついでに、
だいぶ前のブログ(旧ブログでだったかな)でも言ったことを、再び三たび言っておくと、
世界経済、国際間の甚だしい経済格差問題は、いまや、押しも押されもしなかった先進各国までをも、首を締めてきてるでしょ。
結局、国内における深刻な格差問題と通底してるんだ。
これについての解決のヒントは、従来から ある「フェア トレード」というキーワードを、再び振り返って、参考にできると思う。
あまりにもフェアじゃないと、暴動や暴力的な革命に走らざるを得なくなる。
そこまで至る前に、
なにごともハンパでコセコセした気性の日本国民は、
目の上には「でごんしょう、でごんしょう」、
目の下と思う対象には叩きまくって、われから国内分断作業に励み、
一億総ゆで蛙のまま くたばってしまいそうだけど。
まあ、そんな国民は、継続する価値もないか。
昔から「衣食足りて」ナントヤラと言うものの、
高水準の教育も、こんにちでは殆どの者に行きわたっているはずが、「ネットウヨ」を代表格に、政治屋から一般国民まで、いまだ低レベルな見識のまま。
まともな知識と論理で思考できない。かと言って、直観、直感力も鈍い。
吐き気を もよおすほどの稚拙な、「半可通」と言うより以上にデマが溢れかえる「言論」モドキ。
「反知性」か何か知らないが、ひらきなおったバカが跋扈すると、それは、政治の分野に必ず跳ね返るし、悲劇の再来も起こるぞ。
…どういうことなのかと、つくづく思う。
元の下地から資質が乏しいのかねえ。
2016.11.29 (Tue)
『エルネストに よろしく』に続いて。
ひとつ、シンプルに考えてみよう。
『「私は地獄に落ちるだろう」 世界を揺るがした革命家、フィデル・カストロが語った苦痛』
BuzzFeed Japan 11/27(日) 6:10配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161127-00010000-bfj-int
日本人は、表向き、アメリカに対し、国民でさえ、よく分からない理由で、へえへえと従順にしているけれども、腹のなかでは、キューバの味方、
どうも、この国と、その指導者に対しては、多かれ少なかれシンパシーを抑えきれない向きが、実は大多数だと思うよ。
私は、常々言うように、政治とか思想全般についても、もともと無学・無教養で、ましてや、べつに、共産主義者じゃないしと言うか、そもそも詳しくないんだから、「右」についても「左」についても、あれこれと云々できるだけの素養に欠けてるのが本当のところ。どっちかと言うなら、そういう方面に対して、興味も薄いんだしね。
なので、以下に述べることも、ごく大雑把な所感ていどのものに過ぎない。
だが、いわゆる「テクノクラート」って言うの?ああいう連中が、かりにも共産主義を標榜する国家でありながら、肝心の民衆一般を差し置いて、自分たちが「わが世の春」の如く、したいほうだい、贅沢三昧といった話を聞くにつけては、はらわた煮えくり返っていた。
資本主義の国家においてさえも、大いに顰蹙買うことなのですからね。
「グローバル経済」の問題も、ある意味では、民主主義の陥穽や限界に似ていて、全体が底上げされていないことには、むしろ、始末の悪いことになるというわけで。それが、「今ここ」ってあたりかな。
それにしても、
おもしろいと言うか皮肉と言うか、カストロ兄弟やゲバラも、裕福な家庭のオボッチャマだった。
あのマザー・テレサも、ご実家は裕福だったと伝わっている。
お釈迦さまなんて、それこそ、小国のとは言え、王子さまだったんだからねえ。。。
それに比べて、
わが国の、出自も怪しげなカネ持ち連中、ことに胡散臭い世襲政治屋のオボッチャマくんたちの、すべてにわたって低レベルなことよ(怒)
さて、シンプルに考えてみようというのは、概ね、こういうことだ。
無知・無教養な私なりの、だからこそ、経済方面の基本的問題についても、中間層を蔑ろにしていると、いずれ、すべての者の首が締まるぞ、という単純な警告を発し続け、掛け声だけの「アベノミクス」やら尤もらしい「トリクル ダウン」の欺瞞と空虚さを嗤い続けてきたように、まずは基本をシンプルに考えるしかないわけであるのだが。。。
近年では、たとえば、「ベーシック インカム」という考えかたが、前面に出始めてきている。
これは、まだまだ思考実験のようでもあり、やはり、クリアしなければならない大きな課題が横たわっているのは確かであろうものの、非常に興味深いし、追究していく価値は ありそうだ。
その根幹にあるのは、やはり、基本的人権に大いに かかわること、
すなわち、生存権や教育、医療の保証であり、なんぴとであれ、それらが、基本的に保障されるべきということに、ほとんどの人は、異論の持ちようもないだろう。
われわれ人類が、長い歴史のなかで、夥しい血の涙を流し続けた果てに辿り着くべき、いまだ見果てぬ夢であろうものの、間違いなく、目指すべき方向なのだ。
でないと、愚かな「先祖返り」が、また始まってしまう。
このことに、こまこましたイデオロギー、「右」や「左」が争っている場合では ない。
「移民」問題どころか、AIロボットなるものが、人類の様々な労働分野で、今後、取って代わるであろうという予想が、どういう結果を齎すかも定かではないが、
すでに、オランダあたりで実施されてきた「ワーキング シェア」という制度に関連させた、良い方向への可能性は あり得るように思う。
ただし、
時々見かけるような、日本の場合で「ベーシック インカム」として「約5万円」とかいうのは、お話にも ならないレベル。
日本の国家施策の みみっちさ、ヘンにハンパな毎度の性懲りもなさが、またぞろ、、、という印象。
そんなことでは、そもそも「ベーシック インカム」の精神にも届き得ないのは当然だ。
このままの現状で、「ベーシック インカム」を導入するなどは、あきらかに、時期尚早というもので、かえって、いま以上の格差が増す懸念すら起きる。
保証された以上のレベルで、より生活を謳歌したいという意向は、これも個人の自由として尊重すれば いいだけだろう。もちろん、そこにも、ある程度の許容範囲は敷かれるだろうが、人間として基本的な保証は確保されておかねば ならない。このことに疑いを持つのは甚だ奇妙であるし、自分自身が、そこに組み入れられている存在であることを自覚していれば、そうに違いないのであるから。
そこのところで、何らかの深刻な問題が生じる場合、いかなることが原因しているのかという研究が、これからは、いっそう重要であると思う。
たとえば、当のキューバ国民の一人が打ち明けていたような、「悪しき」と呼びたくなるほどの「行き過ぎた平等」といったことの分析とか。
日本においても、現実には、親の代から受け継いだ資産や不動産等の「不労所得」により、質の高い潤沢な生活を謳歌している人々も、少数層ながら存在しているわけだが、こういう種類の「働かざる」人も、ひたすら消費するのみで、何らも生み出さないのかというと、けっして、そうでは ないのが、およそ経済の見地というものだろう。
「パンのみにて生くるにあらず」ほとんどの人にとって、本来ならば、じっと一ヵ所に蹲って動かないでいるような生き方は、かえって苦痛なものだ。
最低限の暮らしを心配せずに済むということが、人の精神の堕落を招くのか、あるいは、意に染まぬ労働や搾取的な雇用のせいで、疲れ果てている人から、何を奪っているのか。
人が、フリーズしたかのように固まって動かなくなるのは、往々にして、むしろ、身体にせよ精神面にせよ、余裕がないときだと、私は察している。
ともあれ、実際、フィデルたちの成し遂げた仕事は、目指すべき理想、「約束の地」への道程の途中までは、どうにかこうにか辿り着いたのだと見える。はたして真実であるなら、これだけでも、じつに大した功績だ。
世界じゅうの おえらい政治家の誰が、ここまで やれただろうか。
基本的な生活が保障され、より以上のレベルを望むなら、機会は平等であること、民衆は、これに加えて、何の不満や文句を述べたてるだろうか?
フィデルは、彼の実家の資産も、その国家の理想のために費やし、ために、彼の親族が猛反発し、対岸のアメリカへ亡命したと聞く。
追い込まれていたキューバが、ソ連と組まざるを得ない、と なったとき、共に闘ってきたフィデルと袂を分かったゲバラは、そのことに終始反対していたとも聞いている。
アメリカが、さんざん、足を引っ張らなければ、いまごろ、キューバの経済は、もう少しは、向上していただろうにとも思えるし、
あの「キューバ危機」についても、アメリカを無罪にして論じることなど、到底、できは しまい。
キューバは、昨今の世界情勢が、またぞろ不穏な同調を見せ始めているなか、非常に数少ない、ほとんど唯一に近い希望の実験場である。
そこまで来るのに、どれだけの犠牲を払い、試みと働きと実績をコツコツ積み上げてきたであろうか。
とは言え、
一般の日本人にとっては、政治体制の根本的に異なることもあり、いささか謎めいた面を残す国でも ある。
残された真相や真実は、これから先、明るみに出ることも あるだろうし、フィデルの実弟であるラウル氏も、もはや高齢、とっくに分かっていることなのだから、集団での国家指導体制は、すでに敷かれているというのだから、われわれは、キューバ国民との これからを、温かい気持ちと明るい まなざしをもって見つめていたいと思う。
キューバよ、誇り高くあれ。
混迷する世界の民衆の希望を損なうことなかれ。
革命というもの、
しかも、それが、流血を伴う急激な暴力的な革命であればこそ、
そこに至る原因や経緯、それこそが、「悲劇」の源なのだ。
Edward Hughes(1832-1908)Sympathy
2016.11.27 (Sun)
25日午後10時29分(日本時間26日午後0時29分)。
フィデルが死んじゃった。。。
『キューバのカストロ前国家評議会議長が死去、90歳』
すでに高齢だったし、もう、あとの時間は長くないはずと思っていたが、やはり、ショックである。
側面で「独裁者」との異名を取ったのも、ひとえに、彼の高い思想と理念が、何よりも先行していたこと、
その目的を徹底的に貫き通してみせたエネルギーの激しさゆえだろう。
自分自身の銅像の類は、決して造らせなかったというフィデルが、
遺骨返還を機に、そのための どデカい廟を建立した、あの盟友ゲバラも そうだったけれど、
(ちなみに、youtube動画で、たまたま見た、ゲバラが処刑された直後の遺体の美しさときたら。。。!こういうものを見るのは、まず避けている私なのだが、当初、大ケガを負ってはいるものの、まだ生きているゲバラだとばかり思っていた。半眼のまま こときれた状態だったせいも あるが、その静謐な眼と顔の、あまりの美しさゆえに。)
こんな男たち、そうそう出るもんじゃないし、
愚劣で利己的傾向を深めていきかねない今後の世界においては、もっと稀有になるに違いない。
この先に、どんな光景が見えるのやら定かでないけれど、
間違いなく「時代のカーテン」が、また一つ開けられたことを見届けた如くに、文字どおり「不屈の男」は逝った。
↓ふしぎなことに、このエントリーをアップして ほどなく、オバマ現大統領が、キューバとの国交正常化交渉を発表したので、短く「追記」を加えた しだい。
フィデルが若い頃から、情熱的演説の希代の名手だったことを彷彿とさせる動画を紹介しておいたエントリー。
2016.11.26 (Sat)
先日、当ブログでも、ちょっとばかり触れた話題だったが
『more♪more♪more♪Steve Stevens』
大麻についての全般的および詳細を殆ど知らない私自身は、いわゆるウヨもサヨも辟易の対象だし、どちらの側にも くみする気がサラサラないので、これらのイデオロギー的に反対だ賛成だを云々する気も全く ないし、
なぜか、
「ネットウヨ」か「ウヨ」そのものだかは知らないが、大麻の擁護者は「パヨク」である、などという くだらん戯言は無視だ。
大麻解禁について、この↓記事に付いたコメント投稿者らの、賛成・反対の立場いずれの者たちも相変わらず短絡的で、あさはかでしかないのだなと思う。
『長野の限界集落で大麻=所持容疑で22人逮捕―麻薬取締部』
時事通信 11/25(金) 11:07配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161125-00000038-jij-soci
まあ、依存性の有無については、私が愛飲するコーヒーでさえ、なにがしかは有するのだし、
ましてや、タバコ、それ以上に、酒に至っては、絶つのに、ひどく苦労したという話に事欠かず、これらが、非常に依存性大なることに異論は ないだろう。
私も、大麻解禁を主張してやまない人たちに対する怪訝の第一印象としては、
やはり、それがないと、生きていくうえで、非常な難儀を感じているのだろうか?しかし、
いったい、病気とか その予後のため等でもないのに、何ほどの難儀を、彼らは、その人生に感じているのだろうか?という不審だ。
生きていくうえで、大麻の摂取がないと、そうまで辛いのか?という。。。
まあ、摂取することで、多少なり、気分が良くなるというのが本当ならば、ストレスフルな人生を抱えている私にしても、いっぺん試してみたいという気が ないわけでは ないよ(苦笑)
けれど、
ないと不自由な思いを させられるわけでは勿論ないのだから、
大麻解禁を必死で主張したり、隠れてまでコソコソやらずにいられない人たちに対する共感も乏しいし、興味も関心も薄いのが実際のところ。
障碍者である私にとっては、いまだに役に立たない「補助具」の飛躍的な改善のほうが、生きていくうえで、よっぽど切実だもの。
何年か前、ネットで見かけた投稿のなかに、たしか、アメリカ在住経験のある人が、
大麻種子が混ぜられてるクッキーか何かを、お子さんが食べてしまったとき、あきらかに、子どもさんの精神状態が、幾分かハイな状態になったと述べているのを読んだことが ある。
それが事実なら、
一般に解禁することで、特に、成長途上の若年層に及ぼす有形無形の影響とか、たとえば、タバコの副流煙被害に似たようなものは あるのか?とか、効果が切れたときの落差如何とか。
まず、現状、解禁に至っていない理由については、一般のシロウトには分からない医学的見地からの提示が第一に必要だ。
イデオロギーだの、法的に どうこうよりも、現実的な議論は、そこから。国家も国民も。
それと、最も警戒しなければならない理由は、
まさに、その「多幸感」というやつだ。
これこそは、
為政者や権力者にとって、民衆コントロールの手段にもなりかねないことは、人類の歴史、当の わが国の ごく近代史においても あったことなのだから。