2015.02.05 (Thu)
『国民の命を利用したんだね安倍さんらは(激怒) 』
どうも、後藤さんは、
あるいは、自民党やウヨと関係してた湯川さんにしても、ハメられたのかもしれないなあ。。。
というのも、
このたびの、“IS”人質事件に関する、イギリスでのマスコミ報道を紹介している記事があったので、サッと読んでみたんだけど、
『イスラム国の蛮行を英メディアはこう報じた 日本がテロ戦争へ参加するかどうかを注視』
そのなかで、
特に「フィナンシャル タイムズ」という新聞が、いまこそ日本も、英米同盟と共に、この「対テロ戦争」へと真っ向参加するべし、と言わんばかりな論調を、社説で掲げておるというのだが。
そこで、
日本の「ネトうよ」どもが泣いて喜びそうな、「平和憲法が押し付けられ~」とかなんとか のたまってくれちゃってるんだってサw
まーあ、おチョーシの よろしいことだよww
要するにっ、こういうことね。
「われわれと同じように、日本も、テロ攻撃を浴びまくって、いっしょに苦しみを分かち合うべきだ」w
アメさまと同じく、
今後は、金子のみならず、日本人の血と命も差し出すべし、
って要求かぃ
ド厚かましくもバカにしくさって(怒)
そもそもなあ、パレスチナ・中東問題を拵え、ややこしくしたあげく、安倍ちんみたいに、まる投げしよったのは、いったい、どこの誰だ?
それこそ、てめえらの「自業自得」だろうがによ
なんで、そんな争いとは無縁だった日本が、いまごろになって、
なにが悲しゅうてワザワザ引きずり込まれてやらにゃならんのだぁ?
日本は日本の分相応に ふさわしい関与と貢献の仕方がナンボでもあるわい。
英米の空爆に追随するだけが方策ではない。
いらぬ憎悪の連鎖を招くだけだ。
こんなことは、てめえらで引き受けておれ。もともと、そっちが原因じゃねーか!
てめえのケツは、てめえで拭きやがれこの海賊?の子孫ふぜいがよぉw
いつぞやは、日本の被爆者をネタにして嗤い者にしやがったくせして、ざけんなー!!
下記の↓記事が言うように、椅子椅子が、このままでも、けっして先行き長くないであろう見通しが本当なのであれば、ますますもって日本は、今まで以上には手出しをヘタにすべきでない。
遠くない時期に自滅するなり潰れてくれるのを待つほうが、よほど賢明というものだ。
『イスラム国の誤算は「後藤健二さんの奥様のメッセージ」にあった』
(SPA!)2015年2月4日(水)配信
http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/spa-20150204-791726/1.htm
それにしても、
後藤さんたち最後の日の痛ましい画像を、日本のメディア各社が、いつまーでも掲載して見せるのは、なにか意図があってのことか?
殺害時の動画の内容の詳しい説明とか、、、あほか。
気分悪い。。。
ええかげんにせえよ!!!
2015.02.05 (Thu)
『人質事件、「積極的平和主義」と日本人のリスク イスラーム文明に対する日本文明の役割とは?』
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2015012400001.html
(2015年01月24日)
~
これに対して、日本政府の責任を問う声もある。安倍首相の演説はイスラーム過激派からは敵そのものであるイスラエルで行われ、この事件が起きた後もそのスピーチはイスラエル国旗を背景に行われている。
また、安倍首相が約束した周辺諸国への2億ドルの供与は、イスラム国と一定の関係を保っているトルコには行われず、さらに、安倍首相のスピーチが、誤解を招きやすい英語に翻訳されていた、という指摘もある。
しかも、すでにフリージャーナリスト・後藤健二氏の妻が2014年11月から今年1月にかけてイスラム国関係者からの20億円超の身代金を要求され、それを警察に通報していたことが明らかになっている。だとすれば、それを知った上でイスラエルで首相がこのようなスピーチをすることは、イスラム国を刺激するリスクを犯したことになる。
「積極的平和主義」のアピールが呼び起こすもの
この論戦でどのような立場を取るにしても、明白なのは、安倍首相が中東を訪問しイスラエルという地で積極的平和主義をアピールしようとしたことが、この殺害予告ビデオへとつながったということである。
~
『二枚舌外交のアメリカとすり寄るだけの安倍外交』
田中良紹 2015年1月30日 18時15分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20150130-00042672/
~
リスクを想定しなかったのではなくリスクを想定して行動したと判断するのが妥当である。何故なのか。アメリカすり寄り外交をもっぱらとする安倍総理にとって、アメリカが主導する対「イスラム国」攻撃の有志連合に日本も参画する意思の表明が人質よりも重要だったからである。
~
【再掲】
『[1]「日本が戦争を支援」と誤解された理由』(2015年01月31日)
http://webronza.asahi.com/politics/articles/2015013000002.html
~
そのBBCニュースはアラビア語で「安倍は非軍事的な援助によって『イスラム国』に対する戦争を支援する」という見出しになっている。
BBCのニュースは首相のスピーチを受けたものだ。
見出しは「非軍事的」なものであることを承知した上で、日本が「イスラム国」に対する「戦争(ハルブ)への支援」という言葉をつかっている。
~
(文字強調は、当ブログ主による)
『もしかしてアメリカの沖縄?しかも「使える」自衛隊付き日本。(続き)』
~
今年4月、オバマ大統領は日米会談の場で安倍首相にこうとまで注文を付けた。「(中国に対し)言葉遣いに気を付けろ、挑発的行動を取るな。事態をエスカレートさせるのは根本的な過ちだ」
~
(爆苦笑)
いやはや、「コトバ遣いに気を つけろ」w
またぞろ やっちゃった安倍ちん。
自分がヒーロー気分で演説したいがためには、一億国民の安全を担保に入れても無頓着w
…
いいかげんにせえや、自己チュー高齢おぼっちゃん!!(怒)
今回は、とうとう国民全てをテロの対象へと一気に引きずり込んでみせた、その恐るべき手腕w
以前にも、過去エントリーの どこかで言ったかもしれないのだが、
つまり、アメリカの代わりに、ファイティング ポーズつくって見せてるのは、ひとり安倍ちんのシュミのみならずして、
ひょっとすると、ことによると、アメリカ側の裏要求もあるのでは?という疑念だ。
たとえば、
俺とこアメリカは、表面的には、イスラエルに塩対応しておかざるを得ない代わりに、アベ、おまえんとこが、イスラエルと仲良うしといてやれや、とかってさw
(続く)
2015.01.25 (Sun)
『まさに「クソ」なみw 』
さて、今回の一連の凶悪事件のように、大変な災いは勿論のこと、もっと日常レベルの不幸事でさえ、直接の当事者でない者たちからは、他人事だとばかりに突き放されるだけでなく、笑い・嗤いのネタにまでされたら、それは もう、当事者は、もの凄い人間不信と孤立と孤独感に、一気に陥るだろう。
そのショックは、やがて沈潜して、自覚の有無に関係なく、根深い怨み・恨みの沼となり、いつか どこかで、テロ行為を はたらく動機ともなり得るだろう。
つまり、「クソコラ」の精神も、「シャルリー」の精神も、根底で共通しているのは、他者への共感性の欠如が甚だしいということに相違はない。
ところで、私が「カルト連」と呼んでいる連中について、この事件が勃発して以降、これまた、問題点の共通性が大ありだ!ということにピンと来ていたわけだが、最近になって、また一つ気づいた。
すなわち、
あの連中が、やたらと「フランス」に関係している立場の者たちだったということへの怪訝さ。
まさに、今回、がぜん注目のまととなった「シャルリーエブド」のような、「表現の自由」「風刺」に名を借りた、じつに質の悪い厭味や中傷、これをば「芸術」だ「文学」だ「哲学」だと標榜して恥じなかった、あの「カルト連」にも通底だったってわけ。
数年前、「首都大学」というところの学生たちが起こした、ゲージュツ活動と称しての不祥事があったけど、うちのブログの開始時点でも、旧ブログから引き継いで載せ直してある、あの騒ぎと、ほぼ同質なのよね。
なるほどね、
おフランス留学経験ありというケッタイな主婦だの、フランス語を習っております、といった胡散臭い者らが、複アカ駆使しまくって、「OKウェイヴ/おしえてgoo」で、やけにワラワラ湧いて出てきてた不審現象、やっと思い当たったわw
こりゃあ、京都はO大の仏文助教「惡の華」H氏が絡んでいるとかいう「ブラ下論ぬ」の話は、たいへん珍しいことに事実、本当なのかもしれない。
そうそう、
ブラげろ自身、あの潰れたカルト サイト「フィロトピア」最古参メンバーの一人だった「M夫」の個人ブログへ、初めてコメントしていた時の何年も前のハンドルが また、フランス語だったもんなあww
…
点から線へと。
2015.01.25 (Sun)
『イスラム国「人質動画」コラ画像に海外反応 仏メディア「日本人もまたシャルリーだ」と評価』
J-CASTニュース 1月23日(金)19時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150123-00000006-jct-soci
おまえら、そうやって、あまく考えてヘラヘラ笑ってるうちに、ひどい目に遭うぞ、みたいに、先方の「イスラム国」が凄んでた、ってな話があったらしいけど、
そのとおりになっちゃったみたいだな。。。
ま、何でもかんでも笑いのめしておけばいいというもんではないな。
イスラム系の人々というのは、特にアラブのほうの人々は、やはり、根がクソ真面目な気質らしいという印象を、あらためて持った。
たまたま先日、
「ユーチューブ」の動画で、愛嬌たっぷりな中国人女子留学生の司会のもと、日本国内にて勉学中の仲間たち数人を集め、納豆やらレトルト カレーといった、日本の庶民的食品を食べ比べてみる趣旨の、ほほえましい集まりのようすを紹介しているのを視聴したが、
台湾出身の青年にしても、東南アジアの何国だったかが出身の女性にしても、冗談を言い、ふざけ合って大笑いしている屈託のない姿は、日本の青少年たちと何らの違いはない。
しかし、一人まじっていた、パキスタンだったかイスラム系の青年だけは、他のアジア出身の若者たちとは真面目さの度合いが異なっているのが、あきらかに感じられた。もちろん、彼も好青年だったし、良いとか悪いの話なのではないよ。
われわれ日本人から見れば、まさに「狂信者」としか言いようのない先方「イスラム過激派」から見れば、日本人てのは、想像以上にイカレてて、よっぽど、とち狂ってるわい(呆)と思えることだろう。
ただ、ふと思ったのだが、
まさしく「武士」「さむらい」の時代であれば、これと同じような事態の渦中に置かれたとき、たとえ、血を分けた親であっても、お国の、お家のためとならば、どうぞ、わが子の命を犠牲にしてやってくだされとか、敢えて、言うのだろうなあ。そういう内容の伝統芸能の演目もあるもんね。
さきの戦時中なんかも そうだったか。
でも、いまどき、そんなのが美談になる時代じゃないし。
それと、フランスにおける「自由」の徹底した主張ぶりについて、
とくに、現地に住んでいる個人のブログ等を参考に、いろいろな描写や報告を通して思ったには、
要するに、「何は ともあれ、自分は どう思うのか発言せよ。それが一番大事」
というので、その際、傍の誰が傷つこうが感情を害しようが、そんなことを気にしていては いけない、カンペキ無頓着でGO!ということなのらしい。
ここまでになるとねえ、
じゃあ、あれか、よっぽど、自分の意見を表明するのが、本来は苦手な民族・国民性だったのかあ?おたくらは、と怪訝に思えてくる。
われわれ日本人の習性じゃあるまいに(苦笑)
もう一度、紹介しておく。
『黒人女性大臣への差別発言が示すフランスの人権感覚』
プラド・夏樹2013年12月13日
http://webronza.asahi.com/global/articles/2913121300004.html
人権の国、フランスで人種差別が広まりつつある。そのことをはっきりと認識したのは、10月25日、アンジェ市を訪れた、黒人であるクリスチャーヌ・トビラ(Christiane Taubira)法務大臣が、11歳の女の子に
「このバナナは誰のでしょう?雌猿のです!」と野次られた事件を通してだ。
~
それと、フランス在住という女性の個人ブログ。
やはり、現地で生活しておられるだけに、「シャルリーエブド事件」について、つよい実感を伴った鋭い批判を展開しておられる。はっきり言って、この前のエントリーで とりあげた、フランス文学者たる鹿島センセイの お説よりも、よほど腑に落ちる。
私自身は、フランスに行った経験の一つもないけれど、おおかた、こんなことではあるまいか?と思っていたこと、ほぼ、そのとおりだった。
『しつこくシャルリー』
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-702.html
『しつこくシャルリー②』
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-703.html
あちらの小学生への教育内容。これよ、知りたかったの。
『血塗られた歴史』
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-700.html
『フランスでも、「行き過ぎた風刺」は論点に 表現の自由は、無制限の自由ではない』2015/1/24
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%81%a7%e3%82%82%ef%bd%a4%ef%bd%a2%e8%a1%8c%e3%81%8d%e9%81%8e%e3%81%8e%e3%81%9f%e9%a2%a8%e5%88%ba%ef%bd%a3%e3%81%af%e8%ab%96%e7%82%b9%e3%81%ab-%e8%a1%a8%e7%8f%be%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%af%ef%bd%a4%e7%84%a1%e5%88%b6%e9%99%90%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/ar-AA8wtFH?ocid=FUJITSUDHPあくまでプライベートのこととして、個々の宗教に関し、「公の場には出さないこと」という方針の観点から考えれば、
一般に流布させる出版物も、また「公」のものであるのだし、ならば、
いっそのこと出版物においても、宗教にかかわる話題やテーマを一切、扱わないこととし、とり扱い禁止、ということにしたらいいじゃないかしら?
もちろん、それを、すべてに押し通すとなると、純粋な学問や研究の方面で大きく支障があるのだろうけどね。
人数が増えるにつれて、発言権が増す、そうして、われらの祝日や食物(この点、日本人はマメと言うかサービス精神と言うか商売熱心と言うか、「ハラル認証」とかいうものに対し、こっちから協力する気マンマンなくらいじゃないの?w)なども、公式に認めろー、という要求が出てくる、
じゃあ、それらも一緒に、公的に認めてしまっていいんじゃないの?細かい すり合わせは、なんとか調整して、、、と思うんだけど。
ただ、各々で異なる祝祭日となると、何かと「皆一斉に」という方針が根強い習い性にもなってる日本人は、抵抗あるかもなあ。それとも、新たに祝祭日が増えるだけ、ということでオッケーにしちゃうかな??
『私がチラ見したイスラム世界(シャルリー・エブド事件によせて)』
2015年1月15日 11時23分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150115-00042264/
「テロだ」「テロ」と叫ぶけれど、
中東地域における猛烈な空爆によって、やはり、一般の住民たちまでが殺されるハメになってしまった。
彼らの身の実感にしてみれば、西側諸国が「テロ」と呼ぶところのものと、なにほどの違いがあろうか。
(続く)
2015.01.23 (Fri)
こういうセンセイの授業を受けてる学生だったら、私なんか、手を挙げてツッコみまくりだろうなあw
『仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突』
東洋経済オンライン 1月21日(水)6時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150121-00058478-toyo-int
~
4つの類型のうち、「直系家族」は「自分たちとそれ以外」と考える。思考パターンはそれしかない。これを拡大していくと、「日本人とそれ以外」と考え、「日本人と外国人は違う」と、なる。ドイツ人や韓国人もそのように考える。「直系家族」のグループ同士はぶつかりやすい。ドイツ人とユダヤ人、日本人と韓国人がそう。
これに対して、「平等主義」のフランス人の考え方は、人間はホモサピエンスであるから、同一であると考える。そのことに比べると、「人種」「言語」「宗教」などは微細な違いでどうでもよいことでしかない。「男女」の差異すらも大きいことではない。これは例えば、フランスのフェミニズムと米国のフェミニズムの違いに現れている。フランスのフェミニズムは「女性という性」をまったく強調せずに、ただ、同権を要求するだけだ。こうした考え方が「一にして不可分」ということであり、フランス人になってしまえば、皆同じということ。
~
トッド氏の「家族類型」説は、私も以前、どこかで読んだときに、なかなか興味深いものだと思った。
でもね、あまりに何にでも当てはめて、それこそ「信じる」ようでは、無理があるかもよ。
そういえば、このトッド氏、日本も核兵器装備したらいい、とか言ってるんですってねw日本国民として喜んでいいのやら、よくないのやらww
だって、
しかし、日本とドイツは、同盟組んで仲良くしてたんじゃないんですか?(笑)
実質、植民地だった、「2等国民」扱いだった朝鮮の人たちには、彼らのハングルを、こちらから逆に学ばせてやったと恩に着せる反面で、日本語を厳しく強制したともいうし。どっちやねんw
いま、何かと衝突しがちな中国の問題もありますがね(苦笑)かの国では、家族や仲間と見做せた、ごく限られた関係者以外には、まず、本心から気を許すことはない民族性だか国民性があると、あちらの人の話を読んだこともありますよ。
フランス人が、「人間はホモサピエンスであるから、同一であると考える」のは、私自身も基本的には、そういう傾向なので、他の日本人たちから、「あなた、日本人離れした思考だね」とか「日本女性らしからぬ性格だ」とか言われることがあるのだけれど、
「人種」「言語」「宗教」などは微細な違いでどうでもよいことでしかない。「男女」の差異すらも大きいことではない。
本当に どうでもよいのなら、気にせず流すでしょうにw
むしろ、すごーく気になってしょうがないからこそ、とことん差異を消し去らせて、しかも、自分たちに同化させようとするんじゃないんですかね?
それと、私は、フランス語は、英語以上にサッパリ分かりませんが、聞くところによると、この世のありとあらゆるものに、男性名詞・女性名詞と、性別分けしたコトバで名付けてあるというじゃありませんか(笑)
そうそう、余談ですが、あちらでは、ちょっと道を尋ねた警官にいたるまで、女性へのナンパが激しくて、もう油断も隙もないと聞いたこともありますがw
さて、前回のエントリーでも、再度、この疑問を述べた。
『センセイ、質問です。「人を殺しては、なぜ、いけないのですか?」の続き 』
私は、これも、先日のエントリーで言ったように、
イスラム教の教義からくる問題云々以上に、現にフランス人としてフランス国内で生育しながら、ああいう事件を起こしたという経緯や原因のほうに関心がある。
それでも なお、今回の事件では、犯人となった兄弟が、孤児院育ちであったということで、ということは、イスラム系としての個々の家庭内ではなく、よりフランス公共の精神に近い場にて生育したわけだから、本当なら、彼らの同胞たちより もっと、イスラム的なものから脱していてもいいはずじゃないのかと思えた、その疑問は氷解しきれない。
それと、
日本人にとっての不快な記憶としては、先ごろの、わが国 東北方面の大災害において、原発事故に伴う被曝問題をネタにした、品性のカケラもない「風刺画」が、いっとき問題になったけれど、これについては、当該記事における指摘が、どう当てはまるのだろうか。
しかも、
同様に、わが国の被曝者のことをネタにした「風刺」の問題は、イギリスのテレビ番組においても見られたという、これも、いっとき、話題になっていた。
イギリスといえば、こんにちまで尾を引き続けるイスラエルとパレスチナの厄介極まる問題を引き起こす原因を つくった国なのだと、学生時代の歴史の授業で習ったことは、印象に つよく残っている。
まあ、日本とは、伝統的宗教観のありかたも根本的から異なっているのであろうし、多分に、日本の宗教なるものが、そもそも「宗教」の域に達し得ていなかったという見解もある。
他国では、一般個々の生活・人生の背骨を成すほどにまで一体化した重い規範として営々と続いた存在感を、明確な「宗教」という存在に求める人が少ないほうである日本において、ある激烈な個人崇拝の続いた特異的時代を通り過ぎてからは、いよいよ切実さにも欠けることとなった「政教分離」なる看板に、いまだ、あくまで上っ面だけの面が残るのは、私も、過去から何度かは言及してきたことだが、
言わずと知れた「天皇制」のこともあるので、否応もなく譲歩しておくものだという、わが国では、一種の習い性にならざるを得ない面はあるのだろう。
これを敢えて真正面から突きつけ、喫緊の問題化しようとしたら、どういうことになるか、その隠然たる影響の存在は、日本国内で生活しているのであれば、ほとんどの者が、なんとなくながらでも分かっているからだ。
反面で、
そのへんにだけは触れないよう、それこそ「スルー」しておくことで、よけいな深入りせずに、気楽に気ままにやっておれるという現実もある。
日本の、これも表面には出てきにくいが、水面下には横たわり続けてきた、こうした問題は、私は特に、そうなっていくであろうことを見守るしかないと見当を つけているように、
また、
日本的「パターナリズム」的父性の面影を慕うような側面と共通しているかとも思われるイスラムの問題にせよ、
その他の各国が抱える、長い時代を経て、いろいろと根の深くなっている諸問題の多くは、一気呵成には困難なので、急激なショックや、一般民を巻き込む多大の犠牲を可能なかぎり避けるためには、時間を かけながら、理想に近づいていくという根気も必要なのだろうと考えている。
だから、その過程では、「優先順位」の見極めも必要になってくると述べた。
けれど、イスラム系移民にも見られるという、往々、発展途上国系民族に顕著な人口拡大のスピードは、多数の移民層と、まさに、いま現在を かかわっている国々においては、時間を かけて徐々に、という余裕を失わせるほどのものがあるのかもしれない。
そういう切実さも、いまのところ、わが国では、自国自身の大きな悩みとまではなっていない。
しかし、なんですわね、
あれ以来、当の「シャルリーエブド」社は商売繁盛、あちこちからの寄付や援助金も集まったそうで、まるで「焼け太り」状態じゃないですか?w
彼ら自身が、この状態を「風刺」してみせることは恐らく、ないのだろうし、かわりに、どこかの誰かが、「シャルリーエブド」顔負けに、思いっきり品性下劣を厭わず「風刺」してみたら、どんな反応があるものだろうか、見てみたい気もするww
『黒人女性大臣への差別発言が示すフランスの人権感覚』
プラド・夏樹2013年12月13日
http://webronza.asahi.com/global/articles/2913121300004.html
人権の国、フランスで人種差別が広まりつつある。そのことをはっきりと認識したのは、10月25日、アンジェ市を訪れた、黒人であるクリスチャーヌ・トビラ(Christiane Taubira)法務大臣が、11歳の女の子に
「このバナナは誰のでしょう?雌猿のです!」と野次られた事件を通してだ。
~